雷凰区の北部に、龍皇府という町がある。
東京でも有数の高級住宅街として知られるその地区は、プロ野球選手や、映画監督、芸術家、俳優、文化人等が多く住んでおり、観光地かなんかと勘違いしている中年の小母さん部隊が、各家の表札を見て「これがあの有名なあの方の家なのね。すごいわ。ほらほら奥さん、あっちも。まあ。いいわねぇ」なんて喋くりながら歩いてるよーな場所で。
そんな固定資産税をイヤ~ンというほど支払わなければならないこの一等地に、なんと六〇〇坪の敷地面積を誇る豪邸が建っていた。
高田阿重霞の住む屋敷が、それである。
フランスから建築家を呼び寄せて建てられたというその邸宅は、明らかに他の建物よりも、突出した優雅さと優美さを備えており、八〇年を経過した今でも、その美しさが色褪せることはない。
「阿重霞様、朝食の準備ができております……」
メイドの高岡まくら(19・独身)に呼び起こされ、部屋着に着替えた阿重霞は、階段を降りて三〇人は入れそうな大食堂へ向かった。
すでに、母と妹は席について食事をしている。
遅れた非礼とばかりに、慇懃に頭を垂れた阿重霞は、自分用に指定された席へ腰を下ろした。
すぐさま鉄人級の腕をもったシェフが、メニューを差し出す。直筆だ。今日のこの朝のためだけに用意したメニューであった。
どれもこれも、おいしそうではあるが、今日はそんな気分ではない。
阿重霞は、差し出されたメニューから、梅こぶ茶とフレンチ・トーストだけを頼んだ。
五分とせずに食事が運ばれ、横二メートル、縦一五メートルの大理石製の大テーブルに座った三人が、黙々と食事をとる。
食後の飲物が食卓に並び、運ばれたダージリンティーに一度だけ口をつけた阿重霞の向かいに座る女性が、ゆっくりと口を開いた。
「阿重霞さん」
「は、はい……」
鋭いカッターのような威圧的な言葉に、阿重霞の身体が二、三ミリ後ろへ下がる。
その女性こそ、阿重霞の母、高田汝美重であった。
人呼んで阿重霞のおふくろ。
明治より続いている高田財閥の当主であり、日本の財界はおろか、政界にまで及ぶその影響力は、度々ワイドショーのネタになってたりもする、そんな御方である。
ギロリと睨む汝美重に、阿重霞は覚悟を決めた。
「……いいお天気ですわね」
「そ、そそそ、そうですわね、お母様」
クッ、フェイントだ。
「阿重霞さん」
「は、はい……」
「私に、超能力があるのを知ってらして?」
ガタガタガタ。
椅子からズリ落ちた阿重霞が、大っきな『汗』を頭に乗せて言う。
「いきなり、なんですか?」
「昨日、雷凰学園のご学友の折笠魎呼と、また引き分けた、と。そう言いたいのです」
ようやくきたか。
そう阿重霞は思った。
「いえ、あれは、魎呼さん……いえ、折笠魎呼が、いきなり日舞を踊り出すという暴挙に出たものですから、私が躊躇した隙に……」
「不覚を取ったわけですね?」
「は、はい、まあ……」
断定的に話す汝美重に、阿重霞は母が全てを知っていることに気づいた。おそらく御庭番を放って、自分たちの行動を監視していたに違いない。もしかしたら、ユリたちを脅して事情を聞きだしたのかも。まあ、超能力でないことは確かだ。
「我が高田家のしきたりとして、後継者の殿方を選ぶ権利は次期当主である阿重霞さんにあります。しかし、こうまでも、好敵手に遅れをとるとは……由々しき事態ですわね」
「面目次第もございません」
阿重霞の身体がどんどん小さくなっていく。
「おねーたまは、実り少ない恋に、せいちゅんをかけているのでちゅね」
幼児語でそんなことを言ってくれたのは、阿重霞の斜め向かいに座っている、妹の高田季枝霞だ。人呼んで阿重霞のいもうと。
雷凰学園幼等部『ばら』組に籍を置く彼女は、頭の上でまとめた髪といい、身長といい、その大きな目といい、着ている園児服といい、どこからどうみても五歳の幼稚園児だから、幼児語を話してもおかしくはない。
ただし、彼女は高すぎるIQを持っており、精神年齢はすでに二〇歳を越えていた。
「季枝霞、お黙りなさい」
阿重霞の叱責を余裕ちゃらちゃらで受け流した季枝霞は、隣に座る母を見る。
「母様。阿重霞おねーたまは、図星を刺されてうろたえているでしゅ。そのていどのことを、顔色一つ変えないで取り繕えないようでは、まだまだでちゅね」
「その意見は、一理あります」
おませすぎる五歳の娘の意見に汝美重は賛同した。
高田財閥の当主であるためには、このような器の広さも必要なのだ。
テーブルに置かれたプリンをスプーンですくいながら、季枝霞は続ける。
「それに、おねーたまの想い人、天地クンのことでしゅけど、どーみても、高田家には不釣り合いな一般ピープルでちゅ。あんな人をこの屋敷にあげたりして、しかも、おにーたまと呼ぶなんて、考えただけでも、ゾッとするでちゅよ」
「季枝霞、天地様の悪口は許しませんよっ!」
黙って母の説教を受けようとしていた阿重霞であったが、妹のあまりの無遠慮さに思わず立ち上がった。テーブルに足を乗せて、拳を突きつける!
「なんでちゅか、おねーたま? いたいけな幼稚園児であるあたちに、その謎っぽい中国拳法で鍛えたこぶちを振り下ろそうとゆうのでちゅか?」
口の周りをプリンでベタベタにしながら、季枝霞はクソ生意気なことを言う。
「クッ……」
阿重霞は拳を止めるしかない。
五歳児であるという特権を、季枝霞は最大限に利用していた。
「ほほほ。魎呼とか言う人に男を取られたぐらいで、おたちゅくなんて。高田財閥の次期当主とは思えないでちゅね」
平然と言う季枝霞に、阿重霞の大切にしていた毛細血管がプチプチと切れてゆく。
「取られてなんか、ないわよっ!」
「そんなに足を広げると、パンツが見えまちゅよ」
「こ、ここここ、殺すっ!!」
「いい加減になさい」
睨み合う一六歳と五歳の娘たちに、汝美重は静かに言い放った。
「阿重霞さん、我が高田家の家訓は、ご存じですね?」
「はい、『勝利こそ全て』……です」
「そう、明治時代から我が高田財閥が栄えてきたのも、強い女によって、よりよき殿方を伴侶にし、勝利をこの手でつかみ取ってきたからです」
「……は、はい」
「阿重霞さんが、これ以上、河合天地さんに関わるようでしたら、私も考えなくてはなりません」
「それは、どういう意味……」
阿重霞は疑問の言葉を返そうとしたが、ガウンを着て現れた優雅な身のこなしの男の登場に遮られてしまった。
「やあ、みんな。優雅な朝食を楽しんでいるようだね」
パイプを持って、にこやかにそう言ったのは、阿重霞の父、高田権蔵である。人呼んで阿重霞のおやじ。赤色の髪と髭、穏やかな物腰、ニヒルな口元、フランス映画から抜けてきたような美形中年だ。
現れた権蔵を見た汝美重の目は……一瞬にして♡化した。