足元を見るとトースターが置いてあった。砂沙美はこれに足を引っかけたのだ。

「どういうこと?」

「まさか、本当にごうとうに入られたんじゃ……」

 清音がポツリと言う。

「ママッ!」

 美星のお胸かんもんとつした砂沙美は、廊下を駆け、に飛び込んだ。

「…………ゔっ!?

 見るもざんに荒れ果てている。まるでかいだ。

「……るる……る、……らら……ら…………らぁ♪」

 ぼうぜんとしていた砂沙美の耳に、かすかな歌声が聞こえた。

「ママ!?

 声のした場所──ソファの向こうに砂沙美が走る。

 そこには、黄金のマイクを持ったちひろママが、ぐの姿せいあおけに倒れていた。

「ママぁ!」

「……るる……るらら。そ、その声は、砂沙美ちゃん、ね……」

 か細い声でちひろママが言う。

「そうだよ、砂沙美だよ。もしかして、ママ、目が見えないの?」

「…………み、見えるわよ」

「そ、そう……」

「店長、何があったんですか?」

 清音の問いに、ちひろママは姿勢をくずさずに答える。

「この前ね、いきなりりようちゃんが来て、家の中をひっくり返して天地ちゃんを連れて行っちゃったの。それでね、ママ、何もすることがなくなっちゃったから、お友達を一四人ほど呼んで、ずっとカラオケしてたの……」

 店は、どーした!?

「でね、ママたちね、り上がったからみんなでお酒を飲んだの。そしたら、わけがわかんなくなっちゃって。気がついたら、カラオケちゃんの音が出なくなったの……そう、あたしの通信とレーザーディスクとCDの……三つもあったカラオケちゃんが、あたしのカラオケちゃんが…………」

 そのせつ。ちひろママは、ガバッと立ち上がって、

「うあぁぁっっっっっっ!!!!!!!!

 とえた。

「どうしてらないの!? おらっ、鳴れってんだよ、あたしの言うことが聞けねぇってのか、あ~ん!?

 ちひろは、カラオケシステムに、黄金のマイクをビシビシり下ろす。

 まだ、酒が残ってるのかも知れない。行動にちつじよのカケラもなかった。

 ゲシゲシッ!

 カラオケのボリュームボタンがはじけ飛び、さいてんシステムのパネルにヒビが入る。

「鳴りなさいよぉぉぉ!!

「店長!」

「気持ちも何もかもわかりませんが、落ちついてください、店長!」

 清音と美星が、はいからちひろママを取りさえた。

「カラオケが、あたしのカラオケがあぁぁっっ…………………………うっ!」

 とつぜん、ママの動きがピタッと止まる。

 白目になって、そのまま前方ヘポテリと倒れた。

「ママッ!!

「うわー、店長、気合入ってますねー」

「どあほうが!」

 まんざい続行中の美星と清音をほうっておいて、砂沙美はちひろママの身体からだする。

「ママ、しっかりして、ママッ!」

 グーッ……。

「なるほど。そーゆーオチか?」

 魎皇鬼が小声でつぶやく。

 でもでも砂沙美は、出かける朝に、あたためるだけでいいシチューを作っておいたんだよ。

 キッチンに走った砂沙美は、よこだおしになっているれいぞうのドアを開ける。

 シチューは、パックに入ったまま、しっかりと横たわっていた。誰も食べてない。

「ちゃんと、出発前に天地兄ちゃんに言っておいたのに……」

 そうだ。天地兄ちゃんは!?

 どこ、どこにいるの!?

 キィと、玄関のドアが開いたような音がしたので、砂沙美は、再び廊下に向かう。

 ……あっ!?

 そこには、ボロボロになっている天地がいた。

 魎呼ちゃんとちゃんの愛のほんこん決戦が一区切りついたらしく、彼はうようにしてここに戻ってきたのだ。

「天地兄ちゃん!?

 もうろうとしたしきの中で、天地は砂沙美の姿を見る。

「砂沙美……ごめん。約束、守れなかっ……」

 そのまま、しつしんした。

「砂沙美ちゃん、ゴハン、作ってあげないと店長が!」

「ついでに、あたしたちのも作ってもらえますかぁ?」

 居間から顔を出した清音と美星が、こんなことを言う。

 なんで?

 どうして?

 たった三日間──正確に言うと二泊三日、旅行に出かけてただけで、どうして砂沙美の家は、こんなになっちゃうのぉ?

「運命かなぁ……」

 砂沙美のかたにいる魎皇鬼が、ポツリと言った。


 それから。

 砂沙美は部屋のあとかたけや、食事のたくはいじんとなったママと天地のかんびよう、美星と清音にたのんでお店の開店じゆんをしたりして……気がつくと夜の一一時をぎていた。

 キッチンでもくもくと皿を洗っている砂沙美の耳に、テレビのニュース番組が聞こえてくる。

「……それでは、次のニュースです。アメリカの大手パソコン・ソフトメーカー、ワールド・スタンダード社の基本ソフト『シンクロニシティ』の日本語版が、明後日あさつていつせいに発売されます。発売にさいして、スタンダード社では、秋葉原で大々的にイベントを行う予定で、ソフトをいち早く手に入れようとする人達が、すでにてつならび始めており、けいさつやパソコン・ショップはそのたいおうに……」

 皿を洗いながら、砂沙美はなみだぐんでいた。

 パソコンなんて、砂沙美、知らないもん!

 政治家さんがお金いっぱいもらおうが、砂沙美には関係ないもん!

 土地を買った人が国からお金りすぎても、砂沙美はかたわりなんかしないもん!

 こんな夏休みなんて、こんな夏休みなんて。

 大っきらいだよぉ!!


その5


 がちひろママのへんぼうかい見ていたころ

 商店街の前で砂沙美と別れたは、ちょっとつかれたせいもあって休み休み歩いており、ようやく家に戻ってきていた。

 ドアノブを回す……が、開かない。

 ……やっぱり、ママ、お仕事に行ってるんだ。

 いつものかくにんだった。

 そうだってことはわかってる。

 そうじゃなかったらいいなとは、いつも思っているのだが……。

 かぎを使って中に入ると、げんかんには、ドアのゆう便びん受けから放り込まれた新聞紙が、何日分もちつじよらかっていた。

 ちようめんな美紗緒の母、ことがこんなのを放っておくはずがないのに。

 そうもんに感じつつも、旅行バッグをげんかんわきに置き、美紗緒が中から包みを取り出す。

 やまで買ったおみやげだ。

 中身は、ママの好物の生クリームが入っているシフォン・ケーキで。

 帰ってきたら、ママといつしよに食べよう。

 そうだ。生ものだし、れいぞうに入れておかなくちゃ。

 ろうの電気を付けて美紗緒はだいどころへ歩き出す。

 ふとの中をのぞくと、テーブルの上に置かれているメッセージ・フォンが、ろくおんされていることを告げる、赤いランプをともしていた。

 ママからだ。

 再生ボタンを押すと、あわただしい音がして、いでママの声が聞こえてきた。

『……美紗緒、ママは会社の用事で急にしゆつちようすることになりました。一週間は帰ってこないから、悪いけど、その間の食事は、てんものでお願いね。……それと、部屋に入って見せてもらったけど、予定表通りに宿題が終わってないみたいね。あまり、友だちと遊んでばかりいたらダメよ。……あ、外にタクシーを待たせてあるの。じゃ、行ってくるわ』

 ピーッ。

 そこで、メッセージは終わっていた。

「一週間……。そんなにったら、ケーキがダメになっちゃう……」

 美紗緒は持っていた包みを、そのままテーブルに置いた。

 ママがこれを食べることはないし、自分一人で食べるのも……なんとなくいやだ。

 昨日きのうは、あんなに楽しかったのに。

 砂沙美ちゃんと一緒に食事、一緒の部屋、一緒のまき、一緒に……。

 やだ、あたしったら。

 あたし、楽しかったの。

 でも。

 楽しいことは続かないのだ……。

 とりあえず、何もすることがなくなった美紗緒は、後で琴恵に怒られないように、玄関の新聞を片づけようと、入口に向かうことにした。

 新聞を一つ一つひろって、ばこの上に重ねてゆく。

 昨日の朝刊を手に取った時、新聞紙と広告のチラシの間からハラリと一枚の紙がい落ちた。足元に落ちたそれを拾い上げる。

 絵ハガキのようだが、違う。写真をハガキにして送るフォト・メールだ。

 った人がミスしたのか、写真は少しピンボケしている。

 美紗緒は、その手紙をジッと見つめた。

 写真の中央には、石でできた巨大な顔がある。イースター島のモアイだ。

 ……えっ?

 そこに手をかけるようにして、立っている人影は……。小さいけど、よく見えないけど……。

「パパッ!」

 ちがいなかった。

 その写真には美紗緒の父、天野しげが映っていたのだ。

 ピントがズレていてもわかる。うん、あたしにはわかる。

 美紗緒は、急いで手紙をうらがえす。

 そこには、ボールペンで走り書きしたようなのりぴー文字があった。パパの文字だ。


げんにしているか。とうさんは、いま、イースターとうている。こういうバカっぽいツラをしたヤツラをてると、そうさくよくいてきてこまる。

今日きようはいいきよくけそうだ。

イースターとうあおそらしたから、おまえのがおへ……。

しげ


 繁樹が出ていって二年、初めてこの家に送られてきた手紙だった。

「パパッ、パパ……ッ!」

 もう一度、裏返し写真を見る。

 よく見えない。

 もっとはっきり、パパの顔を見せて。お願い。

 でも。

 パパの顔はどんどんにじんでゆく。

 さっき見たのより、もっと、もっと、パパの顔がわからなくなる。

 美紗緒のなみだで。

「パパ……会いたいの。パパに会いたいの。あの時みたいに、ピアノをいてしいの…………うっ、ううっ、パパぁ……」

 手紙を胸にいて、美紗緒はひざくずした。

 悲しい気持ちが美紗緒の心をはいする。

 でも。

 だけど。

 心の奥底にいるもう一人の自分が、たいりようはたを振りながらこんなことを言っている。

『あたしのダディは、あたしのこと忘れてないじゃない。とってもハッピーっ!! う~ん、なんかおどりたくなってきたって感じでダンシング!』

 ちよくせつ聞いたわけではないが、そんなイメージのどうが美紗緒の心にみ渡った。

 ……そうだ。ちゃんと手紙を送ってくれる、パパはあたしのことを忘れていないんだ。

 涙をぬぐった美紗緒は、居間のすみに置いてある、今は誰も使っていないグランドピアノのふたを開けた。

 いや、使ってないわけではない。

 ママが知らないだけ。だって、あたし、かくれてこのピアノをいていたから。

 人さし指で、『ド』のキーを押してみる。

 指を少しほぐし、大きく息をい込んでから、美紗緒はけんばんを叩き始めた。

 カーテンしに太陽の光が入ってくるだけの、うすぐらい部屋に、美しいメロディが響く。

 せんさいで温かく、ダイナミックで、それでいてシルクのようにやわらかなせんりつが、美紗緒の指先から生み出されてゆく。

 美紗緒は弾きながら、パパのことを思っていた。

 ……パパ。子供の頃に、パパがいつも弾いて聞かせてくれた曲を、あたし、弾けるようになったの。いつか、パパに聞かせてあげようと思って、こっそりれんしゆうしてたの。

 でも、でも。

 パパは、この家にいない。

 美紗緒は大きく首をった。

 ううん、会えるよね。会えるよね、きっと……。

 おもいを音に変えて美紗緒が弾く。

 ふと見ると、すぐとなりまどのカーテンに、一つの影があるのに気づいた。

 ………………ポン……。

 鍵盤から指を放し、カーテンを引く。

 そこには、美紗緒のかなでていた曲にれている鳥タイプのの姿があった。

「鳥さん……」

 美紗緒が窓を開けると、留魅耶は、キイイィとひときして、彼女のかたわらへ降り立つ。

「どう、てきな曲でしょ?」

「キイィィッ」

「ありがと、鳥さん。この曲はね、パパが作ったの。あたし、大好きなの。むずかしい曲だけど、いつしよけんめい練習して弾けるようになったのよ。パパほど、うまくないんだけど……」

 留魅耶の羽を優しくでながら、美紗緒はつぶやく。

 鳥さんにこんなこと話しても通じないのはわかっている。