ニューヨークの13ストリートの一角にある小さなカフェテリアは、変わった内装をしている店として評判になっている。
店内に入ると、無軌道な設定と、唐突極まりない終わり方と、スタッフテロップ中にNG集を見せてくれる、サービス精神豊かなアジア系映画のパネルが至るところに飾られており、棚には、護身用かディスプレイ用なのかわからないが、トンファーやメリケンサック、三節棍、なぜか黄金色のカイザーナックルまで置いてあった。
隅にあるジューク・ボックスからはズガンズガンな銃声とアイヤアイヤな悲鳴が響き、フリッパーの看板には、黄色い派手な服を着た白髭の老人が、酔拳のポーズをとっているイラストなんかも堂々と描かれている。
ランチタイムが過ぎているので、店内にいる客はまばらだ。
そもそも、こんなポリシーがあり余っている店に来る人自体、少なくはあるのだが。
薄暗いカウンターの奥には、ポマードをベットリ塗ってリーゼントにしている、食品を扱う店としては非衛生的な髪型をしたマスターが、サモ・ハン・キンポーの絵柄入りのマグを紙ナプキンで拭いていた。
ちなみに紙ナプキンには、SDキャラのチョウ・ユンファと、ジョン・ウーが腕相撲しているイラストがプリントされている。いや、まったく、素晴らしいポリシーだ。
きっと、この店に置いてあるリボルバーは、四七発連続で撃てるに違いない。
それはともかく!!
「…………ん?」
パイプからニコチンとタールが混ざり合った煙を吸い込んだマスターは、窓の向こうからこちらにやってくる輝きに目を細めた。
店の前に停まったのは、銀色のタンクも美しい、HONDA、CB750FOURだ。
もはや、年代物と言っていいレトロな匂いのするマシンだが、昨日納車したのかと思うほど磨きあげられている。
その輝きは、持ち主のマシンに対する愛着を感じさせた。
チリン、チリン。
しっかり、1分間の暖気を終えてバイクから降りた男は、扉に取り付けられた鈴の音色を響かせて店内に入ってくる。
そして。
「うー、北風さんがピューピュー吹いて、今日も寒いです」
……なんて言ってくれた。
その男は、多分、絶対、三六〇度どの角度から見てもハイ・スクールの生徒だ。
なのに労働者のような皮つなぎを着ており、無造作に延ばした髪は、右側の方向へ物理法則を無視して傾いていた。
少年は勝手知ったる……という感じで、カウンターの奥の席へ座る。
「マスター、ボクの手を温めてくれる熱いのください」
即座にマスターが少年の前にコーヒーを差し出してくれた。
少年は、両手で素敵すぎるマグを包む。
温かい。でも、心までは温めてくれない。
そんな少年の仕種が気になったのか、マスターが声をかけてきた。
「どうした。スクールは、終わってないんじゃないのか?」
「ん、ちょっと、いろいろありまして」
間の空けた少年の曖昧な答えに、マスターは、パイプを斜めに傾けて言う。
「委員長と喧嘩でもしたのか?」
「そんなんじゃないんですけどね」
その話題に触れられたくないのか、少年はその気のない笑顔をマスターに譲渡し、入り口近くの棚にあるテレビに首の角度を調節した。
画面に映っているのは、CNNだ。
ブランドもののスーツを着た、あたし、ハーバード出てまーすと言わんばかりの美しい聞き手役のアナウンサーの女性が、足なんか組みやがって、リラックスしっぱなしで、向かいのソファに座っている男に笑顔を向けている。
インタビューを受けるのであろう男は、七三に分けたベタッとした髪に厚めのメガネをかけており、いかにも野暮ったくてノーサンキュー。着ている服も高級そうなスーツではあるが、着こなしは誰がどう見ても0(ゼロ)の領域に到達しており、ここは、あんたが来るところじゃないのよ、出直してらっしゃい坊や……ってな感じがプンプンする。
だが。
そんな容姿をしているにも関わらず、男は説明しがたい『何か』を身にまとっていた。
目標を達成した人間だけが持てる、特別な『威厳』とでも言うべきオーラを。
男に興味を覚え、少年は画面をまじまじと見る。
無意識の内に、その男のもっている『何か』を感じたのかも知れない。
少年がテレビを見たがっていることを知ったマスターは、カウンターから三節棍を取り出して、えいやっと、腕を振るった。
ガチ、ガチ、ガチッ。
三節棍の鎖が延び、規則的なメロディを奏でる。
その先端には、テレビの音量大のボタンがあった。
──簡単な質問から始めたいんだけど、あなたがコンピュータと出会ったきっかけは、なんだったの?
「一二歳の誕生日に母に買ってもらったのさ。まあ、あの当時は、一台一万ドル以上したけどね、幸いなことに、私の家はそれなりに裕福だったんだ」
──甘やかされて、育てられたのかしら?
「いや、そういうわけじゃない。実家はオレゴンの田舎にあってね、隣の家に行くだけで二キロはあった。だから、スクール以外で友だちに会うためには、母か父に車で送ってもらわなくちゃならなかったんだ。そんな環境だったから、母はコンピュータを買い与えて、私の遊び相手にしようと考えたんだと思う。女の子がテディ・ベアのぬいぐるみを買ってもらって、寝る前に話しかけるようにね。
買ってもらったコンピュータは、おもちゃ……そう、まさにおもちゃだった。あの頃のマシンは、ゲームソフトなんてなかったし、今のマシンとは比べ物にならないくらい処理時間が遅かった。ちょっとしたBASICというプログラム言語を書いて処理させただけで…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………このくらい、途方もなく時間をかけて答えを返してくるんだ」
──今じゃ、信じられないわね。
「まさにそうさ。でも、二〇年前のマシンってのは、そういうものだったんだ。それでも、当時の私は、楽しくて仕方がなかったよ。暇さえあればコンピュータの前に座って、カシャカシャ、キーを叩いて……、ある意味、母の思惑は当たったことになるね」
──それから、コンピュータ漬け?
「まさか、普通の子供だったよ。ロッキー・バルボアがロードワークしてたら、ニコニコしてついて行くような。普通すぎて困るほどさ。しかし、コンピュータのことを考える時間は確実に多くなったとは思う。よりよく使うために、BASICをマスターして、加速度的に高度なプログラムを覚え、コンピュータに入力していったんだ。
最初に手に入れたマシンは、今、手元にあっても触りたくはないほど処理は遅いけど、今でも素晴らしいマシンだと思ってるよ」
──そんなパソコン……。
「当時はマイコンと呼ばれていたけどね」
──そう。そのマイコンに惹かれた部分は、どこだったのかしら?
「答えが返ってくることだね」
──と言うと?
「私がマシンにデータを入力してやれば……、専門用語で言うとプログラムのコードを書き間違えてない限り、コンピュータは正確な答えを必ず返してくれる。鉄板でできた箱の中で、一所懸命考えて弾き出すんだ。そういう、無垢で純真で健気で一途で揺らがない部分がいいね。絶えず様々な情報を頭の中で処理している私にはない部分だから。
そうなんだ。0か1しかない二進法のデジタルな世界は、曖昧などというアナログな熟語を完全に駆逐してくれる。導き出される答えは必ず正しい。素晴らしいことだよ。アナログな存在である私たち人間は、絶対に裏切らないパートナーを手に入れることができたんだ」
──コンピュータ産業の創世記に、あなたはそれを事業にした。
「うん。コンピュータを使えば使うほど、確信したことがあった。当時は高価過ぎて、カレッジの研究室にしか置かれないようなマシンだけど、後一〇年、いや五年で、性能が飛躍的に向上し、ビジネスシーンや一般家庭に普及してゆくとね。
仕事であれば人は否応なくコンピュータの操作は覚えるだろう。しかし、万人に使ってもらうためには、よりよい……よりわかり易いソフトが必要だった。でも、残念なことに当時はそんな便利なものはなかったんだよ。だから、そんなアプリケーションを自分たちで作ろうと、WS……ワールド・スタンダード社を設立したんだ。
幸いにして、学生の頃、プログラムを書いて得た収入もあったし、無から有を生み出すクリエイティブな作業だから、それほど元手も必要なかったしね。
熱くなったよ。そんなソフトがあれば、テレビやラジオのダイヤルを回すのと同じように、人々はコンピュータを気軽に使えるようになるのだから」
──なぜ、そんな考えを? 電脳世界のキリストになりたかったとか?
「私はそんなに自信家ではないよ。ただ、自動車や飛行機よりも早く、世界中に情報を提供し、それが価値を持つ時代が必ず来ると信じていた。コンピュータはそのために生み出されたマシンであるともね。
時代が変化すれば、人々は戸惑いを覚える。自動車でも蒸気機関でも、こんな鉄の固まりが動くわけないと思われていた時代があっただろ? でも、時間が経つにつれ、人々は、それを便利なものであると認識し、不可思議なものではないと理解した。
それと同じさ。たまたま私がコンピュータに興味を持ち、少しだけ早くそのことに気づいたわけだ。まだ世界がデジタル・ワールドの存在自体、知らない時期にね。
だから、やがて来る『情報』という名の荒波に船出し、翻弄されるであろう世界中の人々を、私がエスコートしてあげたいと思ったのさ。コンピュータはあなたを食べたりしません。あなたのより良いパートナーですってね」
──その先見性が、独占的とも言えるコンピュータ市場の支配に繫がったと考えていいのかしら?
「違う。コンピュータが普遍的な計算結果を出すのと同じように、ビジネスにおいても、アプローチさえ見誤ることなく、そして、それがよりよいものであれば、生み出される結果は一つしかない。
様々な企業がコンピュータに魅せられて参入してきたが、世界の人々は私の会社のソフトを選んだ。それは、私の作ったソフトが一番優秀だったということへの証明だよ」
──確かに。当時発売されたコンピュータの基本ソフト、WSオペレーティング・システムは画期的だったわ。しかしもう、あなたの会社のソフトは、世間では時代遅れと言われ始めているようだけど?
「そう言われるのは仕方のないことだと思う。一〇年も前に作ったソフトを元にして、バージョンアップ……つまり、進化を遂げてきたわけだから。そのような短絡的な考え方では、いずれはデッド・エンドに行き着くことになるだろうね」
──あなたの役目は終わったと考えていいのかしら?
「まさか。まだ、私の求めている時代は到来してないよ」
──では、どのような未来をあなたは考えているのかしら?
「それは、今、開発している全く新しいアーキティクチャー(設計思想)を持ったオペレーティング・システムで実現することになるよ。ようやく私の思い描いた考えと時代がシンクロしようとしている。このオペレーティング・システムが完成した暁には、全世界の人々は、新しい時代と、時代の涙を見るだろう! 開発コードネームは『パプア・ニューギニア』。どうだい、イカスだろう?」
──そ、それは、どういう機能が付いているのかしら? あなたの発言は、全世界のパソコンユーザーが注目しているわけだけど?
「今は答えるわけにはいかない。ただ一つだけ言えるのは、このソフトを世に送り出すことで、私のエスコートとしての役目は終わる、ということだ。それが、私の最大目標でもあるし、変えがたい事実でもある!!」
──……そ、そう。
「ああ、そうだ。全ての人に『コンピュータ』を!! 全ての人に新鮮なる『情報』を!! 全ての人に標準なる『生活』を!! それが、私と、私の会社の存在する意義だ!! わかるかね!?」
──……なんとなく。
「おめでとう。あなたは未来を生きる権利を得ることができた!!」
──ど、どうも……。
机に乗り出して、カメラ目線で熱く語る、異常としか言いようがない男を少年はまじまじと見つめていた。
ただの自慢話と自己主張に終始して、何が言いたいのかさっぱりわからなかったが、男の熱意がモニターから飛び出して、少年の心に染み込んでくる。
こんなにも熱い男が、この世の中にいるのか!?
少年は感動していた。
コロンブスが新大陸を発見したような高揚感が、身体中を駆けめぐる。
本当に、こんな高揚感だったかどーかは知らないが。
「ヒカリ君……」
カフェテリアの入口から、少年──ヒカリを見ている少女がいた。セミ・ロングの黒髪にセーラー服、両手で革製の学生カバンを持っている、おまえ、本当にアメリカに住んどるんか!? と言いたくなるくらい、純日本風な格好をした少女が。
「委員長……」
サムは、マスターに手で挨拶して、カフェテリアから出た。
自分を見つめている委員長に笑顔を返す。
少年の中で、悩んでいたことがなくなった。
闇雲にバイクを走らせて、風になるんだとか叫びまくっていた自分はもういない。
あのテレビのせいだ。
少年は、清々しい笑顔を委員長に向ける。
「オレね、やりたいことができました」
「……えっ?」
「時代を作りたいんですよ」
風が吹き、少女の長い髪を愛撫する。
それは、いつまでも、ハイスクールにはいられないという少年の覚悟であり、いつも自分を見ていてくれた、目の前にいる少女への離別の言葉でもあった。
二人は無言のまま見つめ合う。
少年は少女から視線を逸らし、バイクに跨がった。
キーを差し込み、エンジンをかける。自分を見つめているであろう少女に振り向くことなく、少年はバイクを走らせてゆく。
それが答えだった。
現在は。
それから、五年の歳月が過ぎた時に訪れる──。