Prologue: 夏の気配をはっきりと感じるようになった、ある日のこと――。 朝起きた時から体調が優れなかった私は、美雪ちゃんの勧めもあって入江診療所で診察を受けることにした。 ……の、だけど。 一穂: えっ……休み……? ガラス扉に貼られた案内の紙を見て、私は呆然と立ちつくす。 そこには、「本日東京への学会出席のため申し訳ありませんが休診いたします」との文章が入江先生の名義で綴られていた……。 一穂: ついてないなぁ……っ、けほっ……こほっ……! さっきまで少し静まっていた咳がまたぶり返してきたようで、喉が痛い。 こじらせるほど悪くなっている、とはさすがに思わないけれど……あてが外れたがっかりもあってか、余計に辛さが増してきた気分だった。 一穂: (せめて、薬局で咳止めを買ってから帰らないと。けど、ここから#p興宮#sおきのみや#rに行くのは辛いなぁ……) なんてことを考えていた……と、その時。 入江: おや……? どうかしましたか、一穂さん。 私に声をかけながら駐車場からやってきたのは、今日ここにいないはずの入江先生だった。 一穂: っ、入江先生……どうしてここに……? 入江: どうして……ってあぁ、なるほど。あちらの張り紙をご覧になったのですね。 入江: 実は、今日向かう予定だった学会が延期になるとの連絡を昨晩に受けまして。 入江: 急に入った休みを持て余すのも惜しいですし、この機会にたまった書類仕事を片づけようと考えて、こちらに出勤してきたのですよ。 一穂: そう……だったんですか。っ、けほっ……。 入江: おや。もしかして、どこか具合でも悪くてこちらに来られたのですか? 入江: それでしたら、すぐに開けます。ちょっと待っていてくださいね。 そう言って入江先生は、入口の鍵を開けると私を招き入れる。 当然のことながら、診療所の中には誰もいない。おまけに真っ暗だったが、先生は慣れた動きで壁のスイッチを操作して明かりをつけてくれた。 入江: では、準備ができたら呼びますのでそちらに座って待っていてください。 一穂: い……いいんですか?だって今日は休診で、先生は他にも仕事があるって言ってたのに……。 入江: 病人を前にして、医者のまず取るべき行動はひとつだけです。遠慮しないで結構ですよ。 一穂: は、はい……。 大げさかもしれないけれど、地獄に仏とはまさにこのことだ。私はありがたく、入江先生の好意に甘えることにした。 そして私は、数分もしないうちに呼ばれて診察室で入江先生に病状を見てもらった。 聴診と喉の検診、問診……てきぱきとした彼の手際の良さは、見ているだけで本当に心強い。 入江: 少し喉が腫れているようなので……おそらく、夏風邪でしょうね。 入江: 昨日は少し夜の気温が低くなったと思いますが、寝る時にちゃんとお布団に入っていましたか? 一穂: え、えっと……最近寝る場所を変えたせいでなんとなく寝つきが悪くて……起きた時、掛け布団が足元にめくれてました。 入江: ははっ、だとしたら原因はそれですね。とりあえず、今日は夕方まで温かくしていれば明日には学校に行けると思います。 入江: 少し暑いかもしれませんが、水分を摂って汗をかいたほうが回復は早くなりますよ。あと念のため、お薬を出しておきます。 一穂: ……ありがとうございます、入江先生。朝起きた時、喉が痛いなって感じたら急に咳が止まらなくなっちゃって……。 一穂: おまけに美雪ちゃんが、「難病にでもかかったんじゃない?」って変なことを言ってからかうから、怖くなって……。 入江: 安心していただいて、大丈夫です。体調が悪くなると気持ちが弱くなるので、悪い方向に考えがちですが……。 入江: 外国から病原菌の流入でもない限り、今の日本の衛生状況では突然変異的に難病にかかったりすることはほぼありませんよ。 一穂: そ、そうですよね……。先生にそう言ってもらえると、安心できます。 入江先生の診断内容を聞いた私は、心底来て良かった、と感じて胸をなでおろす。 そのおかげか、喉の痛みが辛くない……「病は気から」は本当のことなんだ、と改めて実感する思いだった。 一穂: 先生に診てもらえて、助かりました。何も聞けないまま帰ってたら、きっと明日も寝込んでたと思います……。 入江: お役に立てて、なによりです。患者さんのそういったお言葉を聞けるだけで、私は医者になってよかったと思いますよ。 一穂: ……入江先生は、優しいですね。正直言うと私、お医者さんって今までちょっと苦手だったんですけど……。 一穂: 村のみんなが尊敬する気持ち、わかる気がします。梨花ちゃんたちも、先生のことを慕ってますしね。この前だって、沙都子ちゃんが……。 入江: …………。 一穂: ……? あの、先生……? ……どうしたんだろう?沙都子ちゃんたちの名前を出した途端、入江先生の表情が曇ったように見える。 普段だったら、特に沙都子ちゃんのことを話題に出せば嬉々とした感じに乗ってきて、いろんな話を聞かせてくれるはずなのに……。 一穂: えっと……入江先生。沙都子ちゃんたちと、何かありましたか? 入江: あ、いえ……そういうわけでは。 入江先生は首を振ってみせるが、明らかに顔がそう言っていない。 とはいえ、だからといって深く尋ねてもいいものなんだろうか……?そう思って言葉を出せずにいると、 入江: ……そうですね。ひょっとすると一穂さんなら、おわかりになるかもしれません。 少しの間の沈黙の後、入江先生はそう言って私に向き直っていった。 入江: ここ最近……沙都子ちゃんたちの私を見る目が冷たいのです。それが引っかかっておりまして。 一穂: ……はい? 入江: まるで、ゴミを見るような目とでも申しましょうか……普段の定期検診をしていても最低限の応答ばかりで。 入江: 雑談にも全く乗ってきてくれないのですよ。 一穂: なっ……?! 思いもしなかった事実を聞かされ、私は息をのんで言葉を失う。 沙都子ちゃんたちが、入江先生に対して冷たい態度をとるなんて……いったい、何があったというんだろう? 一穂: ど、どういうことですか……?何か、先生に心当たりでも?! 入江: いえ……皆目。思い出せることと言えば……。 入江: 私が先々週、雑談の中で沙都子ちゃんにイングリッシュメイド、梨花さんにフレンチメイド……。 入江: 羽入さんに大正風メイドの衣装を着てほしい! と頼んだ日からずっと、冷たい対応に終始されているのです。 …………。 一穂: はい? 入江先生の話す内容を1テンポほど遅れて理解した私は……さっきとは違う心境で絶句する。 メイド服を着てくれと、あの子たちに頼んだ……?なんで? どういう理由で? 話の前後が全く読めず、どうにも経緯と顛末に唐突感しか抱けなかった。 一穂: え、えっと……どうして3人に、メイド服を来てもらおうと考えたんですか? 入江: はい。実は、子ども向けのメイド服をとあるツテを通じて手に入れる機会がありまして。 入江: その服がなんと、奇遇なことに沙都子ちゃんや梨花さんたちにぴったりの寸法だったのです……! 一穂: は、はぁ……。 ……いや、ここはまだ突っ込むところじゃない。そう自分に言い聞かせながら、私は必死に口をつぐんで耳を傾け続けた。 入江: それを見た時、私は狂喜しました……そして、天のお告げを聞いた気がしたのです! 入江: 『汝、このメイド服を沙都子ちゃんたちに着せてその見目麗しい姿をその眼に焼き付けるべし』と! 一穂: ……そんなこと、誰も言ってませんよね。明らかに幻聴か、宇宙から毒電波でも受信した感じの妄想ですよね……? ……さすがに自分の思考が汚染されそうだったので思わず禁を破り、私は突っ込んでしまう。 だけど、入江先生は大真面目な表情で腕組みをしながら、本当にわからないといった様子で首をひねっていった。 入江: はぁ、何がいけなかったのでしょうか……?メイド服のデザイン? 傾向? 入江: いえいえ、それなら何度もシミュレーションして最高で最適のものを選んで勧めたはず……。 入江: はっ……? もしくは、あまりにも高級感を醸し出した装いに気後れをさせてしまったっ? 入江: な、なんということだ……この入江京介、一生の不覚ッッ!! 一穂: あの……入江先生。メイド服を着てくれと頼むこと自体が、そもそもレッドカードなんだと思います。 入江: えっ……そうなのですか? 一穂: (気づいてなかったのー?!) 天然なのか、わざとなのか……。本気だったとしたら、なおのこと始末が悪い。 いずれにしても、メイド愛に満ちた願望を沙都子ちゃんたちに押しつけようとした先生の愚かさに……私は呆れ返るしかなかった。 一穂: (このおかしなところさえなければ、入江先生は誠実で常識人なんだけど……) 入江: あぁ、喜んでくれると思ったのですがまさか間違っていたとは……!やはり私は、本当に未熟者です……! 一穂: (……未熟者って、何に対して?沙都子ちゃんたちへの気遣い?それともメイドへの愛情が……っ?) どちらであっても、論点が完全にずれている。ただ、体調を崩して暗く落ち込んでいた私を元気づけてくれた恩もあるので……。 とりあえず抱いた気色悪さを押し隠し、私は先生に提案していった。 一穂: と、とりあえず……明日にでも私、沙都子ちゃんたちに話をしてみます。 一穂: たぶん、ただの誤解だと思いますので……先生が反省してたことも伝えておきますね。 入江: な、なんと……お願いしてもいいですか? 一穂: は、はい……この程度でしたら、お安い御用です。 入江: あぁあぁぁッッ!神ですか、あなたが私の神ですかッ?ありがとうございます、ありがとうございます!! 入江: このお礼は是非、私のメイドコレクションの中から選りすぐったもので代えさせていただきます!あ、もしよろしければ記念に撮影を――。 一穂: そ、それは結構ですッッ!! Part 01: 翌日の朝――。 美雪: んー、すっかり熱が下がったようだね。顔色もよくなって、咳も出なくなったみたいだし……。 美雪: やっぱり、ただの夏風邪だったってわけか。いやー、よかったよかった。 菜央: ……でも、ほんとにいいの?なんだったらあたし、1階に戻ってそっちで作業をするけど……。 一穂: ううん。昨日はぐっすり眠れたし、もう大丈夫だよ。 そう言って部屋替えを提案してくれる菜央ちゃんに対して、私は首を振ってみせる。 ……ここ数日の間、私は菜央ちゃんと部屋を交換して、2階の部屋ではなく1階のリビング横で美雪ちゃんと一緒に寝起きしている。 理由は、詩音さんから服のデザインを依頼された菜央ちゃんが、作業に集中できるようにと3人で話し合った結果だった。 詩音: 『実は、例のゲストハウスのオーナーからかなり無茶な依頼が来ましてね……』 詩音: 『夏の季節に合った個性的なウェディングドレスを作って、それをウリにしたファッションショーを開きたいそうなんですよ』 レナ: 『はぅ……個性的なウェディングドレス?それってどんな衣装なのかな、かな?』 詩音: 『いや、とりあえずそんな企画ってことだけが決まっていて、デザインは完全に丸投げです。で、プロのデザイナーに頼んではみたんですが……』 詩音: 『オーナー曰くインパクトに欠けるってことと、指示が曖昧過ぎるせいで……プロの皆さんが途中で逃げちゃったらしいんですよ』 魅音: 『いや、そりゃそうでしょ……。夏向けの個性的なウェディングドレス、なんて口で言うのは簡単だけどさ』 沙都子: 『ただ布地を減らしたり、薄い生地を使っただけでは別に個性的でもなんでもありませんものね……』 梨花: 『みー。もう少しちゃんとしたコンセプトを伝えないと、プロの人たちも困ってしまうのですよ』 詩音: 『……ですよねぇ。私も同じことを思って、イベントは中止したほうがいいって言ったんですが』 詩音: 『どうやらそのオーナー、宣伝費にものすごい額を突っ込んでいたみたいで……今さら引けない、って泣きついてきたんですよ』 美雪: 『……あのゲストハウスのオーナーって、なんか経営センスにどうかと感じるところがある気がするのは、もしかして私だけ?』 詩音: 『まぁ、そう言わないでくださいよ。あれでも園崎家では結構顔が利くので、切り捨てるわけにもいかないんです』 詩音: 『で、その代替のデザイナーを探したい、とのことなんですが……どう思います、菜央さん?』 菜央: 『いや、どう思うって言われても……』 美雪: 『いやいや、いくらなんでもそれは無いって。たとえ菜央にセンスがあるって言っても、プロが逃げた案件を任せるのは無謀すぎるよ』 詩音: 『ですよねぇ……私も、無茶苦茶な相談をしているってことは十分に自覚しています。ただ……』 菜央: 『……。無理、って答えるのが当然の判断なんでしょうけど……素人のあたしがこんな機会をもらえるだけでも、有難い話だし』 菜央: 『そういう事情だったら、やってみるわ。ただ、オーナーさんの期待に応えられるどうかはわかんないから、その辺りは大目に見てね』 一穂: 『菜央ちゃん……』 ……そんな経緯があって今、菜央ちゃんは無茶すぎる依頼に専念している。ここしばらくは、遅い時間まで起きているほどだ。 その大変さに、私たちも何か手伝えることがないかと考えてはみたけれど……。 何も知らない人間が口出しをしてもかえって面倒をかけるだけなので、ただ彼女の頑張りを、見守るだけだった……。 一穂: 菜央ちゃんこそ、体調は大丈夫?昨夜も、あんまり寝てなかったんじゃ……。 菜央: 平気よ。その辺りはちゃんと自己管理してるから、問題ないわ。 菜央: むしろ、あたしのことなんかより夏風邪なんか引いた誰かさんは、もっとしっかりしなさいよね。 一穂: ご、ごめんなさい……。 菜央: 美雪も、一穂のことを脅かしすぎ。何が「ひょっとして難病かも……?」よ。横で聞いてて、呆れちゃったわ。 美雪: あはは、ごめんごめん。でも、あれくらい大げさに脅さないと一穂は診療所に行かないと思ってさ。 一穂: っ……そ、そうかもしれないけど……。 そんな美雪ちゃんの釈明(?)を聞いて、私も言い返せず口淀んでしまう。 昨日、先生に診てもらうようにと2人に言われた時は……正直、乗り気じゃなかった。 「休診」との貼り紙を見た時、徒労を覚えてがっかりはしたけれど……少しだけ、安堵に近い気持ちを抱いたのも確かだった。 美雪: にしても……なんで一穂は、お医者さんに診てもらうことにそこまで抵抗を感じるの?いや、私も好きじゃないけどさ。 一穂: なんで、って言われても……自分でもはっきり、その理由が何なのかは覚えてなくて……。 菜央: きっと、子どもの時に注射が怖かったとか……そんなことじゃないの?あたしも最初の頃は、嫌な感じだったしね。 美雪: えっ、そうなの?私は身体に針がどんな感じに刺さっていくのか、すごく興味があってじっと見つめてたけどねー。 菜央: あんたって……変態? 一穂: あ……。 「変態」というキーワードに思わず反応して、私は昨日の診療所でのやり取りを思い出す。 ……いや、今の連想はさすがに失礼だった。次に入江先生に会った時には、ちゃんと謝っておこうと心に決める。 一穂: あの……美雪ちゃん、菜央ちゃん。入江先生のことで、沙都子ちゃんたちと一緒に聞いてもらいたいことがあるんだけど……。 ……そして、放課後。入江先生の診断通りに回復した私は、昨日のことをみんなに話した。 一穂: ……ということなの。入江先生も結構反省しているみたいだし、そろそろ許してあげてくれないかな……? 沙都子: えぇ、よろしくてよ。多少は懲りたようですし、私は別に構いませんわ。 羽入: あぅあぅ……それに僕たちも、そこまで怒っていたわけではないのですよ。 一穂: えっ、そうだったの? 梨花: みー。入江のメイド好きは難病のたぐいなので、もはや完治は不可能なのですよ。 一穂: あ、あははは……。 情け容赦のない梨花ちゃんの一言に、私は思わず苦笑いで口元を引きつらせる。 確かに、入江先生のメイド好きは私よりもレナさんや魅音さん、そして沙都子ちゃんたちがご存じだった。 当然、その想いがどれだけ強いかも詳しいはずなので……すでにさじを投げている、というのが適切な状況なのかもしれない。 一穂: (入江先生……今の日本だとありえないはずの難病にかかってるのが、あなたみたいですよ) なんてことを、内心で呟く。これもいわゆる「医者の不養生」ってことなんだろうな……いや、違うか。 羽入: あぅあぅ……ですが、入江のためにもメイド好きを抑える方法がないものかと考えて、今回はそうさせてもらっただけなのですよ。 美雪: それって、どういうこと……? 沙都子: 監督って……メイド趣味を除けば、理想に近いお医者さんだと思いますのよ。優しくて真面目で、腕が立って……。 一穂: うん……そうだね。 その点については、全く疑う余地がない。げんに私は昨日、入江先生の優しい対応で救われた思いを抱いたのだから。 梨花: ……みー。ただその一点のせいで、村の一部から悪評が立ち上りつつあるのですよ。「あの変態医者、本当に大丈夫か?」と。 羽入: あ、あぅあぅ~!さすがに村の人たちも、「変態」とまでは言葉に出していないのですよ~! 魅音: まぁ……近いことは言っていたね。「特殊性癖」だのなんだのって。 美雪: いや、それって日本語特有の迂遠な表現で、意味はほとんど同じってやつじゃんか……。 一穂: …………。 村の人たちは、結構辛らつだ。今度は笑う気分にもなれず、苦虫をかみしめる。 梨花: もちろん、入江はちゃんと自制して「冗談」の範囲内でとどまっているのです。 梨花: ただ……このままだと診療所を辞めざるを得ない状況にも発展しかねないというのが、この前の寄合の雰囲気だったのですよ。 一穂: そ……そこまでなのっ? さすがに退職まで検討されているとは夢にも思わなかったので、私は愕然と固まる。 確かに少々、いやかなり奇異に感じる面もあったりするけれど……入江先生はとてもいいお医者さんだ。 そんな人を、ただの趣味だけで追い出すのは極端すぎるというか、間違っていると思う……! 沙都子: ですが……一穂さんからの話を聞く限り、どうやら監督はメイド文化が世間一般的に「異質」だと認識していないようですわね。 梨花: というよりも、あえて受け入れることを拒否しているくらいの勢いなのですよ。 美雪: 確かに……世界中のメイド服をはじめ、女性の衣服をコレクションとして所有してるってのは……。 美雪: 冷静に考えてみると……ヤバいね。 菜央: そうかしら……? 人それぞれにいろんな価値観や趣向があるんだから。 菜央: 他人に迷惑をかけない限りは自由だとあたしは思うわ。 美雪: いやいや、菜央。それは普段からメイド服を気軽に貸してもらってるキミだからこその意見だよね。 美雪: ここ数日も診療所に通っては参考資料に、って持ち帰ってきてるんでしょ? 菜央: だって、しょうがないじゃない。図書館だと服に関しての資料が少ないし、雑誌もあんまり取り扱ってなくて……。 菜央: それに、衣装の現物を見るのってイメージ作りに役立つのよ?それが使えなかったら、すごく困るわ。 美雪: もはや菜央にとっての入江先生って、貸衣装屋さん扱いになってるんだね……。 レナ: はぅ~! 菜央ちゃんの新作ドレス、レナも楽しみにしてるね♪ 菜央: ……うんっ、頑張るわ。 そう言って菜央ちゃんは、レナさんの応援に笑顔で応えてみせる。 ただ……大丈夫なんだろうか?今日の菜央ちゃんは、珍しく何度も居眠りをしていた。 元気に振る舞ってはいるけれど、かなり寝不足が堪えているんだろう……。 一穂: (もっとも、体調を壊した私が心配するのも筋違いかもしれないけれど……) 一穂: ……? と、そんな中私は教室の外に何か気配を覚える。 そして、なにげなく戸を開けて廊下を覗き込むと……。 一穂: えっ……? 入江: なっ……か、一穂さん……?! そこに立っていたのは、なんと入江先生だった。 Part 02: 一穂: ど、どうして入江先生が、分校に……?! 思ってもみなかった人物が廊下にいたことで、私は驚きのあまりその場に立ち尽くしてしまう。 そして、入江先生もまた気づかれているとは考えていなかったのか……動揺もあらわにしどろもどろとした様子で口を開いていった。 入江: あ、いえ……私は、今月に行われる健康診断の打ち合わせがありまして、先ほどまで職員室に……。 入江: その用事も済みましたので、沙都子ちゃんたちに挨拶をしてから帰ろうと思って、こちらに来てみたのですが……。 魅音: えっと……監督、今の話を聞いていました? 入江: …………。 入江先生はその問いに対して、黙ってため息を返す。……その反応だけで、なによりも雄弁に語っていた。 入江: 話は聞かせていただきました。私の趣向のせいでご迷惑をおかけしてしまい、誠に申し訳ない限りです……。 美雪: あー、その……入江先生。菜央がさっき言ってたけど、価値観の違いだのはあるわけだしね。 魅音: そうそう。否定するつもりはないんだよ?ただ、こういう田舎だとつまんないことを気にする人がどうしてもいるっていうか……。 入江: いいえ、その方々のご意見はもっともです。 入江: もしかすると私は、この雛見沢の穏やかな空気と優しさに甘えて、少々羽目を外しすぎていた……そういうことなのかもしれません。 そう言って入江先生は、きっ、と強い決心を込めたように顔を上げ、一同に向かっていった。 入江: とはいえ、村の皆さんの安心を守るべき医者が逆に不安を与えるなど言語道断、本末転倒!私は自分を大いに恥じます……えぇ、心からッ! 美雪: いや、まぁ……コレクション自体はそこまで恥ずかしい趣味じゃないと思うよ?誰かに着させるってことがマズいだけでさ。 入江: なっ……そうなのですか?! 美雪: 気づいてなかったの?!そっちの方がむしろびっくりだよ! 沙都子: まぁ、メイド服であろうとなんだろうとかわいい衣装を着るのは楽しいんですけど……その時の監督の顔が……その……。 梨花: みー。暑く語るあの形相は、何かの狂気にとりつかれた異常者を彷彿とさせるのですよ。 入江: ぐはっ……?! 梨花ちゃんの一言がとどめに繋がったのか、入江先生は銃で狙撃でもされたように胸を押さえながら、思いっきり仰け反る。 そして、力なくその場に崩れ落ち……この世の終わりを迎えたような表情でわなわなと震えていった。 入江: な、なんということでしょう……!私が常識だと信じて疑わなかったメイドへの信奉が、世間では異端だったとは! 入江: あまつさえ、私のメイド愛がこの村の方々に恐れを抱かせることに繋がっていたとは……! 入江: 私は恥ずかしい、そして情けない!この入江京介、一生の不覚ですッッ!! 魅音: あー、いや……だから監督、そこまで大げさ深刻に考えなくてもさ……。それに、たかがメイd……うっぷ? 梨花: ……魅ぃ、空気を読んでくださいなのです。その発言は入江にとって地雷どころか、核ミサイルの発射スイッチなのですよ。 超危険な発言をする寸前だった魅音さんの口を間一髪両手で覆いながら、梨花ちゃんは首を振ってみせる。 幸か不幸か、自分の世界に入り込んでいた入江先生にその言葉は届かなかったようだ。……危なかった。 入江: ……皆さん、ご心配をおかけしました。 入江: これを機会に、私は過去の私と決別します。1から出直して、真人間に生まれ変わる……。 入江: そのためにも、診療所にあるメイド服の一切合切を処分しましょう……! 美雪: い、いや……入江先生?処分するにしても、すごい数のメイド服があるって前にも言ってたよね? 美雪: あれを捨てるにしても、引き取ってもらうにしても結構手間がかかると思うんだけど……どうするの? 入江: 大丈夫です。診療所ごと爆破して、焼き尽くします。 魅音: んがっ?! ちょ、ちょちょちょ、ちょっとぉぉぉ!!とんでもないことを言い始めたよ、この人ッ!! 一穂: ば、爆破って……本気ですかっ?というか正気ですか?! 入江: いたって冷静です。万一の時のために、私はこのような防犯設備を用意しておりました。 そう言って入江先生は、ポケットからリモコンのようなものを取り出す。 そこにあるボタンはたったひとつだけど……明らかにその形状が、ドクロマークにしか見えなくて……?! 沙都子: あ、あの……監督……?どう見ても嫌な予感しかしないんですけど……それは、なんなんですの? 入江: 自爆装置の起動ボタンです。 美雪: はいいいぃぃぃいぃっっ?! あっさりとした口調が、逆に狂気を感じさせる……! というかこの人、そんな危険な装置を常に持ち歩いているのっ?そっちの方がよっぽど危なすぎるんだけど?! 入江: メイド服を狙って診療所に忍び込もうとする、不埒者を撃退するために設置したものでした。 入江: まさか、こういう場面で使用することになるとは。不埒者とはこの私、まさに一番の敵は自分自身であったということですね……は、ははは……。 美雪: いやいやいやっ! 不埒者も何も、メイド服を狙うような輩がどこにいるのさ?!もはやサイコパス入ってるよその発想はッ! 魅音: ちょっ、やめてー!それ悪者を撃退するどころか、診療所一帯を消滅させるレベルの代物でしょー?! 入江: 止めないでください、皆さん!せめて最期くらいは、私のこの手でケリをつけてみせますッ!! 美雪: つけなくていい、つけなくていい!達観したように涼しい顔をしながら、実はものすごく錯乱してることを自覚してぇぇッ! 羽入: あぅあぅあぅ!そもそも診療所には今、鷹野がいるはずなのです!彼女も爆破に巻き込まれてしまうのですよ~! 梨花: あら……いいじゃない。崩れ去った瓦礫の中に、どんな綺麗な花が咲くのかしらね……くすくす。 羽入: なっ……なんてことを言うのですか、梨花ぁッ?! 菜央: そうよ!せめて何着か、資料のためにちょうだい!ちゃんと有効活用するから! 羽入: 菜央は菜央で、何を言っているのですかー?! そんな乱痴気騒ぎを繰り広げながら……私たちは入江先生の錯乱した凶行を止めるべく、必死に彼の手からリモコンを奪い取ろうとする。 が、先生とは身長差もあってなかなか手が届かず、ついにそのボタンに親指が触れ――? 入江: ……ぁふん……っ? 一穂: えっ……? が、突然入江先生は奇妙な声を上げたかと思うと……その場に力なく崩れ落ちる。 そして、彼が倒れた向こう側にいたのは……。 鷹野: ……どうやら、間に合ったみたいね。 一穂: た……鷹野さんっ?! 呆れた表情で注射器を手にした、鷹野さんだった。 鷹野: まったく……戻ってくるのが遅いと思って来てみたら、こんな騒ぎになっていたなんてね。 鷹野: とりあえず、状況は理解したわ。すぐに人を寄越して連れ帰るから、みんなは安心していいわよ。 レナ: は、はぅ……助かったよ……。 美雪: えっと……鷹野さん?助けてくれたのは感謝しますが、その注射器の中身って、いったい……? 鷹野: これ? ただの麻酔薬よ。筋弛緩剤とか、危ない薬じゃないから安心して。 一穂: は、はぁ……。 そのわりに、入江先生は一瞬で気を失ったように見えたんだけど……本当に大丈夫なんだろうか? そんな疑問がちらりと脳裏をよぎったけれど、さすがにそれを確かめる余裕もなかったので……。 作業服姿の人たちが入江先生を分校から運び出していくのを見送り、私たちは複雑な思いで深いため息をつき合った……。 Part 03: そして、翌日……。 決心した入江先生の意思は固く、診療所から彼のメイド服コレクションが大量に持ち出されることになった。 魅音(私服): さすがに、全部ゴミに出すってのはあまりにも乱暴すぎる話だからね……買取業者を探すのも、結構手間だし。 詩音(私服): なので、まずはほとぼりが冷めるまで園崎本家にある土蔵の中で預かることにしました。その方が処分も返還も楽ですしね。 美雪(私服): まぁ、その方がいいだろうね。別にメイド服そのものに罪はないんだしさ。 そう話し合いながら私たちは、箱詰めにされて運び出されるメイド服を複雑な思いで見送っていく。 ……改めて見て、ものすごい量だ。大型トラックに来てもらったのに、その荷台がほぼ満杯になっている。 一穂(私服): (以前私たちが見せてもらった時、あれだけの量はなかったはずなんだけど……) 少なくとも診療所の中に、他の置き場があったようには思えない。……どこに保管してあったのか、すごく疑問だ。 魅音(私服): とりあえず監督、私と婆っちゃでうるさく言う連中をとっちめてやるから……少しの間だけ、辛抱してよ。 詩音(私服): 大丈夫ですよ、監督。普段の診療所での行いを見ていれば、誤解はすぐに解けると思……いますよ、たぶん。 美雪(私服): ……詩音、今ちょっと言い淀まなかった? 入江: 魅音さん、詩音さん……そんなに気を遣って下さらなくても結構です。私はもう、吹っ切れましたので。 入江: いっそ目の前でやぐらを組み、全てを炎の中で焼き尽くしてください。私の夢と、そして願いとともに……! 魅音(私服): いやいや! なんで神を送るみたいな宗教的儀式に仕立て上げるのさっ?そっちの方がよっぽど悪評が立つって! 入江: ……すみません、魅音さん。私にとってメイド服とは、一着一着がそれだけの思い入れの代物でしたので……。 魅音(私服): あ、そう……。それじゃ、仕方ないよねー……。 入江: では、魅音さんっ……くれぐれも、くれぐれもこの子たち(≒メイド服)のことをよろしくお願いいたします……! 魅音(私服): はいはい……。汚したりしないよう気をつけて保管するから、安心してくれていいよ……。 滂沱の涙とともにしっかりと手を握り締めてくる入江先生の切なる形相に、ドン引きした顔で魅音さんは頷いている。 鷹野: ……ようやく、片付いたって感じね。私としてはもう、戻ってこなくてもいいと思っているんだけど。 一穂(私服): あ……鷹野さん。昨日は色々と、ありがとうございました。 鷹野: くすくす、気にしないでもいいのよ。 鷹野: ただ、あと一歩のところでこの診療所を爆破されていたかもしれないと思うと……今さらながら背筋が寒くなるわね。 一穂(私服): あ、あははは……。 鷹野: それに、入江先生……昨夜は仮眠室で、あの大量のメイド服に埋もれて寝ていたのよ?まるで、今生の別れを惜しむようにね。 レナ(私服): は、はぅ……そうなんですか? 鷹野: 気持ちはわからなくもない……いえやっぱりわかりたくはないけど、勘弁してもらいたいわ。 鷹野: 残業が終わって夜中にその光景を見た時は、思わず悲鳴を上げそうになったもの。 美雪(私服): ……確かに怖い絵面だね、それ。 そんな話をしている中、メイド服はトラックに乗せられて運び出される。 そして、悄然と肩を落とす入江先生に私たちは、多少ドン引きを覚えつつも励ますように声をかけていった。 美雪(私服): ねぇ、先生。これを機会にいっそのこと、別の趣味を作るってのはどう? 美雪(私服): たとえば……そうだね。先生が監督をやってる、野球とかさ。 詩音(私服): いいですね。#p興宮#sおきのみや#rにはいくつか草野球チームがあるそうですし……監督だったらみんな、けが人が出ても安心なので大歓迎だと思います。 魅音(私服): いや、どういう歓迎のされ方だよ。選手として期待されていないじゃんか。 詩音(私服): 集団への入り方って大事ですよ。スキルがあるとないとでは、馴染みやすさが雲泥の差になりますからねー。 詩音(私服): で、どうです? 興味があるようでしたら、さっそく今日にでも声をかけてみますが。 入江: すみません。スポーツは苦手というわけではありませんが、今の気分ではちょっと……。 入江: それに私は、どちらかというと野球は観るほうが好きなので……遠慮させてください。 そう言って監督は、その提案を丁重に断る。詩音さんも強く薦めるつもりはなかったのか、「そうですか」とあっさり引き下がった。 一穂(私服): (入江先生が少年野球チームの監督を引き受けてるのは、野球観戦と同じレベルってことなのかな……?) なんて思わず突っ込んでしまいそうになったが、当然疑問を抱いたであろう美雪ちゃんたちが何も言わないので、私もあえて口をつぐむ。 おそらく、チームの子たちの面倒を見るのはともかくとして、野球自体に興味はなかったということだろう……なんだか歪な話だ。 詩音(私服): 私……#p雛見沢#sひなみざわ#rファイターズが弱かった理由が、なんとなく分かった気がします。 美雪(私服): まぁ、そうだよねー。団体スポーツの勝敗って、監督の能力が結構左右してくるし。 一穂(私服): あ、あははは……。 沙都子(私服): では、車なんていかがですの?お医者様はカッコいい外車やスポーツカーを乗り回しているイメージがありましてよ。 梨花(私服): みー、確かに沙都子の言う通りなのです。入江の車はある意味で救急車と同じなので、最新モデルでも構わないと思うのですよ。 美雪(私服): いや、スポーツカーの救急車って……まぁ確かに私たちも、その方が安心だけどね。 なかなかいい考えじゃないかと、私たちは沙都子ちゃんのアイディアに賛同する。 だけど、それに対しても入江先生は乗り気じゃない様子なのか……肩をすくめて申し訳なさそうにいった。 入江: 正直、外車に対しての憧れは特にありません。それに雛見沢は、未舗装の道が多いので……。 入江: おしゃれなスポーツカーだとすぐに泥だらけ傷だらけになって、オシャカになるのがおちです。 美雪(私服): おぅ……なんかラップみたいに韻を踏んでる。 菜央(私服): むしろダジャレじゃない? 美雪(私服): んー、じゃあパチンコや競馬、麻雀……賭け事なんてどう? 入江: ……興味がないですね。あと、今の私は自粛中の身ですしそういった行いは控えるべきかと。 美雪(私服): おぅっ、それを言われたら立つ瀬がない……。 菜央(私服): 旅行なんてどう? 海外に行ってみると、日本とは違ったものが多くて面白いと思うわ。 入江: 私は、この雛見沢で研究したいことがありますので……しばらくは日本を出る気にはなれません。 入江: ……それに、長い休暇を不定期に取ると村の方々が困ってしまいます。 一穂(私服): そ、そうですね……。 私は休診中に助けてもらった立場なので、そう答えられると何も言えなくなる。 その他……私たちも色々と提案をしてみたが、入江先生はどれも乗り気ではない様子だった。 一穂(私服): (というか入江先生って、実はメイド好きを取り除いたらすごく無趣味で無個性な人なんじゃ……?) そんなことを内心で呟くものの、さすがに言葉に出すのは不憫なので黙っておくことにする。 いずれにしても、メイドという趣味がなくなった穴はそう簡単には埋まらない……そう考えたほうが良さそうだろう。 魅音(私服): まぁ……そんなに気を落とさないで。あと、何か興味があるものとかが見つかったら私たちが協力するから、なんでも言ってね。 入江: はは……ありがとうございます。 そんな返答でさえ、普段と比べても全く元気がない。……心なしか、瞳の輝きすら濁っているようだ。 一穂(私服): (重症だなぁ……) 何か、いい方法はないものだろうか。そんなことを考えつつ、ひとまず私たちは入江先生を残して家に戻ることにした……。 Part 04: ……そして、数日後の日曜日。 私たちは魅音さんの呼び出しを受けて、園崎本家に集まることになった。 魅音(私服): 日曜なのに、呼び出してごめんね。……って、菜央ちゃん? 菜央(私服): すぅ……くー……。 一穂(私服): ……昨夜も遅かったから、眠いみたい。話はあとで伝えるから、寝かせてあげてもいい? 魅音(私服): うん、もちろん。隣の部屋だと静かだから、布団を敷いて休ませてあげてよ。 レナ(私服): あっ、魅ぃちゃんたちは大丈夫だよ。レナが菜央ちゃんを運んで寝かせるから……よいしょ。 そう言ってレナさんは、菜央ちゃんの身体を軽々と持ち上げて隣の部屋へと向かう。 大好きな人に抱きかかえられているのに、菜央ちゃんは全く目を覚ます様子がない。……よほど疲れて眠っているのだろう。 魅音(私服): ……菜央ちゃんって、やっぱりきつそう? 美雪(私服): んー……スランプ、って表現があってるのかはわかんないけど、かなり苦戦してるみたいだね。 美雪(私服): 何しろ、デザインの方向性が茫洋な上に〆切も近いときてるからさ……泣き言は口にしないけど、結構きてると思うよ。 魅音(私服): そっか……もしもの時は、遠慮なく言ってね。手に余るようなら、私と詩音で何とかするからさ。 そして、菜央ちゃんの世話を終えたレナさんが戻って座るのを見届けてから、魅音さんは再び話を始めていった。 魅音(私服): とりあえず、早いうちにみんなの耳にも入れておきたいと思ったからね。その上で、相談もできたらってさ。 一穂(私服): ……それは全然構わないけど、何かあったの? 魅音(私服): いや、実は……昨日の寄合で、監督の話が出たんだ。 魅音(私服): そのことで、みんなの知恵を借りたいと思って……こうして来てもらったんだよ。 レナ(私服): まさか、監督……ほんとに診療所を辞めることになっちゃうのかな、かな? 一穂(私服): えぇっ……?! もしそうだとしたら、あまりの急展開だ。私たちは仰天して、言葉を失う。 確かに、入江先生のメイド趣味は少し……いやかなり行き過ぎと感じるところはあるけれど、まさか辞めさせるとまで……?! 沙都子(私服): い、いくらなんでもお灸をすえすぎですわ!更迭にしてもあれほどの方が、そう簡単に見つけられると思いましてっ? 美雪(私服): そもそも、地方に来てくれるお医者さんってものすごく貴重なんだよ?村全体で守るのが筋じゃんか! それを――。 魅音(私服): いやいや、そうじゃないって!全然逆、正反対の結論になったんだよ! 一穂(私服): えっ……ど、どういうこと? 魅音(私服): 婆っちゃがね……言ったんだよ。村のためなら自分の趣味やコレクションを捨てるという覚悟が気に入った、ってさ。 魅音(私服): で、うるさ方の年寄り連中も園崎家の頭首がそう言うんだったら、って賛同に回って……メイド趣味も容認になったってわけ。 美雪(私服): はぁ……勝手な話だねぇ。ケチをつけるだけつけておいて、寄らば大樹の陰ってやつ? そう言って美雪ちゃんは、あきれ返るように軽く舌打ちをして苦い顔をする。 最近になって気づいたことだけど、美雪ちゃんは権威だの、因習だのといったものがあまり好きじゃない……というより、嫌いみたいだ。 だから、権力を持つ人の鶴の一声で意見を翻すような人に嫌悪感を覚えるのかもしれない……。 詩音(私服): まぁまぁ美雪さん、そんなに怒らないでください。#p雛見沢#sひなみざわ#rってのは昔っから、こんな感じなんですし。 詩音(私服): 頭が固い連中ほど、もっともらしい言い訳ができればそれに飛びつくものですから。まともに相手するだけ時間と気力の無駄ですよ。 魅音(私服): その点については、私も詩音と同意見だね。とりあえず、監督のメイド趣味が町会公認になったことだけは、まずめでたい……。 魅音(私服): ……なんて、昨夜町会が終わった時はそう考えていたんだけどね。 美雪(私服): んー……ひょっとして、会議が終わってから反対派の人たちに何か言われた、とか……? 魅音(私服): はっはっ。もしそんなやつがいたらその場で一蹴してやるよ。そこまでガッツのあるやつはいないって。 美雪ちゃんの懸念を、魅音さんは笑い飛ばす。そしてすぐに表情を改めると、私たちの顔を見回していった。 魅音(私服): 実は……そのことを今朝方監督に伝えて、メイド服を返却しようとしたんだけどさ。 入江: 『……。たとえ認めてもらえたとしても、一部の村の方々に不快な思いをさせてしまったことは事実です』 入江: 『ですから今後もメイドとは無縁の生活を送っていこうと思います』 魅音(私服): ……だってさ。なんか出家して俗世を離れた修行僧みたいな感じだったよ。 一穂(私服): しゅ、修行僧って……。 なんとなく、いろんな動物のお供を従えたお坊さんのイメージが頭の中に浮かんできた。 ……失礼だけど、入江先生のイメージにぴったりだと思えるのは私だけだろうか。 沙都子(私服): まぁ……監督って、生真面目というかストイックなところがありますしね。 沙都子(私服): 一度固めた決意を今さら翻すのはできないということかしら……? 一穂(私服): で、でも……メイド断ちをしてからの入江先生って、どんな様子なの? 一穂(私服): あれから数日たって少しは落ち着いた……というか、吹っ切れてくれてる? 梨花(私服): みー……吹っ切れるどころか、まとわりつきまくっているのですよ。 そう言って梨花ちゃんは、大きくため息をつきながら肩を落としていった。 美雪(私服): まとわりついてるって……具体的には? 羽入(私服): あ、あぅあぅ……診療所がまるでお葬式会場かと思えるほどに、暗すぎる空気に包まれているのですよ……。 今朝、定期検診のために診療所を訪れた沙都子ちゃんの話によると……それはもう「酷い」の一言らしい。 まず、声に張りがない。そして注射器や薬瓶を落とす、処方箋を間違える……等々。 沙都子(私服): おかげで、見かねた鷹野さんから「先生がそんな様子では、患者さんの体調がむしろ悪くなってしまいますわ」――。 沙都子(私服): なんて言われて、診療所を叩き出されておりましたわ。 魅音(私服): 私が会った時も、そんな感じだったよ。いやぁ、そんな体たらくじゃかえって別の問題で進退伺が出そうだね……。 美雪(私服): んー……そういや昨夜図書館の帰りに、#p興宮#sおきのみや#rの公園でぼんやりと過ごしてる入江先生を見かけたんだけど……。 美雪(私服): まるでリストラに遭ったお父さんか、定年退職したおじいちゃんみたいだったよ。 魅音(私服): 「リストラ」って……何かの略称? 美雪(私服): 聞いたことない? 「リストラ」は「リストラクチャリング」って言葉の俗称だよ。 美雪(私服): 元々は人員整理や構造替えってところから始まってるんだけど、バブル崩壊後の日本だとクビや左遷されることを意味してて……。 一穂(私服): 美雪ちゃん……今は昭和だよ。 美雪(私服): っと……ごめん。 そう言って私が袖を引っ張ると、美雪ちゃんはしまった、と口を押さえながらこちらに向けて片手で拝むような仕草をする。 「リストラ」という言葉が一般的になったのは、バブル崩壊後……平成に入ってからのこと。おそらく、この時代だと聞きなれない言葉だろう。 美雪(私服): まぁ、要するに……失業中って意味だと思ってもらって構わないよ。そういう表現で、わかってもらえる? 魅音(私服): なるほど。……っていうか、そこまで精神的に追い詰められているってのは、逆に考えるとちょっと危険だね。 レナ(私服): はぅ……確かに。気落ちが続いていたら、監督から診療所を辞めるって言い出したりするんじゃないかな……かな? 梨花(私服): 入江に限って、その可能性だけはないと思いますですが……。 詩音(私服): ? あら梨花ちゃま、そう断言できるだけの何か根拠でもあるんですか? 梨花(私服): ……そういうわけではないのです。美雪と同じく口が滑ってしまったのですよ、にぱ~♪ 一穂(私服): ……? 相変わらず梨花ちゃんは、その表情だけだと考えていることが全く読めないことがある。 ……ただ、今はそれよりも入江先生の問題を優先すべきなので、深く訊かないことにした。 詩音(私服): ふむ……こうなったら、もう一度監督にメイドの良さを思い出してもらうしか手立てはありませんねー。 羽入(私服): あぅあぅ……何かいい手があるのですか? 私たちの視線が、詩音さんに向けて集中する。すると彼女はにやり、と自信ありげに笑って「秘策」を披露していった。 詩音(私服): メイドを遠ざけて、禁断症状が出てくる……ってことは、それだけ実際に目にした時の揺り戻しは大きくなるものです。 詩音(私服): なので、ここはひとつサプライズ的に監督の前にメイドを突き出してやるってのはどうですか? 魅音(私服): サプライズって……つまり、メイドを診療所に派遣したりするってこと? 詩音(私服): いえ、それではあまりにも芸がないです。それに監督だって、意固地になって拒絶することも考えられますし……。 詩音(私服): ……なので沙都子、出番です。 沙都子(私服): ふぇっ……?わ、私に何をさせようというんですの? 詩音(私服): 近いうちに、エンジェルモートで何かイベントを開催させます。デザフェでもいいし、他の何か……。 詩音(私服): で、そこに監督を招待して……メイド服に着替えたあんたに専属で接待してもらうんですよ。 沙都子(私服): ……なるほど、そういうことですのね。 沙都子(私服): まぁ、もとを正せば私たちが監督のお願いを断ったことがきっかけですし……そのお役目、引き受けさせてもらいましてよ。 美雪(私服): いや……メイド服を着ろって頼みを断るのは、別におかしな行動でもないと思うけど……。 魅音(私服): ただ……うーん、それもどうかなぁ。監督の真面目な性格を考えると、ただメイド服に着替えて接待したってだけじゃねぇ……。 梨花(私服): みー……それに、エンジェルモートへの招待となるとボクたちが何か企んでいると感づいて、遠慮されてしまう可能性もあるのですよ。 詩音(私服): なるほど……それも考えられますね。だとしたら、何か他の手を……うん? 菜央(私服): ふあ……ん、ごめんなさい。来た早々に寝ちゃって……。 一穂(私服): 菜央ちゃん……ひょっとして、私たちが騒いで起こしちゃった? 菜央(私服): ううん、関係ないわ。……で、何の話をしてたの? 美雪(私服): んー、ざっくりと言っちゃうと……入江先生を元気づけるためにどんなことをしたらいいかな、って話し合ってたんだよ。 菜央(私服): ……そんなの、ひとつしかないじゃない。メイドを解禁して先生の前に連れてくれば、万事解決でしょ? 詩音(私服): そう簡単にできないから、悩んでいるんですよ。エンジェルモートが使えないとなると、他に自然な形でメイドを出せそうなのは……。 菜央(私服): ファッションショー……。 魅音(私服): っ? 菜央ちゃん今、なんて言った? 菜央(私服): ファッションショーなら、どんな衣装でも出せるんじゃないかって思ったのよ。あと数日で、例のショーが開かれる予定みたいだしね。 詩音(私服): ~~~~?! 詩音(私服): 菜央さん、ナイスですっ!そうですそうです、なんで私たちったらそのことを忘れていたんでしょう……! 魅音(私服): モデルの中に紛れ込ませるのは、簡単だしね!そこでメイド姿の沙都子が出てきたら、不意打ちの分効果はてきめんのはずっ……! レナ(私服): はぅ~っ、さすが菜央ちゃん!目の付け所が全然違うよ~、はぅはぅっ♪ 菜央(私服): ぁいっ……?そ、そんなに褒めてもらえるほどのことじゃ……。 美雪(私服): あっはっはっはっ、別にいいじゃん!私たちは完全に忘れてたんだしさー! 一穂(私服): そうだね……あ、でも突然メイドが出てきたらみんなびっくりするんじゃないかな? 美雪(私服): 別にいいじゃん、そういう変化球が入ったってさ!イベントは、盛り上がったもん勝ちだよ! 美雪(私服): あっ……いっそ場をもっと派手にする目的で、キワどい服とかも紛れ込ませるってのはどう?たとえば水着とか、下着とかっ! 詩音(私服): ……なんでウェディングドレスのイベントに、水着や下着が出てくるんですか。さすがに破廉恥だって、警察が飛んできますよ。 美雪(私服): えー、結構目立って目を引くと思うけどなぁ。それに水着とかだと、いかにも夏って感じだし……。 菜央(私服): ……っ……。 レナ(私服): はぅ……? どうしたの、菜央ちゃん。急に黙り込んじゃって、やっぱりどこか具合でも悪いのかな……かな? 菜央(私服): っ……ついた……! 一穂(私服): えっ……? 菜央(私服): 思いついたわっ!夏らしくて素敵なウェディングドレス……きっとこれなら、いけるはずよ!! Part 05: それから、数日後……ゲストハウスでのファッションショーが予定通りに開かれることになった。 菜央(サマーウェディング): なんとか、間に合ってよかったわ……詩音さんのオーダーにも、とりあえず応えられたみたいだしね。 詩音(私服): くすくす……菜央さん。「とりあえず」なんて、謙遜が過ぎますよ。間違いなく、期待以上です。 詩音(私服): 素人目で申し訳ないですが、あのデザインを見た時は感動しました……「まさか、そう来るとは」って! 羽入(サマーウェディング): ……あぅあぅ……。 詩音(私服): オーナーも、太鼓判を押していましたよ。「俺の求めていたものは、まさにこれだ!」なんて何度も机を叩いたりしてね……! 羽入(サマーウェディング): あ、あぅあぅ……! 菜央(サマーウェディング): ……喜んでもらえて、安心したわ。とはいえ、今日も結構プレッシャーを感じてるんだけど……。 詩音(私服): くすくす……いいじゃないですか。レナさんなんて、早く写真を撮りたくて今か今かと待ち構えていますよ? 羽入(サマーウェディング): あ……あのっっ……! 詩音(私服): ん? どうしました、羽入さん? 詩音さんが振り向くのとほぼ同時に、私たちは一斉に羽入ちゃんの姿を見つめる。 羽入(サマーウェディング): あ、あぅあぅあぅ~~……っ。 今回のモデルのひとりに選ばれた彼女は、ウェディングドレス……の装いをした水着のような恰好をしていた。 羽入(サマーウェディング): い、いつまで僕はこの格好をしていなければいけないのですか……?は、恥ずかしくてもう、倒れそうなのです……! 詩音(私服): いや、いつまでって……もちろんショーが終わるまでですよ。今朝も、そう説明をしましたよね? 羽入(サマーウェディング): た、確かにそう聞いたのですが……ここまでキワどいドレスを着るとはさすがに思ってなかったのですよ~! そう言って羽入ちゃんは、涙目で落ち着かない仕草を見せている。 とはいえ、彼女が恥ずかしがるのももっともだ。じゃんけんで決めたとはいえ、もし負けていたら「あれ」を着ていたことになるわけで……。 一穂(私服): (あ、危なかった……!) 可愛いとは思うけれど、あの衣装で人前に出るのはちょっと……いや、無理だ。少なくとも私には荷が重すぎるだろう。 魅音(私服): なるほど……夏らしさと華やかさ、そして清純さを全て兼ね備えたデザインがこれってわけか……! 美雪(私服): まぁ確かにこの時期は、「6月の花嫁」って言うくらいに結婚式が集中する時期だと聞いたことがあったけど……。 美雪(私服): 正直言ってあのドレス、夏の盛りの気温だとちょっと暑くて蒸れるんじゃない? って思ってたから……これはいい考えだと思うよ。 魅音(私服): あと、あえて新郎の存在を消して新婦たち複数で構成するってのは、いい判断!男の薄着や半裸って、なんかむさい感じだもんね~。 圭一(私服): おいおい、ひでぇ言われようだな……。ウェディングドレスのショーって聞いたから、てっきり相手役の手伝いかと思っていたのによ。 美雪(私服): んー、じゃあ前原くん。今からあのドレスに着替えてショーに参加する?私たちは全く構わないけどさ。 圭一(私服): じょっ……冗談は寄せ鍋ちゃんこ鍋だぜ!普通にタキシードとかでいいじゃねぇか、なんであんな格好をしなきゃならねぇんだ?! 梨花(サマーウェディング): ……圭一。菜央の渾身作のドレスを、「あんな格好」なんて言っては失礼なのですよ。 圭一(私服): あ、いや。つい興奮して言い過ぎちまって……って梨花ちゃんも、すげぇ格好だな。 梨花(サマーウェディング): みー。たまにはこういうドレスも新鮮なので、ボクは結構にぱにぱなのですよ~♪ 圭一(私服): そ、そうなのか……?まぁ、俺も可愛いドレスだとは思うんだがさすがに目のやり場が……その……。 菜央(サマーウェディング): ……気を遣ってくれなくてもいいのよ、前原さん。あたしも寝不足のハイテンションで暴走しちゃったと今は反省してるわ。 菜央(サマーウェディング): 特に……特に……! 菜央(サマーウェディング): あたしまで、このドレスを着ることになるって思ってなかったから……! そう言って、少し着替えが遅れていた菜央ちゃんがこちらへとやってくる。 その姿は、羽入ちゃんや梨花ちゃんと同じ夏のウェディング……サマードレス(?)に小さな身を包んだものだった。 美雪(私服): 確かに壮観だね……。もし私がそれを着ろって言われたら、たぶんこの村を脱出してたよ。 菜央(サマーウェディング): うぅ……まさかデザインした服を、こうして自分で着ることになるなんて……! 菜央(サマーウェディング): レナちゃんが喜んでくれたから、つい調子に乗っちゃったけど……我に返った時にデザイン案を撤回しておけばよかったわ……はぁ。 羽入(サマーウェディング): あぅあぅ……僕の場合は完全に、とばっちりなのですよ~。 梨花(サマーウェディング): みー、羽入。これもいい経験だと思ってふぁいと、おーなのですよ。 羽入(サマーウェディング): こ、こんな格好になるのがどうしていい経験になるのですか~?! 割と平気そうな梨花ちゃんに励まされても、羽入ちゃんはまだ納得できていないようだ。 そんな中でひとり歓喜、いや狂喜した表情で踊り回っているのは、当然ながら……。 レナ(サマーウェディング): は……はぅぅぅぅ~っ!菜央ちゃんと梨花ちゃんと羽入ちゃん、とぉぉおおってもかぁいいよぉぉぉ~! レナ(サマーウェディング): い、一緒に写真撮ってもいいかな?それと今すぐ、お持ち帰りしてもいいかな、かなかなっ? 魅音(私服): あー、レナ。気持ちはよくわかるけど、落ち着きなって。まだファッションショーの「出だし」すら始まっていないんだからさ。 魅音(私服): それに、「メインゲスト」がまだここに来ていないでしょ?今回の目的を思い出してよね。 レナ(サマーウェディング): は、はぅ……そうだね。ショーが始まって終わるまで、もう少しだけ辛抱しなきゃ……だね……。 レナ(サマーウェディング): …………。 レナ(サマーウェディング): や、やっぱり我慢できないぃ~! 圭一(私服): お、おいおいレナ、落ち着けって……ぐはっ?! 反射的に取り押さえようと身を乗り出した前原くんだったが、運悪くそこはレナさんの射程距離だったようで……。 烈風にも等しい動きで放たれた一撃をまともに食らい、愉快な悲鳴とともに頭上高く舞い上がっていった。 美雪(私服): ……どうやら前原くん、これだけのために今日のイベントに呼ばれたみたいだね。とりあえず、ナイスガッツだよ☆ 圭一(私服): そ、そんな褒められ方をしても全然嬉しくねぇ……ぜ……がくっ。 一穂(私服): あ、あははは……あれ? と、その時。庭園の入口の方から、私たちの姿を見つけたのか「メインゲスト」のあの人がやってくる姿が見えた。 入江: どうも、皆さん。今日はお招きをいただいて、ありがとうございます。 詩音(私服): いえいえ。監督もお忙しいのに、わざわざ来てくださってすみませんね~。 入江: はは。鷹野さんに言われて、当分の間休みをもらってしまいましたので……実は暇なんですよ。 一穂(私服): あ、そう……なんですね……。 入江: それにしても、ファッションショーなんて初めてですが……いやいや、綺麗な方々が多くて目移りしてしまいますよ。 そう言って入江先生は。愛想よく笑ってみせてはいるものの……やはりその顔には力がない。 また、言葉とは裏腹に菜央ちゃんたちにはもちろん、居並ぶ他のドレス姿のモデルさんにはまるで関心がない様子だった。 美雪(私服): やっぱり、メイドじゃないとダメなのかぁ……。 改めて一同が実感した――その時。 沙都子(メイド): ふ、ふわあぁぁあぁっっ? 一穂(私服): 今の声って……沙都子ちゃん?! 圭一(私服): あっちからだ……行くぜ、みんなッ! ゲストハウスの会場付近で悲鳴が聞こえ、私たちは声の聞こえた場所へと急行する。 すると、そこには敷地を埋め尽くすほどに『ツクヤミ』の群れが跋扈しており――。 メイド服姿に着替えた沙都子ちゃんに、今にも襲いかからん勢いで迫っていた。 入江: なっ……さ、沙都子ちゃん!その格好は、いったい……?! 魅音(私服): って監督、真っ先に聞くところはそこなのっ?! 美雪(私服): やっぱ、詩音の見立ては正しかったねぇ……危機回避なんかよりも、メイドセンサーの方が明らかに敏感に働いてるよ。 詩音(私服): いや、この状況で褒められても複雑な気分ですが……。 詩音(私服): それより、沙都子!これだけの数の『ツクヤミ』を、どこから連れてきたんですか?! 沙都子(メイド): わ、私が呼んだわけじゃありませんわ!控室で着替え終わった後、建物の裏に気配を感じてのぞきこんでみたら……! 沙都子(メイド): なぜかこの連中が、わらわらと集まって暴れ回っておりましたのよ! レナ(サマーウェディング): は、はぅ……!こうなったら、ショーが始まる前にレナたちが―― そう言ってレナさんは、『ロールカード』を構えようとしたけれど……。 その前に立ちふさがったのは、なんと入江先生だった。 入江: ……皆さん、下がってください。この怪物どもの相手は、私が引き受けます。 魅音(私服): か……監督っ? 入江: メイドを狙い、あまつさえ怖がらせるとは言語道断……! 入江: メイドは本来、愛でて慈しむもの!あなた方に手出しは、指一本でも許しません!! その言葉とともに、入江先生の全身に謎のオーラが漂い始めて……やがてくわっ、と大きく目を見開きながら、彼は叫んでいった。 入江: いいですか、よく聞きなさい!メイドに邪な、あるいは不埒な感情を抱くのは下の下、3流とも呼べる浅ましき愚劣な行為! 入江: そもそもメイドとは、上級階級の子女が将来のため教育の行き届いた振舞いと心遣いを養い培うために設けられた職なのです! 入江: 王侯貴族のもとへ嫁ぎ、家を陰ながら守るには知識だけではなく経験も必要! そして人脈も!だからこそ皆はメイド道を学び、会得した! 入江: その点が、人権を制限されていた召使いや奴隷などとは違う! えぇ、大違いなのです! 入江: その崇高で偉大なる時代背景と文化を知らず、狼藉を行うとは……! それでもあなた方は、知能や理性を持った霊長の類いなのですか?! 入江: もし、この説明が届かないようであればあなた方はもはや、人間ではない!ただの本能のみに飢えて狂ったケダモノだ!! 魅音(私服): いや……どう見てもどう考えても目の前の連中はケダモノそのものなんだけど……って、そうじゃなくて! 魅音(私服): 今は空気読んでよ、監督っ!そんなふうに説き伏せている場合じゃ……なっ? すると、その気配を感じ取った魅音さんが驚きに目を見開いていった。 魅音(私服): あ、あれは『メイドインヘヴン』……いや、『メイドインギャラクシー』?! 沙都子(メイド): な……なんなんですの、それは?! 聞いたことも見たことも食べたこともない珍妙な名前に、私たちは唖然と立ち尽くす。 が、そんなこちらの困惑をよそに伝説の戦闘民族のように超人化した入江先生は、『ツクヤミ』たちに立ち向かっていった。 入江: わかりませんか? わからないのですか?ならば私が、あなた方にご奉仕の精神を教えて差し上げましょう……! 入江: さぁ、かかってきなさいッッ!! Epilogue: 入江先生の暴走……いや加勢のおかげで、『ツクヤミ』たちの群れは一掃された。 レナ(サマーウェディング): は、はぅ……監督って、すごかったんだねぇ。 沙都子(メイド): 正直私たちも、見くびっておりましたわ。監督のメイドにかける想いは、これほどまでに強かったですのね……! やや呆れながらも、感動するレナさんたち。 だけど、その視線に気づいたのか入江先生は我に返り……。 そして恐縮して申し訳なさそうに、頭を下げていった。 入江: す、すみません皆さん……! 入江: メイドの沙都子ちゃんを守ろうとするあまりについ、気持ちの高ぶりを抑えきれなくなって……! 入江: みなさんの前で、メイドとは縁を切ると約束したというのに、私は……ッ!! そう言って入江先生は、さっきまでの奮迅ぶりが嘘であったように顔を覆い……今にも泣き出しそうな表情を浮かべる。 それを見て、私たちは……逆に安心を覚えて顔を見合わせ、笑いながら頷いていった。 レナ(サマーウェディング): 監督……別に我慢なんかしなくても、それでいいと思いますよ。 レナ(サマーウェディング): 好きなものに対する想いが、強さにつながるなんて……とっても素敵なことだから。 入江: っ、レナさん……?! 圭一(私服): へへっ、だな。改めて監督のメイドに対する愛情が、わかった気分だぜ。 菜央(サマーウェディング): そうね……入江先生ってば、あたしや羽入を差し置いて真っ先に沙都子を守ろうとするんだもの。 梨花(サマーウェディング): みー……入江。沙都子を守ってくれてありがとうなのですよ。 羽入(サマーウェディング): あ、あぅあぅ……とっても頼もしかったのです。さすが、メイドを慈しむ人なのですよー。 入江: 皆さん……。 美雪(私服): ですから、入江先生。好きなものをあえて捨てる必要なんて、ないと思いますよ。 その後、ぼそりと付け加えられた「……少し気色悪いけど」という美雪ちゃんの小声の呟きは、あえて気づかないことにした。 美雪(私服): まぁ入江先生にとっては、大事な支えになってるんでしょうし……ありのままを受け入れていいんじゃないですか? 入江: 皆さん……あ、ありがとうございます。 私たちの優しい励ましを受けて感極まったのか……入江先生は言葉を詰まらせながら、深々と頭を下げる。 一穂(私服): (えっと……ここって、感動する流れでいいの?) そんな様子を複雑な思いで見つめるが、とりあえず一件落着ということで余計な茶々を入れないことにした。 一穂(私服): それにしても、なんで入江先生がこんな力を……って、あれ? 一穂(私服): あれあれっ……? そんな疑問を抱きかけたその時、私の意識は徐々に遠のいて……。 入江: ……一穂さん、一穂さん。 一穂(私服): ……んぅ……? 誰かに呼びかけられる声を聞き、目を開ける。 そして上体を起こして見回すと、私の身体は診療所のベッドの上に寝かされていることに気づいた。 入江: 大丈夫ですか、一穂さん? 入江: 具合が悪かったのか、待合室のソファの上で眠り込んでおられたので、ここに運び込ませていただきました。ご気分は? 一穂(私服): あ、えっと……たぶん、問題ないです。 入江: 熱を測りましたが、どうやら夏風邪でも引かれたようですね。 入江: 昨夜あまり寝ておられないか、お布団に入らずに寝てしまったのではありませんか? 一穂(私服): …………。 なんとなく既視感のあるやり取りに、戸惑いを覚える。 どうやらさっきまで見ていたのは、私の見ていた夢の中の出来事だったようだ。 一穂(私服): すみません……先生。なんだか私、変な夢を見てたみたいで……。 入江: ははっ、お疲れだったのかもしれませんね。季節の変わり目だと、どうしても体調を崩しやすくなってしまいますから。 一穂(私服): あ、あははは……ありがとうございます。 とりあえず調子もよくなったので、私は入江先生に感謝を伝える。と、 入江: ……。はぁ……。 なにやら、先生が暗い表情を浮かべてため息をついていることに気づき、私は思わず尋ねかけていった。 一穂(私服): あの……どうかしましたか、先生?元気がない様子ですけど。 入江: ……。実は、一穂さん。最近沙都子ちゃんたちの私を見る目が、どうにも冷たい感じでして……。