Part 1: ……違和感に気づいたのは、数日前。午前の授業を終えて、いつものようにそれぞれのお弁当を囲んだ時だった。 美雪: んーっ、ようやく待ちに待った昼休みかぁ。さて、腹ごしらえと参りましょうかねー。 一穂: ……うん。今日のお弁当、楽しみだなぁ……。 沙都子: えっと、あの……美雪さん、一穂さん?お二方のテンションが明らかに真逆なんですけど、何かありまして? 菜央: まぁ、理由はいつもの「アレ」よ。今朝はあたしが寝坊しちゃって、朝と昼のご飯は美雪が引き受けてくれたの。つまり……。 美雪: 今日のお弁当は、ツナサンドにたまごサンド!そしてハムレタスサンドの豪華3本立てになりましたー! 一穂: わぁい……今日のお昼はパンばっかりだー。 梨花: ……みー。一穂の目が、死んだ魚のようにうつろで濁りまくっているのです。 羽入: あ、あぅあぅ……なんだか背中が煤けているようにも見えるのですよー。 魅音: いや……あのさぁ、美雪。他所様の食卓事情に口出しする気はないけど、なんでそこまで「あからさま」な献立にしたのさ? 美雪: んー。だって私、朝起きた時無性にお昼ご飯はパンがいい! って思ったんだよ。 魅音: ……完全に美雪のわがままじゃんか。 菜央: ご飯はタイマーで仕込んで炊きあがってたのに……なんでわざわざパンで統一するわけ?一穂の分はおにぎりにしてあげればよかったじゃない。 美雪: だって、2種類もお弁当を作るって面倒でしょ? 沙都子: ……サンドウィッチは3種類作っておりますけどね。 美雪: あと、炊きたておにぎりは熱くて握りにくい。それと……。 美雪: ひょっとしたら一穂も、そろそろパン食に目覚めてくれたかなー、って期待しちゃいました。どう、一穂? 一穂: ……。作ってもらってる立場で、こんなこと言うのはよくないってわかってるよ。でも……でもねっ……! 一穂: 食材が余ったからって、なにも朝食までパンにすることはないんじゃないかなぁ……っ? 一穂: しかも昨日は、余ってるパンの賞味期限が近いからって朝昼晩、ずっとパンだったでしょ?!そして今日も朝、昼とパン! 一穂: ご飯があるのに!菜央ちゃんが炊いてくれたご飯があったのに!なぜ? どうして?! 沙都子: まぁ……確かに2日続けて毎食パンの献立は、むしろ嫌がらせと捉えられても不思議ではありませんわね……。 美雪: みー、それは食文化に対する理解の相違なのです。ちゃんと向き合えば、たとえ1週間パン尽くしでも人間はしっかりと順応できるのですよー。 梨花: ……美雪、ボクの口真似で妙なことを言わないでくださいなのです。 菜央: はいはい一穂、落ち着きなさいって。今夜はあんたの好きなおかずをつくって、ご飯にしてあげるから。 菜央: 美雪も、そういうことでいいわね? 美雪: ちぇ~。せっかくさっきの授業中に、夕食用の献立を考えてたのにさー。……パンを使った、とっておきのやつを。 一穂: だからなんで、そんなにパンでまとめようとするのっ?このままだと私、パン人間かパン星人になっちゃうよ! 美雪: おぉ、ヒューマン(人間)ならぬヒューパンか。それってやっぱり、顔を入れ替えて強くなったりとか? 一穂: 美雪ちゃんッッ……!! 美雪: じょ……冗談だって、もう。ほんと一穂って、和食のことになるとシャレが通じないんだから……。 そんな感じに、多少は口喧嘩のようになってもめいめい騒いでから落ち着いて……みんな笑顔になるのが、日常的な光景だった。 ただ……ひとりだけ、そんな中でも異様な雰囲気に包まれていたのは――。 菜央: ……レナちゃん? レナ: ? どうしたの、菜央ちゃん。レナの顔を見て何か気になったことでもあるのかな、かな? 菜央: あ、ううん。……ごめんね。 そう言ってにっこりと笑いかけるレナちゃんに小首を傾げられて、あたしは言葉を飲み込む。 気になったこと……そんなの、ありまくりだ。だけど、……言えない。何も訊くことができない。 なぜなら、レナちゃんの目が……表情は笑顔のはずなのに、全く笑ってなかったからだ。 詩音(私服): えっ? レナさんに何かあったのか……ですか? 菜央(私服): えぇ。ひょっとしたら詩音さんは、何か知ってるのかなって思って……。 詩音(私服): あははは。それを尋ねるなら、私なんかよりもお姉の方がよっぽど確かでしょうに。沙都子や梨花ちゃまでもなく、なんで私に? 菜央(私服): 魅音さんに、何度か聞いてみたわ。でも、答えはいつも「わからない」だったの。 菜央(私服): なのに魅音さん、そう言いながらいつもあたしから目をそらしてた……沙都子と梨花も、反応はほとんど同じ。 菜央(私服): 一穂や美雪に意見を聞いても、レナちゃんからそんなそぶりは感じなかったって言ってたし……頼れるのはもう、詩音さんだけなの。 詩音(私服): ……。逆にお尋ねします。そこまで皆さんが知らない「ふり」をしているのに、どうして真相を知ろうとするんですか? 菜央(私服): えっ……? 詩音(私服): 確かに、レナさんの様子がおかしい理由について私はなんとなくですが、ある程度の見当がついています。だからちょいと調べれば、答えがわかるでしょう。 詩音(私服): でも……それは、お姉たちも同様です。なのに「知らない」と口を揃える……そのわけをあなたは考えたことがありますか? 菜央(私服): ……っ……! 飄々としながらも若干の詰問口調と、咎めるように鋭くこちらをすがめる目を見て……あたしは思わず、舌の奥に滲んだ生唾を飲み込む。 わかっている……もちろん、わかっていた。あの人たちがあたしに対して口を閉ざすのは、薄情なごまかしなんかじゃない。 あたしには、絶対に「聞かせたくない」。そして「知らせたくない」ことだからこそ、知らぬふりを決め込んでいるんだと……。 菜央(私服): (でも……あたしは……っ) 菜央(私服): ……そのことは、自分でもよくわかってる。でも、知っておきたいの。 菜央(私服): 何も知らないまま……何もできないまま自分の大切な人が苦しんだり悩んだりしてるのを見てるのは、あたしは嫌だから……ッ! 詩音(私服): ……そうですか。ちなみに私は、お姉たちと違って事実第一なので「優しい嘘」は好きじゃない性分です。 詩音(私服): ある意味私たちは、似た者同士なのかもですね。だから、今の菜央さんの目……結構好きですよ。くっくっくっ……! ……そう言って嗤う詩音さんの表情が、なんとも不気味に見える。それでも……。 菜央(私服): (今のあたしにとっては、この人だけが事実を求めるための拠り所なんだ……) Part 2: ……詩音さんからの連絡は、依頼した翌日に家の電話へとかかってきた。 ちょうどあたしが応対に出たので、詩音さんは挨拶をすっ飛ばして「わかりましたよ」と本題を切り出す。そして、 詩音(私服): 『……電話だと、他の人たちがいて面倒です。#p興宮#sおきのみや#rの図書館がおあつらえ向きなので、ちょっとご足労をお願いしても構いませんか?』 菜央(私服): えぇ。それじゃ、待ち合わせの時間は――。 予定よりも早めに到着したつもりだったけど、詩音さんはすでに図書館の中にいた。やはり、興宮住まいの地の利といったところか。 詩音(私服): 何から話せば、って迷うほどのことでもありません。実によくあるくだらない、醜悪な話ですよ。 そう前置きしてから詩音さんは、話を切り出す。 感情を殺して淡々と話すその口ぶりは、かえって彼女自身が抱く不快感をこちらにもはっきりと伝えてきた……。 詩音(私服): 園崎家の系列に、高級クラブ……って言ってもわかるかどうかですが、ホステスっていう接客業の女性と、高いお酒を飲んで騒ぐお店がありましてね。 詩音(私服): そこのひとりに、レナさんのお父さんが入れ込んでいて……毎日のように通い詰めては大金を落としているそうなんです。 菜央(私服): ……それ、有名な話なの? 詩音(私服): 一部の界隈では。本人は職探し中なんですがかなりの大金を持っている、とそのホステスが他の同僚たちに吹聴していたらしくてね。 詩音(私服): あとは娘を手懐ければ、全部が手に入る……と。 菜央(私服): 大金……? そう繰り返してみてあたしは、すぐに心当たりを思いつく。 レナちゃんの家の、大金。おそらく、それは……。 菜央(私服): (お母さんと離婚した時の、慰謝料……) あたしの父親も、言っていた。お母さんが離婚した際に支払った慰謝料は、かなりの額だったらしい。 あたしが成長してからはさておいて……昭和の頃はお母さんもかなり羽振りがよく、大金でもあっさりと払えてしまえたそうだ。 つまり……。 菜央(私服): ……。お金があるから、レナちゃんのお父さんは狙われたってこと? 詩音(私服): ……そういう判断に行きついたとしても、言いすぎではないかもしれませんね。 ――――。 目の前が、すぅっと暗くなる。 あたしのお母さん……いや、「母親」は。 あの人は、別れてからもレナちゃんをずっと苦しめていたのだ。 もちろん、本人の意図ではないと思う。それどころか、謝罪の思いがあったからこその大盤振る舞いだったのかもしれない。でも……! 菜央(私服): (最悪、じゃない……!) 別れる前だけでなく、その後にまで災いの種を残して……もはや、嫌がらせだ。 自分がお腹を痛めて、産んだ子どもなのに……なぜ、レナちゃんを不幸に追いやったのだろうか。 ……あたしは、母親のことを尊敬していた。デザイナーとして才能の溢れる人で、忙しい中もあたしのことを気遣ってくれていた。 でもそれは、レナちゃんと違ってあたしを「捨てる」先がなかっただけ。だから仕方なく、手元に置いて……。 本当は……自分を捨てた男の娘なんていらない。そう、思っていたのかも……? 菜央(私服): (あぁ……そっか) わかった……あたしはやっと、気がついた。 どうしてあたしは、10年前にやって来たのか。レナちゃんを守るとは、どういうことか……。 菜央(私服): (「大災害」は、美雪と一穂に任せれば大丈夫。なんとかしてくれるはず……) 美雪はもちろんだけど、一穂も強い……あたしなんかより、ずっと。 だから、あたしはやるべきことをやろう。あたししかできないことを、するために。 あたししか守れない人を、絶対に……。 菜央(私服): レナちゃんを、守らなくちゃ。 美雪: ……今、なんて言ったの? 分校から帰ってすぐに「話がある」と菜央ちゃんから言われて、それを聞いた直後……美雪ちゃんは低い声でそう尋ね返した。 菜央: だから……あんたたちとは、ここまでだって言ったの。 美雪: ここまでって……どういう意味? 菜央: あたしね……ここに来た理由を、見つけたの。 菜央: #p雛見沢#sひなみざわ#r大災害で何が起こったのかは、わからない。でもそれは、あんたたち2人でなんとかして。 一穂: な、なんとかって……。 菜央ちゃんの言っている意味が、どうしても理解できない。 なんとか……?災害をなんとかするって、……どうやって? そもそも、それを私たちに任せることで彼女は何をしようと考えているんだろう……? 美雪: ……。その理由について教えてよ。それをキミに聞く権利くらいは、私たちにだって……あるよね? 菜央: ……詩音さんから、色々と教えてもらったのよ。レナちゃんの今の家庭事情と、お父さんの「交友」関係についてね。 菜央: ……相手の女の人の素性、呆れたくなるほどにすごかったわ。 菜央: 本物の詐欺師はこんな感じなのね、って勢いでレナちゃんのお父さんからお金を引き出して豪遊してるみたいよ。 一穂: ……っ……。 菜央: あたしの母親がバカをやった代償が、バカの手に渡って……レナちゃんを苦しめてる。 菜央: あたしはきっと、そのバカからレナちゃんの幸せを守るために来たのよ。 美雪: …………。 菜央: だから、ここからはあたしだけで動く。あんたたちは、あたしとは無関係……何があっても、そう主張してくれていい。 菜央: ……レナちゃんのこと、お願いね。 一穂: ま、待って……!落ち着いてよ、菜央ちゃん……! 菜央: 何を言うのよ、一穂。落ち着いてるわ……話をした時から、ずっとね。 美雪: ……落ち着きを装ってるだけでしょ。そんなこと、私がわからないと本気で思ってる? 菜央: わからない……? その時、菜央ちゃんの大きな目がすっと細められる。手が首に伸び、その白い肌に爪が立てられ……。 菜央(感染発症): わからないわよ……いつだって、あんたたちのことなんかね。 ガリ、と首を引っ掻き、少しの間を置いてじわりと白い肌から血がにじみ出てきた……。 菜央(感染発症): ……じゃあ聞くけど美雪、一穂。あんたたちに、何がわかるのよ。 菜央(感染発症): ちゃんとした親から生まれた2人には、あたしのことなんてわからないわ……ッ! 一穂: な、菜央ちゃん……。 菜央(感染発症): よその奥さんを寝取った男が、あたしの父親!浮気して、別の男と子ども作った女が母親!! 菜央(感染発症): あたしは! 生まれる前から呪われてるのよ!生まれてきちゃいけない子どもだったからッ!! それは、今まで見たことのない彼女の内側。 彼女が冷静に自らの中にずっとずっと押し込めていた、鳳谷菜央の……本心。 勢い余っただけの言葉じゃないことは、聞いているだけの私にも理解できた。させられた。 だってだって、その言葉が口を突いて出るたび彼女の首元が痛々しく、赤くにじんで……ッ!! 一穂: な、菜央ちゃん……や、やめっ……! 菜央(感染発症): 一穂の親は、ちゃんとしてたんでしょ?!知ってるわよ、あんたを見てればわかるもの! 菜央(感染発症): きっとあんたが生まれて来た時、みんな喜んだんでしょう?!親も! 親戚も! あんたのお兄ちゃんもッ! 菜央(感染発症): あたしが生まれた時に喜んだのなんてゴミみたいな母親と、寝取り男の父親ぐらい! 菜央(感染発症): 小さいあたしの面倒を見てくれたお婆ちゃんは、ボケてからはあたしのことをレナお姉ちゃんとよく間違う……! 菜央(感染発症): ……この意味、わかるっ? お婆ちゃんだってレナお姉ちゃんの方がよかったの!菜央なんて孫は、あたしなんていらなかったのよ! 菜央(感染発症): なのに、なんで……あんたはいつも卑屈なのよ!なにがあったらすぐに謝るのよ! 菜央(感染発症): なんでそんな、見せつけるみたいに形見の笛をぶら下げてるのよ!自分は大事にされてたって自慢してるのよ! 菜央(感染発症): 大事にされてた記憶があるんでしょ?!お父さんとお母さんとお兄ちゃんが側にいて、愛されてたんでしょう、あんたは!! 菜央(感染発症): なのに、なんでそんなに自分のことを卑下するのかぜんっぜんわからない! 気持ち悪いのよッッ!! 一穂: ……ぁ……っ……。 目の前が歪んだ状態のまま、私は自分の胸を見下ろす。 気づかないうちに、私の手は……そこにあったものを、ぎゅっと……。 菜央(感染発症): ほら、そうやって!なにかあったら、すぐ笛を握る! 菜央(感染発症): お兄ちゃん助けてって?!いいわね、助けを求められる人がいてッ!! 菜央(感染発症): あたしにはそんな人なんていないのに、なんであんたにはいるのよッッ?! 美雪: ――菜央ッ!! 菜央&一穂: ッ?! 美雪: やめなよ、それ以上はさ……。 菜央(感染発症): やめろ?じゃあ、力尽くで止めてみなさいよ。 菜央(感染発症): やればいいでしょう?あんたならできるはずじゃない。 菜央(感染発症): それとも、年下の小娘を殴って黙らせるなんて警察官の娘にはできないってこと? 美雪: ……警察官の娘だろうがなんだろうが、安易に人を殴るのはダメでしょうに。 菜央(感染発症): ……。前から思ってたけど、よくもそんな正義感に満ちた顔ができるわね。警察官の娘、って羨ましいわ。 菜央(感染発症): でも……その傲慢さにはうんざりしてきたのよ。 美雪: へぇ……だとしたら、うんざりするような相手にレナを大災害から守れって頼むんだ。それ、思いっきり矛盾してない? 菜央(感染発症): どうせついでじゃない。あんたがお父さんを守るついでよ、ついで。 菜央(感染発症): でも、詐欺師を片付けるのは……誰のついでにもならない。やらなくちゃいけないのよ、あたしがね。 一穂: ……っ……。 菜央(感染発症): ……。うちのバカな母親が浮気してる時、周りはだーれも気がつかなかったそうよ。 菜央(感染発症): レナちゃんはかわいそう……誰も、母親の浮気を止めてくれる人がいなかった。おかげで子どもができて、離婚することになった。 菜央(感染発症): 今だって、誰も彼もがレナちゃんのお父さんがバカに騙されて、お金を取られていくのを……みんなぼけーっと見てるだけ。 菜央(感染発症): そうよね、誰も関わりたくないものね。家庭の問題だってとりつくろってるけど、面倒事に巻き込まれるなんて、ごめんだもの。 菜央(感染発症): 魅音さんも、梨花も沙都子も、みんなみんな、みんなッ……!! 美雪: そうかな……魅音たちは今のところ、どうしたらいいか策を練ってるように私には見えるけどね。 菜央(感染発症): そのわりに、動きが鈍いのね。御三家だったら、なんでもできるんでしょ? 美雪: 村の権力を握ってるからこそ、その力を振るうタイミングは見定めなきゃいけないんだよ。嫌な話だけど、そこは警察と似てるよねー。 菜央(感染発症): っ……レナちゃんは、今苦しんでるのよっ?今、この瞬間も……この「世界」で!! 菜央(感染発症): だから、あたしは……あたしだけはレナちゃんの……! 菜央(感染発症): レナお姉ちゃんの、役に立たなくちゃいけないの! 一穂: な、菜央ちゃん……?! 菜央(感染発症): そうじゃないと、そうじゃないと――。 菜央(感染発症): あたしが生まれてきた意味がないのよッ!! 美雪: がっ?! 次の瞬間、悲鳴を上げる美雪ちゃん。 菜央ちゃんの手には、……大きな置き時計。それを後ろ手に握り、勢いをつけて彼女の頭を殴りつけたのだ……! 美雪: っ……ぅ、ぁっ……。 一穂: みっ………………ッ!!あ、ぁあああ…………! 頭から血を流しながら、床に崩れ落ちる美雪ちゃん。 そして、駆け寄る私を横目にしながら菜央ちゃんはぽい……と置き時計を投げ捨てた。 菜央(感染発症): さようなら……あんたたちとの生活、悪くなかったわ。 菜央(感染発症): ……違う出会い方ができたら、あたしの人生もうすこしマシだったかもね。 一穂: な、菜央ちゃん……?! その背中が玄関の方へ消える中、床に転がった美雪ちゃんが腕を伸ばす。 美雪: ま、ぁ……ぅ! 一穂: み、美雪ちゃん、動かないで!あ……頭から、血が……!! どうすればいい?! まずは止血?!でも頭を打ったときは動かさない方がいいんだっけ?! 美雪: っ、ぁ……。 頭から流れた血が床にしたたり落ち、額から頬を血に染めていく。 だけどその、赤く染まったまぶたを半分だけ持ちあげた美雪ちゃんは、懸命に私に顔を向けていった。 美雪: な、菜央を、追って……。 一穂: で、でもっ……! 美雪: 大丈夫、だか……ら。 美雪: お、ねが……ぃ。あの子、ひ、……とり、に……しない、で。 一穂: っ……ッ! 私は流れる涙をそのままに、身体を反転させる。 一穂: 菜央ちゃんっ……! 外に飛び出すと、空は夕焼けに染まり……探し求めた小さな背中は、もうどこにも見つけることができない。 でも……それでも、私は……っ! 一穂: ……っ……! 走って、走って、走って、走って――辿り着いたのは。 レナさんが宝の山だと笑って語ってくれた、……あのゴミ山だった。 そこには、彼女がいた。いつも通りの小さな姿で、ゴミ山の上に悄然と佇んでいた。 一穂: な、菜央ちゃ……よ、よかっ……。 菜央: …………。 菜央: よく、ここがわかったわね。……でも、もう終わったわ。 一穂: 終わった、って……ぇ? 菜央: あんた、気がついてないの?2人に話した時点で、準備はほとんど終わってたのよ。 菜央: 美雪は、気がついてた……だから、力づくで止めようとしたのね。 一穂: え……? 菜央: 手芸は、事前の用意が大事なの。……材料は、揃ってた。あとは作るだけでしかなかった。 菜央: もっとも……詐欺師を騙すのが、こんなに簡単だなんて思わなかったけどね。 彼女が立っている、ゴミ山の下……。目を向けると、そこには……。 ――奇妙な体勢で動かなくなった、若い女性が転がっていた。 一穂: あっ、あの人は……ま、まさか……?! 菜央: 人じゃないわ。……ゴミよ。 一穂: ご、ゴミじゃない!あれは、あれは……ひ、人でしょ?! 菜央: いいえ、ゴミよ。あたしにとっては、それ以外の何モノでもないわ。 一穂: ……っ……!! 菜央: あたし……ちょっと前に知り合ってたのよ。適当に呼び止めて、「レナちゃんのお知り合いの方ですか」って声をかけて……。 菜央: レナちゃんと仲良くなるには、このゴミ山で宝物を見つけるのがいいですよ、って勧めて、この時間に来るように仕向けたの。 菜央: 簡単過ぎたわ。呼び出すのも……殺すのも。 そう言って菜央ちゃんは、力が抜けたようにぺたんとゴミ山の上に座り込む。 彼女の視線の先には、夕闇に染まりつつある空がある。……だけどその目には、もう何も映っている様子がなかった。 菜央(感染発症): ……もっと早く、気づけばよかった。……もっと早く、殺しておけばよかった。 菜央(感染発症): そうすれば、レナちゃんを悲しませることもなかったのに……。 菜央(感染発症): ……。やっぱり、ゴミの子どもはゴミってことなのね。 菜央(感染発症): 終わった……ようやく。これで、意味が……できた。 菜央(感染発症): 生まれてきた意味が、あった……。 菜央(感染発症): 一穂。レナちゃんに謝っておいて……宝の山を血で汚して、ごめんなさいって。 菜央(感染発症): 汚れた女と、汚れた女の血をひいたゴミみたいな子どもの血で汚して……ごめんねって。 菜央(感染発症): ……あぁそうだ、後片付けしなくちゃ。一番邪魔なものを片付けないと。 菜央(感染発症): 何事も、片付けるまでやらないと――。 菜央(感染発症): ……センスがないもの。 菜央ちゃんは手にした武器を、首に当てる。 その瞬間、背筋に氷を押し当てられたような寒気が全身に奔って――! 一穂: じゃ、邪魔じゃない……!邪魔なんかじゃ……! 駆け寄りたいのに、ゴミが邪魔で走れない……!まさか彼女はそこまで見越して、ここに詐欺師を呼び出した?! 菜央(感染発症): ……あんたにはわからないわよね。望まれて生まれた、幸せなあんたには。 菜央(感染発症): 浮気女が間男と作った子どもなんて、邪魔なゴミ以外の何者でもないでしょう? 菜央(感染発症): ゴミはゴミ同士で潰し合って、おしまい。ゴミが動かないゴミになるだけ。 菜央(感染発症): それで……終わり。 一穂: や、やめっ……! 彼女の腕に力が込められて……真っ赤な色彩が、夕闇に溶けるように弾けて……散った……。 一穂: あぁあああああぁあああああああああああ!!!! Part 3: 一穂(私服): あぁあああああぁあああああああああああ!!!! 菜央(私服): ほわっ?! び、びっくりした……。 驚いた猫のように飛び退いたその存在を前に、私は荒い息を整えながらまじまじと見つめる。 一穂(私服): な、菜央ちゃ……?ここは……私が寝泊まりしてる、前原くんの部屋? 一穂(私服): ゴミ山じゃ、ない……? 菜央(私服): どうしたの? 何度声かけてもあんたが起きてこないから、様子を見に来たのよ。 菜央(私服): なに? 今日が休みだからって夜更かしでもしてたの? 一穂(私服): う、ぁ、ぁ……。 いつもの……菜央ちゃんだ。優しくて何かと気遣ってくれる、年下なのに頭が良くて頼りになる……ッ! 一穂(私服): うぁああああぁあああああ!!!! 私は衝動のまま、彼女の身体に抱きついた。 菜央(私服): えっ、ちょっ……えっ? 一穂(私服): ぁああああああああああ!!!! 小さい、生きてる。首に傷も無い。血なんて流れてない。 生きてる、生きてる、生きてる――!!! 菜央(私服): どうしたのよ……怖い夢でも見たの?……なによ、泣かなくっても大丈夫じゃない。 なだめるように、背中を撫でてくれる小さな手。 あぁ、菜央ちゃんだ……私の大好きな菜央ちゃんが、私のそばに……ッ! 美雪(私服): なになに、どうしたの……って、なんで一穂が号泣してるのさ? 菜央(私服): さぁ……ちょっとよくわからなくて。 2人の話す声が聞こえる。いつも通りの、いつものやりとり。 それにも構わず私は、安堵と同時にまだ鮮明に残り続ける悪夢への恐怖から……ただひたすらに、泣き続けた……。 一穂(私服): うっぐ、っ、ぐ、えっぐ……。 菜央(私服): ほら、顔をあげなさい。涙が拭けないじゃないの。 一穂(私服): う、うん……ぶぐしゅっ。 菜央(私服): あーあ、顔面鼻水だらけじゃない。はぁ……まったく。 一穂(私服): ご、ごめっ……なさ……。 本当に、なんて夢を見てしまったのだろう。思い出すだけでまた、自己嫌悪に陥って涙がこぼれそうになってしまう。 そして、私が夢がどんな内容だったのかを菜央ちゃんが聞いてきたので、たどたどしいながらも説明すると……彼女は神妙な表情を浮かべていった。 菜央(私服): ……。馬鹿な夢、とは言い切れないのがなんだか怖いわね。 一穂(私服): えっ……? 美雪(私服): んー、なんで言い切れないのさ。……まさか、本気で殺人なんて考えてたわけじゃないよね? 菜央(私服): そっちじゃないわ。……一穂の話の中でちょっと思い当たることがあったから、少しだけどきっとしたのよ。 一穂(私服): 思い当たる……ところ……? 菜央(私服): えぇ。自分でもバカだと思うけど……確かに、思ったことがあるわ。2人が羨ましい、ってね。 菜央(私服): 美雪は、ちゃんとした家の子でしょ。お父さんは立派な警察官で、話を聞く限りお母さんも立派な人だし。 菜央(私服): 一穂は、両親の記憶がないって言ってたけど……あんたのことを見る限り愛情を持って育てられたみたいだしね。 菜央(私服): それに一穂って、お兄ちゃんにはとっても可愛がられてたんでしょう?困った時に、よくその笛握ってるもの……今も。 一穂(私服): ぁ……。 自分の胸を見下ろし……無意識に握っていることに気づく。 菜央(私服): ……でも、バカよね。一穂は家族全員が、美雪だってお父さんが亡くなってるのよ。羨ましがるなんて2人に失礼じゃないの。 菜央(私服): なーんて、2人が羨ましくなるたびに自分を叱ってたつもりだったから。 菜央(私服): ……でも、自分でも気づかないうちにその感情がこぼれ出てたのかもね……。 美雪(私服): 菜央……。 菜央(私服): ……一穂が変な夢を見たのは、あたしが嫉妬を隠しきれなかったことが原因なのかもしれない。 菜央(私服): あんたはあたしの嫉妬を無意識に感じ取って、おかしな夢を見た……。 菜央(私服): ごめんね、一穂。怖かったわね。 一穂(私服): あ、ぅ……そ、それは……。 美雪(私服): …………。 菜央(私服): 本当、世の中っておかしいわよね。ちゃんとした親は早死にしちゃうのに、ろくでもない親ほど長生きしちゃう……。 美雪(私服): ……これは、近所の刑事のおじさんが言ってたんだけどね。 美雪(私服): あんまり親のこと悪く言い続けると、自分の存在まで悪いことみたいに思えてきて……。ヤケになって犯罪に走る人がいるんだって。 美雪(私服): 自分なんてどうでもいい存在なんだ。何したってもう構うものかー! ってさ。 菜央(私服): なにそれ、八つ当たりじゃない。そんなんじゃ、巻き添えをくらった人はたまったものじゃないわね。 菜央(私服): ……でも、夢の通りにあたしがヤケになったら、とばっちりを食らうのはあんたたち2人か。 美雪(私服): まぁ、それは私と一穂にも言えるけどねー。現状私たちって、一蓮托生だからさ。 菜央(私服): それはそうかもしれないけど……あんたたちがヤケになるところは、正直想像がつかないわね。 美雪(私服): …そういえば、レナのお父さんってどんな人なんだろ。菜央は、会ったことあるんだよね? 菜央(私服): 前にちょっと挨拶しただけだけど……優しそうな人だったわ。人がよさそう、と言うか……。 美雪(私服): 悪い言い方をするなら、騙されやすいタイプに見えるってことか。 菜央(私服): そうね……お母さんがあたしを妊娠して離婚を切り出すまで、浮気されてたことに気づかなかったみたいだし。 一穂(私服): こ……これからどうするの? 美雪(私服): 一穂が見た夢が、そうだね……予知夢だと仮定してみるのはどう? 菜央(私服): 予知夢、って未来を夢に見るってやつよね。 菜央(私服): だとしたら、一穂の夢はこのままだと本当に起こる未来……かもしれないってこと? 美雪(私服): 確証はないよ。だから、レナのお父さんを調べよう。 美雪(私服): 何もなければ、ただの夢だった!一穂も菜央も安心……でしょ? 菜央(私服): でも、万一何かあったとしたらどうするの?あたしたちでレナちゃんのお父さんを止めたりするってわけ? 一穂(私服): ……止められるかな。 一穂(私服): レナさんのお父さんにとっては、私たちってただの娘の友達だし、話を聞いてもらえるかどうかも……。 美雪(私服): いや、止めるのはそっちじゃない。詐欺師の方だ。 一穂(私服): え、でも……そっちの方がよっぽど止めにくいんじゃ……? 美雪(私服): 捜査二課出身の人が言ってたんだけど、実は詐欺ってTVドラマのように簡単じゃなくて……素人には難しい犯罪なんだ。 美雪(私服): もし手慣れてるなら前科、もしくは前科持ちが後ろにいる可能性が高い。 美雪(私服): んで幸い私たちには、大石さんって警察との繋がりがある。 美雪(私服): 警察は証拠がないと動けないけど、逆に言うと証拠があれば動ける。何を揃えればいいかは私が知ってるから。 菜央(私服): ……ダメよ、リスクが高すぎるわ。だったらやっぱり、あたしだけで……。 美雪(私服): ……菜央、忘れてない?レナは菜央のお姉さんってことと同時に、私たちにとっても大事な仲間なんだよ。 菜央(私服): ……ぁ。 美雪(私服): 菜央ほどじゃないかもしれないけど、私もレナには恩があるからね。 美雪(私服): 私は、優しくしてくれたレナを悲しませたくない。 一穂(私服): わ、私も……レナさんが泣いてるところは、見たくない。 一穂(私服): だから……3人で動こう。3人で調べよう。1人で解決しようとしないで、みんなでやろう。 一穂(私服): 私たち、一蓮托生なんだよね?……だから私にも、託してもらえるかな。何の役に立たないかもしれないけど。 菜央(私服): …………。 菜央(私服): ……そうね、ごめんなさい。 菜央(私服): ごめん……ごめんなさい……。 一穂(私服): …………。 美雪(私服): …………。 そうして私たちは、しばらくの間黙っていた。でもそれは、決して不快な沈黙ではなくて……。 互いの距離が近づいたと確信できる、そんな……不思議な静けさだった。 菜央(私服): はぁ……大騒ぎしたら、なんだか眠くなってきたわ。朝ご飯の後は、少し遅寝でもしましょう。 美雪(私服): あはは、私もだよ。ということで、今のうちに体力を回復してさっそく今夜から調査を開始しよう! 菜央(私服): 肌にはよくないけど、たまには昼夜逆転も悪くないわよね。 美雪(私服): なんか大晦日みたいだねー。ま、これを区切りに心機一転頑張ろうってことで。 一穂(私服): ……うん。 美雪(私服): さー、朝ご飯だ、朝ご飯!今日は白いご飯を炊いたから、いっぱい食べていいよ! 菜央(私服): 食べ過ぎてお腹壊さないでよね。 一穂(私服): ……あはは。 いつも通りのやりとりを聞きながら、階段を降りる。 ただ、その最中――。 一穂(私服): (私と美雪ちゃん……菜央ちゃんがレナさんの妹って、いつ知ったんだっけ……?) ふいに浮かんだ疑問を、私はすぐに忘れた。覚える必要を、感じなかった。 私にとっては、菜央ちゃんと美雪ちゃんが生きている今よりも大事なことなんて、何もないんだから……。