Part 01: 日曜日の図書館の窓口は、平日に比べるとやはり混雑していたので……先週に借りた本を返却するまで、多少時間がかかってしまった。 鷹野: 早めに終わらせておきたかったんだけど、結局お昼過ぎになってしまったわね……。何か、近くの店で食べてから戻ろうかしら。 そう思ってなにげなく視線を壁時計から入口へと移すと、見知った女の子がちょうど館内に入ってくるのが目に映る。 鷹野: あら……菜央ちゃんじゃない。 菜央: あ、こんにちは鷹野さん。 私が声をかけると、菜央ちゃんは人懐っこい笑顔を浮かべて挨拶を返してきた。 幼い身ながら、丁寧な礼儀作法を感じさせる。それに大人に対しても物怖じをしないあたり、年長者との触れ合いに慣れているのだろう。 ただ、そういった子どもは生意気な言動などで自分をひけらかしたり、背伸びをしてみせたりして鼻につくことが往々にしてあるのだが……。 親の躾が行き届いているおかげなのか、彼女に対して微笑ましさを感じたりはしても悪印象を抱くようなことは全くなかった。 鷹野: (レナちゃんや魅音ちゃんたちがこの子を可愛がるのも、納得できるわね……) 事実、私でさえ菜央ちゃんの前では自然と顔がほころぶのを感じてしまう。……本当に、面白い女の子だ。 鷹野: 最近、ここでよく会うわね。今日も本を借りに来たの? 菜央: はい。ちょっと欲しい資料があって、それを探しに来たんです。 菜央: 衣装を作る時の参考になりそうな本か、ファッション雑誌がないかなって。 鷹野: 衣装を作るってことは……誰かからの依頼で?さしずめ魅音ちゃんか、詩音ちゃんかしらね。 菜央: そうなんです。今、例の遊園地で行われている童話モチーフのパレードがすごく好評で……。 菜央: 来月の季節変わりイベントに合わせて、新しいキャラクターを追加できないか相談をされたんです。 鷹野: くすくす……すごいわね。まだ小学生なのに、商用イベントの衣装を任されるなんて。 菜央: ありがとうございます。けど、衣装作りといっても案を出すだけで仕立てとかはプロの方にお任せですし……。 菜央: やればやるほど、できなかった点が見つかって課題が出てきて……もっと勉強しなきゃ、って思うことの繰り返しです。 半ばお世辞を含めた賛辞だったのだが、おだてに一切乗ることなく謙虚と素直さでそう答える彼女に、私は好感を抱く。 ……魅音ちゃんと詩音ちゃんはあぁ見えて、実力主義と実益を重視したリアリスト的な性分だ。良いものは良いとして、悪いものは切り捨てる。 そんな彼女たちが、経費削減を考慮しても依頼をかけるというのはそれなりに期待して、信頼しているという裏返しだと考えてもいい。 鷹野: (なのに、それほどの高い評価を受けても驕るどころか、自らの至らなさを意識できる……口先で言えるほど簡単なことじゃない) この先順調に経験と知識を積み重ねていけばどれほどまでに成長するのか……末恐ろしくもあり、また楽しみを抱かずにはいられなかった。 鷹野: ……菜央ちゃん。あなたは周囲の期待に応えようと努力を惜しまない、一途ないい子。それだけでも、たぐいまれなる才能だと思う。 鷹野: だからこそ、今の素直な反省の想いと向上心を大事にして……絶対に忘れないようにしなさい。それが、あなたを成長させる礎になっていく。 菜央: ……っ……。 鷹野: プロフェッショナル、そして一流になれるかはセンスや技術、運によって左右される。努力が結果に必ず繋がるとは……断言できない。 鷹野: それでも私は、あなたの今の姿勢が何かしらの成果に繋がることを……祈っている。心の底から……ね。 菜央: ……ありがとうございます。鷹野さんにそう言ってもらえるとすごく嬉しいし、励みになります。……だから、頑張ります。 鷹野: くす……なぁんてね。私は無責任な立場から、偉そうなことをからかい半分で言っているだけよ。 鷹野: だから聞き流してくれてもいいし、深く受け止める必要なんて全くないわ。 菜央: そんなことしません。だってあたし、鷹野さんがすごく努力家で誠実な人だって……わかってるつもりですから。 鷹野: ……あら、ずいぶんと高い評価をしてくれるのね。私のどういうところを見て、そう感じたのかしら? 菜央: だって鷹野さん、ただでさえ診療所勤務で忙しいのにこの図書館で色々と調べ物をしてるじゃないですか。 菜央: #p雛見沢#sひなみざわ#rのことは趣味だって言ってましたけど、あたしが見せてもらったスクラップ帳やノートは丁寧な内容で……しっかり調べてる感じでした。 菜央: それに、難しい医学書や最新の論文も合間に読んだりしてますよね。だから……。 菜央: あたしにとって鷹野さんは、お母さんと同じくらいに理想の女性なんです。 鷹野: ……っ……。 不意打ちでそんなことを言われて、思わず言葉を失ってしまう。 照れ? 驚き?……いや、そのどちらとも違う気がする。この感情は……むしろ……。 菜央: ……鷹野さん? 鷹野: あ……あぁ、ごめんなさい。そんなふうに言われたことがあまりなかったから、ちょっと……ね。 鷹野: 菜央ちゃんは努力家と同時に、褒め上手なのかしら。心を許すとうっかり、騙されてしまいそうだわ。 菜央: あ……あたしは嘘なんて言ってませんよ?本心で思ったことを、そのまま伝えただけで……。 鷹野: くすくす……ありがとう。だったら素直に受け取っておくわね。 これ以上は私の方が自分を見失ってしまいそうで、強引に打ち切ることにする。 そして壁時計に目をやり、菜央ちゃんと話し込むうちに思った以上の時間が過ぎてしまっていたことに、ようやく気がついた。 鷹野: ……菜央ちゃん、お昼はもう食べた?私はこれからお店を探すつもりでいたんだけど、もしよかったら一緒にどうかしら。 菜央: いいんですか?……ありがとうございます! 鷹野: (くす……こういうところは、年相応って感じね。でも……) こんな子を嫌う人間がいるとしたら、それは偏屈なひねくれ者だろう。あるいは……。 鷹野: (自意識だけが過剰に育った連中の、劣等感からの防衛行為……とか……) 鷹野: ……っ……。 記憶の奥底に封印したはずの「過去」が、一瞬鎌首をもたげそうになってきたので……私は反射的に、その漏洩を防ぐべく蓋をする。 ……。あぁ、そうか。 私がこの子に対してなんとなく好意的になりたいと思ってしまうのは、きっと……。 Part 02: 入江: そろそろ、午後の診療時間も終わりですね。片付けの準備に入りましょうか、鷹野さん。 鷹野(ナース): …………。 入江: 鷹野さん……? あの、もしもし? 鷹野(ナース): えっ? あら、入江所ちょ……いえ、入江先生。どうかしましたか? 入江: いえ、その……何度か声をかけたのですが、返事がなかったもので。 鷹野(ナース): ……そうだったんですか?すみません、少し考え事をしていたせいで気がつきませんでした。 わずかに出てしまった狼狽をごまかしつつ、私は軽く息をついて呼吸を整える。 気が緩んだせいで、思わず入江の肩書きも言い間違えかけた。……他に誰もいなくて、本当によかった。 入江: 何か、お悩みのことでも……?差し出がましいようですが、私でも力になれることがありましたらいつでも仰ってくださいね。 鷹野(ナース): くすくす……ありがとうございます。お心遣い、とても頼もしいですわ。 とりあえず笑みを作りながら、私は社交辞令的にそう返す。 私が入江に頼るようなことは、少なくとも業務外だとおそらくないと思う。……が、あえて拒絶する必要もないだろう。 鷹野(ナース): ……。大人への憧れ、か……。 入江: ……? 何か仰いましたか、鷹野さん? 独り言のつもりで呟いたのだけど、うっかり入江の耳に届いてしまったのかそんな問いかけが戻ってくる。 さすがに迂闊だったと悔やみ、「なんでもない」とごまかそうとしたが……。 なんとなく私の口をついて出たのは、まったく別の言葉だった。 鷹野(ナース): ……入江先生。あなたは医学を志していた時に、憧れた先生や先輩はいましたか? 入江: えっ、あ……憧れの先生や先輩、ですか?そ、そうですね……。 入江: …………。 入江: もちろんいましたよ。外科手術というのは経験や知識だけでは補ったり、凌駕したりできない技術や判断力を要求されるので。 入江: 手術の現場において、彼らにはとても敵わないと衝撃を受けて、圧倒され……自分の今後や適正について、本気で悩んだこともありました。 鷹野(ナース): ……そうでしたか。精神外科の学会で名を馳せた入江先生にも、そんな頃があったのですね。 入江: えぇ、まぁ……。鷹野さんは、どうだったんですか? 鷹野(ナース): …………。 鷹野(ナース): 私にとって医学は、自分の夢を叶えるために必要な道具であり……肩書きでした。 鷹野(ナース): だから、誰が優秀だとかは特に興味がなく……ただひたすら、自分の目の前の知識や技術を磨くだけで精一杯でしたわ。 入江: はは、なるほど……さすがは才媛と誉れ高く、このプロジェクトの責任者として任ぜられたお方というわけですね。 鷹野(ナース): くす……ありがとうございます。私の場合は優秀でいたいという単なる競争心ではなく、優秀であってこそ夢に近づく、と信じていたのです。 鷹野(ナース): そういう意味では、他の同級生や研究生たちがどんなことを勉強しているのか、あるいは何の能力を持っていたのかについては……まるで無関心でした。 鷹野(ナース): ……。ですが、今になって思うとそれは少しもったいなかったのかもしれませんわ。 入江: えっ……? 鷹野(ナース): 大学で過ごした日々のことです。私はひたすら勉学に励み、優秀な成績を評価されて多くのツテを手に入れました。 鷹野(ナース): 資金援助に、許認可の窓口。そしてこの#p雛見沢#sひなみざわ#rを研究するために必要な、ありとあらゆる免罪符と……力。 鷹野(ナース): そのことについて、後悔の思いは全くない。今の立場を悔やむことも、この道を選んだ自分の判断についても、不平不満はありません。 鷹野(ナース): ですが……それは逆に言うと、自分の勉学だけでは得られなかったであろう知識や技術以外を手に入れる機会を、失っていた……。 鷹野(ナース): その結果として、今の研究に役立っていたかもしれない要素に気づかず、存在しないものとして扱って、視野を狭めてしまった……。 鷹野(ナース): だから、私の目の前に立ち塞がっている現状の「困難」は、私のこれまでの姿勢がそうさせてしまったのかも……と……。 入江: 鷹野さん、それは……。 鷹野(ナース): ……。申し訳ありません、入江先生。埒もないことを申し上げました。この場限りで忘れていただけると、嬉しいですわ。 入江: …………。 鷹野(ナース): 私とて『東京』のお偉方の決定に、今さら異を唱えるつもりはありません。すでにもう、覚悟もできています。 鷹野(ナース): だから……今言ったことは、単なる戯れ言。愚痴と思っていただいて、結構です。 入江: ……。わかりました。あなたがそう仰るのであれば、私から申し上げるべきことは何もありません。 入江: ただ、……それでも、鷹野さん。今の研究を無に帰さない方法があるのだとしたら、私は……それを、っ? 鷹野(ナース): ……電話?……はい、もしもし……? …………。 鷹野(ナース): えっ……私が……?! Part 03: 美雪(白うさぎ): ?……どうしたんですか、富竹さん。なんだか落ち着かない感じですねー。 富竹: あ、いや……そんなことはないよ。僕はいつも通りの僕さ。は、はは……。 詩音(魔女): くっくっくっ……無理しなくてもいいんですよ。鷹野さんがどんな感じの衣装で出てくるのか、気になって仕方がないんですよね? 富竹: ま、まぁ……それも確かにあるんだけどね。ただ、正直に言ってしまうと意外だったんだよ。 富竹: 鷹野さんは、こういう催し物に参加するのがあまり好きなタイプじゃないと思っていたからね。 富竹: それに、「あんなこと」があって以来彼女は元気がなくて……どうやって励まそうか、と頭を悩ませていたくらいだったのに……。 一穂(アリス): ……?あの、「あんなこと」ってなんですか……? 富竹: あ、いや……プライベートの話だ、気にしないでくれ。 富竹: まぁ、それはともかく……いったい、どうやって説得したんだい? 魅音(魔女): 説得も何も、菜央ちゃんが電話をかけて女王の衣装に似合いそうなのは鷹野さんだけだから出てくれないか、って頼んだだけだよ。だよね? 菜央(マッドハッター): えぇ。最初は驚いてたけど、ちゃんと話をしたら快く引き受けてくれたわ。 富竹: そ、そうなんだ……。 魅音(魔女): それじゃ、ハートの女王の初お披露目だね。鷹野さん、準備はいいですかー? 鷹野(アリス): えぇ……いつでもいいわよ。 魅音(魔女): では! 童話アリスのラスボス、ハートの女王様のご登場です……どうぞっ! 鷹野(アリス): そうやって改まった紹介をされると、さすがに少し気恥ずかしいわね。……どうかしら、ジロウさん? 富竹: ――――。 鷹野(アリス): ジロウさん? 富竹: ――――。 梨花(堕天使): つん、つん……立ったままKOされているのですよ。 千雨: ったく、しょうがねぇな。……そらっ、しっかりしろ富竹さん! 富竹: ――はっ?!ぼ、僕はいったい……っ? 鷹野(アリス): もう……どうしたのよ、ジロウさん。顔を合わせるなり意識を失うなんて、そんなに私のこの格好が似合っていないってことなの? 富竹: いっ……いやいやいやいやいやッッ!!そ、そんなことがあるわけがない……似合うよ、とっても似合っている! 富竹: ただ、そんなに……その……素肌があらわになっている美しいドレスだとは思わなくて……っ……。 鷹野(アリス): くすくす……だって、悪の女王ですもの。これくらいの妖艶さがないと、他との区別がつかなくなってしまうでしょう? 圭一(トランプ): 確かに、鷹野さんの言う通りだ。……けど、なんで悪の女王って善のキャラよりも扇情的な衣装で出てくることが多いんだろうな。 鷹野(アリス): 清純で若い女の子にとって、大人っぽさは憧れと同時に、脅威でもあるからじゃないかしら。 鷹野(アリス): そういう意味では、私にはぴったりの役回りなのかもしれないわね……くすくす! 魅音(魔女): それじゃ、そろそろ本番開始だ!みんな、よろしく頼むよー!! 一同: おおおぉぉぉぉおおおおぉっっ!! 鷹野(アリス): 愚か者が……!この私の前で無様な真似をする者は許さないわ! 鷹野(アリス): さぁトランプ兵、首をはねなさい!女王の命令は、絶対なのよ?! 千雨: いや、自分で女王って言うか……? 美雪(白うさぎ): なんか、ノリノリだねー。キャラにはまってる感じで……とても即興とは思えないよ。 一穂(アリス): …………。 美雪(白うさぎ): んー、どうしたの一穂?浮かない顔をしてるけど、何か気になることでも? 一穂(アリス): あ……ううん、なんでもない。ごめんなさい。 千雨: ……? 一穂(アリス): (……気のせいかな。鷹野さんのあの感じって、吹っ切れたというか何かの決意を固めたような……) 一穂(アリス): (すごく、危ない……感じがするんだけど……)