Part 01: ……線香の匂いは、私にとって普段から嗅ぎ慣れたものだった。 10年前にお父さんが#p雛見沢#sひなみざわ#rで失踪して、死亡宣告をされて以来……遺影に備えた線香にはなるべく火を絶やさずにいたからだ。 雪絵: 『お父さんが家に戻りたくなった時、帰る場所がわからないと困ってしまうでしょう……?』 お父さんの遺体はまだ発見されていないけど、魂はこの世に残っているかもしれないから……お母さんはそう言って、線香を立て続けた。 なので私の家は、いつもお香の臭いに包まれていた。もちろん、それを変だとは一度も思ったことがなかった。 美雪: (でも……他の人の家で嗅ぐと、やっぱり雰囲気が変わったように感じるよね……) 普段の千雨の家は、蔵書が多いせいかほのかに紙とインクの臭いがしていた。もしくは、金属的な何か……。 だけどここしばらくは、ずっと私の家と同じく線香の香りが漂っている。……それが重い空気のように感じられて、息苦しさを覚えずにはいられなかった。 美雪: (まだ……実感が沸かないな。千雨のとこのおじさんが、本当に死んだなんて……) 千雨の父親……黒沢進刑事がバラバラ殺人事件の被害者として発見されてから、今日でほぼ1ヶ月。 司法解剖による様々な検査がようやく終わり、葬儀が行われたのは数日前のことだ。 当然のことながら、その間も捜査は続けられた。現場周辺での情報収集はもちろんのこと、大勢の捜査員を使っての関係者への聞き込み。 そして捜査対象は、被害者本人の自宅でもしっかりと行われて……その結果……。 千雨: 組織的犯罪を企てた連中の家宅捜索でもないのに、ここまでやる必要があったのか……? 遺族である千雨に課せられた次の苦難は、捜査員と鑑識によって「とても熱心に」荒らされた両親の寝室の片付け作業だった。 美雪: みんな絶対犯人を捕まえてやる、って息巻いてたけど、後のことも考えてほしいよね……。 本棚の本は順番など関係なしに積み上げられて、空っぽの押し入れの前には不要とされた品々が乱雑に押し込まれている。 捜査に繋がる可能性のあるものは一応全部警察関係者の手によって持ち出されたのだが、それがつい先日にまとめて戻ってきて……。 おかげで部屋の中は、段ボールだの何だので大変散らかっていた。 美雪: さすがに、千雨の部屋やお母さんの持ち物は触らないでくれたみたいだね……。 千雨: 何か見つけた時は、連絡をきちんとした上で必ず提出するように、って約束させられたけどな。プライバシーも何もあったもんじゃない。 千雨: 泥棒に入られた家の住人が、警察の捜査手法が気に入らなくて激怒したって話を以前に聞いたことがあったよな。 千雨: あの時は捜査なんだから仕方ないだろうが、って思ったが……なるほど、確かに気持ちはわかった。 美雪: 実際にされる側にならないと、わからないことってあるんだねー。私も気をつけないと。 捜査において、被害者側からの信頼は必須要素だ。協力を得られなければ、途端に難易度が増す。 たとえ人情的になる必要はないとしても、捜査側以外の立場と心理をよく理解しなければいけない。犯人#p然#sしか#rり、目撃者然り……そして、被害者もだ。 千雨: ……すまん、美雪。親父の一件で、母さんの心労が酷いことには一応気づいてたんだが……。 千雨: 正直、入院するほど体調を崩すとは思わなかった。母さんってあぁ見えて、これまで病気知らずの人だったからな。 美雪: あはは、気にしないで。千雨のお母さんには昔からお世話になってるし、こんなことでもないと恩返しなんてできないよ。 美雪: それに、部屋の片付けってひとりでやると気が散っちゃうからさ。ほら、片付けてる途中でマンガに手が伸びちゃったりとか……。 美雪: だったら、こうやってお互いを見張り合って手分けしてやったほうが絶対早いはずでしょ? 千雨: ……まぁな。 美雪: あと、空き巣捜査で指紋を採取した家が粉だらけになったって話を聞いたことがあるけど……。 美雪: それに比べたら、今回は掃除してからものを元に戻すだけだし、楽勝楽勝! 千雨: ありがとな……美雪。 そう言って千雨は、やや苦笑気味ながらも口元をほころばせてくれる。 美雪: (……。千雨がこんな表情をするところって、できればずっと見たくなかったなぁ……) 千雨はいつも、強さに満ちていた。どんなに苦しくて辛くても、それを内に秘めて前に進む力と覚悟のある女の子だった。 それが、今……少し力を加えただけで折れてしまうかと思えるほどに弱々しくて、悲しげな顔をしている。 じっと見ていると、その気持ちが伝わって目頭が熱くなってきそうで……だから……。 それを振り払うつもりで、元気に明るく振る舞ってみせる。……手伝いを引き受けた時から、私はそう決めていた。 美雪: (2人が仲違いしたのは、千雨が私のせいで格闘技をやめちゃって……そのことが発端になったわけだしね) わざとらしい空元気かもしれないが、親子を仲違いさせたという負い目がある以上……私まで落ち込むわけにはいかなかった。 美雪: にしても……黒沢のおじさんって、あまり私物を持たないタイプだったんだね。 美雪: おかげで片付けるものが少なくて、わりと楽だけど……なんか、ちょっと意外だよ。 千雨: 基本的に、仕事と関係のないものにはあまり興味がなかったみたいだからな。 千雨: 酒もタバコも麻雀も、あくまで仕事の付き合いの延長だった。好き好んでやってたわけじゃない。 美雪: あはは。だから団地内で卓を囲んだ時は、カモ扱いされてたんだねー。 千雨: そういうことだ。で、らしい趣味ってのは……こいつくらいだな。 「こいつ」と言った千雨の視線の先にあるのは、事務机の上に置かれたテレビに似たモニターとそれに繋がっている機械たちだ。 わりと和風系の家具や調度品が揃っているだけに、それはいかにも「場違い感」を醸し出していた。 美雪: まぁ夫婦の寝室なんて、普通は子どもなんかがおいそれと入ったりしないってのもあるけど……おじさんがパソコンを持ってるなんて、知らなかったよ。 千雨: パソコンじゃなくてワークステーション、だそうだ。最近発売されたばかりの外国製だし、買ったことも家族以外だと誰も知らないからな。 千雨: 目につかないよう、死体でも運んでるのかってレベルでこっそりと慎重に運び込んでたほどだ。……端で見てて、怪しいことこの上なかったな。 美雪: えーっと……なんでそこまで?たとえ高価だからって、警察官だらけの団地に盗みに入るどアホウがいるとでも思ってたの? 千雨: 母さんに、誰にも知られるなって厳命されてたんだよ。……見つかったら、なんて言われるかわからないしな。 美雪: 誰に? 何を言われるっての? 千雨: パソコンオタクってのは、変わり者の代名詞だ。……お前だって、聞いたことくらいはあるだろ? 美雪: あー……うん。映画とかドラマとかだと、そういうキャラクターが多いよね。 千雨: 母さんも、読書オタクから司書になったんだが……昔は両親から、色々と言われたらしい。 千雨: だから、変なレッテルを家族ぐるみで貼られたりしないように……ってことなんだろう。 千雨もサメ好きの趣味を散々からかわれたことで、覚えがあるのか……渋い顔でため息をついている。 ……何かに夢中になっている人が第三者の目に酷く滑稽、奇異に見えてしまうのは、今も昔もそう変わらないようだ。 千雨: みんなからは美女と野獣夫婦、なんざ呼ばれてたが機械オタクと読書オタクの似た者夫婦だったんだよ。……うちの親はさ。 美雪: で、娘はサメオタクだしねー。 千雨: あぁ。そのくせに娘の趣味には、両人揃って難色を示してくるってのが余計に腹立つんだけどな。 美雪: 自分たちがした苦労を、子どもにはさせたくなかった……ってことじゃない? 千雨: どうだろうな……。亡くなる前でも親父のやつは休日になると秋葉原へ行って、高いものを買って母さんを激怒させたことがあったからな。 千雨: 私が散財したら、過去の自分の散財も蒸し返されるから……もっと金のかからない趣味にしてほしかっただけじゃないかな、大方のところは。 美雪: まぁ、どんな趣味も極めようとすればお金がかかるから……五十歩百歩だと思うけどさ。 美雪: ……けど、すごいよね。確かこのパソコンって、軽自動車が買えるくらいの値段とかじゃなかったっけ? 千雨: だからパソコンじゃなくて、ワークステーションだ。何度も言わせるな。 美雪: ……ごめん、違いがわかんない。 千雨: 安心しろ、私もだ。少しだけ触ってはみたが、さっぱりだった。 美雪: 千雨って、動かし方がわかるの? 千雨: いや、全然。一応電源を入れることだけはやってみたが、その先のパスワード入力画面で降参だ。 美雪: つまり……映画みたいにパスワードを入力しないと中身が見られないってこと? 千雨: の、ようだ。色々と適当なキーワードを入れてみたが、全部綺麗に弾かれた。文字通りのブラックボックスだ。 電源が消え、すんっと取り澄ましたようなまっ暗な液晶画面を見つめる。 美雪: ……パスワードでロックしてるってことは、もしかしたらこの中に重要な証拠資料とかが入ってる可能性だってあるんじゃない? 千雨: 可能性としては高いが、現状だとどうしようもないな。捜査本部の渡部さんが試してもお手上げだったそうだ。 千雨: 下手に鑑識とかに運んで、運搬中に壊れても困るからしばらくうちに置いといてくれ……だとよ。 美雪: 確かに……パソコンに詳しい人がいるならまだしも、そうじゃないなら無闇に動かさない方がいいかもね。 美雪: で……そういった知識や技術を持ってる人って、知り合いのどこかにいたりしないの? 千雨: 渡部さんの知り合いの中には、そっち系に詳しい「オタク」がいたらしいが……どっかに飛ばされて連絡がつかないらしい。 千雨: だからまぁ、しばらくは保留ってわけだ。 美雪: んー、やっぱり今の警察組織だとパソコンに詳しい人って限られてるんだね。 千雨: そりゃまぁ、こういう機械類は高いからな。 美雪: 高いのは仕方ないけど……それこそ映画みたいに今後パソコンを使ったハイテク犯罪が増えてきたら、かなり困ったことになりそうだよ。 千雨: 日本の犯罪者ってのは大抵、効率主義で刹那的発想だ。初期投資が高額なSF的なサイバー犯罪に手を出すとは、ちょっと思えない。 千雨: 大規模な犯罪組織が生まれやすい外国ならまだしも、当分の間はまぁ……大丈夫だろう。 千雨: 安くて使いやすい家庭用パソコンとかが発売されたら、話は変わってくるだろうが……そんなものを家に置いていったい何の役に立つんだって話だしな。 美雪: んー、そうかなぁ?何の役に立つのか、ってのはできることの数次第で結構意味合いが変わってくるんじゃない? 美雪: 海外のニュースとかでやってたよ。ソフトの技術革新はすごい速さで進んでるそうだから、うかうかしてる場合じゃないと思うんだけど……。 千雨: ……。なぁ、美雪。 美雪: んー? 千雨: お前、親父から何かそれっぽい話を聞いたりしてないか? 美雪: それって、パスワードとかで……? こく、と頷かれて考えてはみるものの……。 美雪: ……うーん、ちょっと覚えがないかな。ここ最近は、おじさんとあまり話をしてなかったし。 千雨: まぁ、そうだよな……じゃあ……。 千雨はそこでいったん言葉を切り、少し緊張した面持ちで再び口を開いていった。 千雨: 『110 A-IV』……って、知ってるか? 美雪: えっ……なに、どういう意味? 千雨: わからん。 美雪: いや、わからんって……からかってる? 千雨: 違う。さっき言った渡部さんがな……ワークステーションをのっけてる、その机だ。 千雨: そこの引き出しの二重底の中に、小さい手帳が入ってたのを見つけたんだよ。 美雪: この机……二重底なんてあったの? 千雨: 母さんも私も知らなかった。……どうも買った後で、親父が改造したらしい。 千雨: で、隠されてた手帳の最後のページに赤いペンで書いてあったんだと。 千雨: 『110 #pA-I#sアイ#rV#p#sブイ#r』……って。 美雪: それ……おじさんが残したメッセージ? 千雨: いや、違う。 美雪: えっ? 千雨: 手帳そのものは、親父のものだ。母さんも確認したから、間違いない。 千雨: ……ただ、最後のページのやつは親父の字じゃないってよ。 美雪: そうなの? 千雨: 母さんとの婚姻届を提出した時に字が読めなくて、役所の人に書き直せと言われたほど親父は悪筆だった。……別人と間違えるのは、ちょっと考えられない。 美雪: じゃあ、その最後の手帳の文字は誰の……? 千雨: さぁな。捜査本部でも調べてくれてるが、誰の文字かも内容もさっぱり不明らしい。 美雪: …………。 奥さんが仕事に、千雨が学校へ行っていて……非番の昼間であれば、机を改造する時間はある。 問題は、なぜそこまでして……そして何を隠したのかという理由だった。 美雪: じゃあ、『110 A-IV』の意味がわかったら……。 美雪: おじさんが殺された理由も……わかったりするのかな? 千雨: そうだな……。 おそるおそる切り出した私の問いに、千雨は寝不足気味の目元を細めて。 千雨: まぁ……犯人がわかるかまではともかく……。 千雨: 親父がバラバラにされた理由くらいは、つかめるかもしれないな。 そう答えた千雨の声には、久しぶりに聞く生きた温度があった。 ……それが、きっかけ。 その日こそ、私たちが雛見沢の謎に挑むことを決めた……始まりの時。 今度は私が親友の元気を取り戻す番だと、決意を固めた日のことだった。 Part 02: 『110 A-IV』の文字が、千雨のおじさんの手帳にも書かれていたキーワードだと、私は説明する。 それを聞いたみんなは一様に驚き、改めてその文字に目を走らせていた。 ……そう。謎のキーワードには違いなくても、これは唐突に現れたものではない。 #p雛見沢#sひなみざわ#rの謎を追って、殺された刑事が残した手帳にあったものと同じとなれば、その重みが変わってくる……! 美雪(私服): それにこれ、おそらくだけど……お父さんの字だと思う。 菜央(私服(二部)): なっ……それ、本当なの?! 美雪(私服): 確証はない……けど、私の字と似てる。以前お母さんから、お父さんに似てるって言われたことがあったから。 千雨: 言われてみれば、このクセのない感じは美雪の字に似てるな……でも、どうしてこれがこの本に書かれてるんだ? テーブルの真ん中に置いた本を手に取り、無言でパラパラとページをめくる。 しかし、何度確認しても最後の1ページ以外に文字はなく……ただただ空白が続いていた。 魅音(25歳): 書いてあるのは、このページだけみたいだね。 巴: 『110 A-IV』……普通に考えたら、110番は警察を示す電話番号よね。 巴: でも、その後にある「A-IV」は何を示してるのかしら。 美雪(私服): 私たちの推理も、ずっとそこで止まってたんです。他に何か連想するようなメモとかがないか、って探してみたんですが、全く見当たらなくて……。 魅音(25歳): じゃあ、これがさっきの話にあったパソコンのパスワードだった……とか?! 千雨: パソコンじゃなくて、ワークステーションな。私たちも最初はそう思って、入力の仕方を色々と変えてやってみたんだが……ダメだった。 巴: そうなの? うちの機械に詳しい子が言うところだと、端末のパスワードを紙媒体に書いて近い場所に隠すってよくあることらしいんだけど。 千雨: そうかもしれません。あと、パスワードは英字と数字しか使用できないとのことなので……考えられる組み合わせは全部試しました。 美雪(私服): でも、ダメだったんだよね……。 巴: じゃあ日常生活の会話の中で、今のキーワードを連想させるような単語を聞いたこととかは……? 千雨: いえ……ありません。ワークステーションの話題は母さんにとって逆鱗に近かったので、親父も避けていました。 菜央(私服(二部)): 『110 A-IV』がパスワードじゃないなら……いったい何なのかしら? 魅音(25歳): あ、機械じゃなくて……対人への合い言葉じゃない?山に川って返すみたいに、誰かに『110 A-IV』って言ったらパスワードを教えてくれる、とか……。 比護: 忍者の暗号……? 千雨: そういう相手も、残念だが心当たりがない……親父が構えることなく仲良くしてた相手ってのは、美雪の親父さんくらいだったそうだからな。 美雪(私服): …………。 灯: ふむ……。とはいえ、声に出すこと前提の暗号なら真ん中の長棒は要らない気がするんだが……どうだろう? #p秋武麗#sあきたけうらら#r: 確かに違和感はある……けど、それだけだと攻め込みようがないわね。 あまりにもとりつく島が見当たらなくて……全員の声のトーンがだんだんと落ちてくる。 美雪(私服): (……私も千雨も、ずっと考え続けてたんだ。それこそ何百何千、何万回も……!) でも、何ひとつわからず……とっかかりも得られなかった。 だから私はいったんこのキーワードを頭の片隅に追いやって……直接雛見沢へと向かうことを決めたのだ。 菜央(私服(二部)): ……美雪。もう一度本を見せて。 美雪(私服): えっ……? あ、うん。 どこか諦めムードが漂う中、菜央がキーワードが書かれた本のページを開いたままテーブルに置き、息を殺しながら顔を近づける。 そして、しばらく見つめてから……わずかに目をしばたかせ、顔を上げていった。 菜央(私服(二部)): ねぇ。「I」の文字の左下に「♯」みたいな文字が小さく見えるんだけど……。 菜央(私服(二部)): これって、汚れとか書き間違いとかじゃないわよね? 美雪(私服): 「♯」……? 私も同じように顔を近づけて、目をこらす……と。 美雪(私服): あ……本当だ。確かに「♯」っぽい。 千雨: 親父のデスク内にあった手帳にはなかった……と思う。でなければ、さすがに親父の同僚が指摘してるはずだ。 美雪(私服): つまりこれは、私のお父さんが後から付け加えた文字……ってこと? 千雨: だろうな……だが、どういう意味だ? 比護: 普通に考えたら、音楽記号……この形ならプッシュホンの可能性もあるが。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: でも、それだったら数字の前に書かないと意味がないんじゃないかな。 魅音(25歳): 「♯」……か。何か、他に意味があったりする? たった1文字。でもその増えた1文字には、何か意味があるのだ。 美雪(私服): (……「♯」? 何なの、わかんないよ……!どういう意味だったのかちゃんと書いて教えてよ、お父さん……!) 手がかりとはとても呼べない増えた1文字の意味を考えて、わからなくて……全員が再び頭を抱える。 と、そんな中……再び菜央が口を開いていった。 菜央(私服(二部)): 美雪……これを書いたのって、あんたのお父さんって考えてもいいのよね? 美雪(私服): あ、うん。あくまでもその可能性が高い、って話ではあるんだけど……。 菜央(私服(二部)): ……美雪のお父さんって、音楽が好きなの?それとも、何か楽器をやってたとか? 美雪(私服): え……? いや、音楽はやってないと思う。 美雪(私服): 人並みに好きな歌はあったと思うけど、楽器をやってたとかそういう話はお母さんや同僚の人からも聞いたことがないよ。 千雨: 私の親父もだ。社宅だと、楽器とかをやってる連中がつるんだりしてたが……そっちと交流があった様子はたぶんなかったと思うぞ。 菜央(私服(二部)): それって……確実なの?千雨のお父さんの趣味みたいに、他の人には隠してたって可能性はゼロでいいのよね? 千雨: あ……あぁ。当時は社宅のあっちこっちで親父たちの話を根掘り葉掘りで聞き回ってたから、ほぼ間違いないと思う。……それがどうした? 妙に念押しする姿勢に、私と千雨も戸惑いを隠せずにいると……菜央は小さな指でシャープを指さした。 菜央(私服(二部)): 例えば、これが美雪……そうじゃなくても誰かに何かを伝えるためのメッセージだとするでしょう? 菜央(私服(二部)): でも、これを書いた人って時間をかけてじっくり考えたんじゃなくて……筆跡的にもとっさに考えて書いたって感じがするの。 美雪(私服): ……なるほど。確かに走り書きっぽいよね。 菜央(私服(二部)): でしょ? あたしが急いで暗号を残すなら自分が特に好きなものや詳しかったものに関係した文字とかにすると思うのよ。 美雪(私服): ……暗号を作るなら、キミの場合だとゲームとか手芸関係にするってこと? 菜央(私服(二部)): えぇ。だってその方が思いつきやすいし、美雪もすぐにわかってくれるでしょう? 巴: 確かに。クイズが趣味とかじゃなければ、自分が持っている知識に基づいた暗号にするのが反射的かつ当然の流れでしょうね。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: で、音楽に詳しくない人間がとっさに選んだ暗号が、音楽関係の記号……? 菜央(私服(二部)): 参考までに聞くけど……美雪のお父さんの、好きなものって何? 美雪(私服): 学生時代から、麻雀が好きだったって。あと、学生時代に山岳部だったのと、お酒に強かったのと……えっと、それくらい? 千雨: ……。音楽、全く関係がないな。 美雪(私服): そうなんだよね……。 灯: ……『アーカイブ』。 美雪(私服): えっ……? 最初、あまりにも小声で突然言われたので何を言われたのか……よくわからなかった。 だけど、思わず反射的に顔を本からあげると、いつも笑顔の灯さんの真剣な瞳とぶつかった。 灯: 『#parchive#sアーカイブ#r』。日本語だと一般的に『書庫』とか、『保存記録』とかで訳されるね。 灯: 他には公文書などの保存所、履歴……情報の集積地。そういった意味の言葉だ。 千雨: っ……なんでいきなり、そんな言葉が出てきたんだ? 灯: おそらくだが、これは「♯」じゃない。 灯: 「カイ」だ。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: 「カイ」……? あっ、麻雀だから? 姉の秋武さんは、すぐにわかったようだ。……ただ、彼女を除く私たち全員は理解できず、首を傾げるだけ。 美雪(私服): (「カイ」……麻雀で……カイ……?) 美雪(私服): あ……! 美雪・千雨・魅音・巴: 『#p開門#sカイメン#r』?! 菜央・比護: 『#p開門#sカイメン#r』……? 閃いた私たち4人は、同時に声をあげる。ただ、菜央と比護さんはまだピンと来ていないのか不思議そうに首を傾げるだけだった。 菜央(私服(二部)): ねぇ美雪、『#p開門#sカイメン#r』って……? 美雪(私服): 麻雀は始める時に、牌山……2段に積んだ4つの山のどこから手持ちの牌を取るのか、それを決めるためにサイコロを振るんだよ。 灯: トランプで例えるなら、カードの山を4つに分けてどこの山からみんなに手札として配りはじめるか、サイコロを振って決めるって感じにね。 灯: その作業を、『#p開門#sカイメン#r』と呼ぶ。そして中国語で、『開』の字は……こう書くんだ。 比護さんに渡された手近な紙とペンを受け取り、灯さんが筆を走らせてできあがったのは……。 菜央(私服(二部)): この形、シャープに似てる……?! 菜央(私服(二部)): いや、さっきのは上がちょっと突き抜けてたわよね。あれはもしかして、書いてて勢いが余ったせい? 灯: おそらく、その可能性が高いと思う。 灯: 赤坂刑事が麻雀にどっぷりハマってたなら、中国語でこう書くと知っていてもおかしくない。なんせ麻雀の本場だからね。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: 『開門』は本場だと別の読み方の場合もあるけど、身近で中国語に詳しい人がいないなら……日本語読みか麻雀用語の#p開門#sカイメン#r読みだろうね。 灯: どちらにせよ、カイは同じだ。だからこの記号を「カイ」と読み、『A-カイIV』の他の文字をそのままローマ字として読んでみると……。 美雪(私服): 『アーカイブ』……! 美雪(私服): (この人、英語だけじゃなくて中国語もいけるの?!) 理解不能だった文字列が意味が通じる言葉になった事実と、灯さんが複数言語に精通している様に私は驚愕を覚える。 だけど、当の本人は特に感慨もなさそうな顔で呟いた。 灯: もちろん、確証はない。全ては憶測だ。 灯: だが、赤坂さんが麻雀を好んでいたのであればこう読む可能性は皆無ではない……と思う。 巴: じゃあひとまず、灯の仮定を軸に進めていきましょう。他に思いついたら、その時はまた考えればいいわ。 灯: ゆぷぃ……となると、次は本題の『110 A-IV』だ。先程の「カイ」が後付けされたものなら、この文章単体で何らかの意味が成立している気がする。 千雨: また、麻雀に関する何かか……? 魅音(25歳): 麻雀絡みなら、アルファベットを混ぜるのはおかしいんじゃない? 美雪(私服): ……図書館の本の分類法って、3ケタの数字じゃなかったっけ? 美雪(私服): この暗号が千雨のお父さんに当てたものなら、お母さんが司書だし、何か関係ある……かな。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: 110番台は『哲学各論』だけど……末尾0は分類のインデックス扱いだから、それだと哲学書全般を指すことになるよ。 比護: ……範囲が広すぎる。 千雨: そもそも、この暗号を最初に考えたのは誰なんだ……?うちの親父か? 美雪の親父か? それとも第三者か? 千雨: さっきの菜央ちゃんの話を考えると、それによって見方がかなり変わってくるぞ。 菜央(私服(二部)): そもそも、この暗号を誰に解いてほしかったのかしら。それによって解き方も変わってくるかも……かも。 魅音(25歳): とりあえず今は、第三者であっても辿り着けるものだって信じて解くしかない……あっ、ポケベルの文字はどう? 魅音(25歳): 私は持っていないからよく知らないけど……あれって数字を組み合わせ言葉にするんだよね? 千雨: ポケベルは数字2つで、1文字を作る。……これだと1文字が足りないな。 美雪(私服): それにこの暗号って、昭和58年のお父さんが書き足したってことは少なくとも10年前……昭和58年に存在してたんじゃないかな。 美雪(私服): あの頃って、まだポケベルは一般的じゃなかったから……違うと思う。 比護: だとすると、昭和58年の価値観で考えた方が……内線番号は? 巴: 可能性はあるけど、美雪さんのお父さんが残した『アーカイブ』の文字と意味が繋がらないわね。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: でも『A-IV』がビルの名前や施設を示しているなら、内線番号で部屋を指している可能性は……。 灯: ……。あっ――。 その瞬間、全員の視線が再び灯さんへと向けられた。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: あーちゃん、何か思いついたの? 魅音(25歳): 何? 何のこと?もったいぶってないで教えてよ! 灯: いや……すまない。今のみんなの話を聞いて、なんとなくパッと思いついた憶測なんだが……。 まだ確信にまでは至っていないのか……灯さんは高揚感や達成感を見せることなく、むしろ彼女にしては珍しいほど遠慮がちに。 灯: 郵便番号、の上3桁……なんてのはどうだろう? 美雪(私服): ……っ……?! 灯: 郵便番号なら、ハイフンは必須だろう? 菜央(私服(二部)): あっ……?! 魅音(25歳): 確かに……そっちは盲点だった!そして、100番台の番号と言えば……東京都ッ! 巴: 秋武っ!書庫から郵便局の冊子を持ってきて!大至急ッッ!! #p秋武麗#sあきたけうらら#r: は……はいっ! Part 03: #p秋武麗#sあきたけうらら#r: ……郵便番号簿、持ってきました! 巴: ありがとうっ。 秋武さんが部屋を飛び出してから、数分後――。 汗を額に滲ませながら館長室に戻って来た彼女から郵便局の冊子を受った南井さんは、素早くページをめくり始めた。 巴: 『110』の番号は……東京都の台東区、ね。とはいえ、これだけだったら範囲が広すぎて探しようがないわ。 比護: ……台東区の地図、出します。 比護さんが館長室の本棚から、折りたたまれて冊子状になった地図を取り出し……テーブルを埋めるように広げる。 ふわりと漂うインクの匂いが霧散するより早く、私たちは血走った目で地図をのぞき込んでいった。 美雪(私服): (台東区は山手線なら、日暮里・鶯谷・上野・御徒町……) 魅音(25歳): 台東区って……秋葉原が近いんだね?私、ここのホビーショップで洋ゲーを通販で買ったりしていたよ。 ここ、と魅音が指さしたのは地図の端っこに描かれた秋葉原のメインストリートから少し外れた場所だ。 美雪(私服): (秋葉原……あっ?!) 美雪(私服): もしかして……おじさんがこのキーワードで示したかったのって……。 美雪(私服): 自分にとって馴染み深いここに何かを隠した、って伝えたかったんじゃない?! 美雪(私服): もしかしたら、秋葉原のどこかにアーカイブって呼ぶ何かを隠したとか?! 千雨: あのな、美雪……秋葉原ってのは街ひとつとってもとんでもない広さなんだぞ。 千雨: 大小のビルが数え切れないほどあるし、ここ数年の間でもあちこちで建て替えが行われてる。 千雨: 人に預けたにせよ、どこかに隠したにせよ……特定なんてとてもじゃないができっこない。 美雪(私服): うっ……。 一瞬見えたと思った希望の光が即座に消され意気消沈する……と、私の隣で灯さんが呟いた。 灯: 物だとしたら……人に預けた可能性は低いと思う。 比護: 何故? #p秋武麗#sあきたけうらら#r: 黒沢刑事が亡くなって半年近く経過しているのに、仮称・アーカイブが遺族や警察の手に渡ってない事実を考えると、そうなるわ。 巴: そうね……私が黒沢刑事で、自分が殺される危険を想定した上で証拠か、それに繋がる手がかりを誰かに託したなら……。 巴: 死後も手がかりとして、どこかに届ける頼みもセットにするわ。 巴: だって、預けた人物の身まで危険にさらされるじゃない? 魅音(25歳): だとしたら、人じゃなくて場所に隠した……?アーカイブとやらの大きさはわからないけど、多分そこまで大きいものじゃないんじゃないかな。 魅音(25歳): となると最悪、建物が壊されて瓦礫ごとどこかに運ばれたかもしくは地面の底に埋められてその上に新しく建物がそびえ立っている……。 魅音(25歳): なんて可能性もあるかもだね。 千雨: あぁ……そうなったら、さすがに手が出せないな。 美雪(私服): ……110が郵便番号だとしたら、残りのIVでもっと範囲が絞れるはず。 美雪(私服): (IV……IVって何?! 何かの略称?!) 菜央(私服(二部)): …………やっぱり。 菜央が身を乗り出し、秋葉原付近を指さす。 菜央(私服(二部)): ねぇ、ここ見て。秋葉原の街があるところ。千代田区って書いてあるでしょう? 美雪(私服): あれ? 本当……。 菜央(私服(二部)): 前にお母さんに秋葉原は千代田区だって聞いたことがあるの。だから台東区に、秋葉原はない。となると……。 巴: ……いえ、あるわ。台東区にも秋葉原が。 否定した菜央の言葉をさらに否定した南井さんは、地図を見つめる。そして――。 巴: 台東区にも、ちゃんと「秋葉原」の地名を持つ場所があるのよ。 千雨: 区が違うのに……ですか? 巴: 区は違うわ。でも、そこも間違いなく秋葉原なの。前に近くの学校で防犯講習した時に教えてもらったのよ。 巴: ……そして、昭和から平成にかけて都市再開発が行われている中でも、手つかずのまま放置されている空き地がある。 巴: それは……。 南井さんより早く、灯さんの指がすっと秋葉原駅にほど近い山手線沿いのある場所を指し示した。 灯: ……ここだね、「東京都台東区秋葉原」。郵便番号110番が示す市区町村の中で、頭文字がAに該当するのは「秋葉原」しかない。 灯: そして、南井さんが言っていた空き地の住所番号は……。 灯さんが切りそろえられた短い爪の先で指していた数字は……「4」。 美雪(私服): ……えっ……4……? 美雪(私服): もしかして「#pI#sアイ#r」と「#pV#sブイ#r」ってそれぞれ独立したローマ字じゃなくて……。 美雪(私服): 「4」を示すローマ数字の「Ⅳ」だったってこと……?! 菜央(私服(二部)): 確かに、IとVを合体したら「Ⅳ」に見えるわ……! 見える……? いや、違う。 美雪(私服): (この一致具合、最初からそう書かれてたんだ!) 美雪(私服): (なのに、なんで私は読み間違えた……?いや、読み間違えたんじゃない!) 私たちが紙に書かれたこの文章を見るのは、今日が初めてだ。 私はこのキーワードを千雨から聞き、千雨はお父さんの手帳を見つけた刑事さんに……いや、その刑事も誰かから聞いたものかもしれない。 手帳の暗号を見た誰かが「#pI#sアイ#r」と「#pV#sブイ#r」と判断し、千雨はそれを口頭で聞き、私は千雨からそれを伝え聞いた。 美雪(私服): (伝言ゲームの途中で、元の出題が失われてたんだ……!) 実際の文字もなまじIVに見えるせいで、私たちの思い込みも相まって他の皆にも独立したローマ字だと誤解させてしまったのだ。 だけど、その思い込みが晴れた今となってはノートに書かれた文字は「#pI#sアイ#r」と「#pV#sブイ#r」ではなく、「Ⅳ」にしか見えなくなっていて……。 灯: 話を整理すると『110 A-IV』は、郵便番号110の台東区内のAから始まる秋葉原4。……そう読めなくはないと思うんだが。どうかな? 千雨: 理屈は、通ってる……いや。可能性として十分にあり得るぞ……ッ! たとえ、おじさんの秋葉原通いを知らなくてもなんとか答えに辿り着ける……でも知っていたら、もっと早く答えに辿り着ける。 そういう類いのキーワードだとしたら……! 千雨: ここに行けば、手がかりが見つかるかもしれない! 菜央・魅音: やったぁ!! 普段冷静な千雨の興奮した叫びとともに、魅音や菜央が歓喜の声をあげる。 はしゃぐ声を背中で受け止めながら、私は無言で地図を見つめ……涙をこらえていた。 美雪(私服): (おじさん……待たせて、ごめんね。やっと……やっと、見つけられるよ) ずっと解けなかった……でも、本当はすぐにでも解きたかった。 ずっとお世話になっていた千雨のお父さんが残したメッセージを、理解したくて……頑張った。 でも……どうやっても理解できなかった。 だから、しばらく考えないことにしたのだ。それ以外で、できることを探すためにも。 けど、いつかは解けないメッセージと……解けない自分と向き合わなければならないと思っていた。 それが、今……やっと……みんなのおかげで……ッ!! 美雪(私服): (お父さん……ありがとう。お父さんのおかげだよ) 目元がじんわりと熱さを帯びる中、左右からぽんと肩を叩かれる。 美雪(私服): 千雨……魅音。 菜央(私服(二部)): 美雪。 私と地図を置いたテーブルの間に滑り込むように、菜央が長い髪を揺らしながらどこか得意げに見上げてくる。 美雪(私服): (できれば、自力で答えに辿り着きたかったって思いもちょっとだけ、あるけど……) でも、自分の無力さに苛まれながらも他にできることを探したら……その間に出会った人々が、答えを導き出してくれた。 美雪(私服): (……なら、無駄じゃなかった。いや……) 本当に無駄じゃないと胸を張るためには、ここからだ……! 美雪(私服): (アーカイブを見つけて、おじさんやお父さんに胸を張るんだ!) 魅音(25歳): ……どうする?私たちが聞きたい言葉は、ひとつしかないけどさ。 美雪(私服): 決まってるよ……行こう、みんな! 巴: じゃあ、車を回してくれる? #p秋武麗#sあきたけうらら#r: はい。すぐに手配します。 比護: 大きいバンを押さえます。 灯: いってらっしゃい! お土産よろしくね! 美雪(私服): (……ん?) 謎が解けたという高揚感もあって熱い気持ちを弾ませていた私たちは、怪訝な思いを抱いてその声の主に振り返る。 それぞれが次の行動に移ろうとする中、灯さんだけは笑顔で私たちを見送ろうとしている。……だから、思わず千雨は尋ねかけていった。 千雨: ……おい?まさかあんた、同行しないつもりなのか? 灯: えっ? やや咎めるような思いも含まれたその問いに、彼女はきょとん、と目を瞬かせる。……そう言われることが、意外であるかのように。 灯: ぇ……一緒に行ってもいいのかい? 突如ケーキを差し出されて、喜びよりも驚きが勝った子どものような顔をしている。 南井さんがこの件に関わる許可を出している以上、こちらに拒否権はないと思っていたのだけど……当の本人が乗ってこないのは想定外だったのだ。 美雪(私服): (今さら遠慮? てっきり、拒否しても強引についてくると思ってたのに……) 魅音(25歳): えっ、なに? あんた来ないの? 灯: いや……さっき私はなんでここにいると尋ねられて野次馬だと言って千雨くんに帰れと言われただろう? 灯: 実はあれから、一生懸命理屈を捏ねてはみたんだが……黒沢氏の死に関して私は、野次馬以外の何者でもない。 灯: 父親を殺害されたあげくバラバラにされ傷ついた娘さんが、私のような無関係な存在にむやみに関わられたくないと拒否するのは至極当然のことだ。うん。 灯: だから、黒沢氏が残した暗号の確認についてはさすがに同行を遠慮したほうがいいかなぁって。そう思ったんだが……えっと、本当にいいのかい? 千雨: …………。 問いかけられて、千雨は黙り込んだ。 幼馴染みだからわかる……この沈黙は、確かにそうだなお前は来るなと拒絶しようとしている沈黙じゃない。むしろ……。 美雪(私服): (なんだろう……驚いてる、みたいな……?) 美雪(私服): 千雨……? 千雨: ……ぁ……。 声をかけてようやく我に返ったのか、千雨は私を見ると軽く目を伏せ、再び灯さんを見た。 千雨: ……あんたが部外者なのは事実だが、今回の親父の暗号に最初に気づいたのがあんただってことも、また事実だろうが。 千雨: 功績者を蔑ろにするほど、私は落ちぶれちゃいないつもりだ。 灯: いや……多分、話の流れ的に既にヒントは出揃っていたから私がいなくても誰かが答えに辿りついたと……わぅっ?! 魅音(25歳): なーに言っているのさ!関係者がいいっているんだから、いいんだよ! 魅音に肩を抱かれ、灯さんが派手によろめく。 灯: でも暗号を解けたのは、園崎先輩の「声に出して読む」がヒントになったおかげなんだ。 灯: 声に出すなら長棒は不要だろう?だとしたらこの長棒にはどんな意味があるか考え……むぎゅっ。 わしっ、と魅音に片手で口元を掴まれ、タコのように唇を歪めた灯さんに魅音がにんまりと笑いかける。 魅音(25歳): くっくっくっ……グダグダ言っているんじゃないよ。ここまで来れば一蓮托生! 野次馬じゃなくて私たちの仲間になりたいんなら、腹をくくりな! 魅音(25歳): いいよね、千雨っ! 千雨: 文句があるならとっくに言ってる。 魅音(25歳): だとさ! 魅音が口元から手を放し、にやりと笑う。 魅音(25歳): ほら、行くよっ! 灯: ……ゆぷぃ! Part 04: #p秋武麗#sあきたけうらら#r: ……はい、鍵が外れましたよ。 月明かりに照らされた銀色の細長い「道具」を、秋武さんが手にしてから約1分ほど……。 あまりにもあっさりと、目的地への侵入を阻む南京錠が外された。 巴: あんた……ピッキングなんて、どこで覚えたの? #p秋武麗#sあきたけうらら#r: 叔父に習いました。構造が理解できていれば、簡単ですよ。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: それに、例の空き巣から押収したこの鍵開け道具は使いやすくていいですね。……なるほど、今はこういうのがあるのか。 灯: いやー、これの元持ち主もまさかこんなふうに活用されるとは思ってもみなかっただろうね。 灯: しかし、さすが姉さんだ。この程度の南京錠など、赤子の手を捻るがごとく! 千雨: ……妹の方はできないのか? 灯: 私にそんな器用なことができると思っているのかい?だとしたら大いなる見込み違いだよ。 灯: 知識がなければ技術は身につかないが、知識だけあっても技術が身につくとは限らないからねっ! 菜央(私服(二部)): それって、胸を張ることじゃ……いえ、あまり身につけるべき技術じゃないからむしろ胸を張っていいことなのかしら……? 巴: ちょっと、秋武……あんた他でやってないでしょうね? #p秋武麗#sあきたけうらら#r: 心外なことを言わないでください。屋外で、しかも闇夜で実践するのは初めてです。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: それに、情報漏洩を避けるために役所の許可を取らないって決めたのは南井さんじゃないですか?まったく、濡れ衣を着せられるのは……! 比護: 秋武……言いたいことはわかるが、早く中に入った方がいい。目立つ。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: あ、そうだね……はい、どうぞ。 美雪(私服): ど、どうも……! 秋武さんに促され、私たちはフェンスの中へと身体を滑り込ませて中を見渡す。 美雪(私服): (ここが、お父さんたちが残した『110 A-IV』の答えの場所……でも) 菜央(私服(二部)): 何もないわね……。 菜央の言う通り、足を踏み入れた空き地は雑草が生い茂っている他は何もなかった。 比護: この場所は10年以上前から、建設用の資材置き場として使用されているそうです。今は空き地ですが、将来は公園にするつもりだとか。 魅音(25歳): 空き地なのに、なんでここまでぐるっとフェンスで囲んでいるの?しかも、わりと新しいようにも見えるんだけど。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: ここ、夜間は不良のたまり場になっていたそうなの。数年前タバコが枯れ草に引火してボヤ騒ぎがあって、その用心目的でフェンスを設置したって。 比護: 実際、昨年も柵を乗り越えて中に入り花火をしていた複数の少年が通報によって補導された記録がありました。 美雪(私服): つまり、数年前からフェンスがあったなら地面に何かが埋められてあったとしてもまだ誰も見つけてない可能性が高い……?! 千雨: フェンス様々だな……と言いたいが。 美雪(私服): (これって、仮に私と千雨だけで暗号が解けたとしても、中に入ることができなかった可能性もあったんじゃ……?) フェンスが設置された経緯から考えても、無理やり乗り越えて入ったとなればすぐに通報されて……補導された子たちと同じ扱いを受けていたかもしれない。 美雪(私服): (それを思うと、警察が味方ってのは心強いね。……まぁ、不法侵入ってことには違いないけどっ!) 千雨: それで……どこから始める? 魅音(25歳): この敷地内のどこかにある可能性は高いけど、他に手がかりらしいものが見当たらないからねぇ……。 魅音(25歳): とにかく人海戦術で手当たり次第に掘って掘って、掘りまくるしかないと思うよ。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: あ、でも……あまり捜索に時間はかけられないよ。念のために尾行がついていないことは確認したけど、夏美さんの騒ぎで目を付けられた可能性は高い。 比護: ……ここに踏み入ったことを知られたら、連中が駆けつけてくるかもしれないな。 巴: そうね。掘り出した瞬間に横からかっ攫われたら、たまったもんじゃないわ。 菜央(私服(二部)): いっそ「カード」の力を使って、一気に地面を剥がせないかしら?その方が疲れないし、探索速度も早いわ。 千雨: さすがにそれをやったら、野次馬が集まる。……この付近で工事車両を探して借りて、現場作業のふりをするってのはどうだ? 美雪(私服): 前後の意味が矛盾してるっ!工事車両なんて動かしたりしたら余計目立つし、そもそも無免許運転! 美雪(私服): 警察関係者の前で法律無視の提案なんて、ほんとキミって度胸は満点だよ一級品だねっ! 千雨: 早く親父が殺された理由を知りたい。……この際手段なんて選んでられるか。 美雪(私服): そっ……っ! その言い方はずるくない?! 菜央(私服(二部)): もう、2人とも!そんなふうにだべってる暇はないんだからさっさと……えっ? 私たちの間に割って入ろうとした菜央が、驚いたように声を上げる。 その反応にどうしたのか、と思って顔を向けると、彼女は私の右肩あたりを見つめながら指をさしてみせた。 菜央(私服(二部)): 美雪……あんたの背負ってるナップザック、中で何かが光ってる……? 美雪(私服): あれっ……?うっかり中の懐中電灯のスイッチでも入れちゃったかな。 そう呟きながら私は、ナップザックの口を開けて中をのぞき込み、懐中電灯を取り出そうとして――。 美雪(私服): ……ぇ……?! 考えるより早く、それを掴んで取り出していた。 光の正体は、懐中電灯じゃなかった。いや、本来は光るはずのものですらないのに……? 千雨: おい……「本」が、光ってる……どういうことだ? 輝きを放っていたのは、お父さんから託されたあの「本」だった……! 魅音(25歳): っ? みんな、あれ見て!あっちの空き地の、端っこのちょっと手前! 魅音(25歳): あの辺りって、街灯もないのに光っているよね……?! 美雪(私服): なっ……? 魅音の声に顔をあげると確かに入口がある南、秋葉原方面の反対側……。 敷地の中でも北側、御徒町方面のフェンス手前の地面が、本と同じ輝きを放っていて……?! 美雪(私服): (なんで、地面が光って……?いや……今はそれどころじゃない!) 千雨: よし、掘るか。 美雪(私服): ちょっ……素手で?! 比護: どうぞ。 無茶を言わないでよ、と思わず口を挟むと、すっ……と横から静かに差し出されたのはシャベルが4つと軍手の束。 比護: 花壇整備に使っているものをありったけ。ただ、急で人数分は用意できなかったので軍手も大人用しか……。 菜央(私服(二部)): ううん、ないよりずっといいわ!ありがとうございます! 私と千雨、菜央と魅音がシャベルを掴み、地面の光っている場所へ我先にと駆け出して鉄の先端を地面に突き立てていく。 魅音(25歳): ……地面はそこまで固くない。十分掘り返せる! 狭い場所を団子のように肩身を寄せ合い、必死に掘り出しにかかった。 そうやって、手を動かす中……不意に道具がないため手持ち無沙汰な様子で私たちを見ていた大人たちが、目に入る。 彼女たちの中で、秋武さんだけは闇夜に包まれた周囲を見渡して……ぽつりと、呟く声が耳に入ってきた。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: ……そういうことなの? 灯: 姉さん……? #p秋武麗#sあきたけうらら#r: この空き地、完全ではないけど御徒町方面から見るとV字形……二等辺三角形に見えるよね。 比護: そう言われれば……。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: この空き地を二等辺三角形に見立てて、底辺に向けて頂点から二等分線を引いた場合……長さは私の目測で、110メートル少々。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: その二等辺三角形に「V」と「I」の文字を重ねた場合、交わるのは「V」の頂点部分のみ。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: 彼女たちはその交点から、秋葉原駅方面に向かって目測で約110センチの場所を掘っている。 灯: もし、あの暗号に公園の形に「V」「I」の文字を重ねた交点から、秋葉原方面に向かって110センチの場所を掘れ……というもう1つの意味があったとしたら。 巴: えぇ……私も、気になっていたのよ。どうして漢数字や英数字ではなく、あえてローマ数字の「Ⅳ」を使用したのか。 灯: 美雪くんたちはローマ数字の「Ⅳ」を「#pI#sアイ#r」と「#pV#sブイ#r」と読み間違えていたと思っていたようだが……。 灯: そういう意図もあったなら、間違いではなかったということになるね。 灯: 言うなれば、読み方としては両方正解だったんだ。大まかな場所を指し示す場合は「4」と読み……。 灯: 掘る場所を指し示す場合は「#pI#sアイ#r」と「#pV#sブイ#r」と読む。 比護: つまり……どちらとも読めるようにすることで、『110 A-IV』の中にはこの空き地を指し示すと同時に空き地内の掘る場所を指定する二重の意味があった……? #p秋武麗#sあきたけうらら#r: 今、彼女たちが掘っている場所から逆算した推測だから、あまり自信はないかな。ただ、地面が光ってるって言葉は……。 秋武さんたちの声をどこか遠くに聞きながら、にじんだ汗が落ちるのにも構わず掘り続けていると。 菜央(私服(二部)): っ……何かに当たったわ?! 1mほど掘り返したところで光が消え、同時にそれまでの土とは明らかに違った固い感触がシャベル越しに伝わってきた。 魅音(25歳): ……こいつだ! あとは手で掘ろう! 魅音の号令に従ってシャベルを投げ出し、軍手越しに地面を掘り返す。 そして、土の下から現れたのは……。 美雪(私服): ……っ……?! 真っ黒なビニール袋とガムテープでぐるぐる巻きにされた……四角い物体だった。 美雪(私服): ほ、本当に出た……! 今は光っていないけど、私たちを導いた場所に埋まっていたこれはおそらく……いや、きっと……! 美雪(私服): (『アーカイブ』……!) 魅音(25歳): で……これ、誰が開ける? 美雪(私服): おじさんの残したものの可能性が高いから、千雨が開けるべきじゃないかな……? 巴: 私もそう思うわ。……ただ、なるべく慎重にね。本来ならここから移動して中身を確認しなければいけないものだけど、黒沢さんはどうかしら? 千雨: ……すみません。中に何があるのか、すぐにでも知りたいです。 そう言って千雨が四角い「それ」を手に取り、軍手をはめたまま力ずくで周囲のガムテープをはがそうと苦戦していると――。 比護: ハサミです。どうぞ。 千雨: ど、どうも……。 ハサミを受け取り、彼女は慎重にガムテープをカットしていった。……準備がいいな、比護さんって。 そして、テープとビニール袋の中から現れたのは……銀色のアルミホイルに包まれた四角い包みだった。 魅音(25歳): ん……? ねぇ、なんかちょっとお雛様みたいな匂いがしない? 美雪(私服): あっ……言われてみれば。 千雨: 小袋がいくつか入ってるな。カメラ用の乾燥剤と……なんだ、この空の和紙袋は。なんの意味があるんだ? 灯: 揮発したんだよ。おそらく中身は、匂いからしてカンフル……クスノキから抽出した天然の防虫剤だろうね。 灯: 『ショウノウ船』に使うショウノウの別名と言ったほうがいいかな? 菜央(私服(二部)): 『ショウノウ船』……? 巴: 船のおもちゃで、船尾にショウノウ……ナフタレンって薬のカケラを挟んで、水に浮かべると薬が水に溶け……船が自動で前に進む仕組みの玩具よ。 巴: 昔は屋台の露点で売っていたけど、最近は全然見なくなったわね。 灯: うん……すまない。わかりやすく説明するつもりが逆に混乱を招いてしまった。 千雨: まぁ虫食い対策が万全ってわけだから、慌てて埋めたものじゃないってことはわかった。それで十分だ……っと。 千雨が汚れた軍手を取ろうとまごついていると、私より先に横から手が伸びてきた。 比護: 白手袋です。中身が汚れるといけないので。 千雨: す、すみません……。 汚れた軍手と交換で手に入れたやや大きめの白い手袋をはめた千雨が、アルミホイルを慎重に剥がしにかかる。 美雪(私服): (あの手袋って、確か一穂のお兄ちゃんと同じ……) 話には聞いていたものの、いまいちピンと来ていなかったが……。 白手袋を見ていると、やっぱり比護さんは喜多嶋氏……一穂のお兄ちゃんの部下なんだな、と実感が湧いてくる。 美雪(私服): (一穂のお兄ちゃんは、何を考えてるんだろう……?) 彼の意図や#p思惑#sおもわく#rは一切不明だが……比護さんへの態度を見る限りだと、南井さんと敵対する気がないのはわかる。 ただ、それ以上に気になるのは一穂に関しての言動だった。 美雪(私服): (……妹はいないと、断言された) でも私は南井さんから、自殺した一穂がルチーアにいた頃の友達だという人の証言を聞いた。 ……写真の中の一穂は、私の知るあの子と全く似ていなかったけど。 美雪(私服): (そういえば、あの写真にあったルチーアの一穂とお兄ちゃんも、あんまり似てなかったような……) 千雨: 出たぞ! 千雨の声で現実に引き戻されると同時に、彼女の手の中にあるものに目を凝らす。 アルミホイルの中にあったのは私が持っているものとほぼ同じ形状で同じ大きさの「本」……そして……。 魅音(25歳): ……フロッピーディスク? 菜央(私服(二部)): これをパソコンに入れて、データを書き込んだりする……だったかしら?結構、薄いものなのね……。 千雨: ただ、肝心の端末がないとこれの中身を確かめることはできないな。なら、先にこっちを確認すべきか……。 こっち、と言って千雨が掲げてみせたのはもうひとつの方……「本」だった。 菜央(私服(二部)): 見た目は、美雪が持っている本とそっくりね。 千雨の持っている「本」と見比べるため一度しまい込んだ「本」を取り出そうと慌てて軍手を外し、ナップザックに手を入れる。 魅音(25歳): 大きさもだけど……表紙の色とかもそうだし、タイトルがないのも同じだね。もし入れ替わっても気づかないよ、これだとさ。 美雪(私服): まさか、この本も中身は白紙だったりしないよね……っと。 そう言いながら、取り出した本を千雨の持っているそれと並べようとして……。 美雪(私服): う、わっ……?! 並べた2冊の本は、まるで互いの存在を認識したかのように同時に強い光を帯び始めた。 菜央(私服(二部)): 本が……光っ……きゃあっ?! 輝きは収まることなく強さと大きさを増し続け、2つはやがて1つになって私たちを飲み込んでいく……! 美雪(私服): ……っ……?! そして、どこからか――頭の中に直接染み入るような、懐かしい声が聞こえて……。 羽入:巫女: 『――やっと、2つの運命が巡り会いました……』 美雪(私服): わっ……?! 直後の感覚は、エレベーターに乗った時のような浮遊感。それが落ち着くより早く、目の前の視界が暗闇の黒から色鮮やかに塗り替えられて――。 さらに、そこにいたのは……?! 羽入(巫女): 『私はこの時を、待っていました……』 美雪(私服): は、羽入……?! Part 05: 美雪(私服): は……羽入っ?いったいキミが、どうしてここに?! 羽入(巫女): 『……本当にごめんなさい。これまでずっと、あなたたちの前に姿を見せることができなくて……』 羽入(巫女): 『崩壊寸前の数多の平行世界を維持するのが精一杯の状況まで衰えた私は、ここから動けなかったのです』 羽入(巫女): 『……ただ、あなたたちがその「本」の完全体を手に入れてくれたことで、ようやく少しの間だけ会話のできる空間を創出することができました』 美雪(私服): …………。 穏やかに静かに並べられた言葉の意味がほとんど理解できず、全員が困惑する中……。 灯: やぁ、はじめまして! 私は秋武灯。ひとまずお名前を伺ってもいいかな? 唯一の例外が、元気よく飛び出した。 羽入(巫女): 『…………』 それまで超然的な態度を保っていた羽入も灯さんに驚き、私たちの知る少女らしい顔で驚き……。 やがてくすっと笑みをこぼし、大人びた笑みを浮かべていった。 羽入(巫女): 『はじめまして、秋武灯。私は羽入……そして……』 羽入(巫女): 『#p雛見沢#sひなみざわ#rの人々からは……≪オヤシロさま≫と呼ばれていた存在です』 美雪(私服): (オヤシロさま……?) 美雪(私服): (祭の日に1人死んで1人消える、『オヤシロさまの#p祟#sたた#rり』と呼ばれた怪死事件の……あのオヤシロさま?!) 思わぬ別名にうろたえかけかけた私の意識を引き戻したのは、服の裾をぎゅっと掴まれる感覚。 美雪(私服): 菜央……? 菜央(私服(二部)): 古手家に八代続けて、第一子に女子が生まれたら……その子はオヤシロさまの生まれ変わり。そして……梨花はその八代目。 菜央(私服(二部)): 梨花が言ってた話、本当だったのね。じゃあ、あんたは……神様ってことなの? 羽入(巫女): 『えぇ……そうです』 魅音(25歳): 羽入……。 おそるおそる声をかけた魅音を、羽入はそれまでとは違う寂しさを抱えた瞳で見返した。 羽入(巫女): 『ごめんなさい、魅音。私は……』 魅音(25歳): ……あんたが人間だろうと神様だろうと、私たちの仲間なことに変わりないよ。 魅音(25歳): それとも……私がそう思い込んでただけで、あんたは私たちのこと仲間なんて思っていなかった? 羽入(巫女): 『い……いえ!私は……いえ、僕はみんなの仲間なのです!』 羽入(巫女): 『いえ、仲間でいたいと……そう思っています』 魅音(25歳): ならいいさ。今まで教えて貰えなかったのはちょっと寂しいけど……事情、あるんだろ? 羽入(巫女): 『……ごめんなさい』 謝る羽入を、魅音は嬉しそうな……それでいて寂しそうな瞳で見つめ返している。 それでも、魅音が怒っているようには見えない。私にはそれだけが……ほんの僅かでも、救いに見えた。 羽入(巫女): 『……そして、南井巴。本来は雛見沢と無関係なあなたに、色々と面倒をかけました』 羽入(巫女): 『あの時、私は「世界」の構造の維持だけで精一杯で……接触を図ることのできそうな対象が、あなたしか見つけられなかったのです』 巴: あぁ、やっぱりこの声……あなただったのね。あの時の私に、声をかけたのは。 美雪(私服): あの時、って……南井さん、羽入のことを知ってたんですか?! 巴: 姿はよく見えなかったから、正確には声だけね。名前は初めて聞いたわ……大災害の翌年だから、およそ9年ぶりかしら? 羽入(巫女): 『はい……あなたが廃墟と化した雛見沢を訪れて以来ですね』 灯: 南井さん、知り合い? 巴: 知り合い……というほど関わりはなかったわ。 巴: 前に言ったでしょ?雛見沢の隣の#p興宮#sおきのみや#rって町にいた大石って刑事さんのことを。 灯: あぁ、若い頃お世話になった……老刑事さんですね。 巴: 彼が『雛見沢大災害』って事件で命を落としたことを知った時は……色々とばたついていてね。 巴: 落ち着いてから、せめて弔いでもと思って廃墟になった雛見沢を訪れたのよ。一応警察官だから、その辺りの融通は利いたし。 巴: それで彼の遺体が見つかったっていう古手神社に向かったら、突然目の前にこの羽入って子が現れて私に言ったの。 巴: 『この雛見沢大災害は、違う』……って。 美雪(私服): ……っ……?! 美雪(私服): あ、あの……私と菜央の記憶でも、確かに大石さんは昭和58年に死んでます! 美雪(私服): でも、雛見沢が火山性ガスに襲われた『雛見沢大災害』のせいで死んだ……ってことになってるんです。 美雪(私服): この「世界」では、雛見沢がダムになって災害は起きなかった……なのに死んだって、どういうことですか?! 南井: ……そう。やっぱりあなたも、「あの子」と同じことを言うのね。 美雪(私服): (……じゃあ南井さんが言ってた「あの子」は、羽入のことだったの?!) 羽入(巫女): 『ですが、あの時の私は……断片的な情報でさえあなたに渡すことができませんでした』 巴: あぁ、あれは困ったわね~。正直、最初は戸惑いを通り越して呆然となったわ。県警のいち警部でしかない私に何をどうしろと、ってね。 巴: 当時の部下には悪い夢でも見たんですかって笑い飛ばされたし、実際私もしばらくはただの夢だと思ってたわ。 巴: ……でも、色々とお世話になった大石さんが巻き込まれて命を落としたことや、雛見沢の人が起こした事件に関わって……。 巴: ……あと、妹が結婚して心残りも消えた頃だったから、腹を括ったわ。できることを精一杯やってやろう、ってね。 美雪(私服): 出世コースを捨ててまで、広報を隠れ蓑にした組織をつくり上げたのはそういう理由だったんですか……。 巴: えぇ。警察各部署や各省庁や民間企業、そして外国勢力の情報を逐一つかむために……。 巴: 問題児扱いされてきた連中を引き抜いて、動向を探らせてきたの。 巴: 『雛見沢大災害』の変化が、今後何を産むかわからない……だから何が起きても対応できるようにね。 巴: ……とはいえ、二重スパイが潜り込んでいることに後になって気づいたり、完璧とは言いがたかったけどね。 巴: もし厚生省が本気でそのつもりだったら、今頃内部から崩されてたわ……私も脇が甘いわね。 羽入(巫女): 『あなたがどう思っていても、私は、あなたに感謝しています。そして……謝罪を』 巴: 謝罪? 羽入(巫女): 『記憶とは情報……因子です。一度に大きな因子を渡してしまうと、本来角の民でない南井巴は壊れかねなかった』 羽入(巫女): 『だから長い間をかけて因子が馴染んだ頃に、私があの日あなたに預けた別世界の南井巴の記憶の箱が自然と開くようにしました』 巴: 因子と……やらがなんなのかはわからないけど、私が半年前のある日突然思い出したと思ったのは誤解で、時期が来たからってことだったの? 巴: 正直、千雨さんのお父さんが殺される前に全部思い出していればと思ったけど……それは贅沢な話だったみたいね。 羽入(巫女): 『箱の開き方がほんの少しでも狂えば、あなた自身が壊れかねなかった。……とはいえ、大きな危険を背負わせました』 羽入(巫女): 『ですが梨花を失い、赤坂も命を落としていたあの状況では、大きな流れに対抗できる存在になり得る外部の人間は、南井巴……』 羽入(巫女): 『あなただけしかいなかった。ですから無関係なあなたを……』 巴: ……本当に無関係? 羽入(巫女): 『…………』 それまで落ち着き払った様子で喋り続けていた羽入が口を閉じ、南井さんは平坦な声色で続けた。 巴: 確かに私自身は雛見沢とは無関係よ。でも、当時の私は……ある意味で関係があった。 力強い断言を聞いた私の頭に浮かぶのは、夏美さんの顔だった。 美雪(私服): (確か南井さんと夏美さんは雛見沢大災害前からの知り合いだったっけ) それなら確かに無関係とは言えないだろうと納得する私の眼前で、羽入が緩く首を横に振る。 羽入(巫女): 『関係者であり続けると決めたのは、あなた自身です。そして……あなたがいなければ、こうして美雪たちと再び出会うことも叶わなかったでしょう』 羽入(巫女): 『これからのことを、伝えたいのです……美雪』 美雪(私服): え……? あっ、はいっ! 突如名前を呼ばれ授業中に突然当てられたようにしゃちほこばった返事をする私に羽入は厳かに、真剣な面持ちで……告げた。 羽入(巫女): 『あなた方が存在する「世界」は、悪しきものの#p思惑#sおもわく#rによって絶望の結末へ導かれつつあります』 羽入(巫女): 『これを回避するためには過去の雛見沢に戻り、全ての源となった因子を排除するしかありません』 千雨: いや……因子を排除しろって言われても、いったいどうしろと? 千雨: 私は1回、美雪は2回、菜央ちゃんは3回……それぞれが過去の雛見沢に行っても、何もできなかったんだぞ。なのに……。 羽入(巫女): 『それは、あなたたちに介添えするための#p田村媛#sたむらひめ#r命が力を発揮できず……傍観者でしか存在し得なかったからです』 羽入(巫女): 『……田村媛命は、望んで傍観者になったわけではありません』 羽入(巫女): 『彼女は自らの意思で座席から立ち上がり、壇上に上がる力を失っています』 羽入(巫女): 『ですが、その意思も気力も失われていません。彼女を完全復活させて力を借り、壇上に立たせた後に因子を討ち果たす……』 羽入(巫女): 『そうすることで悪しきものの邪な計画は消滅し、平行世界は元の姿に立ち戻ることができるでしょう』 菜央(私服(二部)): つまり田村媛を復活させれば、勝ち目があるってことね。 菜央(私服(二部)): それは理解できたけど……肝心の神様はどうやって目覚めさせたらいいの? 菜央(私服(二部)): 最初のうちは呼びかけに答えてくれてたそうだけど、今では何度やっても全然姿を見せなくなったのに……そうでしょ、美雪? 美雪(私服): あ、うん。前は私が持ってた水晶に入ってたんだけど、その……いつの間にか、なくなってて……。 羽入(巫女): 『……問題ありません』 視線を泳がせながらの私の告白を、羽入は杞憂だとあっさり切り捨てた。 羽入(巫女): 『彼女は鬼樹の力が尽きかけているだけです。ですが、美雪と菜央は田村媛命の御子……ゆえに、強い絆を結んでいます』 羽入(巫女): 『あなた方があの地を再び訪れれば御子を経由して力の供給を受け、彼女は再び目を覚ますでしょう』 羽入(巫女): 『……そこで……』 ふいに。羽入の質感がざらり……としたものに変わった。 羽入(巫女): 『くっ……!』 灯: おおぉおっ?!身体がテレビの砂嵐みたいに……?! 美雪(私服): 羽入、どうしたの?! 姿だけでなく表情すら苦悶にゆがませた羽入は歯を食いしばりながら、声を振り絞る。 羽入(巫女): 『ごめんなさい……「本」のおかげであなた方を一時的に転移させることができましたが、そろそろ、限界です……』 羽入(巫女): 『どうか、……を……お願、……す……』 美雪(私服): 羽入! 待って、羽入!一穂は……一穂をどうしたらいいのか、それだけでも教えて……! 比護: ……目が覚めた。 美雪(私服): ……っ……?! 比護さんの声に我に返り、私は慌てて周囲を見渡すとぼんやりとした菜央と千雨と魅音、そして……。 巴: え、なに? どうしたの秋武。血相変えちゃって……。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: どうしたじゃないですよ!あーちゃんも南井さんも、他の子たちも立ったままいきなり15秒くらい動かなくなっちゃったんですよ。 秋武さんに怒られている、これまたぼんやりとした目の南井さん。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: 話しかけても何の反応もないから、さすがに救急車を呼ぶべきかって……! 巴: あぁ……こっちだとそういう感じになっていたのね。大丈夫、問題はないわ。 灯: 大丈夫、姉さん! あーちゃんは元気だよ! #p秋武麗#sあきたけうらら#r: 元気で可愛いのはいいことだけど……っ! 比護: ……いったい、何があったんですか? 巴: ちょっとね。神様にこれからやるべきことを聞いてきたのよ。 比護: …………? 灯: 姉さん……ちょっと。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: えっ、どうしたの? 灯さんが姉に耳打ちするのを横目に、千雨がパラパラと手元の「本」をめくる。 千雨: やっぱり……こっちも完全に白紙だな。けど、このフロッピーディスクは何なんだ? 美雪(私服): お父さんがフロッピーディスクをどこからか持ち出したとかじゃなければ、たぶん……それはおじさんのものだと思う。 千雨: となると、これを埋めたのは親父か……。 巴: 黒沢さん。 雑草を踏み越え、隣にやってきた南井さんが千雨が握るフロッピーディスクに視線を落とし。 巴: そのフロッピーディスク……よければ私に預けてもらえないかしら。部下に詳しい子がいるの。何かわかるかもしれない。 千雨: …………。 千雨は本とフロッピーディスクを手に沈黙を保ったまま南井さんを見上げる。 近くを通り過ぎる山手線の走行音が聞こえなくなるまで、どれだけ経っただろうか。 やがて千雨は、探るように尋ねていった。 千雨: その部下って人は……南井さん個人が、人として信用できる人ですか? 巴: えぇ。信用しているわ。中身を解読できるかは、本人も見ないとわからないと思うけど。 千雨: いえ……十分です。 南井さんの即答に千雨は頷き、フロッピーディスクを南井さんに差し出す。 千雨: 自宅に、親父が残したワークステーションがあります。その人にそっちも見て貰えるよう頼めますか? 巴: もちろんよ。明日にでも手配するわ。 巴: ……の、前にそろそろ撤収! 秋武! 比護!開けた穴を埋めるの手伝って! フロッピーディスクを懐にしまった南井さんが地面を掘り返した跡を埋め直し始めたのを見ながら、私はおそるおそる千雨に尋ねた。 美雪(私服): 千雨……いいの? 千雨: どっちも今の私に確認する方法がないからな。母さんには私から言っておく。本は……念のために、お前が持ってろ。 とん、と胸に「本」を押しつけられ反射的に受け取る。 千雨: 正直、私にも何がなんだかわからないけどな。あの羽入っての、本当に古手梨花の先祖なのか? 美雪(私服): 私もそれは断言できない……というか、正直羽入の言葉、全部理解できてない。 美雪(私服): ……ただ、今ので1つわかったことがある。 千雨: なんだ? 美雪(私服): たぶん……羽入も、戦ってるんだ。 魅音(25歳): そりゃ、うちの部活のメンバーだからね! 美雪(私服): ぅわっ?! 突然響いた声に「本」を取り落としかけ、慌てて掴み直して振り返る。 そこには、にかっと快活な笑顔を浮かべながら魅音が満足げに腕組みしている姿があった。 美雪(私服): び、びっくりさせないでよ魅音! 千雨: 部活……ってなんだ? 魅音(25歳): 雛見沢分校の部活だよ。会則第一条……狙うのは1位のみ。 魅音(25歳): 会則第二条……そのためにはあらゆる努力をすることが義務付けられている。 魅音(25歳): とはいえ、正直この状況だと何を1位とするのかはわかんないけどさ。 魅音(25歳): それでも勝ちたいって、負けたくないって。羽入が、今も足掻いているなら……。 そこで言葉を切り、ぐっと唇を噛みしめ軽く鼻を鳴らし……。 魅音(25歳): 羽入は今も……私たちの大っ事な仲間だよ! 闇夜の中で華やかに、魅音は笑ってみせた……10年前、あの分校で見せた部長の顔で。 それを見た千雨は、よくわかっていない表情でそれでも……そうか、と呟いて。 千雨: 親父も、戦ってたのかな……。 美雪(私服): 戦ってたよ、絶対。私のお父さんも……だから。 羽入から受けた言葉。与えられた「神託」……私たちが戦うための武器。 菜央(私服(二部)): ……美雪。 真面目な顔で寄り添ってきた菜央の頭を撫で、私は2冊の「本」を抱え直す。 美雪(私服): ――私たちも、戦うよ。 Part 06: 羽入と再会した翌日の早朝……私たちは南井さんの運転する車で高速道路を走っていた。 巴: 『どうせなら、早い方がいいじゃない。このまま神様を復活させちゃいましょう!』 巴: 『比護がショートカットルートを見つけてくれたから、休憩を挟んでも朝には着けるわよ!』 なんて鶴の一声で、広報センターから3列シートの大きな車で秋葉原に向かったこともあり……。 比護さんと秋武さんを残して、鬼樹の社……#p高天#sたかまが#r村へ向かうことになった。 ……改めて思うことでもないかもしれないけど、フットワークが軽い大人がいると助かる。 千雨: しかし、今さらだが……大丈夫なのか? 美雪(私服): 大丈夫って……千雨は新#p雛見沢#sひなみざわ#rへ行くことに反対なの? 千雨: いや……それ自体に異存はない。ただ、夏美さんを閉鎖病棟から奪還したことはおそらく敵対する連中の耳にも入ってるはずだ。 千雨: あの岩松って村長や神社の宮司に見つかったら、また面倒なことになりかねない……実際、以前は襲われたんだからな。 魅音(25歳): 襲われたって……どんな感じに? 美雪(私服): えっと……怪物になった……って伝わるかな?最初は歓迎してるような様子だったんだけど祭具殿を調べた後に外に出たら、いきなり……。 美雪(私服): で……倒したら2人とも元の姿に戻って、その側に「黒いカード」が落ちてたんだよね。祭具殿の中にも、それが大量にあったし……。 菜央(私服(二部)): 「黒いカード」……。 千雨: そっちも怖いが、岩松村長が夏美さんに対して南井さんを殺すように命令したのも気がかりだな。 魅音(25歳): でもこの「世界」だと、夏美ちゃんは10年くらい入院していたんだよね……? 魅音(25歳): だとしたら村長は彼女と接触していなくて、南井さんが脅威だとさえ思っていない……って考えるのは甘すぎるかな? 魅音(25歳): あ、でも……閉鎖病院と転院先の病院で夏美ちゃんを襲うように仕向けたのもその岩松村長たちって可能性もあったりする? 巴: 今のところは、なんとも言えないわね。 巴: さっき、サービスエリアで比護と電話で話をしたわ。閉鎖病棟の方はわからないけど……転院先の病院で襲ってきた職員、昨日の夜に全員目を覚ましたようね。 巴: けど、酷く混乱してて……何を聞いても全員が全員「何も覚えていない」の一点張りらしいわ。 巴: 記憶を失ったフリをしている可能性もあるから話半分で聞いてくれって言われたんだけど……どう思う? 美雪(私服): 操られてた可能性もあると思います。どうやって操ってたのかは、まだ検討もつきませんが。 灯: ふむ……ひとまず油断禁物の相手だということはよくわかったよ。で、これからの行動指針はどうするんだい? 確かに、間もなく#p高天#sたかまが#r村へ到着する。それまでに作戦を決めなければならない。 菜央(私服(二部)): 行動指針……ドンドンいこうぜ、みたいなやつよね。 美雪(私服): 正直、鬼樹に辿りつくまで誰にも見つからず隠れてこっそり向かうのが一番理想的だけど、さすがに難しいだろうね……。 菜央(私服(二部)): だったら、どこかで時間を潰して、夜になって闇に紛れて鬼樹に向かうってのはどう? 菜央(私服(二部)): それなら人目につかず目的地に向かうこともできるかも……かも。 魅音(25歳): いや……以前の雛見沢のままだったら私が目を閉じたままでも案内できるけど、知らない場所を視界の自由が利かない状態で歩くのは危険だよ。 魅音(25歳): それに、目的地は山の中だ。途中に何らかのトラップが仕掛けられている可能性だって否定できない。 美雪(私服): だね。地の利は向こうにあるのを甘く見るとかなりまずいよ。 正直、私が10年前の雛見沢であまりおおっぴらに動けなかった理由もそこにある。 自分に地の利がなく、相手にはあるという状況は行動に著しい制限を加えてくるのだ。 菜央(私服(二部)): じゃあ……どうするの? 美雪(私服): ……こうなったらもう、作戦としては朝一で強行突破一択だと思う。 美雪(私服): 向こうがどういう手段と態勢で待ち構えてるかはわかんないけど……とにかく鬼樹の杜を目指す。 美雪(私服): 羽入が言うには、私と菜央が両方……いや、最悪片方でもいいのかな?鬼樹の杜に到着すればいいって話だったからさ。 巴: 私もその案に賛成ね。ガサ入れも早朝に行うのが一番だもの。 巴: それに……きっと大丈夫よ。以前よりも、頼もしい愉快な仲間が増えているんだもの。 巴: おかしな真似を仕掛けてくるようだったら、公務執行妨害で引っ捕らえてやりましょう! 千雨: ……転び公妨なみに、ひでぇマッチポンプだ。 灯: その手法なら、姉さんが一緒に来てくれたら心強かったんだが……調べたいことがあると言ってたからね。 灯: まぁ、巍然屹立な姉さんのことだ!私程度では思いつかないような方向から、真実に迫る手法を思いついたに違いない! 菜央(私服(二部)): 『巍然屹立』……って、どういう意味? 千雨: 人や物などが、他よりも抜きん出て優れている様を表現した言葉だな。似たようなものに『白眉』などがある。 菜央(私服(二部)): あ、そっちなら知ってるわ。……日本語の表現って、難しいのがいっぱいあるのね。 灯: 今の言葉は中国の故事由来だけどね~ゆぷぃ。 千雨: 『白眉』だってそうだろうが。 灯: ともあれ、フロッピーも託したことだし東京でできることは姉さんとひーさんに任せて、こちらは今できることをやろうじゃないか! どこか自慢げに平たい胸を張る灯さん。それを見ていると、つくづく思う…。 美雪(私服): (本っ当に灯さんって、お姉さんのことが大好きなんだな……) 魅音(25歳): にしても……あんた流れでこっちについてきたけど大丈夫?山登りとか平気? 魅音(25歳): すっ転んで叫びながら、坂道とかを滑り落ちそうで正直怖いんだけど。 千雨: 足滑らせて崖から落ちても、時と場合によっては放置するからな。 灯: 最終的に拾ってくれるなら無問題だよ! 菜央(私服(二部)): 無問題、かしら……? 灯: わかった……離れないように美雪くんの服の裾を掴んでいよう。 美雪(私服): えっ、道連れ?! 灯: 一蓮托生よろしくねっ! 巴: あんたねぇ、年下の子を命綱にするんじゃないわよ。 灯: でも南井さんだと、絶対振り落とされるし……。 巴: あたしゃ暴れ馬かっ!! みんな仮眠程度しか取ってないのに、車内は明るく賑やかで、楽しい時間が流れていく。 ……もしかしたらみんな、迫り来る不安をごまかしていたのかもしれない。 村の入り口が見える頃には誰も何も口にせず、車のエンジン音と呼吸音だけが車内の音の全てだった。 やがて南井さんが運転する車は#p高天#sたかまが#r村にさしかかり、スピードを落としながら敷地内をゆっくりと走り始めた。 巴: 前は村の入口で車を止めたけど……今回はこのまま一気に神社の下まで行くわね。 美雪(私服): それがいいと思います。撤退のこともありますし。 菜央(私服(二部)): 神社に辿りつくまでに道路を塞がれたら? 千雨: 最悪私が車を降りて、排除と足止め役をする。南井さん、その時は気にせず先に行ってください。 灯: うん、覚悟が決まっているのは凄いと思うが、この村の空気感は……なんだろうね。どうにものんびりしている気がするんだが。 美雪(私服): …………。 それまで三列目の最後部座席で周辺の地図を見ていた灯さんは、静かに外を見つめながら怪訝そうに呟いた。 彼女を真似て、車窓越しに周囲を見てみる。襲撃に備えて緊張していたせいか、何を見ても怪しい感じがしたけど…… 言われてみれば、確かに……「おかしい」。 巴: 変な感じね……。家のいくつかからは人の気配がするのに、外に出てくる様子がない。 巴: 前に来た時は、私たちがちょっと車を停めて辺りを見回しているだけで村長やら誰やらがすっ飛んできたのに。 菜央(私服(二部)): どこかで待ち構えて、一網打尽にしようと企んでる……とか? 千雨: そのわりに、殺気らしきものを感じないな。四方から警戒されっぱなしってのは嫌な気持ちになるけど、全くないってのも妙だ。 千雨: 魅音、どうだ? あんたわかるクチだろ。 魅音(25歳): っ……気持ち悪い。 美雪(私服): えっ……? 予想外のセリフに振り返ると、灯さんの隣に座っていた魅音はうめき声をあげた。 魅音(25歳): 私の知っている雛見沢とそっくりなのに……道の曲がり方とか、向こうに見える山の形がちょっと違うだけなのに……なに、これ。 魅音(25歳): 違和感が、すごくて……気持ち悪い……! 菜央(私服(二部)): 魅音さん、大丈夫?! 魅音(25歳): うっ、うううっ……! 美雪(私服): 魅音、しっかりして! 魅音! 魅音(25歳): 詩音……詩音……どこ?詩音なら、きっと私の気持ちをわかってくれる……。 魅音(25歳): あぁでも、詩音は私のこと怒っているはず……。私が詩音に、嘘をついたから……。 魅音(25歳): 爪のことも悟史のことも……え、あれ?なんで悟史? 魅音(25歳): 詩音は悟史と会ったのはつい最近で……あれ?でも圭ちゃんが来る前の年で、あれ、あれ……? 魅音(25歳): 悟史が消えたのは去年で詩音が脱走してきたのは、あれ悟史は沙都子と一緒に……。 魅音(25歳): いや、でも、羽入が来る前に圭ちゃんが、違う、いや、羽入は、いつ、仲間に、なんで……。 ぶつぶつと呟き続ける魅音の顔色は土気色で、「なんで」「どうして」とうわごとのように繰り返しながら、両手を首元に添えて……。 首に巻いたリボンの上から、がり、と……自分の喉を引っ掻いた。 千雨: お……おい、何してんだ?! 巴: ちょっと車止めるわよっ?! 車が止まり、車内が揺れた勢いで魅音の首から手が離れる。けど首筋には真っ赤な線が残っており、なのに彼女はまた指を自分の首に食い込ませようと手を伸ばし――?! 美雪(私服): 魅音?! 魅音、しっかりしてっ! 灯: ちょっと失礼……園崎先輩。 魅音(25歳): 沙都子には悟史がいたはずなのにいなくてあの子の隣には詩音がいやでも詩音は悟史と野球に――。 魅音(25歳): そうだ、確か怜も一度……あれ?私、いつ怜と会ったんだっけなんでどうして思い出せな――っ?! 灯さんは魅音の両手を力任せにまとめて片手で掴むと、強引に腕を下ろさせる。 灯: 私を見てください――先輩。 そしてぐっと魅音さんに顔を近づけると開いた片手の人差し指をピッと立て、魅音の額に押し当てて……。 灯: ゆ・ぷ・い・ぷ・いっ! 呪文のように唱えながら、額、右頬、あご、左頬、鼻をとん、とん、とんとリズミカルに指先で叩き。 灯: これで、おーわりっ! 揃えた五指で、魅音の鎖骨の中心を軽く叩いた。 魅音(25歳): かふっ?! 途端、うつろだった魅音の目に光が戻る。 魅音(25歳): ごほっ、ごほごほっ! げほっ、えふっ、ごほっ!! 激しくむせ込みはじめたものの、先程まで魅音を飲み込むようだった異様な空気は消え去っており、車内の緊張が緩んでいく。 灯: お、おぉおお? おぉお……! ただ灯さんは、しまった! とばかりに魅音の手を押さえていた手を放すと、お手、の行き先を失った犬みたいに両手で宙を掻いた。 灯: すっ……すまない、少し手荒かったようだ。姉さんみたいには上手くいかないな……。 千雨: 姉さん? 灯: 姉さん仕込みの落ち着かせ術なんだ。私が幼い頃、自分の舌足らずが原因で癇癪を起こしていた頃よくこうやって落ち着かせてくれた。 魅音(25歳): げほっ……げほげほっ……!はぁ、はぁ……あ、ありがと。ちょっと落ち着いた……。 菜央(私服(二部)): 魅音さん、大丈夫?! 魅音(25歳): い……今、大事なこと思い出しかけたんだけど……だめだ、また見えなくなった。 魅音(25歳): い……いや、今ならまだ……! 美雪(私服): 思い出さないで。 魅音(25歳): い、いや! 何か思い出したら、手がかりに……! 髪を振り乱した魅音の、涙が浮かぶ瞳と自分の目を合わせる。 美雪(私服): ……魅音が苦しまないと手に入らないものなら、私は要らない。 魅音(25歳): ……っ……。 美雪(私服): ……どうしようもなくなったら、その時は頼むかもしれない。けど、少なくとも今は要らない。 魅音(25歳): でも……! 灯: はっ! しまった!仕上げのほっぺにキスを忘れてた! 魅音(25歳): ……はい? なおも食い下がろうとしたその瞬間。魅音も含め、車内の心がひとつになった。 美雪(私服): (何言ってるんだろう、この人……) 灯: 今からでもするかい? 魅音(25歳): いや……その……遠慮しておく。 灯: では次は忘れないようにするよ! 魅音(25歳): 次がないように気をつける……。 首ではなく頭を抑えてしまった魅音を見て、運転席の南井さんがえーっと、と困惑した声をあげて。 巴: ……大丈夫? 魅音(25歳): もう、大丈夫です……。 巴: また苦しくなったらすぐ言ってね。 魅音(25歳): はい……。 魅音が頷くと同時、南井さんは身体を戻して再び車を緩やかに走らせはじめる。 巴: ……魅音さん、何が起きたか説明できる? 魅音(25歳): わからない。なんだか風景を見ていたら苦しくなって……。 魅音(25歳): けど……詩音に止められていた理由が、わかったよ。 菜央(私服(二部)): 詩音さん……? 魅音(25歳): ここの場所のことは、前から知っていたんだ。雛見沢のものを移転させた場所があるって、逃亡中に噂で聞いて。 魅音(25歳): だから、私への追っ手が緩んだ時、1人でここに来ようかなって考えたんだ……雛見沢の関係者がいるかもしれないし。 魅音(25歳): でもその夜、夢に詩音が出て……止められた。「絶対に、1人で行くな」って、すごい形相で。だから思いとどまったんだ。 巴: 私と会ったのはその後? 魅音(25歳): そのすぐ後です。その後は色々動いたからここのことも……詩音の夢も、忘れていて。 魅音(25歳): もしかしたら詩音は、私がここに来たらこうなるって……わかっていたのかもしれない。 美雪(私服): …………。 魅音の告白を、私はまだどう受け止めるか考えあぐねていたけれど。 美雪(私服): ……詩音が止めてくれて、よかったよ。 それだけは、心の底から素直な気持ちだった。 巴: ついた……ここが神社よ。記憶と地図通りね。 階段下で車を止め、揃って車から降りる。 思っていたより魅音の足取りがしっかりしていて、密かに胸をなで下ろした。 魅音(25歳): ここから続く裏山を登って鬼樹とやらに辿り着けばいんだよね。 美雪(私服): ……行こう。道は変わっていないはずだよ。 かつて雛見沢の神社に似た石段を登りきり、鳥居を見上げて……ふいに思った。 美雪(私服): (……お父さんが残した「カイ」の文字って、なんか……鳥居に似てるかも……) 美雪(私服): (あのキーワードに地名と場所、二重の意味があったなら……) 美雪(私服): (もしかしてお父さんが書いた「カイ」の文字にも、まだ別の意味があったりする……?) 千雨: なんだか……前に来た時よりも、境内が綺麗になってる気がするな。 菜央(私服(二部)): となると、人がいるって考えた方がよさそうね。 ぼんやりと菜央たちの声を聞きながら鳥居をくぐり、裏山へ向かう前に境内に異変がないか周囲を見渡し……。 美雪(私服): え……? 本殿の前を前にして、息が止まった。 美雪(私服): ……っ……? そこには人がいた。……でも、前に襲ってきた神主じゃない。村長でもない。 あれは、あの人は、間違いなく――! #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ……ようこそ、皆さん。やはり、ここに来られたのですね。 美雪(私服): ……西園寺、絢さんっ……?! どうしてここにいるのかと尋ねるよりも早く、私の脇をつむじ風のように影が駆け抜ける。 菜央(私服(二部)): 絢花さん……!あなた、古手絢花さんよね?! #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ……っ……。 抱きついてきた菜央をよろめきながらも受け止め、彼女……絢さんは、物憂げな表情を嬉しそうに柔らかくほころばせて……。 優しげな表情で、こくり……と頷いた。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: お久しぶりです。また会えましたね……菜央さん。 Part 07: 菜央(私服(二部)): 無事だったのね、絢花さん!でも、どうしてここに……?! #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: …………。 困惑しながらも、喜びを隠しきれない菜央は喜びに目に涙を浮かべながら絢さん……いや、私たちにとっての「絢花さん」に尋ねかける。 だけど、それに対して彼女は何も答えずに菜央の頭をそっと優しく撫でてから……こちらへと顔を向け、穏やかに切り出していった。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: あなた方が、ここを訪れた理由はすでにわかっています。……鬼樹の杜へ向かうつもりなのですよね? 千雨: あ、あぁ……。 海辺の分社で出会った時と同じく、なぜか悟った様子の絢花さんを見て千雨が怪訝な表情で頷く。 すると彼女は、微笑みを浮かべながら背後にそびえる裏山への道を指し示して……。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ……行ってください。 こちらの事情などを聞くまでもなく、澄み渡るような涼やかな声でそう答えた。 美雪(私服): えっ……? #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 皆さんの選択を阻もうとする人たちは、全て私が引き留めます。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: どうか、後顧の憂いなく……ご自分を信じて正しいと思う道を選んでください。 美雪(私服): …………。 以前のこともあり、この人なら言葉を尽くせばきっとわかってくれるだろうとは思ったが……。 私たちが交渉や説明をするまでもなく「全てわかっている」と言わんばかりの対応は、かえって不安を覚えずにはいられなかった。 魅音(25歳): ねぇ……美雪たちから聞いた話だとあんたって、本当にあの絢花……なんだよね。 魅音(25歳): どうしてここに、あんたが……?なに、どういうことなの? #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: その説明については、どうかご容赦を。……ただ、このままだと最悪の未来が確定して多くの人々が不幸に陥ることになります。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: それを防ぎ、本来あるべきだった未来を取り戻すことができるのは、おそらく……今しかありません。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: そのためにも鬼樹の杜の神様……#p田村媛#sたむらひめ#r命の力を借りて、一穂さんを取り戻してください。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 今なら、きっと……まだ間に合う。私はあなたたちを、信じています。 感情を見せずに、とつとつと語っていく絢花さんを見ていると……。 美雪(私服): (この人は……これから私たちがやろうとしてることを、なんで応援してくれるんだろう……?) 彼女は、私たちの味方をしてくれている……それは理解できる。確実にそうだと断言できる。 美雪(私服): (でも、この人の言ってる意味が前の「世界」以上にわからない……!) 美雪(私服): 絢さん……いえ、絢花さん。あなたはいったい、何者なんですか……? #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ……悪霊ですよ、私は。 私の問いかけに対して、絢花さんは物憂げさに自嘲めいた笑みを重ねながら……そう告げていった。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: この「世界」に未練を残し、迂闊なことに力を手に入れた「ある人」へ願いを伝えてしまったせいで、多くの方々を不幸の運命に巻き込んでしまった……。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: その責任を取るために、私は今日まで生きていたのです。 菜央(私服(二部)): え……なに? どういうこと?絢花さん、あたしたちと一緒に行ってくれないの? #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ……残念ながら。 菜央(私服(二部)): なんで……なんでっ?! どうして?!絢花さんだって、一穂に会いたいんでしょ?! 菜央(私服(二部)): なら、一緒に行きましょう!あたしたちと、一穂を連れ戻すためにっ! #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ごめんなさい、菜央さん……私は、ここでお待ちします。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: それが、私の役目……そして、罰なのです。 菜央(私服(二部)): ……っ……! 絢花さんの決意は固く……それを察したのだろう。菜央は彼女を見上げながらぐしゃりと顔を歪めた。 それを見下ろす絢花さんの瞳は穏やかだったけど、海辺の神社で出会った時よりもその立ち姿には……どこか退廃的な空気が漂っていて。 美雪(私服): (大丈夫って、表情じゃないよ……) 追っ手が怖いのは事実だ。でもそれと同じくらい、私はこの人を1人だけでここに残すことが……怖い。 このまま私たちが山に入り、あわよくば過去に行くことができたとしても……。 戻ってきたら、蜃気楼のような存在感しかない彼女は、どこかに消え去ってしまっていそうで。 千雨: いや……あのな。 私と菜央の戸惑いを前に、千雨は致し方ないといった態度で絢花さんに歩みを進めていった。 千雨: そんなツラで「そうか大丈夫か」って、安心できるわけがないだろ。誰かが残らないと追われるとしても、だ。 千雨: だったら、私も残ってやるから、一緒に……。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ……痛っ?! 千雨が手首を掴んだ直後、絢花さんの口から甲高い悲鳴があがった。 菜央(私服(二部)): 絢花さん?! 菜央の悲鳴に驚いた千雨が手を放すと、絢花さんは握られていた手首をさすりはじめる。 千雨: わ、悪い……強く掴みすぎた。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: だ、大丈夫です……。本当に心配いりませんので、どうか……行って下さい。 巴: と、言われても……。 南井さんも困惑しきっている。リスクを考慮して早く鬼樹に向かいたいが、菜央や私たちの様子から急かせないでいるようだ。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: …………。 笑みを消して、うつむく絢花さんからは、隠しきれない憂いがにじみ出ている。 ……彼女を連れて行った場合、背後から妨害が入るのはほぼ確実のようだ。かといって、私が残るのは得策じゃない。 美雪(私服): (私と菜央は残れない……田村媛の復活に必須だから) 他の妨害もないとは言えない以上、千雨や魅音のように戦える人間もここに残せない。 わかっている……わかっているけど。 美雪(私服): (この人を、このまま1人で残したくない……!) 正解がわからなくて、決断を下しきれない……と、その時だった。 灯: ……じゃあ、こうしよう。南井さんはみんなを連れて、先に鬼樹とやらに行ってくれないか? 美雪(私服): えっ……? 灯: 私は彼女と少し話をして、追いかける。ほら、友達が待ってるよ? 軽快な足取りで玉砂利を踏みながら近づいてきた灯さんの手で、菜央はそっと私の方へと身体の向きを変えられて……背中を押される。 菜央(私服(二部)): ……っ……。 不安げながらも、絢花さんは私の元にやって来た菜央を見送ってから改めて灯さんを見て……。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ……どなたですか? 心底怪訝そうな顔で、首を傾げてみせる。……その態度に嘘や偽りは一切感じさせず、本当に知らないといった様子だ。 美雪(私服): (あれ、絢花さん……灯さんを、知らない?) 以前の「世界」では、私や千雨と一緒に彼女とも会っていたはずだ。顔を覚えていないのか、それとも……? 魅音(25歳): ちょっと、秋武……大丈夫なの? 灯: 近辺の地図は頭に入っています。すぐに追いつきますよ。 魅音(25歳): いや、そうじゃなくて……あんたって、昔っから足が遅かったじゃんか。あとから追いつくことなんてできるのかい? 灯: 心配ご無用です。走るのは苦手だけど、歩くのは速いんですよ。 そう言ってにこにこと笑う灯さんと、困惑しきりの絢花さんが対照的に並んでいる。 灯: ここからは、私がいない方がメリットが高いと判断したまでだよ。……大丈夫さ、君たちなら。 ……ここじゃない「世界」で出会った、灯さんのことを思い出す。 絢花さんとの約束を取り付けた後……自分はなぜか会って話をすることもなく、1人で東京へ戻っていった。 美雪(私服): (あの時は私たちが残って、灯さんが去った) あれは、あれでよかったと思う。再会した絢花さんは灯さんが帰ったと聞いてほっとした顔をしていた。 もし灯さんが同行していたら、どうなっていただろう。絢花さんは貝のように口を閉ざしていた可能性もある。 美雪(私服): (状況は似ている……でも、同じじゃない) あの時の私は、灯さんを信用していいかわからなかった。 ……でも、今は? 美雪(私服): (私は、この人を信用したい。だから……) 美雪(私服): ……先に行きます、ミス・ジャバウォック。 灯: …………? 私たちを送り出してくれた彼女が教えてくれたあだ名を告げると、灯さんはきょとんと目を丸くして。 灯: …………。 ふむ、と考え込んで。 灯: ……ゆぷぃ! 心底嬉しそうに破顔して、親指を立ててみせた。 灯: 絶対追いついてみせる……だから、待っていてっ! 南井さんと魅音を先頭に、神社の裏手から続く山中の茂みをかき分けながら私たちは鬼樹へと向かっていく。 巴: どう? 元#p雛見沢#sひなみざわ#r住人としてこの裏山は。 魅音(25歳): ……気持ち悪いくらい、雛見沢と似ていますね。目隠しで夜中に連れて来られて、放置されたら絶対間違えたと思います。 魅音(25歳): そして最終的には知らない場所に出て、一気にパニックになって……そんな展開は、想像したくないですね。 巴: なるほど。……確かに、嫌なものね。気分はどう? 大丈夫? 魅音(25歳): 秋武のおかげで、少しマシになりました。……もし次に同じ状況になったら、あの両刀遣いにお嫁に行けない身体にされてしまいますからね。 巴: 次は絶対チューされるのが確定だものねー。ふふっ……やっぱり灯を連れてきて正解だったわ。 魅音(25歳): 私としては不本意ですが……にしても南井さん、あの子に懐かれていますよね。 巴: そうなんだけど、なんで懐いてくるのか正直よくわかんないのよ。叔父さんと同年代なせいかしら? 魅音(25歳): えっ……じゃあ秋武の叔父さんって、結構若い? 巴: それなんだけど……あの子たちの叔父さんって、血縁的には親の弟じゃないのよ。知っていた? 魅音(25歳): えっ?! あれだけ叔父さん叔父さんとしつこいくらいに口にしておいて……ですか?! 巴: 血縁的には、遠い親戚……だったかしら。子どもの頃に親を亡くした彼を、秋武姉妹のご両親が引き取ったとかで。 巴: ただ、年齢とかの関係もあってお祖父さんが戸籍上の親になり、養育はご両親ってことで落ち着いたから「叔父さん」なんだって。 魅音(25歳): ぜ、全然知らなかった……。 巴: 私も普通に叔父さんだと思い込んでいたから、真相を聞いた時はびっくりしたわ。 巴: あの姉妹って自分たちのことをあまり話さないし、よく話題に上がってくる叔父さんについても隠し球があったのか……ってね。 魅音(25歳): 確かに……言われてみれば秋武って自分のことはあまり喋らなかったような……。 巴: 一度叔父さんに挨拶したことがあるけど、あの子たちと結構似てたわよ。 巴: ちょっと年の離れたお兄さんって感じ?目が悪いらしいけど、そうは見えなかったし……。 巴: あ……それはそうと、魅音さん。最初は灯と初対面っぽい反応だったけど、あの子とは知り合いだったの? 魅音(25歳): ……はい。以前とは雰囲気が変わっていたので一瞬わかりませんでしたが、話をしているうちに言動の癖からあぁあいつか、と思い出しまして。 魅音(25歳): ややこしい言い方になりますが、1つ前の「世界」だと私は魅音ではなく「詩音」だったことがあった、って以前に話したことがありましたよね。 魅音(25歳): その時、私もあの子の手を借りて聖ルチーア学園から脱走したんですよ。この「世界」の詩音と同じように。 魅音(25歳): まぁ、そのことを彼女は知らないと思います。軽く探った感じだと、あの子は私たちと違って「繰り返す者」ではなさそうですしね。 巴: なるほど。あなたたちはそれぞれ2つの「世界」で、ルチーアにいた際に灯と出会っていた……ってことね。まったく、あの子も因果なものだわ……。 殿を務める千雨と菜央とほぼ団子状になって山を登っていた私は、先を行く南井さんと楽しそうに談笑する魅音を注意深く観察する。 美雪(私服): (魅音は大丈夫そうだな……よかった) 菜央(私服(二部)): それにしても、絢花さん……どうしたのかしら。 一安心する私の隣で、とぼとぼと歩いていた菜央がため息まじりの問いを誰に向けてでもなく呟いた。 菜央(私服(二部)): たくさんの人を不幸にしたって……どういうことなの? 千雨: さぁな。私も、彼女には色々と聞きたいことがあるが……今はまず、田村媛命を復活させることが先決だ。 千雨: それ以外のことは全ての片がついてから、ゆっくり確かめればいい。 美雪(私服): ……だね。彼女のことは、灯さんに任せよう。 美雪(私服): で……よかった、かな? 千雨: ……なんで私の顔色をうかがうんだ? 美雪(私服): いや……なんか千雨、前の「世界」に比べて灯さんへのアタリがきつかったからさ。 おそるおそる尋ねると、千雨は驚きもせずあぁ……と合点したように肩をすくめてみせる。そして、 千雨: あの人、前の「世界」の時と比べると遠慮がないし、馴れ馴れしい感じで……なんか、違ったんだよ。 菜央(私服(二部)): そんなに違ったの? 千雨: 前の初対面の時、私や美雪のことは名字呼びだった。なのに、今回はいきなり下の名前で呼ばれたからな。 菜央(私服(二部)): ……確かに、「美雪くん」って呼んでたわね。女性を「くん」付けなんて気取った感じだから、耳に残って少し戸惑ったわ。 美雪(私服): まぁ、自由と言うか無法と言うか……前回よりのびのびとしてる感じだよね。……違和感があると思ったのは、そういうことか。 美雪(私服): でも、あの人のおかげで『A-IV』の答えに辿り着けた。その点は感謝してるよ。 千雨: それについては同感だ。私たちだけだったら、一生謎のままで終わってたかもしれないんだからな。 美雪(私服): だね。あ……けど、菜央の功績も大きいよ!出題する側の視点で考えて解くって発想は、私たちにはなかったからさ。 菜央(私服(二部)): そうかしら……? 美雪(私服): そうだよ。いずれにせよ私たちの主目標は田村媛命の復活と一穂の救出なんだから、その実現に全力を尽くすために……。 美雪(私服): 使えるものは、なんでも使うよ。灯さんをあそこに残して大丈夫かどうか、今はちょっと確証ないけどね。 菜央(私服(二部)): ……灯さんは、大丈夫だと思うわ。 美雪(私服): ?……なんでそう思ったの? 私の知らないところで灯さんと話をしたのだろうか。なんとなくそう思ったのだが、菜央はちらりと私を見上げてから続けていった。 菜央(私服(二部)): 美雪は……結果的にお父さんを心配させたり悲しませたりすることはしても、裏切ろうって思ったことはあった? 美雪(私服): え? いや……もちろん、ないよ。 菜央(私服(二部)): じゃあ、大丈夫よ。 美雪(私服): ……灯さんの話をしてたのに、なんで今の話と繋がるの? 千雨: あぁ、そうか……あー……あぁ。 美雪(私服): ねぇ、ちょっと?なんか私だけ、置き去りじゃない? 千雨: あと、そうだ。気になったといえば、絢花さんの腕を持った時の感覚が前と比べて……。 魅音(25歳): あ、あったーっ! 先頭を歩く魅音の明るい声に、私たちは会話を中断して顔を一斉に向ける。 魅音と南井さんの頭の向こう側。少し開けた場所の、その先には……。 美雪(私服): ……鬼樹だ! 私たちは歓声を上げ、一気に山道を駆け上がる。ここに来るまでの足の重さが吹き飛ぶ思いだった。 千雨: 背後からの追っ手の気配もなし……間に合ったな。 菜央(私服(二部)): これで、田村媛を……一穂を助けられるのね。 美雪(私服): 早く行こう! そして、先を歩いていた魅音と南井さんに追いつき追い越そうとさらに強く、一歩を踏み出して……。 ――目の前の地面が弾け飛び、土埃の舞う様子が視界に映し出された。 美雪(私服): なっ……?! それが銃撃によるものだと悟るよりも早く、鬼樹の近くに佇む大木の上から翼のようにストールを風になびかせつつ、着地してきたのは――。 川田: …………。 ライフル状の武器を構えた……川田さんだった。 Part 08: 川田: 最後の警告、聞いてくれなかったみたいですね。……残念です。 そう言った川田さんの顔に、いつもの飄々とした余裕の笑みはない。 氷の女王のように冷えた視線は、気配そのものを凍えたものに変えて……その場の全員の動きを縫い止めていた。 そんな中、南井さんだけが。 巴: あのね、川田。実は……。 美雪(私服): ――危ないっ! 駆け出そうとした南井さんを突き飛ばして、草の絨毯と呼ぶには汚れた地面に倒れ込む。 巴: っ……! 美雪(私服): 南井さん?! 慌てて南井さんを見る。彼女の左脚太もものストッキングが破れて、その裂け目から真っ赤な血が流れ出ている……?! 巴: 大丈夫、かすり傷……っ……! 川田: ……T型173、後天種。 うん、と何かを納得したように頷きながら、川田さんは地に倒れた南井さんを見下ろして……。 川田: 南井さんは、喋らず動かず……じっとしててくださいね。 川田: あ、こっちの方がいいでしょうか……あなたが一言でも喋ったり動いたりしたら、その回数ごとに他の子を殺します。 川田: 私が簡単に人を殺せること……あなたが一番知っているはずでしょう? 巴: ……っ……! 倒した衝撃で地面に顔を埋めた南井さんが、反射的に起き上がろうとする。それを見た私は即座に身体を起こし、制するように叫んだ。 美雪(私服): 南井さん、動かないでくださいっ!あの人は……本気です! 巴: えっ……?! 背筋が焼けるような感覚……絢花さんと戦っていた時には感じなかったものだ。 ごうごうと燃えるような、周囲を全て飲み込むほどの巨大な殺意に足がすくみかける……! 美雪(私服): (川田さん……本気で、私たちを殺す気だ……!) 美雪(私服): (あと少し……もう目の前に鬼樹があるのに!#p田村媛#sたむらひめ#rを復活させて……一穂を助けられるのに!) なのに目の前に立つ小柄な若い女が、どんな分厚い壁よりも固くて強烈な殺意を携えて行く手に立ちはだかっている……! 千雨: おい、お前……どう言うつもりだ? 川田: どうもこうも……もはや、あなた方と交わすべき言葉はありません。ここで全ての縁を絶ち、私は先へ進みます。 くるり、と。川田さんの手の中で弄ばれたライフルが回転する。 川田: 結果、鬼だの悪魔だと呼ばれようとも――。 くるくる、くるくる。ライフルが回り続ける。踊るように。 川田: 少なくとも、業を積み重ねることから逃げて……滅びから目を背ける卑怯者よりはマシですのでッ!! 回転が止まり――引き金に指がかけられた。 美雪(私服): ま、待って魅音! 魅音(25歳): 悠長なこと、言っている暇は……! 魅音(25歳): ぐっっ?! 『ロールカード』を取り出してかざした魅音の手に、血飛沫が飛び……指先からそれがこぼれ落ちる。 川田: 確認……H型173、ストレート種。 魅音(25歳): がっ?! 2発目は魅音の右脚をかすめ、ほとばしる激痛によってか魅音はその場に倒れた。 が、その直後に川田さんの頭上に落ちる影――! 千雨: ……っ……! 川田: ……いいですね。仲間が撃たれるのを見越したオトリ攻撃。 無言で背後から飛びかかった千雨の攻撃を、川田さんは踊るように身をかわして受け流す。 川田: もっとも……当たらなければ意味はありませんが。 彼女が首に巻いたストールは速さについていけず、追いすがるように一拍あけて付き従う。それを睨みながら、千雨がちっ、と舌打ちした。 千雨: テメェ! 前に戦った時は手を抜いてやがったな?! 川田: いえ、抜いてませんよ。ただ、あの時はちょっと具合が悪かったの……でっ。 そう答えながら川田さんは距離を詰め、銃口を千雨の左肩に押し当てて――。 千雨: がっ……?! 川田: ……そらッッ! 千雨: っ……?!?! 千雨の右肩から血が噴き出し、間髪入れずにその腹へ鋭く蹴りが叩き込まれる。 その衝撃で後ろに吹き飛ばされた小柄な身体が、背中から木に叩きつけられた。 川田: 確認……H型173、ストレート種。 菜央(私服(二部)): このっ……! 千雨が生んだスキを逃さず、『ロールカード』をカッター状の武器に変えた菜央が低い位置からスライディングの体勢で足を狙って――。 川田: ――いい狙いです。 菜央(私服(二部)): っ……あぐっ?! 飛び上がった川田さんに避けられ、体勢が崩れた菜央の膝に、ライフルの銃口がぴたりと押し当てられて。 菜央の長いスカート越しの膝部分が、みるみる赤く染まっていった。 菜央(私服(二部)): うあああああっ!! 川田: 確認……H型173、曝露種。 千雨: くそっ! なんでだ……?! 川田: シンプルな話です。あなた方では、私に勝てません。 川田: 獣に何故空を飛べないのかと、噛みつきますか?鳥に何故地を走れないかと、怒鳴りつけますか? 川田: 魚に陸まで上がってこないのは怠慢だと、癇癪を起こしますか……? 千雨: ……っ……?! 川田: そんなこと、普通はしないでしょう?もし卑怯だなんて口走るような人がいたら、実に無様で浅ましいことこの上ない。 川田: つまり、まぁ……これはそういう話です。 川田: 頂く神の異なりと性質が、そのまま現状に反映されているだけ――! 美雪(私服): ……っ……!! 千雨と菜央が、川田さんの視線と意識を引きつける最中、背後から彼女めがけて飛びかかろうと地面を蹴りつけ……。 ――突如、脇腹が焼けたように熱くなった。 美雪(私服): (え……?) 何が起きたか理解するより早く、ライフルの銃口とつまらなさそうな川田さんの横顔が見え、て……? 美雪(私服): が、あぁ、あああぁあああああっ……?! 振り返りざまに撃たれて、脇腹をライフルの弾が掠めたと理解した時……私の身体は激痛とともに地面に倒れていた。 川田: 確認……T型173、後天種。となると……。 仰向けにうめく私の胸元に、川田さんがトンと片足を乗せる。 重みは感じない。でも、両手足どこで暴れようとも即座に抑えられる……四肢から抵抗の意思を奪い去るには十分な……。 微妙なバランスの上に成り立った……最低限にして最大の拘束行為だった。 川田: やっぱり、結局はあなたなんですよね……美雪さん。 はぁ、とため息とともに降ってくる、雹のように冷たく固い……川田さんの声。 川田: 私からの……本当の本当に、最後の気遣いです。これ以上「世界」を変えようとするのはやめてください。 川田: お返事は……? 脇腹のじくじくとうずく、突き上げてくる痛みと猛獣のような凄みに満ちた川田さんの、おぞましい眼光。その間に挟まれた私は……。 美雪(私服): ……っ……!! やはり首を、縦ではなく……横に、振った。 ここで素直に言うことを聞いたふりをして、あとでスキをうかがえばいいのに……と蛮勇をふるう自分に対して罵倒したくなる。 でも……本当に冷静な自分が言うのだ。 美雪(私服): (この人に、そんな小細工は通用しない……!) だったら、せめてと。 かふっ、と痛みと苦しさにあえぎながら浮かぶ涙をそのままに、川田さんをまっすぐに睨みつける。 そんな彼女は、なんだか迷子の少女みたいに……途方にくれたような、悲しそうな顔で小さく言った。 川田: そうですか……がっかりしました。 川田: ――というのは、嘘ですね。だって、最初からわかっていましたから。 川田: いくら私が違う道を示してかく乱しようとしても、あなたは必ず自分が求めた答えに近づいちゃうんです。 川田: なんでですか……? あなたが赤坂衛の娘だから?周囲が望む赤坂衛の理想的な子どもの姿を必死で演じているから? 川田: いえ、違います――全部あなたが自ら選んで……進み続けたから。 川田: だから私、期待しちゃったんです。私には絶対辿り着けない答えに、もしやあなたなら手が届くかもしれない……って。 川田: 結果……そこまではさすがに行きつけませんでしたが、あなたたちのおかげで私は希望を得ました。 川田: ……だから、これは精算。期待と言う名目であなたに罪を犯させて利を得た自分の業に、支払うべき時が来たんです。 川田さんがライフルを持ちあげ、銃口を私の喉元に押し当てる。 美雪(私服): ……っ……! 銃口の冷たさが焼けるように熱く感じて、脇腹の痛みを忘れる程のしびれが、恐怖が……喉元から両手足を地面に張り付けにする。 川田: 大丈夫。誰にもあなたを責めさせはしません。だって美雪さんは……。 白い指が、銃口にかけられて。 ぐっ……と。指先に力が込められる様子が……川田さんの顔が。 膨らんでいった涙のせいで、歪んで……よく見えなくなって……。 川田: ――ただの被害者ですから。 千雨: や……やめろおぉぉぉおっっ!! そして、銃声が――。 美雪(私服): ……。えっ……? 聞こえなかった。 代わりに周囲にとどろいたのは激しい金属音。 気がつけば私の胸に置かれていた足はおろか、覗き込んでいた川田さんは姿形も見えなくて。 ……涙が落ちて晴れた視界が捕らえたのは、地面を踏みしめるブーツのつま先。 その上で揺れるスカートは、鮮やかな深紅。 知らない……知らない。知らない。 あぁ、でも、でも……! (……知ってる) 全部は知らないけど……見上げたその先を、私は知っている。 その人を、知っている……! 美雪(私服): …あ、………あ。 レナ(24歳): ……やらせないよ。 レナ(24歳): 守ってみせる……絶対にッッ!! 美雪(私服): レナぁあぁあぁッ!!!