Part 01: 知恵: では、出欠を取ります。名前を呼ばれたら、元気よく返事をしてください。 教壇に立った担任の知恵先生が名簿を広げ、名前を読み上げられた生徒たちが応えていく。 昔も今も変わらない、ごくありふれた光景だ。かつて通ったことのある学び舎とほぼ同じなので、とりあえず要領だけは掴めている。ただ……。 知恵: ……西園寺さん。 雅: …………。 知恵: 西園寺さん……?どうしましたか、返事をしてください。 雅: あ……はい。 再度促されて、私は小さく手を挙げながら返事をする。 反応の遅れは別に咎められることもなく、知恵先生は次の生徒の名前を読み上げて点呼を再開した。 知恵: ……全員出席ですね。では皆さん、各自の課題をしっかりこなしてください。 魅音: きりーつ! 気をつけ……礼っ! 委員長の号令で全員が立ち上がって一礼し、それに応えてから先生は静かに教室を出ていく。 そして私たちは着席後、机からドリルや問題集を取り出して広げ……めいめいが課題に取り組み始めた。 基本的に、分校での授業は自習が中心だ。分からないところを上級生たちが教えつつ、決まったページまで自主的に進めていく。 雅: (……教え役はもっぱら、前原って男子か。下級生組は竜宮も頼りにしているみたいだ) 雅: (で、委員長の園崎は最年長ながらあまり勉強が得意な感じじゃない……と) ここ数日の観察で、年長組の力関係は推し量ることができた……と思う。 とりあえず私も、せめてもの時間つぶしに問題集を取り出して広げ、穴埋めの空欄に解答を書き込んでいったが……。 どうにも集中ができず、思考は別のことで忙しく働いていることもあってまるで問題の中身が頭に入ってこなかった。 雅: (……どうなっているんだ?) 考えれば考えるほど、疑問だけが膨らんでいく。私がいるこの「世界」は、いったい……? やがて、面白くもない問題集を解いていると午前の授業時間が終了した合図として、教室の外からチャイムの音が聞こえてくる。 すると、それを合図にして生徒たちは解放感を表すように歓声を上げ、一斉に席から立ち上がった。 圭一: よーしっ、お昼だお昼っ!そらみんな、机をくっつけろ! 梨花: みー、くっつけるのですよ。ぺたー♪ 前原を筆頭にした仲良しグループがガタガタと音を立てながら机を移動させて、持ち寄った弁当箱をその上に並べていく。 一番大きいのは、竜宮が持ってきたものか。……いや、あれは弁当箱じゃなくて重箱と呼んだほうが正しい気がする。 レナ: あはははは! 今日のお弁当のおかずは、レナ特製のトンカツなんだよ~! 魅音: おじさんも、ハンバーグを作ってきたよ。たくさんあるから、みんなも食べてね。 圭一: おぉ……両方ともうまそうだ!もちろん沙都子、お前の分はない!俺が全部いただく! 沙都子: な、なんですってぇぇええぇっ?!圭一さんだけに、独り占めはさせませんわぁぁ!! 年下の女の子を相手にした前原が、大人げなくはしゃいでいる姿が見える。 名前は、北条沙都子……だったか。たかが弁当のおかずを争うだけで、ずいぶんとにぎやかなものだ。 魅音: ん……?ねぇ雅、あんたはお昼を食べないの? 不意に私に顔を向けた委員長が、そう言って私に尋ねかけてくる。 「西園寺」でなく、下の名前の「雅」呼びか。さほど親しくもないのになれなれしい感じで、ちくりと不快感が胸の内で沸き起こった。 雅: (だけど……これが彼女たちにとって、「当たり前」のことらしい) この「世界」に来てから、そのことに気づかされた私は困惑を覚えて……。 数日経った今もなお接し方がわからず、彼女たちとの距離を測りかねていた。 雅: それほど空腹じゃないから……昼は食べない。 魅音: え……そうなの?もしかして、ダイエットでもしているとか……? 雅: 違う。……あっ……。 あまりにもバカバカしい問いかけに、苛立ち交じりで即答してしまうと……連中から重い空気を感じて思わず、はっ、と目を向ける。 少なくとも、怒っている様子ではない。ただがっかりしたような、寂しいような……一様にそういった表情だ。 だけど……そんなふうに視線を注がれることがいたたまれず、私は無言で身を翻す。そして足早に廊下へと出ると、逃げるように裏庭へとやってきた。 雅: なんなの……あいつら……? 私の身にもたらされた、不可思議な現象……それはこの「世界」にやってきた当初から、なぜか彼女たちと顔見知りだという事実だった。 というより、彼女たちの「仲間」として認識されているといっても過言ではない。それくらいに遠慮がなく、なれなれしい言動だ。 どうやって村に潜伏すればいいか、と身構えていた分溶け込むことができたのは僥倖かもしれないが……。 事態の経緯がわからないままでは正直不安というか、疑心暗鬼ばかりが募る一方だった。 雅: あの子たちに、悪意はない……それはわかっている……けど……。 人付き合いが苦手な性分のこともあってどう対処すべきかがわからず、ほとほと困って頭を抱えるしかなかった……。 Part 02: そんな懊悩を抱えながら、やむをえず人付き合いの悪さを貫き通した……数日後。 授業を終えて、帰り支度をしていた私を魅音が呼び止めてきた。 雅: ……何の用?前にも言ったと思うけど、部活への誘いだったら遠慮させてもらうわ。 そういって私は、我ながらとりつく島もないと感じるほどの冷淡な態度で返答を先んじる。 この分校に通うようになって以来、どういうわけか魅音は自分たちの部活に参加しろ、としきりに誘ってきた。 ただ……私は興味もないし、群れるのも嫌だったのでずっと断り続けた。最初のうちは丁寧に断っていたが、今では一刀両断に切り捨てておしまいにしている。 魅音: あ……いや、今回はそっちの誘いじゃなくってさ。 魅音: 今週末、もし暇だったらちょっとだけ助けてもらいたいんだよ。 雅: 助ける……って、何を? 部活への誘いではなかったことに安堵したせいか、私はつい話に乗ってしまう。 自分の迂闊さを後悔したものの、吐いた唾は飲み込むわけにもいかず……仕方なく続きを聞くことにした。 魅音: 実は、義郎おじさんのところのファミレスでバイトのシフトに空きが出ちゃってね。 魅音: ちょうどその時って、期間限定のイベントが行われる日でさ……お客さんが大勢押しかけて、結構な人手が必要なんだよ。 雅: 飲食店って……どういうところなの? 魅音: あれっ……前に言ったこと、なかった?#p興宮#sおきのみや#rでやっている、エンジェルモートだよ。 雅: …………。 あいにく、私の記憶には……ない。忘れたとかではなく、覚え自体がないのだ。 雅: (けど……私じゃない「私」は、そのお店のことを聞いていたようね) とりあえず、否定しても話が進まないので黙っておくことにする。すると魅音は、本当に困ったような表情で続けていった。 魅音: さっきレナにも声をかけてみたけど、あいにく別の予定が入っていてさ。 魅音: 詩音のツテでも、代わってくれそうな人を直前で交渉するのはさすがに難しいらしくて……。 雅: ……なるほど。それで、私に頼んできたってわけね。 明らかに面倒で厄介な案件なので、即座に断ろうと考えたが……魅音の困り顔を見た私は、言葉を引っ込める。 ここ数日の私は、実に無愛想だった。今日に至ってはついに、雑談などでさえ誰も話しかけなくなってしまったほどだ。 にもかかわらず、そんな私に頭を下げるとは……よほど頼める相手が見つからなかったのだろう。 雅: (それに……魅音に貸しを作っておけば、後々で役に立つかもしれない……) そんな口実を自分自身に言い聞かせて、私は顔を上げる。そして彼女に向き直ると大きく息をついてから言った。 雅: ……いいわ。1日だけだったら、引き受けてあげても。 魅音: えっ……マジ?引き受けてくれるの、ほんとにっ? 雅: なんで驚くのよ。自分から頼んでおいて、その反応はないんじゃない? 魅音: いや、その……何を誘っても、乗ってきてくれなかったしさ。絶対断られると思って、ダメもとで……。 雅: ……やっぱり断るわ。 魅音: わー、嘘うそっ!引き受けてくれるのならほんっと、助かるよ!ありがとう、ありがとうっ!! そう言って魅音は私の手を取って引き留め、救世主にでも出会ったような大げさな仕草で何度も頭を下げてくる。 こんなふうに、誰かに手を握られたのはいつ以来だろう。……とはいえ不快感などはなく、懐かしさとほんの少しだけ……あたたかかった。 魅音: じゃあ、週末にお店で!衣装を用意して待っているからねー! 雅: えぇ、わかったわ。 …………。 雅: って、衣装……? Part 03: そして、イベント当日。 手渡されたウェイトレスの制服を広げた私は……早くも魅音の頼みをうっかり聞いてしまったことを、猛烈に後悔していた。 雅: ……魅音。これはいったい、なんなの? 魅音(エンジェルモート): なんなのって、見ての通りバイトの衣装だけど。 雅: それはわかっている!私が聞きたいのは、どうしてこんな格好をしなきゃいけないってことよ! そういって私は、きょとん、ととぼけた表情で首を傾げている魅音に迫って羞恥を含んだ怒りをぶつける。 確かに、バイトを手伝ってもいいと言ったのは私だ。接客業も、まぁ……多少はできる自信があったので特に問題はない。 問題は……この衣装だ。ここまできわどいデザインだとは思っていなかったし、事前にも聞いていなかった……! 詩音(エンジェルモート): ……あの、お姉。ひょっとして、雅さんにここで働く時はその衣装を着てもらうってことを説明していなかったんですか? 魅音(エンジェルモート): いや、だって……!以前にもバイトのヘルプを頼んだことがあったから、別に説明の必要はないかなって……。 雅: 以前にも……頼んだことが、あった……? 魅音(エンジェルモート): ……覚えていないの? まぁ確かに、こういう衣装だって説明している最中に断られたから印象に残っていなかったのかもしれないけどさ……。 雅: …………。 やはり……おかしい。断った覚えもないし、そもそもバイトを頼まれたのは先日が初めてのはずだ。 雅: (またしても、私の知らない「私」……?そいつが私の代わりに、この「世界」にいた……?) そんなふうに困惑を覚えながらふと顔を上げると、園崎姉妹が顔を見合わせている様子が目に映る。 そして、詩音の軽い肘打ちに促された魅音がこちらに顔を向けて、私の様子を伺うようにおずおずと申し訳なさそうに言った。 魅音(エンジェルモート): えっと……もし難しいようだったら、断ってくれてもいいよ。無理にお願いしてもいいことはないしさ。 ……おそらく彼女は、眉間にしわを寄せて黙り込んだ私の表情を見て嫌がっているように感じたのだろう。 正直な話、嫌といえば確かに嫌だ。ただ、私が顔をしかめた理由はそっちではないので、やや不本意で申し訳ない思いがある。 それに、何より……先ほどこの店に来た時、すでに外には長蛇の列ができていた。来客は一日を通して、すごい数になるだろう。 にもかかわらず、今日勤務のウェイトレスは魅音と詩音、他に数名だけだ。1名が抜けただけでも、大幅な戦力低下は否めない。 雅: (いったんは引き受けると答えたんだから、土壇場でこの2人を見捨てるというのはさすがに後ろめたさがあるわね……) だとしたら……1日だ。たった1日の辛抱だと思えば、まぁいいだろう。 雅: ……いいわ。やってあげる。 詩音(エンジェルモート): あ……気にしなくても大丈夫ですよ。元はといえば、説明が足りていなかったお姉の過失なんですしね。 雅: ここで勝手に抜けると、業務に影響が出るわ。ただ、もし変なことをしてくるようなお客がいたら容赦しないつもりだけど……それでいいわね? 詩音(エンジェルモート): あ、その点についてはお気にならず。そんな不届き者には合法か非合法、いずれかの報復で骨の髄に染み渡るほど後悔させてやりますので。 魅音(エンジェルモート): お客様はご主人様でも、神様や王様じゃなくてただの人間ってのがうちの店の基本方針だからね。だから遠慮なくやっちゃって構わないよ。 雅: ……それを聞いて、安心したわ。 いや、正直なことを言うと「非合法の報復ってなんだ……?」なんて疑問が頭の片隅にちらっと浮かんでいたが……。 とりあえず、引き受けた以上はやるしかない。私はそう思い直し、腹をくくることにした。 魅音(エンジェルモート): いやー、助かった!結構な客入りになったけど、雅のおかげでなんとか無事に終了することができたよ! 詩音(エンジェルモート): ありがとうございます、雅さん。意外に接客が手慣れているように見受けられましたが、どこかでご経験でもあったのですか? 雅: ……別に。あなたたちの動きと対応のやり方を、見よう見まねで同じようにやっただけよ。 魅音(エンジェルモート): えっ……それだけで?いやいや、すごい観察力だねー。 魅音(エンジェルモート): やっぱりあんたって、なかなかのポテンシャルだよ。私の見る目は間違ってなかった……痛っ? 詩音(エンジェルモート): 何を偉そうにしているんですか。だまし討ちみたいに働かせることになったんだから、ちゃんと雅さんに謝ってください。 魅音(エンジェルモート): うっ……ごめん雅、嫌な思いをさせちゃって。 雅: ……別にいいわ。慣れればそれほど、気にもならなかったし。 意外なことに、嫌らしい目で見てくるお客は思ったほど多くはなかった。期間限定の特別イベントで、選ばれた人中心だったのが功を奏したのかもしれない。 その後、全ての食器を引き上げた私は頼まれた仕事はこれで終了、とクロークに入り、さっさと元の制服姿に着替える。 店内に戻ると、魅音と詩音はまだウェイトレス姿のままだった。どうやらイベントの後片付けが残っているらしい。 雅: とりあえず……用が終わったことだし、私はこれで失礼するわ。バイト代、ちゃんとはずんでもらうからね。 魅音(エンジェルモート): もっちろん、その点なら任せて!あと、このお礼は必ずどこかでさせてもらうよ! 雅: ……そう。まぁ、期待しているわ。 そう言い残して私は、店をあとにする。 そして、ふいに窓ガラスに映った自分の顔に目を向けると、口元がわずかながらほころんでいるようにも見えて……そして……。 …………。 気怠さを覚えながら、私は目を開ける。 雅: ……っ……。 視線を向けた先には、大きな月。不気味な雰囲気を醸しながら闇夜の空に浮かんでいる。 腰辺りには、ひんやりとした感覚。……どうやら私は石段に座ったまま、軽くうたた寝をしていたようだ。 雅: ……。夢か……。 ずいぶん懐かしい……いや、忌々しい過去を思い出したものだと歯がみする。 あの時、私は一瞬……気を許してしまったのだ。こういう「世界」で彼女たちと過ごす生活も、ひょっとしたら楽しいのではないか……と。 だけど、……現実は、違った。あの後間もなく、惨劇が#p雛見沢#sひなみざわ#r全土に訪れて……。 全てが朱に染まり、ことごとく死に絶えた。私に気をかけてくれたあの子たちも、笑顔で慕ってくれた「彼女」も……みんな……。 雅: (……情けない。数え切れないほど繰り返して、とっくにわかっていたはずなのに……) 雅: (もはや私に、安穏とした日常なんて望むべくもないということを……) 雅: だから……私は、決めたんだ。もうあの子たちと、二度と接点を持たないって……。 なのに、……寝入ると時々、彼女たちと過ごした日々のことを思い出してしまう。 そうなるのは、私の心の弱さのせいなのか。あるいはこの呪われた運命を私に課してきた、人ならぬ超常の存在の悪戯なのか……? 雅: (もし、後者だったら……容赦はしない。全てが終わった暁に、必ず「やつ」を仕留めてやる) 雅: (たとえ……私自身の命と引き換えで、相討ちになったとしても……絶対……ッ!!) そう決意を改め……私は、すっくと立ち上がる。 向かう先は、全ての始まりと終わりの場所。待ち受けている「彼女」の息の根を止めて、この「世界」を終わらせる――。 それが、私自身が全うすべき責務だ。たとえそのために自らの精神が汚れ、冒されていったとしても……。 全ては自業自得による罪業なのだから、甘んじて受け入れるより致し方がない。……そう自分に言い聞かせて、私は闇に身を躍らせる。 いつか裁く者が現れて、全ての清算と救済をもたらしてくれることを心の奥底で願いながら……私はこの「世界」でも、悪をなし続ける。 そう……誰よりも残酷で凄惨な、『名前の消えた子』として――。