Part 01: ……後になって思い返すと、それは角の民の長から問いかけられた一言が全てのきっかけだったのかもしれない。 羽入(巫女): ……#p田村媛#sたむらひめ#r命。あなたは、あの時のことを覚えていますか? 田村媛命: 「あの時」……とは?質問はいつ、いかなる時点のことを指すのか内容を明確にすることが善きと知り給え。 羽入(巫女): あ……ごめんなさいなのです。僕とあなたにとっては、それだけで伝わるくらいに印象深い出来事だったと思っていましたので。 田村媛命: たとえ神であろうと、万能ではない#p也#sなり#rや。また、そなたと以心伝心の関係だと思われるのは吾輩にとって恥辱この上なく、甚だ業腹の極み#p哉#sかな#r。 羽入(巫女): そ、そこまで言わなくても……あぅあぅ。 冷たく突き放されたことで肩を落とし、角の民の長……羽入は拗ねたように口をとがらせる。 ……実のところ、「あの時」が何を指すのかはすぐに理解していた。なぜなら彼女が言ったように、忘れがたいものであったのは確かだからだ。 ただ、それを素直に認めるのが口惜しかったので……あえてとぼけてみせたというのは私だけの秘密にさせてもらおう。 羽入(巫女): 覚えていますか、田村媛命?あなたが意図的に#p雛見沢#sひなみざわ#r症候群を悪用して、村人たちを暴走させた時のことです。 田村媛命: ……ずいぶんと悪意に満ちた表現也や。よもや、あのときの行いを詫びよと今さらになってまた蒸し返してきた哉? 羽入(巫女): そうではないのです。まぁ……あの騒動の直後は梨花と一緒にブチ切れて、絶対報復してやる! と息巻いたのも確かですが。 田村媛命: ……「してやる」ではなくて実際「した」ではないか。そなたらの策略でおぞましい格好にさせられた大屈辱、今でも瞼の裏に浮かんで悶えたくなるほど也や……! 羽入(巫女): あんなのは、全然お遊びの範疇なのです。僕が考えていたのは肥だめに頭から突っ込ませて、脚だけが突き出た格好で記念撮影だったのですよ。 田村媛命: 仕返しの内容が陰湿な上に具体的すぎて、想像するのもげにおぞましき也や……! 田村媛命: 万一吾輩をそんな目に遭わせていたのであればそなたらとは金輪際和睦や妥協の未来などは存在せず、一方が滅びるまで戦いは続くものと知り給えっ! 羽入(巫女): もう……だから、今となっては過ぎた話なのです。冗談半分に流してくれないと、話が進まないのですよ。 そういって羽入は呆れ顔になり、大きくため息をついてみせる。 ……冗談半分というのは、半分本気の裏返しではないか。まして私が疑り深くなったのはそもそも誰のせいだ、とさすがにむかっ腹が立つのを覚えたが……。 度々の交流によってわだかまりが減ったこともあり、こやつは語彙と思考が多少残念なだけなのだ……とひとまず寛容な心で許してやることにした。 羽入(巫女): ……田村媛命。今、あなたは僕に対してとても失礼なことを考えたりしませんでしたか? 田村媛命: 気のせい也や。……で、角の民の長よ。そなたは吾輩に何を思い出させようと企図する哉? 羽入(巫女): ……話がそれてしまったのです。その時に出会った『#p采#sうね#r』という、星の外からやってきた例の存在のことについて聞きたかったのですよ。 田村媛命: 『采』……童の姿をしながら中身は邪悪と酔狂の権化で、刹那的な思考にて暴れ回っていた「あの者」のことだな。 田村媛命: ……で、あやつがどうかしたと? 羽入(巫女): ずいぶんとひどい表現なのです……まぁ、あながち否定もできませんが。 羽入(巫女): すでにご存じの通り、この雛見沢だけでなく周辺の地域でも彼女の姿を見かけなくなりました。……あなたはその理由、何か知っていたりしますか? 田村媛命: いや、知らぬ。……言っておくが、これは別に隠し立てがあって返答したわけではない也や。 田村媛命: 本当に吾輩も、近頃はあれの存在を知覚しておらぬと嘘偽りなく申しているのだと受け取り給え。 羽入(巫女): あぅあぅ。そんなふうに補足してくれなくても、よくわかっているのです。僕も、以前と違って田村媛命のことは信頼できると思っているのですよ。 そう言って羽入は、屈託のない笑顔で肩をすくめてみせる。 私のことが話題に上がるたび、誰彼構わず口汚く罵っていたくせに(知っているぞ)……ずいぶんと変わったものだと、改めて思う。 とはいえ、ただ憎悪を向けられるより親愛をもって接してくれているほうがこちらとしても悪い気分ではない。 だからこそ私も、つっけんどんな物言いでは不快に感じたのではと思って……先ほどはつい、言い訳じみたことを口にしてしまったのだ。 田村媛命: (……変わったのは、吾輩も一緒か) ……戸惑いは、若干ある。違和感も拭えていないので、いらぬ強がりをして後になってからひとり悔やむこともしばしばだ。 ただ……不愉快さは、特に感じない。だからこそ過去の遺恨により衝突から始まったとはいえ、確かに「あの時」の再会は奇貨と呼べるものだった――。 あの日……己の居場所を求めて雛見沢へと来訪した『采』から星の大半の命を守り抜くため、私はこの地を切り捨てようとした。 ……非人道的な措置であったという、自覚はある。だが、他に手段がなかったのも確かだったのだ。 田村媛命: (……星の外より来訪した、毒性の強い因子。放置していればその繁殖力と拡散力によって、全土の生命が死に絶えていたであろう……) とはいえ、そんな中……羽入たち角の民は雛見沢においてそれらの戦いに巻き込まれ、わけもわからず翻弄されていた。私が状況について、詳しい説明をしなかったせいだ。 その理由は過去の遺恨のせいで、私が彼らのことを信用していなかったからだ。……ただ、その点についてはさすがに神として迂闊であったと多少は反省している。 もっとも、その後羽入たちは自分たちが弄ばれているのだと理解するや……思わぬ反撃を食らわしてきた。 おかげで『采』の侵略の野望は潰えることになり、私は目的を達成することに成功した。……その対価として、「お仕置き」も食らったが。 そして、事情を把握した角の民の仲介により私たちは過去の遺恨を捨て、和解することになった。 そして『采』とも、万が一に危機が訪れた時には共同で事に当たることを誓い合ったのだが……。 ほんの数日もしないうちに、『采』は私たちの前から姿を消してしまった。存在もいつしか、知覚できなくなっていた……。 田村媛命: あの者の動向は……その思考についてもそうだが全てが常識の域外で、吾輩にも予想ができぬ也や。ただ……。 羽入(巫女): ただ……なんですか、田村媛命? 田村媛命: ……あくまでも、吾輩の見立て哉。あの者は利己的だが、同時に過剰な欲深さはない。 田村媛命: 吾輩や角の民と激突することを選んだのも、そうしなければ己が滅せられると考えたゆえん也や。 田村媛命: よって、己の存在が認められるという確たる約が得られると……和解をすんなり受け入れた。我らの上位に立つ選択肢を有していたのに……だ。 羽入(巫女): つまり……『采』がいなくなったのは僕たちとの共存が嫌になったわけではない、と? 田村媛命: ……。ひょっとしたらあやつは、……いや。 その可能性について言葉に出すことは憚られて、私は途中で口をつぐむ。 なぜならそれは、最悪すぎる未来について思いを馳せるのと同じ意味を有していたからだ……。 Part 02: ……起きてしまった、#p未曾有#sみぞう#rの惨劇。その有様を目の当たりにして言葉を失い、私はただ立ち尽くすしかなかった。 田村媛命: っ……このようなことが……なぜ……?! 信じられない……いや、信じたくないという思いが視界に映る全ての現実を否定し、拒絶する。 とうの昔に、感情は捨てたつもりだった。ありのままを受け入れ、地上の民をはじめとした数多の生命の行く末を見守り続けていく――。 それが神としての矜持であり、義務であると自らに厳しく戒めて……これまで長きに渡り、過干渉を控える姿勢を貫いてきた。 冷たい、情のない存在だと嫌悪する者もいよう。神としての力を持ちながら手を差し伸べぬのかと、失望を覚えられたこともあっただろう。 だが、神とは全ての存在に対して公平であらねばならない。どれかを立てると、必ずどこかで反動としわ寄せが生まれる。 だとしたら、ある程度は運命だと見なすべきなのだ。そう思って心を凍らせ、傍観に徹するつもりだった。 なのに……それなのに、これは……?! 田村媛命: いったい……これは、どういうこと#p也#sなり#rやっ? 悲鳴にも近い叫びを上げずにはいられなくて、私は眼下に広がる惨状に怖気と嘔吐感すら抱いてしまう。 地面を埋め尽くすように転がっているのは、おびただしい数の人、人、人……。 自然の草木や人工の建造物による彩りや装いは、どろりと粘った朱黒に染まり……周囲の空気さえ瘴りと悪臭によって汚染されている。 重い沈黙の中、音として聞こえてくるのは吹きつける風によってざわめく枝葉の震えと……。 絶え間なく私の困惑と驚愕を煽り立てるように聞こえてくる、苦痛に満ちた複数の呻き声だった。 田村媛命: どうして、こんな事態に……?!惨劇は回避されたと、あの角の民の長もはっきりと申していたはず#p哉#sかな#rっ……! 思い出す。……あれは確か、角の民どもが差し出がましくも私たちのために用意した和解の席でのことだ。 私と采、そして角の民の長……羽入。その席にて三者はそれぞれ、自分の落ち度を認め合い……いや、「認めさせられた」ことで諍いを決着させた。 そして、今後は地上の民の安寧と発展を願ってお互いの領分を侵犯しないことを誓い……彼らの行く末を見守っていこうと決めたのだ。 もちろん、私にも思うところがあり全てが自分の思い描いた理想ではなかったので不満がないわけではなかったが……。 おそらく羽入や采も同じであったはずだと理解し、苦渋を飲み込みつつ妥協という名の生温い協調路線を受け入れることにした。 だからこの地は、少なくとも向こう数十年……私たちにとっては一瞬の刹那にも等しい短さとはいえ、平和が訪れるはずだったのに……! 田村媛命: いったい何者が、このような乱暴狼藉を……?! 田村媛命: 角の民の長がここまでのことをするとは、とても思えぬ。ならばまさか、采が裏切った……? そんな疑念がちらりと思考の中に入り込んできたが、すぐにそういった「迷い」は霧散して消える。 元々采は、このように大地を汚すことを好まない。手段はさておくとしても、全ての地に自分たちの花が根付いて咲くことが何よりの目的だからだ。 にもかかわらず、その土壌を死で埋め尽くそうと考えるのはさすがに思えない。明らかに矛盾で、理不尽の極みだ。 田村媛命: だとしたら、何者がこの地に……?! 鷹野: ……くすくす。こんなところで何をしておられるのですか、#p田村媛#sたむらひめ#r命様……? 田村媛命: ……っ……? ふいに、声をかけられ……私は身体ごと振り返って身構える。 ……おかしい?呼びかけられるまで、全く人の気配を感じなかった。 そして、その顔を確かめるや息をのむ。なぜなら、そこに立っていたのは……?! 鷹野: 初めまして。……いえ、この場合は「お久しぶり」と申し上げるべきなのかしら。 鷹野: だってあなたは、私に「巫女」として力を与えてくれたのですからね……。 田村媛命: なっ……そ、そなたは……?! Part 03: 田村媛命: 鷹野……三四……っ! 本名は違うものだとすでに把握済みだが、世に広まっている呼称で私は彼女の名を口にする。 ――鷹野三四。角の民が集まって暮らしを営むこの#p雛見沢#sひなみざわ#rの地にある診療所の看護婦……というのは表の顔だ。 実際には、この地にあまねく存在していた「寄生虫」という名の因子を研究して解明しようとする、「ヒト」の身を越えた絶対の意思を持つ者……っ! 鷹野: あなたには、礼を述べなければいけませんね。以前、身に余る力を与えてくれたおかげで……私は「あること」に気づくことができました。 田村媛命: っ……「あること」、とは……? 鷹野: この世にて生きる「ヒト」の思考……あまつさえ自我そのものも支配する、神をも超えた力を行使する方法です。 鷹野: そしてこれが、その結果……私の理論が正しかったということが証明された、まさに集大成なのです……!! 田村媛命: なっ……?! 愚かしくも自惚れに満ちたその宣いに、私は言葉を失って目を見開く。 実のところ、あり得ない妄言……ではなかった。なぜならそれは、ここではない別の「世界」において私が彼女に授けてやった力のひとつだったからだ。 田村媛命: (だが……おかしい。いや、あり得ない……っ!) 驚きと自失の思いを振り払うべく、私は内心で否定の言葉を叫び続ける。 確かに私は、その「世界」においてこの鷹野三四を「巫女」として選び、力を与えた。それは忌まわしくも汚点とも呼ぶべき……事実だ。 だが、少なくともこの「世界」ではそのような恩恵をもたらしてやったことはない。絶対に……ない! なのに、どうしてこの者はその力を得ている?……いやその前に、そのことを「知っている」のだ?! 田村媛命: 神をも超えた、力を行使すると……?増上慢もかように過ぎると、むしろ天晴れ#p也#sなり#rや。 必死に冷静さを取り戻すべく、私は鷹野に向けてそうなじるように言い放つ。 だが、目の前の女は全く動じない。それどころか、神である私のことを居丈高に……まるで哀れむように見下しながら続けていった。 鷹野: あら……そんなにもおかしな発言だったかしら?これでも私は、身を弁えてお話を申し上げたのですが。 鷹野: だって少なくとも、今の私がこの域に至ることができたのはあなた様と出会ったおかげ……。 鷹野: いわばあなた様は、私にとっての母のような存在なのですからね……? 田村媛命: ……神に向かって母だと申すか。つまり自身のことを神の子と見なそうとするのは、神への冒涜の極みと知り給え。 田村媛命: ……よかろう。さような傲慢極まりない態度を貫くのであれば、吾輩も容赦はせぬ#p哉#sかな#r。 田村媛命: 多少の苦痛とともに、己の身の程知らずを悔やむことになるであろうが……神の慈悲による教訓としてその骨身に刻みつけるがいいっ! 勢いよく手を振りかざし、私は波動の一部を解き放つ。 それは雷光にも似た電撃となってほとばしり、鷹野の全身に降り注がれて瞬時に焼き尽くす……はずだったのだが。 田村媛命: なっ……ど、どういうこと也やっ?吾輩の波動を、跳ね返した……?! 鷹野: くっくっくっ……あーっはっはっはっはっ!! 鷹野: やはり……やはりか!あなたも「あれ」と同じだ! 人の世界に染まりすぎて、神としての分際を見極められなくなった出来損ない! 鷹野: それとわかれば、もはや恐れるものは何もない!私は私の積年の願いを叶えるべく、行動に移すのみだ!! 田村媛命: ……ま、待つ哉っ!そなたは……いや、貴様はいったい何者っ?! 鷹野: くすくす……まだ気づかないの?あぁそうか、気づくわけがないわね……? 鷹野: だってあなたは、「ヒト」は知覚できても神の力を「視る」ことができなくなったのだから……!! 田村媛命: そ、それはどういう意味……ぐっ? 田村媛命: な……なんだ、この力は……?鬼樹が、吾輩の意思に逆らう……?! 田村媛命: あ、あり得ぬ也やっ!人の子の身で神の存在に干渉し、あまつさえ意のままに操る術などが……、っ? いや……可能性がないわけではない。しかしそれは、……まさか……?! 田村媛命: そなた……いや!貴様は、「ヒト」ではないな……?! 鷹野: ……くすくす。正解にたどり着くのが、少々遅かったわね。 鷹野: さぁ……眠りなさい……!私の紡ぎ出す「物語」に、あなたの存在はもう必要ないの……! 田村媛命: ぐっ……ぐわあああぁぁぁあああぁぁぁっっ??! 羽入(巫女): あぅあぅ……#p田村媛#sたむらひめ#r命?聞こえていますか、あぅあぅっ……! 田村媛命: ……っ……? ふいに呼びかけられたのを感じて、私は顔を上げる。 田村媛命: …………。 視界に映し出されて広がるのは……私の住まいだ。背後には鬼樹が、雄々しい姿でそびえ立っている。そして――。 田村媛命: そなたは……角の民の長、か……? 羽入(巫女): 他の誰に見えるのですか、あぅあぅ。ひょっとして悠久の時を過ごしてきたことで、ついにボケが訪れたりしたのですか? 田村媛命: なっ……?少なくとも、そなたよりはよほどマシ也や! 思わず激高交じりに言い返しながら、私は内心で脱力感にも近い安堵を覚える。 どうやら……詳しくは思い出せないがさっきまで観ていたのは過去の記憶の再生で、現実ではなかったようだ。 その証拠に、死の気配は感じられない。この視界に映る場所も……そして、私が知覚できる雛見沢全域のどこにも。 …………。 しかし……だとしたら、さっき観たものはなんだ?確か私は、『采』の存在について覚えていることを引き出そうとして……そして……。 羽入(巫女): ? どうかしましたか、田村媛命……? 田村媛命: ……角の民の長よ。例の、『采』の行方についてのことだが……。 羽入(巫女): あぅあぅ……? 田村媛命: あ、いや……なんでもない哉。 質問を引っ込めた私は、首をかしげる羽入のもとを離れてしばらく歩き……雛見沢を見下ろせる場所へと移動する。 そして、古手神社の高台ほどではないが一応全景を眺めることができるそこから村の様子を確かめて……。 田村媛命: …………。 胸の中でくすぶる嫌な思いをわずかに慰め、大きく息をついていた……。 …………。 今し方、私が意識を手放していたほんの一瞬の間に……明らかに大きな、そして決定的な変化が起きていたとも気づくことなく……。 羽入(巫女): ……田村媛命。『采』って、いったい誰のことなのですか……?