Part 01: 菜央(弓道着): (……これが、最後の1本。今度こそ、当ててみせるわ……!) 菜央(弓道着): はぁっ……、っ?! 沙都子(私服): あぁっ、惜しい……!的まで、あと少しのところでしたわ。 菜央(弓道着): あら……もう着替えちゃったの、沙都子? 沙都子(私服): えぇ、今し方。汗をかきすぎてしまいましたので、お先に失礼させてもらいましてよ。 菜央(弓道着): ……和弓って、思ってた以上に難しいのね。まっすぐ引き絞って狙いを定めても、力が弱くて的まで届いてくれないし……。 菜央(弓道着): かといって山なりに放ったら、風や空気の影響でどこに飛んでいくのかわからなくなっちゃうし……はぁ、困ったものだわ。 沙都子(私服): 伝統芸能とは、そういうものかもしれませんわね。一見簡単なように見えても、実はとても奥深くて容易に身につけることができない……。 沙都子(私服): ですが……いえ、だからこそ古より神聖な手段として退魔にも用いられるほど、厳かな儀式と尊ばれるのかもしれませんのよ。 菜央(弓道着): 確かにそうね。……でもそろそろ、手が重くて弓を引き絞れなくなってきたかも、かも……。あんたはどう、沙都子? 沙都子(私服): 実は、私もですわ。この後はしっかりとマッサージをしておかなくては、明日は筋肉痛で腕が上がらなくなりそうでしてよ……。 菜央(弓道着): それじゃ、今日はこのあたりにしておきましょう。あまり根を詰めてやりすぎても効果はないし、何より怪我の元だわ。 沙都子(私服): はぁ……それにしても魅音さんのお願いとはいえ、今回はうっかり安請け合いをしてしまったものと少し後悔していましてよ。 沙都子(私服): 弓の射的は屋台などで経験がありましたけど、まさか弓道がこんなにも難しいものだったなんて……。 菜央(弓道着): そうは言っても、沙都子は1日に2回くらい当てられるようになったんだから、すごいじゃない。 菜央(弓道着): あたしなんて、始めてから一度も的にかすりもしてないのに……。 沙都子(私服): なんでもそつなくこなすお方だと思っていましたが……菜央さんにしては、珍しいこともありますのね。 沙都子(私服): まぁ、何事も向き不向きがあるものですし……そこまで深刻に捉える必要はないと思いましてよ。 菜央(弓道着): ふふ……そんなこと言って気遣ってくれてるけど、あんただって引き受けたことを後悔してる、ってさっき言ったばかりじゃない。 沙都子(私服): ……をーっほっほっほっ、確かに!これは一本取られてしまいましたわね~。 沙都子(私服): それはさておき、菜央さんは実戦でこそお強い方だと私は思っていますので……きっと大丈夫ですわ。 菜央(弓道着): だと、いいんだけどね……。 沙都子(私服): では、私はこちらで。明日も頑張りましょうですわ、菜央さん。 菜央(私服): えぇ。それじゃ、またね。 …………。 菜央(私服): はぁ、疲れた……。 菜央(私服): 魅音さんは、参加してくれるだけでもありがたいから結果は気にしないで、って言ってくれてるけど……。 菜央(私服): せっかくだから、それなりにいいところを見てもらいたいわよね。あと、レナちゃんにも……あら? ふいに視線を横に向けると、見慣れた建物。考え事をしているうちにいつの間にか、レナちゃんの家の近所を通りがかっていたようだ。 なんとなく自転車を停めて、その入口を見つめる。ひょっとしたら、レナちゃんが外に出てくるかもと期待して……。 レナ(私服): ……あれ、菜央ちゃん? 菜央(私服): っ、レナちゃん……?! 本当にレナちゃんが出てきてくれたので、あたしは思わず裏返った声を上げてしまった。 レナ(私服): 家に帰るところかな、かな?今日は確か、#p興宮#sおきのみや#rで矢打ちの練習をするって言っていたよね。 菜央(私服): ……うん。ついさっきまで、沙都子と一緒だったんだけどね。 レナ(私服): そうなんだ。……はぅ、もしよかったら今日はレナの家でご飯、食べていく? 菜央(私服): えっ……?それは、すごく大歓迎だけど……いいの? レナ(私服): うん。実はさっき、お父さんから今日は帰れないって電話があってね。 レナ(私服): ひとりだと夕食の材料が余っちゃいそうだから、一緒に片付けてもらえると嬉しいかな……かな? 菜央(私服): も……もちろんOKよ!あ、でもいったん家に戻ってから、美雪たちに話しておかなきゃ……。 レナ(私服): だったら、レナの家から電話していいよ。戻ってまた来ると、二度手間になっちゃうしね。 菜央(私服): ありがとう、レナちゃん!それじゃ、ありがたくそうさせてもらうわ。 レナ(私服): じゃあ、自転車を適当なところに停めていいから中に入ってね。 Part 02: …………。 菜央(私服): あ……あれっ……?ここって、……レナちゃんの……? 菜央(私服): それに枕と、掛け布団……ということは……。 レナ(私服): あっ……起きたんだね、菜央ちゃん。どう、よく眠れた? 菜央(私服): ほわっ?……う、うん。ひょっとしてあたし、ここで寝ちゃったの……? レナ(私服): うん。美雪ちゃんに電話した後で少し休むって横になってから、ずっとね。 レナ(私服): はぅ……菜央ちゃんの寝顔、とってもかぁいかったよ~♪ 菜央(私服): ご……ごめんなさい。せっかく家に呼んでくれたのに、あたし……。 菜央(私服): あっ……お夕食の準備、手伝うわ。あたしは何をしたらいい? レナ(私服): あははは、大丈夫だよ。たった今終わったところだから、すぐに用意するねっ。 菜央(私服): あっ……? 菜央(私服): ……。そっか、夕食の準備ができるまであたしを寝かせてくれてたんだ。 菜央(私服): やっぱり優しいな……ちゃん……。 菜央(私服): ごちそうさま、レナちゃん。とってもおいしかったわ。 レナ(私服): あははは、お粗末様。お野菜中心だったから、あまり手の込んだ料理を出せなくてごめんね。 菜央(私服): そんなことないわ。どれもすごく工夫がしてあって、食べやすくて……。 菜央(私服): まるで、お母さんが作ってくれたみたいに優しい感じがしたから……。 レナ(私服): ……はぅ、そうなんだ。菜央ちゃんのお母さんって、お料理が上手なの? 菜央(私服): ……っ……? レナ(私服): ……菜央ちゃん?急にそんな顔をして、どうしたのかな……かな? 菜央(私服): ご……ごめんなさいっ……!レナちゃんの家族のこと、前に聞いてたのに……。 レナ(私服): あ……。 レナ(私服): 気にしないで、菜央ちゃん。レナの家族のことは、あなたと無関係なんだから。 レナ(私服): それに、菜央ちゃんが尊敬しているお母さんと同じくらい料理がおいしいって言ってもらえて……レナはとっても嬉しいかな、かなっ。 菜央(私服): レナちゃん……。 レナ(私服): ね、菜央ちゃん。あなたのお母さんのこと……よかったら聞かせてもらってもいい? 菜央(私服): …………。 レナ(私服): ……菜央ちゃん? 菜央(私服): あ……ご、ごめんなさい。えっと、その……。 菜央(私服): ……あたしのお母さんは、いつもすごく忙しいの。帰ってくるのは遅いし、泊まり込みになることも結構あって……。 菜央(私服): だから普段は、お手伝いさんの作ってくれたお料理を食べることが多かったわ。 レナ(私服): そうなんだ。……菜央ちゃんはそれで、寂しかったりしなかったのかな、かな? 菜央(私服): 仕方ないとは思ってたけど……夜中に物音がしたり、動物の鳴き声を聞いた時はちょっと怖かったわ。 菜央(私服): こんな時は、誰かが横にいて手を握ってくれてたら安心できるのに……なんて。 レナ(私服): …………。 菜央(私服): けど……ね。お母さんは必ず、朝にはあたしのことを起こしてくれるの。 菜央(私服): 徹夜明けでも、すぐに職場に戻っても……時間がない時は、電話になることもあったけど。 菜央(私服): そして食卓には必ず、朝食ができてるの。いない時でも、手紙を置いてくれたりしてね。 菜央(私服): あたしはそれを食べて、学校に行って……。だから寂しいって思うことはあったけど、不満に思ったことはなかったかも……かも。 レナ(私服): ……そうなんだ。菜央ちゃんのお母さんって、優しい人なんだね。 菜央(私服): えぇ、大好きよ……とっても。だから……だからっ……、っ……!! レナ(私服): っ……菜央、ちゃん……? 菜央(私服): ……ぅ……ぐすっ、……! レナ(私服): ……ごめんなさい、菜央ちゃん。あなたの事情は、私にはよくわからないけど……。 レナ(私服): お母さんに……会いたいんだね。レナにも、その気持ち……少しだけ、わかるよ。 菜央(私服): ……っ、……うぅ……レナ、ちゃん……! レナ(私服): だから、菜央ちゃん。寂しくなった時は……レナに言ってね。 レナ(私服): あなたのお母さんにはなれないけど、せめてお姉ちゃん……の代わりくらいになら頑張ってみせられると思うから……ね? 菜央(私服): ……っ、……ううん、十分……! 菜央(私服): レナちゃんは……今のままで……あたしは、もう……っ……。 Part 03: ……その日の夜。レナちゃんは、あたしと一緒に同じ布団で寝てくれた。 布団は1人分の大きさだったから、2人並んで横になると身体を寄せ合っても少しはみ出してしまいそうになったけど……。 とてもあったかくて、優しくて……あたしにとっては世界中の幸せを詰め込んだような、素敵な時間をかみしめていた。 菜央(私服): あの……レナちゃん。 レナ(私服): ……? なぁに、菜央ちゃん。 菜央(私服): 寝づらくない? もし窮屈だったら、今からでも別にひとつ布団を並べてそっちに移ってもいいけど……。 レナ(私服): ううん。菜央ちゃんの身体があったかいから、とってもいい気分で眠れそうだよ~。はぅ♪ 菜央(私服): っ……ほわ……。 たとえ、あたしを気遣ってのお世辞だったとしても嬉しくて、幸せで……。 このまま眠ってしまうのが惜しくて、いっそ夜が永遠に続いたらいいのにと思えるほど心地よすぎて……だから……。 菜央(私服): …………。 レナ(私服): ……菜央ちゃん、もう寝ちゃった?やっぱり矢打ちの練習で、疲れてたんだね。 …………。 レナ(私服): あのね……菜央ちゃん。さっき、菜央ちゃんの話を聞いて……レナは昔のことを思い出していたんだ。 レナ(私服): お母さんのことが大好きで、一緒にいるだけで楽しくて……幸せで……笑顔で一杯だった日のことを……。 レナ(私服): ……ほんの数年前まで、私はお母さんのことが大嫌いになるなんて……想像もしていなかった。 レナ(私服): だって、私のお母さんも菜央ちゃんのお母さんみたいに優しくて、頑張り屋さんで……誠実な人だったから……。 …………。 レナ(私服): だから……ね、菜央ちゃん。もし……もしもあなたのお母さんが悪いことをして、裏切るようなことがあったとしても……。 レナ(私服): お母さんが心の底から謝った時は、1度だけ……たった1度だけでいいから、許してあげてね。 レナ(私服): 私のように、大嫌いになってしまったら……きっとあなたは、後悔する。 レナ(私服): 楽しかったこと、嬉しかったことを全部記憶の中で塗りつぶそうとして、できなくて……もっともっと、悲しくなってしまうから。 レナ(私服): 菜央ちゃんは、とっても優しい……私の大好きな……だから……。 レナ(私服): 私みたいには……絶対に、ならないで……。 ……その日、あたしは夢を見た。 大好きなお母さんと一緒に遊園地に行って、手を繋いで……。 そしてもう一方の手には、同じくらいに大好きなあの人がいた……。 魅音(宵越し): ……ではこれより、矢打ちの儀を始めます。まずは一人目……鳳谷菜央さん、お願いします。 菜央(弓道着): ……っ……。 魅音さんからの紹介を受けて一礼し、弓道着に身を包んだあたしは足音を忍ばせて射的の場へと移動する。 レナ(私服): 頑張って、菜央ちゃーん!! レナちゃんの応援の声が、はっきりと聞こえる。 そのあたたかくて力強い言葉を胸に、あたしは弓を引き絞り……そして……! 千雨: ……当たった! しかもど真ん中だと……? 圭一(私服): すっげぇ……1発目で、これかよ! 沙都子(私服): をーっほっほっほっ、さすが菜央さん!やはり実戦派だけなことはありますわね~! 菜央(弓道着): …………。 ちらっ、と一瞬だけ笑顔をみんなに返してから、あたしは再び矢をつがえる。 矢打ちの儀では、何かの願掛けをするものだという。だとしたら、あたしが願うことは……。 どうか、昨夜見た夢がいつか……現実となって叶いますように、と。 叶うはずがないと思う夢だからこそあたしは、強く……心を込めて、願い続けていた――。