Part 01: ……どれくらいの間、私は意識を失っていたんだろう。 目を開けると、辺りは闇に覆われて……月明かりに照らされた光景がぼんやりと視界に映し出される。 一穂(覚醒): …………。 背中に固い感触を覚えて振り返ると、建物らしき壁。どうやら、私は力尽きる直前にここへもたれるようにへたり込み……そのまま気絶してしまったようだ。 一穂(覚醒): ……っ、ぐ……っ! 壁を支えにして立ち上がった途端、全身を駆け巡る激痛にうめき声をあげてしまう。 足に力が入らない……。一歩踏み出すだけでも感覚がおぼつかなく、少しでも気を抜けば倒れそうだ。 今は確かめる気力もわいてこないが、おそらくあちこち負傷もしているのだろう。……ただ、出血や骨折については大丈夫だと思う。 いずれにしても、部活メンバーを複数相手にしてよくも生き永らえたものだ……。 そんな感想を抱いた次の瞬間。はっ……と、私は息をのんで我に返り、気を失う直前までの出来事を思い出した。 一穂(覚醒): (そうだ……私は前原くんや魅音さん、レナさんたちと戦うことになって……それで……) 激しい死闘の記憶が断片的に蘇り、全身がぶるっ、と悪寒に震える。 一切の容赦がない前原くんたちはあんなにも恐ろしくて強かったのか……と、改めて骨身に染みる思いだった。 味方でいてくれた時は頼もしい限りだったが、敵となれば……もはや、悪夢。今生きていることが、不思議でしかなかった。 一穂(覚醒): ……。前原くんたちは、どこに……? 警戒して身構えようにも力が入らないので、私は辺りに目を配り、前原くんたちの姿を探す。 だけど、……彼らはどこにもいない。あるいは地面に倒れているのでは、と慎重に窺ってみたが、らしき影は全く見当たらなかった。 一穂(覚醒): みんな……どこに行ったの……? 周囲から聞こえてくるカエルや鈴虫の声があまりにも平穏すぎて違和感を覚えながら、私は壁伝いにそれが終わるところまで移動する。 そしてふと、顔を横に向けると……その先には上部に『入江診療所』と掲げられた建物の入口。 どうやら私が気を失っていた場所は、診療所の隣にある駐車場だったのだとここでやっと理解した。 一穂(覚醒): 入江先生は……もう、いないのかな……。 あれだけ非人道的なことをしたのだからすでに逃げた可能性が高い……と思いつつも、私はガラス扉を押して中へと入っていく。 足を進め、診察室が見えるあたりに来た途端むっ……と生臭い空気を感じた私は、思わず吐き気を催しそうになった。 一穂(覚醒): ……っ……。 悪い予想は当たったのかもしれない……そんな憂鬱さに沈みかけたが、なんとか勇気を奮って奥へと向かう。 そして、半開きになったドアを開けて中に入ると――。 一穂(覚醒): …………。 「それ」を見た瞬間、私は顔をしかめながら視線をそらす。 そこには、椅子の背もたれにだらりと身体を預け、足を投げ出した格好でうなだれて座る……入江先生の姿があった。 その右腕は、肘掛けよりも外側に投げ出されて……手には1丁の拳銃。 あいにく顔は、外からの逆光のせいでよく見えないけれど……私が入ってきても反応どころか、ピクリとも動く気配がない。 もはや彼は、この「世界」から魂を手放している……近づいて確かめるまでもなく、私にも容易に想像がついた。 一穂(覚醒): ずるいよ、入江先生……。 怒りや憎しみ、恨みの感情以上にやるせない思いがこみ上げてきて……私は大きくため息をつく。 死を選んだのは、もはや助からないという絶望感からか。それとも、自分の研究成果を見届けることができて満足したのか……。 本人でない私には、その真意はわからない。ただ理解をしたいとも思わないし、まして彼に哀れみを感じることもなかった。 一穂(覚醒): ……さよなら。 私は診察室の扉を閉め、待合室を横切って診療所の外へ出る。 ……少し、四肢の感覚が戻ってきたようだ。とりあえず私は、まずこの村を出ようと考えてたどたどしい足取りで歩き始めることにした。 Part 02: 美雪ちゃんと菜央ちゃんの後を、追いかけないといけない。その約束で、先に行かせたんだから。 ただ、問題は……。 一穂(覚醒): (どこに行ったんだろう……) 村の人たちの包囲網を抜けて#p雛見沢#sひなみざわ#rから出られたのだろうか? そうであったのであれば嬉しい。……けど、この状況で最良の結果にすがるのは難しいだろう。 だとしたら、あの2人はどこに行く……?どこに逃げる? 可能性は、ひとつしか思い浮かばない。 そう、私たちが雛見沢に来た道……。 一穂(覚醒): 祭具殿……。 祭具殿を通して平成に戻れるのであれば、安全な避難ルートは他にないだろう。 一穂(覚醒): (本当に祭具殿が使えるか、わからないけど) どこかのルートから雛見沢を抜けようとするより、祭具殿から逃げられないかを確認する方が先だ。 ……あの2人だけなら、きっと包囲網を抜けようと考えるより、そちらの方法を模索するはずだろう。 だって……。 ……美雪ちゃんのお父さんが、ここに血塗れで倒れているんだから。 一穂(覚醒): ……っ……。 身体のあちこちに傷があって、大量の血が地面に広がっている。 ぼんやりと開かれた目は、うつろで……意識を確かめるまでもない様子だった。 一穂(覚醒): …………。 私は傍らに膝をつき、手を伸ばして彼のまぶたに触れ……そっと下ろす。 近くに、2人の姿はない。きっと彼は、何かの事情でここにとどまり娘と菜央ちゃんを逃がしきったのだろう……。 美雪ちゃんと菜央ちゃんだけで、村を塞ぐ包囲網の突破は難しい。そして……この道の先には、古手神社。 向かうべき場所は、決まった。でも……。 ……立ち上がり、前を向いた先に村の人たちが壁を作るように立っている。 村人たち: …………。 みんな、分校を襲ってきた他の人たちと同じように……私を殺そうとしている。 私に、死んでほしいと思っている。 ……公由一穂を、殺したがっている。 一穂(覚醒): ひぃ、ふぅ、みぃ……。 数えてみて、すぐにやめた。 全員、私に死んでほしいと思っているのだから……私も全員、殺すしかない。 一穂(覚醒): …………。 村人A: ガッ?! 『ロールカード』を変化させた武器で、真っ先に走り寄ってきた相手を倒す。 一穂(覚醒): (あれ……私の「カード」って、こんな感じだったっけ……?) 一瞬不思議に思ったけど、いつも以上に手に馴染むから、まぁいい。 一穂(覚醒): ――っ、と……。 手首を返す動作のついでに、別の村人にもう一撃を叩き込む。 そのまま一度、背後に飛ぼうとして。 一穂(覚醒): っ……! 右足に走った激痛に目を落とすと、膝下の部分に大きなのこぎりがざっくりと刺さっていた。 一穂(覚醒): このっ……!! 村人B: ゴァッ?! でも刺している人の頭は無防備だから、そのまま腕を振って頭に武器を落とす。 固い。でも倒れたってことは割れたのかもしれない。 ……まぁ、どうでもいい。 どうせ、相手は私のことを殺したいんだし。私も、相手を殺すしかないんだから……ッ! 一穂(覚醒): はぁ、はぁ、はぁ……。 ……ようやくたどり着いた古手神社の階段は、どれだけ登り続けても終わりが見えない。 身体のあちこちの、動きが鈍い。階段をひとつ登るのにも時間がかかる。 それでも足を止めるわけにもいかず、ちょっとずつ……でも、確実に上がっていく。 ようやく、鳥居を越えたと安心した直後――。 一穂(覚醒): ――あっ……。 ぬれた感触を足で感じた直後……どしゃっ、と身体が崩れ落ちる。 濡れた音がしたから、血だまりに足を取られたのかと視線を落として……気づく。 一穂(覚醒): あし、とれちゃった……。 右足の膝から、ちょっと下。村の人にのこぎりが刺さった箇所がちょっとずつ広がったのか、ちぎれていた。 いや、かろうじて繋がってはいる。……でも、立ち上がろうとしても力が入らない。 白いのが見えてるけど、これは骨……? ……どうしよう、困ったな。足が動かないと、2人に追いつけない。 美雪ちゃんと菜央ちゃんは、優しいから。きっと、私のことを心配している。 ……早く、行かなくちゃ。 祭具殿に向かいたいのに。 私はちゃんと追いついたよ、って伝えなくちゃ。ちょっと遅くなっただけだって言わなくちゃ。 そうしないと……心配しちゃうから。 一穂(覚醒): う、ぐ、げ、ふっ……! べしゃっ、と音を立てて血の海が深さを増して……口の中に鉄の味が広がる。 一穂(覚醒): う、げ、ぇ…………。 この味、嫌だなって、思うのに……。嫌なのに、血が止まらない。 背中を刺された傷が、原因かもしれない。さっきからずっと、じくじく痛むから……。 ……身体が冷えるように感じるのは、なんだろう。よくわからないけど、気持ちが悪い。 でも……行かないと。 一穂(覚醒): み、ゆぎ、ちゃん……な、っ、ちゃ……。 血を吐きながら、両腕に力を込めて少しずつ這って……進む。 祭具殿、こっちでいいんだっけ?うん、たぶん……そうだと、思う。 早くしなくちゃ。いそがなくちゃ。2人が、待ってるから……。 ごめん……ね。 すぐ……おいつく、か……ら……。 Part 03: 美雪: ……一穂、一穂! 菜央: ちょっと、起きなさい! 一穂: ……えっ……?  : 目を開けると、美雪ちゃんと菜央ちゃんがいた。  : ……制服姿で。 一穂: ……なんで、美雪ちゃんと菜央ちゃんがいるの? 菜央: なんでって……それこっちのセリフなんだけど。 美雪: 一穂がお昼ご飯の後、お手洗いに行くって言ったっきりなかなか戻って来ないから、2人で探してたんだよ。 美雪: で、裏庭で座り込んでるのを見つけて……膝抱えて寝てたからびっくりしたけどさ。 寝ていた……?昼間の分校の裏庭で? 制服姿で? いや、それよりも……。 一穂: ……#p綿流#sわたなが#rしは? 菜央: は……? 呆れたように目を見開いた菜央ちゃんが、隣の美雪ちゃんと顔を見合わせる。そして、 菜央: 綿流しはまだ先のことじゃない。今、何日だと思ってるの? 美雪: どうしたの? 綿流しに参加する夢でも……って一穂、泣いてるの? 一穂: え、あ……。 違う、と言いかけて目元を拭って気づく。 自分でもよくわかっていなかったけど、どうやら私は泣いていたらしい。 でも……その理由はよくわかる。美雪ちゃんと菜央ちゃんが、ここにいるからだ。 昭和の#p雛見沢#sひなみざわ#rに2人がいることに、私は安心した。嬉しかった。だから……。 一穂: (……吐きそう) 2人が無事に平成に戻れなかったことよりもここにいてくれることを喜んでしまう自分が……心底、嫌な気分だった。 美雪: どうしたのさ、一穂。嫌な夢でも見たの? 一穂: ……。うん……。 私を挟むように左右に腰を下ろした2人に、ぽつりぽつりと、さっき見た夢の話をした。 ただ、どう答えていいかわからない部分……忘れてしまった大事な何かについては、曖昧にごまかすしかなかったのだけど。 美雪ちゃんも菜央ちゃんも、一度も口を挟まず黙って私の話を聞いてくれた。 そして私が語り終えると、美雪ちゃんは大きなため息をついてから髪をくしゃり、とかき上げていった。 美雪: ……んー、なかなかの悪夢だね。状況がリアルすぎて、さすがに笑えないよ。 一穂: 悪夢……でいいのかな。 夢と終わらせるには、色々なものが記憶として残りすぎている。 みんなが殺し合う光景、人を殺した時に感じた手応え……そして、這っていく力が抜けていく感覚――。 でも、美雪ちゃんと菜央ちゃんはここにいるし、右足はちゃんと繋がっている。 その事実だけは、とりあえず安堵すべきだとわかっているんだけど……。 菜央: 悪夢でいいのよ。そうじゃないなら、ここにいるあんたとあたしたちはなんなのよ。 一穂: それは……うん、そうだね。 美雪: …………。 菜央: 美雪? 美雪: あ、いや……ごめん、一穂。ちょっとおでこを失礼するね。 美雪ちゃんの温かい手が、私の額に触れる。そしてうん、と頷いてから少しだけ表情を緩めていった。 美雪: 熱はないみたいだけど……具合はどう?体調悪い時って、悪い夢を見るからねー。とりあえず、診療所に――。 一穂: ……ッ……! 診療所、の言葉にさっきの光景が蘇ってきて……ぶるっ、と身体が震えてしまう。 美雪: ……は、やめておいた方がいいか。ごめんごめん、うっかりしてたよ。 一穂: ……ううん、大丈夫。夢の中の話、だから。 だいたい、そんなことを言い出したらこの分校だって十分悪夢の現場だ。 でも、周囲には倒れた人も……血走った目でこちらを睨む人もいない。だからまだ、こうして落ち着いていられる。 美雪: 無理しなくていいよ。ただ、明日よくならなかったらその時はどうするかを考えようね。 一穂: ……うん。 現実の入江先生は、とてもいい人だ。こんな夢を見たこと自体、あの先生に対してとても失礼な話だろう。 ただ……そうとはわかっているのに、診療所に向かうことが、今は怖い。 そんな私を、美雪ちゃんと菜央ちゃんはあやすようにトントンと背中を撫でてくれた。 美雪: 大丈夫、もしもの時があっても私たちは一緒だからさ。 菜央: 安心しなさい。一穂だけ診療所に行かせたりしないわ。 一穂: ……うん。 背中越しの温もりに、ようやくこわばっていた肩から少しだけ力が抜けた気がした。 菜央: もうすぐチャイムが鳴るし、あんたはあっちの水道で顔洗ってさっぱりしてきなさい。 一穂: そうだね。 頷きながら私は立ち上がり、菜央ちゃんが指さした先にある水道へと向かう。 一穂: …………。 ちょっと不安になって振り返ると、花壇の側に座った美雪ちゃんが笑顔で、菜央ちゃんが苦笑いで手を振ってくれるのが見えた。 一穂: (……大丈夫、2人は待っていてくれる) 安心した私は2人に背を向け、小走りで水道に向かった……。 菜央: で、美雪……あんた、何がいいたいの? 美雪: なんのこと? 菜央: とぼけても無駄よ。さっき、少し考え込んでたでしょ。 美雪: ……んー、まぁ思うところがあってさ。あ、先に言っておくけど一穂は悪くないよ。 美雪: ただ、夢の中でお父さんが一穂を置いて私と菜央を逃がしたでしょ? 美雪: で、お父さんは死んで……私たちはたぶん生きて、平成に戻ったと思うんだけど……。 菜央: 私はお父さんを見捨てたりしない……そう言いたいってこと? 美雪: いや、逆。一穂が言った状況なら、そうするだろう……というか、置いて行く可能性が高いと思ってさ。 菜央: ……それは、あたしがいたから? 美雪: 私だけなら、残ったと思うけど……隣に菜央がいて、お父さんに逃げなさいって言われたら……置いて行くかな。 美雪: お父さんは、私が死ぬことも……菜央が死ぬことも望まないだろうからね。 菜央: …………。 美雪: ……とか言っておいて、いざとなったら逃げられないって言い出すかもしれないけどね!まぁ、その時にならないとわからないかな~! 菜央: ……ごめんなさい。 美雪: おぅ、なにが? 菜央: あんたのお父さんのことは、知らない。……けどあんたがそうする道を選んだのは、たぶんあたしのためだろうから。 菜央: その時が来たら言えないから、先に言っておこうと思って。 美雪: ちょ、ちょっと……菜央まで一穂の悪夢に引っ張られないでよ。 美雪: 私たちは、昭和の雛見沢にいるんだよ?そして綿流しは、まだ先の話。さらに言うと、お父さんは雛見沢にいない。 美雪: 一穂も菜央も、なーんにも気にする必要ないよ。……全部、ただの悪い夢なんだからさ。 菜央: ……。そうね。 菜央: あたしたちの未来が、一穂が見た悪夢に繋がってないことを祈るしかないわ。 美雪: だね……。私も同じ意見だよ。