Part 01: ……夢。あたしは今、夢を見ている。 目の前に広がるこれが、夢の中の光景だと誰かが言ったわけではないけれど……きっとそうだという実感がなぜかあった。 菜央(水着): ……。ここは確か、あの時の……。 記憶の中に残る「あの場所」を目の当たりにして、あたしは驚きながらも一歩、前に足を踏み出す。 ふと視線を下に向けると、いつの間にか自分が水着姿になっている。 菜央(水着): (昨夜は久しぶりに実家へ戻って、パジャマに着替えてベッドに入ったはずなのに……) なにより、視線が今よりもずっと低く……体形は遠く過ぎ去った「あの時」の年頃のものだ。 それを確かめた「成長後」のあたしは、なぜか奇妙に落ち着いたままの思考でここが「現実」ではないと判断していた。 菜央(水着): ……そっか。10年……いえ、20年前の記憶をあたしは思い出してるのね。 この日の夜……あたしたちは幽霊騒ぎを解決するため、本来は大人限定だったはずの夜のプールを使わせてもらっていたのだ。 それを受けて、あたし以外のみんなも水着に着替えて、プールに入り……。 まだ夏の暑さが残る中、冷たくて気持ちのいいひと時を楽しく過ごしていた……。 一穂(ナイト水着): ……菜央ちゃん。 菜央(水着): えっ……? ふいに、背後から声をかけられて……あたしはすぐに振り返る。 たとえ何年経とうとも、決して忘れることがない優しい響きの声……。 そして目を向けた先には、いつもより少し派手な水着を着こんだ「あの子」の姿があった。 ……一穂……。 忘れられない……いや、忘れたくない記憶のままの彼女の面立ちに、あたしの瞳はみるみる潤んでいく。 もう、当時のあの子よりずっと年上になったのに……こうして向き合っているだけで嬉しくて悲しくて、涙がこぼれ落ちそうだった。 一穂(ナイト水着): どうしたの、菜央ちゃん?みんなあっちで待ってるよ。 一穂が指さす先に顔を振り向けると、レナちゃんや魅音さん、前原さんたちが楽しげに遊んでいる様子が見える。 もちろん、今すぐにでも駆けていきたかった。特にレナちゃんとは、たとえ夢の中の一瞬でもその顔を見つめながら話がしたかった。 でも……今はそれよりも、この子に……。 菜央(水着): ……。ねぇ、一穂。 聞きたいことがあった。どうしても、確かめておきたかったのだ。 菜央(水着): 一穂……教えて。あんたはどうして、あたしたちと一緒に元の世界へ戻ろうとしなかったの? 一穂(ナイト水着): えっ……?あの菜央ちゃん、それってどういう意味……? あぁ……確かにそうだろう。あたしは今、本当に理不尽な疑問を一穂にぶつけている。 なぜならこの時点で、あの「惨劇」は起きていない。それゆえに彼女にとっては全く身に覚えのない話で、こんなことを聞かれても答えようがないだろう。 でも……それでもあたしは、もはや二度と会えない一穂自身に向けて問いかけずにはいられなかったのだ。 菜央(水着): #p綿流#sわたなが#rしの後、村人たちがおかしくなって……みんなも狂い始めて逃げようとした時、あんただけが残った。 菜央(水着): あたしたちを無事に逃がすために、時間稼ぎで足止めをしてくれたことは感謝してる。おかげであたしは、こうして生きてるんだから。 菜央(水着): でも……でもね……! 戸惑う一穂の顔を真正面で受け止め、あたしは申し訳なさでちくり、と胸の内に痛みを感じながらも、思いのたけをぶつけていった。 菜央(水着): 一穂……あんたって本当は、最初から戻る気なんてなかったんでしょ?自分だけは残るつもりだったんでしょ……っ? 菜央(水着): 10年経って……少しは大人に近づいてきてあたしは、なんとなくだけどそうじゃないかって思うようになったのよ。 一穂(ナイト水着): …………。 その問いかけに対して、一穂は答えない。……ただ、彼女の表情にさっきまでの少し頼りなく思える愛らしさは微塵もなく……。 なぜか透明で冷たい、……まるで氷のような輝きを目の中にたたえていた。 菜央(水着): ……っ……。 あぁ……そうだ、思い出した。あの時も一瞬だけど、一穂はなぜかこんな表情をした……気がする。 だけど、子どもだったあたしはそんな彼女に恐ろしさを覚えて何も言えず……口をつぐんでしまった。 ……だけど、今なら言える。一穂の顔を見て、ちゃんと言えるはず……! 菜央(水着): 一穂……教えて。あんたはどうして、#p雛見沢#sひなみざわ#rに来たの?電話で呼ばれたって、本当は嘘じゃないの? 菜央(水着): 美雪のように、誰かの遺志を継ぐため?それともあたしと同じく、罪を償うため? 一穂(ナイト水着): …………。 菜央(水着): 一穂……あんたはあたしと美雪に、いったい何を隠してたの?何を教えて、託そうとしてたの? 一穂(ナイト水着): 菜央ちゃん……。 一穂の表情に、やや陰りのようなものが浮かんでくるのが暗がりの中でも……わかる。 ……とはいえ、これは夢。だから一穂も記憶から再生された存在でしかなく、あたしの望むような答えは返ってこない……。 そう思ってため息をつきかけた……次の瞬間だった。 一穂(ナイト水着): ……。この世界は間違ってる。 菜央(水着): えっ……? 一穂(ナイト水着): 本来は存在しないものがたくさんあって、世界それ自体がおかしくなってる……菜央ちゃんだって、きっと気づいてるよね? 一穂(ナイト水着): だから、……して。そうすれば……は、きっと……。 菜央(水着): な……何? よく聞こえなかったわ、もう一度言ってよ一穂っ! 一穂(ナイト水着): ……※※……※※※……っ……! 必死に声を限りに叫んでみても、一穂の声にはノイズが混じって何を言っているのか聞こえなくなる。 そのうち、周囲の景色はだんだん遠ざかりあたしのいる場所は暗闇の隅へと追いやられて……。 そこで夢が覚め、……あたしの周囲には現実が再び戻ってきた。 Part 02: 美雪: ふーむ……また妙な夢を見たんだね。 25歳の赤坂美雪が、自分のあごをさすりながら難しそうな顔をしてため息をつく。 ……まさか、昨日会ってお喋りした彼女に明け方早々に電話で泣きつくことになるとは思わなかった。 とりあえず、落ち着いて話そうと言われて午後休を取った美雪とここで会っている。 ……もちろん、今日の分は私のおごりだ。 美雪: ちなみに菜央、あのプールの事件の後に一穂とそんな話をしたの? 菜央: ううん……あの時は一穂がいつもと違って変な感じだったから、どうしたのよ、って尋ねるだけで精一杯だったわ。 美雪: だとしたら、……それは夢だね。あるいは時差ぼけになるのかな?私も体験したけど、あれって結構キツイよねー。 菜央: 美雪……あたしは真面目な話をしてるんだけど。 美雪: んー、菜央が真剣に悩んでるのはわかってるって。 美雪: わかった上で、そっちの可能性もちゃんと考慮に入れておいた方がいいと思って、私はそう言ったんだよ。 菜央: ……どういうことよ。 美雪: 時差ぼけって、体内時計のズレが原因で起きるんだよ。 美雪: で、体内時計っていうのは要するに脳の時計になるから……覚えてた記憶の時間を狂わせたりもする。 美雪: 菜央が夢の中で聞いた一穂の言葉は、おそらくキミが長年にわたって#p雛見沢#sひなみざわ#rの資料を読み漁ってきた成果が上書きされたんだろう。 美雪: だから研究を深めれば深めるほど、その場に居合わせていたあの子たちの顔が頭に浮かび、その口を借りて言葉になる……。 美雪: つまりは菜央自身が一穂に抱いた疑問と、それに対する推論が具現化したものだと思うよ。 菜央: ……そう言う考え方で、いいのかしら……? 美雪: うん、いいと思うよ。……あと、これはキミの話にケチをつける意味じゃないんだけどさ。 菜央: なに? 美雪: 夢の中でキミが聞いた一穂の言葉……あの子が言ったとするには、なんか違和感があるんだよね。 美雪: 菜央の台詞ならともかくとして、なんというか……一穂っぽくないなってね。 菜央: ぽくないって……具体的には? 美雪: んー……ごめん、上手く言えない。 菜央: ……根拠のない違和感があるって言葉は、結局ケチをつけるのと同じじゃない? 美雪: だからごめんって言ってるでしょー? 菜央: いい年して子どもっぽいこと言わないでよ……あぁ、でも……そうね。 菜央: 確かに、美雪の言う通り一穂の言葉らしくないかも……かも。 美雪: ほら! やっぱりちらっとはそう思うでしょ? 菜央: えぇ……だとしたら、ナイトプールで一穂と話したって記憶もあたしが見た夢の話なのかしら。 美雪: 話自体はしたかもしれないよ?でも、この世界は間違ってる……なんて、一穂は言ってないんじゃないかな。 美雪: 多分、何か別の……すごく他愛の無い話をしたんだと思うよ。明日はご飯が食べたいー、とか。 菜央: それは一穂が言いそうね。 美雪: でしょ? ってことで、キミの疑問に対するひとつの答えになってるといいんだけど。 美雪: 現実が夢に干渉することはあっても、夢の中の話が現実に干渉してくるなんて常識的に考えてもあり得ないことだしね。 菜央: …………。 美雪: どうしたの、菜央?この考え方だと、まだ納得できない? 菜央: ううん。確かに美雪の言う通り、常識ではありえないことだと思うわ。でも……。 菜央: あたしたちは、その常識から外れた事象に巻き込まれて過去の雛見沢で過ごして……本来会えない人たちと会ってきた。 菜央: ということは、ありえないはずのことがまたここで起きたとしても不思議じゃない。そう思うと、どうしても……。 美雪: あはは、だから考えすぎだって。そりゃ、以前私たちがしてきた体験は理論的には説明できないことだけど……。 美雪: あの時からもう、10年が過ぎてる。その間何も起きず、何も見つけられなかったのにそれが突然また起きたのはどうして? 美雪: 根拠も心当たりもないのに、夢の中の話を迂闊に信じるのはよくないと思うよ。 菜央: ……。確かに、そうね。この話はもう、この辺りにしておくわ。 美雪: んじゃ、気を取り直して……明日とか時間ない? 私も有休を取るから、どこかに遊びに行こうよ。ね? 菜央: えぇ、わかったわ。それじゃ、待ち合わせの時間は……。 …………。 美雪: (……ごめんね、菜央。キミの悩みをはぐらかすような卑怯な言い方をしちゃって……でもさ) 美雪: (キミには、新しい未来がある。レナもキミの未来を望んだから、私たちを平成に送り出してくれたんだ) 美雪: (だからもう、過去にとらわれる自分とそろそろ見切りをつけたほうがいいと思う) 美雪: 過去に縛られて生きるのは……私ひとりだけで十分だよ。 美雪: ……。あーあ。会いたいなぁ……一穂に。 美雪: なんで菜央の夢には出てるのに、私の夢には出てきてくれないんだろ……。 美雪: もしかして、私だと頼りないって思われてる?だとしたら心外だなぁ……。 美雪: ……。夢でもいいから、会いたいよ。一穂……。 Part 03: …………。 その日の夜も、あたしは夢を見た。 なぜか前日に続いて、あの市民プールで過ごした夜の思い出だった。 菜央(水着): ……。やっぱり、いたわね。 それほど歩き回ることもなく、あたしはプールサイドの一角に座っていたあの子……一穂を見つける。 周囲にはレナちゃんをはじめ、他の知っている子たちの姿はどこにも見えない。……寂しくはあるけれど、好都合だ。 菜央(水着): ……一穂。 何をするでもなく……少し居心地悪そうにたゆたう水面を見つめている一穂に向けて、あたしは声をかける。 その呼びかけは、なぜか静まり返った空間の中で高く響いて……彼女は少し肩を弾ませてから、恥ずかしげな表情でこちらに振り返った。 一穂(ナイト水着): あ……あれっ、菜央ちゃん……?向こうで休憩してくるって、言ってなかった? 菜央(水着): えぇ。でも人が集まってきて騒がしいから、ここに逃げてきたのよ。……で、あんたは? もしかして、昨日と同じセリフが出てくるんじゃないかと緊張した。 ――この世界は間違っている。 その時は、その時は……? でも。 一穂(ナイト水着): なんだか……流れるプールがちょっとだけ怖くて。 一穂の口から出たのは、全く違う言葉だった。 菜央(水着): プールが怖いって……どういうこと? 一穂(ナイト水着): あ……普通の、昼間のプールは怖くないんだよ?流れてても、流れてなくても別に……。 一穂(ナイト水着): でも、夜の流れるプールは……その……。 菜央(水着): …………。 一穂(ナイト水着): でも、みんながすごく楽しんでるのに、こういうことを言ったら水を差しちゃうかな、って思って。 一穂(ナイト水着): だから……ずっと言えなくて。みんなから離れてたの……ごめんなさい。 そう言って恥ずかしがりながら、一穂はしょぼんと肩を竦ませる。 この会話……確かにあの時も、この子と同じ内容で交わした記憶があった。 菜央(水着): (そうか。一穂がこんな顔をしてたのは、夜の流れるプールが怖かったからなのね……) 思い出すと同時に納得し、同時に疑問が湧き上がる。 だとしたら、……あたしは何かを見落としている? あの時のことで、あたし自身が何かを思い出そうとして……? 一穂(ナイト水着): ? どうしたの、菜央ちゃん。急に黙り込んで……? 菜央(水着): いえ、なんでもないわ。……夜の流れるプールがダメなの? 一穂(ナイト水着): うん。そのまま流されて、なんだか知らない場所に行っちゃいそうな気がするから……。 菜央(水着): あんたが右手に持ってるのって、浮き輪のヒモよね?じゃあ、その浮き輪は一穂の? 一穂(ナイト水着): え? うん、そう言われて詩音さんに渡されたけど……。 菜央(水着): じゃあ、そこの浮き輪に乗りなさい。 一穂(ナイト水着): えっ? えっ? 菜央(水着): いいから。 強めに言うと、おそるおそる一穂は流れるプールの浮き輪の上に座り、あたしも続いてプールに入る。 一穂(ナイト水着): わっ、わっ……。 途端、当然流されそうになる一穂。その浮き輪の紐を、あたしはしっかりと握りしめた。 菜央(水着): あたしが浮き輪のヒモ握ってて引っ張ってあげる。……だったら、怖くないでしょ? 一穂(ナイト水着): い、いいの? 菜央(水着): いいのよ。あんたももう少し楽しみなさい。 菜央(水着): ほら、泳いであっちに行くわよ。みんなと一緒に遊びましょう。 一穂(ナイト水着): う、うん。 そう言ってあたしは、プールの底を蹴って浮き輪のヒモを引きながら泳ぎ始める。 一穂(ナイト水着): わっ、わっ、わ……わぁっ! 菜央(水着): どう、ちょっとは楽しくなってきた? 一穂(ナイト水着): う……うん! 菜央ちゃんが引いてくれると、全然怖くない! 菜央(水着): じゃあ、そのまま乗ってなさい。あたしに任せて、ね。 まだ12歳になる直前だったあたしはヒモを握りしめてプールの流れに乗り、時折底を蹴って前へ進む。 そして、21歳になるあたしは……思う。 菜央(水着): (もし……この夢が一穂……あるいはあたしの中にいる何かが呼びかけて見せているのだとしたら……) いいだろう……何度でも繰り返してやる。そしてあの時は気づかなかった「何か」を見つけ出してみせる……! その決意とともに、あたしはもうひとつの「現実」に挑む覚悟を固める。 でも、その前に……。 一穂(ナイト水着): わーっ、すごいすごい!あんなに怖かったのに、全然平気だよ!すっごく楽しいよ、ありがとう! 菜央(水着): ……どういたしまして。 今は、友達の笑顔を見ていよう。覚えておこう。 あたしの大事な友人の顔を、存在を、絶対に、絶対に……。 菜央(水着): (……忘れるものか)