Prologue: ……目を開けると、そこにはきらびやかな景色が視界一杯に広がっていた。 一穂(私服): ……あ……っ……? 行ったことがないはず……でも、明らかに見覚えのある街並みが遠くの方にまでずらりと続いている。 行き交う人々は、時代劇のような装いで賑やかで騒がしい雰囲気を醸し出し……。 そんな中私は、……ひとりぽつん、と呆然とした思いで佇んでいた。 一穂(私服): (ここって、……確か、花街。遊郭がある場所……だよね……?) 教えてもらった知識をぼんやりと思い出しながら、視線を落として自分の服装を見つめる。 私は、いつも着ている私服姿……着物ばかりの人々の中だと、明らかに場違いだ。 でも……誰も私を見ない。いや、こちらの存在に気づいていないように彼らは顔すら向けず、通り過ぎていく。 一穂(私服): (……なんだか、幽霊にでもなったみたいだ) なんて思いを胸の内で呟いたその時、背後からカラン……と、下駄の音がして。 振り返った私は、思わず目を見開いた。 レナ?: …………。 一穂(私服): あ、あなたはレナさ……じゃなくて、礼奈太夫さん……?! そこにいたのは、以前夢で見たレナさんと瓜二つの花魁――礼奈太夫。 だけど、今の彼女は記憶にあった豪奢で勝気そうな雰囲気をまといながらも……なぜか寂しげな表情を浮かべ、佇んでいた。 礼奈太夫: 『――――』 一穂(私服): えっ……? ふと、礼奈大夫の口元が動いたのに気づいた私は、目をしばたきながらその顔を見つめ返す。 今、……何か言ったのだろうか。声が小さかったのと周りの騒がしさのせいで、まるで聞こえなかった。 一穂(私服): あの……なんて言ったんですか? 何か大事なことを言われた気がして、私は礼奈大夫に尋ねる。 すると彼女は、陰りを表情に浮かべながら……再びその口をゆっくりと動かしていった。 礼奈太夫: 『――て……』 一穂(私服): (……て?) 一穂(私服): (もしかして、助けて……?!) そうだ。太夫は以前、見た夢の「世界」で悲劇に巻き込まれて深手の重傷を負い……妹さんとともに、命を失った。 ひょっとして、そのことを私に告げて何かを求めようとしているのだろうか……? 一穂(私服): あ、あの……っ!私に、何かしてもらいたいんですか?それとも、他に欲しいものとか……? 礼奈太夫: 『…………』 私の問いに、太夫は悲しげな顔で小さく首を左右に振る。そして、 礼奈太夫: 『……もう、やめて……』 一穂(私服): えっ……?やめるっていったい、何を……? その言葉の真意を求めて、私はさらに近づこうと一歩踏み出す。が、 一穂(私服): ……わぁぁぁあぁっっ?! いつの間にか、周囲の景色は消えて……持ちあげた足はどこにもつかず、私の身体は闇の中へと落ちていった――。 一穂(私服): ……っ……?! 再び目を開けたそこにあったのは、あのきらびやかな花街ではなく……普段寝起きしている、私の部屋だった。 一穂(私服): ……それが、起きる前の話。ただの夢だってわかってるんだけど、ちょっと気になっちゃって……。 美雪(私服): ふーむ……なるほど。そいつは朝っぱらか、災難だったね。 美雪ちゃんと菜央ちゃんから、起きてくるなり顔色が悪かったことを心配された私は、2人に聞かれるままさっきの「夢」の話をする。 てっきり笑い飛ばされるかと思って、正直あまり乗り気ではなかったのだけど……。 美雪ちゃんは真面目に話を聞いてくれたので、私も澱を吐き出したような安堵を感じることができた。 美雪(私服): いやー、そりゃ気になって当然だよ。以前に見た悪夢をもう一度見せられたんだからさ……しかも理由もわからないってのが、余計嫌な感じだね。 一穂(私服): 悪夢……そっか。悪い夢って意味だと、これも悪夢なんだよね。 美雪(私服): 当然、一穂には心当たりなんてないんでしょ?「止めて」ってただ言われただけじゃ、何のことだか見当もつかなくて困っちゃうよねぇ。 一穂(私服): ……うん。もう少し、ちゃんと話ができればよかったんだけど……菜央ちゃんはどう思う? いつものようにアドバイスがもらいたくて、私は隣の菜央ちゃんに顔を向ける。すると、 菜央(私服): ……しい……。 一穂(私服): えっ? 菜央(私服): また花魁姿のレナちゃんに会えたなんて、羨ましい……ッ! 一穂(私服): …………。 ……やっぱり、レナさんが絡むといつも通りの菜央ちゃんだった。 美雪(私服): いや……あのさぁ。今はそっちの話じゃなくて、一穂のことを心配してあげるのが先でしょ? 菜央(私服): わかってるわよ。礼奈太夫はレナちゃんじゃないから、別人だってこともね……! 菜央(私服): ……でも!やっぱり、羨ましいものは羨ましいのっ!あたしも礼奈太夫に会ってみたーい! そう言って菜央ちゃんは、こぶしを握りしめながら本気で悔しそうな表情を浮かべている。 ……夢の話だと言って軽く扱われるのも嫌だけど、ここまで真剣に捉えられてもどう反応していいかわからない……相談って、難しい。 一穂(私服): ご、ごめんね……? 菜央(私服): 別に謝らなくてもいいわよ、あんたは悪くないんだから……! 菜央(私服): ……でも、やっぱり羨ましいっ!一穂に夢を見せたのが神か悪魔か知らないけど、なんであんたばっかりなのよぉぉおぉっ?! 一穂(私服): え、えっと……? 美雪(私服): はいはい。そっちの理不尽についてはあとでゆっくり聞いてあげるから、今は我慢しようね。 美雪(私服): とりあえず……一度、話を整理しようか。まずは、状況の確認からだよ。 美雪(私服): 以前だと一穂は、梨花ちゃんの家の蔵から見つかった着物に触って、夢の中で「いちほ」って太夫になった……いや入れ替わった、かな? 美雪(私服): で、いちほ太夫の姉でレナそっくりの礼奈太夫は、痴情のもつれで客に殺されてしまう……。 美雪(私服): その絶望からいちほ太夫は自ら命を絶ったけど、過去のその無念を、一穂が晴らしてあげて……とりあえず解決ってことで前回は目が覚めた。 美雪(私服): ここまでは、私の認識で合ってるよね? 一穂(私服): う、うん。 美雪(私服): だとしたら、なんで礼奈太夫がまた一穂に助けを求めたのか……そこを確かめないと。 菜央(私服): ただ……「やめて」って言葉は、聞き方次第だと色んな意味に捉えることができるわ。必ずしも助けとは限らないんじゃない? 一穂(私服): う、うん。すごく困ってるようにも感じられたんだけど……いったい何のことで、誰に対してなのか全く想像がつかないし……。 一穂(私服): だいたい、どうして私なんかの前に現れてそんなことを言い残していったんだろう……? 菜央(私服): さぁ……夢を見た一穂本人がわからないのに、あたしたちには想像もつかないわ。……美雪はどう思う? 美雪(私服): んー、菜央の言う通りだね。私たちが推測や対策を行うにしても、現状だと情報が足りなすぎて完全にお手上げ状態だ。 美雪(私服): とはいえ、……一穂も夢だと決めつけて、このままにしたくないんだよね? 一穂(私服): う、うん……。 美雪(私服): じゃあ、何か意味があると思って行動しようよ。無駄足だったかどうかは、あとになってから考えればいい話だしさ。 菜央(私服): 行動……って、具体的には? 美雪(私服): まぁ、キーになるのは現場検証だね。つまり、一穂がもう一度あの「世界」に行って……礼奈太夫に何があったかを、直接確かめるんだよ。 確かに美雪ちゃんの言う通り、それが一番やるべきことだろう。 ……ただ、問題がひとつある。というよりも、一番難しい障害があった。 菜央(私服): 言ってることは至極もっともだけど……どうやって行くつもりなのよ。 一穂(私服): そうなんだよね……。 そう……夢の中の出来事である以上、向かうにしてもどこへ行くのか全くわからない。 でも、美雪ちゃんはニヒルな二枚目のように「ちっちっちっ」と舌を鳴らし、不敵な笑みで私と菜央ちゃんに向き直っていった。 美雪(私服): 前に一穂が太夫の夢を見たのは、古手家の倉庫から出てきた古い着物に触れたから……だったよね? 美雪(私服): それなら、もう一度同じ要領で古い着物に触れてみるしかないと思うよ。後先が逆になっちゃうけどさ。 一穂(私服): そ、そうだね……! シンプルな対策だが、一番答えに近いかもしれない。私は賛同し、菜央ちゃんもそれに従った。 だけど……? 菜央(私服): ……だったら、今度はあたしが行くわ。 一穂(私服): えっ……? 菜央(私服): レナちゃ……じゃなくて礼奈太夫が困ってるんでしょう?だったら、放っておけないわ。 菜央(私服): それに、もしかしたらその人はレナちゃんの遠い親戚の人なのかもしれない……でしょ? 一穂(私服): そ、そうだよ……ね? 美雪(私服): いやいや菜央、ちょっと待ちなって。一穂も流されて納得するんじゃない。 美雪(私服): そもそも、一穂の夢の話なんだから行けるかどうか以前に、菜央が行ってきてどうするのさ? 菜央(私服): あたしが行っても役に立たない、って言いたいの? 美雪(私服): いや、そうじゃなくて……うーん、どう説得したものか。 一穂(私服): えっと……じゃあ菜央ちゃん、私と一緒に礼奈太夫を助けに行ってくれる? 菜央(私服): もちろんよ。一緒に頑張りましょう♪ 一穂(私服): ありがとう。菜央ちゃんが一緒なら、心強いよ。 菜央ちゃんと顔を見合わせて、笑顔を交わす。……でも、美雪ちゃんはまだ渋い顔だった。 美雪(私服): うーん……これは私の個人的意見だけど、菜央を花街には行かせたくないんだよ……まぁ、一穂も別の意味で心配だけどさ。 菜央(私服): なんていいながら、自分は大丈夫って言いたそうな顔してるわね。 美雪(私服): そりゃいろんな話を、近所の防犯所属のお父さんたちから山ほど聞かされたからね。 一穂(私服): 防犯……? 美雪(私服): 防犯部のこと。警察の中でも、市民の生活を守る部署のことだよ。 美雪(私服): そういや最近、内部部署の名前が変わって保安2課が薬物対策課になったんだっけ……?やってることは前と変わらないみたいだけど。 菜央(私服): ちょっと。話がずれてるわよ? 美雪(私服): あぁ、ごめんごめん。 美雪(私服): 防犯部の仕事の中には風俗系のお店や、キャバクラの管理とかも含まれてるから……いろいろ聞かされたんだよ。 美雪(私服): 現代の遊郭経営の裏側のアレコレとか、さ。 一穂(私服): …………。 そういえば、遊郭の花魁はキャバ嬢のご先祖様のようなものだと、魅音さんが言ってたような気がする。 美雪(私服): 魅音の親戚がキャバクラやってるらしいから、変な先入観を植え付けそうで……2人にはあんまり言いたくなかったんだけどさ。 美雪(私服): そういう店の経営ってね、ちゃんとしてるところはしてるらしいけど、酷い店は本当に酷いらしいんだ。 美雪ちゃんがどんな話を聞いたのか。言いにくそうな表情からすると、とてもいい話ではなさそうだ。 美雪(私服): そういう店では大金が動く……となると、裏に何が絡んでるかわからないから。 美雪(私服): ……万が一この中の誰が遊郭のある時代に行くことになっても、十分注意して。 言い終えると同時に、美雪ちゃんは最後のパンのカケラを口の中に放り込む。 美雪(私服): ……今の話、魅音には内緒にしといてね。 美雪(私服): 親戚の店がどんな経営してるかなんて魅音には関係ない話だけど、こんなの聞かされていい気はしないだろうから。 一穂(私服): う、うん。 菜央(私服): ……わかったわ。 美雪(私服): とりあえず誰が太夫の所にいくかはともかく、梨花ちゃんに一度電話で相談してみようよ。 美雪(私服): あの着物は供養のために収められたものだけど、今の所有権は古手家だからさ。 一穂(私服): う、うんっ。 Part 01: ご飯を食べた後、相談したいことがあるから梨花ちゃんの家に行きたいと電話をかけたところ、「じゃ、みんなで集まろう」ということになり……。 古手神社に集合した分校のメンバーの前で、私は昨夜の夢について相談することになった。 ただ、私だけではうまく説明ができないので……何度か美雪ちゃんと菜央ちゃんにフォローをしてもらったけど。 美雪(私服): ……ってわけなんだけど、よかったら着物触らせてもらえないかな? 梨花(私服): ……みー、一応事情は理解しました。着物は倉庫にあるので、鍵を取ってくるのです。 一穂(私服): あ、ありが……。 梨花(私服): ――ですが……。 私のお礼を遮るように、梨花ちゃんはやや困惑を拭いきれないような表情でいった。 梨花(私服): ……ちょっと、信じられないのです。本当にあの着物に触れると、過去の「世界」へ行くことができるのですか? 美雪(私服): んー、私と菜央が体験したわけじゃないから、絶対とは言い切れないけど……一穂がこう主張してるくらいなんだからさ。 菜央(私服): 一穂が、あたしたちをあとでからかおうと思ってこんな嘘を言ったりするかしら……? レナ(私服): はぅ……レナも一穂ちゃんがこんな嘘をつくとは思えないよ。 菜央(私服): やっぱり、レナちゃんもそう思うわよねっ! 菜央ちゃんが嬉しそうに同意する姿を見て、私を信頼してくれていることを実感する。 一穂(私服): (信じてもらえて、嬉しいな……) ただの夢だ、気にするな……って、切り捨ててくれてもいいはずなのに。 自分が信用されていると実感して、胸の奥があたたかくなった。 魅音(私服): まぁ、そういうメッセージを受け取ったのが事実だとしてさ……その対処法は、一穂をまたその「世界」に行かせるってことでいいの? 羽入(私服): …………。 梨花(私服): みー……もし本当にできたとしても、一穂ひとりだけを送り出すというのは少し心もとないのですよ。 沙都子(私服): 確かに……では、いっそ全員で着物に触れてみるというのはいかがかしら? 菜央(私服): えっと……それってつまり、全員で遊郭に乗り込むってこと? 沙都子(私服): その通りですわ!おひとりで乗り込むのは不安でしょうけど、全員一緒なら一穂さんも安心できるのでは? 魅音(私服): おっ……それはいいかも!私も一度、遊郭の世界ってのをこの目で見てみたかったんだよね~。 梨花(私服): ボクも時代劇の世界を見てみたいのですよ、にぱー♪ 美雪(私服): んー、なるほど。みんなで一緒に行くことができれば、安全度も安心度も上がりそうだね。 一穂(私服): う、うん……もしそれが可能だったら、私も心強いよ。 魅音(私服): じゃあ満場一致で賛成、ってことで……。 羽入(私服): あ、あぅ……。 場の空気がまとまりかけた時、そろそろと遠慮がちに手があがった。 羽入(私服): ぼ、僕は反対なのです……。 梨花(私服): 羽入……? 羽入(私服): 確かに前回、一穂は無事に戻って来ることができました……。 羽入(私服): ですが、2回目も無事に帰ってくることができるとは限らないのですよ。 羽入(私服): どういう力が働いているのかわからない以上、全員で乗り込むのは危険過ぎると思うのです……あぅあぅ。 沙都子(私服): それは……。 いつもは控えめな羽入ちゃんにしては珍しく強固な主張に、楽しげな雰囲気は一瞬で霧散する。そして、 菜央(私服): ……羽入の言うことも一理あるわ。 彼女の意見を後押しするように、、菜央ちゃんが落ち着いた口調と表情で言葉を繋いでいった。 菜央(私服): だから、乗り込むのはあたしだけにしましょう。それで解決ね。それがいいわ、えぇそうしましょう。 ……ただしその提案は、完全に下心が見え透いていたのだけど。 美雪(私服): おぅ、しれっと礼奈太夫に会いたい願望を優先しようとしてるよ。この子ったら……。 菜央(私服): あたしも礼奈太夫に会ってみたいのよっ! レナ(私服): あははは。レナもできれば、会ってみたいな。レナにそっくりなんだよね? 一穂(私服): えっと……さ、最初はそうだと思ったけどでも夢の中で見た夢の中じゃ、全然違う顔みたいに見えて……。 一穂(私服): でもその後はそっくりに見えて、でも、もしかしたら違うかもしれないけど、私には、えぇっと……その……。 沙都子(私服): ……一穂さんのおっしゃっていることがごちゃごちゃしてよくわかりませんわ。 沙都子(私服): 結局、礼奈太夫とレナさんは似てますの? 似てませんの? 一穂(私服): ……ご、ごめんなさい。私にも、よくわからなくて……。 レナ(私服): はぅ……自分が見た夢の話を他の人に説明するのって、難しいよね。 魅音(私服): あー、わかるわかる。面白い夢見て目が覚めて、忘れないうちに説明しなきゃって喋ってるうちにさ……。 魅音(私服): あれ、なんかおかしいこと言ってる?……って経験、私にもあるなぁ。 羽入(私服): あ、あぅあぅ……。 梨花(私服): 羽入。 菜央ちゃんに一気に話の流れを奪われ、おろおろと慌てる羽入ちゃん。そんな彼女に、梨花ちゃんがそっと寄り添っていった。 梨花(私服): ありがとうなのです、羽入。みんなのことを心配してくれて。 羽入(私服): 梨花……。 梨花(私服): では、一気に全員で触るのではなく順番に触ってみるのはどうですか? 美雪(私服): そうだね。何かあったら残った人で対処する……それでどう、羽入? 羽入(私服): あ、あぅあぅぅっ……! 梨花ちゃんの提案に、羽入ちゃんは渋面を作って悩んでいる様子だったけれど……。 やがて決心したのか、顔を上げて私たちに向き直っていった。 羽入(私服): で……では、僕が最初に触るのです! 一穂(私服): えっ……羽入ちゃんが? 羽入(私服): はいなのです。僕がまず触って、大丈夫だったらみんなで触ってみる……それなら、いいのですよ。 一穂(私服): で、でも……私の夢の問題なのに羽入ちゃんが真っ先に危ない目に遭うのは、さすがに申し訳ないんだけど……。 羽入(私服): 一穂の問題は、ここにいるみんなの問題です。だから、気にしなくてもいいのですよ。 羽入(私服): それに……元々、あの着物は古手神社に供養として奉納されたものなのです。だから、まず僕と梨花が対応すべきなのですよ。 一穂(私服): ……。ありがとう、羽入ちゃん。 レナ(私服): 決まりだね。じゃあ、着物を取りに行こっか。 梨花ちゃんの手で扉の鍵が開けられて、私たちは久しぶりに古手家の倉庫へと足を踏み入れることになった。 梨花(私服): えーっと……確か前に掃除した時、この辺に……。 沙都子(私服): 確か、あっちに置いたはずでは? レナ(私服): そうだね、圭一くんがそのあたりに置いてたような……。 羽入(私服): あ、あったのですよ! 魅音(私服): よーし、そっち持って。外に運び出すよ~。 一穂(私服): よい、しょっ、と! 取り出した木箱を、みんなで縁側に運ぶ。 掃除したばかりの箱はとても綺麗だ。最近掃除したばかりなのだから、当然だろう。 一穂(私服): (……あれ?でも私たち、いつ倉庫掃除したんだっけ?) そんなことをぼんやり考えている間に、レナさんと魅音さんが箱を開けて薄い布に包まれた着物を取り出した。 羽入(私服): では、まずは僕が触ってみるのです。 羽入ちゃんは緊張した面持ちで布を開き、中の着物を露わにして……。 羽入(私服): えいっ! 開いた小さな手をぺたり、と着物に当てる。すると……。 …………。 沙都子(私服): ……何も起こりませんわね。 菜央(私服): もしかして、一穂が触ると何かが起こるんじゃない? レナ(私服): じゃあ、一穂ちゃんと一緒に全員で触ってみるのはどうかな? かな? 梨花(私服): それしかなさそうなのですよ。 羽入(私服): あ、あぅあぅ……では、やってみるのです。 みんなで手を出し、着物の上にかざす。 魅音(私服): じゃあ、いくよ……せーのっ! 魅音さんの号令とともに、私たちはカルタを奪い合うように一斉に着物に触れる。そして……! 美雪(私服): ……。何も起こらないね。 沙都子(私服): あの……本当にこの手段で、一穂さんは過去の「世界」に飛ぶことができたんですの? 一穂(私服): う、うん……前はそうだった、はず……。 一穂(私服): (あれ、そうだったっけ?うん、たぶんそうだった……と思う……) おかしい。着物を見つけたことは覚えているのに、過去へ移動する時に何が起こったのかが自分の中で曖昧になって……うまく思い出せない。 一穂(私服): でも、どうして何も起きないのかな?前にあった、手紙っぽいのも見当たらないし……。 美雪(私服): 小物類もあわせて、全部この箱に入れたはずじゃなかったっけ……? 梨花(私服): みー。倉庫を片づけた時に、どこかへ紛れ込んでしまったのかもしれません。 魅音(私服): とにかく同じ現象が起こらないんじゃ、これ以上、今の私たちにできることはないだろうね。 菜央(私服): そうね。……あら? ちょっとガッカリしたような菜央ちゃんが着物の入っていた箱を見て、首を傾げる。 菜央(私服): このかんざし、前に見た時あったかしら。 梨花(私服): みー……?菜央、それを取ってもらえますか? 菜央(私服): はい、これ。 箱から取り出したかんざしを、菜央ちゃんは梨花ちゃんに手渡す。 菜央(私服): こんな綺麗なかんざしが入ってたら、あたし覚えてると思うんだけど。 梨花(私服): ボクも見覚えがないのですよ……前は、こんなものは入っていたのですか? 梨花ちゃんはそう言って、かんざしを箱に戻す。その後きょろきょろと周囲を見渡し、みー、と少し落胆の色を表情に浮かべていった。 梨花(私服): ……何も起こらないのですよ。 レナ(私服): しばらく、様子を見てみようよ。もしかしたら今夜、一穂ちゃんの夢の中にまた花魁さんが出てくるかもしれないし。 一穂(私服): う、うん……そうだね。 と、そこで話はまとまり……。 羽入(私服): ……あぅあぅ。では、これからどうするのですか? 沙都子(私服): せっかく集まったんですし、何かして遊ぶというのはいかがでして? 魅音(私服): じゃあ、みんなでおじさん家に来ない?取り寄せ頼んでたボードゲームが昨日届いたから、明日学校に持って行くつもりだったんだよね。 沙都子(私服): あら、いいですわね~! レナ(私服): はぅ~、どんなゲームなのかな? かな? 梨花(私服): 楽しみなのですよ、にぱー。 これからの予定を話し合って騒がしい中、着物を黙々と片付けていた菜央ちゃんが箱にフタをしながら、そっと肩を落とす。 菜央(私服): はぁ……。 一穂(私服): 菜央ちゃん……? 菜央(私服): ……あたしも、礼奈太夫に会えると思ったのに。 よっぽど会いたかったのだろう。その姿はいつもより小さく見えた。 美雪(私服): まぁ、そんなに気を落とさないでさ。菜央だったらまた、花魁の着物を自作してレナに着てもらえばいいじゃん。 菜央(私服): そういう問題じゃ……。 菜央(私服): ……いえ、確かにそれはいいわね。早速近いうちに、そうしましょう。 美雪(私服): おぅ……もう立ち直ったよ。さすがというか、ほんと現金だねぇ。 一穂(私服): あ、あははは……。 Part 02: …………。 さて、ここからは主役交代。当初はあの子で固定するつもりでいたんだけど、面白そうだから予定を変更することにしたわ。 まぁ、もっとも……無力な小娘から無力な小娘に変わったところで、何が変わるって話だけどね……。 ……あははっ! ……その夜、寝苦しさのせいであたしは浅い眠りから意識が覚めてしまった。 菜央(私服): ……ん……ぅ……。 菜央(私服): (やけに暑いわね……寝る前って、こんなに気温が高かったかしら) 隣には確か、美雪が寝ていたはず。ただ、あたしと違って彼女は暑さに強いせいか、苦しそうな寝言などは聞こえてこない。 菜央(私服): (……それに、喉が渇いたわ) とりあえず台所に行って、水でも飲んでからもう一度寝直すことにしよう。そう決めてからあたしは、目を開けて――。 菜央(私服): えっ……? 知らない場所が、視界一杯に広がっているのを感じて……目をしばたたかせた。 菜央(私服): なに、これ……?! 今まで行ったことがない……少なくとも、記憶にはない光景だ。でも、似た建物は見覚えがある。 確か幼い頃、「おとなしく静かにする」ことを約束した上でお母さんが連れて行ってくれた、時代劇の撮影現場だ。 そこで見かけた張りぼてのセットと、目の前の建物はまさに同じ装い……っ? 菜央(私服): ってことは、まさか……?! 一穂から夢の話を聞いて、現存する資料を読みあさった時に見つけた写真の光景とも似てる気がする。 つまり、つまりここは花街で、遊郭……?! 菜央(私服): や……やったあぁぁっ! 歓喜のあまり、あたしは両手を突き上げてはしたないほどに飛び跳ねる。 すれ違った着物姿の男の人がうわっ、とか声をあげたようにも聞こえたけど……そんなの全く、気にもならない。 あたしが今、感じること……それは念願の夢がかなったという、喜びの思いだけだった。 菜央(私服): (なぜ、こうなったかはわかんないけど……きっと、あたしの願いが通じたんだわっ!) 菜央(私服): (早速レナちゃん……ううん、礼奈太夫さんに会いに行かないと!) あたしはそう心に決めて、周囲に目を向ける。そして期待に胸を膨らませながら、場所を確かめるべく花街を歩き始めた。 菜央(私服): (礼奈大夫さんって……ひょっとしたら、レナちゃんのご先祖かもしれないのよね。だったら、あたしにとってもご先祖様よ……!) あたしの家は、親戚付き合いが全くなかった。いるのかいないのか、どこに住んでいるのかも親から聞いたことがない。 唯一の例外と言えば、母方の祖母だけ……しかもここ数年は入院しているので、話はともかく遊んだりすることが難しくなった。 だから、学校の子たちが親戚の話をしているとちょっとだけ、羨ましかった。 特に、親戚に会わせてもらえなかった理由を知ってしまってからは、叶わぬ願いのように感じていたから……。 親戚に会いに行くことがどんな感じなのか、ずっと経験してみたかったんだ。 菜央(私服): (あと、礼奈太夫には一穂似の妹がいるのよね。もしかしてあの2人って、実は遠い親戚だったりするのかしら……?) #p雛見沢#sひなみざわ#rは小さな村だから、絶対ないとは断言できない。可能性はゼロじゃないと思う。 菜央(私服): (だとしたらあたしも、一穂と繋がってて……親戚のお姉ちゃんかもしれないってこと?) 礼奈太夫がレナちゃんの父方か、母方か……どっちの先祖かにもよるけれど、そんな事実だって存在するかもしれないんだ。 菜央(私服): (あ、でも……一穂をお姉さん、って呼ぶのはしっくりこないわね) やっぱり一穂は一穂、でいい。そっちの方があたしにはなじみやすく感じる。 ……などと、とりとめもなくそんなことを考えていたその時だった。 役人A: おい! 菜央(私服): えっ……? 背後から。2人組の男性に声をかけられた。頭はちょんまげで、腰には刀を差している。 パリッとした身なりを見る限り、遊びに来た人と言うよりはお役人さんのようだ。 役人A: そんな格好をして、怪しいやつ……お前、何者だ? 役人B: 様子がおかしいぞ……?もしやここのところ増えている「狐憑き」か? 菜央(私服): 「狐憑き」……? 役人A: いや、それとは違うだろう。俺は実際に、「狐憑き」を見たことがあるが……あれはもっとおかしな様子だったからな。 役人B: うむ……しかし、こやつも怪しいぞ。このように面妖な服を着ている童など、俺はこの辺りで見たことがないぞ。 役人A: うむ……言われてみれば……。 ……よく状況が飲み込めないが、どうやらあたしは、不審人物と思われているらしい。 菜央(私服): えっと、あたしはここの遊郭の……。 とっさに言い訳しようと口を開いて、すぐに言葉が詰まる。 一穂は、自分がいたお店の名前……なんと言っていただろう? 菜央(私服): (……そもそも一穂、お店の名前って言ってなかったような……?) 言葉にできない、嫌な予感に似たものを覚えて……一歩、後ろへと下がる。 ミシンで縫い付けをする時にそれがよぎると、たいていの場合糸がどこかで絡まっていたり、布の折り目がおかしかったりして……。 でも気付いた時にはいつだって手遅れで、また縫い直してやり直すしかないのだ。 でも、この場でやり直しができる保証はどこにもない……っ? 菜央(私服): (どうする……?どうすれば、この場を切り抜けられる?) 役人B: ん……? 必死に冷静を装って思考を巡らせる中、声をかけてきた男の隣にいたもう1人があたしをじっと見てきて……。 何かを思い出したのか、あっ、と声をあげた。 役人B: こ、こいつ……いや、このお方は確かこの遊郭でも指折りの人気花魁……。あの太夫の縁者じゃなかったか……?! 役人A: え? あ、そ、そうだ……! 役人A: ちょっと前にあの太夫のお姿を拝見した時、その後ろを歩いていた覚えが……! 菜央(私服): 太夫……、っ? もしかしてそれは、礼奈太夫のことだろうか? 一穂は夢の中で、「いちほ」という花魁……礼奈太夫の妹と入れ替わったと言っていた。ということは……! 菜央(私服): (もしかしてあたしも、一穂と同じように「いちほ」さんと入れ替わってる……?) そう察したあたしは、有難くその流れに便乗させてもらうことにした。 菜央(私服): そ……そうです!太夫の後ろで歩いてた、妹です! 役人A: ……だとしたら、『はると屋』の者だな。かなり遠出をしているようだが、何かの遣いか? 菜央(私服): あ、はい。近くでは探してるものが見つからなくて、こんなところにまで来てしまって……お騒がせしました。 あたしはぺこりと頭を下げ、その場から足早に立ち去る。 そしてしばらく進んでから後ろを振り返り、2人がいないことを確かめてふぅっ、と息をつきながら胸をなでおろした。 菜央(私服): ……どうやら、うまくごまかせたようね。早く『はると屋』を探しましょう。 菜央(私服): あの、すみません。ちょっといいですか? 茶屋の主人: んん? 菜央(私服): 『はると屋』ってお店はどこにあります? 茶屋の主人: それなら、あっちの赤い看板の店だよ。にしても嬢ちゃん、その格好は……。 菜央(私服): ありがとうございました! 茶屋の主人: えぇー……? 菜央(私服): ……あった、『はると屋』! たどり着いた建物を、あたしは嬉々とした思いで見上げる。 撮影所で見学した時に迷子と間違えられて少し難儀したが、その経験を活かすことができたようだ。 菜央(私服): ……っ、あとは……。 次にどうやって入るかを考えあぐねて中を覗き込む。……と、奥から荷物を抱えた着物姿の小さな女の子が顔を出してきた。 女の子: あっ……おかえりなさいまし。 その子は、あたしと顔なじみのようだ。一瞬緊張したが、すぐに気を取り直して親しげに笑顔を振りまいてみせる。 菜央(私服): ……ただいま。姉さんはどこかしら。 女の子: 姉さま……ですか? あのお方でしたら、いつもの角のお部屋におられますよ。 菜央(私服): そう、ありがとう。 あたしは何気なさを装って脱いだ靴を手に、女の子が指差した先に小走りで駆けていく。 廊下を一歩、歩くごとに期待で胸が膨らんで……。 菜央(私服): (やっと、会える……礼奈太夫に……!) 菜央(私服): (レナちゃんの遠い先祖……あたしの先祖かも知れない人に……!) そしてあたしは角の部屋にたどり着くと、ふすまをはしたないほど勢いよく開いた。 菜央(私服): レナちゃん……じゃなかった!礼奈太夫、やっと会えた! あたし……! 扉を開けると、中にいた人がくるりと振り返る。 菜央(私服): ……ほわっ? その瞬間、……笑顔のままあたしは固まってしまった。 そこにいたのは、レナちゃんと似た人ではなく……。 梨花:花魁: …………。 菜央(私服): り、梨花……?! なんと梨花と瓜二つの、美しい花魁だった。 Part 03: 梨花?: ……突然どうしたのよ、ナコ。やっと会えたも何も、今朝だって一緒に食事をしたでしょうに。 梨花によく似た女の子が、梨花によく似た声であたしに似た……でも違う名前を呼ぶ。 菜央(私服): え、えっと……。 梨花?: いいから、戸を閉めなさい。部屋を開け放しにするなんて、無作法でしょ。 菜央(私服): …………。 言われるがままに戸を閉めて、あたしは恐る恐る豪奢な装いの彼女へと近づく。 菜央(私服): あんた、梨花……なの……? 梨花?: はぁ? 梨花に似た顔が一瞬で歪む。何を言っているのかわからないと言いたげに、不愉快さを隠さない表情で睨んできた。 梨花?: まさか……自分の姉の名前と顔を忘れたとか、そんな冗談を言い出したりしないでしょうね。 梨花?: あんたはいつも冗談ばっかりだけど……時と場合によっては相手を怒らせて、無用の誤解に繋がることだってある。 梨花?: いい加減そのことを学習しないと、私だってかばうのに限度があるわよ……? 菜央(私服): あ、……えっと……ごめんなさい。 言われるがまま、頭を下げる……でも、思考は別のことでいっぱいだった。 菜央(私服): (なに……? なんなの、これは?!) 菜央(私服): (一穂と同じことが起こってるなら、一穂はいちほ、あたしはナコって人と間違われて……) 菜央(私服): (一穂のお姉さん役はレナちゃん似で、あたしのお姉さん役は……梨花?) そこまで考えて、あたしは頭を抱えたくなった。 菜央(私服): (なんでレナちゃん似じゃなくて、梨花似なの?!まさか、梨花もレナちゃんや一穂の親戚って?!) 菜央(私服): (あ、でも……確か梨花の家って、由緒正しい神職って言ってたわよね……?) 菜央(私服): (少なくともこういうところに、売られてくる理由なんてあるはずが……、っ?) そこまで考えて、はっと息を飲む。 菜央(私服): (……あのかんざし?) よく思い返してみると、あのかんざしに触れたのはあたしと梨花だけだった。 つまり、今回の過去へと飛ぶカギは前回のような着物ではなく、あのかんざしだったとしたら……? 一穂の夢の中に現れたレナちゃん似の花魁もレナちゃんに似ていただけで、中身は全然違って記憶もなかった……みたいなことを言っていた。 梨花に似ているこの人も、同じように見える。 菜央(私服): (だとしたら礼奈太夫も、本当はレナちゃんに全然似てなかったのかも……かも) 菜央(私服): (一穂には礼奈太夫が、レナちゃんに似てるように見えただけで……) 菜央(私服): (だとしたら礼奈太夫は、レナちゃんともあたしとも関係のない……まったくの他人……?) 菜央(私服): …………。 梨花?: ちょ、ちょっとナコ……?そんなに落ち込まなくてもいいじゃない。 梨花?: さすがに目に余るから、軽く注意しただけでしょ?そんなにきつい言い方をしたつもりは……! 梨花?: あ……あぁ、ごめんなさい。少し気が立っていたの、花梨姉さんが悪かったわ。言い過ぎた、ごめんなさい……! おろおろと謝る、梨花……に似てるけど、梨花ではない花魁の女性。 おそらく、彼女なら絶対しないであろう態度を前にして……改めてこの人は別人なのだと、あたしはいやが上にも理解させられた。 そして……。 菜央(私服): (この人……花梨って言うのね) 菜央(私服): ……大丈夫よ、「姉さん」。想定してなかった現実に、ちょっと戸惑っただけだから。 花梨太夫: 想定してなかった……現実?……いったい何があったのか知らないけど、何か困ったことでもあったの? 花梨太夫: 私にできることなら、力を貸すから。いつでも相談しなさい。いいわね? 菜央(私服): うん……ありがとう……。 菜央(私服): (梨花と違って、ちょっと乱暴だけど……あの子と同じくらい、優しいわね) それが、とてもありがたい。ありがたいのは間違いない。 けど……期待していたものとは違うことに、どうしても落胆してしまう自分がいた。 花梨太夫: ともかく……いよいよ、今夜よ。覚悟はできているかしら、ナコ? 菜央(私服): えぇ……大丈夫よ。 気を取り直して考えるべきだ。 今のあたしは、前の一穂と同じ立場。明日花魁になる妹と、お嫁に行く姉。 しかし、姉は今夜殺されて……それに絶望した妹は、自ら命を絶つ。 菜央(私服): (よくわからないけど、一穂と同じことがナコと呼ばれたあたしの身に起こるとしたら、この梨花に似た人は……今夜……) ……逆恨みをした客に、殺される。 菜央(私服): (……そうね。梨花に似てる人を、むざむざ殺させるわけにはいかないわ) レナちゃんとは無関係だとしても、かといって何もしないわけにはいかない。 一穂は、姉を守れないことを後悔していた……その後悔は、あたしが継ぐ。 菜央(私服): (この姉妹を、守らなくちゃ) この姉妹を守ることができたら、一穂は喜ぶだろうか?よかったと言って、笑ってくれる気がする。 だったら……頑張らないと。ちゃんと役目を果たして、あの子を安心させてあげなくちゃ。 花梨太夫: ……そう。 黙り込んだあたしを前に、花梨花魁は苦い顔で目を細める。 おそらく、別れを悲しみながら私の身を心配してくれているのだろう。その気持ちが伝わるから、あたしは……。 花梨太夫: あんたにとって、辛い事実だと理解しているつもりだけど……これも私たちの仕事だから。 花梨太夫: そういう立場である以上、失敗は許されない。しっかりお役目を果たすことを優先しなさい。 菜央(私服): …………。 花梨太夫: ……ナコ? 菜央(私服): っ、……えぇ、わかったわ。任せてちょうだい、「姉さん」。 花梨太夫: ……それにしても、その格好はどうしたのよ。客の変な趣味にでも付き合わされたの? 菜央(私服): そうなの。困った客って、どこにもいるものね。 花梨太夫: あとで#p禿#sかむろ#rを行かせるわ。私の控えがあるから、それに着替えなさい。 菜央(私服): ……えぇ。そうさせてもらうわ。 花梨太夫: ……? どうしたの、ナコ。あんたの部屋は隣でしょ。 菜央(私服): ごめんなさい、ちょっとぼーっとして。大丈夫、夜にはちゃんとするから。 あたしはそれだけを告げ、廊下へ出て戸を閉める。 菜央(私服): (……。ここが角の部屋で、助かったわ) もし間に挟まれた部屋だった場合は、左右のどちらか確認する必要があったからだ。 廊下から部屋に向かおうとして……ちくりとした違和感に、思わず立ち止まる。 閉じた扉の向こう側に居る、梨花に似た花魁。あたしの知るあの子に似ていないことは、とりあえず受け入れた。でも……。 菜央(私服): ……なんだか、変な感じだったわね。花魁の仕事を妹に引き継いで辞めるから緊張してるというより……。 菜央(私服): なんだか、時代劇の討ち入り前みたい。 Part 04: 禿: ……できました。申し訳ありません、夕飯前に支度を終わらせる予定でしたのに……。 菜央(花魁): いいのよ、気にしないで。手伝ってくれてありがとう。 支度を手伝ってくれた女の子に、あたしはお礼を告げて鏡を見る。 見慣れない豪奢な姿に、やはり少し違和感を覚える。 菜央(花魁): (この髪型かしら……?) 服を着ることは自分でもできたけれど、この頭だけはひとりだけで整えられない。崩さないように、注意しないと。 菜央(花魁): そうだ。梨……花梨姉さまに客が来たら、すぐに知らせてもらえるかしら。 禿: えっ? それは、どうして……? 菜央(花魁): 今日は、大切な日でしょ?もしかしたらお手伝いを頼まれるかもしれないからね。 禿: はい、わかりました。……他に、何か? 菜央(花魁): それだけよ。もういいわ。 禿: はい、失礼しました。何かありましたら、お呼びください。 頭を下げて出ていった女の子を見送り……ひとりになってからあたしはため息をつく。 今のところ、ほとんど一穂が話していた通りの展開だ。 菜央(花魁): (違うのは、着替えた後にご飯じゃなくて……ご飯の後に着替えさせてもらったことくらい?) 夕飯は、花梨太夫とともに取ったけれど……交わす言葉はほとんどなかった。 菜央(花魁): (一穂の話だと、今夜妹のところにお客さんは来なかったみたいだし……ひとまず時間が来るまでは、待機ね) いざという時、すぐ動けるように……それだけを構えておこう。 菜央(花魁): …………。 ふと、隣の部屋にいる……梨花に似た人のことを思う。 菜央(花魁): 梨花のことは、嫌いじゃないわよ。けど、なんだか……うぅん。 梨花、もとい花梨太夫は何も悪くない。ちっとも、何ひとつ、絶対に……悪くない。 そう、これはわがままだ。だから理不尽だってわかってる……けど、けどっ! 菜央(花魁): せっかく礼奈太夫と会って、お姉ちゃんって呼べると思ってたのに……。 レナちゃんに似たその人を、気兼ねなく「お姉ちゃん」と呼ぶ……。 本当は違う人だとしても、姉妹の気分を味わってみたかった。 たとえそれが代償行為で、単なるごっこ遊びだとしても……。 菜央(花魁): はぁ……。 レナちゃんの妹だって名乗りたい気持ちを、礼奈太夫さんになら素直に打ち明けられるかもしれないって思っていたが……。 どうやら、現実はうまくいかないらしい。……その辺りも夢であって夢でないという、所以というものなのだろう。 菜央(花魁): ……にしても、待ってるだけって退屈ね。飲み物でも持ってきてもらおうかしら。 あたしは部屋の扉をちょっとだけ開けて、座敷の外にいるというお手伝いさんに声をかける。 菜央(花魁): あのー……すみまーせん……。 小声で何度も声をかけるけれど、返事はおろか人の気配も感じられない。 菜央(花魁): (誰もいないのかしら……) 不思議に思いながら、廊下に出ようとして……。 菜央(花魁): ……っ……! ふと鼻先を掠める「臭い」に、全身が緊張で強ばる。 鉄にも似たこの感じ、まさか……っ? 菜央(花魁): (血の臭い……?!) 菜央(花魁): まさか、もう襲撃が行われたっていうの?! 一穂の話より早すぎるという文句を飲み込み、あたしは慌てて立ち上がる。 そして自分の部屋を飛び出して廊下に出ると、隣の部屋の扉に手をかけた。 菜央(花魁): 梨花! じゃない、花梨ねえさ……っ?! 飛び込んだそこは、もぬけの殻。部屋は綺麗なもので、血も見当たらない。 菜央(花魁): (いつの間に外に出たの……?隣にいたのに、全然気がつかなかった) それよりまずい、早く花魁を探さないと! 菜央(花魁): 花梨、花梨ねえさ……えっ?! 走り出した廊下の角から現れたのは、きらびやかな遊郭に似つかわしくない……覆面の男。 覆面男: …………! その手には……。 菜央(花魁): (刀っ……?!) 急いで立ち止まろうとするあたしとは逆に、覆面の男はこちらへ向かって足を踏み込む。 一気に距離が詰まり、磨かれた白刃の表面に目を見開くあたしが映り込んで… 菜央(花魁): きゃあぁぁぁっ! 覆面男: ――ぐっ……?! 切っ先が届く、寸前。男の身体が止まり、……手から抜けた刀が床に突き刺さった。 菜央(花魁): ……って、えっ? うめき声とともに倒れていく男の動作が、奇妙なほどにゆっくり見える。 やがて、男が完全に床に倒れ伏すと……ロウソクのあかりが背後にいた影を照らした。 花梨太夫: ……静かになさい。 菜央(花魁): か、花梨……太夫……? 名を呼ばれても眉ひとつ動かさないその花魁の手に握られていたのは……。 その表情よりも冷たい光を放つ、血を滴らせた短剣だった――。 Part 05: 花梨太夫: ……。あんた、ナコじゃないわね。 菜央(花魁): えっ……。 花梨太夫: いや、違う……記憶を書き換えられた?あの連中がどういう手段を使ったのかはわからないけど。 花梨太夫: くす……ずいぶんと面白い真似をしてくれたじゃないの……! そう言って吐き捨てるような物言いには、冷たい笑みとは裏腹に……何かに対する嫌悪感がにじんでいる。 菜央(花魁): ど、どういうこと……?! 完全に予想外の流れと、昼間とはまるで違う表情の花梨太夫を前に呆然と問いかけるあたしに、彼女は懐から取り出したかんざしを手渡してきた。 花梨太夫: 護身用に持っていなさい。見た目はかんざしだけど、刃物として使えるように仕込んであるから。 菜央(花魁): こ、これって……。 菜央(花魁): (梨花の家で見た、かんざしじゃない……) 倉庫から出て来たものよりも真新しいし、先端も尖っているが……このデザインには見覚えがある。 菜央(花魁): あなたって、……いったい、何者? 花梨太夫: 何者……ね。どうやら本当にナコと別人か、記憶を奪われた状態のようね。 花梨太夫: いいでしょう。泣きわめいて邪魔するなら、意識を奪った上でどこかに閉じ込めておくつもりだったけど……。 花梨太夫: 少なくとも敵意はなさそうだし、説明をしてあげるわ。 かんざしを渡してすぐ、花梨太夫は身構えながら物陰に身を潜めた。あたしもその後を追うように、身を隠す。 菜央(花魁): ……ただの花魁でないってことだけは、さっきのことで理解したけどね。 花梨太夫: ……本物よりも腹が据わってるわね、あんた。ただ、今の状況を飲み込むことは難しいと思うけど。 菜央(花魁): 何があったの? 花梨太夫: 私たち姉妹は遊女としてこの茶屋に送り込まれた、公儀隠密よ。 菜央(花魁): 公儀隠密……? その名前……どこかで聞いたことがある。 菜央(花魁): (たしか、あれは時代劇で……あたしがなにって聞いたら、お母さんは確か……) 菜央(花魁): ……スパイ?! 花梨太夫: 「すぱい」……?まぁ、なんでもいいわ。 花梨太夫: ……とにかく私たちは、この茶屋で非合法の取引が行われていることを調べるように命じられたの。 花梨太夫: そして、あんたが花魁に昇格したのを合図に、一斉捜査を決行することになった。 菜央(花魁): じゃあ、予定って……。 菜央(花魁): (身請けのことじゃなくて、捜査のこと?!) 花梨太夫: これを見つけたから、事態が一気に動いたのよ。 そう言って花梨は懐から、小さな塊を取り出す。……ぱっと見、小さく丸めた粘土にしか見えない。 菜央(花魁): なに、これ……? 花梨太夫: #p阿片#sアヘン#rよ。 菜央(花魁): #p阿片#sアヘン#rって……麻薬じゃない!なんでそんなものが、こんなところに?! 花梨太夫: ……あんた、ここがどういう場所が本当に知らないみたいね。 花梨太夫はため息とともに、麻薬の塊を懐に戻す。そして通路を進みながら、説明を続けていった。 花梨太夫: ここはね、人を売り買いする場所よ。売られる人間に、考える力は不要とされている……腹立たしいことにね。 花梨太夫: そして人を従わせるには、個人の判断能力を奪うのが一番なのよ。恐喝、恫喝……時に優しくして油断させたり、ね。 花梨太夫: でも、恐怖だけはそう簡単には奪えない……だから、こういうものを使うのよ。 花梨太夫: もっとも、これが奪うのは恐怖だけじゃないけれど。 花梨太夫: こいつを使い過ぎた人間は、「狐憑き」なんて呼ばれているそうよ。人として、壊れてしまったんでしょうね。 菜央(花魁): …………。 麻薬のことは、正直ぼんやりとしか知らない。 でも一度使うと、二度と使う前と同じには戻れないことだけは、母に聞かされていた。 花梨太夫: この花街に遊女たちを繋ぎ止め、従わせるために#p阿片#sアヘン#rが使用されて……それが市井に流れている。 花梨太夫: その疑惑が起きてから、奉行所は関係者に接触を試みてきたけど……いつも捜査の手が伸びる前で口封じが行われた。 花梨太夫: だから最後の手段として、私たちが一番疑わしいここに数年かけてもぐり込み……秘かに証拠集めを行っていたのよ。 菜央(花魁): ……ッ……?! 花梨太夫の言うことは、わかる。理解できた。でも、でも……! 菜央(花魁): (一穂は……一穂は、そんなこと言ってなかった!) 菜央(花魁): (なんなの?! ただ姉と妹の立場が、レナちゃんと一穂から、あたしと梨花に置き換わっただけじゃないの……?!) 一穂から聞かされた過去とは、何もかもが……違う。同じなのは、舞台だけだ。 そんな状況の中でただ呆然とするあたしを、花梨太夫は気遣う目を向けたかと思うと……ふっ、と大人びた息を吐き出していった。 花梨太夫: 思ったより冷静みたいだけど……ここまで言っても、何も思い出せないみたいね。 花梨太夫: となると、あんたの記憶喪失は……「例のこと」が影響したのかしら。 花梨太夫: まさか黒幕があの子だなんて、私ですら思いもよらなかったんだから……。 菜央(花魁): 黒幕って、いったい誰……? 花梨太夫: ……来ればわかるわ。おいでなさい。 あたしの問いに答えず歩き始めた花梨太夫の後を追いかける。 彼女は小さな部屋に身を滑り込ませると、何も置かれていない大きな棚に手をかけ……軽く押す。 すると、あっけないほど簡単に棚が動いて後ろには壁……ではなく。 菜央(花魁): 地下への、階段……? 花梨太夫: …………。 驚くあたしをよそに、花梨太夫は黙って下りていく。その後を、必死に追いかけた。 ひやりとした地下の空気を感じながら歩み進んだ、その先に……。 菜央(花魁): えっ……?! 今度こそ、息を飲む。そこにいたのは……。 いちほ太夫: …………。 菜央(花魁): か、一穂っ……?! あたしと同じ花魁の格好をしているけれど、その立ち姿は間違いない……! 菜央(花魁): かず……えっ? 名前を呼びながら駆け寄ろうとして……その足元に転がる人の顔に、息を飲む。 菜央(花魁): さ、沙都子……?! 沙都太夫: う、うっ……。 菜央(花魁): (なに、これ……?!) 沙都子に似た花魁が足元で呻いているのに、どうして一穂に似たその人は気にもせず悠然と佇んでいるのだろう。 まるで、まるで……。 菜央(花魁): (あの子が、蹴り倒したみたいじゃない……!) 花梨太夫: ……驚かないのね。 凍り付くあたしに目もくれず、花梨太夫が身構える。 いちほ太夫: ……驚かないよ。 静かに発されたその声は、一穂にとてもよく似ていた。 花梨太夫: #p一穂#sいちほ#r太夫……まさかあんたが阿片の総元締めだったなんてね。 花梨太夫: この花街で今の地位を築いたのも、それを使ってのことだったなんて……! 菜央(花魁): えっ……。 菜央(花魁): (いちほ、って一穂が夢の中で入れ替わった花魁の名前じゃ……?) 改めて彼女を見る。一穂によく似ている、でも……。 一穂は、あんな底冷えするような……酷薄な表情なんて、浮かべない。 菜央(花魁): (……一穂じゃない) 似ているけど、違う。あれは一穂じゃない。絶対に違う……! 花梨太夫: ……。どうして、こんなことをしたの? いちほ太夫: あんたにわかりゃしないよ……いや、理解する必要なんてないだろう? いちほ太夫: それしかなかった……なんて言っても、あんたにわかるわけないんだから。 花梨太夫: あんたが始めたわけじゃない? いちほ太夫: 当たり前だよ。こんな縁故も後ろ盾もない田舎者がイチからそんなマネができるとでも? いちほ太夫: まぁ、身請けされた先代元締めが後を継がせる予定の子が、男と足抜けなんざしなければ……。 いちほ太夫: 私に、こんなお役が回ってくることもなかったろうよ。 花梨太夫: ……薬はご法度よ。後を継がない、って選択肢はなかったの? いちほ太夫: 声をかけられた時点で、私に選択出来る余地なんて残っちゃいなかった。 いちほ太夫: 断ったら私は殺され、別の子が後を継ぐだけのこと。 いちほ太夫: それとも何、罪を負うくらいなら死を選べと?はは……さすが、お上の犬は言うことが違うねぇ。 クスクス、と#p一穂#sいちほ#r太夫が小馬鹿にするように笑う。 いちほ太夫: それに、法度……か。お上の連中が決めた大層な代物だけど……そいつは、姉さんを守っちゃくれなかった。 いちほ太夫: 守るべき人を守れない法度なんざ、守る道理がどこにある……? いちほ太夫: ……死ぬか、やるしかなかったんだよ。 花梨太夫: ……っ……。 沙都太夫: か、花梨……ッ……! いちほ太夫: けど……いい塩梅に来たもんだね。 花梨太夫: ……? いちほ太夫: あと少し……あぁ、ほんの少しだけ遅かったら、こいつの首は胴体から離れていた。 いちほ太夫: まぁ、骸にしてやっても良かったんだけどね?こいつ、ナコの名前を出して……こんな状況で出頭して全てを奉行所に出せ、って言いやがった。 いちほ太夫: 『ナコを悲しませるな、あんたにとって可愛くて大事な妹分なんだろう』なんて言ってな……くくっ、くくく……! 菜央(花魁): っ、……あたしが、妹……?! くっ、と喉を震わせて「いちほ」太夫が笑う。 いちほ太夫: にしても、ナコ……まさかお前までもが公儀隠密だったとはね。見抜けなかった私も焼きが回った……よッ! 重い着物姿とは思えぬ身軽さでトンと地を蹴り、一穂太夫が背を低くして走りだす。 刃物を片手に……あたしに、向かって。 菜央(花魁): えっ? 一穂が、……あたしに凶器を向けている。 中身は別人だと知っている。理解している。でも、想像もしたことのない光景を前に、頭が真っ白に染まって……。 花梨太夫: ナコ……いや、誰でもいい! 戦いなさい!そいつを逃がしちゃ駄目……! 菜央(花魁): ……ッ……! 花梨の声で、あたしはとっさに彼女に渡された武器を構え――。 威嚇するように、大きく振りかぶった。 Epilogue: いちほ太夫: ぐっ……ぅ……!! 大ぶりな動きだったけど、とっさの攻撃でよろけた彼女はどこかで足を捻ったのか、その場に倒れ伏す。 菜央(花魁): このっ……! 武器を手放したのを見たあたしは、その動きを封じるように、お腹の上に飛び乗って押さえ込もうとした。 いちほ太夫: 離せ、離せぇえええっ! 「いちほ」太夫は一穂よりも、やや非力……だけど、体格の差はどうしようもない。 菜央(花魁): くううっ!! 押さえ込もうとしても跳ね飛ばされそうになるのを堪えるので精一杯だった。 いちほ太夫: 離せ、離せぇええっ!! 菜央(花魁): ……っ! もうだめだ、と覚悟を決めて。あたしは手にしたかんざしを大きく振り上げる。 殺さなくては、いけない。 菜央(花魁): (……この人は、一穂じゃない) 菜央(花魁): (だって、一穂は沙都子を、梨花を、そしてあたしを傷つけたりしない!) わかってる。わかってる……けど……! 菜央(花魁): ……できない。 菜央(花魁): できるわけ、ないでしょ……! いちほ太夫: ――っ……! 菜央(花魁): きゃっ?! 動きを止めたあたしの隙を突くように、太夫はあたしを蹴り上げ、地面に落ちた短剣を拾い、大きく振りかざし――。 菜央(花魁): っ……?! あたしはとっさに、手にしたかんざしでそれを受けようとして……交差した凶器は、すれ違って。 そのまま、かんざしの切っ先は、一穂に似たその人の胸に吸い込まれ――。 いちほ太夫: あぐっ?! 深々と、突き刺さった。 菜央(花魁): ぁっ……?! 瞬間、苦悶の表情とともに彼女の身体が崩れ落ちる。かんざしの刺さった部分が、真っ赤に染まっていく。 菜央(花魁): あ、あぁ、あぁあっ……!し、しっかり! しっかりして! いちほ太夫: ……あ、ぁ……。 膝をついてその身体を抱き上げるあたしに、彼女は口から血を流しながら……微笑みのように穏やかな表情を浮かべて。 いちほ太夫: ……。……が、とう……。 あたしの胸元に顔をうずめるように、静かに目を伏せて……動かなくなった。 菜央(花魁): っ……な、なんで……?! あたしには、見えた。 彼女があたしに襲い掛かる直前。わざと武器の切っ先を逸らし、あたしの持つかんざしに勢いよく飛び込むのを。 それって、それって、それって、つまり……! 花梨太夫: ……同じ死ぬなら、あんたに殺されたかったんじゃないかしら。 降り注ぐ声に顔を上げると、寂しげな瞳が見下ろしていた。 花梨太夫: この子、あんたのこと……とてもかわいがっていたから。 花梨太夫: それだけは、本心だったんでしょうね。 菜央(花魁): そんな……そんな……! 菜央(花魁): 一穂っ……! う、うぅっ、うぅううっ……! ぽろぽろと、涙が流れる。 この人は、一穂に似た……ただの他人。あたしもきっと、ナコさんという鳳谷菜央とは違う別人。 最初に一穂の話を聞いた時、思ったはずだ。 あたしがいるこの世界は、あくまでも過去の話。今を生きるあたしたちには関係の無い、出来事。 わかってる。理解してる。 でも……殺されなければ止まれなかった人がいたことが……。 ……大好きだった人を、殺さなければいけなかった人が存在した事実が。 ……悲しくて、苦しくて。涙が止まらなくて……。 レナ:花魁: 泣かないで……。 菜央(花魁): えっ? そんなあたしに、柔らかな声が降り注ぐ。 そこにいたのは、あたしの大好きな……とても美しい、花魁姿のあの人。 だけど、……違う。似ているけどこの人は、たぶん……。 菜央(花魁): 礼奈太夫、さん? 浮かんだその名を告げると、彼女は優しく微笑む。そして光に包まれる中、事切れた「一穂」の身体を抱きかかえながら……ゆっくりと遠ざかっていった。 礼奈太夫: 私たちのようには、ならないで。あなたは……あなたたちは……探し出して、見つけて……止めてあげて……。 礼奈太夫: そして、みんなが幸せになれる答えを……きっと……。 声: ……ちゃん。菜央ちゃん。 真っ暗な世界で……呼ばれて、目を開ける。 そこは、いつものリビングと……。 菜央(私服): ……一穂? 寝転がるあたしを覗き込む、いつもの一穂の姿だった。 一穂(私服): ごめんね、寝てるのに起こしちゃって。美雪ちゃんが、もうすぐご飯ができるよって。 菜央(私服): …………。 あたしは泣き出したい気持ちをこらえて……一穂の身体に抱きついた。 一穂(私服): わっ……! 菜央ちゃん、どうしたの? 温かい、生きている。……一穂は、生きている。ここにいる。 それを確かめて、少しだけ呼吸ができるようになった。 菜央(私服): ……なんでもないわ。ちょっと、こうしたくなっただけ。 一穂(私服): もしかして、怖い夢でも見たの? 菜央(私服): ……そうね。怖い夢だったわ。わけがわからないまま始まって、理解できないうちに……終わっちゃった。 言いながら、自分が見た夢と一穂が見た夢を照らし合わせる。 菜央(私服): (一穂の夢の中で、いちほさんは運命に翻弄される被害者だった……) お姉さんを殺されて、絶望して自ら命を絶ってしまう……そういう人だった。 菜央(私服): (でも、私の夢の中のいちほさんは……人を傷つける加害者になっていた) 一穂はいちほさんとその姉の末路を夢に見た時、素直に悲しんでいた。 一穂があたしの見た夢を知ったら、逃れられない悲劇にまた悲しむだろう。……そんな顔は、見たくない。 菜央(私服): (こんなの、一穂に言えない。言えるわけがない……) 一穂(私服): ごめんね。 抱きついたまま動かないあたしの背中を、一穂がそっと撫でてくる。 菜央(私服): 謝らないでよ。あんたは悪くないんだから。 一穂(私服): でも……私が怖い夢を見たって言ったから、菜央ちゃんにうつっちゃったかな。 菜央(私服): ……うつるものじゃないでしょう、そんなの。 一穂(私服): そうかな? 菜央(私服): そうよ……大丈夫。……悪い夢は、もう終わったもの。 あたしは一穂からちょっと身体を離して、そのとぼけたような顔を見上げる。 その顔をいちほさんのように歪ませたくない。だから……。 菜央(私服): ……ねぇ、一穂。 一穂(私服): なぁに? 菜央(私服): 誰かに……あたしや美雪とか、部活のみんなを殺すって脅されても、ちゃんと相談してね。 一穂(私服): えっ? 菜央(私服): 誰でもいい。あたしじゃなくても、かまわない。 菜央(私服): 相談したら相手を殺すって言われても、ちゃんと言うって……約束して。 一穂(私服): う、うん……わかった。あ、ゆびきりする? 菜央(私服): ……する。小指、出して。 一穂(私服): うん。 一穂の小指とあたしの小指を絡める。 菜央&一穂: ゆーびきりげんまん嘘ついたら針千本のーます。 菜央&一穂: ゆーびきった。 一度結んだ指が、離れる。 菜央(私服): ……約束したわよ。 一穂(私服): うん。 一穂が笑って、あたしも笑う。 大丈夫、約束は結ばれた。だからきっと、大丈夫……。 菜央(私服): (……それでいいのよね、礼奈大夫さん。そして、レナお姉ちゃん……)