Prologue: ――平成5年 週末の夕方。私と魅音はお互いの予定を調整し、美雪と普段利用しているカフェで「ある人」と待ち合わせて会うことになった。 ここの店のコーヒーは、値段のわりに結構おいしい。甘味以外に軽食なども揃っていて、塾の帰りとかによく立ち寄ったりする馴染みの場所だ。 千雨: (まぁ欠点と言えば、学生の財布に優しいおかげで時間によっては結構混むところだ……) 実際今も、店内は若い連中……私と同年代らしきやつらでごった返している。おかげでとても騒がしく、正直うざい。 千雨: (隅のテーブル席を確保できたのはラッキーだが、別の店の方が良かったかもな……) とはいえ、ここを指定した以上はもう遅い。場所を移すかは相手が来てから考えることにしよう。 千雨: ……やかましい店で、すまんな。いつも以上に、仲良しグループが複数で押しかけてきたみたいだ。 魅音(25歳): いやいや、大丈夫だよ。こういう賑やかなカフェも嫌いじゃないし、別に構わないって。 魅音(25歳): それにあの子も、堅苦しい場所があまり好きじゃなかったりするから……こういうところの方が逆にいいかもね。 千雨: 厚生省勤めだってのに?……意外だな。高級料亭だの、綺麗どころのいる店だのじゃないとそういう輩は納得しないものだと思ってたんだが。 魅音(25歳): あっはっはっはっ、それは偏見だって。まぁ権力に目がくらんだオッサンたちなら、それも当てはまるかもしれないけどさ。 魅音(25歳): 若い連中は仕事が忙しすぎるし、給与も少ない。そんな店なんて行く暇も、余裕もないと思うよ。 千雨: そういうものか……? 魅音(25歳): そうさ。……っていうか、あの子は女性なんだからお姉ちゃんのいる店に行きたがるわけないじゃんか。気を遣いすぎだって。 千雨: ……そうだったな。 なんとなく会話を広げていいものかどうかわからなくて、……私は肩をすくめて口をつぐむ。魅音も特に続けることなく、そっと黙り込んだ。 魅音(25歳): …………。 千雨: …………。 喧噪の中、やや息苦しい空気が私と魅音の間に流れて……居心地が悪い。 そして、何度か飲み物に口をつけた後……ふいに魅音がぽつりと、こぼしていった。 魅音(25歳): ……それにしても、千雨。梨花ちゃんが自分から望んで私たちの前から姿を消したって、……本当なのかな? 千雨: あくまでも、絢花の見解だ。本人に聞いたわけじゃないから断定はできない。ただ……。 もし、以前訪れたおかしな「世界」で出会ったあの梨花ちゃんが、私たちの前から姿を消した本人の意識が具現化したものだったとしたら……。 彼女は自ら望み、今までいた「世界」から出て行くことで別の存在になった……と、言えなくもない。 そして、その選択をするほどに彼女は何かに悩み……追い詰められていた可能性もある、ということだった。 魅音(25歳): まぁ……梨花ちゃんって、いつも明るくにぱにぱって笑っているのが当然みたいに振る舞っていたからねー。 魅音(25歳): 逃げ出したくなるくらいに、深刻な悩みを抱えていたなんて……全然気づかなかったよ。 千雨: 逃げ出した、という表現が正しいかどうかは現時点ではなんとも言えない。 千雨: ……けど、梨花ちゃんはたまに大人びた顔で年不相応に冷めた言葉を口にすることもあった。 千雨: なんというか、私たちの知らないものを見て、知って……達観して受け入れようとしてるみたいにな。 魅音(25歳): ……確かにね。とはいえ、当時の私たちはその大人っぽい振る舞いを子ども特有のおしゃまな言動だと思っていたよ。 魅音(25歳): でも、実際は……私たちに言えない秘密を抱えていたという、裏返しの態度だった。 魅音(25歳): 今さらになって遅すぎる話なんだけど、なんで私たちはそれに気がつくことができなかったんだろうね……。 はぁ、とため息をつきながら魅音はぬるくなったコーヒーをあおり飲む。 確かに、近くにいて気づくことができなかったのは迂闊だったのかもしれない。……ただ、残念ながら私たちは超能力者でも心理学者でもない。 手の届く距離でしかできることはなく、目の見える範囲のみで確かめざるを得ない以上……完璧を求めるというのは、酷というものだろう。 千雨: 梨花ちゃん自身が、誰にも気づかれたくなかった。だから、助けを求めるのが遅れた……その結果、自ら出ていくしか選択肢が残されてなかった。 千雨: そういう考え方もある。……お前のせいじゃない。 魅音(25歳): ……ありがとね千雨、気遣ってくれて。それでも……やっぱり、悔しいんだよ。 魅音(25歳): もしもあの時、ちゃんと立ち回っていれば違う未来や展開があったかもしれないってことを、最近は骨身にしみて感じることが多いからさ……。 口を開くたびに、魅音のぼやきがこぼれ落ちる。……なんだか、社宅のお母さんたちから愚痴を聞かされているような気分だ。 でも……その愚痴を言える相手として思ってもらえているのはある意味で信頼の証でもあるから、ありがたくもある。 千雨: (それに、さっきの落ち込んだ気分をここで発散しておきたいんだろうしな……) そう……ここに来る途中に立ち寄ったあの学園で知った事実からの衝撃が、あまりにも大きすぎた。 私でさえ、「やはり」とは思いつつも「まさか」という驚きのせいで理解がしばらく追いつかなかったほどだった……。 魅音(25歳): なんで聖ルチーア学園に、梨花ちゃんと沙都子の在籍記録がなかったんだろうね……。 千雨: さぁな。……ただ、記録がないのはあの2人が学園に入学していなかった、ということになる。 千雨: なぁ、魅音。お前は私と再会する前の記憶だと、梨花ちゃんと沙都子はその学園に入学した……って言ってたよな。 千雨: もし入学が事実なら、2人の痕跡だの記録だのが残ってるはずなんだが……見つけられなかったのか? 魅音(25歳): あった……はずなんだよ。 魅音(25歳): 分校の卒業式やルチーアへの入学式の時、季節イベントが行われた時は富竹さんにお願いして一緒に記念写真を撮ってもらったりもした。 魅音(25歳): けど、その写真がアルバムごと消えて、どこにも見当たらなくて……。 千雨: 盗まれた、紛失したでなく「消えた」……か。 千雨: その写真だが、たとえば焼き増しとかで他に持ってるヤツの心当たりはどうだ? 魅音(25歳): あった……けど、ない。それもないんだよ。レナや圭ちゃん、他に写真を持っていそうな子の連絡先を書いておいたアドレス帳とかも……全部。 魅音(25歳): なにもかもが、なくなっているんだ。どこを探しても、誰に聞いても……っ。 千雨: (……だとしたら、目で確かめられる証拠は諦めた方が良さそうだな) レナや前原とは、全く連絡がつかない。存命かどうかでさえ、現時点では不明だ。 #p雛見沢#sひなみざわ#rが廃村になり、それぞれが別の町へと引っ越した後もしばらく連絡を取っていた、と魅音は主張していたが……。 その電話番号にかけても回線は繋がらず、住所先を訪ねてみても彼らと出会うことはできなかった。 千雨: 美雪と菜央、それに一穂……あいつらのことは、ようやく事実として受け止めることができるようになったが……。 千雨: 雛見沢のメンバーまで、行方不明とはな。どうなってるんだ、この世界は……? 魅音(25歳): そんなの、私だって聞きたいよ。まぁ、でも……。 魅音(25歳): ……千雨の気持ちが、少しだけわかったよ。自分の記憶が全く当てにならないってのは、本当に嫌なものだね。 頭を抱えながら、魅音は大きく息をつく。 ……とはいえ、それでも私たちは当時雛見沢にいたことがあるという人物となんとか連絡を取り付けることができた。 もちろん、それが最終的な目標ではない。ただ、別のきっかけをその人から得ることができるのでは、と一縷の望みを抱いていた。 千雨: (……期待しすぎかもしれない。それはよくわかってる) とはいえ、ここで期待することをやめたらあとにはもう……何も残らなくなってしまう。 だからこそ、小さくても今は求め続けるのだ。変貌する「世界」に潜む真実を解明するために……! 魅音(25歳): あっ……! と、その時なんとはなしに顔を上げた魅音がふいに席から立ち上がり、私の背後に向けて大きく手を振ってみせる。 そして、来たかと私が振り返ると、店の入口の方からひとりの女性がこちらへと歩いてくるのが見えた。 千雨: ……っ……? その容貌を目の当たりにして、……私は息をのむ。10年も歳月を重ねたら、人というものは変わって当然だと思う……が……。 そこにあった面影は、かつて見た「彼女」を思い起こすほどに色濃く、かつ鮮明に残っていた。 魅音(25歳): 紹介するよ、彼女は公由夏美ちゃん。名前の通り公由家の分家筋の子で、今は厚生省に勤めているんだって。 夏美: もう今は、公由じゃなく藤堂なんだけどね。……初めまして、黒沢千雨さん。 魅音に紹介された彼女……旧姓・公由夏美はそう言って穏やかな笑みを浮かべながら会釈する。 ただ私は、高ぶりそうな気持ちを静めつつ……彼女と面を向き合い、はっきり答えていった。 千雨: ……初めましてじゃありませんよ、公由夏美さん。私は、あなたと会ったことがあります。 夏美: えっ……? 千雨: 確かに、あなたと会いました。10年前の、あの雛見沢で……。 Part 01: ――昭和58年 冬 休日のある日のこと。私たちは魅音と詩音から連絡を受けて、園崎本家に集合することになった。 魅音(冬服): ……みんな、来てくれてありがとう。せっかくの休日なのに、ごめんね。 大広間に入るなり、魅音は浮かない顔で私たちを出迎えてくれる。隣の詩音も、何やら神妙な表情だ。 2人の話を聞く前から、いかにも厄介事っぽい気配が漂っている。……今すぐ回れ右して、帰りたくなった。 美雪(冬服): えっと……どうしたの魅音、詩音?「また」何かあったりしたの? 魅音(冬服): ぐっ……?「また」って言われると、結構グサリと来るね。まぁ、その通りなんだけどさ。 美雪(冬服): おぅっ……ごめん。その口ぶりだと結構、深刻だったりとか……? 詩音(冬服): 正直どちらかといえば、そっち寄りですね。申し訳ありませんが、頭の痛い話です……。 美雪の毒を含んだ冗談に対し、魅音と詩音は苦笑さえ返さずに大きくため息をついてみせる。 ……どうやら、少し真面目に聞いたほうがよさげな感じだ。そう思いながら私は、並べられた座布団の上に腰を下ろす。 そして両隣には一穂と美雪、菜央ちゃんはレナと隣同士に座っていつもの配置で2人に向き直った。 菜央(冬服): ひょっとして、例のライバル店が何か妨害工作をしかけてきたのかしら?こちらの情報を盗み出した、とか……。 千雨(冬服): ……だとしたら、そろそろ実力行使で思い知らせてやるか。責任者の名前と住所は手に入るか? 詩音(冬服): いやいや、待ってくださいよ。やるなら、私がぶちかましてからにしてください。千雨さんが行くと跡形も残らないじゃないですか。 千雨(冬服): んなことあるか。さすがに私だって、自制心くらいはある。 美雪(冬服): んー、千雨の場合アクセルと超アクセルしかなかったような気がするんだけど……。 そう言って美雪が呟いたが、あえて聞こえないふりをして無視する。 ……って一穂、今無言で頷いていたな?あとでぶん投げてやるぞこの野郎。 魅音(冬服): とりあえず、エンジェルモートの方は今のところ順調だから安心してよ。ウェイトレスも、ちゃんと確保できているしね。 魅音(冬服): 商品のチョコとケーキはレナと菜央ちゃん、それにあんたたちが頑張ってくれたおかげで大丈夫だと思う。ただ……。 千雨(冬服): ただ……なんだ? 詩音(冬服): あんまり呆れないでくださいね。……例によって、#p興宮#sおきのみや#rのゲストハウスがまたピンチに陥っちゃったんです。 詩音(冬服): 特に今月は、雪のせいとかでイベント予約のキャンセルとかが相次いで……経営がかなり危ないそうなんですよ。 菜央(冬服): えっ……「また」? 詩音の釘刺しに逆らい、菜央ちゃんはそう言って思いっきり呆れた顔をする。……ちなみに、私たちもほぼ同じ反応だ。 ゲストハウスが危ないという話は、覚えているだけでも結構頻繁に聞いた気がする。毎月とは言わなくとも、隔月程度には……。 菜央(冬服): ゲストハウスの経営者さんって、申し訳ないけど計画性がなさ過ぎなんじゃない?あまりにもピンチが起こりすぎよ。 絢花(巫女服): ……そうですね。いくら園崎家系列の施設だとしても、支え続けるのはどうかと思います。 そう言って、前回は体調を崩して不参加だった絢花までもが冷ややかに感想を言ってのける。 と、そんな私たちに「だよねぇ……」と同意を見せながら、魅音が言葉を繋いでいった。 魅音(冬服): まぁ……うん。そう言いたくなる気持ち、わからなくもないよ。私も本音では、少しウンザリしているしさ。 魅音(冬服): ただ、このままだと間違いなく銀行が融資の担保として施設自体を差し押さえることになる。実際、担当から最後通牒を食らっているって話だ。 美雪(冬服): お、おぅ……大変だね。差し押さえってことは……倒産するってこと? 詩音(冬服): はい。鬼婆なんていっそ潰してしまえ、とおかんむりを通り越して怒髪天、ってな感じです。 一穂(冬服): えっと、その2つの違いがよくわからないけど……他の施設とかは大丈夫なの? 菜央(冬服): そうね。たとえば温泉旅館とか……倒産ってことになったら、他の系列のところも影響を受けたりするんじゃないの? 魅音(冬服): あ、温泉旅館は問題なし。積雪はあるけど、客入りに大きな動きがないし……むしろ雪見風呂ができるって増えているくらいだよ。 魅音(冬服): ただ、結婚式やパーティーとかはね……雪の多い季節だと交通の便とかの理由で、イベントの開催が難しくなるのは避けられないし。 詩音(冬服): ……で、泣きっ面に蜂と言いますかそんな中で予定していた結構大きめのイベントを主催者が急に中止する、って言ってきましてね。 美雪(冬服): 中止って……理由は? 詩音(冬服): 主催者側の都合、だそうです。どうにもキナ臭さを感じるのは確かなんですが、そこを掘り下げても赤字は埋まりません。 詩音(冬服): とはいえ、実際にゲストハウスが倒産すると……あの土地と建物が競売にかけられることになります。 詩音(冬服): で、そこをエンジェルモートのライバル店が興宮進出の橋頭堡として買い取ろうとする動きがやっぱりあるみたいでしてね。 一穂(冬服): 橋頭堡、って……? 美雪(冬服): いわゆる、前線基地。この場合はライバル店がチェーンの支店を作るってことだと考えていいと思うよ。 魅音(冬服): まぁ、万一競売ってことになったらもちろん園崎家の総力を挙げてでも食い止めるつもりだけど……。 詩音(冬服): ただ、そうなるとあの空き地をどう使うかでまた面倒なことになりそうですしね。 千雨(冬服): 使い道のない土地を無駄に抱え続けていても、税金がかかるだけだからな。 千雨(冬服): で……そういう事情もあるからたとえ赤字経営だとしても、ゲストハウスを運営し続けるほうがまだマシってことか。 詩音(冬服): えぇ……最低でも、大きなイベントの予定が入っている春までは支えないと厳しい感じです。 詩音(冬服): で、手っ取り早い方法として温泉旅館を利用しているお客さんをそこに案内してお金を落としてもらう策を考えたんですが……。 絢花(巫女服): 温泉旅館の人をゲストハウスに……どうやってお呼びするんですか? 魅音(冬服): うん……そこが問題なんだよ。そこでみんなに、相談できないかと考えたってわけ。 千雨(冬服): ……気持ちいいくらいに、肝心なところが白紙状態だな。 行き当たりばったりにもほどがある、とさすがに口には出さなかったが……。 電話を受けた時から面倒事かもという予感は、やはり当たっていたようだ。……嬉しくない。 レナ(冬服): はぅ……温泉旅館に来ている人たちを呼び込むには、どんな内容のイベントを立ち上げたらいいのかな、かな……? 魅音(冬服): 2月なら節分が真っ先に思いつくけど、あれって地味だから集客を期待するのは厳しいだろうね。 魅音(冬服): それに今からだと、どう頑張っても2月の中旬くらいから始めるのが精一杯だしさ。時季外れは否めないよ。 美雪(冬服): んー……だったら、バレンタインのイベントをそのゲストハウスで開催するのはどう? 美雪(冬服): エンジェルモートと連動すれば食材の融通ができたり、イベント販売みたいにそこでチョコを売ったりできるんじゃない? 詩音(冬服): うーん……私も一応考えてはみたんですが、温泉客は比較的年配のお客さんが多いんですよ。 詩音(冬服): だからバレンタインのイベントと言われても、微妙というか……あまり興味を引かれないと思います。 詩音(冬服): それに、エンジェルモートで買えるものをゲストハウスまで買いに行ってもらうのはちょっとないかなー、って。 美雪(冬服): うーん、それはそうか……。 魅音(冬服): あと、できれば数日間イベントを続けられるような季節的な何かがほしいんだよね。 魅音(冬服): 2/14みたいに決まった日から多少時期が外れても大丈夫! てな感じにさ。 一穂(冬服): え、えぇえ……? そんなのあるかな……? 千雨(冬服): 要求のハードルが高いぞ。そんな贅沢をいきなり言われても、さすがにぱっとは思いつかん……。 千雨(冬服): あっ、そうだ! 季節感は薄いが――。 美雪(冬服): サメは却下。 千雨(冬服): ……まだ何も言ってない。 菜央(冬服): 言ってなくてもわかっちゃうわよ。顔で。 千雨(冬服): 何もしないよりマシだろうが。それに老若男女、みんなサメが大好きだろ? 美雪(冬服): いや、そんな澄んだ目で同意を求められても私たちは答えようがないんだけど……。 絢花(巫女服): ……サメと#p雛見沢#sひなみざわ#rに、何か関係がありますか? 千雨(冬服): 川と海は繋がってる……それで十分じゃないか。 詩音(冬服): あのっ……他に! 他に何かありませんか?!このままだとサメ絡みの何かにされる気がします! 一穂(冬服): 雛見沢にサメが来るのなら、それはなんだか楽しそうな気がするけど……。 千雨(冬服): だよなっ? よし決定だ!! 魅音(冬服): 一穂も乗るんじゃない!……誰かーっ! 他に何か、アイデアをーっ!!このままだと雛見沢がサメに埋め尽くされるー?! そんな、魅音の悲痛な叫び声が木霊する中……。 お手伝いさん: 魅音さぁん。お客様ですよー。 通いのお手伝いさんだと紹介された女性の声が、玄関のほうから聞こえてきた。 魅音(冬服): お客さん? 誰だろう……。とりあえず中に入ってもらってー! 魅音が声をあげると「はぁい」と軽快な返事。しばらくするとパタパタと足音が大きくなり、上着を脱ぎながら現れたのは……。 夏美:高校生: こんにちはー、魅音ちゃん。久しぶり~。 魅音(冬服): ……夏美ちゃん! 千雨(冬服): ……夏美……? Part 02: 美雪(冬服): お、夏美さんだ。こんにちはー。 美雪が挨拶すると、一穂と菜央がにこやかな笑顔で「夏美さん」と魅音が呼んだ人に応じる。 そして、私は……。 千雨(冬服): ……どうも。 一瞬頭の中が真っ白になってしまったせいで、そう答えるのが精一杯だった。 魅音(冬服): 夏美ちゃん……どうして#p雛見沢#sひなみざわ#rに? 夏美(高校生): おばーちゃんが穀倉の病院で検査だったから、付き添いついでに公由のおじいちゃんのところへ顔を出して、その帰りに立ち寄ったんだよ。 夏美(高校生): あと、おとーさんの出張のお土産をみんなに食べてもらおうと思ってね。 夏美(高校生): 現地で店の売り子さんから、断ることができないまま押し切られて……たっくさん買い過ぎちゃったんだって。 魅音(冬服): あっはっはっはっ、冬司さんらしいや!まぁ、そのおこぼれに預かるわけだからこの際は感謝すべきなんだろうけどね。 詩音(冬服): ありがとうございます、夏美さん。ちょうど頭を使ったりして、甘い栄養がほしいと思っていたんですよ。 夏美(高校生): そうだったの……?じゃあ、はいどうぞっ。 そう言って彼女が差し出してきたのは、読みづらい漢字のような文字が並ぶ派手なパッケージに包まれたお菓子だった。 一穂(冬服): えっと……これって、なに? 夏美(高校生): 月餅ってお菓子だよ。色々と種類があるけど、これは中にあんことナッツが入ってるの。 美雪(冬服): あっ……私、昔食べたことある!千雨も一緒に食べたよね? 千雨(冬服): あぁ……小学校の時以来だな。 美雪に応じて月餅を受け取りながら、私は見覚えのない女の子に胡乱な目を向ける。 千雨(冬服): (誰だ……?) 美雪たちは親しげな様子で、その子のことを受け入れている。……が、私にとっては間違いなく初対面だった。 千雨(冬服): ……絢花。あの夏美ってのは、どういうやつだ……? さりげなく絢花の隣に移動して、私は女の子について尋ねかける。 本人に直接尋ねるのはさすがにまずい、と場の空気から憚られたので、私の事情をよく知る彼女に頼ることにしたのだ。 絢花(巫女服): えっ? あの……ご存じないのですか? 千雨(冬服): あぁ。私の「記憶」だと、今会ったのが初めてだ。 絢花(巫女服): ……そうですか。わかりました。 すると絢花は巧みに身体の向きを変え……他の面子には聞こえないように声を潜めて私に解説をしてくれた。 絢花(巫女服): 彼女は、公由夏美さんです。公由家の分家筋の女の子で、現在は引っ越して都会の学校に通っています。 千雨(冬服): そうか。……ただ、私が最初に雛見沢へ来た時は一度も会ったことがなかった。 千雨(冬服): 美雪たちもそうだったと思うんだが……違うのか? 絢花(巫女服): 私の記憶している限りですと、美雪さんと一穂さん、菜央さんは夏美さんと半年以上前に出会っています。 絢花(巫女服): もちろん、千雨さんも……魅音さんから紹介されて、仲良しの関係です。一緒に海へ行ったこともあったはずですが。 千雨(冬服): そうか。……けど、覚えがない。海に行ったというのも、初耳だ。 もし、大好きな海に行ったのだとしたら……そのことを私が、絶対に忘れているわけがない。 確かに、ぼんやりとだが……海水浴か、海の家……それに関する記憶が残っている気がする……が……。 その中に、この夏美という子は……いなかった。それだけは断言してもいい。 千雨(冬服): とはいえ、美雪たちがこうして仲良くやってるんだから……話を合わせておいたほうが良さそうだな。 絢花(巫女服): ……今のところは、そうですね。性急に違和感を解消しようとしても、余計な混乱を生むだけだと思います。 そんな私たちのやりとりをよそに、一穂たちは月餅を巡って楽しげに盛り上がっていた。 一穂(冬服): 食感はお餅じゃなくて、お饅頭だね。あんこが甘くてとってもおいしー♪これってどこのお菓子なの? 美雪(冬服): 中国の焼き菓子だよ。日本じゃあまり売ってるところを見たことがないけど……。 美雪(冬服): 中国って祭以外の時でも色々と屋台を出して、変わった食べ物とか民芸品とかを売ってたりするんだよねー。 美雪(冬服): ちなみに、夏美ちゃんのお父さんは中国のどこに行ってきたの? 夏美(高校生): 確か、上海だって言っていたかな……。本当はもう少し長く滞在する予定だったんだけど、旧正月前だから早めに引き上げてきたんだって。 レナ(冬服): はぅ……?旧正月に入ると何かマズいことがあるのかな、かな? 菜央(冬服): 旧正月は、アジアの諸国だと「春節」という名で日本のお正月以上に大きなイベントなのよ。 菜央(冬服): その期間だけは都市部で働いてる人が休みを取って里帰りしたり、町で出展される露店を目当てに大勢の人が押し寄せたりするんですって。 そう言って菜央ちゃんは、母から聞いたという知識を披露してくれる。さすがの博学だ。 と……そんな彼女たちの横で魅音と詩音は、ふと何かを思いついたように顔を見合わせていた。 魅音(冬服): お祭りに、露店……ということは……?! 詩音(冬服): えぇ、いけると思います……夏美さん! 夏美(高校生): えっ? は、はい……? Part 03: 夏美(高校生): な、なに……?どうしたの魅音ちゃん、詩音ちゃん……?! いきなり2人がかりでずいっと迫られて、夏美ちゃんと呼ばれた女の子は怯えた顔で背中を反らしながら後ずさる。 ……年上の子と聞いたが、意外に気が弱いようだ。一穂に近いタイプなのかもしれない。 魅音(冬服): さっきみんなと、ゲストハウスで行うイベントについて話していたんだけどね。旧正月をイメージしたお祭り企画ってのはどう? レナ(冬服): は、はぅ……旧正月の、お祭り……? 魅音(冬服): そうそう! 飾り付けをして、露店とかも出してね!で、そこに温泉客を連れてきて、異国のお祭り気分で楽しんでもらうんだよ! 美雪(冬服): んー……つまり、もうすぐ行われるバレンタインイベントと同時進行で別のイベントを立ち上げるってこと? 美雪(冬服): 発想は面白いかもしれないけど、さすがに無茶が過ぎるんじゃないかなぁ……。 魅音(冬服): 無茶はもう、承知の上!この時期に大きなイベントをやるとしたら、もうそれしかない! 魅音(冬服): もちろん穀倉と#p興宮#sおきのみや#rのエンジェルモートでもしっかり宣伝して、そっちからもお客さんを呼び込むつもりだよ! 詩音(冬服): バレンタインは西洋ですが、旧正月は東洋……コンセプトがかぶっていませんので、両方の客層を取り込むこともできそうです! レナ(冬服): はぅ……そうだね。実現するためには色々と大変かもしれないけど、もしかしたら面白くなるかも……! 魅音(冬服): でしょ、でしょっ?しかもうまい具合に、ゲストハウスには中国風に庭園を造ってあるからね! 魅音(冬服): あれ……?あの設備っていつ、どうして作ったんだっけ?確かお正月のイベント関連で、何か……。 詩音(冬服): ……お姉、それは今関係ないことですよ。とにかく大事なのは、おあつらえ向きの設備が活用できるってことだけです! 魅音(冬服): うん、そうだね……!よーし、それじゃ早速明日から準備に取りかかろうー! 千雨(冬服): いやいや、待てって……! 強引というか乱暴に、どんどん話を進めていく2人を見かねた私は、思わず口を挟んで制止する。 盛り上がるのはまぁ結構だとしてもわけもわからず見切り発車というのは、さすがに無茶が過ぎると考えたからだ。 千雨(冬服): 企画内容の是非はともかくとして……旧正月イベントと言うのは簡単だが、そもそも何をやるのか決まってるのか?! 一穂(冬服): そ、そうだね……旧正月のお祭りって、どんな感じなの? 魅音(冬服): たとえば、えっと……さっきの話にあったように屋台を出して、中国風の食べ物やお菓子を販売するとか? 魅音(冬服): この月餅と肉まん、餃子とかだね。あとは庭園や回廊で色々と見世物をすればお客さんも喜んでくれる……気がする! 詩音(冬服): 撮影会なんてのもいいかもしれませんね。飾り付けをすれば、舞台としては最適でしょう。 千雨(冬服): 旧正月のイベントって、そんな内容で本当によかったのか……? 詩音(冬服): まぁまぁ……この場合は勢いとノリが重要ですし、再現度についてはお察しってことで。 詩音(冬服): それにクリスマスしかり、バレンタインしかり……日本人は独自解釈がお家芸みたいなものですよ。 千雨(冬服): ……中国と日本、同時に敵に回す発言に聞こえるんだが。 詩音(冬服): 気のせいですよ。ただ、そのためにはクリアしなければいけない問題が2つありまして……。 そう言って詩音と魅音は顔を見合わせると、今度は菜央とレナの前へと移動する。 レナ(冬服): は、はぅ……? 菜央(冬服): ど、どうしたの魅音さん、詩音さん……? そして、戸惑う彼女たちの前でがばっ! と五体を投げ出す勢いで土下座をしていった。 魅音(冬服): お願いレナ、菜央ちゃん!チョコ菓子のレシピを色々と考えてもらった上で申し訳ないんだけど……。 魅音(冬服): 旧正月イメージのお菓子と食べ物も、何か考えてください……頼みます! 詩音(冬服): あと、旧正月イメージの衣装デザインも何点か!仕立てや材料の調達は園崎の力でお金と人員をつぎ込んでなんとかしますから、何卒っ! 千雨(冬服): ……またしても、この2人頼みかよ。 2人とも手先が器用で、精力的に働いてくれる絶好の人材だが……さすがに便利に使いすぎだと、他人事ながら感じずにはいられない。 ……というか、魅音と詩音が考えた施策の生命線ってレナと菜央ちゃんにかかっていることが多くないか?大丈夫か、この状況って? 菜央(冬服): はぁ……途中からなんとなく想像ができてたけど、やっぱりこうなるのね。どうする、レナちゃん? レナ(冬服): チョコ菓子の方は、魅ぃちゃんと詩ぃちゃんに任せても大丈夫だと思うから……次はこっちを手伝ってあげてもいいかな、かな? 菜央(冬服): レナちゃんがそう言うなら、もちろんあたしはOKよ。ダブルヘッダーになっちゃうけど、頑張りましょう! そう言って2人は、対価も明確にすることなくあっさりと魅音たちに応じてしまう。 あぁもう、なんてお人好しなんだこいつら……!まぁそんな気の優しい彼女たちだからこそ、私も尊敬の念を抱いてはいるのだが。 魅音(冬服): ありがとう、2人とも……!バイト代はいつも以上にはずむからさ! 詩音(冬服): あと、今日のご恩は一生忘れません!何年か先にもし困ったことがあったら、お二人のために国家権力でも動かしてみせます! 2人の頼もしい申し出に、そう言って魅音と詩音は感謝を連呼する。 いつにも増して無茶な要請だがきっとレナと菜央ちゃんのことだ、見事にやり遂げてみせるだろう。ただ……。 千雨(冬服): いや……国家権力はマズいだろ。レナや菜央ちゃんのために何をする気だ、こいつら? 美雪(冬服): まぁまぁ……それくらい感謝してるって意思表示だけで、実際に使ったりしないでしょ? 美雪(冬服): ……たぶん。 千雨(冬服): おい美雪。……何で目をそらす? とりあえず、法に引っかかりそうな行動に出ようとした時は、全力で止めることにしよう。……その決意を、私はそっと胸に秘めておく。 魅音(冬服): ただ、バレンタインと旧正月……戦力分散のことを考えるとできればあと1人、いや2人は戦力の補強がほしいところだね。 詩音(冬服): ですね。1人はまぁ、めどがついているのであと1人見つかればOKなんですけど。 一穂(冬服): えっと、その1人って……誰? 前原くん? 詩音(冬服): あ、いえ。確かに圭ちゃんは頼りになりますが、男子ですからね。一番ほしいのは接客担当です。 魅音(冬服): というわけで……夏美ちゃん?もうすぐテスト休みだよね……? 夏美(高校生): えっ……わ、私っ……? 魅音・詩音: 「「お願いします!」」 そう言って魅音と詩音は、またしても土下座。……なんかそろそろ、恒例になりつつあるぞ? 夏美(高校生): う、うぅ……仕方ないなぁ。その代わり、ちゃんとバイト代をはずんでよね? かくして夏美さんも、あっさりと陥落。……このあたりの押しの弱さは親戚だからか、やはり一穂に通じる気がする。 魅音(冬服): よし……これであと1人!うーん、誰かいないかなぁ……? 千雨(冬服): あと1人……か……。 なにげなく呟きながら、私は一同を見渡す。……そこでふと、今さらになってようやく「彼女」がいないことを意識した。 千雨(冬服): (……そういや、今日もいないな。梨花ちゃんはともかく、あいつはいてもおかしくないと思うんだが……) だから……少なくとも私にとっては軽い、ごく自然な思いつきの提案のつもりだった。 千雨(冬服): ……前から気になってたんだが、沙都子なんてどうだ。 レナ(冬服): えっ……? 千雨(冬服): あいつが加われば、なんとかなるんじゃないか? 菜央(冬服): ――っ……。 にもかかわらず……その名前を口にした途端、居間の空気がしん、と静まり返る。 美雪(冬服): 千雨、それはっ……! 一穂(冬服): ……っ……?! それは美雪たちも同様で、予想以上の反応に私自身がかえって驚きを覚えていた。 千雨(冬服): おい……どうした?私は何か、おかしなことでも言ったのか? 魅音(冬服): あ……あっはっはっはっ!もう千雨、それは冗談だとしてもあんまり笑えないよ。 魅音(冬服): 悪いけど今のはここだけの話、聞かなかったことで……いいね? そう断じて魅音はわざとらしい仕草で大声で笑い飛ばし、場の空気を打ち破る。 だが、納得のいかない私はわけがわからず、他の面々にもぐるりと顔を向けながら言いつのった。 千雨(冬服): いや、なんでだ?そもそも、なんで沙都子はここにいな――、っ?! と……そんな私の手を、横からつかむ感触。 はっとなって振り返ると、視線の先で絢花が険しい表情で見据えているのが映った。 千雨(冬服): っ……絢花……? 絢花(巫女服): 沙都子さんは駄目です、千雨さん。……彼女を仲間に加えることは、#p雛見沢#sひなみざわ#rに対する重大な裏切りを意味します。 千雨(冬服): なっ……裏切り、だとっ……?! Part 04: そして、数日後――。 魅音と詩音の計画通り、ゲストハウスで旧正月をテーマにしたイベントが開催されることになった。 とりわけ人気だったのは、詩音と夏美さん。旧正月用にデザインをしたというだけあって、見事な出来映えだった。 もっとも、それをデザインした当の本人は別の子の方に夢中になっていたが……。 菜央(冬服): ほわぁ……レナちゃん、可愛い!こっちに向いて、ポーズして~♪ レナ(後宮): あははは、いいよ♪一緒に並んで、撮ってもらおうねっ。お願いします、富竹さん。 富竹: よしきた。二人とも、笑顔で……はい、チーズ。 魅音(後宮): ちょっと、富竹さーん。私も頑張っているんだから、こっちも忘れずにちゃんと撮ってよねー! 富竹: あ、あははは……ごめんごめん、魅音ちゃん。すぐに撮影をさせてもらうよ。 富竹: ただ、あんまり可愛い衣装を着ているみんなの姿を撮り続けていると、鷹野さんがその……あとでヤキモチを……。 鷹野: ……私が、何ですって? 富竹: の、のわぁぁああっっ?た、鷹野さん、いつの間に?! 鷹野: 詩音ちゃんから招待されたのよ。菜央ちゃんの力作揃いだから、是非観に来てあげてくださいってね。 富竹: そ、そうだったんだ……。確かに、素敵な衣装ばかりで目移りするよね……。 鷹野: ……そうね。誰かさんも鼻の下が伸びっぱなしで、ずいぶんだらしない表情をしていたみたいだし。 富竹: そ、そんなことはないよっ!僕が美しいと思っているのは、その……世界中でもたったひとりだけで……! レナ(後宮): は、はぅっ~?胸のあたりがずれちゃった……菜央ちゃん、助けてー! 菜央(冬服): あぁっ、ちょっと待ってて!すぐに直しに行くから!! 富竹: …………。 鷹野: ……一瞬、目が動いたように見えたんだけど。 富竹: ち、違う誤解だッ!僕は決して、誘惑になんて負けはしないッッ!! 鷹野: さよなら、ジロウさん。私はここで失礼させてもらうわ。……ふんッッ!!! 富竹: ま、待ってくれ鷹野さんっ!頼む、僕の話を聞いてくれええぇぇぇえっっ!! 圭一(後宮): なぁ……あの二人、放っておいていいのか? 美雪(冬服): んー、いいんじゃない?夫婦喧嘩は、犬も食わぬって言うしね。 魅音(後宮): あれ……そういえば、千雨は?もうすぐショーが始まる時間なんだけど……。 美雪(冬服): ったく、まだ着替える決心がついてないのかなぁ?もう少し待って来ないようだったら、首に縄つけて私が連れてくるよ。 菜央(冬服): ……逆にふん縛られそうだけどね、美雪の方が。 魅音(後宮): あっはっはっはっ、違いない!まぁ穏便に事を済ませてくれることを期待しているよ~。 絢花(巫女服): …………。 一穂(冬服): ……千雨ちゃん……。 千雨(冬服): …………。 美雪たちは色とりどりの衣装に身を包み、楽しそうに盛り上がっている。 そんな彼女たちの様子を窓越しに見つめながら、私はひとり控え室で与えられた衣装をテーブルの上に置き……ぼんやりと佇んでいた。 「……話があります」と絢花に連れられてやってきたのは、園崎本家の台所だった。 一穂(冬服): ち、千雨ちゃん……絢花さん……っ? ふと顔を向けると、私たちを心配したのか一穂が少し遅れて追いついてくる。 とりあえず、そこで解放されて息を整えた私は……さすがに感情を抑えきれず、絢花に迫るようにしていった。 千雨(冬服): おい……どういうことだ、絢花さん?沙都子が、裏切り者の娘って……? 絢花(巫女服): ……。あなたは、彼女のことも「ご存じなかった」のですね。 凄む私に怯むような素振りも見せず、物憂げな表情を浮かべながら彼女はこちらを見返す。 その言い含んだような言い方のおかげで、私は間もなく我に返り……ぐしゃり、と前髪をかき上げてから息をついていった。 千雨(冬服): ……この「世界」では、どうやら常識だったんだな。ということは、一穂も知ってたのか……? 一穂(冬服): う、うん……ごめんなさい……。 千雨(冬服): 謝らなくてもいい。……当然そうあるものだと勝手に合点して、確認してなかったのは私の手落ちだ。 千雨(冬服): まさか……沙都子が、私たちの仲間から外れてたなんてな。……何があった? 絢花(巫女服): 「あった」……という表現は、正しくないのかもしれません。なぜなら彼女は、何もしていませんので。 絢花(巫女服): どちらかと言えば、沙都子さんは被害者です。……だからこそ根深くて、解決できないまま現在に至ってしまったと言うべきなのですが。 千雨(冬服): ……回りくどい説明は苦手なんだ。美雪たちが様子を見に来ないとも限らないから、端的に教えてくれ。 絢花(巫女服): #p雛見沢#sひなみざわ#rダム戦争。……この言葉に聞き覚えはありますか? 千雨(冬服): あぁ。5年ほど前、この村にダムを建設するかどうかで住民たちの反対運動があったってことだな。……それが? 絢花(巫女服): ……北条家はその雛見沢ダム戦争の時、建設計画に賛成したということで村の人たちからずっと白眼視されています。 絢花(巫女服): 3年前に実質的リーダー格であったご夫妻が亡くなった後も、それは続いていて……。 絢花(巫女服): その娘の沙都子さんは分校にも登校することもできず、ほぼ引きこもり状態になっているんです。 千雨(冬服): 引きこもりって……それじゃあいつは、どこでどうやって暮らしてるんだ?! 絢花(巫女服): 叔父の北条鉄平さんが同居して、ご両親と住んでいた家で生活を送っています。 絢花(巫女服): ただ……その暮らしの様子は現状不明な点が多く、噂では虐待を受けているという話も……。 千雨(冬服): なっ……? 驚きのあまり、私は言葉を失ってしまう。 ……そういえば、と思い返す。どうして梨花ちゃんが沙都子と一緒に同居生活を送っていたのか、私はずっと疑問だったのだ。 二人とも親を失い、似たような境遇だという事実は私も把握していたが……ならば、どうして彼女たちは後見人や保護者を立てようとしなかったのだろう、と。 千雨(冬服): (つまり……梨花ちゃんが沙都子を自分の家に招き入れたのは、賛成派として差別する村人たちから彼女を守るためだった……?) だとしたら、梨花ちゃんが存在しないこの「世界」では沙都子は誰にも守られず、村の連中から容赦なく冷遇を受け続けるということになるのか……っ? 千雨(冬服): っていうか、叔父から虐待だと……?そうとわかってて、お前らは見て見ぬ振りをしてるってのか?! 一穂(冬服): そ、そうじゃないよ……!見て見ぬ振りなんか、してない!! 一穂(冬服): 絢花さんは、村の人たちの間を取り持って沙都子ちゃんを助け出そうとしてくれてるし、レナさんだって色々と動いて……! 一穂(冬服): もちろん私だって、なんとかできないかって!けど、肝心の魅音さんと詩音さんがなかなかうんと言ってくれなくて……! 絢花(巫女服): ……あの2人は立場上、仕方ないんですよ。村の改革を推し進めるためには、村人の支持がどうあっても必要になります。 絢花(巫女服): なのに、賛成派の縁者をかばって不興を買うことにでもなれば、せっかくの指導力を失ってしまうことにもなりかねません。 千雨(冬服): つまり……梨花ちゃんがいなくなったせいで、こんなおかしな状況になっちまったってわけか。くそっ……! 苛立たしげに頭をかきむしり、私は沙都子の窮状に思いを馳せる。 姿を消した梨花ちゃんのことだけじゃなく、こんな大きな変化が起きていたとは……! 千雨(冬服): ……あぁ、わかってるさ。あいつらに罪なんかないってことくらいは。 そして、こんなふうに苛立ちと無力感を抱えていても何にもならないってことは……ちゃんと理解している。少なくとも、頭ではそのつもりだ。 だけど……納得できない。心が追いついてこない。 どうしようもなく感情が激するのを抑えきれず、何もかもを拒んで、自分の世界に引きこもってしまいたい願望だけが……強くなっている。 ……話したいことを話せないということが、こんなにも辛くて苦しいものだとは思わなかった。自分は孤高のつもりでいたのに、実にお笑い草だ。 千雨(冬服): くそっ、畜生……!このおかしな状況を生み出したやつは、いったい私に何をさせたいんだ……っ……! 千雨(冬服): 私はここで、何をしろってんだよ……?! Epilogue: 詩音(旧正月): どうしました、千雨さん?そろそろ着替えないと、出番が来ちゃいますよ。 呼びかけてきた相手に、私は振り返って目を向ける。そこには紅色の衣装をまとった、詩音が立っていた。 千雨(冬服): ……楽しそうだな、お前。 詩音(旧正月): は……? それ、嫌味のつもりですか?こっちはお金にならない仕事を引き受けさせられて、来る前からやる気が下がっていたってのに。 詩音(旧正月): ……っていうか、本気でやりたくないんだったら私からお姉に言ってあげますよ。無理をお願いしていることは、百も承知ですからね。 千雨(冬服): いや。……こうしてにぎやかにやってる間、「あの子」はどんな思いで過ごしてるのかって考えたら、な……。 そういって私は、よせばいいのに……と我ながら呆れた思いを抱えつつ、詩音にこらえきれなくなった思いを吐露していった。 千雨(冬服): ……なぁ、詩音。私の記憶だと、お前はあの沙都子のことをすごく可愛がってたんだよ。 千雨(冬服): からかいながらも、気遣って……好きだった北条悟史の忘れ形見ってことで、それこそ実の妹のようにな。 千雨(冬服): それが、なんで……逆にいじめる立場になってるのか、どうにも納得がいかないんだ。 そして、沙都子のことなどすっかり忘れて楽しんでいるように見える面々の姿に……どうしようもなく腹立たしさを覚える。 ……と、そんな私に詩音は低い声色で静かに告げていった。 詩音(旧正月): 先日の発言で、もしかしたらとは思っていましたが……千雨さん。 詩音(旧正月): やっぱりあんたは、以前の「世界」の記憶を残しているんですね。 千雨(冬服): っ……? その言葉に私はうつむきかけた顔を上げ、詩音に視線を向けて目を大きく見開いた。 千雨(冬服): ってことは詩音、お前もか……?! 詩音(旧正月): えぇ。驚きましたよ、前触れもなくいきなり状況が一変していたんですから。 詩音(旧正月): 梨花ちゃまがいなくなって、代わりにいたのがあの絢花さん……でしたか。素知らぬ顔を続けるのに、苦労しました。 詩音(旧正月): まぁ私の場合、初めてじゃないので周りと話を合わせるのはそこまで苦ではありませんでしたけどね。 千雨(冬服): 初めて、じゃない……?それはどういう意味だ? 詩音(旧正月): その点については、いつか機会があった折にでもお話ししますよ。……まぁいずれにせよ、これで判明しました。 詩音(旧正月): 「あの子」が言っていたように、沙都子を救い出すには「世界」を元に戻すしかない。 詩音(旧正月): どんなに交渉しても、梨花ちゃまがいなければあと一押しが足りなくて……ダメなんですよ。 千雨(冬服): ……。戻す方法が、あるのか? 詩音(旧正月): はい。変異点となっている存在を排除することです。 千雨(冬服): 変異点の、排除だと……? 嫌な予感を覚えながら、私は聞き返す。すると彼女は、笑みと怒りをない交ぜにした表情で憂鬱そうに告げていった。 詩音(旧正月): 決まっているじゃないですか。いるはずの人間がいなくなって、いないはずの人間が現れた。 詩音(旧正月): だったら変異点は、……しかいないじゃないですか。 千雨(冬服): ……っ……?! 再び、平成5年―― 10年の歳月を経た魅音と夏美さんに対して、当時のままの姿をした私は話し終えた疲労をにじませて大きく息をつく。 そして2人に向き直ると、続けていった。 千雨(冬服): ……これが、私が10年前の#p雛見沢#sひなみざわ#rで体験してきたものの一部だ。 千雨(冬服): そして夏美さん、あんたはさっき「初めまして」と言ったが……。 千雨(冬服): 今の話が夢じゃなく事実だとしたら……私たちは10年前に会っていたことになるってわけだ。そのあたりの記憶は、どうだ? 夏美: っ……確かに……。 話の途中から、痛みを覚えたように頭を抱えていた夏美さんは……やや呻きながらも小さく頷き返す。 そして再び顔を上げると、私を見つめ返していった。 夏美: なんでだろう……さっきまで記憶していなかった過去の思い出が、頭の中に浮かんでくる……! 夏美: これって、私が忘れていたことなの?それとも……? 魅音(25歳): ……私も同じだよ。夏美ちゃんがここに来た時、あんたたち2人はここで初めて顔を合わせるって思っていた。 魅音(25歳): もちろん、旧正月のイベントのことなんて記憶の片隅にもなかった。 魅音(25歳): それなのに、ここで千雨の話を聞いているうちに映像としてはっきり浮かび上がって、事実として認識できるようになった。 魅音(25歳): つまり、詩音が過去に言っていた通り……変異点は……。 千雨(冬服): ……あぁ。 魅音に顔を向けられた私は、そう答えて残ったコーヒーを飲む。 そして苦みを覚えながら、おもむろに口を開いていった。 千雨(冬服): 全ての事象が変わった原因は、梨花ちゃんでもなければ……絢花が何かしたからでもない。 千雨(冬服): 変異点は……私、黒沢千雨の存在なんだよ。