24
船内の一番上等な部屋に、捜していた相手は普通にいた。
要塞船の中を一回りするうちに船は高度を下げ続け、もう浮いているかどうかも怪しい状態だったが、平衡だけは保っている。部屋の扉を開けたところで足下から鈍い、ずうんという感触が伝わってきた。街の建物を押しつぶし、いよいよ地面に着くようだ。
「この感じは、胸に来るな」
部屋の奥側で、船には似つかわしくない革張りの
「胸に?」
初対面だが、どこか旧知のように。
オーフェンは訊ねた。老人は両手で頬杖を突いて、続ける。
「何人が下敷きになったか、考えさせられないか?」
「砲撃を始めた要塞船の下に閉じこもっていた住人がいたとも考えにくいんじゃないか」
「そうだな。大半は逃げただろう。だが予想外の行動をする者は必ずいるんだよ。十人にひとりか、百人にひとりか……まさかあり得ないと思って指揮を執ると、驚くようなことが後になってから分かる。必ずだ」
彼は顔を上げ、椅子の背に身体を預けた。天井に向かって言う。
「我々のような立場の者は、平凡よりも重い責務を負う。いわれない悪名もそのひとつだし、悪行を本当に実行するのもそのひとつだ。君に言うまでもないか」
視線だけ下げて、見下ろすように。
「魔王オーフェンに殺されるなら、わたしの名前も残るかな」
「あんたの名前はとっくに残ってるだろう。ヒクトリア・アードヴァンクル」
「持ち上げてくれるな。壊し屋風情と思っていたが、お世辞も覚えたか」
つまらない土産をうっちゃるように、手を振ってみせる。
ヒクトリアの名は、オーフェンも知ってはいた。貴族共産会の大物だ。
貴族連盟から続く名家だが、単なる貴族ではなく革命家として有名になった。二十三年前の聖域崩壊から魔術士との抗争に発展し、情勢が激変する中、王立治安構想はもはや機能せずとして貴族連盟解体に走った。アードヴァンクル家は元は《十三使徒》の設立に関わるなど魔術士との協調路線につながりがあり、タフレムとの戦いを手打ちにしたのも彼の尽力とされる。
(考えてみれば、一番俺に関わりのある貴族かもな)
顔を合わせるのは初めてだが。
左右を見回し、部屋を観察した。ただの部屋だ。長らく──恐らく一年近くを──ここをオフィスとして過ごしたのだろう。くつろげる客室などではなく、資料の蓄えられた箱が積み上げられた書斎になっていた。揺れてもいいように箱は固定されているが、それでも書類の多くが床に散乱している。戦闘のせいか。
「一応言っておくと」
血で汚れた格好を指して、オーフェンは告げた。
「船はもう無力化した。生存者はいない。まあもともと大砲係くらいしか乗ってなかったようだが」
「わたしの負けだな」
「俺が勝ったとも言い難い。こうも街に被害を出したんじゃな」
「当たり前だ。ただ勝ちなどさせるか」
トントンと指先でテーブルを叩き、ヒクトリアは面白くもなさそうに鼻を鳴らした。
「だがわたしの見積もりよりは安く買い叩いてくれたよ」
「そいつはどうも。魔王が案外素直に負けてくれたんで助かった」
と、足下の書類を適当に拾い上げながら、話を変える。
「せっかくだから質問したいんだが。ごねずに答えてくれればご老体を尋問せずに済む。ウィールド・ドラゴンの魔術が復活しているってことは、アイルマンカーが復活したか、新たに設定されたってことだな?」
「拷問しても意味はない。既にこれを飲んだ」
ヒクトリアは懐から小瓶を取り出すとテーブルに置いた。既に空だが、底に少しだけ色のついた液体が残っている。
「医者はすぐ効くと言っていたのだがな。うまくいかんものだ。が、長くもつわけでもなかろう」
と言いながらも彼は問いには答えてきた。
「魔術士同盟は機密を守るのに適した組織ではない。歴史が長すぎてな。古桶と同じで思わぬ穴が開いているわけだ。魔王術の情報は掴んでいた。精神士の生き残りを送り込んで術を手に入れようとしたがキエサルヒマではなかなか実用の段階に至らなかった。が……そうこうしているうちに魔王の関心を引いてね」
「フォルテ・パッキンガムには警告してあったからな。もっと誘惑しやすい相手に乗り換えたんだろう」
「我々だって丸呑みしたわけではないさ。聖域を回復してアイルマンカー結界を再構築できれば、魔王の脅威からも身は守れる」
閉じられた部屋で遠くを見やって──時を旅するような眼差しで、ヒクトリアは続けた。
「文字通りの
(結果、記憶のない天人種族に出来上がったか……)
聞きながら、拾った書類に目を落とす。内容は数字と記号の羅列で暗号のようだったが、直感で分かった。風呂の時間の割り当て表だ。
「こんなのを管理するのは船長かそのへんの仕事じゃないか?」
「管理はな。わたしだって風呂には入らねばならんから表をもらっただけだ」
当たり前のことを言われて、それもそうかと思う。
政治は非凡と平凡、異常と当然の絡み合う場で、当たり前の人間がそれを行うことに無理がある。社会が殺人を必要としたら、誰がそれを執行するのか。
くしゃりと紙を握りつぶして、オーフェンは切り込んだ。
「キエサルヒマはもう結界に閉ざされたのか?」
「いいや。蘇らせることができたのはウィールド・ドラゴンのアイルマンカーだけだ。君が魔王術で滅ぼした他の五種族のアイルマンカーはどうやってもできない……のは分かっているのだろう? ともあれ、ひとりの力ではキエサルヒマ大陸全土を覆う結界を造れる可能性は低い」
「……そうか」
それで、リベレーターの次の行動が分かった。それが魔王の目的と噛み合った理由も。
こちらが承知したのを、ヒクトリアも読み取ったようだ。厳めしい顔を初めて崩した。小気味よかったのだろう。
この瞬間のために、この男は洗いざらい語ってみせたのだ。さらに嘲りを含んで続けてくる。
「ざまあみさらせとはしゃぎたいが、ちょうど胸が苦しくなってきたな……まったく出来の悪い毒だ」
身体を押さえて、重々しく息を吐きながら、ヒクトリアは無理やりに笑いをこぼした。
「君がここまでカーロッタを始末しなかったのが原因なのだ。我々が来た目的は、君よりもあの女を始末することだった」
声を詰まらせ、間を置いて持ち直す。顔色は見る見る悪くなっていった。
「あの女と、女神を再び呼び込もうとするキムラック教徒どもだ。貴族共産会には、カーロッタと手を組んで取り込みたいという者が六割、手を組んだふりをして抹殺したいのが四割……どちらにせよ看破されたが」
「あんたは?」
「わたしはどちらでもいい。だから選ばれた。ジェイコブズ・マクトーンもだ」
開拓公社のジェイコブズ・マクトーン。これもヒクトリアの古くからの腹心だが、日陰の仕事が多く実体は知られていない。
オーフェンは嘆息した。
「そいつは陸に上がったか……」
「クリーチャー調整槽とともにな。あいつは切れ者には程遠いが、君より腹は据わっている。我々で君と刺し違えれば楽をさせてやれたのだろうが。まあ、うまくはいかんな」
貴族共産会の英雄、ヒクトリア・アードヴァンクルは激しく咳き込んだ。
末期の息となるだろう。見とどけてから、オーフェンはそのまま部屋を後にした。