22

魔王と黒い獣の姿があっという間に視界から消えて、エド・サンクタムはまずは小さく嘆息した。

戦闘はこれからだが既に一仕事を終えた心地だった。止めないという大仕事を。

スウェーデンボリー魔術学校から見下ろす街は未知の兵器に脅かされ、幾たびかの砲火に震えていた。

激震の先にある船、ガンズ・オブ・リベラル。あの船は沈む。魔王オーフェンには勝てない。敵もそのつもりで仕掛けてきているだろう。問題は、それと引き替えになにを得ようとしているか、その先になにがあるかだ。

いなくなった魔王は街中で術を放ち、敵を蹴散らしながら標的に猛進しているようだ。彼をキリランシェロと呼ぶことはほとんどなくなったし、こちらも元の名前で呼ばれることはなくなった。それはふたりがいつの間にかわきまえた別離だった。が、単に家族のようであったお互いの名前を抹殺したというだけの意味ではない。

キエサルヒマという故郷そのものとの決別だ。思い出の終端ではさみは入れられた。その紐は二度とつながることはない。縁を気にすることはあっても、それだけだ。

あの船はその縁をも消すものかもしれない。

「……まずは」

ネットワークから指示を飛ばす。各魔術戦士に。砲撃の防御は続けるが、ヴァンパイア化した革命闘士は恐らく砲撃の最中さなかでもこちらに飛び込んでくる。

(撃滅しろ。ひとりとして生かすな。敵の目論見はスパイを校内に潜伏させることかもしれない。後の指示は〝マンイーター〟から受けること。そして)

以後、俺を煩わせるな。

殺しの牙を剥いて、エド・サンクタムは戦場となる前庭へと飛び降りた。


スティング・ライトは最後列に追いやられたとしても不平は言わなかった。

毎日通っていたのだから、学校はよく知っている場所だ。ラポワント市には家がある。なにもかもが馴染みのはずなのに今は吸っている空気の味から違う。苦い。舌のしびれる苦みに、唾が止まらない。吐き出したいのだがそれができない。喉が詰まっている。

前庭の最後方、玄関前には学生や父兄からの志願者が集められた。ほとんどが学生だ。十数名ほどだが、スティングとふたりの級友はその中でのリーダーを自負していた。実力的にも当然だ。父のビーリーも、そう認めた。

最初の砲声で何人かが挫けた。前校長が巨大な犬にまたがって街に飛び出していっても士気は回復しない。スティングは級友の頬をひっぱたいて活を入れた。

「俺たちは魔術戦士だ。今、戦いの場に立っている。だったらもう、魔術戦士なんだ!」

革命闘士が壁を破って突入してくるのを、じっと待った。砲撃だけではなく正門の近辺ではもう戦闘が始まったと思しき騒ぎが聞こえてきている。前方には戦いの声、背後には悲鳴と、加えて頭の中だけで響く声か。この声は誰のものかよく分からない。

地面が揺れて、つまずいた。爪先をなにかにぶつけたと思った。地面の出っ張りだ。さっきまではなかった出っ張り……

そこから飛び出したかぎ爪が、隣にいたアエソンの首を裂いた。地面から這い出てきたヴァンパイアは長大な爪を振るい、次の犠牲者を見定めようとしたようだが。アエソンがその腕にしがみついていた。首をほとんど折られていたから意識などなかっただろうし、自己犠牲だったかどうかは疑わしい。だがとにかく、ヴァンパイアはほんの半秒ほど動きを妨げられた。

異形に変化していたが、女の顔だった。歳は二十代くらいだろうか。よくは分からないままスティングは魔術を放ち、そのヴァンパイアの息の根を止めた。その女が開拓地に名を轟かせた〝囁きのメイシー〟で、魔術戦士をひとり殺害したことのある猛者もさだったことを知るのは戦いが終わってからのことだった。


シスタは第一教練棟近くで戦闘が発生しているのを察した最初の魔術戦士だった。

舌打ちする。素直に門から入ってくる敵だけではないはずと思っていたが、真っ先に当たったのが候補生ばかりの一隊とは。

魔術戦士の配置は、学校を囲む壁の上に半数──これは要塞船の砲撃を防ぐ役があるため動かせない。正門に残りのうちのさらに半数。シスタはその中にいたし、エド隊長も合流してきた。既に革命闘士の突入を防ぐ激戦区になっており、砲撃で壁の一部が崩されたため三名を余所に回して、さらに手一杯になっている。

残りの四分の一が中庭で、避難民のいる第八棟の最終防衛と予備戦力だ。

退路も捨てて陣の内部に特攻してくるような部隊は、敵のうちでもかなりの精鋭だろう。学生で対抗できるとは思えない。中庭にはベクターのような手練れも温存されている。二体のヴァンパイアと交戦しながらシスタは念じた。

「マンイーター! 子供たちがやられてる!」

「分かっている。だが、予備隊は動かさない」

クレイリーの返事に信じられず、シスタは思わず声に出した。

「馬鹿か! 突破されればどうせ交戦するんだ!」

「突破はさせない。こんなしょぱなから崩させん」

その返答の半分は、意識がずれたため半分ほどしか聞こえなかった。殴りかかってくるいのしし顔の敵と二丁拳銃の手練れに襲われ、防御術に集中しなければならなかったからだ。


クレイリー・ベルムは校長室の窓から身を投げ、壁に何度かぶつかりながら地面への距離を測っていた。

両足が動かず片腕だけでは、魔術を使っても無事に受け身を取るのは難しい。ぎりぎりの重力中和でダメージを防ぎつつ、肘を突いて上体を起こした。

そこは軽く言っても地獄のような有様になっていた。ここまで地下から入り込んできた三体のヴァンパイアは、学生らの一隊の半数を瞬く間に切り刻んでいた。

ヴァンパイアのひとりは長いかぎ爪を備えた強靱な女。これは不意を突かれたか、既に殺されている。

さらにひとりは大蛇の姿に獣化した……男か女か。踊るように跳ね回り、当たるを幸い暴れている。残るひとりは剣を構えた小柄な男だ。見かけは普通だが、鋭い奇妙な音を吐いては標的を倒している。

その小男がクレイリーに気づいた。こちらを向く。普通の見た目と思ったが目の色が少し違う。遠目でよくは分からないが瞳孔が木のうろのようだ。色がそうだというより、本当に空洞になっているらしい。口を開いて、パッ! と威嚇のような音を発した。

ただの威嚇ではなかった。肩に痛みを覚えてクレイリーはうめいた──飛礫つぶてかなにかが当たったのだ。威力はどうというほどでもないが痛みが激しい。手をやると、トゲの生えた種のようなものが皮膚まで埋まっていた。

虚の男は剣を振り上げて突進してきた。これが常套じょうとうの手なのだろう。痛みで魔術士の集中をぐという。

(なるほど。だが)

クレイリーは気にせず構成を編んだ。痛みならば、もはや全身を苛む激痛にも慣れている。

「死ね」

宣告通りに虚の男は、眉間みけんに別の穴を開けられて絶命した。

あとはひとり……だが。

めり込んだ種を指で抉ってほじり出しながら、クレイリーは暴れる蛇を睨みやった。敵は地下の水路を使ってここまで入ってきたのだろう。とりあえずはこの三人のようだが、後続に来られたくはない。

血まみれの種を捨てて、手のひらを地面に当てた。叫ぶ。

「崩れろ!」

衝撃が土を突き崩す。

地下で地盤が崩落する手応えを感じた。同時に地表にも地割れが走る。大蛇はその裂け目に落ち込んで身動きが取れなくなった。脱出しようとうねるのだが手間取っている。

倒れ、半身だけを起こした体勢でだが、クレイリーは敵を睥睨へいげいした。彼がこれからなにをするか、相手が想像できるだけの時間をかけて、唱えた。

「壊れろ」

振動波で蛇の頭を砕く。

半分地面に埋まったまま動きを止める大蛇に、ようやく生き残った学生たちがざっと六人。呆然と立ち尽くしている。彼らを見つめて、クレイリーは告げた。

「隠れたくなったなら第八棟に行きなさい。ここはわたしひとりで守ってもいい」

言いながら、彼らがこの場に何人残るかなどは興味がなかった。別の心配ごとが既に胸を占めていた。

(地下水道を潰したか……水が足りなくなれば、明日からまた抗議が増えるな)

そんなことのほうが気苦労なのだった。


マシューは戦術騎士団最強の魔術戦士である。

ただし、規格外の数名を除けば──と付け加えられる。これがマシュー当人には不本意であったし、その不満が彼を特殊な戦い方に駆り出す要因になっている。

彼は常に最も過酷な戦況に投入される。何故ならそう志願するからであるし、それが適任だからだ。

正門から外へ、彼は真っ先に踏み出した。待ち受ける気はないし、待ち受ける敵も恐れない。門外で飛びかかってきた革命闘士三人を、半歩の体捌きと両の拳だけで打ちのめした。シンプルだが骨を貫く打撃で内臓を破壊する。

雑魚ざこがァ! 待たせず来いや!」

全身を奮い立たせ、次の挑戦者を募った。

役に立たないバリケードを蹴散らして、頭ひとつ分はマシューより背の高い大男が進み出てくる。近づいてくる一歩の間に、またさらに身体の大きさを増していた。ヴァンパイアだ。

すぐにも飛び込んで急所を一撃することもできただろうが、マシューは待った。相手が最大の大きさになるまで。その上で、それも素手で打ち倒すつもりだった。明らかに強大な肉体を己の手でぶち壊す。それが戦術騎士団の雄、ブレイキング・マシューだ。ヴァンパイアは今やマシューの身の丈の倍まで高くなっている。マシューは舌なめずりするだけでは足りず、拳まで舐めた。暴力がたぎる。マシューはリベレーターに感謝していた。リベレーターが世界を変えてくれた。堂々と、ひ弱な敵を殺せる世界に。

と。

「デグトウション!」

マシューの頭の上を飛び越えて、攻撃術のやいばがその敵を両断した。マシューに気を取られていたヴァンパイアは避けることすらできなかったのだ。

目をぱちくりしてから、マシューは後ろを向いた。

「なにしゃァがる!」

阿呆あほうが。常識を守れ」

ビーリー・ライトが半眼で告げた。


ビーリー・ライトは戦術騎士団最強の魔術戦士でもない。だが教官として若い世代の魔術戦士を育ててきた。(この不肖の弟子)マシューもそうだし、(多少はマシだが性急さでは大差ない)シスタもそうだ。恐らくいずれ、彼の息子も加わるだろう。

今さらこの戦闘などに余計な意味など見出し、動揺する者たちに、ビーリーは辟易へきえきしていた。この点ではエド隊長も落第だ。余計な理想に浸ってきたから、いざ汚れた現実が溢れてくると慌て出す。要は覚悟が足りないだけだ。己が真に偉大な魔術士であり、そうでもない者より明らかに優れているという覚悟が。

実を言えば巨人化の危険だとか壊滅災害だとかも、ビーリーにはどうでもよかった。そんなものはあろうとなかろうと構わない。

組織は機械だ。世の中がどう転ぼうと、機能を果たせばいい。脳を持とうとするから余計な欲を持つ。

淡々と、ビーリーは敵を殺していった。


中庭にも騒ぎはとどいていたし、いつかは血の臭いも漂ってくるのではないかと思えた。それほどに気配は近く、しかしいまだに隔てられている。

九人の魔術戦士が第八棟の前に待機していた。

最初の砲声と学校への打撃から、数分が過ぎたか。

魔術戦士のひとりは空を見上げて身震いしていた。

敵は空から。空を浮遊する要塞船だという。先日の襲撃も空からだった。だが今、見つめるその空は静かで、中庭からは船も見えない。ただ不可視の轟音と無形の衝撃に揺れている。

彼とて魔術戦士だ。志願して秘密を知り、苛烈な訓練を経て実戦にも参加した。魔王術の修得には至らなかったが最初に参加した戦いがハガー村の殲滅という大一番だった。彼はそこで二体のヴァンパイアを仕留めた。

だが今はどうにも落ち着かなかった。虚仮威こけおどしの要塞船ややけっぱちの革命闘士の攻撃がいかほどのことか? いくら自分に言い聞かせてもすぐに別の声が囁いてくる──お前が恐れているのはそんなことではない。お前は初めて己の素裸をさらした。仮面が剥がれ、お前が守っていると思ってきたものはお前を糾弾し、永遠に許さない。

その彼を。

ベクター・ヒームは横目ですら見た気配はなかったが。

ぴくりとも動じず、釘を刺した。

「指示があるまで動くな」

「でも……」

魔術戦士が戦慄したのは、ベクターにそう言われて初めて自分がしようとしていたことに気づいたからだ──戦いに駆けつけるか、逃げ出すか、とにかく走り出す寸前だった。

髭を撫でつけながら、ベクターは続けた。

「忘れたか。無駄に消耗しないことは、この戦いに勝つのと同じくらい重要なのだ」


ヴァンパイアライズした革命闘士の利点は、能力が意表を突くこと。そして数が多いこと。

魔術士の利点は戦闘力で圧倒していることと、今は防御の側であることだった。

この十数日のうちにラポワント市に入り、潜伏していたヴァンパイアの数は戦術騎士団の十倍を超えていた。士気の点で大きな差はなかっただろうが、革命闘士は統制に欠いていた──カーロッタはいまだ表に姿を現さず、ボンダインも行方不明となり、リベレーターとの連絡も薄いものとなった。

彼らの勝機はリベレーターがどれだけやれるかにかかっていた。要塞船の砲撃で戦術騎士団を釘付けにした上で、クリーチャー兵の潜入と擬態能力で魔術士側を混乱させれば、戦況はいかようにも転んだはずだった。

それが為されなかった誤算は、ひとつには要塞船を単身で撃退し得る法外な魔術戦士の存在だ。アキュミレイション・ポイントの暴動が予定より小規模で、大統領邸の動揺が小さく、魔王オーフェン・フィンランディの引き渡しを同意させられなかった失点。

もうひとつはクリーチャー兵がこの戦場にいなかったことだ。

市街が破壊され、戦闘員非戦闘員を問わず次々と死体が積まれる中。戦闘は日暮れまでに終わる見込みだった。


人間がぎゅうぎゅう詰めになった第八棟の講堂は、安全のため火も焚かれず暗かった。

爆発と破壊は直接降り注いではこなかったもののそう遠いわけでもなく、人々は怯えていた。爆音に悲鳴をあげる避難民たちを左右に見つめて、マキ・サンクタムはどこか他人事のような心地でいた。

周りにいるほとんどの人間と自分は違う。という思いは、子供の頃からずっと抱え続けてきた想像上の友達のようなものだった。マキはいつでも問う。ではその違いとはなんだろうかと。

それは時に明解に──明解過ぎるほど明解に分かることもあれば、なかなか見分けられないこともある。今はよく分からなかった。ただ、他のみんなほどには自分は怖がってないな、と感じるのみだった。

注意を周りから、もう少し身近に移した。壁の隅で彼を抱きしめて身を固めているクリーオウ・フィンランディに、小声でマキは訊ねた。

「おばさん……震えてるの?」

彼女がマキに腕を回した時は、もちろん彼を保護するためだろうと思った。実際、そのためだったろう。しかしふと、彼女の鼓動が激しく、目もきつく閉じられていることに気づいたのだ。

彼女は目を開いた。腕の中のマキに微笑ほほえんで、こう答えた。

「ええ。怖くて」

「怖い……?」

開拓地で育ったマキは、この人物については本当に様々なことを聞かされていた。

恐ろしい残虐な魔王と、その片棒を担ぐ妻。彼らを取り巻く悪魔的な戦術騎士団。この世界を害する悪の中の悪であり、おびただしい死の担い手だという。開拓で流された血はすべて彼らが原因だ。

(ああ、そうか)

違いが分かった気がした。

話通りに、彼の両親や親戚は戦術騎士団の手で皆殺しに遭った。村ひとつが一夜で滅ぼされた。この暗闇、戦いの音はそれを思い出させる。

要は、一度経験済みなのだ。

「大丈夫だよ」

マキは、自分を抱きしめる腕をそっと撫でた。

「父さんや、おじさんが守ってくれてる」

「……そうね」

クリーオウの微笑みから陰りが消えないのを目にして。

マキは感じ取った。彼女が恐れているのはこの場の安全などではないらしい。

また分からなくなってしまったものの、考えても仕方ないと諦めて、マキはその腕を抱きしめ返した。