もっと大事な話をできずにいるうちに、校舎に着いてしまった。ぽかんと出迎えるのは今度はラポワント市民でもなく戦術騎士団でもなく、学校に避難している魔術士や生徒たちだ。事務局に陳情に来ていた人々は突然現れた前校長に言葉もない様子だった。

反感がなかったはずはない。顔を見たらはりつるしてやると言っていた者も少なくなかったはずだ。

だが玄関前に集まった者たちに対して、前校長は足を止めて。

背筋を正して一礼した。

急に態度を改めたのでマヨールも面食らったが、一応合わせて立ち止まった。オーフェンは顔を上げて話し始める。

「わたしの騎士団の敗北により窮地に陥ったこと、申し訳なく思います」

大声というわけではないが、よく通る声だった。それだけみなが静まり返っていたのもあるが。

「みなさんにも不自由をおかけします。楽観はできません。状況は、今が最悪ではないと言わざるを得ません」

ざわっ……とさざめく聴衆に、オーフェンは手を挙げた。制止を求めるというより誓いの仕草にも見えた。

「ご覧の通り、敗北のとがを責められるべき場からわたしは抜け出してきました。理由を問われればみなさんに詫びるためでもないし、そうすべきであったからとも言えない。わたしは、今まで閉じてきた蓋を開けることを覚悟した……」

不吉な声音は、先日のクレイリー校長の話とは対照的に人を突き放していく。

「出てくるのは悪臭を放つ大量の恥だ! わたしはそれを仕事としてきた。その仕事をやり遂げるために無念ながらここにいます。その仕事とは」

と、嘆息を挟む。

「人間種族の生命と財産を強欲に守ることです。これを恥と思わないのなら、それはもはや恥ですらない。罪だ」

話を始める前にも増してしんとした人々を見返し、彼は言い終えた。

「理解できなければ我々は負ける。リベレーターを倒し、カーロッタを八つ裂きにしても、逃れられない」

不穏なだけでも済まない。凄絶な演説を終えて、彼はまた進み出した。

みながその話を呑み込んだわけもない。弁明か、あるいは昂揚こうようする過激な話を予想していた多くの者たちはただ呆気に取られていたが。

ここにもどってきたのが魔術学校校長のオーフェン・フィンランディではないのを、マヨールも思い知った。戦術騎士団を率いていた魔術士ということでもないかもしれない。魔王と呼ばれ恐れられた破壊者がここにいるのか? それが一番近いかもしれない。

世界で最も殺しと破壊に熟達したはぐれ魔術士だ。彼が進むと人垣が割れた。第一教練棟に入っていく。

(余計な反感を買っただけな気もするけど……)

多少びくつきながら、マヨールはついていった。

事務局まで続く人の群れを突き進み、恐れるような視線にさらされるが、邪魔はされなかった。校長は振り返りもせずに階段を登っていく。

校長室のある最上階に着くと。

そこにクレイリーが待っていた。車椅子で、前校長の姿を見て腰を浮かしかけている。

「校長……」

その前をあっさり、前校長は通り過ぎた。

が、無視したわけでもない。足を止めないまま半分顔を向け、こう告げた。

「校長はお前だろ。返上する必要はない」

待っていた顔は彼だけではなかった。廊下に並んでいたのは前校長の家族だ。夫人と娘。クリーオウとラチェット・フィンランディ。あとサイアンとヒヨ、マキや犬もいたが。

前校長は妻には目配せしただけで、立ち止まったのは娘の前だった。ラチェットは厳しく父親を睨んでいる。

「父さん。なにするつもりなの?」

「ラチェット」

前校長の手がぴくりと動くのを、マヨールは察していた。触れようとしたのかもしれない。が、彼はそうせずにその手で軽く拳を握り込み、こう言った。

「お前の一番嫌うやり方で敵を始末する」

「わたしなんかどうでもいいよ」

口を尖らせ不満を述べるラチェットに、前校長はふっと笑みを漏らした。

「俺にはどうでもよくない。死んだほうがマシだ。が……」

断固として言い切った。

「それでもやる。仕事なんだ」

気配が増した。

階下からだ。複数の足音が上がってくる。

魔術戦士たちだった。エド隊長やシスタ、ビーリー・ライト……主だった十数人が揃っているようだ。校外に出ている者と見張りを残して、来られる者は全員だろう。クレイリーと合流して、戦術騎士団として改めて顔を見せた。

彼らがなにを言ってきたわけでもないが、マヨールはなんとはなしに唾を呑んだ。前校長の言葉を借りれば、最強最悪の戦闘魔術技能者集団。戦術騎士団。二十余年にわたる原大陸の暗部そのものだ。

そしてそれを率いてきたオーフェン・フィンランディ。組織が半壊してから何年も経ったわけでもない。数えればほんの二十日かそこらだ。この短期間で原大陸の情勢は一変した。反撃に出るのは初めてとなる。

オーフェンはまだメンバーには背を向け、娘と話していた。

「……罠が待ってるって分かってるんだ」

うつむいたラチェットのつぶやきに、彼は今度は、頭に触れて答えた。

「向こうから挨拶してきたよ。俺が行かなかったらなにをしでかすか分かったもんじゃない。それがなかったら攻めずに済んだかもな」

そして振り返った。

騎士団に向けて声をあげる。

「リベレーターは神人種族を確保している。これは壊滅災害だ。執行票はもう俺にないが、制限はなしだ。デグラジウスの時のような、街ひとつ引き替えにする間抜けはもう許されないし、戦力の損耗も負けと同じだ。これで終わりじゃあないからな」

口早に、一気に告げた。

「戦術騎士団の本来の機能を思い出せ! 壊滅災害に対して俺たちがなにをするか、ただひとつ〝容赦なし〟だ!」

戦術騎士団は雄叫おたけびをあげ──たりはしないが。

無言で意思を疎通させるのを、マヨールは見て取った。エド隊長ですら口を挟まなかった。彼らの本当の結びつきはこれなのだろう。魔術士の地位向上でも革命闘士との戦いでもない。壊滅災害に対処すること。

神人種族のもたらす破滅の宿命と戦うこと。

全員を見渡してから、オーフェンは何人かの名前を挙げた。

「クレイリー、エド、ベクター、シスタ、ビーリー、マシュー。これからミーティングをする。あと、イザベラ教師。あなたも来て欲しい」

魔術戦士たちの最後尾にイザベラが来ていたのを、マヨールは前校長の言葉でようやく気づいた。彼女すら黙って聞いていたというのは意外だった。真っ先に噛みつきそうな話だったはずだが。

と、思い出したように付け加えてくる。

「マヨールにイシリーン。君らもだ」

「……わたしは?」

ラチェットが訊ねる。校長は首を振った。

「お前は駄目だ。母さんといろ」

「じゃあわたしは?」

夫人も言う。前校長は口をねじ曲げた。からかうなよ、という表情だ。

「君がどうすべきか、俺が決めたことなんてないだろ。こっち来てからは。あ、しばらく犬を借りるぞ」

犬に向かって指をぱちんとする。犬はちらと夫人を見上げてから、前校長のほうに進み出た。

「本気でやるみたいね」

ふうと息をついて、夫人は娘の肩を抱いた。退かなかったラチェットを後ろに下がらせるためだ。

それぞれまた散っていったり、会議室に入っていく魔術戦士たち(と犬)をマヨールは眺めていた。なんとなく、遅れて入ろうと思ったのだ。

行こうとした時、袖を引かれた。ラチェットだった。彼女はじっとこちらを見上げ、小声で囁いてきた。

「昨日は手伝ってくれてありがと」

「えっ?」

「思ったほど嫌いじゃないです。でも……」

と少し天井を見上げて。

「役に立ちすぎると損ですよ」

「…………」

「じゃ、また」

短く別れを口にして、ラチェットはみなと一緒に部屋に引き上げていった。

マヨールは言葉もなく、誰もいなくなった廊下に留まって考えごとをしていた。先に会議室に入っていたイシリーンが、ひょいと顔だけもどして訊いてくる。

「どうしたの?」

「いや。なんか、ね」

俺も君のことは嫌いじゃないかな。と口には出さずにつぶやいた。

小声でも迂闊うかつに言うと聞かれそうな気がして。