15

「ラチェット・フィンランディ!」

スティング・ライトの声にラチェットは、ゆっくりと横目でそちらを見やった。

「あいつ人の名前呼ばないと出てこれないのかな」

「いちいち大声出す人って、おばけが怖いから追い払ってるんだと思うなー」

うんざりしたラチェットと対照的に呑気なヒヨの声。

まあ彼が怒るのも無理のないところではあると思うよ、とサイアンが言いかけるその前に、スティングは大股に近づいて、もう一喝してきた。

「お前はどうして外に出てるんだ! 中にいるはずだろう!」

「どして? 部屋にいたって少しばかり安全でみんなにも不安を与えず余計なことに首つっこめないってだけじゃん」

「…………」

スティングは一瞬混乱しかけたようだが。数秒で回復する程度にはまだ頭が回ったらしい。

「状況を分かってるんじゃないか!」

「引っ込ませたいなら力尽くでやればいいよ」

挑戦的にラチェットは告げ、勝ち誇ってみせたが。

サイアンは嘆息した。

「ホントに状況分かってる?」

「え?」

心底不思議そうにラチェットは首を傾げる。

三人は第一教練棟から出てすぐの前庭に立っていた。

そこから正門のバリケードと、その前に待機する魔術戦士と学生からなる有志十数名──そして門の向こう側にどんどんと集まってきているらしい群衆の様子を眺めていたのだ。

だがサイアンが言いたかったのはそこではない。肝心なのは三人が三人だということだ。ラチェットとヒヨ、サイアンの三人。例のキエサルヒマの魔術士たちはいない。

そしてスティング・ライトは言うまでもなく学生の有志一同に真っ先に名乗りを上げたひとりだ。戦術騎士団予備軍を自負するスティングに躊躇ためらいなどあろうはずもなかった。彼の友人、アエソンとポールにはもう少し気後れがあったかもしれないが、どちらにせよスティングにすごまれれば参加を断る余地などありはしない。

スティングは学内でも有数の魔術戦士候補だ。ヒヨもかなり優秀な魔術士だが、彼には敵わない。ラチェットとサイアンは問題外で、〝力尽くで〟などというのはまったく考えたくない選択肢ではある。

でかい(本当にでかい)拳をぼきりと鳴らしながら詰め寄ってくるスティングに、サイアンは言ってみた。

「ええと、こっちが気になるのも分かるけど、向こうのほうもマジやばいんじゃないかな……」

正門のほうを指さす。

襲撃から一夜が明けて。かといってガス人間(だとか言っていたけど)の死体が残ったわけでもなく、襲撃を受けたこと自体は有耶無耶うやむやになり。

外に漏れたのはクレイリー校長の反撃宣言だった。

そんな話がすぐ外に広まったのは、あの襲撃と演説で学校から逃げていった人たちもいたからだ。それは主に非魔術士の避難者で、内外の状況を見比べて出て行くきっかけを待っていたというのもあるだろう。だが立て続けに死人まで出る騒ぎがあれば、去る者を止めるわけにもいかない。クレイリーは離脱希望者のために明け方の短時間、門を開いた。これは魔術士は出て行けないと分かった上で、戦術騎士団が非魔術士の放出は構わないと考えている、そんな本音も表した話ではある。

ともあれそれで、門の外に集まる群衆は倍増したようだった。倍加どころか桁がひとつ変わったかもしれない。まだ押し寄せるまではいっていないが、机や椅子を積み上げて材木で固めたバリケード──これも昨夜のうちに急ごしらえしたものだが──に石が投げつけられるコツコツいう音が甲高く聞こえてきている。いくらかは門を越えて庭に投げ込まれる石もあるようだ。

クレイリー校長は魔術戦士に見張りを強化するよう命じて、学生からも志願者を募った。条件は十五歳以上で群衆から身を守るだけの能力があること。身を守るだけの能力は、魔術士の場合、身を守るだけにはとどまるまい。

スティングはそちらのほうに目をやってから返事した。サイアンにではなくラチェットにだが。

「正門は一番守りが堅い。エド隊長は、あの門を破れるほどの人数が集まってくるのなら学生はかえって足手まといだと考えているらしい。だから俺たちは裏門のほうに回る。そっちは親父が指揮してるしな」

「じゃあ早く行きなよ」

「お前らを心配して言ってやってるんだろうが!」

声を張り上げるスティングに、ラチェットは耳を塞いだ。

「聞こえてるよ。なんで近づいてきてもっと大声になんの」

「聞き分けがないからだろ!」

「聞き分けあるよ。ちゃんと理解してるし。すぐにも魔術戦士並みに扱われるって期待してたのに補欠以下の扱いだから八つ当たりしてるんでしょ」

「そういう聞き分けじゃなく!」

また声を張り上げてから、がくっと力を抜いてかぶりを振った。案外、自覚はあったらしい。心配してというのも嘘ではないのだろう。

「ああ、もういいよ。好きにしろ。どうせお前、聞きゃしないんだから……」

と、裏門に向かって力なく引き上げていく。

スティングら三人をしばし見送ってから、ラチェットは言い出した。

「じゃ、部屋に帰ろうか。ここにいてもやることないし、迷惑かけるしさ」

「ええ?」

サイアンは面食らって、

「なら素直にもどれば良かったじゃない。さっき」

「そうだけどさ。あいつ嫌いだもの」

「そんな身も蓋もない……」

「こん中であいつの話にまともに付き合ってるのサイアンだけなのにさ、なんでサイアンへの返事をわたしに言うの。嫌い」

「…………」

呆気に取られているとラチェットは門のほうに向き直り、つぶやいた。

というより早口で囁いたくらいの声だった。

「門は今日中には破られない。リベレーターが昨日と同じ手を使ってくる可能性はあるけど、期待したほどの戦果はなかったからどちらかというと失望してると思う。でも予測の落とし穴で一番ありそうなのはヴァンパイアだよ」

もうさっきの怒りなどすっかり忘れてしまったように、没頭して彼女は続けた。

「ヴァンパイア化は予測不可能の変異。通常の可能性を破滅させる。もし予測できるんなら巨人化じゃないの。それなら神人種族は恐れない」

「……ラチェット?」

「え?」

はっとして、彼女は目をぱちくりした。

「なに?」

「いや、誰に言ってるのかなって」

「誰にって。聞いてる人にでしょ。独り言なんて言わないよ。気味悪い」

なに言ってんの、という顔で、ラチェットはくるりと校舎に爪先を向けた。


(おばけを追い払うため、か……)

サイアンはぼんやりと、ヒヨの言ったことを思い出した。ヒヨはいつものほほんとしているし適当なことばかり言っている。生い立ちからすると少し意外かというくらい穏やかだし優しい子だ。良い友達ではある。

ラチェットとはなにかと正反対なヒヨだが、たまに似ていると思うこともある。ああそうかもね、という話をいつの間にか言っていることだ。

立てこもったこの魔術学校の中で、おばけ退治はそこここで見受けられるものになっていた。スティングはなにかと気にくわない相手を見つけては怒鳴るようになったし、戦術騎士団が目に見える場所に立つようになった。人々のひそひそ話が増えたし、事務局に詰めかける抗議もトーンを強めた。

みな、これから事態が悪くなると予想していたしほぼ確信していた。それどころか望んですらいそうだ。そのもやもやしたおばけの影に苛立って、ぴりぴりしている。

騎士団の会議から、ラチェットはお役御免となった。騎士団の方針がアキュミレイション・ポイントのリベレーター攻略に焦点が置かれ、原大陸全域の分析はひとまず必要なくなったというのもあるが、ラチェットが猛然と騎士団の作戦に反発したから、うるさがられたというほうが大きいのだろう。ラチェットはエド隊長とクレイリー校長をさんざんにこき下ろして、騎士団は最悪の損失を被るし原大陸はおしまいになるとまで言い切った。結局つまみ出されて、キエサルヒマの魔術士らは会議に残されたためラチェットは手懐てなずけた手駒(?)も失うことになった。

ラチェットの機嫌が悪いのはそのせいで、彼女もおばけ退治に加わっているとも言える。サイアンはと言えば──それこそ人のことは言えず──肩が重くて背中が曲がった気がするな、と自分でも感じていた。胃が痛むとは言わないが、このままでは騎士団の衝突する相手が派遣警察隊になるということもあり得なくはない。

会議室ではおばさんとマキがお茶を飲んでいた。

「外はどうだった?」

とラチェットに声をかけてくる。ラチェットは不機嫌ぶりを隠さず、

「ここから見るのと変わらないよ。行くだけ損だった」

正門の騒ぎは窓からも見られる。

おばさんはカップを置くと、軽くため息をついたようだった。

「仕事がないと暇ね」

校内で仕事が減ったわけではない。が、避難者らと戦術騎士団との溝が深まってしまい、第一教練棟に半ば閉じこもる形になっているフィンランディ家に作業は回らなくなっていた。

「ちょっと迫力あるよね」

首を伸ばして外をのぞくマキが、くすくす笑ってつぶやく。

「あれがみんな、ぼくらを殺したいほど怒ってるんでしょ」

「まあね」

サイアンは願掛けの気分もあって、答えた。

「殺したいほど怒ってるのと殺せるのはだいぶ違うけど」

「あの門、どれくらいもつのかなー」

背伸びするマキの首を後ろから掴んで、なんとなく弄ぶようにしながらヒヨが言う。

ラチェットはソファに飛び乗って、うつ伏せにふて寝の体勢に入りながら、

「門は頑丈ったってただの柵だし、積んでるのも机でしょ。破ろうと思ってるならどうにでもなってるはず。だから問題は人数よりその気かどうか」

「またなにか悪いことがあったら、みんな本気になるかも?」

「じゃない? 暴動は中からかもしんないけど」

もごもご言っていると、部屋の隅にいた犬がむくりと顔を上げて、ラチェットの寝るソファの脇に移動し、そこで座り直す。足音も立てない犬だしラチェットは見ていなかったはずだが、彼女は手を伸ばして犬の背を撫でた。

それで少しは落ち着いたのかラチェットは半分だけ顔を上げた。

「エドさんもクレイリーも騎士団連中はみんな、喧嘩したくて夢中だよ。劣勢だからって自分の得意なことしたくて我慢できないんだ。スティングみたいな単細胞までそそのかしてさ」

「彼らにも考えはあるのよ。気に入らなくてもね」

と、これはおばさん。

ラチェットはどんよりと半眼になった。

卑怯ひきようだよ。それで自分たちは勝てなかったら死ねばいいって。満足なのかなんなのか知らないけど、そんなの誰に頼まれたのさ」

「望みが全部かなうことはないから、ひとつだけでもできることをしようっていうのは、切実よ。理解はできる」

「きっと罠があるよ。それがなんだかはっきり言えれば、止められるのに……」

ばたばたと足を動かして、ラチェットが頭を抱える。

後ろに反撃しようと足掻あがいているマキの手をひょいひょいとかわしながら、ヒヨが目を見開いた。

「あれ?」

見ているのは窓の外だ。

「きれーい」

「なにが?」

サイアンも見たがなにも変化はない。だがそのなにもない正門にヒヨは見とれている。

「あれはサイアンには見えないんだねー。たまに思うけど、見せられたらいいのにね」

「だからなにが?」

「あんな綺麗な構成、わたしには無理だなー」

「……こうせい?」

がばと、ラチェットが起き上がる。

爆発が響き渡った。

震動は校舎をも揺らしたかと思えた。転ぶほどではなかったが。サイアンはあんぐりと口を開けたまま正門が吹っ飛ぶのを見ていた。

魔術なのだろう。だが爆発は前庭から外にではなく、逆だった。外から中にだ。破れたバリケードや鉄柵が派手に転がり、庭に散乱する。濛々もうもうとわき立つ砂煙を前に、待機していた魔術戦士らが一斉に展開し、戦闘態勢を取るのが見えた。

上からだとよく分かる。魔術戦士のひとりが、こじ開けられた門の砂煙の中へと飛び込んでいく。別のひとりは牽制の術を放ったようだった。光が煙へと突き刺さるが。

煙を切り裂いて人影が飛び出した──というかぶん投げられたように、頭から逆さまにすっ飛んできた。術を放った魔術戦士に激突して、ふたりもつれて倒れる。魔術戦士たちの様子にいっそうの緊張が走るのが見て取れた。

そして魔術戦士らの中からエド隊長らしき人影が、砂煙の真正面に移動する。

風が吹き、煙が晴れた。そこにはひとりの男が立っている。

「…………」

サイアンは目を凝らした。遠くてはっきりとは分からないのだが。

「あれ、誰に見える?」

見当はついていたものの、聞かずにいられなかった。

ヒヨはマキの頭を抱えたままもじもじして(おかげでマキは首を捻られて悲鳴をあげた)、

「ラチェのお父さんでしょー」

「……また例のガス人間?」

「あの魔術構成はそうそう真似できないと思うなー」

きゃっきゃっとはしゃぐヒヨから、サイアンは視線をずらして室内のほうを見やった。おばさんの様子を見たかったのだが。自分とマキのカップを片付ける途中で立ち止まり、眉間に皺を寄せていた。最近見た覚えのある顔だった。ラチェットが戦術騎士団の会議に加わると告げた時の。

ソファで身を起こしたラチェットも、似たような表情だった。

「ああ……」

うめく。

「馬鹿親父のやることも予測の外だった」

正門とバリケードは完全に破られ、その外側の、集まった群衆の姿が丸見えになっていた。