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(……なるほど)

ラチェットの警告がなかったら騙されていたかもしれない。いや、合理的に彼がここに姿を見せるのを納得するかというとあり得ないが。

それでもよく出来ていた。夜、いきなりこれを目にすれば彼だと思うだろう。

じっくり観察すれば立ち居振る舞いに違和感もある。重量がないのだ。所作は人間らしいようで、だがしかし気体の揺らぎが人の真似をしている奇妙さが──

(動き!)

マヨールは跳び退いた。ガス人間が動いた。く前進して襲いかかってくる。魔王の顔をした者の攻撃に、思わず身が竦む。実際、できる戦闘者の動きだ。踏み出しが素速く、深い。

たいだけではかわし切れない。と踏んで、突き出された拳を肘で受けた。衝撃が……

来ない。ガス人間の拳はマヨールの腕をすり抜けて脇腹に命中した。痛撃はここできた。息が詰まる。

それでも一度分解した手での打撃は威力も弱まっていたのだろう。食らいながらもまだ動けた。マヨールは平手で敵の顔面を狙い、視界を塞いだ上で本命の打撃を放とうとした。計画というより反射的な行動だ。

が、この目論見も外された。手の先に顔はなかった。敵は全身丸ごと分解してマヨールの身体をすり抜け、背後に回り込んでいた。死角だが目の端に動きが見えた。首に回ろうとしている影がある。ガス人間がまた実体化すれば首を取られる。

「異界よ──」

防御術を唱えようとして。

だがその構成前に、眼前からも迫り来るものを見た。

これも人間離れした動きで。靴の裏が視界いっぱいに広がり、術が発動する前にマヨールの顔面を蹴り飛ばした。

速度を思えば、吹っ飛ばされて地面を転がり木に激突してめまいから回復した後でまだ首がくっついていたのは幸運だと思うべきなのだろう。木が思ったより柔らかかったというのもある。いや、木が柔らかいわけはなく……

朦朧もうろうとしながらマヨールは後ろを見やった。マヨールと木に挟まれて、半実体化したガス人間が不定形に崩れかかっていた。敵が人間の形にもどる前にマヨールは離れて、身構えた。こちらも調子を取りもどすには数秒かかりそうだったが。

「惜しい」

ラチェットがぼやくのが聞こえた。

「あと〇・二秒遅ければ、ジャストにあのモヤったのだけ蹴れたのに」

「えー。〇・二秒は数えらんないよー。指何本よ」

困った様子でヒヨが言い返す。マヨールを蹴飛ばしたのはこの子だ。足を上げた姿勢のまま器用にバランスを取って反論している。

マヨールも言いたいことはあったものの、構っていられなかった。ガス人間が人の形を取りもどす。その姿は数度、この前に見た騎士装束の男になりかけて、どうにか再びオーフェン・フィンランディにもどっていった。

だが形がバラついて落ち着いていない。他人の姿を真似るのは長時間もたないというのは本当のようだ。どうしてラチェットがそんなことを知っていたのかは不明だが。

痛む頭をさすりながら見回すと、ガス人間はひとりまたひとりと増えて実体化している。姿はオーフェンも複数いたし、ブラディ・バースもいる。騎士団の主だったメンバーが多かった。エド・サンクタムも。

(盲点の中央から現れて、魔術戦士の格好で襲撃して内部を混乱させるわけか)

ガス人間は戦力としては素のヴァンパイアには劣る。だがこの使い方は、避難者たちのストレスを思えば直接の攻撃よりも有効かもしれない。

迎え撃つのはマヨールで、ヒヨも多少はやれるのかもしれない。ガス人間のいくらかはラチェットとサイアンに興味を持っている。が、全員は止められそうにない。ガス人間数人を残して、現れたほとんどはこの場を離れて校内に散っていこうとしていた。

「光よ!」

マヨールは叫んで、林に消えていくガス人間のひとりに熱衝撃波を放った。当たったかどうかは分からないが爆発音は騎士団の注意を引いたはずだ。これは諸刃もろはの剣でもあった。避難者らには恐怖と混乱を与えたかもしれない。

同時、残ったガス人間が一斉に動き出した。魔王の姿をしたガス人間はそのままマヨールに、ブラディ・バースとエド・サンクタムはラチェットとサイアンに殺到する。他にも名前は知らないが恐らく魔術戦士なのであろう男女のガス人間がいた。とりあえず、見えた範囲ではこの五人だ。

(顔はそっくりでも──)

と、マヨールは真正面の魔王の攻撃を腕でさばき、身体を半回転させて間合いを外した。さっきの失態があるので相手を人間とは思わない。予測の難しい攻撃を仕掛けてくるものを相手にするのは、見切らない覚悟がいる。反撃の機を逸することをたびたび我慢しながら、素人のように大袈裟おおげさにかわすのだ。

(弱点も分かってるんだ!)

叫んだ。

「炎よ!」

舐めるように周囲を、白い炎で押し包む。マヨールの足下からヒヨ、ラチェットらがいる場所まで。温度が上がって呼吸も苦しくなるが、熱と気流があるとガス人間は拡散を恐れておいそれと気体化できなくなる。この前経験した。

炎を踏み分け、足が焼かれるのを感じながらマヨールは飛び出した。狙いは魔王だ。炎に煽られて隙を見せている。なまじの攻撃が通じない半気体の身体に慣れているからというのもあるだろう。

だが今はガス化できない。マヨールの拳は胴の中央に突き刺さった。ガス人間は炎の中に倒れ、熱の痛苦に悲鳴をあげた。

頭をぎるのは、魔術戦士ならばここで頭でも踏み抜いてとどめを刺すのだろうということだが。マヨールは次の相手を探した。もっとも、急がねばならないのも嘘ではない。ヒヨはふたりのガス人間を相手にして戦っている。ラチェットとサイアンも襲われているはずだが……

「ラチェット・フィンランディ!」

そこにスティング・ライトがいた。ラチェットらとガス人間を隔てて、庇う形になっている。

「説明しろ! これはなんだ!」

「なんだっつわれても……」

淡々とラチェットが告げる。

「リベレーターだよ。海の向こうの人たちは騎士団にそっくりで、たまにガスにもなれるみたい」

「そうなのか?」

スティングは狼狽えて、マヨールに問いかけてきた。

ため息混じりに首を振って答える。

「こいつらが、そういう能力を持った敵ってだけだ。騎士団に連絡は?」

「アエソンとポールに行かせてる。俺は……殺し屋っていうから、もどってきた」

「いうから? 逃げろと言ったろ!」

「俺は魔術戦士になるんだ! 逃げてどうする!」

虚勢を張ってガス人間らに向き合う──その敵の顔がブラディ・バースにエド隊長なのだから奇妙な光景だが。ガス人間らの輪郭は熱気に揺らいでいるので、普通でないのはすぐに分かる。

邪魔には思ったが、スティングがもどってきていなければラチェットたちは守れなかったかもしれない。酸素の薄い中、マヨールは息を整えた。告げる。

「こいつらの武器は、半実体の身体だ。防御術を使ってしのげ。倒すのは俺がやる」

「俺は──」

子供がわめくのを待たなかった。

マヨールはブラディ・バースに狙いを定めて飛びかかった。拳のやり取りを幾度か交わし、足を踏み換えて奇襲にスイッチする。打ち込まれた腕を掴んで捻り、投げ飛ばす。

狙いは地面に叩きつけることだが、敵はそれをされるよりはと空中でガス化した。熱気に身体が溶けても途中でやめない。結果、逃げられることにはなったろうが、ひとまず無力化できたなら仕方ない。

エドの姿をしたガス人間はスティングの防御障壁に攻撃手を阻まれたところだった。マヨールは背後から突風を叩きつけて障壁と挟み込み、そいつも爆散させた。

(次……)

ヒヨは二体にあらがいながらうまく逃げ回っている。枝の上まで飛び上がり、追いかけるガス人間と入れ違いに地面に下りた。そのつもりになれば空気にも浮かぶガス人間の動きは、上昇は素速いが下降はやや緩くなる。その時間差を見据えて、

「炎よ!」

マヨールは再度、炎を巻き起こした。今度は木を包む。髪を庇うようにしてひゃあと伏せるヒヨの頭上で、松明たいまつのように炎が葉を焼いてガス人間の姿を消散させた。

ゆっくりと、地上とその木の炎が消えていく。

「終わった……」

呆然とつぶやくスティングに。

「まだだ!」

マヨールは怒鳴りつけた。

「かなりの数が侵入した! 追わないと!」

「全部追うのは無理。数が多いのは──」

「第一教練棟からは魔術戦士が出ると信じるしかない! 俺たちは反対側に向かう!」

ラチェットにも全部は言わせず、マヨールは駆け出した。


それから一時間を経て、内庭に集った魔術戦士と避難者たちを前にクレイリー・ベルムが事態の収束を宣言した。

マヨールとイシリーンは聴衆のそばでそれを聞いた──サイアンにヒヨもだ。ラチェットは不承不承ながら、魔術戦士の側にいる。イザベラも何故か、向こうの端に立っていた。

みな、魔術戦士に非難の声をあげていた。むざむざと敵の襲撃を許して犠牲者を出したのは、騎士団壊滅を含めてこれで二度目だ。昼の御者の件も思えば、みなが不安を覚えるのも当然ではあった。

「我々は近く、反撃に出る!」

クレイリー校長の宣言は、その反抗を抑えるためでもあったろう。

「エド隊長の発案でリベレーター勢力を──我々はリベレーターを革命の後援者などではなく、革命闘士とは別個の侵略勢力と考えているが──殲滅せんめつし、この世から滅ぼし去ることを決めていた!」

群衆の声に、賛同や歓声も混じった。

その中でぼそりと、イシリーンのつぶやきが聞こえる。

「似てるわね」

「なにが?」

「革命闘士の演説と、そう変わらない」

「…………」

ガス人間は全員、追い払われた。どれだけ仕留められたかは不明だ。襲撃の犠牲者は六人。すべて非戦闘員だった。

襲撃の混乱から、騎士団が人減らしの処刑を始めたというデマも流れ、魔術戦士に襲いかかった者もいる。そこで死者が出なかったのは幸いだが、負傷は生じた。状況が説明されてもなお、騎士団への不信がなくなったわけでもないようだ。

リベレーターへの反撃宣言は避けられないものだったろう。

マヨールはイシリーンに告げた。

「少し離れよう」

「……疲れた?」

周りの聴衆を見やって、彼女が訊いてくる。マヨールはうなずいた。

「こっちじゃどこでも、俺たちは余所者だって思い知らされるからね」

まだ続きそうな内庭の集会から離れて、林の中に逃げた。先ほどの戦闘の場と近いわけではないが、焦げた臭いが漂っている。

マヨールは嘆息した。乾いた木にもたれ込む。

「戦いになりそうだな」

「わたしたちが戦術的には一番優位なのよ。攻められて我慢してられるわけがない」

(わたしたち、か……)

ラチェットが聞いたら怒る言い回しだ。やはりイシリーンですらそう考えるのが自然なのだ。自分は魔術士であり、魔術士が仲間だと。

と、別の声が割り込んできた。

「そこまで単純な話でもないわよ」

ぱっと顔を上げる。イザベラだった。こちらが姿を消したのを見ていたのか。歩いてくるその姿は、見慣れた靴音高く颯爽さっそうとした歩き方ではなく、猫のように静かだった。つけてきていたからか、やはりこの教師も疲れているのか。

イザベラは、提げていた剣とチェーンウィップを差し出してきた。マヨールは受け取って、魔術武器の感触を手で確かめた……重さも手触りも変化があるわけではない。しかしこれを手に入れた時との決定的な違いはある。剣はわずかに白い光を発しているし、鎖鞭くさりむちは触れたマヨールの意思を受けて動きを見せた。

天人種族の魔術文字が稼働している。滅んだはずのドラゴン種族の魔術が。

「クレイリーはわたしと同じ見方をした。リベレーターの本当の切り札はこれなのよ。ドラゴン種族の聖域の復活」

「どうやったらそんなことが可能なんですか」

マヨールは力なく抗弁した。が。

イザベラに言われるまでもなかった。言われたが。

「方法は分かりようがない。でも聖域の復活は貴族共産会の悲願だった。そしてかつての聖域が最後には人間に制御されていたように、彼らが扱えるようになるんだとしたら、途方もない力を手に入れられる。世界図塔を再稼働できるかもしれないし、場合によっては結界も……」

「ぼくがここに来て帰ってから、たった三年ですよ。そんな準備できるわけがない」

「彼らは二十三年、願い続けてきたの。突破口を与えたのは魔王術の存在でしょうけど、それだけじゃない」

知りたければどうあってもリベレーターを潰して、真偽を確かめなければならないわけだ。

イザベラは集会の方角に視線をやった。灯りと、多数の声の滲みとがここまで聞こえてきている。

「今夜の襲撃。リベレーターの側も怖がって焦っているのね。魔王術に最も熟達した集団……戦術騎士団を」

「リベレーターの計画がそうなら、革命闘士も協調をやめるでしょう。戦いはみつどもえになります。泥沼になりますよ」

「そうでしょうね。どこもかしこも入り組んでてさっぱりよ。経験から言うとね、入り組んでて本当の敵が見えない時こそ戦闘になる……関係が単純で落としどころが分かっている時には戦闘以外の方法もあるものだからね。だから戦闘は常に悲惨よ」

「キエサルヒマ魔術士同盟としては、どうするんですか?」

マヨールは問いかけた。

「ぼくらが今でも彼らの代表でいるのかどうか、分からない気もしますが」

「長老どもは今回の派遣の指名をした時、こんな場合にわたしが思うようにすることくらい覚悟していたはずよ。してなかったのなら大いに後悔すべきね」

「同じ見方ということは騎士団に加勢ですか」

と、イシリーン。

厳かにイザベラは唱えた。

「キエサルヒマ魔術士同盟代表として戦術騎士団に協力し、リベレーターと貴族共産会、開拓公社に打撃を与える」

そして苦笑いして付け加える。

「ただし現状では名乗らず言明を避け、布告は事後に状況を見て行う。ことと次第によってはわたしたちの行動は独断で、神経の病気かなにかってことになるかもね。あと今後、リベレーターに与するものでない限り自由革命闘士との争いには一切関わらない。これはクレイリーに約束させられたわ。おかげで話が長引いた。案外タフな奴ね」

「みつどもえどころか、そのどこにも属さないぼくらも加わる……」

「そうね。勲章はもらえそうにない」

もちろんそんなことはどうでもいいのだが。

イザベラはその後、訓告めいたことを一言二言告げて、去っていった。これからは騎士団の会議にも加わるのだろう。マヨールは考えごとをしていた。

ふと気づくとイシリーンが横で、肩を寄せて立っていた。小声で言ってくる。

「……ベイジットのこと考えてるんでしょ?」

「ああ。でも──」

言いかけて、やめる。イザベラの話のうち、予想しなかったわけではないが不意打ちだった一撃だ。自由革命闘士との戦いには関わらない。これはこれ以上の状況の混乱を避けたい騎士団側の意図だろうが、手引き者であったボンダインが死んだ今、キエサルヒマからの渡航者追跡の任務も失敗したと見なし、ベイジットの捜索もひとまずやめるということだ。ボンダインの裏にはリベレーターがいたのだから、現在も継続しているとも言えるが……任務の焦点は渡航者ではなくリベレーターに移ってしまった。

ヴァンパイアの砦をあの後捜したが、ベイジットはいなかった。いくつかの遺体を確認もした。今でも不意にその時の悪寒が蘇り、身体を凍らせる。エド・サンクタムの殺戮さつりくした革命ゲリラや、非戦闘員と思しき少女の遺体……これはマヨールの眼前で、ボンダインの持っていた拳銃の暴発で死んだものだ。その場にベイジットは確かにいた。妹は大怪我をしていた。が、マヨールが意識を失って目覚めた時にはいなくなっていた。

「妹のこと、どうするの?」

さらに問うてくるイシリーンに、マヨールは短く告げた。

「考えてない」

「悩ましいだろうけど、そろそろ……」

「違うんだ。俺が考える意味なんてないと思った」

言い直す。イシリーンは分からなかったようで、大きな目をぱちくりさせていた。

「あいつ、馬鹿じゃないんだ」

マヨールは言葉を探して、それをつぶやいた。

「あの時、あいつがなにをしているのかまったく分からなかった。なにがどうなってあんなことになっていたのか。馬鹿なことをしているせいでそうなってはいたんだろうけどね……ただ、あいつ、魔術を使った」

恐慌に陥って、少女ごとボンダインを殺そうとしたマヨールを、ベイジットの術が制止したのだ。

「革命闘士に正体を知られたらおしまいなのに、あの女の子を救うためにやったんだ。あいつにそんなことができるなんて思ってなかったよ」

自分の肩と胸をさする。

ベイジットの術で吹き飛ばされた衝撃と痛みも、悪寒とともに身体が覚えている。たださむけとは違って、これはそれほど悪い思いでもなかった。

「俺もそれで少しは頭が冷めて、あの子を助けようとしたけど……うまくいかなかった。失敗したんだ。思い出すと俺でもきついのに、あいつは、大丈夫かな」

「捜してやらなくて、寂しがってるかもって思うのね」

「違うと言いたいけど……そうなのかもな」

木の下から星空を見上げて、夜風の返答を求めた。