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「うん。ラチェはそういうの嫌いだよねー。三日は口きいてくんないよー」

「えーと、そういうのっていうのは?」

ヒヨのふわふわした話がよく分からずマヨールが問うと、教えてくれたのはサイアンだった。

「要するに、魔術士だけが味方だ、みたいなのです」

「ああ……」

それは分からないでもなく、魔術士社会ではたびたび問題になる話だ。妹もよく愚痴を言っていた。

サイアン・マギー・フェイズはこれについてはまさに当事者だろう。ため息混じりに話を続けた。

「ラチェットは、魔術士が魔術士にしかなれないっていうのに反対なんですよ」

「ふうん?」

それも妹は言っていた。特に落ちこぼれた魔術士には当然の不満ではある。魔術士は魔術士としての訓練しか受けられず、世間では魔術士としての扱いしかされない。というのに魔術士として満足な働きができないと、なにも仕事がないということになる。モグリの魔術士となればギャングの用心棒などに落ちぶれることも多い。

これは魔術士社会が、魔術士の自衛を突き詰めた結果生じた副作用だった。魔術士同盟として魔術士の互助を保証したが故に、同盟からはみ出ようとする魔術士を認めなかった。かつて貴族に仕えた《十三使徒》はその例外だが、消滅して二十年が経つ今となっても彼らを裏切り者と糾弾する者もいる。イザベラ教師は元《十三使徒》で、ああいう性格になったのはそのあたりの冷遇のせいもあったのではないかと思えた。

どのみち《十三使徒》でさえ、それは魔術士としての仕事だった。魔術士はあくまで魔術士である、というのは偏見ではあるが、極めて正しい偏見だ。だから厄介なのだが。

「つまり失言をしたっていうわけか、俺は」

「ですね。ぼくがつい口を滑らせてもかなり怒られますよ」

「君が?」

「ええ、まあ……」

曖昧に、サイアンはラチェットのほうを見やる──彼女はこちらに背を向けているし、聞こえる距離でもないだろうが。

ヒヨが、笑いながら付け足した。

「サイアンははっきりしないから怒られるんだよー」

「ぼくはぼくなりにはっきりしてると思うけどね……」

サイアンは不満顔を見せた。むすっと頬杖ほおづえをついて、

「ぼくは悩む必要がないんです。魔術士じゃないのは確実だから。でもラチェットは、それはそれで嫌なんだ。たまに、本当に分からなくなる時がありますよ」

後半はほとんど独り言だった。

おかげで答えようもなく、マヨールはあたりを見回した。

内庭の一画には東屋あずまやがあり、その周囲に突貫工事で貯水池が作られ、洗濯場になっている。地形を変えるような大作業も魔術士には可能だ。今の話を逆に裏付けるように、魔術の便利さはこの避難所で大いに発揮されている。

大勢が暮らすようになったこの校内で、洗濯というのは一大事だった。病人、老人や赤ん坊もいるため清潔な衣類はいくらあっても足りることはない。もう夜になっていたが、洗濯場には一日中、人が途切れなかった。

水は本来の水道だけでは足りないので新たに堀からも濾過ろか用の砂利壁を通して、ここまで流れ込むようになっている。水量には限りがあるため使用には割り当て制限があった。また、市民が校外から水道に毒を流すのではないかという(かなり妄想的な)懸念もあり、みな大なり小なり神経質になっている。

今日の馬車の一件は、さらに校内に重大な影を落とすことになった。

馬車を護衛していた魔術戦士はジラ・セイブルで、油断があったことを彼も認めた──裏路地に入った時に人通りが途切れたのに気づいたが、馬車を後戻りさせる手間を惜しんだのだ。襲撃を受け、御者が負傷した。

首に矢を受ける重傷だったが、その時はまだ生きていたという。すぐに治療できれば切り抜けられたかもしれないが、襲撃者にヴァンパイアがひとりいて、ジラはそれと交戦、馬車から転落した。

御者はなんとか学校へと急いだが、門の前あたりで死亡したようだ。馬車は暴走しており、そのまま校内に突入した。仕掛けてきたのは市民とおぼしき小規模の武装集団。ジラは反撃し、ヴァンパイアに加えて市民を少なくともふたり殺害。半時間遅れて学校に帰還した。

その後、抗議運動は一気に拡大した。魔術士が市民を殺害したのだ。抗議者とジラとで証言が食い違うところだが、殺害された市民は穏便な抗議運動に参加していただけだという。御者を殺害したヴァンパイアとは関わりがないという話だった。

殺人犯であるジラを引き渡せという要求を、クレイリーは拒絶した。理由は、キエサルヒマの侵略行為で司法の正当性が信頼できない以上、従うことはできないし従うわけにはいかない、と述べた。これは魔術学校の門を閉ざした理由の繰り返しだった。状況は変わらないが、重みを増したわけだ。

ジラは無抵抗に殺されるべきだったのだ、という声も校内では囁かれた。魔術戦士がすべての元凶だし、事態を悪くしかしない……というのは正論だ。

魔術士は魔術士の味方。というのは今となっては──ラチェットのへそ曲がりを度外視しても──実に、皮肉に聞こえる話だった。

日が暮れて、ひとまず抗議は収まった。が、明日にはまた再開するだろう……それとも明日にはまた新しい事件が起こって、状況を悪化させるのかもしれない。これも妄想的だが、場をよどませるには十分な不安だった。

ともあれ。

「あなたがなにに首を突っ込もうと、やるべき仕事は減らさない。分かった?」

クリーオウ・フィンランディはこの点については頑固で、ラチェットがなにを言おうと(踏んでも噛んでも)譲らなかった。騎士団の会議に加わったり暴走馬車を止めようとしたりその結果機嫌を悪くしてだんまり態勢に入ろうと、生徒や働き手に均等に割り当てられている作業のノルマはこなさないとならなかった。それで日が暮れてから、みんなでここに来て山のような汚れ物を洗濯し続けているのだが。

機嫌の悪いラチェットだけ、やや離れた場所で働いている。洗濯場には他にも大勢いるのでひとりでいるわけではないが。彼女は誰とも話さず、目も合わせずに黙々と仕事を片付けているようだった。〝魔王の娘〟は注目を集めるし、中にはよからぬ注視も少なくないため、こうしているのはあまり得策ではないのだが。

マヨールは一応、この三人の用心棒のような立場で同行していた。ただ見ているのも気まずいので手伝っている。ラチェットがふさぎ込んでいるので自然とサイアンとヒヨがこちらに寄ってきていて、そういう組み合わせになっているわけだ。

なおイシリーンはすっかりマキに奪い取られてしまったし、イザベラはまだ校長や騎士団と話を続けているようで、ここにはいない。

「あのビーリーっていう魔術戦士、随分と鼻息が荒かったな」

マヨールの一言に、サイアンが意外にも大きく反応した。息でも止まったような顔で。

「ああ、あの人ですか」

「よく知ってるの?」

「うーん……当人じゃないですが。あの人の息子が、同学年で」

「似たような親子かな、その様子だと」

「ええと、そうです」

「ラチェットに嫌われるのも分かるかな。俺もそっち側といえば、そっち側のほうだし」

「ラチェは嫌ってはいないよー。怒ってるだけ」

と、ヒヨが口を挟んでくる。

さらにサイアンが、肘でつついてきた。

「噂をすれば……」

身体は動かさなかったが視線で示した。若い魔術士が三人、校舎から出てくるのが見えた。必要以上に明るい魔術の灯明を浮かべているので目立つ。遠目にだが、中のひとりは確かに例のビーリーとよく似ていた。

「スティング・ライトです。こんな時間に、なんの用だろ」

ぼそぼそとサイアンがつぶやいてくる。マヨールは洗い物の手を休めた。

「……噂されたのは、こっちかもな」

スティングらは外に出ると迷うこともなく、洗い場のほうへと進んでくる。洗濯物を抱えているのでもなし、談笑しながら歩いてくるのでもなく、なにか目的があって来る感じだ。

「ラチェットが危ないかも。この前からだいぶ絡まれてるから……」

と場を離れようとするサイアンの肩に手を置いて、マヨールは告げた。

「俺が向こうに行くよ」

向こうとはラチェットの小さい背中があるほうだ。狭い洗い場で、他はみんなが肩を寄せ合っているのに、彼女のいる場所だけは微妙に──半人分程度だが──隙間が空いている。普段第一教練棟から出てこない魔王の娘は、姿を見せただけで噂になるのだろう。

マヨールが近づいていくと余計に、彼女の近くにいた連中が気配を察して場所を空けた。気遣ったというより、誰でもいいから間に入って欲しかったのかもしれない。だがマヨールが洗い場に用があって来たのではないと気づくと、ちらりと迷惑そうな顔を見せた。

「ラチェット」

声をかけたが返事はない。ラチェットは完全に無視して洗濯を続けている。

彼女の背後にはまだ終わっていない汚れ物の山があり、済んだものを別の山に移している。洗い場を歩き回っている別の係が洗ったものを取っては、干し場に持っていくという手順だった。干し場は校舎内で、魔術学校の生徒が交代で部屋の湿度を下げている。

ラチェットの洗濯は露骨に雑で、にもかかわらず遅い。見たところさぼっているわけでもなく、とことん向いてないのだろう。

なら手伝おうかとマヨールが衣服の山に手を伸ばすと、不意にくるりとラチェットが振り向いてきた。

あの怒りの目がまた……と思ったのだが。違った。ラチェットは感情を表すこともなく、マヨールを見てもいなかった。別の遠くを見ている。

「まずいかも」

そんなことを言い出した。マヨールは戸惑いながら、

「ああ。なんかスティングとかいうのが──」

「あんなのはどうでもいい。いや、よくはないな……あいつらも使わないと間に合わない。数が多いよ……」

ぶつぶつと言い続ける。話しているというより独り言だが。

「使う?」

マヨールが問うとようやく、彼女はこちらに目を合わせた。そして、

「怒ってごめんなさい」

「え? あ……うん」

「うすのろがうすのろなのは仕方ないのに怒っても無駄でした。他にもキモウザ野郎とかうちの父さんより駄目な奴とか陰でぼろくそ言ってて申し訳なかったです」

「言ってたの?」

「好みの巨乳アホ女でなかったことも反省してます」

「片っ端から失礼だよね、基本的に」

色々言うのだがラチェットは聞く耳もなく、すっと顔を上げた。

「さて、おおむね全部謝ったから助けてくれるはず」

「うーん、そうなのかな……ええと、なにを?」

「二十人くらい殺されるからそれ減らして。減ったほうがいいでしょ」

「にじゅう……誰に?」

らちが明かずに言い合っているうちにラチェットの視線はまた段々ときつくなっていく。

数秒の間をおいてチッと舌打ちし、ラチェットは顔を背けた。なにか小さくつぶやいたらしい。

「……キモウザまで聞こえた」

「そんなわけないです。被害妄想は精神の幼稚さのせい」

しれっと言ってくる。

そうこうしているうちに。

「ラチェット・フィンランディ!」

タイミング悪く大声で話を遮ってきたのは──見るとスティング・ライトである。真っぐに向かってきている。昼に、正門に向かって父親が怒鳴っていた声を思い出した。同じような、よく通る声だ。

「逃げるなよ! 話がある!」

指を突き付け、ついには小走りになった。

サイアンの言い様から、マヨールはそいつがにやにやしながら妙な因縁をつけてくるような予想をしていた。どこにでもいるような大柄な乱暴者をイメージしていたのだが。外見こそその通りだが実際は少々違っていた。スティングの眼差しは真っ直ぐで、声にも張りがあり、ひねたところなど微塵みじんもない。

まっとうだ。正々堂々としている。むしろラチェットのほうがよほど怪しいし言動もわけが分からない。

スティングはマヨールの姿を見ても臆することはなかった。キエサルヒマの魔術士が校内にいるというのは耳にしているはずだが。意にも介さずラチェットに詰め寄る。

「お前、また騎士団の邪魔をしているそうだな」

「邪魔かな。おかげでこっちはこんな時間まで洗濯させられてるのに」

「知るか! いいか、お前の親父が騎士団を破滅させたんだ。これ以上なにかを悪くする前に、黙ってることを覚えるんだな!」

ぱっと手をあげると、ラチェットの腕を強く掴んだ。

マヨールはそれを遮ろうとしていた──のだが。

「ヒョウッ」

スティングの引き連れていた仲間のひとりが奇声を発して、マヨールの顔面に手刀を放った。マヨールは身を引いてかわしたが、おかげでスティングを制止できなかった。

「ヘッヘッ……綺麗きれいな顔の兄ちゃんはすっこんでなよ……」

手のひらを振ってファイティングポーズ(のつもりなのだろうが)を取ったその取り巻きは、マヨールの想像したちんぴらそのものだった。にやけて距離を詰めてくると、威嚇のようにジャブを繰り出してくる。

「海の向こうから恥をかきに来たわけじゃないんだろう? みじめにいつくばって水路に突き落とされあいたたたたたたたどういうこと!? なにこれ!?

「覚えておくといいが、使い方を知らなければ人体は弱点だらけだ」

掴み取った手首をひねり上げて相手が地べたに倒れるまでめながら、マヨールは淡々と告げた。学生は降参の仕方すら知らないのか、泣き声でわめき続けている。

なんとなくしみじみした心地になって、つぶやく。

「うわ新鮮だ。こっち来てから達人か怪物ばかりとやり合ってたから」

「お前……」

スティングが視線をラチェットからマヨールに移したので、仲間の手を離してやった。ちんぴら崩れは腕を押さえて地面を這い、後ずさりしていく。残るひとりも恐れたように顔を引きつらせているが、スティングだけは別だ。

歳は全員同じようだが、スティングはどうやらレベルが違う。体格は既にマヨールより大きい。身のこなしも戦闘訓練を受けた気配がある。しかもそれなりの年季だ。スウェーデンボリー魔術学校では戦術騎士団の志願者だけが戦闘訓練を受けているという話だが。それとは別に、子供の頃から培ってきたのだろう。そういえばエッジもそうだった。

「まず、手を離したらどうだ?」

マヨールは、彼の手を示して言った。ラチェットを掴んでいる手だ。

「そうしたらやってやってもいい。俺はキエサルヒマ魔術士同盟、《きばとう》のイザベラ教室のマヨール・マクレディだ」

「なにをしに来たんだ」

スティングは疑わしげに訊いてきた。

「魔王を助けようとしたらしいな。いったいなにが目的なんだ。リベレーターの陰謀かなにかか」

「任務は説明できない」

というより説明しようがないのだが。スティングは気色けしきばんだ。

「どういうつもりなんだ! しかも今はなんで、ラチェット・フィンランディを庇ってる! 意味不明だぞ、お前!」

「なんで、か……」

少し言葉に迷った。だが思いついて、告げた。

「ラチェット・フィンランディは俺の従妹いとこだ」

「なんだと?」

「おれのかわいいいとこからてをはなせー」

「なんで棒読み」

これはぽつりと、ラチェット。スティングが手を離し、こちらに向かって身構えるのを横目に見ながら、急にこんなことまで付け加えてきた。

「怪我させないでください。こいつ使わないと死人がふたり増えるから」

「分かったよ」

と言いながら意味は分からないままだが、どのみち大怪我させるほどのことでもないので、承知しておく。

とはいえ、簡単な注文かといえば微妙ではあった。他のふたりはともかくスティングは玄人だ。ラチェットと同い年だとすると十五か十六くらいか? 自分が十五歳の頃には、これほどできなかったろうな……とマヨールは胸のうちで認めた。

だが、それだけといえばそれだけだ。飛び出してくるスティングの拳に機会を見て、懐に入り込む。身を低くして通り過ぎざま、後ろ足をかかとで蹴り払った。転倒したスティングを後目しりめに肩を竦める。

「まだやるっていうなら覚悟して──」

刹那、背筋が粟立あわだった。

スティングは地面に倒れたままこちらを睨み、腕をあげ──攻撃術の構成を編んでいる。

(馬鹿が!)

大きな術ではない。だが洗練されて素速い構成だ。喧嘩が始まって周りから人は引いているが、それでも巻き込まれれば負傷者は出るだろう。

「エアロブルム──」

「吸い取れ!」

マヨールの術が先に発動した。シスタの術を防いだのと同じ構成だ。

スティングの放った空気渦を空間の捻りが巻き取り、方向を変える。真上へ。大気の破裂音だけが響き渡った。つむじ風が吹き荒れて洗濯物を無数に飛ばす。

轟音ごうおんのせいか、術まで防がれたショックか、スティングは大口を開けて力なく腕を下ろした。

「なんで……」

「なんでか? お前が馬鹿野郎だからだ!」

罵声を浴びせて駆け寄ると、マヨールはスティングの胸ぐらを掴み上げた。軋るように言ってきかせる。

「よっぽど出来のいい馬鹿ガキだな! なんのつもりだった!」

「お前こそ──裏切り者の血だと名乗ったろう!」

相手が真っ向から怒鳴り返してきたことにも驚いたが。

スティング・ライトが至極真剣にそれを言っているのだということに唖然とした。

「校長が……魔王が! なにもかもぶち壊したんだ! なにもかも! なんでもかんでも、全部! 全部あいつが悪いんだろう!」

「…………」

ただただ、返す言葉もなかった。

(そうなるわけか)

周りを見る。洗濯場に集まった避難民たちの目。仕掛けられたのはこちらだが、彼らの眼差しが語るのは……

「魔王が」

誰が言ったのかは分からないが、誰かが言ったのが確かに耳に入った。地面にまき散らされた洗濯物を拾いながら、ぶつぶつと囁き声が増えていく。

「こんな時まで余計な騒ぎを……」

「海を渡ってから悪いことばかり……」

どん、とスティングに突き放されて、マヨールは手を離した。スティングはゆっくり後ろに下がっていく……胸ぐらの皺を直す仕草をしながら。仲間も彼の横に集まって、しぼみかけた気を持ち直したようだ。

(思ったよりまずいな)

逆にマヨールは躊躇ちゅうちょを覚えた。単に悪ガキをあしらうくらいのつもりでいたが、周りは元々敵意の温床だったのだ。避難者らは理性を保っていたが、火がけばどうなるか分からない。ここにいるのは大半が魔術士だ。

目の端でサイアンとヒヨの姿を探した。離れた場所でふたり並んで、彼らもこちらを見ている。マヨールをというよりラチェットをだが。あのふたりは余計な手出しさえしてこなければ、うまく紛れて逃げられるかもしれない。とはいえヒヨは気楽な顔で腕まくりなどしているし、サイアンも悲壮な決意で洗濯棒を手に身構えている。友情は買うが、事態を悪化させるだけだろう。

第一教練棟までの距離を目測した。騒ぎが起これば戦術騎士団の誰かしらが気づく。とはいえすぐさま駆けつけるほどに魔王の娘が支持を得ているかというと微妙な気はした。

すっかり気勢を上げたスティングが、めざとくサイアンのほうも指さした。

「そこにいるのはサイアン・マギー・フェイズだ! マギー家の!」

ぎょっとたじろぐサイアンを睨んで、続ける。

「こいつら無能力者が学校を攻めようとしてるんだ。こんな時に魔王は雲隠れして俺たちを守りもしない。なのに魔王の家族はのうのうと優雅に、騎士団の戦力を使って自分たちの身だけ守ろうとしてる! 無能力者に反撃できるはずの戦力を割いてまで、魔王救出作戦なんか立てて!」

群衆がざわつく。もっとも、中には困ったように顔を見合わせる者も少数いた──スティングの言う〝無能力者〟もここにはいるのだ。

突如、ラチェットが口を開いた。

「馬鹿じゃないの。つける薬探してらんないよ」

罵り返したところで状況が好転するわけがない。マヨールは止めようと声をあげかけたが。

ラチェットは髪をきながら半眼で、くるりと横を向いた。

「で、その石どうするんですか。ギム・アーレン」

「えっ?」

きょとんと声をあげたのは、右手のほうにいた中年の男だ。赤ら顔で酒でも入っていたようだが。突然名前を呼ばれて目を白黒させている。手に持っていた石をぽとりと落とした。

彼の混乱が収まるより早く、ラチェットは別の名前を呼んだ。

「あなたは? ドンテ・ダボン」

「…………」

これは返事をしなかったが、やはり男のひとりが当惑して周りと目を見合わせた。

ラチェットは淡々と、しかし途切れることなく矢継ぎ早に続けていく。

「ファガス。賭場を開いているのはまだばれてないけど稼ぎ過ぎるとチクられるよ。メアリー・ブライエ。三十メートル向こうでミックが迷子になってる。昨日怒って寝かしつけたからねてます。イーヤン。首に止まってるの、それ蜂だよ──」

まさに矢のように、名を呼ばれるとひとりまたひとりとたじろいで、固まりかけた輪が崩れていく。二十人、三十人分ほどもそれが続いただろうか。全員を串刺しにしたわけではないだろうが、ひとつとして言い誤らないラチェットの異様さに、みんなすっかり意気がくじけてしまっていた。中にはそそくさと後戻りした者もいる。

大人数の中から自分の名前をり分けられると動揺する。群集心理の反動だ。ラチェットはあっさりと相手の団結を破ってしまった。スティングはすっかり泡を食ったていだが、まだ諦めてはいなかった。

「どうやって……そんなトリックで──」

「あー。そうだ。可愛い従兄いとこの人」

「うわ。とばっちり来た」

「とばっちり来たとか言ってないで、もう時間ないので行きます」

「行く?」

問う間もなく。ラチェットはさっときびすを返して走り出した。

「って、急に!」

マヨールは叫んで、追いかけた。

誰に止められるでもなくラチェットは洗い場を離れ、どこに向かうつもりか真っ直ぐに走っていく。第一教練棟とは反対方向だ。内庭は水路など改造もされていたが元は散歩道がぐるりと巡る造りで、林が造成されていて見通しが悪い。離されれば見失いそうだった。人のいた洗い場にはあかりもあったが、ラチェットは暗い木々の間を迷いもなくすいすい通り抜けていく。

足の速さならマヨールのほうがはるかに上回っていたろうが、その迷いの差で追いつけなかった。木の根かなにかですねを打ってからマヨールは苛立たしく魔術で灯明を造り、その場に浮かべた。

そこでちょうどラチェットを見失った。立ち尽くしてうめく。

「……まったく」

と、背後からもばたばたと立ち止まる音。

追いかけてきているのは分かっていたが、スティングとその仲間だ。ついでにそれをさらに追って、ヒヨとサイアンも現れた。

「場所を変えてけりをつけようっていうのか」

睨みを利かせてスティングが言ってくる。

マヨールは告げた。

「なんの決着だ。確かに馬鹿馬鹿しいな」

「なんだと?」

「手を焼く妹でもいれば良かったんじゃないか、お前」

「?」

「一体なんでこんなことに……」

きょとんとしたスティングらはほっといて、マヨールは思案した。ラチェットにここまで誘い込まれたわけだが意図が分からない。道も外れた、ひとけのない林の中だ。

(もしかして、人目のないところでこいつらを抹殺しろっていうんじゃないだろうな)

違うだろうと思いながらも、他に浮かんでくる案もない。ラチェットは死人が出るようなことを口走っていたが。

やがて。

「わたしはラチェット・フィンランディ!」

夜の林間にラチェットの声が響いた。

「魔王オーフェン・フィンランディの娘で、今は騎士団の作戦会議も顔出してて、エド・サンクタムのリベレーター攻撃計画とか稼働してる騎士団の配置とかぜーんぶ知ってるマジで!」

ぽかんとしていると、やや間を置いて付け足しも聞こえてきた。

「……まあ後半は若干嘘くさく聞こえるだろうけど、娘っていうのは本当!」

「なんの話をしてるんだ」

マヨールは困惑しながらも、声の響きから見当をつけて、また追跡を再開した。他の連中もついてきている。

ラチェットの声は段々と大きくなってきた。

「あと他にも危険な奴です! あんたたちが外から見えない真ん中から始めるって気づいてたからここにいるし、それに目的も知ってるから! 外に知られず中を混乱させたいんならそうするよね! どんな格好してるかも予想してるよ──でもそれ長い時間はもたないんだよね。だから邪魔する!」

「…………」

彼女の言っていることが、不意に理解できた。

「そうか」

と、背後に向かって警告を発する。可能な限り抑えた声で。

「ラチェットは敵をおびき寄せている!」

「敵?」

いつの間にか追いついてきていたのは、ヒヨだった。ひょいひょいと、どう見ても速いわけのなさそうな女の子走りだがアンバランスに素速い。

「な、なんですか?」

と、これは次に続いているサイアンだ。こちらは必死の形相でなんとか食いついてきている。

スティングらが遅れているのは不審さからだろう。なにかのわなを警戒しているようだ。だが彼らにも聞こえるようにマヨールは続けた。

「本物の敵だ。喧嘩じゃ済まない。殺し屋たちだ」

「門には見張りが──」

反論してくるスティングに、マヨールは告げた。

「いいから、お前たちは父親にでもエド・サンクタムにでも、こう言ってこい! リベレーターが入り込んできているって! ガス人間は上空から来る!」

「えっ……」

彼らは足を止め、戸惑いながら言葉を吟味したようだ。

マヨールは走り続けたため、あっという間に彼らが見えなくなった。言いつけ通り報告に走ってくれるかは分からないが、まあ追い払うだけでも意味はあった──と思うことにした。

と気づいてヒヨたちにも言う。

「君らも、あの連中と──」

「危ないのが来るなら、ラチェを守らなきゃ」

ヒヨは呆気なく拒絶してさらに速度を上げた。

その時に気づいたが、魔術だった。身体能力を強化している。身体を頑強にして筋肉の出力を上げても、強化された身体を普段と同様に扱えるようにするにはまた専門の訓練がいるし、ましてや戦闘に応用するには難しいため単に力仕事をするくらいにしか実用性はないとされている。あまり見かけることはないのだが、ヒヨは慣れているようだ。天性のものか。

サイアンはそうもいかないが……ひいひいと息を切らせながら、やはり引き返す気はないようだ。

「だい、じょうぶ……あい、つらは、いきますよ」

なんのことかと思ったが、スティングたちのことらしい。

「ばかじゃあ、ないし、いいつけるのは、だいすきですから」

「いや、君も危ないから──」

「ぼくはサイアン・マギー・フェイズです! マギー家の!」

急に大声をあげたのは、別にそう自負を叫んだのではなく、ラチェットの真似だったようだ。

「ええと、どう考えても最優先目標だ! 人質業界ナンバーワン利益率最大! わけ分かんないくらい親類縁者がVIP揃いで、多分ラチェットより美味しい!」

ひとしきり言ってから、また息を整える。

「……ぼくが人のいるところにもどったら、標的がブレてしまうかも。ラチェはそういうことも考えてると思います」

「そうかな。でたらめな気も……」

「もちろんでたらめですよ、彼女は」

こんな自己申告の重要人物アピールを敵が真に受けるかほとほと疑わしい。が、それでも校内に侵入までするからにはラチェットやサイアンの容姿くらい把握してきている可能性はないでもない。場合によっては拉致すれば大きな加点になる。

もし敵がそれで行動に迷うなら魔術戦士が奇襲に対応する時間稼ぎになるし、誘導して撃退も可能かもしれない。問題はリベレーターがどれくらいの数を投入してきたのかということと、一度はエド・サンクタムをも捕らえた敵を相手にマヨールがどれだけできるかだが。

走るうち、行く手に灯りが見えた。

魔術の灯明だ。ヒヨかラチェットが造り出したものらしい。ふたりの少女は寄り添うように、森のただ中に突っ立っていた。

マヨールとサイアンが着いても、ふたりが見ているのは別の場所だった。ヒヨはこきこきと肩を鳴らしていて、ラチェットはまたあの冷たい眼差しで敵を見据えている。

そこには男がひとり立っていた。とりあえず見えたのはひとりだけだった。マヨールも知っている顔だ。

魔王オーフェン・フィンランディがただじっと、自分の娘を見つめ返していた。