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一夜が明けてスウェーデンボリー魔術学校の内側が目の当たりになると、呑気に「こちらは大丈夫そうだ」と考えたのはなんでだったのか、己の直感に疑いを抱く。
(ま、外からじゃ分からないからだよな)
ここにいるのが人間だということが、だ。
とはいえ今も、屋上の手すりから内庭を見下ろしているに過ぎないのだが……
まだ午前も早い時刻だ。食糧の配給は一日二回だという。校内に備蓄はあるが、まだそれを持ち出す状況にはなっていない。不定期だが、市内にまだ残っている協力者から補給を受けているらしい。魔術戦士が校外に出向いて、食糧や日用品を積んだ馬車を守ってもどってくるわけだ。
今のところそれを狙った襲撃は起こっていない。が、品不足を恐れる市民は魔術士がこれ見よがしに物資を輸送する姿に神経を尖らせているし、協力者への締め付けも行われている。
そうした外部の圧力もだが、校内に溜まる鬱憤も少なくはない。
というより、既にかなりのものだ。戦術騎士団と前校長に騙されていたと感じているのはラポワント市民だけではない。一般の魔術士社会もだ。そのせいで今、学校に避難して不自由な生活を強いられている。ラポワント市民はバリケードで閉め出せても、身内の不満はそうはいかない……日々聞いて、対応しないわけにいかないのだ。
第一教練棟の一階は事務局が拡充され、苦情受付窓口になっている。そこには避難した人々が詰めかけていた。
スウェーデンボリー魔術学校の閉ざされた門の外は、ラポワント市民の敵意に包囲されている。そして校内では事務局が避難者の苦情に取り囲まれていた。
それだけではない。と皮肉を思いつく。ラポワント市は開拓者らの積年の恨みに押し包まれ、原大陸はキエサルヒマからの侵略の手に脅かされている。さらに外には神人種族が滅びをもたらそうと
でっかいあくびの音が聞こえて、傍らを見た。手すりから下を見ているマヨールとは逆向きに、腰をもたれて空を見上げていたイシリーンが大あくびして、こちらを見た。
「退屈ねー」
「まあ、な」
といってもまだ十分もこうしていないのだが。
イシリーンは目に溜まった水(涙とは言いたくない)を指でこすりながら続けた。
「逃げちゃう?」
「また先生を置いて? 次に会った時が怖いな」
「別に逃げなくても、追い出されるかもね」
と、ちらりと下を見やる。
彼女が言っているのは、イザベラがたった今、校長室でクレイリー・ベルムと話し合いをしている件についてだ。別段、
それもあって、マヨールは同席させろと言い張ったのだが追い払われた。今さら子供扱いされるのは腹が立ったし、はっきりと不当だ。昨夜、前校長に接触しようとしたのは理由があってのことで、それはマヨールの考えだった。説明するのもマヨールの役割のはずだ。
どういう理由でかラチェットも作戦会議に駆り出されていて午後まではもどってこないらしい。結果、マヨールらはほったらかしだった。部屋は前校長の夫人らも泊まっている会議室の近くに用意されていて、待遇は悪いものではなかったが。どうにも腑に落ちない感覚も否めない。
「あのさ」
イシリーンの声には、退屈紛れに難問を繰り出してくる時の響きがあった。
「魔王の娘、どう思う?」
「どうって?」
大抵マヨールは、質問返しをして時間を稼ぐ。イシリーンは言い直した。
「ヘンな子が揃ってるよね」
「どうかな。普通のところもあると思うよ」
「長女はわたし、よく知らない」
「俺もそんなには知らないけど……ラッツベインはとことん呑気者だね。でも多分、ずば抜けた術者だ。父親によく似てる」
「次女は? ま、ウブで可愛い子よね」
「変な気起こすなよ。エッジはああいう態度だけど確かに
「三女は?」
「あの子は苦手だ。ラチェットはわけが分からないけれど、どこかでこっちの急所を見抜いてるような不気味さがあるな。父親に──」
「そう考えるとあの魔王のおじさんが相当な変人なわけね」
やれやれと肩を竦めて、彼女はうめいた。
「……どうする? もう彼に話を聞きに行くっていうのは大分無理そうだけど」
「とりあえずは、校長室の話し合い次第だな」
あまり期待はせず、足下のさらに下に思いを
「俺たちの話を聞いて、戦術騎士団がどう考えるのかっていうのも重要といえば重要だし」
「奴ら、そうでなくてももうすっかりてんてこ舞いじゃない。だから、魔王のおじさんに話そうって話になったんでしょ」
「失敗したんだから仕方ないさ。邪魔がなくても、うまくいったかどうか──」
と。
気配を察して言葉を止めた。屋上の入り口、重い扉のノブを回すがちゃりという音が響く。扉が開いて出てきたのは、車椅子を押したクリーオウ・フィンランディだ。
車椅子は一瞬、クレイリーかと思ったが、もっと小さい。子供サイズだ。確か夫人らと一緒に寝泊まりしている少年だった。名前は知らないが。
夫人はすぐにこちらを見て、手を振ってから近づいてきた。車椅子を押しながら。
「どうも」
とマヨールが挨拶すると、彼女は同じように返礼して、
「お邪魔してごめんなさいね。探していて」
「えっ。校長室のほう、もしかして呼ばれましたか」
ぱっと身を乗り出すのだが。
夫人は首を振った。
「いいえ。話はまだ続いてるみたい。用があるのは──」
「ぼくです」
おかっぱ頭の子供が、不思議と大人びた
「逃げないように見張っていろって。ラチェットが」
「逃げないよ」
「って言うから信用するなって言われました」
澄ました顔で言ってくる。
イシリーンが、ふと気づいたように夫人に訊ねた。
「階段、大丈夫でした?」
屋上への階段はかなり急で狭い。車椅子を登らせるのは相当大変だっただろう。が、
「ぼく、少しなら歩けるので」
代わりに少年が答えた。それを証明するように腰を浮かせ、握手を求めて手を差し出してくる。
「マキ・サンクタムです」
「サンクタム?」
手を握り返しつつ、マヨールはつぶやいた。この反応は慣れたものなのだろう。少年は笑った。
「父さん役が危なかったところを助けてくださったとか。見張りはともかく、ちゃんとお礼を言いたかったんです」
「父さん……役?」
「役です。まあ、色々あるけどお互いの役割を務めようということです」
「そ、そう」
子供子供した見た目の少年からそんなことを言われてもどう答えればいいか分からず、それだけ言う。
「あの人の子供役っていうのも、大変じゃない?」
変にあっさり適応して、イシリーンが質問した。ひどい
マキは気楽に答えてみせる。
「そうですね。でも大きすぎる問題って、なあなあにするしかなくありません?」
「そうねえ」
イシリーンはしばらくにこにこして向かい合っていたが。
不意にこちらに顔を向けた。どよんと瞳を陰らせて、
「なんだろ。もやもやする」
「そのつもりで言ってるんですからあまりはまらないでください」
「この子絶対自分の武器分かってる!」
「あー、趣旨の違う同類にまみえたか」
マヨールは若干突き放して言ってから、夫人に向き直った。
「実はぼくら、昨日こうちょ──オーフェンさんに接触しようとしていたところを、騎士団に阻止されたんです」
「ええ、聞いてるわ」
「それが娘さんの指示だったそうで」
恨みではないが、おかしな話であるのは確かだった。ラチェットは結局まともな説明をしてくれなかったし、いったいなんの背景があって起こったのか、夫人からなにかヒントがないかと思ったのだが。
夫人はどこか、今のマキに通じるようなあっさりした様子でこう言うだけだった。
「そう……迷惑をかけたかしら。でも娘を
「なんでですか? この情勢では、彼は危険でしょう」
救出に行ったのではないからこの話は偽善的ではあるのだが。
別に騙したいわけでもないものの、疑問だった。小柄な身体をひょいと竦めて、夫人はうっすらと笑みを浮かべる。
「危険ならこれまで何度も切り抜けてきたんだし、もっと立場の弱い人たちに危険を背負わせるくらいなら、あの人が耐えないとね」
「…………」
なにか言おうと考えていると。
彼女は腰に手を当てて伸びをした。
「ふう。洗濯の人手が足りないみたいだから、わたしも下りないと。マキ、大丈夫?」
「はい。この人たちを見張りつつ、ぼくの面倒も見させるつもりです」
「負けない! わたし負けない! 心の鬼よ目覚めて! オーガ! 餌の時間よオーガ!」
これは頭を抱えていやいやをしながら、イシリーン。
それはほうっておいて、夫人はにっこりお辞儀した。
「それじゃあ、よろしくね。あ、マキだけど、エドが行方不明になっていた時は毎日一番星に祈ってたの」
「援護まで!?」
イシリーンはもう地面に膝をついている。
まあ陥落は早そうだと思いながら、マヨールは夫人を見送った。言おうと思っていたことがようやく頭に浮かんでくる。だが、言わなくて良かったのだろう。〝彼だって
馬鹿げた問いだ。夫人だって分かっている──というより彼女が一番よく知っているのだろう。魔王などと呼ばれて、実際に魔王術の達人であろうと、ただの人間だ。
(だから……彼に頼るのも、いけないのかもしれないな)
逆に思い直す。最後に彼がマヨールにかけた言葉は、好きにしろということだった。であれば。
また内庭を、スウェーデンボリー魔術学校を見やった。
まずは、手のとどく場所で戦ってからだ。