どこからどこまでが夢だったのか分からない、そんな心地で夢からめる。

ベイジット・パッキンガムの意識として形作られた曖昧な記憶と人格。生まれた家と家族は本物だったのか、ただの妄想か。自分は今何歳か。どこからどこまでが本当で嘘か。本当の経歴と嘘の来歴。どちらが重要か。

自分の姿と身体の形も。思っている形状とは違っているかもしれない。寝ている間に変化して……

はっと、起き上がった。

実際には目を開いただけだった。身体を持ち上げようとして激痛が走り、また気絶しかかった。声も出せない。痛みは身体の深奥からで、激しく鋭いのが一度と、無数の鈍いパルスが体内を乱反射した。

臭いがした。血の。そして植物の刺激臭。ひどい臭いで鼻を背けようとしたが、逃げられない。臭いの元は……と落ち着いてきて、自分の身体だと分かった。肩までかけられていた毛布をどけると、新しくはないが着心地のいいさらっとした寝間着を着ている。麻だろうか。寝間着の下、上半身には包帯が巻かれていた。

臭いはそこだ。薬だろう。べったりと泥のようなものが傷の上に盛られているのだと感じた。傷……?

(傷だ)

記憶がよみがえってきた。自分は負傷したのだ。銃弾が命中した。銃創は左肩と胸の間くらい。他にも身体中あちこち擦り傷打ち身はあった。痛みさえ我慢すれば呼吸ができる──とあまり自信こそなかったが、肺をやられたわけではないらしい。

左腕は……動く。ともかく、指先くらいなら。重傷だが治らない傷ではない、と踏んだ。兄ちゃんを呼んで治させれば、もっと早く……母さんは駄目だガサツだから。父さんは今日は家にいるのかな……

どっと疲れが押し寄せた。

もともと起き上がれていなかったのだが、枕に頭を押し当ててさらに沈み込む。息を止めた。なにも考えつかない。頭が思考を放棄したように。

(ここ、どこだろ)

ようやくそれだけ考えられるようになった。ベッドに寝ている。小屋の中だ。小屋はそう広くもなく、明らかに粗末だが、人が生活していて住み心地は悪くなさそうだった。住人はこの住処すみかに愛情を注いでいるに違いない──ベッドは清潔だし、窓には日を浴びてふっくらと膨れる暖かそうなカーテンが揺らいでいる。窓に隙間があるのだろうけれど、隙間風は窓の下に並べられた鉢植えの豊かな葉を揺らしはしてもベッドまではとどかない。家具は多いが無駄はない。多分、ひとり暮らしだ。壁には木製のカレンダーがかけてある。木ぎれの日にちをはめ込んで、いつまでも使えるやつだ。それをはじめとして、家具はほとんどが素人の作ったもののように思えた。大方が歪んでいる。わざわざ人のために作るにしては不器用な出来なので、住人の手製だろう。

従って、裕福な住人でもない。だろう。それに素性も知れない(はずの)ベイジットを部屋に上げて、見張りもつけていないのは、られて困るものもないからだろう。

ここまでも推測はしたが。

だからといってはっきりした答えは得られない。最後の記憶を辿ろうとした。が。

(駄目か……)

思い出せない。というより夢と見分けられなかった。兄ちゃんはなにをしているのか。さっさと顔を見せて、嫌みのひとつも言いながら看病してくれれば、こっちもからかってあげるのに……

また意識が途切れかけた。眠気こそすっきりしていたもののやはり身体がついてこない。

「起きたのかい?」

扉を開ける音はしなかった。よく使い込まれているのだろう。

その生活ぶりとはいささか相反するようなどたばたした足音を立てて、その女は入ってきた。太った中年の女だ。頭を動かせなかったが彼女のほうから視界に入ってきたのでようやく姿が見えた。髪を縛った地味な風貌で、たるんだ頬が仏頂面にも見えるが、目の色は柔らかかった。

変わった香りがする。薬とは別だ。煙草だ、と気づいた。女が喋り始めて、歯が汚れているのが見えたから。

「身体は動かさないほうがいいよ。寝返りする時だけだね。手当てがずれるからね」

手をわきわきとみながら、ベッドの脇に腰を下ろす。椅子がないので床のラグの上にあぐらをかいたようだ。おかげでまた視界から姿が消えた。

「大丈夫、あたしゃ医者だよ。この愛の村のね」

「……愛の村?」

聞いたことがない地名だった。というより、地名なのかなんなのか。

「兄ちゃんは?」

ベイジットの問いかけに、女は不思議そうに声をあげた。

「兄ちゃん? 子供なら一緒にいたけど。そっちは別んとこで寝てるよ。怪我もなかったし、心配ない」

「子供……ビィブ。ビィブ!」

記憶が蘇った。

麻痺から回復するように、一気にすべてが。頭の中で爆発するようだった。記憶だけではない。痛みもつらさも、全部。視界が歪んだ。息が詰まる。

──気がつけばさっきの女に顔をのぞき込まれ、喉を掴まれていた。女はじっとこっちを睨みつけている。目をのぞき込んでいるのだ。

「大丈夫だよ。平気だ。あんたは怪我をして寝てるんだ。怪我をしてベッドにいる限り、医者が全部守ってくれるんだよ。あんたはなんにも怖がらなくていい」

どうやら、痙攣けいれんしていたようだ。その医者とかいう女の指は力強く、しかし肌に触れている感触は優しかった。

にもかかわらず、なのか、だからこそなのか。ベイジットにも分からなかったが、涙がこぼれた。

「アタシ……殺されるんだ」

「そんなことありゃしない。あたしが見てるよ」

「違うんだヨ。殺されるのが……正しいんだ」

「馬鹿いいな。ブルって阿呆あほも言えなくなるくらい痛い目に遭わせてやってもいいんだよ」

「アタシは、バレちゃったんだヨ! 秘密が──」

「ハッ。秘密で人が死ぬもんか。怪我人が死ぬのは血が足りなくなるか、傷が化膿かのうした時さ。ああ、あと呼吸できなくなった時と、二次感染と……結構あるね。ともかく甘ったれんじゃないよ。この村じゃ、秘密なんてもんはバラしまくって笑うんだ」

「この村……?」

呆然ぼうぜんとうめくベイジットから、女はゆっくり手を離した。

その手を腕組みし、口元に動いたのはきっと、癖になっている煙草を吸う仕草だったのだろう。

「ここは愛の村だよ。楽園さ。外でどんだけ悲惨な目に遭っただろうと、ここじゃ通用しない。愛に満ちてんだ。逃げ場はないよ」

「……ナンデ脅し文句っぽくなってンの?」

かなり素っ頓狂な気分だったのだが、女はまったく動じもせず、握り拳を振って言い切った。

「愛は無力じゃないからさ。心に刻んどきな」

にやりと口の端を持ち上げた面構えは、いつかまた悪夢で対面することになりそうな代物だったが。

それでも落ち着きを取りもどして、ベイジットはつぶやいた。

「アタシと、子供──ビィブって子だよね? と……それだけだった?」

「うん? 年寄りどもが連れて帰ってきたのは、ふたりだけだよ」

「そう……」

どこかに落ちず、目が泳ぐ。

「ココ、愛の村って言ってたケド、場所ってドコくらい? 地図ある?」

「地図ねえ……古いのしかないよ。村は自給自足だし、街とは関わってない」

「エ? 開拓村なんだよネ?」

それなら大なり小なり、開拓公社なりキルスタンウッズなりから支援を受けているはずだ。よほど古くからあって、規模も大きくなった村でもなければ。

だが女は鼻で笑う。

「街の世話んなって、どうやって愛を守んのさ。外の連中はホント簡単なことほど分かってないね」

「イヤ……それができるならみんなソースルだろうケド……」

「だっからさ。まあ言いたいことは分かるよ。でもそいつはさ、こんな辺境暮らしのくせに街と同じ暮らしをしようと無理すっからだろ。必要なもんとそうでもないもんを見分けるのさ。あたしゃ、大抵のことはコレで間に合うからね。メシもいらんくらいさ」

と、煙草の手つき。

分かるといえば分かる話だが。

(よりによって医者の言うこっちゃないと思うけど……)

とりあえずベイジットは、もうひとつ重要そうな質問を選んだ。そろそろ、また寝ろと言われそうな気配を感じたのだ。

「アタシ、あとどれくらいで回復する?」

「傷が消えることはないね。残念だけど、痛みも当分は続くよ。何年か、それか一生ね。運は良いほうかい?」

「……ドーダロ。良くはなさそう」

「そうかい。なら案外、ここはラッキーがあるかもね。動けるようになるのは……いいとこ十日後かな。かけっこできるようになんのはもっと先」

「かけっこする歳じゃないヨ」

「そうなのかい? やせっぽちは歳が分からないよ。ここを出るまでにはもうちょい肉のつくようなもん食べさせてやっから。でも今日はまだ食べらんないか。寝な」

いきなり話を打ち切って、女は部屋を出て行こうとした。と、出口で立ち止まり、

「名乗り忘れたね。いつも忘れんだ。あたしは愛の女、メアリーだよ。親鳥みたいにあんたを守ってやる。その扉のすぐ外にいるからね。なんかあったら呼びな」

「ウン……ありがと」

毛布の陰から返事する。

メアリーは出て行った。すぐ扉越しに、ぎしっと椅子が鳴る音が聞こえた。本当にすぐ外にいるようだ。

(さて)

天井を見上げて、ベイジットは思案した。分かったことを胸のうちで整理する。

まず、ここは愛の村。愛の女メアリーを平均と考えるなら、世間からズレた連中が閉鎖的に暮らしている場所なのだろう。メアリーは善人で、ひとまずここは安全だ。

怪我は重い。どうにかしないとここで何か月も療養することになる。

ビィブは無事だ。ベイジットが魔術士であることを隠して革命闘士に潜り込んでいたことは知られてしまった。あの子はベイジットを殺したがっているだろう。

そして……

(ダンは?)

分からない。生きているのかどうかも。ビィブがなにか知っているかもしれない。

それ以外の〝隊〟のみんなは死んでしまった。あれから兄がどうなったのかもよく分からない。

また涙がこぼれた。メアリーに聞かれないよう、ベイジットは声を殺して泣き続けた。