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「もしかしてこれって馬鹿なことかな」
「人が聞いたらそう言うかもね。なんとなくの予想だけど」
暗い路地の陰にふたり身を潜めて、マヨールとイシリーンは言い合った。
ラポワント市の商業区の端。倉庫街に近い区画で、この時世ではもともと夜間に出歩く者も少ないのだが、ここは特に静かだ。同じ商業区でも中央のスウェーデンボリー魔術学校あたりは夜通し包囲が続いているので、その落差は感じる。
「ンなこと言われるとしたら、あんたらの馬鹿面のせいよ。堂々とやりゃいいの。有無を言わせずにね」
と、もうひとり。横目で睨んできたのはイザベラ教師だ。
マヨールは一応、言っておいた。まさか分かってないとは思わないが。
「できれば、こっそり穏便に進めたいわけですよ」
「穏便に済むわきゃないでしょうよ」
ふんと息を吐いて、イザベラ。どうもわざと騒ぎを起こしたいと思っているようにすら見えて不安なのだが……一方で、正論でもあるのだ。穏便に済むわけはない。
原大陸の歴史はまだ二十年ほどに過ぎないが、その十倍の積み重ねで生じたキエサルヒマの硬直したもつれとはまた逆の、浅いが故のややこしさがある。魔術士社会を主眼にした勢力図では魔王オーフェン・フィンランディを頂点とした魔術士たちと、それを管理する元アーバンラマ資本家及び開拓者たちの市議会、そしてその両者の支配と反目する革命派というのがあり、今まさに過熱しているのはそこだった。
そのそれぞれの山というのも各々一枚岩ではなく、たとえば戦術騎士団とその他の魔術士とでは機能や情報に大いに隔たりがあった。自由革命闘士も、リベレーターに
これは開拓スポンサーの主導的な役割を果たした元アーバンラマ資本家、マギー家の三姉妹を指す言葉なのだが……
彼女らは主だったみっつの地域に陣取っていると言われる。アキュミレイション・ポイントの大統領邸には大統領夫人である長女ドロシー・マギー・ハウザーが。ラポワント市に本拠を置く派遣警察隊の総監は次女コンスタンス・マギー・フェイズ。キルスタンウッズから開拓地を暗躍するボニー・マギー、人呼んで黒
姉妹で対立的な立場にあるというのは、異常なのか必然なのか。成り立ちとして最も古いのは派遣警察隊だ。この前身は開拓隊の治安を取り仕切っていた〝メッチェン隊〟で、現ラポワント市長サルアの妻の名を冠したことからも分かるが、開拓者の有力な一派であったサルア・ソリュードとの関わりが非常に強い。派遣警察隊の幹部はメッチェン隊出身者や縁者が多く、その総監こそ元資本家のコンスタンスだが、彼女の夫は開拓者からの支持が厚い都市計画機構の主技術官、エリオット・フェイズだ。独立的な立場で市や辺境の治安を守る機能からも、開拓者の味方という見方が強い。反面、自由革命闘士を取り締まるのが主要な任務でもあるのだが……
開拓が進んでカーロッタ、サルアといった開拓の有力者が力を強める中、原大陸全域を統べる機関が必要とされたのが、大統領制を生んだ。これほど高位の権威者を各地の主権者に委任させるというのは、キエサルヒマにはない制度だった。大統領となったのはエドガー・ハウザーで、前述のドロシーの夫である。彼女は実務家として大統領邸で働き、ある意味では大統領よりも恐れられている。急速な開拓事業による権威者の不均衡を
今、魔王オーフェン・フィンランディは派遣警察隊の拘置所に、軍警察の監視で監禁されている。戦術騎士団敗北の罪やそれ以前の情報隠蔽、不法な拷問や暗殺といった犯罪を裁く権能は大統領邸にしかない。まだ正式に起訴こそ固まっていないが、証言を自白としてどこまで司法の手を伸ばせるか、方針さえ固まればすぐにも逮捕、移送となるだろう。もっとも、アキュミレイション・ポイントの暴動で大統領邸もてんやわんやだろうが。
その権威にちょっかいをかけようというのだ。これから。
拘置所は塀で覆われ、正面には閉じた鉄扉、見張りの兵士が常時立っている。警戒度は高レベルで、その正門だけでも見張りは六名、巡回する兵士も複数いた。昼には魔術学校に対するのと同様の抗議者集会もあったのだろう。夜には解散を命じられるので今はいないが、置き去りの椅子やプラカードなどが名残を見せていた。
塀は魔術で飛び越せるだろうが、内部の様子が分からない。前校長が監禁されているのが建物のどこかも不明だ。
「いい手はあるかな」
期待せずにマヨールがつぶやくと、イシリーンが答えてきた。ポーズを取りながら、
「洗練された色仕掛け?」
「ない」
即答したせいで肘で小突かれた。
そして一応……本当に一応、イザベラにも訊く。
「先生はなんかプランありますか?」
「そうね。わたしは右端から倒してく。あなたたちは左から。たぶん正門で落ち合うから、奥に向かって連鎖自壊。建物が崩れても魔王ならぎり脱出してくるでしょ」
「えー。わたしたちふたりで、先生と対等って計算ですかそれ」
「文句ある?」
傲然と言うイザベラだが。そもそも問題はそこでもない。
まるっきり問題外として、マヨールは嘆息した。
「なんか駄目チームの典型のような気がしますよ、ぼくら」
「そうよね。せっかくの案を潰して文句たれるだけのお坊ちゃまが臆面もなくリーダー面してるものね」
「先生、教育を間違えたわ。マッチョ量を成績に取り入れるべきってずっと言ってきたのにナヨい馬鹿どもに変態扱いされて。体重計で採点できて合理的なのに」
「大丈夫……ぼくは生き抜ける生き抜ける……」
馬鹿女と筋肉信奉者に挟まれ、こめかみに指を当てて素数を数えながら、平静を保つ。マヨールは話をもどした。
「気づかれて大騒ぎになってもいいのなら、そりゃ手はありますよ。そうじゃないのはなにかないですかね、って言ってるんです」
「ないわよ。そのために警備してるんだから」
「そうよ。あいつらの仕事に敬意を表してるのよ、わたしは」
いちいち両側から
ともあれマヨールはまた黙殺した。
「地下から魔術で、穴を掘っていくっていうのはどうですかね」
それなりにまっとうな案のつもりでいたのだが、イザベラはあっさり却下してきた。
「ここからでも百メートルはあんのよ。測量しながらやらなけりゃ、うまい位置になんて出られやしないわよ。やったことあんの? 馬鹿じゃない? 親に似てホント物知らずの馬鹿。馬ー鹿」
「本当にすみません、先生。こんな奴に発言させてしまって空気を無駄にしました」
横から本気で申し訳なさそうに、イシリーン。
「教室での悪夢をじわじわ思い出してきた」
マヨールはぼやいて、この話が十分も続いたら、とにかく憂さ晴らしに軍警察を蹴散らす案に賛成する気になりそうだと予感した。
「あとは、陽動ですかね。あいつらが気を取られるような騒ぎでも余所で起これば、隙ができるかも」
「魔王の拘置より意識を割かないとならない騒ぎってどんなのよ」
「大統領の誘拐とか……」
「今からあのアキュミなんとかいう港まで行くの?」
「現実的でないのは分かってますよ。思いつきです。他にもなにか──」
と、言うのを待っていたかのように。
変化があった。拘置所の門に向かって、子供がひとり歩いて行くのが見えた。ふらっとどこの道から入ってきたものか。
「誰だ?」
つぶやいたのはマヨールだが、警備も同じことを呼びかけていたようだ。遠くて聞こえない。マヨールは、さっと目配せしてから物陰から進み出た。身を潜めて小走りに、状況が分かる距離までダッシュする。
すぐに行き着けるわけではない。見張りたちの注意は当然その少年に集まっているが、全員が周りへの警戒を解いてはいなかった。目に留まらないよう祈りも混ぜて、マヨールは体勢を低くした。
拘置所の前の通りは広く、身を隠せる場所もない。かなり手前で止まらざるを得なかったが、なんとか様子が分かるようにはなった。まず目を剥いたのは……その子供の格好だ。兵士たちも驚いている。後ろ姿ではあるが、少年が着ているのは間違いなく、スウェーデンボリー魔術学校の制服だった。
こんな夜に出歩いていることもそうだが、学校から包囲を抜けてどうやって来たのか分からない。しかもそれがどうして拘置所の軍警察に話しかけているのかも。
「ええっと……あのですね、ぼくはサイアン・マギー・フェイズです。分かります? てか知り合いっていません? ああっと、多分ですが、伯父がお世話になってると思います。なにかとお世話をかけずにいられない人ですし」
しどろもどろに話しているが。誰も返事しない。しようもないだろう。
「それで、なんの用かって思ってますよね? ぼくも思ってますし。でもですね、大事なことなんです。パニくらないでください。ぼくはもう既に危ないんでせめてそっちはパニくらないでください。いいですか? パニくる人は深呼吸して落ち着いてパニくって。すーはー」
見張りたちは恐慌に陥ってはいない。ぽかんとはしているが。
その少年──サイアン・マギー・フェイズとすれば、確か派遣警察隊の総監、鬼のコンスタンスの息子ということになるが──は急に、こちらを振り向いた。
「そこに」
彼が指した指はぴったりと、マヨールの隠れ場所を向いていた。
「えらく悪い賊がいますよ。前科百犯くらいの」
「!」
息を詰める。しかしタイミングが悪かった。ちょうど場を
どうしてバレたのか分からない。兵たちにならともかく、ああも混乱していた子供に。しかも少年は一度もこちらを見ていなかった。
見張りたちのうち、ふたりが動き出した。こちらへ。別のふたりは少年のほうへと動き出している──守るためかとりあえず捕らえるためかは分からないが。残りはその場で武器を構えた。武装は全員同じ、警棒と狙撃拳銃だ。
(まずい……)
有効射程まで近づかれたら終わりだ。接近したせいでもう数歩しか猶予がない。
隠れ場所から飛び出す。
「止まれ!」
と叫ぶ兵士に対して、構成はもう完成している。
(結局、イザベラ先生の案か!)
逃げ切るのは難しかったろうし、また明日出直しても警備が倍増して困難が増していただろう。ならもうやってしまえ──破れかぶれだが。
「光よ!」
少し逆らって、自壊連鎖ではなく別の術を放った。熱衝撃波は拘置所の外壁に穴くらいは開けるだろうが、全壊はすまい。
白光が輝き……
「グレインフォーセ!」
「……!?」
突如として空間を覆った、光の障壁に阻まれた。
防御術だ。マヨールの術を防ぐほどの。手早く強い構成。
気配を読んだ。通りの陰から駆け出してくる人影。ひとり……ふたり、三人! 全員、魔術戦士の戦闘服を着ている。
(戦術騎士団の魔術戦士!)
手練れどころの話ではなかった。原大陸でヴァンパイアや壊滅災害と闘う精鋭中の精鋭だ。それが三人、突撃してくる。
空中で爆裂した光で、姿を見て取った。ひとりの顔は知っている。シスタだ。一度やり合ったことがある。あの時は負けたが……
シスタは立ち止まり、術の構成を編んだ。今度は攻撃術だ。
「バイルブレア!」
抱え込むような体勢から両腕を突き出し、熱衝撃波を撃ち出してくる。マヨールと同じ構成だった。まるで彼女も再戦を意識して、こっちに防いでみせろと挑発しているかのようだ。魔術戦士がそんな子供じみたことを考えるかどうかはともかく、マヨールは引き込まれるのを感じた。
やってやる。
(そっちよりも上手いぞ!)
「吸い込め!」
空間を
シスタの術は曲がった空間にはまり、方向を変えて飛び出した──もうひとりの魔術戦士が走る足下へと。シスタを残してふたりは左右に広がり、マヨールを挟撃しようとしていたのだろうが、左手の動きをこれで牽制した。白髪の魔術士だ。爆発の威力を避けるため地面に転がってから、罵声をあげている。
「ガリ勉女が邪魔すんな! 普通に捕らえりゃいいだろ!」
シスタへの抗議だ。彼女は苦い
もうひとり、髭の男はこのふたりよりもう少し
(拳闘か?)
マヨールは体重を後ろ足に移し、半身を引いた。
見えない拳が頬をかすめた。
かわしたのはただの勘だ。後ろに逃げた。髭の男が放った拳は肩を使わずスナップだけで打ってきたもので、当たっても
地味だが嫌な攻撃だ。マヨールの術を見てこちらの手際を認めたということか。仮にこれでマヨールに倒されても仲間のためにダメージの蓄積を狙っている。
いや……
かわそうとしてまた打撃を食らい、右に逃げればその鼻先を打たれる。マヨールが反撃に拳を打ち出しても軽くいなされた。何度か繰り返して目が合うと、相手が笑っているのが分かった。
(そんな殊勝なわけないか)
単に
技量では
勝ち目はひとつ──そのために。
さらに大きく跳び
目を開けたまま耐えた。気合いを吐いて右と左の体を入れ替え、右拳を突き込む。髭男は腰だけ引いてそれを空振りさせた。
その隙だけでも二発、リズムでも刻むように軽い打撃が頬と脇腹を叩いていった。やはり構わず、マヨールは大きく構えて反撃を試みる。通じない。同様の撃ち込みはまたかわされ、接近しての肘撃ちは足を蹴り
転倒はしなかった。踏みとどまって攻撃を繰り返す。この大きなモーションでは追いつけないが。
それでも、食らえば必倒の鋭さだけは保つ。髭男の表情から、幾分でも余裕を奪っていく。その上でだ。
ジャッ! と金属が
こちらに加勢があるのを敵は知らなかった。それが成算だった。巻き付いた鎖は髭男を締め上げ、動きを奪う。
気の利いたことでも言ってやりたい気分ではあったが。
「ハッ!」
そんな暇はなく、マヨールは魔術戦士のみぞおちに拳をめり込ませた。完全な一撃だ。髭は息を詰まらせ、たまらずに膝をついた。当分は動けない。
横目で見やる。シスタと白髪の魔術士のほうは、イザベラが術を放って足止めしている。横殴りの突風がこちらにまでとどいていた。
不意打ちでひとり倒せたのは幸運だった。数の上ではこれで有利だ。だが相手ももう
シスタと目が合った。彼女はイザベラの相手を仲間に任せ、こちらへとステップを変える。
マヨールは正面から踏み込み──
「抜けろ!」
空間を
「ダボがァッ!」
白髪が怒鳴った。こちらに背を向けているが、気配には気づいていたようだ。イザベラと撃ち合いながらも片腕を背後に振って、爪でちょうど目の位置を狙ってきた。見てもいないのに精確だ。
イザベラが両手を突き出して肺を狙う。白髪はまともに食らったように見えた──が、すぐに体をずらし込んで接近すると頭突きでイザベラの側頭部に一撃を見舞う。本当にぎりぎりの見切りでかわし、鋭い反撃につなげる。さっきの髭も相当だったがこの男はさらに一段上の達者だ。動きのすべてに殺意と威力が
目を回して、イザベラがよろめく。ほっておけば次の手でやられる。マヨールは声をあげて跳躍し、足を振り上げた。首を狙った蹴りだがやはり見切られ、白髪は反転しながら体勢を下げ、そのまま肘撃ちを放ってくる。
このままなら負けだ。そうなるのは分かっていたから準備もしていた。
「捻れ!」
また同じ空間歪曲だが、さっきほど大きくは作れない。だが自分の蹴り足を巻き込んで変形させた。腹を狙ってきていた敵の肘を、折れ曲がった足の裏で受け止める。
術を解いて、後ろに跳んだ。からくも切り抜けたマヨールを、白髪の魔術戦士は凶悪な目つきで睨んできている。こちらに一手使ったせいでイザベラも難を逃れ、頭を押さえながら後ろに下がって構え直している。
ぺっと唾を吐いて、白髪は言葉も吐き捨てた。
「味な真似すんじゃねェか、ドサンピンが」
親指の先で口を拭う。そのまま拳を固めてファイティングポーズを取った。
「俺は戦術騎士団のマシュー・ゴレ。強ぇぞ。並じゃねェ」
(もう分かってるよ)
声には出さずマヨールは答えた。歳は自分と何歳も違わないはずだが、格闘術の
(これは順番を間違えたな)
さらに。
「ここまでにしておきなさい」
シスタの呼びかけで、負けを理解した。彼女が話してくるということは……
振り向く。
「ごみーん」
イシリーンが苦笑いで手を振ってみせた。シスタの腕で首を絞められ、喉元にナイフを突き付けられている。チェーンウィップは足下に落とされていた。
さっきの不意打ちでマシューを倒せていればまだ勝負もできただろうが。これで終わりだ。
動きが止まったことで、遠巻きにしていた軍警察の連中も回り込んで、逃げ道を塞ぎ始めた。
彼らに対しても、シスタは制止した。
「なにもする必要はない! 我々は戦術騎士団の者だ。キエサルヒマの魔術士が拘置所を襲撃するという情報を
ざわ……と兵士たちが困惑の顔を見せる。
ここに囚われているのは騎士団の顧問でもあったオーフェン・フィンランディで、リベレーターの声明からすると騎士団と敵対していると見られているキエサルヒマの魔術士がそれを助けに(?)来て、戦術騎士団が邪魔したというのだ。頓珍漢だとは思うだろう。
シスタは睨みを利かせて話を続ける。
「この場は我々が処理する。手出しするなら相手になるぞ!」
問答無用だ。もっとも、戦術騎士団が攻めに来たのならともかくその逆では、敵対する理由は彼らにはない──少なくとも積極的には。
「チッ」
舌打ちして、マシューがぼやいた。
「いいとこで解散かよ。タマナシどもが」
「人のタマを見もしないで吹いてんじゃないよ、クソガキ」
「アアン? ババァ、こいてっと股裂くぞコラ」
「オオ? さかってんじゃねえぞ小僧、貧相なミミズ畳んどけ」
イザベラが挑発して、振り向いたマシューと睨み合い……というかガンのつけ合いになるのだが。
聞かなかったことにして記憶からも封殺しつつ、マヨールはシスタに降参を示した。
「分かった。従う。それで俺たちをどうするつもりだ?」
「拘束する。お前たちは捕虜だ」
重い声で、髭の男が立ち上がる。
最後にすっかり忘れ去られていたサイアン・マギー・フェイズが、ため息とともにこうつぶやくのが聞こえた。
「ぼくがここにいた意味がまったく分からない……」
マヨールは何故か、きっとたちの悪い女に引っかかってる駄目な奴なんだろうと思った。そんなことをなんで分かったのか、身に覚えもなかったが。