「たまに、やばい馬鹿もいるよ」

「それもまあ、そういうもんじゃない?」

おばさんは慌てない。繕いの終わった古い子供服をわきに置いて、次を手に取る。

割り当てられた作業はまだ残っていて、今のペースでは終わりそうにない。積み上げられた古着を見やって、サイアンは少なからずうんざりした。いつ終わるのかというより、昨日より増えたように見えたからだ。サイアンも慣れないながら手伝っていたし、マキやヒヨも同様だが。

ラチェットも朝のうちは手伝っていたのだが、五分もすると急に落ち着きがなくなって部屋をうろうろしだした。壁を叩いたり廊下に出てはなにか叫んでもどってきたり、ヒヨにちょっかいかけたりでさすがに邪魔になったので、おばさんが犬をけしかけて大人しくさせていたのだ。ラチェットもいつもなら母親には従うので、かなり珍しいことではある。

サイアンは子供の頃、ローグタウンに住んでいたため魔王の一家、フィンランディ家とは昔から付き合いがある。この家の人たちは変人ぞろいだ──ラチェットですら少し変わったところがある──が、基本的には気のいい人たちだ。まあ少なくとも、世間で言われているより多少は。

不良でいい加減な(母に言わせるとしょうもない)〝魔王〟オーフェン・フィンランディをはじめとして、おっとりしてるくせにキレると手がつけられない長女、つんけんして付き合いにくい次女……それらに比べれば、温和なおばさんはまともだ。それでもずっと昔、台所で「あ、ネズミ」とつぶやくやいなやフォークひと突きで仕留めたのを見て以来、この人の笑顔もあまり見た目通りに受け取れなくなってしまったが。

「ここ、出ちゃ駄目かな」

そんなことを言い出したラチェットに、ヒヨがたずねた。

「といれー?」

「違う。もちょっと外」

「……まさか、街のこと言ってないよね?」

不安になってきて、サイアンは問いただした。ラチェットは振り向くと、

「うん」

「駄目よ」

おばさんもさすがに顔を上げて即座に却下した。視線も冷ややかで、この件については議論の余地がないとはっきりさせていた。

「でもさ」

無駄なのにラチェットは食い下がる。口を押し曲げて、

「姉さんたちは外にいるよ。なんでわたしだけ駄目なの」

「姉さんたちは騎士団の仕事で出てるの。出てるっていうか、帰ってないんだけど。それにおじさんもついてるしね」

「じゃあわたしも保護者つけるよ。エドさんでいい?」

「エドさんは忙しいし騎士団に手空てすきはいない。それにマジクおじさんは保護者じゃない。ラッツもエッジも一人前の魔術戦士で、だからお母さんは口出ししない」

淡々と一気に、おばさんはまくし立てる。その声はかたく、さらに冷たさを増した。こんな言い方をするのは聞いたことがなく、サイアンは思わずヒヨと顔を見合わせた。彼女もきょとんとしていたようだ。

気配を察して、おばさんはにっこりした。

「たまにお父さんを蹴るけどね。とにかく、この話はもうおしまい」

と、作業にもどる。ラチェットは、むーとうめいて不服げだったが。

どのみちラチェットも、通るはずのない話だとは分かっていたはずだ。

彼女が街に出たなどという噂が流れただけでもたちまちに暴徒か、革命闘士か、人さらいかが押し寄せてくることになるだろう。

避難生活もある程度の時間がち、人々がどこで寝泊まりするか、生活をどうするか、整備や配置換えがされた。主には戦術騎士団の都合でだが。行方不明だったエド隊長が発見され、彼の提案でこの学校の一部を騎士団の基地とした。

この第一教練棟は学校で一番大きな校舎になるが、避難民の宿舎に提供されていない─というのも校長室や事務局、教員室などが、戦術騎士団の司令室や待機所に使われているからだ。寮から移動したこの親娘に加えてサイアンとヒヨ、マキだけがここに寝泊まりしているのは特別待遇なのだが、それは様々な意味での重要度をはかった結果でもある。新たに校長になったクレイリー先生は、内外の敵がラチェットやおばさんを狙う可能性があると話した。内外の敵、とさらりと言ったのを覚えている。彼女を傷つけるのは、校外でプラカードを掲げている街の連中ばかりではない。

気が重くなることを思い出して、手が止まりかけた。ラチェットがぶつぶつ言いながら部屋を横切り、扉を開けると顔だけ出して叫び始めたので目で追った。

「絶対それ失敗するってー! 時間帯が問題じゃないんだからー!」

ばたんと扉をしめ、もとの場所にもどる。

「……さっきからそれ、誰に言ってるの?」

サイアンが訊ねると、ラチェットは気難しく眉間に皺を寄せた。

「さあ。誰が来てるのかは知らないけど。あ、でもすぐ分かるよ」

「え?」

扉がノックされた。

はあい、とおばさんが返事して、入り口に姿を見せたのは──世にも不機嫌な顔をした──魔術戦士だった。親しくはないが一応、サイアンも顔を知っている。シスタだ。

「お邪魔してすみません、奥様」

恐らく数日は寝ていないだろうし各地を飛び回って疲労の限界はとっくに超えているだろうが、シスタは忍耐強く言葉を選んだ。

「ですがその、作戦会議中でして」

「あら、本当にごめんなさい。うるさくして」

おばさんは古着を置いて頭を下げると、手で合図した。

「あうっ」

ラチェットが背後から犬に押しつぶされ、土下座の格好になる。

「いえ……あの」

シスタは慌てて言い直した。

「エド隊長が、その……お嬢さんを連れてくるようにと」

「ええっ?」

声をあげたのはサイアンだ。

「なんでですか。そりゃうるさくて邪魔だったからって、殺さなくても」

「殺しません」

「えっ? それはそれで、なんでですか」

「理由のひとつとしては、隊長は別に殺人鬼じゃないからだけど」

「たぶんね」

ソファの上で肩を竦めて、それまで黙っていたマキがつぶやく。

シスタは困ったように半眼で彼を見てから、一応冗談だったようだと確認してだろう、構わずに話を続けた。

「もうひとつの理由は、隊長が、意見を参考にしたい、と……」

「意見って、ラチェットのですか?」

疑問符を浮かべるおばさんに、シスタは、はいと首を振る。

おばさんはしばし考え込んでいたが、

「彼がそうおっしゃるんでしたら、どうぞ持っていってください。ここにいても邪魔なだけなので」

「むーうー」

ラチェットがうめき声をあげる。犬に潰されて顔を床につけているのでしゃべれなかったのだが。

犬がどいてようやく起き上がれた。ぶるぶる頭を振ってから、ちょいちょいとサイアンとヒヨを手招きする。

「ふたりも来たほうがいいよ」

「え?」

これはシスタで、彼女が露骨に迷惑そうにしたため、サイアンは後ずさりした。

「なんで。戦術騎士団の会議でしょう?」

「そだよ。ええとサイアン・マギー・フェイズはゴミ大統領とギャングボス腐り頭の予測つかない行動を熟知していて役に立つと思います」

「…………」

明らかに出任せにもかかわらず、ラチェットの申し出にシスタが判断を迷うのが見えた。つまり──認めたくはないが──本当にあのふたりの次の行動を予測するのに、戦術騎士団が苦労しているということなのだろうが。エドガー・ハウザー大統領に、キルスタンウッズ開拓団社長のボニー・マギー叔母さんは。

「で、ヒヨは学校で一番強い魔術士で、魔術戦士の候補です」

「候補? そんな話は聞いてないけど……」

「でも候補です。魔術戦士になりたいなりたいと日頃から言い続けて、寝言でも七三の割合でそう言います。残りの三は革命反対、資本家の支配のため児童労働を復活させようです」

これもとんでもないうそだが、ラチェットは眉ひとつ動かさずに言ってのける。とはいえヒヨが学内トップクラスの腕だというのは嘘ではないが。それに彼女が幼い頃に亡くした両親は、紛れもない戦術騎士団の魔術戦士だった。

総合して、まったく筋が通らなくもないと考えたのだろう。あるいは早く会議にもどりたかったのか。シスタはしぶしぶだが、なら一緒に来なさいと言って立ち去っていった。

「ぼくは?」

こちらも(サイアンだけは同じくらいしぶしぶに)連れ立って部屋を出ようとすると、マキが言ってくる。

ラチェットはくるりと振り向くとこう言った。

「ここにいて。見えないとこで母さんが武器を突きつけてるって言ったほうが、エドさんに言うこと聞かせられる」

「そっか」

納得してマキがうなずく。どうもこれだけは、ラチェットも本気で言っていたように聞こえたが。

「もどったら、なに話したか全部教えたげるから」

今度こそ出て行こうとするラチェットを、おばさんが呼び止めた。

「ラチェット」

「なあに?」

またくるりと回転して、ラチェット。おばさんはほんの一言だけ、短く告げた。早口だったのでさっきほどは分からなかったが、それでもやはり、あの時の冷たい声がかすかに感じ取れたように思えた。

「おかしなことは駄目よ」

「うん。分かってる」

ラチェットは気楽に返事すると、とたとた廊下に出て行った。