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「ほんの数日で、こうも変わるものかしらね」
ぱちんと豆の殻を潰してイシリーンがつぶやくのを、マヨールは聞いていた。
思い浮かぶ言葉はあったが、答えなかった。ただそびえるその建物を眺めていた。ここラポワント市のスウェーデンボリー魔術学校。原大陸における魔術士の城のひとつ。
砕けた殻の中から実が取り出され、イシリーンの口に放り込まれるまでの間。マヨールは無言だった。彼女は袋から新しい殻豆を出して人差し指の腹に押し込み、親指で潰す。
「そこらに捨てるなよ」
「なんで」
豆を口に放って、イシリーン。
マヨールはうめいた。
「張り込みがばれるだろ」
「ばれやしないわよ。ここらゴミだらけじゃない」
「…………」
その通りではあるのだが。
ここいらだけではない。この一帯、通りも建物も荒れ放題だった。
魔術学校の周囲の通りには人が溢れていた。というより学校が包囲されていた。学校はすっかり門を閉ざし、バリケードが築かれている。その外ではラポワントの市民がプラカードを掲げ、学校に向かって叫び声をあげていた──『魔術士たちは
学校の周りには商店が多かったが、もはや商売どころではない上、これまで魔術学校の生徒を相手に商品を売っていた後ろ暗さからか、今はほとんどが空き家になるか市民たちに徴発される形で反魔術士運動の事務所になっている。一時は暴動じみた騒ぎもあったため窓ガラスが割れて道に散らばっているところもある。ゴミや捨てられた商品は道に積み上げられていた。行政サービスは半分
(確かに、変わったもんだな)
最後にこの街を後にした時、ここはキエサルヒマにも劣らない規模の、洗練された都市だった。
スウェーデンボリー魔術学校は原大陸における魔術士の権威の象徴だ。開拓時代、魔術士と開拓者が共存を目指した働きの成果だ。それが今、包囲されている。
マヨールとイシリーンがいるのは、暴動で壊されたアパートの屋上だった。誰かが貯水タンクを壊して水浸しになったせいで、今は無人だ。そこから魔術学校の様子をのぞいている。高い塀に囲まれた校内の様子は分からない。校舎も上階の窓はすべてカーテンが閉じられるか、そうでない窓も家具かなにかで塞がれていた。
外から見る魔術学校の造りは、いかにも要塞然としている──実際、外からの攻撃を想定して築かれたということはありそうだ。塀に囲まれた敷地はまず、かなり広く取られた外庭に囲まれている。庭のほとんどは人工林で、正門からの正面庭の他は堀のように水道も流れていたはずだ。この水道は上水道でも下水道でもなく、本当の水道設備は地下にあるとか。この情報というか噂話は、外をうろついている市民から聞いた。彼らがそんなことを調べているのは、もしかして毒でも流し込むつもりでいたからなのだろうか。
そこまで過激な人間は(いたとしても)多くはなかろうが、包囲する市民の数は日ごとに増えているようだった。市外の人間や玄人の運動員も参加しているので、中に革命闘士が紛れていても不思議はない。ということはヴァンパイア症の人間もいるだろう。
看板を抱いて叫ぶ人の群れを見ていても、その見分けはつかない。マヨールはため息をついて、イシリーンのほうに手を伸ばした。彼女が袋から殻豆をひとつ投げてくれたので、受け取る。
「こんなもの、よく食べてるな。ここの人たちは」
力を込めて殻に挑みながら、マヨールはうめいた。硬い殻を割るのに手間取るくせに中身の豆は痩せていて美味くもないし、スジが歯に挟まって始末も悪い。原大陸では袋入りで売られてよく出回っているようだが。
イシリーンは袋を抱えたまま肩を
「ソウルフードってやつなんでしょ。いかにも開拓者が食べそうだし」
「痩せた土地でも育つし、殻があるから動物にもあまり食べられないんだろうな」
「ぐずぐず言わないで食べときなさいよ。今日はこれしかないし、これだって闇市で買うのは大変だったんだから」
中身が半分ほど残った袋を、イシリーンがぱんと
「そりゃまあ、我慢はするさ」
子供扱いされるのも
ほんの数日で、そうも変わったわけだ──ラポワント市の食糧は高騰の気配を見せていた。本格的な戦闘の噂のためだ。実際にはまだ開拓地からの食糧の供給が止まったわけではないはずだが、将来が不安で曇れば品は出渋るようになる。闇市とイシリーンは言ったが、要は暴動で盗まれた食料品が多少割高に取引されているという程度で、まだ本格的にギャングが噛んできたりという状況ではない。だがこの状況が数週間変わらなかったり、あるいは悪化すれば、街の労働者階級はたちまちに飢えることになるだろう。そしてその不満は裕福者層と魔術士に向けられる。
あの日からだ。あの日から変わったのだが……
「どの日からかな」
もやもやと、マヨールはつぶやいた。
ちらと見やるとイシリーンが怪訝そうに眉を上げているので、言い直した。
「これの始まりが本当にどこからなのか、分かってるようで分かってないんだ。正直」
彼女は、なるほどというようにうなずいた。
が、だからといって答えをくれるわけでもなく殻豆を割り始めた。分かりゃしないんだからどうでもいい、ということか。
一理はある。
ラポワント市の状況が大きく変化したのは五日前のことだ。その時マヨールらはまだここにもどっていなかった。まだ市外で、あのヴァンパイアの拠点から脱出したばかりだった。心身ともに衰弱がひどく、はっきりと思い出せないことも多い。ただあの凄惨な現場から抜け出し、イザベラ教師に引きずられるようにして、レインフォール村までもどった。どうにか使えるベッドを探してそこに泊まった。
その頃、ラポワント市ではスウェーデンボリー魔術学校の前校長オーフェン・フィンランディが市議会に呼び出され、公開の場でこれまでの戦術騎士団の報告に隠蔽された部分があったことを証言した。この内容は、さらに前にキエサルヒマから突如来訪した革命支援組織リベレーターの暴露した情報を、ほぼ裏付けていた。
前校長の証言はそれにとどまらなかった。人間種族のヴァンパイア症についてそれが単なる人体の強大化では済まず、世界の構造を破壊するものであること、そして対抗する魔王術もまた同様の危険があることを述べた。戦術騎士団は魔王術を用いてヴァンパイア症に立ち向かうのを任務とし、公表されている以上の大勢のヴァンパイアを抹殺してきたこと、その任務に伴って極めて大々的な犯罪も犯してきたことを実例まで挙げて証言した。十数年にもわたるこの〝任務〟を、彼は自分の独断と断言した。
この証言を、もちろんマヨールは実際に聞いたわけではないが。
ラポワント市が怒りに沸いていたちょうどその時に、マヨールは帰ってきた。
アキュミレイション・ポイントの暴動は、これによってラポワント市にまで飛び火した。市街に騒ぎが起こり、スウェーデンボリー魔術学校は真っ先に標的となった。学校は先んじて門を閉ざして立てこもる準備を進めていたらしく、大きな被害はなかった。が、周りの商店がいくつか破壊された。
学校には生徒や教員だけではなく、生徒の縁者も避難しているようだ。ローグタウンは今では無人で、騎士団基地も消失したため戦術騎士団の拠点にもなっている。今のところ校内にまで乗り込んでいこうという者はいないが、革命闘士が参加してくれば話は違ってくるだろう。
これが現状だ。その発端は、前校長の証言とも言えるが……情報の公開を考えた彼を出し抜いて暴露したのはリベレーターの策だ。事前に魔術士や支配層の不審を増大させ、当人に裏付けさせた。タイミングが勝負のこの作戦は、昨日今日の思いつきでできることではない。恐らくリベレーターとその背後にいる者は、ずっと前からこれを謀っていたのだ。それはマヨールが前回この原大陸に来た、三年前のあの時がきっかけになっている可能性が高い。
そしてさらに言えば二十年以上前にキエサルヒマを
「そうか……そういえばそうだった」
ぱち、と弾けた殻と、中身まで落としてしまったが、マヨールは
「なに、どしたの」
問いかけてくるイシリーンに、マヨールはつぶやいた。
「二十三年だよ」
「だからなにが」
「校長がキエサルヒマから出て行ったのと、俺が生まれたのってほとんど同じなんだ」
「……だから?」
「俺が
「そんなの、わたしもそうよ」
なに言ってるんだか、と馬鹿にした様子で、イシリーンも言う。
屋上の手すりに背中を預けて、空を見るためあごを上げて彼女は続けた。
「ていうか正直、ここに来てまだ二十日くらいだっていうのが信じられないけど。それより前のこと、思い出せなくなってるかも」
「来てから濃いよな。いろいろと」
「まーね。まだまだ面倒がありそうだしね」
「そうだな」
はあ……と、マヨールは首を左右に振った。
「よし、もどろう」
「いいの?」
「学校のほうはまだしばらく大丈夫そうだし。こっちは夜になるまで休んで、行動だ」
「ふーん。同盟反逆罪ものの命令無視して、ヴァンパイアに襲われて、騎士団の壊滅を見て、開拓村に入り込んで牛小屋の片付けをして、革命闘士に
指折り数えながら言うイシリーンに、マヨールは苦笑した。
「ああ。その次だ。軍警察に囚われてる魔王に接触するぞ」