しかし、淑彦は真顔でうなずいた。

「服を脱ぐんだ。言うことを聞いてくれ!」

「じ……自分が何を言っているのか……ぶげっ!」

 分かっているのか? まで言うことは出来なかった。次の燃える岩の雨が発射され、やはり絢子は二発を喰らって地面に倒れたからだ。

「だから、服を脱ぐんだ。下着だって着けて居ちゃいけない」

 回復魔法を使いながらも淑彦が声をあげる。

「だ、だから、何を馬鹿なことを……」

 回復し、むっくりと起きあがった絢子がこうする。

 と、まともな、しかし、それだけに決定的にどうしようもない答えが返ってきた。

「忍者は着ているものを脱げば脱ぐほどかい力があがり、全裸では三倍になる!」

うそをつけぇ!」

 真顔の淑彦に絢子はさけぶ。

 しかし、淑彦はひるまない。

「効率が良いことを言っているだけだ。それならば、君のレベルならば回避に集中すれば、私がイフリートを倒せる!」

 淑彦=淑恵は、もちろん感情をはいして効率を重視する性格である。そして、この場合、自分が絢子からは男に見えているということを完全に失念している。彼女は絢子が服を脱がないのは、極度のずかしがりだから、程度にしか考えていない。そして、恥ずかしいから、という理由で敗北を選ぶのは、この場合、鹿鹿しいことだと考えている。だからこそ、淑彦が叫ぶ言葉は、絢子から見れば馬鹿馬鹿しいものになった。

「脱ぐんだ! 恥ずかしくない! 私しか見ていない! いや、恥ずかしければまずはちょっと脱ぐところからはじめるべきだ! そうすれば、自由が実感できる!」

「どこのヌーディスト村だ!」

 絢子は文句を言ったが、その次の瞬間、頭に岩を喰らっている。

「うがっ!」

「だから言ったのだ! あと一回しか回復は使えないぞ!」

「う……脱げば……脱げばいいんだろう! だが、向こうを向いていろ!」

 回復して立ち上がった絢子は、になって叫ぶ。

 しかし、その決意にもすい台詞せりふが返ってくる。

「向こうを向いていたら、イフリートに攻撃できない!」

「じゃあ、一枚だけだ!」

 文句を言いながらも、絢子は自らの服に手をけ、一気に脱ぎ去る。下はくさりかたびらだ。

「主に鎖帷子を脱がないと意味がないぞ!」

「だ、だから余計なことを言うなぁ!」

 しかし、毒をらわば皿までというか、一枚脱いでしまって勢いがついたか、絢子は鎖帷子も脱ぎ去る。今や上半身は胸にさらしを巻いただけの姿だ。

「こ、これでいいんだろうが……! って、あれ……?」

 絢子は戸惑った。文句を言いかけたものの、自らの身体の自由度が、ぐっと上がったことが実感できたからである。

「これは……!」

 三倍、とまではいかないが、次にってきた燃える岩は、集中していれば回避できるようになっていた。しかも、落下してくる速度までもゆっくりになったかのように見える。

「それでいい。だが、確実を期すために、全裸になったほうが……」

「くどい! これで十分にかわせているのだからいいのだ!」

 絢子は怒鳴る。

 それに淑彦は首を振った。

「だが、イフリートは死にかけると、全方位にさらに岩を降らせるぞ!」

 そして、すぐにその通りになった。

 イフリートの身体が小さくなる。が、小さくなったのは、燃える岩をさらに大量に身体からきだしたからだった。燃える岩が、空をくす密度で降ってくる。

「馬鹿ぁああああ!」

 泣きながら絢子はスカートに手をかけた。

 そして……。

 イフリートはしようめつした。

 しかし、そのかげには手で自らの全裸を隠しながらうずくまる絢子の努力があった。

「ううう……なんというくつじよく……」

 そこに淑彦が歩み寄り、服を渡す。

「済まなかった。恥ずかしいところをよくがんって……」

「馬鹿っ! もう少しデリカシーというものがないのか!」

 絢子は怒鳴り、服をひったくる。

 と、淑彦がその反応に驚いて、硬直する。

「す、すまなかった。どうにも人の感情のには明るくないんだ。その……許してくれないか? 少しゲーム的な効率を重視しすぎた」

 その淑彦の反応の大きさと、あまりになおな謝罪に絢子は戸惑い、すぐに諦めにも似た心境になる。

 ――おこっても仕方ない、か。彼はこういう人間なのだな。

「つ……次はもう少し相手の気持ちを考えろ」

 淑彦にあちらを向かせて絢子は服を着る。

「本当にすまなかった。そのせいだな、こんなことに学院を巻き込んでしまったのも」

 後ろを向きながら淑彦はまたこうかいを口にする。

「わかったから、あまりやむな」

 え終わった絢子が言うが、淑彦は首を振った。

「単なる自己反省だ。他人との直接のコミュニケーションが重要と考えていたからこその仮想異空間研究だったが、そういう本人が人の感情を理解できていないというのは悔やむべきだよ。いや、本当は理解できていないからこその仮想異空間研究だったというべきか。心底ではわかりあえる人を求めていたということだろう」

 淑彦は振り返り、絢子に笑いかけた。

「いずれ君に認められるような人間になろう。その時は、私を好きになってくれ」

「なっ……」

 絢子は顔を赤くして硬直した。

 ――い、今のは告白されたのか……ひょっとして……。

「……な、何を言っている?」

 戸惑う絢子を見て、淑彦は残念そうに首を振った。

「いや、まだまだだな、私は」

「そ、そんなことは……いや、待て、私は何を言っているんだ? そういうことじゃない。ただ、その……まぁ、なんだ」

 混乱した絢子がしどろもどろになる。

 しかし、淑彦は何も気にせずに先に立って歩きはじめた。

 これには絢子も拍子抜けする。

 ――こちらから「さっきの言葉はどういう意味か?」と聞くのも変だしなぁ……。いや、意識しているような場合じゃないんだが……。

 そんなことをごちゃごちゃと考えていると、淑彦が前方を指さした。火口に降りる道である。火口を満たしていたマグマの湖が、すっかりその黒いいわはだをさらしていた。

「イフリートが消えて、マグマが消失したんだ」

 淑彦は解説し、さらにその中央を見るように絢子に言った。

「剣が……」

 絢子は火口の中央にひとりの剣がさっているのに気づいた。

「行こう」

 淑彦が火口へと降りた。

 絢子も後に続くが、しばらく行ったところで、ふと足を止めた。

「ちょっと待て。気配が」

「気配?」

 淑彦が振り返る。絢子はうなずく。

「人の気配だ。後ろから来る生徒がいたか」

「それは助かる。剣を手に入れたなら、いよいよ魔王のところへ行くつもりだった……」

 そう声を上げた淑彦だったが、その言葉は最後まで発せられることはなかった。火口へ続く道の上に、そいつが姿を現したからである。

 最初に岩を踏む足音と、何かを引きずる音が重なって聞こえてきた。そして、その後に姿を現したのは、背の低い少女であった。

「誰だ……見覚えがない。クラスの者ではない」

 絢子が身構えた。

 と、背の低い少女も呼応するように身をかがめた。

 それにしてもアンバランスに見えた。体の造作がおかしいわけではない。不自然に見えたのは、身長が百二十センチほどしかないのに、背中に百八十センチ近い刀をっているせいだった。さらに、ポニーテールのようにわえたかみが、地面すれすれまでびている。それもどこかみような印象をかもし出しているのだった。

 しかし、顔も身体も、見かけには悪いところはない。むしろどちらもかんぺきすぎる。顔立ちは人形めいた美しさがある。体形も均整が取れており、手足は機械的でしゆんびんな動きを見せるであろうことが容易に想像できた。

「封印の地に足を踏み入れることは何人たりともまかりならん」

 少女がどこか幼い声をあげた。しかし、その口調は堂々とした古風なもので、そのあたりもアンバランスであった。

「封印の地? すると、あなたがここを守っているのか?」

 絢子が聞いた。と、やはり堂々とした声が返ってくる。

「いかにも。せつしや、長きに渡りこの地を守っておる者也」

「番人……イフリートは倒したはずだ。彼女が真の番人なのか?」

 絢子がり返り、淑彦に聞いた。

 淑彦が首を横に振る。

「このキャラクターはゲームにはいない」

「それは……確かなのか?」

 絢子の声にきんちようが混じる。ゲームにへんこうてんがあるかもしれない、とは聞いてはいたが、意志を持っているらしきキャラクターが現れるというのは、かなり異常な事態ではないのだろうか。

「待ってくれ、それにしても、言っていることもいかにもゲーム的だぞ。封印の地というのも合っている」

 その絢子の反応には、淑彦もなつとくせざるを得なかったが、やはり首を横に振る。

「それはそうだ。だが、ちがう。確かにこのキャラクターはゲームにはいない。危険だ」

「すると、こいつが例の不確定要素……?」

「そうなる……」

 淑彦は、緊張したおもちでつぶやいた。

 だが、その密談は背の低い少女には好評ではなかったようだ。

「拙者、秘密の相談を好まぬ! かくなる上は……」

 背の低い少女は、背中の刀に手をかけた。

 絢子は身構えたが、そのとき、背の低い少女の刀は決してけないことに気づいた。

 うでかたから上に伸ばせるはんは、当たり前だが腕の長さ以上にはない。そして刀身は彼女の身長すら超える長さなのである。

 案の定、背の低い少女の腕は、刀のつかにぎったまま限界まで上に伸ばされた。刀は背中のさやから刀身をわずかにのぞかせているが、もちろん鞘に収まったままだ。

「普通、わかるだろうに……」

 絢子はあきれたが、次の瞬間、その通り、背の低い少女とて〝普通わかる〟ことをわかっていたのだと思い知らされることになった。

「拙者けいすと申す。うらみはないが職務にて貴様らをる!」

 けいすと名乗った背の低い少女は、握った刀の柄を一度げると、反動をつけて再び抜いた。いや、抜いたというよりは、投げた。抜きさるや、柄から手を離し、鞘から刀身が滑るに任せ、刀そのものを空中に飛ばしたのである。

「ああっ!」

 絢子が見上げる空にしらが飛んだ。そして、それを追って、今や空の鞘を背負ったけいすが跳ぶ。見事に空中で刀をひっつかむと、長い髪をなびかせながら、身体を丸めて回転。けいすはの生えた危険な球体となって、空中から絢子を襲う。

「危ない!」

 淑彦がするりと絢子の前に回りこんだ。自らの剣を抜き、空中から凄まじい勢いで降ってくるけいすの刀を受け止める。

 重機械同士がぶつかったかのような金属音が響いた。けいすの凄まじい斬撃に淑彦は後方に飛ばされている。

「淑彦!」

 反射的に絢子は名を呼んでいた。

 が、淑彦は吹き飛ばされながらも身体のバランスはくずしていない。

「大丈夫。まだこの程度なら」

 淑彦は絢子に笑いかけた。

「……なっ! こんなときに格好をつけるやつがあるか!」

 絢子は怒鳴る。

「しかし、これはゲームの部分からは外れている。何が起こるかわからない。これは私がとらなくてはならない責任だ」

 淑彦はひるまない。

「わけのわからないことをごちゃごちゃと! 貴様ら、いい加減、拙者を鹿にするのはやめたらどうだ!」

 けいすはまたもまりのようにねて刀を振り回してくる。刀が相当の重さを持っているのか、けいすの身体が軽いのか、完全に刀に振り回されている形である。それでも、そのスタイルが身に付いているのか、いちげきいちげきは的確だ。そして、攻撃は単発ではあるものの、くるくると回転することで絶え間なく繰り出されている。

 火口の広い岩原を下がっていくのでなければ、淑彦は簡単に追いつめられていただろう。ただけいすの攻撃をしのぐことしかできていない。

「淑彦!」

 絢子がなんとかけいすのすきをつこうとするが、けいすの身体の周囲には、常に白刃がひらめいている状態だ。

「この地を守っているというが、何を守っている!」

 攻撃を受け止めながら淑彦が聞く。

 と、意外にも素直にけいすは答える。

「何を守っているかは秘密なのだが、守るものと言ったら秘密に決まっている!」

 素直に答えたのはいいが、けいすはあまり頭が良くないのかもしれない。

「あの剣を守っているのか?」

「それは違う! 魔王がせいはいを手に入れないように守っている! ……あれ? 拙者、何か秘密を言ってしまったような……」

 けいすは首をひねった。

「待て、それなら、我々もそちらのじやをしようとしているわけではない……!」

 淑彦は言ったが、けいすは攻撃を止めることはなかった。

「だとしても任務は任務。負けるまで、拙者は攻撃を止めるわけにはいかん!」

「負けたら攻撃を止めるのか?」

「武士に二言はない! というか、負けたら死ぬ! 決まっておるじゃないか」

「そういうことなら……」

 淑彦は剣を前に突き出し、ぴたりと動きを止めた。

「隙あり!」

 けいすがその瞬間をのがさずち込んでくる。

「淑彦!」

 それを見て絢子が叫んだ。けいすの刀は確実に淑彦の首をはね跳ばすどうえがいていた。

 がらなけいすの身体が、硬直している淑彦の横をばやとおり抜ける。刀は確実に首を横なぎにしていた。

「ひ!」

 短い悲鳴を絢子はあげた。元々、淑彦にはけんじゆつの心得がないであろうことはわかっていた。この仮想異空間では絢子よりも強かったが、ゲームだからであろう。そのルールを熟知しているからこそ、戦えていたはずだ。それがゲーム外の存在との剣術比べとなれば、かなわないのは当然だった。けいすは現実世界では自分でも手こずるであろうれだ。

 そして、淑彦の身体は完全に硬直したまま、その姿を消そうとしていた。ゲーム的な意味での死であれば、ちりになるだけだ。だが、その消え方は映像がぶれるような、今まで見たことがないものだった。淑彦はちようぞうのようにうごかず、ただその周囲のみが、映像にモザイクがかかったかのようにぶれている。

「まさか、本当に……」

 死んでしまったのか、との言葉が口から出てこない。言いたくはなかったからだ。

 しかし、完全にけいすは勝利を確信しているようだった。

「戦いに死すは武士のほまれ。悲しむことはなかろう」

 けいすは絢子に顔を向け、刀を構えた。

 絢子としても感傷にひたっているひまはない。淑彦は剣を突き出した格好のまま、その姿を消そうとしていた。生死を確認するよりも、自分が生き残る方が先だ。

「いざ!」

 けいすが刀を振り回す予備動作に入った。大刀を振り上げる。

 が……。

 ひょい、とけいすの身体が宙に浮いた。ジャンプしたわけではない。刀にぶら下がるような形でいるからだ。

「な、何をするか! いや、何者だ!」

 けいすは刀の柄にぶら下がりながらじたばたと暴れる。そして、振り返り、顔を確認してきようがくの声をあげた。

「どうして!」

「ああ!」

 絢子も驚きの声をあげた。

 刀ををした手ではさんで、けいすをぶら下げているのは、淑彦であった。消えかかっている映像の淑彦もそのままの姿でややはなれた位置にいるというのに。

「普通では絶対に勝てないから、映像のバグを利用させてもらったのさ」

 淑彦は言った。

「ばぐとは何か! ばぐなどあるはずがない! ええい、拙者は……!」

 けいすはじたばたと暴れていたが、淑彦が刀を振り回すと、柄を握っていた手が滑ったらしく、けいすは、ぽーん、と飛んでいく。

「あーれー!」

 けいすは地面に落ちて、ごろごろと転がった。

「バグ?」

 絢子は淑彦に駆けり、まだ剣を突き出した格好のまま硬直している映像の方の淑彦を指さした。

 淑彦はうなずいた。

「特定の行動で、固まった映像が残る。しばらくしたら、少し離れた別の場所から出てくるけど、固まった映像は少しの間だけ残るんだ」

「馬鹿が……おどかすんじゃない」

 絢子はねた声を出した。

 と、そこに大きな声が響いてきた。

「拙者の負けだ! 腹を切るからよく見ておけ!」

 けいすが正座して、着物の前を、がば、と開けていた。

「お、おい、ちょっと待て! 早まるな!」

 絢子が止めるが、けいすはごうじようだった。

「止めるな! これが武士の死に様……」

 けいすは右手を振り上げ、左手を腹にえた。

 そして……。

「……すまぬ、刀を貸してくださらんか?」

「いや、普通、貸さないだろ」

 絢子はあきれた。

「拙者、大刀主義にて、組み討ちもせず、わきしをもっていない。そこをなんとか」

 けいすが絢子に頭を下げた。

「最近は、そういう武士道はっていないぞ」

「いや、拙者、古風にて」

「古風なら自決用の脇差しを持っていてくれ」

「自決はしたことがないので、勝手が分からん」

「自決だけは誰でもはじめてなんだよ! どこが古風だ!」

「じゃあ古風じゃなくてもよい」

 けいすは言った。すでに会話がぐだぐだになりはじめているのは、どちらかといえば、けいすの性格のせいであるのは明白だった。見かねたのか、それとも多少ずれているのか、淑彦が助け船を出した。

「それなら、私が命を預かろう。協力してくれ」

「協力?」

 けいすが立ち上がる。

「いや、君が何者か教えてくれればいい」

 淑彦が言うと、けいすは腕を組んだ。

「それだけでよいのか?」

「そうだ」

「名は名乗った。けいす。魔王が聖杯を手に入れないようにふういんしている」

「それはわかった。どこから来たんだ?」

「ここにいるために生まれた。それしかわからぬ」

 けいすはそう言った。自分でもわかっていないことがあるらしい。

「しかし、魔王というのは、紗伊阿九斗のことだ。いや、ゲームとしての魔王ということなら、やはり聖杯をかれが手に入れたらまずいということなのか?」

 絢子は淑彦に聞いた。

 淑彦も首をひねる。

「いや、わからない。しかし、その聖杯というのもゲームには最初はない要素だった。つまり、彼がそれを手に入れると危険……そんなことなのかもしれない」

 淑彦はそう言って、絢子と顔を見合わせた。

「何をごちゃごちゃ言っておる。魔王の力を封印したのが聖杯ではないか。魔王は倒せない。だから封印したのだ」

 けいすが言う。

「これは……ストーリーが変わっている……いや、まさか現実の話なのか?」

 絢子はおもわずつぶやいた。そして、淑彦に向かって緊張した顔を向けた。

「あなたは知らないかもしれないが、私たちは魔王をめぐるトラブルにずいぶん巻き込まれてきた。もし、これが現実の魔王の話なら、ゲームどころでない大きないんぼうに直面しているような気がするんだが……」

 それを聞いた淑彦も顔色を変えた。

「それなら……どうしたらいいんだろう?」

「ともかく、その聖杯とかの話を阿九斗に伝えないと……。多分、彼女もいつしよに来てもらった方がいい」

 絢子はけいすを見ながら言った。

 淑彦はうなずいた。

「……君、ついてきてくれるか?」

 淑彦がうばった刀をけいすに差し出すと、彼女はその前にかしずいて刀を受け取った。

「命預けまする」

「すまないね。私もなんだかわかっていないんだよ……。でも、どうやら何かをしなくちゃいけないってことはわかる。こんな気持ちになったのははじめてだからこわいけれど……。彼に会いに行こう。そして、一緒に現実に戻って、本当の戦いにいどまなくちゃいけない」

 淑彦は言った。

 その口調がこれまでの気取ったものでないことに、絢子は淑彦のがおを見たように感じた。彼も正体は当然ながら戦いに慣れていない人物なのだろう。

「私も手伝うよ。心配しないでいい」

 絢子は淑彦に笑いかけた。

 淑彦も微笑ほほえむ。そして、けいすを連れて火口の中央に向かって歩き出した。

 そこに剣があった。

 魔王を倒せるという剣は、台座の上に突き刺さっていた。

 両手持ちの剣で、だいじりには宝石が埋め込まれ、柄には美女のそうしよくが刻まれている。ゲームでなければ、とても実用的ではない剣だ。

「これが『イビルスレイヤー』。設定上、最強の剣だ」

 淑彦は、その柄を両手で握って力を込めた。剣は、ずるり、と抜けた。

「おお」

 絢子は思わず声を上げていた。というのも、その剣を抜いた瞬間、地面がぐらぐらとれはじめたからだ。

「こんな演出はないぞ……」

 剣を握った淑彦が言い、絢子を振り返った。

「それじゃあ、また何かが……」

「魔王が動きはじめたのでしょう」

 けいすが言った。

「え?」

 絢子が意外に思って声を上げる。阿九斗はすでにこのゲーム世界では目覚めていると言ってもいいはずだ。

 しかし、けいすはこう説明した。

「魔王は二段階で封印されております。この世界の様相が変わってしまったので、どこにいるのかはわかりませんが、少なくとも魔王そのものを封じ、そしてその力を聖杯にふうじました。拙者にも魔王の所在はわかりませぬが、ただわかるのは、今、魔王が目覚めたということ」

「それはどういう……。魔王が二人いることになってしまう」

 淑彦が言いかけたとき、大地の揺れがさらにひどくなった。

 火口の黒い岩肌が割れる。百メートルほどのが剣の刺さっていた台座から向こう側に向かって伸びていく。

げよう!」

 淑彦が元来た道を指さした。

 三人は道に向けて駆け出す。

 そうしている間にも、裂け目は反対側に向かって伸びている。そして、裂け目の周囲の岩が、下へと崩れはじめた。

 ごうおんとともに、きよだいな穴が火口に出現する。

ふんでもするというのか?」

 絢子が疑問を口にする。道を上りきり、火口を回る道にとうたつして振り返ると、そこにおどろくべき光景が出現していた。

「ああっ!」

「なんであろうか。拙者、あれは見たことがない!」

 淑彦とけいすも声をあげた。

 裂け目は、すでに巨大な穴とも呼べるものになっていた。直径数百メートルの穴の中は、真のやみのようだ。その闇の中から、何か巨大なものがゆっくりと姿を現してきていた。

 空気の圧力すら変わったように感じられた。その巨大なものが空をおおうように姿を現したからだ。

 それは、巨大なたこに見えた。ねんまく状のを持ち、そのしよくわんふくろじようどうたいを空へと持ち上げている。しかも、触腕以外にそくじゆうの身体をも持っているようだった。そのいわば獅子と蛸のゆうごうしたかいぶつが、身体を揺らして立ち上がりながら、空へと咆哮を吹き上げる。

「どういうことだ……?」

 淑彦はそれ以降、言葉を失って立ち尽くした。

 そして、その怪物は、移動しはじめた。火口をよじ登り、その向こう側へとえると、ジャングルからその半身をのぞかせつつ、北へと向かう。

 北は魔王の城がある方角である。

「あれがけいすの言っている魔王……? 聖杯を探しているのか……?」

 絢子はきようとともにつぶやいた。


     ○


 リリィは送られてくる情報に目を配りつつ、マナスクリーンに表示される地図へと走っていた。ひぃひぃ言いながらヒロシも続く。

「その先に2Vがいるんすか?」

「そう信じないとあしだろうが! まぁだれが居てもぶんなぐるには変わりないがな!」

 リリィはすでに興奮している。

 地図の先は、雑然とした地区の古びたマンションを示している。それほど所得の高くない者が住んでいる地区であり、必然的にそこの住人は長期居住を行わず、他者への関心は低い。かくれるには適した場所だと言える。

 現場にとうちやくしたが、それでもまだリリィには冷静さも残っていた。そのマンションの周囲をぐるりと回り、出入り口がふたつしかないことを確かめると、ヒロシに片方から入って、二階で待機するよう指示した。

「誰か来たらまずは話しかけて止めろ。逃げたなら、追え。戦わないでいい。まとわりつけばいいんだ」

 リリィはそうヒロシに念を押してから、自分は反対側からマンションへ入った。目標は二階である。

 ところどころ破損の目立つかべに手を滑らせながら階段を登る。エレベーターは最上階を押してそちらに向かわせておいた。すぐにとつにゆうすれば、とうぼうにエレベーターは使えない。

「すぐに突入すれば……だ」

 自分で忘れぬようにそうつぶやき、リリィは目的のとびらに到達すると、そくにそのこぶしを全力で打ち付けた。

 ドン!

 凄まじい音とともに扉がへこみ、ちようつがいが外れる。わないつさい気にせず、リリィは扉をやぶった。たわんだ金属がゆかに叩きつけられ、不快な音が周囲にひびく。扉をみ、リリィは中に踏み込んだ。

 そこは、人形だらけの部屋だった。その他に調度品は何もない。

 部屋の中央にころんでいた少女が身体を起こした。

 せた身体にみすぼらしい服。長い髪はばさつき、ほおはこけている。

 その少女の外見が、リリィに即座に拳を打つのをためらわせた。

 そして、そのいつしゆんが命取りだった。2Vはそこまで予期していたのかも知れなかった。

ひとじちがいるんだ」

 少女がかすれた声を出した。久しぶりに他人に肉声を発した者だけがもつ不自然なよくようがそこにはあった。

 少女――2Vは、顔の横に表示したマナスクリーンに映像を映し出していた。

「あのゲームか」

 リリィは身構えた。そして、人質、と2Vが言った意味をさとった。

「そうだ。中の人間を消去することもできる」

 2Vが言った。

 その口調はまさに2Vのもので、リリィは改めて自分の判断のあまさをのろった。

「人形遊びは女の子のものだってわかっておくべきだった。今ならそう言えるが……。そんな不健康でしょぼくれた女だとはね」

「身体については言うべきじゃないね。習わなかったか? 相手の外見を馬鹿にするなってさ。ともかく、生徒たちを消されたくないなら、大人しくしていることさ」

 2Vが早口で言った。

 かのじよが自らの身をさらすことに慣れていないのはリリィにはすぐにわかった。

「悪口を言われた程度で生徒をぎやくさつするような小さい女じゃないと信じたいね。けっ、だがどっちにせよてめぇは終わりさ。人質をとろうが何だろうが、待ってりゃうちの生徒たちはあっちから抜け出てくるだろうさ。しよせんはゲームなんだ。それに、殺せばてめぇもその瞬間にぶっ殺してやるよ」

 リリィはいかりをおさえつつ言った。これもある程度ゆうがあるからできたことだ。

 しかし、そう思って2Vを見ると、彼女は生身をさらしているにもかかわらず、2Vの側にもまだある程度の余裕があるように思えた。

 ――まさか、まだ手があるのか?

 リリィはさぐるような目を向けた。と、それに2Vも気づいたらしい。

「それなら、仲良くここで待っていようじゃないか。それでいいんじゃないか? おたがいにそれでいいなら、さ」

 2Vは軽口を叩く。

「てめぇ……わざわざ場所を特定される危険をおかしてまでハッキングしたのはどういう理由だ? そいつがてめぇの切り札ってことか?」

「さてね。とはいえ、何を追ってたかってことは調べたらバレちまうな。手間を避けるためにそいつだけは教えてやろうじゃないか。計画に使用した仮想異空間……。そこに最初からあったものが何か、ってことさ」

 2Vの言葉に、リリィはしようげきを受ける。

「最初から仮想異空間の中にあったもの、だと?」

「そういうことさ」

 2Vが不健康ににやりと笑う。

「そいつは何だ! メギス神の仮想異空間だぞ? とりかご計画を立てた奴らの中には、メギス神の神職にある者だっているんだ。そいつらもそれを知っていたってのか?」

 リリィはばやに言うが、2Vはそれを制して手を振った。

「神職の連中は知らなかったさ。ずいぶん昔の話だからね。いや、むしろそいつを忘れるために、資料は深い階層にしずめられた。そして、放置されたんだ」

「で……結局、何が中にいるんだ?」

 リリィが聞くと、2Vはくすくす笑う。

「ふふ……もったいぶることは無かったな。そいつは、一番最初の魔王だ」

「なん……だと……」

 リリィは息をのんだ。

「そんなものが存在したのか? じようだんじゃない、そんな危険なもの……!」

「だからこそ、仮想異空間に押し込んだ。昔も今も考えることは同じだな。そして、私はそいつを目覚めさせてもらった。今、その初代魔王はゲーム内の怪物として姿を現した。こちらでプログラムを改変して、そういうことにさせてもらった」

「あのハッキングはそのためか!」

「中にはゲームのルールから少し外れた化け物がいることになる。そいつに殺されたら、仮想異空間から出てくるわけじゃなく、ホントに死ぬんじゃあないかな」

 2Vは笑った。

「ちぃ! なんてことを!」

 リリィはあわてて自らのマナスクリーンを開いた。そして、ゲームのけいばんを開く。ゲーム内からもその文字列は見えているはずだ。

「中への通信手段は封じさせてもらった。ゲームの掲示板はもう使えない」

「中の奴らでなんとかしろってことか……」

 リリィは苦々しくくちびるむ。

「あちらの時間であと数日のうちに決着がつくだろうさ。こちらでは、あと一時間もあるまい。このまま待とうじゃないか。ここならゲーム内の映像も見られる。さて、最後にどちらが勝っているか……お楽しみだ」

 2Vはにやりとした。