2 ゲームの世界に行こう



「あーちゃん。ファンタジーっていいよねぇ」

 いきなりそう言ったのは、けーなである。

 何のみやくらくもない一言であった。なぜなら、ここは早朝のの自室だからである。けーなはいつの間にやらせんにゆうし、しゃもじでおひつから白米をすくっては口に運んでいた。

「何を言っているのかよくわからないんだけど」

 ベッドに半身を起こした阿九斗は、勝手に人の部屋に入り込んでごはんを食べている赤毛の少女という異常事態にはまどわず、あくまで言葉に対しての疑問を返した。潜入して米を食べられることには慣れているのである。

「ファンタジーだよ。あーちゃん。けんほうだよ」

 もっしゃもっしゃと米を食べながら断言するけーなである。

ぼくらはいつもやっているよね?」

 阿九斗は首をひねった。

 しかし、けーなはしゃもじを立てて左右にった。

「ちちち。そうじゃないのですよ、あーちゃん。ファンタジーは異世界からやってきた勇者と、とらわれのおひめさまなのですよ」

「まぁ、それは現実にはいないか」

 阿九斗はどこかかんを覚えつつもそう言ったが、そのとき、それを否定する声が上からってきた。

「自分たちのとくしゆせいをいろいろとにんしきしていない言葉ですね」

 よいしょ、と高い位置にあるだなから降りてきたのは、人造人間のころねである。阿九斗のかんをするという任務を政府より受けて共に生活しているのだが、最近はどうにも阿九斗を放置気味だ。

「それはそうなんだけどね。大方、また昔の本でも読んだんだろう」

 阿九斗が言うと、けーなは首を横に振った。

「違うのですよ。おもしろいゲームがあってね」

 最近はよくゲームの話を聞く、と阿九斗は思う。

 ――そういえば、あの子の連絡先は聞いていなかったな。ゲームでもやってみれば見つかるかもしれない。

「どんなゲームがあるんだい? 興味はあるんだけど、僕はまだやったことがなくて」

「やってみたのはこれだよ」

 けーなはマナスクリーンにゲームを表示した。制作者はよしひこ、という人物らしい。

「ほら、これ、お米みたいに面白いんだよ」

 けーなは言って、少し操作してみせた。この時代のゲームは、映像は立体だが、ストーリーや内容自体は大昔から進化していない。人間が楽しいと思う要素がそうそう変化するわけではないというわけだった。

「お米みたいに面白いってのがなんだかわからないんだけど……。めば噛むほど面白いって意味?」

「やだなぁ。お米は面白いよ?」

「……い、いや、ともかく、どんなゲーム?」

 阿九斗がマナスクリーンをのぞき込む。ファンタジー世界でぼうけんするオンラインRPGだが、とくしゆなのは軍勢を指揮して戦争ができること。プレイヤー以外にも多数の軍人を用意して、成長に合わせて軍勢を増やせるのがとくちようだ。

「戦争物っぽいけど?」

「うん。だけど、別に指揮官になる必要とかないの。さらわれたお姫様になって、さらわれているだけで、軍隊が助けにきてくれるから」

「さらわれているだけで、って表現がすごいけど、まぁゲームだからか……。ん? それって、自分がさらわれたせいで勝手に戦争が起こるってこと?」

「そうだよ」

「そういうのが面白さなのか」

 なんとなくなつとくはした阿九斗である。

「朝からゲームの話をしにくるというのもすごいですね」

 ころねが言うと、思い出したようにけーなが手をたたいた。

「そうだ! 実は、生徒会長さんが、今日は朝早くからいないんだって。だから、あーちゃんが仕事するようにって言いに来たんだよ」

「三役の人たちがいるんじゃない?」

「それが、三役さんたちも、全員。それどころか、ヒロシくんまでかりだされているんだよ。なんか昨日の夜のうちに呼び出されてた」

「そういうことならしょうがないな。何があったのか知らないけど」

 阿九斗は立ち上がり、えるから外に出ていてくれ、と言おうとして、ふと、あることに気づいた。

「でも、なんで君がそれを伝えに来たの?」

「ゲームでてつしていたから。朝早く出て行こうとした会長さんにぐうぜん会って」

「……そう。寝なくてだいじようなの?」

「うん。ご飯食べたら少しくらい寝なくても大丈夫なんだよ。それに、ねむくなったら授業に出なければいいだけだし」

「相変わらずずいぶん自由だね……」

 それからけーなを外に出し、阿九斗はの上をぐ。

 と、いきなり背後から声をかけられた。

「こんな風に性的にゆうわくされるとは思ってもみませんでした」

「うわ!」

 振りかえるところねがすぐ後ろに立っていた。

「そ、そういえば君に出て行ってもらうのを忘れていた」

「もはやいつしよにいることが自然な、まさにふうのような関係と言えますね」

「なにを下らないことを……。それにいつも着替えの時は自分から出ていってくれてるじゃないか」

「それがですね、先程の話で気になることが」

 普段ならからかう以外のかんしようをしてこないころねがそのようなことを言うのはめずらしい。阿九斗はしんけんな顔になった。

「気になること?」

「はい。職務上、いたばさみに合っているという言い方をしたいと思いますが、たんてきに言うと、あなたはとある計画によりねらわれています。しかし、ここでその計画の内容をばくしたり、それをすることは禁じられています」

「そりゃあ……やつかいだね」

 阿九斗は事態の深刻さをさとった。ころねは人造人間であり、政府の命令で動いている。そして、政府の中にも阿九斗を手っ取り早く始末しようとする急進派と、推移を見守ろうというおんけんがいるのである。細かい部分では命令がい違うことも多いはずだ。

「はい。ですから、気をつけてください。こちらでも、出来る限りのことはしますので」

「ありがとう。なるほど、それが会長が動き出した理由ってわけか」

 阿九斗はそう言って寝間着の下を脱ごうとし、ころねがじっと見ていることに気づいた。

「……つい脱ごうとしてしまったよ。少しの間、出ていてくれないか?」

「いえ、あなたのそばをひとときもはなれるわけには」

 ころねは真顔で言った。

 しかし、阿九斗もさすがに長い付き合いなので、これがじようだんだとよくわかっていた。

「だから、やめようよそういう冗談は……」


     ○


 一方、早朝から行動を開始していたリリィは、帝都大学の科学研究棟近くの路上であんパンと牛乳を手に、けいのごとく張り込んでいた。監視しているのは、昨日、めた部屋である。

 今、その部屋には明かりがいていた。まだ早朝でうすぐらい中、その窓だけが明るく光っている。

「人のいない今のうちになぐり込みたいんだが……」

 リリィはつぶやいた。

「え? 事前に許可とってるんすよね? 今、殴り込みって……」

 疑問をていしたのは、ごういんに連れてこられたヒロシである。リリィの横に立ち、朝食のクリームパンをかじっていたのだが、おどろきに目を見開く。

「許可を取っていたら隠れて見張りなどするか。最初から殴り込むつもりだ。三役が周辺の調査をしている。周囲のじようきようかくにんできれば、すぐに行くぞ」

「い、行くって……?」

「もちろん、強引に中に入って、中に居る奴をぶん殴ってから話を聞く。そういうことだ」

 リリィの言葉に、さすがにヒロシもあわてた。

「ちょ、じゃあ、なんであっしを連れてきたんすか!」

「そうか。それを話していなかったな」

 今気づいた、という顔でリリィはうなずいた。

「実は、あの大和やまとぼういちろうの手下どもが、とある計画を練っているとつかんだんだ」

「え、あの大和望一郎の……」

 ヒロシは言葉にまった。

 以前、ヒロシが使っていた対おう戦用のスーツは、様々なきよくせつはあったものの、大和望一郎がヒロシに与えたものだ。

「だから、キミを呼んだ。戦力と言うよりは、キミが何か知っている、あるいは向こうがキミに何かふくむことがある、という可能性を考えてのことだ」

「え? あっしは何も知らないっすよ?」

「それも知っている。何かのきっかけで思い出すことがあるかもしれない、程度の意味だよ。そして、キミが期せずして彼らにとって重要な存在であった場合、ひとじちとしても使えるわけだしね」

 リリィの声に冗談めかしたところがじんもなかったので、ヒロシは顔を青くした。

「ちょ、ちょっと、それ、冗談っすよね?」

「まさか。2Vツー・ブイをぶち殺すためには、少々のせいくらいは……」

 完全に目がわっているリリィである。

「い、いや、それってただのえんっすよね? ……そ、そうだ、計画ってのはいったいなんなんすか? それを阻止するために来たんじゃないんすか?」

「私怨で何が悪い。計画阻止など考えてもいないぞ」

「え……?」

「計画というのは、仮想異空間に阿九斗を封じ込めようというものだ。おそらく、そのままにして外界へのえいきようりよくを無くすか、内部で殺すためのものだろう」

「そ、それを阻止しないんですか?」

「知ったことか。彼の個人的な問題だ。多数の生徒が安全ならボクにとっては何も問題はないんだよ」

 リリィがそう言い切ったとき、念話が入った。ひかえていた三役からのものだ。

《会長、後ろはさえましたでありんすよ。今ならだれもここから出られませんえ》

「よし。ボクがとつにゆうするタイミングはこちらから伝える」

 リリィはそう答えてから、あんパンと牛乳のパックを投げ捨てた。そして、ヒロシの手を引き、歩きはじめる。

「ちょ、ちょっと、会長、心の準備が……」

「待っていられるか。とっとと行かないと人が集まってきてえらいことになる」

 リリィはヒロシの手を引きずり、しきないに入った。

 帝都大学はいつぱんにも開放されている。各研究室への外部からの訪問があるからだ。そんなわけで、リリィは目的のドアの前にはすんなりと立てた。

 ていこうや罠のたぐいは、少なくともここまではなかった。それでもけいかいしつつリリィはドアノブに手をけ、ヒロシに目配せをした。

 ヒロシとしては、何か反応を期待されているのかと思ったが、その返答を待たずにリリィがとびらり開けたので、ぎょっとした。

「な、なんすか会長!」

 しかし、その言葉にはリリィは答えなかった。蹴り破るや、すぐに室内に突入していたからである。それはとても大学の研究室に入るときの動きではなかった。テロリストの隠れに突入するときの特殊部隊か、敵対組織にしゆうげきをかける暴力団員のそれだ。

 リリィは室内に姿勢を低くして転がり込むと、うでを前に構えて室内を見回した。腕を自在にばす術を得意とするかのじよは、そのこぶしけんじゆうだんのごとくにち出すことが可能だ。視界に人をとらえることができれば、次のしゆんかんにはそいつをばしていることだろう。ただし、目標がいれば、だ。

「なんだと……!」

 リリィは予想外のことに顔をこわばらせる。

 室内は、明かりが点いているにもかかわらず、誰もいなかった。

 隠れる場所があるわけではない。しよるいだなや実験機材で雑然としてはいるものの、人が一人立っているのですらせまくるしく感じられる空間である。

げられた? まさか?」

 リリィは念話で三役に確認を入れる。と、三役からのきょとんとした声が返ってくる。

《は? 何も起きていないでありんすよ?》

《うが》

よしの方も動いていないぎゃ》

「よく調べろ! だまされているかもしれん!」

 リリィがった瞬間、研究室のデスクで、ちかっ、といちじようの光がかがやいた。

 身構えるリリィだが、それはマナスクリーンの光だった。どうということはない顔立ちの男――つまり2V――の顔が映しされる。

「貴様!」

 リリィはえるが、その映像は通信ではなかったらしい。仕込まれていたメッセージが流れはじめる。

《いや、ご苦労、ご苦労、おちびちゃん。残念だが、いろいろこちらにはわかっていたんで、先手を打たせてもらったってわけ。こちらはもう動いているよ。一歩おそかったね。ま、次にうときを楽しみにしているってことで。あ、でも次はないかな。なにしろ、この部屋は自動的にしようめつ……》

 2Vの言葉が終わらぬ前に、リリィは後方に向かってぶ。そして、驚いてくしているヒロシを腕を伸ばしてきかかえると、部屋の外へ転がり出た。

《すると面白いと思ったんだけど、めいわくがかかるからね。それじゃあ、おつかさま

 からかうような2Vの声がひびいた。

「こ、こんドちくしようがぁあああ!」

 リリィはぜつきようし、抱きかかえたヒロシの頭をぼかぼかと殴りつけはじめた。

「ひぃいい! やめて! 会長! 落ち着いてくださいっす!」


     ○


「こんなやり方で大丈夫なの? なんかおかしくない?」

 淑恵は聞いた。

「いや。まぁ、うまく行っているよ」

 2Vは答えた。

 淑恵も2Vも、準備が終わりだい、すぐに行動を開始している。仮想異空間をせいぎよする装置の調整が完成するや、転送によって学院近くにせんぷくしていたのだ。

 リリィの予想以上の速度でプログラミングをかんりようした淑恵の能力と、とうぼうに転送を利用した作戦の勝利である。転送にはかなりの費用がかかる。使用するにはそれなりの理由が必要とされるのだ。

「向こうがこちらの本気度を見誤ったってことさ。こっそり動いていても政府プロジェクトには違いないってことさね」

「そういうバックアップがあって好きな研究ができるというのはありがたく思うべきなんだろうけどねぇ。でも、どうしてわざわざ学校まで来なくちゃいけなかったわけ? 仮想異空間の制御実験なんでしょ?」

「はは。そういえば、説明していなかったね」

 2Vは笑い声をあげる。そして、『コンスタン魔術学院』の校庭を指さす。今、校庭では朝礼が行われている。淑恵と2Vがいるのは、以前、ここで大規模なせんとうが行われた際、2Vたちがテントを張った場所だ。

「彼をふうじるのさ」

 2Vが指さしたのは、校庭全体でなく、演台の上に立っているただ一人の少年の姿であった。それを改めて確認した淑恵が驚きに目を見開く。

「彼を? 彼とはこの間、会話をしたばっかりだよ?」

「会話をした? 知らないのかい? 彼がおうなんだ」

 こともなげに2Vは言う。

「ふぉおお! 驚いた。そうなんだ。ん? 彼を封じ込める?」

 ぴくり、と淑恵がまゆを上げた。

「そうさ。仮想異空間に封じれば、彼もつうの人間と同じ力になる。彼を周囲への実害なく殺そうと思っている人間は多くてね」

 2Vはにやりとした。

「こ、殺す?」

 ろうばいする淑恵を見て、2Vは笑いをかみ殺した顔で続ける。

「そういうことさ。政府プロジェクトなのはそういうわけでね。騙したみたいになって申し訳ないが、君も犯罪者になったりはしないから、安心して続けておくれよ。一度くらいは殺人の片棒をかついでみるってのも人間やってみるべきさ」

 淑恵はショックに顔を手でおおった。

「そ……そういう考え、納得できないなぁ。ねぇ、考え直すってわけには……」

「そうもいかない。おどすわけじゃないけど、やらなきゃやらないで、あんたがおたずものさ。ははは。いいじゃないか。やらなきゃ罪になる。やっても罪にならない。どう考えたってせんたくはないね」

 こらえきれずに2Vは笑う。

 淑恵はくちびるを噛んだ。

 ――どうしよう……。いや、まだ方法はあるかも……。これなら、一発逆転できるかもしんない。冷静になろう、冷静に……。

「わ、わかったよ。いやだけど、そうも言ってられないね。そのように機材を調整すればいいわけね」

「そういうことだ。まぁ、ご協力ありがたいことさね」

 2Vはほこった笑いをらした。

かれを通常の人間として封じる。それが命令なわけね」

「その通り。下手なことはしないことだ」

「そりゃ、ちやはできないってか、しようがないよねぇ。わかってますって」

 淑恵は持ち込まれた仮想異空間制御装置にかがみ込んだ。

 装置は五十センチ四方ほどの立方体で、キーボードとモニターのついた制御装置が側面にめ込まれている。それを淑恵は操作しはじめる。

「一度でも会話した相手を殺すのの片棒を担ぐってのはどんな気持ちだい?」

 2Vは意地悪く聞く。

 さすがに淑恵はけん感を顔に出さずにはいられなかったが、これには冷静に答えた。

「彼には共感するところがあったからつらいよ。でも、彼もある程度はわかってくれると信じるなぁ」

「ふぅん。なるほど。何をわかってくれるかはさっぱりだが。そうとでも思わないとやってらんないってことか。まぁいいさ。気持ちをしてもいつしようけんめいに働くのが一番さ」

「それは同感だねぇ。でも、結局の所、人はしたいことしかできないようになっているんじゃないかな。ちょっとしか話していないけど、彼とはわかりあってるんじゃないかって気がする。だから、彼のしたいこともなんとなくわかるんだ。つまりさぁ、彼なら何とか乗り切っちゃいそうな気がするんだよ。チャンスさえあれば」

「チャンス? 何を言っている?」

「ふふん。こういうことなのだよ」

 淑恵はきわめて冷静に、しかし情熱を持って宣言し、2Vの指示も何もなく、自らの意志で装置を起動した。

「な、何を!」

 2Vが珍しく狼狽した。淑恵が何を考えているのか、この策略にけた2Vでもけなかったということらしい。

「何をって? 装置を起動したんだよ。これから周囲の人々と物品を仮想異空間へ転送しちゃうんだ。言っておくけど、あんたの言った指示そのものは守ったよ」

 淑恵は言った。仮想異空間制御装置は作動しており、低いうなりをあげている。

「周囲の人々と物品だと!」

 2Vはその異常な言葉に驚き、淑恵をらえるべく手を伸ばす。

「もう遅い」

 淑恵はつぶやいた。

 2Vの伸ばした手は淑恵を捕らえることはできなかった。すでに2Vの視界もゆがんでいた。周囲の空間そのものがひかり輝き、空間そのものが下へとしずみ込んでいく。

「学院全体と、私、そしてこの制御装置そのものをメギス神の展開した仮想異空間に転送する」

「装置そのものを……! 鹿な! 何が起こるかわからないぞ!」

「確かに、装置は外部に置かれてこそ装置。だけど、内部に持ち込まなければ、あなたに操作されてしまうでしょ? それにあなたの考えていない要素も盛り込んでおいたからね。あっちでは私が有利になるように、私のゲームプログラムを世界制御のプログラムとしたから。そうすれば彼がなんとかしてくれる。そう信じてるよ」

 淑恵は冷静だった。装置を抱きかかえた彼女の姿も〝下〟へと沈んでいく。

「ちぃ! このいつしゆんでそこまで考えたか! だが、私も連れて行ってもらう」

 2Vは伸ばした右手のひじあたりを左手でにぎった。そして、いきなり右手そのものを肘からく。人形なればこそ可能なこうだ。

 そして、2Vは右手を装置に向かって投げた。淑恵はそれに気づき、装置を手で覆いかくす。が、右手はしっかりと淑恵の手を握った。

「手だけはそちらへ行くぞ!」

 2Vはさけんだ。

 そして、周囲の世界は、ものの見事に〝あちらへと沈んだ〟。


     ○


 装置が起動する少し前のことになる。

 阿九斗は演台に立ち、どう言ったものかりよしていた。

 今日は全校生徒を前にしての朝礼である。そして、生徒会長も三役もいないため、代役をおおせつかったということは、朝礼の仕切りをしなくてはならないということだった。

 この『コンスタンじゆつ学院』では、めつなことでは学長のあいさつは行われない。生徒会長が生徒の生活態度への注意や、方針の伝達などを行っているのである。それを阿九斗がやらなくてはならなかった。

「今週の標語は、校内の美化につとめよう、ですが、これを単純にそうのみ行うと理解してはならないはずです」

 阿九斗は代役を務めることを宣言した後、そう切り出したのだったが、思えばこれがまずかった。ただ方針を伝えるより、その背景にある思想についての自らのかいしやくを述べ、そこから議論を発展させてしいなどと願ったのがまずかった。話し続けるうち、どうにもおかしな方向へと論が展開していってしまったのである。そして、言葉選びに苦慮していたというわけだ。

「……よごれは入り組んで手の着けられないところにまります。ちょうどからった配線の間にほこりが積もるように。それを掃除するためには、配線をほどき、一度外さなくてはならない。つまり真のせいそうのためには分解をしなければならないということです。そして、美化とは一人一人の精神のおりを取り除いていくことでもあるわけです。その澱が溜まる場所は、やはり入り組んで手の着けられないところでしょう。さきほどの配線の話がとなります。配線も便利ではありますが、それは便利な、しかし固定化したシステムであるとも言えるでしょう。つまり、個々人の固定化した精神システムを分解するということこそが大切になるのではないでしょうか?」

 阿九斗は自分の話していることであるのに、みような方向へと流れていく話題を制御できなくなっていた。その過激な話の展開に生徒たちがざわつきはじめる。

「常識を疑えってことか?」

「いや、固定化した精神システムと言っているのだから、これは一度、きように走れと言っているにちがいない」

「……なるほど。さすがに魔王と言われるものの演説は違うな」

 ――いや、そうではなく……。

 阿九斗はなやむ。

「精神のシステムとは何か? これは人間の認識についてのことを言っています。精神的な負担を軽減するため、人は物事を単純に認識するようにできている。みなさんが学校に入学することも、そのような単純な認識の力によって行われている。勉強をすることと学校に行くことはイコールではありません。それこそがシステムであるわけです。そういう固定化した認識が、社会のシステムにさえつながっていることも忘れてはいけません」

 生徒たちはさらにざわつく。

「狂気ではなく、積極的に社会システムをかいしろということか!」

「アナーキズム! それを朝礼で!」

「しかも代役だというのに!」

 ――あっれー?

 阿九斗はさらに言葉をつむごうと頭をひねる。

「……いや、ぼくらの美化運動は、そのような固定観念についても向けられると言っているだけです。それらはいずれ僕らを不活性にさせてしまう。僕らが社会をになう自覚を持っているのならば、新しい時代のため、困難なたたかいを積極的に……」

「すげぇ、朝礼を総決起集会にするつもりだ!」

「新しい時代のための闘い……せんどうしやが言いそうなことだ!」

「代役だからだまっていただけだぞ! 貴様の思い通りにはさせん!」

 生徒たちのさわぎはとてもおさえられそうもないものになる。せいが阿九斗に浴びせられた。

 ――まいったな。なんとかしずめないと……。

「静かに! 騒ごうともこれは正論! すなわち、天の道にじていない言葉! 誰の言葉でもなく、ただ道を説く声として聞くべきでしょう! 聞かぬなら、この学院そのものが、道に外れたということ! そのむくいはすぐに……」

 それがそんな言葉だと阿九斗が気づいたのは、すでに言葉のちゆうまで話した時だったため、段々とトーンは下がっていったのだが、その気弱さが生徒に知られることはなかった。阿九斗の言葉のちゆうで、学院そのものが〝沈んだ〟からである。

「な……!」

「きゃああ! 何これ!」

「魔王の力か!」

「ひ、ひぃい! ごくちるっていうの?」

 悲鳴が校庭に満ちる。だが、その悲鳴まで飲み込んで学院は空間そのものの中へと沈み続けた。

 ――この感覚は……!

 阿九斗には覚えがあった。これは、あの時、本の中に入ったのと同じ感覚だった。

 ――ということは?

 しゆんに阿九斗は、けーなのことを疑った。が、生徒の中に姿を見つけた彼女は、ころねと並んで校庭に立ち、きょとんとした顔で立ち尽くしていた。

 ――な、なんなんだ、じゃあ、これは……!


     ○


 じゆんも何が起こったのかをにんしきできていた一人である。

「これは、仮想異空間の内部ですね」

 とうさがした絢子は、そう話しかけた。

「違いありませんわ。わたくしは入ったわけではありませんけれども」

 不二子は寄ってきた女生徒たちをなだめていた。阿九斗よりもよほどあくてきな性格を持ち、黒魔術をしんぽうしている彼女だが、いまだに生徒たちにその正体はばれておらず、特に女生徒たちには、お姉様としたわれている。

 その言葉に、泣いていた女生徒たちは、顔をあげて不二子を見た。

「お姉様、ご存じですの?」

「ええ。これは、おそらく、転送などに使われる仮想異空間。以前、そのような現象に直面したことがありますわ」

 不二子は周囲を見回した。

『コンスタン魔術学院』は、森の中にあった。それまでも自然の広大なしきの中にある学院だったが、それよりも深い森の中だ。ジャングルがすぐそこまでせまってきているような印象である。それは、これまで見てきた風景とも明らかに違っていた。植物相が明らかに島国であるていこくのそれとは異なっている。

「どうやら、この学院ごと転送されたらしいですわね」

 不二子は絢子に目配せした。絢子もうなずく。

「しかし、せんぱい、この校舎……」

 絢子は校舎を指さした。

 それは確かに校舎だった。だが、そのおもむきはどこか違っていた。そのかんに気づいたのは、校庭にいた生徒の一人だった。

ようさい……要塞だ! これは、昔、要塞だったときの姿だ!」

 校舎に窓はほとんどなく、開いている窓も上部のいくつかだ。それもじゆうがんとしての細い窓である。のっぺりとしたへきめんせんにゆうこばみ、正門も太いもんによって閉ざされている。

「かつて……つまり第一次魔王戦争のときのじようさいを校舎にしたと聞いていましたが」

 絢子が言うと、周囲の生徒が騒ぐ。

「それじゃあ、時間をえてしまったってことか?」

 と、それを不二子が否定した。

「いいえ。それならば、城塞の中には人がいなくてはならないはず。時代を越えたわけでなく、何らかのルールの下、改変された世界にいると考えるべきですわ。それが仮想異空間というもののはず」

「ルールの下に改変された世界?」

 女生徒の疑問に、不二子はうなずいた。

「ええ。つまり、ここは、お話の中の世界とか、ゲームの中の世界と考えるのがよいと思われますわ!」

 不二子が以前の経験をまえて言う。

 と、不意にそれに答える声があった。

「その通り。そこから先は私が説明します。そして、おびしなくてはならないこともあるのです」

 とおった男性の声だった。

 不二子たちはいつせいにそちらを見やる。

 ジャングルを抜けてきたとおぼしきその少年は、せんさいな、しかし高貴なたたずまいをしていた。

 長いかみの彼は、古風なよろいを身にまとっていた。

「私は淑彦。話を聞いてください」


     ○


 淑恵は、自らの身体の変質にまどいはしなかった。

 仮想異空間ではそう変化するように調整しておいたからである。

 ――まさかのために、ゲームデータをロードしておいて助かった……。

 2Vの手からのがれるため、仮想異空間でのルールを、自らのデザインしたゲームに沿わせたのだ。それは、けーながプレイしていた第一次魔王戦争をモチーフに、想像力を働かせたファンタジーの戦争ゲームである。

 ――さて、ゲームのルールはおいおい思い出していくとして、私がどうすべきなのかを整理しないといけないねぇ。

 淑恵は、2Vの計画にどうはんこうしていくかを冷静に考える。

 阿九斗を守るべく仮想異空間に逃れた。そして、その制御装置もこの手の中にある。外からはかんしようできまい。2Vの手が入り込んでいるはずだが、今のところ発見はできていない。が、それほどの影響力は持てないはずだ。

 ――でも、向こうでゲームのプログラムを改編されたら、まずいことになるかもなぁ。でも、根本的な改変は、学院の生徒が結果的に人質になるから不可能なはず。

 さすがの2Vも、無差別さつりくに繋がるようなことはできないだろう。政府関係者であることだけは明らかなのだから。

 ――となると、目的は魔王とのせつしよく。それより早く2Vがはいじよできればなおアリ。そんなところか。

 考えをまとめてから、淑恵は生徒たちの前に出ることを決意した。後のことを考えれば、計画そのものの真実は教えられないが、巻き込んだ責任はとらなくてはいけないだろう。

 ――でも、基本的には安全なはずだよね。なにしろ、ゲームの設定が世界を支えているんだし。そして、デザインしたのは私だから、誰より世界のことをわかっているし……。

「ええ。つまり、ここは、お話の中の世界とか、ゲームの中の世界と考えるのがよいと思われますわ!」

 ジャングルを抜け、校庭に出たとたん、れいな声が聞こえてきた。

 ――ふぉおお! もうじようきようを認識した人がいるのか。さすがにゆうしゆうな学校と聞いていたけど、すごいな……。

 淑恵は感心し、前に一歩踏み出した。

 そして、男としてどうやってしゃべるべきか考えていなかったことに気づいた。

 ――あ、しまった。音声ではチャットしてなかったしなぁ。どうしゃべるのが男っぽいんだろう? ええと、あれだ。おとゲーに出てくる男の子っぽくしゃべればいいか。

 乙女ゲー、というのは、女の子が美男子とのれんあいを楽しむゲームのことだ。当然ながら、すさまじい美形しか出てこない。淑恵は男性のサンプルが少ないので、そのあたりはいたかたないところだ。

「その通り。そこから先は私が説明します。そして、お詫びしなくてはならないこともあるのです」

 自分の声が完全に男のそれになっていたことには戸惑ったが、いかにも乙女ゲーの登場人物のように声が響いたことに淑恵は満足する。

「私は淑彦。話を聞いてください」

 淑恵は言った。

「説明? お詫び?」

 一斉に生徒たちの質問が飛んできた。いくつもの視線が淑恵に注がれる。直に話すことはそれほど得意ではないが、違う顔を使っている今ならばなんとかなるはずだ、と淑恵は胸を張った。

「これは、仮想異空間の制御実験です。本来、もっと小規模で実験をするつもりだったのですが、ちがいがあって皆さんを巻き込んでしまったのです」

 そう言うと、あちこちからいかりときようの混じった怒声が飛んでくる。

 淑恵は恐怖に顔をくもらせた。

「待て。落ち着いて話を聞くべきだ」

 そこに生徒たちを制する声が割り込んできた。言ったのは、ショートカットのりんとした印象の少女だ。

はつとり絢子だ。続けてくれ」

 絢子と名乗った少女は、淑恵にうなずいた。淑恵は絢子に微笑ほほえみ返す。

「ありがとう」

 が、絢子は顔をそむけてしまった。助けてもらった感謝の気持ちをむげにされたようで残念だったが、今は話を続けないといけない。

「……それがお詫びしなければならないことです。しかし、安心してください。これは体感ゲームの制御実験です。これから話す諸注意さえ守って頂ければ、危険はありません」

「諸注意?」

「つまり、ゲームのルールです。まずひとつめ。ゲーム内時間で一週間以内に元の世界に帰らないと、あなたは本当に死んでしまうかもしれません」

「ええ? それじゃあ、危険はないなんて言えないじゃないか!」

「し、失礼。これは安全のために言っているだけです。これまでも人間が仮想異空間内部にとどまっていられるのは一週間が限界だったはず。今回の場合は制御できているから、おそらくそれ以上とどまっても安全ですが、外から食料を持ってきているわけではありません。ゲーム内での一週間は、現実では十数時間に相当するはず。皆さんの肉体は、その程度しかえとかわきに対応できないはずです」