きようしんしんな様子の淑恵は、阿九斗の顔を手でさえた。息がかかるくらいの近さにいるのだが、さして気にする様子でもなく淑恵は阿九斗の顔を間近から見続けている。

「な、何を……」

 阿九斗は顔を赤くして声を上げたとき、淑恵は「ふぉおお!」と声をあげた。

「おおお、傷が治っていくよ!」

 淑恵が阿九斗の頬に指をわせた。見る間に消えていく傷を指でなぞる。

「すごいねぇ、リジェネ標準装備ってやつ? それにしてもすごいなぁ。ねぇ、これって生まれつきのものなの?」

「どうやら生まれつきのようだよ。僕は人より頑丈にできているらしい」

「すごいなぁ、興味深いなぁ」

 淑恵は目をかがやかせて阿九斗の顔をじろじろと見た。

「照れるよ。かんべんしてくれないか……。それに、リジェネって何?」

「おおお、失礼。いやぁ、興奮しちゃって。おずかしい。リジェネっていうのは、ゲームとかで体力回復していく奴によく使う用語。ゲームはしない?」

 淑恵は顔をはなして、阿九斗に笑いかけた。

「したことないなぁ。いろいろいそがしかったからね。楽しいの?」

 阿九斗は聞いた。と、淑恵は大きくうなずいた。

「そりゃあもう! 最近ってないけどねぇ。やっぱりゲームは文化だと思うわけよ。昔からある標語でね〝ゲームは一日二十四時間まで〟ってのがあるくらいで」

「それって、どういう意味?」

「どうがんってもゲームは一日で二十四時間までしかできないから残念だなぁって意味。まぁ、そのくらい楽しいものだってこと」

「そうなんだ。それは一度やってみるべきなのかな」

「そうだよ。絶対そう」

 淑恵は強く断言した。

「それはいいことを聞いたな」

 阿九斗はうなずく。それを見た淑恵は、かんがいぶかそうにうなずいた。

「いいねぇ、感心してくれた人は君がはじめてだよ。つうは引くんだけど」

「引く?」

「いやね、男の子から声をかけられるでしょ? お話しようっていうから、ゲームの話するでしょ? そうしたら、段々遠ざかっていくわけよ。ほんとに段々ときよが離れていく。ひどいのになると、〝見た目からこんな子だと思わなかったから〟って言うんだよね」

 妙に熱意のこもった口調で自分のはじを力説する淑恵である。その口調も内容も、要するに自分がどれだけ痛いかをまんするもののようにも思えたから、そこまで話を大人しく聞いていた人でも、ほとんどの場合ここで距離をとってしまうだろう。

 しかし、阿九斗は力強くうなずいた。

「わかるよ。僕も昔、バイト先や中学でそうだった。女の子から話しかけられて、しばらく話していると〝こんな人だとは思わなかった〟って言われるんだよ」

「ふぉおお! いいね、わかってくれる人ははじめてだよ! ねぇねぇ、君、名前なんて言うの?」

 淑恵は身を乗り出す。

「紗伊阿九斗」

 阿九斗が言うと、その手を勝手に淑恵は握った。

淑恵! いいねぇ、君、今度さ、ネットでゲームやろうよ」

「いいけど、いつごろに?」

「明日から一週間くらいぶっ通しはどうかな? 仕事をやりながらでもできるから大丈夫大丈夫」

 淑恵はちやちやを言ったが、当人としては普通のことである。スクリーンのかたすみに常にゲームを走らせておくくらいのことはいつもしている。

 しかし、この点においてのみは、阿九斗も常識人であった。

「いや、それは僕には難しいかな。授業とか、生活がほかにもあるし。ところで、白衣ということは看護師の方? その仕事もそれほどひまではないでしょう?」

 そう聞かれて、淑恵は、ここに来た目的を思い出していた。曽我けーなの血が、仮想異空間の変異に必要だから採取に来たと言うわけにはいかない。それ自体、ほうというか、当人の許可を得ていないわけだからだ。だが、自分の職業については、うそをつくよりは本当のことを言っておいた方が良いと淑恵は判断した。

「一時的に看護師の手伝いをしている、というところかな。だんはメギス神のしん殿でんで事務の仕事をしているんだよ」

 阿九斗は感心した様子で淑恵の顔を見返した。

「失礼、同じくらいのねんれいだよね?」

「海外で大学を出たんだよ。そのため司祭として働く資格はないんだけどね。再入学もめんどうになってしまって」

ゆうしゆうなんだね」

 阿九斗は感心したように目を見開いた。

 淑恵は照れ笑いをする。

「よしてよ。学校を面倒だと感じる者はこの国では優秀じゃないことになっているでしょ。いや、海外でも優秀ではないかなぁ。結局、自分の好きなことしかしたくないというのは、どこであってもかんげいされる性質ではないんだよね」

「好きなことって、ゲーム?」

「それもあるけど、面倒なことがきらいなんだよ。暑苦しいことが嫌いっていうか、やる気のある人が嫌いっていうか」

 淑恵がそう言いながら頭をかく。

「そういう感じは少しわかるな。あれだよね? 本来、意味がないようなことにみちを上げたり、やたらとにお金を使ったり」

 阿九斗が言うと、ますます淑恵は目を輝かせた。

「君、ますます〝これだ!〟って感じがする人だよ! そうなんだよね、そういう理由のない親密さが嫌いなんだよ。理由があるならいいんだけどさ。犯罪とかけんとかしたがるタイプがわからないんだよね」

「そういえば、他人を傷つけようっていうのは、今みたいに物が足りないわけじゃない世界では、要するに他人の反応を見たいっていう親密さだね。わかるよ」

 阿九斗が納得してうなずく。

 ますます淑恵の言葉はばやになる。

「わかってるねぇ! だから好奇心は強くても、世間話ができなくってさ。ってあいさつをしたら、それ以上、何かある? そりゃあ、政治の話とかできればいいけど、たいてい、親密さを求める人って無知だからさ」

「それもわかるな。つまり、それって……」

 それから淑恵と阿九斗は熱心に話し合った。淑恵にとってそれははじめての経験だったし、阿九斗にとってもそうだった。みように世間とずれた話をわす二人は、まるで研究室のない学者同士にも見えたし、かすかに上気した顔をつきあわせているところは、帰宅時の分かれ道で別れがたくて立ち話を続けるこいびとたちのようにも見えた。

 二人は時間を忘れていたらしい。やがてチャイムが鳴ったとき、はっとして周囲を見回し、顔を見合わせて笑い合った。

「いやぁ、君、良かったよ。社交辞令じゃなく、今度またれんらくしてよ」

「ありがとう。僕も楽しかった。それじゃあ、急がないと」

 淑恵と阿九斗はあくしゆを交わした。

 二人はそれぞれ別の方向に歩きはじめ、それからしばらくしておたがいにれんらくさきこうかんしていなかったことに気づいた。

 ――いや、問題ないか。すぐ会えるような気がするし。なにしろ、こんなに気になる人ははじめてだしねぇ。何かあるよ、これは。

 淑恵はそう考え、ひとり満足げにうなずいた。


     ○


《会長、ついせきは順調でありんすよ》

 妙ななまりのある口調での念話が届いた。

 ここは『コンスタン魔術学院』の生徒会長室である。当然ながら念話を受け取ったのも生徒会長だ。

 いきぼうがらな少女――リリィしらいし――が、マナスクリーンを前にうなずいた。

「油断するな。相手は人形だからな。どこでどう逃げられるかわからん」

《こちらも目として蝙蝠こうもりをぎょうさん飛ばしておりますさかいに。まぁ大丈夫とは保証できまへんけれども》

「見失ったら殺す」

 簡潔に、しかし本気度だけは高くリリィは言った。

《勘弁してしいでありんすよ……》

 さきほどから会話しているのは副会長のおおたけである。リリィが見ているマナスクリーンに映し出されている彼女は、今、都内の公園にいるらしい。細身で顔色が悪いというきゆうけつめいた外見の彼女は、その見かけ通り蝙蝠の形状をした魔術機械を自在にあやつるのを得意としている。

 美智恵は会長に命じられて2Vの追跡をしているのである。日暮れの街に飛んでいてもそれほど気にならない蝙蝠は、こうには最適であった。

「2Vのほんきよがわかるとは思えないが、尻尾しつぽの先程度はつかませてもらう」

 リリィはそう意気込んでいた。

 計画を知ったのは最近である。リリィの父はメギス神の司祭であり、2Vが淑恵に働きかけた『計画』の情報を手に入れることのできる立場にあった。2Vはメギス神殿に展開する仮想異空間を使用するつもりであったから、どうしてもメギス神殿の協力を必要としていたのだ。それに、そもそもがおうはいじよを唱える急進派のあとしがあっての計画である。おんみつ行動が得意な2Vといえど、今度ばかりは情報を表に出してしまっていた。

 そして、その計画の内容――けーなのさいぼうを手に入れ、そこから生じる波動を利用して仮想異空間に阿九斗をふうじる――を知ったリリィは、きゆうきよ、健康しんだんかいさいし、わなを張ったというわけだった。そして、2Vは計画通りけーなの血を求めてやってきた。その姿はわからないものの、けーなの血を持ち出した者を追跡すればよかった。

 今のところは2Vは見事に罠にかかってくれている。

《会長、建物に入りましたえ》

 美智恵がそう報告した。

「中まで追いかけられるか?」

《努力はしますえ。えー、建物はてい大学の科学研究とうでありんす》

「意地で研究室まで割り出せ!」

《意地で……。まぁ、がんばるでありんすよ……》

 美智恵はしばらく頑張ると言い残して念話を切った。

「さて……。もう一方の女の方はどうなったかな」

 リリィはつぶやき、念話を再度接続した。マナスクリーンに、今度は野性的な顔立ちの少女の姿が映る。

《あ、会長。紗伊阿九斗と話し込んでいた女ですが、さして苦労もなく自宅がわかりましたぎゃ》

 そう言ったのは、かみやまカンナである。おおかみへの変身能力を持つ生徒会三役の一人で、今はそのきゆうかくかして、淑恵の尾行を行っていた。

「ありがたい。だが、そちらは裏の職業に従事しているというわけではなかったからな。正体さえ割れれば住所は特定できる。問題は怪しい行動がなかったかどうかだ。紗伊阿九斗とは何を話していたんだ? かれのことをさぐろうとしていたのか?」

《そんなことはないようだったぎゃ。どうも本当に初対面だったみたいだぎゃ》

「じゃあ、ぐうぜんったとでも?」

《そうだと思うぎゃ》

「……あいつは目立つしな。そもそもターゲットに事前にせつしよくする危険をおかやつはいないか……。どうもあいつの女運が悪いだけだと思えてきたぞ。そのせいでろくなことにならないってのはやめてくれよ……。まぁ、あいつがくたばろうと問題はないが。これはボク個人のふくしゆうなんだからな」

 リリィはつぶやき、目つきを厳しくした。


     ○


《データさえあれば十分かい?》

 2Vが聞いた。

「できそうだよ。人体の固有波動というものは、だれ一人同じものはないからねぇ。機械の数値の調整だけなら通信でやっても問題ないしさ。大体、顔を合わせなくて済むって合理的じゃん?」

 淑恵は言った。2Vがけーなの血液を運び込んだ研究室へ、自宅から通信を行っている。仮想異空間へ転送する装置は研究室に置かれているのだが、その調整は淑恵が行っているというわけだ。

「けーなをかいしてじゆつを行う感覚だよ。けーなに固有の魔術が、仮想異空間を思うままに変質させる、というものだと言っていいんじゃないかな」

 淑恵の声からは、喜びのようなものが感じられた。それに気づいた2Vが聞く。

《それにしても、君がどうして仮想異空間を変質させることにこだわっているのか聞いてもいいかい》

「思う通りに世界を変えられるなら、人はそこでだけ暮らしても良いんじゃないかと思って。楽に暮らせるよ。栄養補給というかエネルギー供給については研究しないとだけど、そこは自動化できる公算が大きいしねぇ」

 淑恵は自室の机にいくつも展開したマナスクリーンに忙しく指を這わせながら、答えた。

 プログラムをえながら、少し間が空くと机に置かれた飲み物を取って飲む。あせをぬぐうタオルも、ゴーグルのメンテナンスキットもすべてがすわったままで手の届く位置にある。どくな作業に慣れきった者の手つきで彼女は独り作業を進めていく。

「つまり、人間が脳内をさらけだして生きていける空間があれば、逆に親密さのない生き方も可能になるよね。それこそが人間らしい生き方と言えるのかもしれないんじゃないかって。そゆこと」

 淑恵の言葉は、2Vに向けられたもののはずだったが、やがてそれは独り語りに似た何かへと変化していく。

「いやぁ、ホント、私はこの実験をありがたく思っているよ。これまでみんな私の研究には注目しても、ほとんど誰も私の主張は無視してきたからねぇ、気持ち悪いとか不健全とか言われて。仮想異空間でどのようなことが可能になるかわかれば、ゲームみたいな暮らしができるわけだからね。とりあえず、仮想異空間を変質させるのに法則性をあたえてみたりしたし。この中に入った者は、いわば、ゲームのデータのひとつになるってわけ。自らのデータを書き換えることのできるデータなんだけどね。つまり、ここで自分の意志で肉体をえて成長することができちゃう。ゲームのキャラになれちゃうんだから、そんなの体験したら、みんな私の言ってることわかってくれると思うな」

 淑恵はさらにプログラミングのスピードを上げた。

《それはそれは》

 そう言った2Vは、独りほくそえんだ。

 今、みを見せたのは、2Vの本体である。彼女は、林立する人形以外は調度品の何もない部屋でころんでいくつものマナスクリーンをながめている。内閣魔術情報調査室の仲間ですら知らぬこのマンションで、2Vは正体をかくして暮らしている。

 2Vは淑恵と自分のきようぐうが似ているのではないか、と思った。2Vの本体は、まだ十代前半の少女である。そしてそのすぐれた能力をあらゆるけんから認められずに生きてきた。

 ――しかし、脳内の何かを実現することは、この現実世界でも可能だがね。そういうことをわかってないんだから、不健全だって言われる。

 そういった意味では、二人の考えはちがっていた。そして最大の違いは、最終的な目標であった。

 ――どうせ手に入れるなら、仮想異空間の楽園なんてつまらない。現実世界で、神無き世界の姿無き王として君臨することだけが人生のじゆうじつというものさ。

 2Vは、これから淑恵を裏切ることになる。淑恵には、嘘の計画を伝えていたからだ。