Part 01: 菜央: ……バス、行っちゃったわね。 同年代の女性: ごめんなさい、巻き込んじゃって。 走り去る空港発のバスを見送ったあたしの呟きに、聞き慣れない声による返事が返ってきた。 隣で困ったように笑うのは、あたしと同年代くらいの女の子……大学生か、新社会人か。旅行帰りなのか、肩に大きなボストンバックをさげている。 菜央: ううん、平気よ。あたし、空港まで迎えが来る予定だから。 同年代の女性: えっ、そうなの?!あ、だから先に行けって……。 菜央: ……だからそう言ったじゃない。あなたは泣く子をあやすのに精一杯で、全然聞こえてなかったみたいだけど。 同年代の女性: ……あはは、その通り。次のバスは30分後かぁ……お迎えはいつ? 言われてちらりと腕時計に視線を落とす。 菜央: あたしも30分後ぐらいかしら。 同年代の女性: じゃあ、飲み物でもご馳走させて! 菜央: いい。ご馳走してもらう理由がないわ。 同年代の女性: でも、あの場は私一人じゃ収まらなかったから……そのお礼ってことで! 笑う女の子を前に、ちょっと考える。美雪との待ち合わせ場所を離れるわけにはいかない。 それに、今回の飛行機は乗客が少し騒がしくてあまり眠れなかったせいか……頭がぼんやりする。今のうちに、少しでも目を覚ましておきたかった。 菜央: ……じゃあ、コーヒーをお願い。ミルクとお砂糖多めで。 同年代の女性: おっけー! そこの売店で買ってくる! ……留学から一時帰国するため、あたしがキャリーバッグ片手に空港の到着ロビーを出た直後、鼻先を掠めたのは甘ったるいオレンジの匂い。 菜央: (日本の空港では醤油の匂いがする、なんてジョークは聞いたことがあるけど……) 周囲を見渡して、すぐに気づいた。 床に転がるジュースの缶と、凍り付いたように微動だにせずぽろぽろと涙を流す小さな女の子。 一緒にいたお婆さんは「大丈夫だよ」と優しく声をかけながら、必死で床にこぼれたジュースを拭いていたけど……。 でもとっくにハンカチがオレンジに染まった後も、床にはまだオレンジジュースが広がったままで。 ……そんな時だ。隣に座る女性が、泣きわめく少女に声をかけたのは。 そしてあたしは鞄に入れていた古いタオルをお婆さんに差し出して……そして……。 菜央: あのお婆さんと女の子、大丈夫だったかしら。急いでるみたいだから先に行ってって無理矢理行かせたけど……。 同年代の女性: 見当たらないってことは間に合ったんじゃない?なんで急いでたかはわかんないけど。 同年代の女性: 女の子の服が汚れなかったのは不幸中の幸いってやつかな。でもよかったの? ジュース拭いたタオル、捨てちゃって。 菜央: いいのよ。元から汚れたら捨てるつもりで持ち歩いてたものだから。 慣れない場所に行くなら、急な雨や汚れた時のためにあった方がいい……。 美雪にそうアドバイスされて、持ち歩いていた使い古しのタオルだ。 菜央: (でもまさか、こんな風に使うとは思わなかったけどね……) 同年代の女性: だとしても優しいねー。サッとタオル出して使ってって言えるなんて! 菜央: そうかしら?泣いてる女の子に声をかけたのはあなたが先よ。 同年代の女性: あはは、なんか昔似たようなことをやった記憶があって、自分は親に怒鳴られて泣きながら拭いたなーって。 同年代の女性: その時の気持ち思いだしたら、なんか放っておけなくて。……で、あなたは? 菜央: あたし? あたしは……。 なんとなく、と返すのもやや気が引けて口ごもっているうちに思い出した女の子の顔が別の顔と重なって……。 菜央: あっ……。 同年代の女性: なになに? 菜央: あの女の子が昔別れたっきりの友達と、ちょっと似てたから……かしら。 同年代の女性: 別れた? あ、転校しちゃったとか? 菜央: ううん、その子だけを過去に置き去りにしたの。 同年代の女性: えっ……? 驚きに染まる顔を見ず、あたしは紙コップに口をつける。 ……後から思えば、多分その時のあたしは寝不足と時差で頭がぼんやりしていたんだと思う。 菜央: タイムトラベル……ううん、今だとタイムスリップって言った方がわかりやすいかしら。 小学校でも中学校でも、高校でも大学でも……。 ……実の母親にすら言っていない過去を口にしてしまう理由なんて、それくらいしか思いつかないから。 菜央: ……あたしね、10年前にタイムトラベルしたことがあるのよ。 Part 02: 東京を飛び出して#p雛見沢#sひなみざわ#rで神様に出会い、美雪と一穂に拾われた後も……あたしは警戒を解かなかった。 2人が本当のことを言っているかわからない、とちょっと仲良くなった後も疑っていた。 ……今思うと、2人は本当のことを言っていた。 一穂は何かに呼ばれて。美雪はお父さんの死の真相を探すため。 でもあたしは、何も言わなかった。言わないというより、言えなかった。 自分がなんで雛見沢に来たかも、誰を探しているかも。 だから、あぁなってしまったのは全部全部……。 菜央(私服): あたしのせいだって、わかってるわよッ!!! 山のように積み上げられたゴミを強く蹴り上げる。 倒れた一穂の体が、あたしたちが呼び起こしたゴミ山の揺らぎの影響を受け、再び地面に倒れ伏す。 お姉ちゃんに殺される覚悟なら、とっくに決まっていた。 そのお姉ちゃんへ武器を振り上げて、斬り合う矛盾。 菜央(私服): (あたしがやるしかない……!) 美雪も前原さんも、詩音さんも他の『ツクヤミ』と対峙している今、あたしがやらなくちゃいけないんだ……! 菜央(私服): あたしはお姉ちゃんに殺されるためにここに来た!でも! 今のお姉ちゃんに、殺されるわけにはいかない! 菜央(私服): 今のお姉ちゃんは、『竜宮レナ』じゃない!よくわからない何かに操られた、ただの人形!!! 菜央(私服): だから……だからっ!あたしは止める……! そして、お姉ちゃんを取り戻す! 菜央(私服): あたしを罵倒するためにでいい!!!あたしを殺すためでもかまわない!!! 菜央(私服): 帰ってきて! お姉ちゃんっ!!竜宮レナとして、帰ってきてぇぇッッ!!! レナ(私服): っ……うるさい、うるさい……!黙れ、黙れ黙れ黙れ……黙れぇ!!! 攻撃は一進一退。 こちらが攻撃すればあちらが防御し、あたしが切り込まれれば防御に徹する。 菜央(私服): (力比べじゃ勝てない!でも今のままじゃ決め手がない!) 加速していく攻防。そんな最中……レナちゃんの身体が、流れた。 レナ(私服): ――あっ……。 ずるり、と。お姉ちゃんの足がゴミの上で滑って……?! 菜央(私服): お姉ちゃんっ! あたしは落ちて行くその身体を掴もうと、武器を手放し賢明に腕を伸ばして……――! 一穂(私服): 菜央ちゃん、ダメっ! 一穂に抑えられたあたしの動きは、急ブレーキをかけられたように止まる。 その代わりと言わんばかりに、一穂の身体が反動で前にレナちゃんの方へと傾けられて……。 落ちるかと思ったレナちゃんの全身が、突如ゴミ山の地を踏みしめたままコマのように旋回した――?! 一穂(私服): がっ……?! 一穂の横っ腹に、レナちゃんの鉈が食い込む。 菜央(私服): かずっ……うっ?! 乱暴に後ろへ突き飛ばされる中、あたしは見た。 一穂(私服): う、ぐっ……! 真っ赤な血が、溢れるにもかかわらず、一穂は武器を握りしめたレナちゃんの手を抑えると反対の手に握っていた武器を振りかざし……!! 一穂(私服): あああああああああああっ!! 至近距離からの直撃を受けたレナちゃんの手から武器が剥がれ、その身体が宙を舞い……そのまま、ゴミ山の地面へと叩きつけられた。 圭一(私服): レナっ?しっかりしろ、おいっ! 崩れ落ちたその身体に、前原さんが慌てて駆け寄り……抱き起こす。 美雪(私服): 一穂っっっ?! 背後から駆け寄った美雪があたしを抜き去り、一穂に飛びつく。 美雪(私服): しっかり! 大丈夫?! 一穂(私服): がはっ、はっ、はっ、はっ……!だ、だいじょ、大丈夫……だから……。 詩音(私服): なにがあったんですか?! 駆けつけた詩音さんにあたしは振り返って説明しようとするけど歯がカチカチなって上手く喋れなくて……っ……。 その間も一穂の身体からはどんどん血が流れてとまらなくて――?! 菜央(私服): か、一穂が! 一穂があたしを庇って!レナちゃんの、でも、あぁ、あうぅああああああっ!! 美雪(私服): 一穂、しっかり! しっかりしてっ! 一穂(私服): あ、ぐ、……だ、だいじょぶ……。 大丈夫じゃないことなんて、一目でわかる。だって一穂の横っ腹からは大量に血が溢れてて、息も苦しそうで、だから、だから……。 圭一(私服): レナ、目が覚めたか?! そんな中、あたしは前原さんの声に弾かれるようにして前を見た。 そこには、前原さんに抱かれたレナちゃんが……あたしの知る、優しいレナちゃんがいて。 レナ(私服): ……。私が…………一穂ちゃんを、……?! その目を大きく見開かせたレナちゃんは、ゴミ山に流れていく血の川を前に小刻みに震え始めた。 レナ(私服): あ、わ、私……私、あ、あぁ、ああああっ……!! 一穂(私服): ち、が…………うよ。わ、私が……失敗した、だけで。 圭一(私服): だ、大丈夫だ一穂ちゃん!そうだ、監督、監督に……!! 一穂(私服): だ、大丈夫だよ……私は。だから、だから……。 美雪の肩にしがみつき、大量の血を流しながらも立ち上がった一穂は震えるレナちゃんに、必死に微笑みかけて……。 一穂(私服): レナさんにも、い……一緒に、考えてほしいな。 一穂(私服): どうやれば、美雪ちゃんと菜央ちゃんをみ、未来に……帰せるか……。 Part 03: こくん、と。白い喉が上下するのが見えた。 同年代の女性: そ……それで、どうなったの? その後は? 菜央: ……あたしと美雪は戻って来れたけど、一穂だけは過去に置き去りのまま。 菜央: もう、10年も前のことよ。 同年代の女性: …………。 かいつまんで説明したから、情報不足だっただろうか。そんなあたしの心配をよそに、少し前に出会ったばかりの彼女は真剣な面持ちで視線を周囲に彷徨わせた。 同年代の女性: ……#p雛見沢#sひなみざわ#rって名前、聞いたことがある。なんか色々あったって。 神妙な面持ちであたしの話を聞いていた彼女は、パッと顔をあげて……。 同年代の女性: もしかして実話を元にした創作?すごい! 現実が混ざってるせいかリアリティあるね! 菜央: …………。 何の憂いもてらいもない、キラキラした目で見つめ返され、あたしはくすっと笑って。 菜央: ……えぇ、そう。全部作り話よ。それで、どうだった? 同年代の女性: すっごく面白かった!あなた、もしかして作家さんの卵かなにか? 菜央: いいえ、ただの学生。でも友達が司書だから、本は色々勧められてそれなりに読む方だと思うわ。 菜央: といっても、好きで本を読むって感じじゃないわね。どちらかと言えば自己研鑽とか、知識を深めるとか……物語を楽しむより、学習が目的のことが多いかしら。 同年代の女性: へぇ……ちょっと変わってるわね、あなたって。でも、私の感想だけど物語を書く才能はあると思うわ。どこかに書いて応募してみたら? 同年代の女性: あ、でも雛見沢って実在の名前と事件を使ったらまずいかー。 菜央: じゃあその辺りは適当に変えて……気が向いたら応募してみるわ。 同年代の女性: じゃあその本が書店に並んでるのを見たら、感想と一緒に手紙を出すわね。あの時空港で会った者ですって! 楽しそうに笑う彼女の視線が、遠くに向けられる。 同年代の女性: あっ、もう私が乗るバスが来たみたい。じゃあ、またどこかで! 菜央: えぇ。 手を振って、彼女はバスの方へ走り出す。 その姿が見えなくなったのを確認してから、あたしは振り返していた手を下ろし……もう空っぽになった紙コップを握りしめて。 菜央: ……っ……! ぐしゃり、と手の中で潰したそれを、すぐ側にあるゴミ箱へと乱暴に叩き込んだ。 菜央: (作り話なんかじゃない!) 違う、違う、違う! 嘘なんかじゃない!作り話なんかじゃない! 嘘なんかじゃない! あの日の失態も! 助けられなかったレナちゃんも!あたしを庇って傷ついた一穂も、全部全部……! 菜央: (嘘なんかじゃ、ないのに……!) 美雪: お待たせーっ! 菜央: …………。 聞き慣れた声に吐き気をこらえてゴミ箱から顔をあげると、見慣れた明るい笑顔があった。 美雪: お……おぅ、どうした菜央。怖い顔して。 美雪: 時差ぼけで眠い? 大丈夫? 私が誰かわかる? 菜央: あんたは変わらないわね……美雪。 美雪: えーっと……それは、どこ見て言ってるの? 菜央: あんたを見て言ってるに決まってるじゃない。 自分の肩から力が抜けるのを感じながら、口を開く。 菜央: ……ただいま。 美雪: おかえり。じゃ、行こっか!空港でお茶していくのもいいかなと思ったけど、駐車場代が値上がりしててさぁ。あれなら……。 菜央: ……ねぇ、美雪。 美雪: ん? 菜央: ……ううん、なんでもない。 美雪: やっぱ疲れてる?キャリーバッグ私持つから早く車に行こうよ。後部座席でちょっと寝なよ。着いたら起こすから。 菜央: あ、ちょっ……! 美雪は傍らに置いていたキャリーバッグのハンドルを勝手に取ると、滑らかに転がしながら駐車場へ向かい出した。 慌てて手荷物を片手に、追いかける友人の背中を見つめ……ぼんやりと思う。 菜央: (……あたしがあの惨劇の日に至る前に、ちゃんと真実を言っていたらどうなってたかしら) 一穂が大怪我をすることもなく、一緒に平成に帰って来れた? レナちゃんが一穂を傷つけたことに罪悪感を抱くこともないから、もっとちゃんとお別れが……ううん。 菜央: (もしかしたらレナちゃんと一穂も、今ここに美雪と一緒に迎えに来てくれてたかも……かも) そんなことを考えること自体、センスがないことだってわかっている……けど。 菜央: (嘘なんて、大嫌い) だから……昭和58年の世界で、あたしは本当のことは言っていないだけで、嘘はついていないと……そう、思っていた。 でも今さっき、あたしは素知らぬ顔で嘘をついた。 一穂の話もお姉ちゃんの話も、本当のことだと言ってもどうせわかってもらえないと。 全部事実で、これから来る美雪も同じ体験をした当事者だと主張しても、おかしな人だって彼女まで怪訝な目で見られるだけだからって。 ……作り話だと嘘をついて、ごまかした。 菜央: (バカね……嘘をつくって決めたのは自分なのに) 別れて訂正ができなくなった後で、こうして未練たらしく罪悪感に苛まれている。 それは真実を言わなかったあの日の後悔と何がどう違うのかわからないくらい似ていて……吐き気がする。 あの日あたしは真実を話さなかったんじゃなくて、嘘をついただけだったんじゃないだろうか?そんな考えが、ぐるぐると頭の中を回っていた。 菜央: …………。 前を歩く美雪の背中を見る。 何も知らぬ顔で嘘をつけるあたしは……唯一の友達である美雪にも、いつかまた嘘をつくのだろうか。 菜央: (それは、それだけは……) 菜央: ……センスが無いにも、程があるわ。