(そして、決闘で命を落とすようなこともなかったわけだ)
リウイは思った。
人生には運命の別れ道というものがあり、破滅に通じる道を選んでしまったということだろう。なかば脅迫されて、ジーニたちの仲間になったわけだが、選んだのは間違いなく彼自身の意思である。哀れな己の運命を、彼女たちの責任にはできない。
「ここ数日、アイラは買い出しに行って、魔術師ギルドを留守にしている。きっと魔法の宝物をどっさりと買ってくるんだろう」
リウイは言った。
アイラの実家は、ファンの街でも一番の豪商である。父親が古代王国時代の宝物を集めるのが趣味だったらしく、アイラはその影響をもろに受けてしまったのだ。鑑定眼の確かさなどは、商売人の血をしっかり受けついでいると言えるかもしれない。
彼女とも、明日でお別れだな、とリウイは心のなかで思った。
いろいろ振り回されもしたが、彼女の場合、好意的に接してくれたのは間違いない。
別れを告げられないのは残念だ。
「たとえ、相手がどんな手練れでも、オレは逃げたりしない。オレなりに全力を尽くすだけだ。負けたときには、笑って死んでやる。だから、あんたたちも、オレのことなんか、すぐに忘れてくれ」
彼女たちを恨みはしないが、死んだ後まで酒の肴にはなりたくない。
それが、リウイの心境だった。
人は無から生まれて、無に帰る。世界もまた、そうであるように。
死んでどうなるかは、死んだ後にしか分からない。そして、それは人間にとって、探求すべき最大の命題である。常人よりかなり早いが、自分は明日、その探求の旅に旅立つことになろう。
(急所を一撃というのが、唯一の救いだな)
リウイは自嘲気味に思った。
苦しんで死ぬことだけは、どうやら、免れそうだ。それとも〝恋敵〟は、例外なのだろうか?
6
そして、決闘の当日がやってきた。
リウイは約束の刻限よりかなり早く、マイリー神殿にやってきた。
万が一にも刻限に遅れて、臆病者だと思われたくなかったからだ。
決闘にやってきたという割に、リウイの格好は、完全武装とはとても言えなかった。買ってまだ間もない剣を鞘ごとぶらさげて、鎧などはまったく身に着けず、歓楽街などに遊びに行くときに着る私服という姿だ。
すでに覚悟は決めている。
しかし、あきらめたわけでもない。勝つために、全力を尽くす気でいる。体力や敏捷さで、相手の騎士に劣っているとは思えない。相手の技を見抜けば、勝機はあるとリウイは信じている。
一昨日の事件の噂が広まったためだろう。マイリー神殿には、大勢の見物客が集まっていた。
ファンの街にはロマールのような闘技場はないから、本物の戦いなど、滅多なことがなければ見られない。
残酷だとか、野蛮だとか言いながら、人間には戦いを求める気持ちがどこかにあるのだ。マイリー神殿は、そんな人間の気持ちの象徴とも言える場所だ。
決闘に、これほどふさわしい場所はない。
騒がれるのも嫌だったので、リウイは人混みに混じって見物人のふりをしていた。
見物人たちは、決闘をするのがラムリアースの騎士だということは知っていたが、決闘の相手が誰なのかは知らないらしく、勝手な憶測が飛びかっていた。
ロマールの剣闘士の元王者だとか、あるいは、昨晩、騎士が倒した賊の頭領。オーファンの騎士が相手という噂もあった。
候補にあがっている誰もが、リウイより遥かに強そうだった。決闘の場に、自分が出ていったら、観客たちはさぞかし、がっかりするだろうと思った。
だが、リウイは彼らを喜ばせるために、決闘を行うのではない。もっとも、それではなんのためかと問われると実は答えられない。
「愛ゆえに」などとは死んでも口にしたくない。結局、冒険者になることを決めたときと同じように、自分の心の奥底にある得体の知れない衝動に突き動かされたのだろう。
それに、あんな軟弱そうな騎士には負けたくないという気持ちもある。あいつに勝てないぐらいなら生きていてもしかたがないとさえ思うのだ。
常人には理解できないだろう。
だが、それこそが自分なんだと、リウイは思った。
「……どうやら、間に合ったみたいね」
リウイが地面に腰に下ろして、考えに耽っていると、背後から突然、声をかけられた。
振り返ると、眼鏡をかけた女性の姿があった。
「アイラじゃないか?」
彼女が見物に来るとは思わなかったので、リウイは少し驚いた。
「最後になるかもしれないんだもの、来るに決まってるじゃない」
リウイが見せた驚きの表情が不満だったらしく、アイラは油紙に包まれた長い棒のような物を乱暴に押しつけてきた。
「あなたへのお土産よ」
「剣……みたいだな」
「そうよ、古代王国時代のね」
アイラはそう答えて、意味深に笑う。
リウイは包み紙を解いて、鞘にも収められていない一振りの剣を取り出した。
周囲にいた見物人たちがぎょっとして、二人のそばからあわてて離れる。
初夏の日差しに、古代王国時代の剣は、燦然と刀身を輝かせた。防護の魔法がかかっていなければ、五百年以上前の剣が、それほどの輝きを見せるわけがない。
アイラが渡してくれたのは、間違いなく魔法の宝剣なのだ。
リウイは剣を調べて、エル・アラメインという銘が古代語で刻まれているのを確かめた。その人物がこの宝剣の魔力付与者というわけだ。
(エル・アラメイン……)
どこかで聞いた名前だな、とリウイは思った。もっとも、古代王国期の付与魔術師には、エルと名の付く人物がやたら多いから、他の誰かと混同しているのかもしれない。
「苦戦したときには、古代語で〝暗闇で踊れ〟と唱えればいいわ。きっと霊験あらたかだと思う……」
アイラはそう言うと、疲れたような溜息をついて、リウイの隣に座りこんだ。
「物騒な魔力が発動されるんじゃないだろうな?」
疑いのまなざしを、リウイはアイラに向けた。たとえば、彼女がいつも身に着けている魔法の眼鏡のような……
「もちろん、魔力は発動されるわよ。でも、剣は所有者の手の延長というのが、戦士たちの言い分。我らがオーファン王リジャールだって、戦場には魔法の剣を携えてゆくわ。決闘だからと言って、魔法の剣を使って文句を言う人はいない。強いて言えば、見物人ぐらいかな」
「それはそうだが……」
アイラの言葉は正論なのだが、リウイはなんとなく釈然としないものを感じた。
「相手だって、古代王国時代の剣を持っているわ。条件は、同じよ」
アイラは言って、眠そうに欠伸をした。
「それもそうか」
その言葉で、ようやくリウイは納得した。
相手も確か、立派な剣や鎧を持っていたはずだ。それでなくても、リウイのほうが分が悪いのである。それぐらいのことは、許されていいだろう。
やがて、決闘の刻限が近づいてきた。
アイラはいつのまにか、リウイの肩にもたれて寝息をたてている。どうも、かなり疲れている様子だった。
そのうち、ジーニとミレルが姿を見せて、見物人たちを強引に押しのけて、最前列にどっかりと陣取った。
ミレルが目敏くリウイの姿を見つけて、明るく手を振ってくる。声援しているのか、それとも別れの挨拶のつもりなのかは、判断がつきかねた。無邪気な笑顔に見えるが、彼女の場合、それが曲者なのだ。
ジーニのほうはリウイに、何の挨拶も送ってこなかった。持参してきた携帯食を袋から取り出すと、ぼりぼり食べはじめる。完全な観客気分でいるようだ。
次いで、決闘にいたった元凶というか、張本人というか、神官戦士のメリッサが、姿を現した。そして、彼女は一人の老女を伴っている。その老女のことは、リウイもよく知っていた。
マイリー教団の最高司祭たる〝剣の姫〟ジェニである。オーファンの建国王リジャールの英雄譚で、美しく勇ましい従者として謳われているほとんど伝説の女性だ。
リウイの養父である〝偉大なる〟カーウェスも、若き日のリジャール王と行動を共にしていたから、彼女とは旧知の間柄だ。
当然、リウイも彼女とは何度も会っている。子供の頃から知っているので、リウイにとっては「ジェニおばさん」という感じだ。
そういう知り合いの前で決闘をするというのは、なんとなく恥ずかしい気がした。幼い頃の愛称などを使われて声援されたら、その瞬間に戦意は喪失してしまうだろう。
メリッサも観客たちのなかにリウイの姿を認めて、それから彼の肩で眠っているアイラにも気がついた。そして、彼女は冷たい一瞥を残して、最高司祭に向き直った。
どうやら、アイラに肩を貸しているのが、お気に召さなかったようだ。表向きは彼女の愛をかけての決闘だから、たしかに他の女性と一緒にいるのは、彼女としては立場がないかもしれない。
メリッサは、ジェニ最高司祭に何事か耳打ちすると、リウイに指を向けてきた。
それで、最高司祭の視線が、リウイの方を向く。そして彼に気づいて、にっこりと微笑みかけてきた。
(やっぱり、やりにくい……)
ばつが悪くなって、リウイは集中しているふりをして瞑目し、ジェニおばさんの優しい微笑みから逃れた。彼にとっては、思いもかけぬ強敵だった。
そしてついに、ラムリアースの騎士コンラッドが登場した。
その途端、見物人たちから、一斉に拍手と歓声が巻き起こった。
(ここはオレの地元なんだがな)
リウイは、白けた気分になった。
観客たちの頭のなかでは、正義の騎士と悪党との対決という図式が勝手にできあがっているようだ。彼らが期待しているのは、騎士様が苦戦の末に悪党を討ち果たすことだろう。
「……どうしたの?」
拍手と歓声の音に、アイラが驚いて目を覚ました。
「そろそろ時間のようだ」
リウイはアイラに答えると、彼女から渡された剣を持って、立ち上がった。
そして、決闘の舞台に向かって進みでる。
それを見て、観客たちのあいだからざわめきが起こった。
明らかに期待がはずれたという雰囲気だ。
(黒ずくめの格好で来ればよかったかな)
リウイはそんなことを考えた。
死ぬかもしれないというのに、不思議に心は澄んでいる。そういう自分の感性を、リウイ自身、少し異常だと思っている。
死ぬのが恐くないわけではない。それなのに、一瞬ごとに気分は高揚し、力がみなぎってくるのだ。
負ける気がしていないのではないか、とさえ思う。だが、決闘相手は、五人の賊をたった一人で倒した剣の使い手なのだ。
すでに勝ち誇ったような顔をしているラムリアースの騎士に、リウイは正面から向かいあった。
「いい顔しているじゃない、ウーくん」
そんなリウイの顔を見て、マイリー教団の最高司祭であるジェニはひとりごとを言った。
「えっ?」
隣にいたメリッサが、怪訝そうな顔をジェニに向ける。彼女は、最高司祭の言葉を確かに聞いたのだが、神にもっとも近いと謳われる女性がつぶやく言葉とは思えなかったのだ。
「彼が、あなたの勇者なのですね?」
普段の口調に戻って、ジェニが厳かに訊ねてきた。
「はい……」
恥ずかしそうにうつむいて、メリッサは答えた。
できれば、見られたくなかったのだが、最高司祭はどうしても立ち会うと言って聞かなかったのだ。
「よく見ておきなさいな。あなたの勇者の戦いぶりを……」
ジェニが言った。
(負けるところをですか?)
メリッサは内心、そう思ったが、それを口に出せるはずはない。
「はじめなさい!」
そして、マイリー教団最高司祭は声高に、決闘の開始を宣言した。
リウイはその声を待ちわびたかのように剣を構え、コンラッドのほうに進んでいった。
儀礼に則って、一度、かるく剣を合わせる。ふたつの魔法の剣の刃が触れ合って、共鳴したような金属音が響いた。
「行くぜ!」
リウイは気合いの声をあげた。
「来い! 〝踊りの相手〟を務めていただこう」
コンラッドが言葉を返してきた。気取ったつもりか、古代語を交えて……
そして、鋭い一撃が襲ってきた。
リウイは完全に不意をつかれて、肩口を浅く、切り裂かれた。歓声と悲鳴の入り混じった声が、観客からわきあがる。
リウイはそのまま後ろに転がって、コンラッドから距離を取った。
「よくぞ、かわした」
コンラッドが余裕とも思える声をかけてくる。
しかしそのとき、リウイはある事実に気がついていた。
(そういうことか!)
そして、心のなかで叫んだ。
剣の一撃が襲ってきたとき、リウイは相手が全身の力を抜いたのを確かに見た。
普通、攻撃を仕掛けるときは、その反対である。剣を振るために、力を入れるはずなのだ。殴り合いの喧嘩には慣れているので、リウイは相手の筋肉の動きには敏感になっている。仕掛けてくる瞬間が、分かるのだ。
ところが、コンラッドの攻撃には不意を突かれた。当然である。攻撃するときに力を抜くなど、常識とはかけ離れているのだ。
それだけなら、それが相手の剣技だと思ったかもしれない。
しかし、決闘をはじめるとき、相手は言葉に、古代語を交えていた。
〝踊りの相手〟と……
(分かったぞ、アイラ!)
リウイは思いだしていた。
相手が手にしている剣の銘を。その剣に魔力を与えたのは〝動かざる者〟エル・アラメイン。そして、それは今、リウイが手にしている剣の魔力付与者でもある。
優雅な足取りで、コンラッドが近づいてくる。勝利を確信している顔つきだ。
リウイはその顔に唾を吐きかけてやりたい気持ちになった。メリッサがこの騎士を毛嫌いする理由が、やっと分かったような気がする。
リウイは嘲るような口調で、コンラッドに向かって声をかけた。
「貴様など、暗闇で踊っているのがお似合いだぜ」
そして、改めて古代語で〝暗闇で踊れ〟と言いなおした。
思ったとおりの反応が、手に伝わってくる。
剣が自らの意思を持ったように、動きはじめたのだ。
そして、リウイは剣から手を離した。
その瞬間、剣はまさしく空中を踊るように、コンラッドに向かって飛んでいった。そして、猛然と彼に攻撃を仕掛ける。
「卑怯だぞ!」
見物人から次々と罵声があがった。
しかし、彼らは最初からそれを期待していたはずだ。決闘相手が極悪人であることを。そして、正義の騎士が、この劣勢を跳ね返すことを。
(お生憎だが)
リウイは、心のなかで彼らに呼びかけた。
(勝つのはオレだ)
リウイは不敵な笑みを浮かべながら、相手の背後にまわりこんでいった。
コンラッドは明らかに狼狽していた。
踊る剣を相手にしているというのに、その視線はリウイに向けられている。しかし、彼の剣は、踊る剣の攻撃を見事に防いでいる。
息の合った一組の男女が、宮廷舞踊を舞っているような趣がある。
「さて、オレたちの決闘をはじめようじゃないか」
リウイはコンラッドの背後に立つと、嘲るように声をかけた。
もはや我慢できないというように、コンラッドも自分の剣から手を離した。そして、リウイを振り返った。
「な、なんだ?」
信じられない光景に、観客たちからざわめきの声があがる。
当然だろう。主の剣を離れたふたつの剣が、空中で斬り合いを続けているのだ。魔法の発現に慣れていない者には、神か悪魔の所業に見えるだろう。
不器用な動きで、コンラッドは腰の短剣を抜こうとする。それを見て、リウイは右の拳をかためると、力を込めて相手の顔面に叩きつけた。
確かな手応えが、拳に伝わる。
そして、コンラッドは仰向けに倒れていった。そのまま、地面に転がったきり、起きあがってくる気配を見せない。