信者たちは、いつもの彼女と様子が違うことにようやく気づいた。
ざわめきが起こりはじめる。
「真の勇者とは……、いったい何でしょう?」
そして、メリッサは信者たちに向かって、問いかけるように言った。
「はあ?」
誰かが間の抜けた声をあげた。
それを信者に語り聞かせるのが、戦の神に仕える神官の使命なのだ。そして、これまでのメリッサは、自信と喜びに満ちた表情で勇者たちの物語を語っていたのである。
「……今日は終わりにしましょう」
そう言って、メリッサは逃げるように信者たちのまえから姿を消した。
3
盗賊の少女ミレルと女戦士のジーニがマイリー神殿にやってきたのと、信者らしい一団が神殿からぞろぞろと出てきたのは、ほとんど同時だった。
「今日のメリッサさん、おかしかったよな」
すれちがうとき、信者たちがそんなことを言いあっているのを、耳敏いミレルは盗み聞いた。
「……メリッサ、まだ変なんだってさ」
隣を歩く大柄な女性を見あげて、ミレルは深く溜息をついた。
争いの森から帰ってからというもの、メリッサはいつ会っても心ここにあらずといった感じで、ミレルたちが話しかけても、生返事をするばかりであった。
「原因は明らかに奴だな」
ジーニがぼそりと言う。
奴とはもちろん、魔術師リウイのことだ。
「まったく、信じられない男よね」
ミレルがうんうんとうなずく。
「エルフ女に騙されたかと思えば、あんな手段を使って、脱出しちゃうんだもの……」
「馬鹿なのか賢いのか、まったく理解不能だな」
いろいろな意味で、規格はずれの男だった。そんな男に従者として仕えなければならないのだから、メリッサが混乱するのも当然と言えるだろう。
「メリッサ、いつまで我慢するつもりなのかな?」
ミレルがぽつりと言う。
「神託だからな。我慢しつづけるしかないだろう」
「彼女、壊れないといいけど……」
ミレルは真剣に心配していた。
もともと思いつめるところのある性格だけに、メリッサの精神が保たないかもしれない。
そうなるまえに、リウイを始末したほうがいいのだろうか、とミレルはひそかに考えている。
盗賊ギルドでは、暗殺術の訓練も受けていたミレルなのだ。その技を使ったことはないが、錆びつかせてもいない。
しかし、メリッサがそれを望んでいるとは思えない。
仕えるべき勇者が死ぬようなことがあれば、神から下された試練を果たせなかったとして、彼女も自ら命を断つかもしれない。
やっかいな神託を受けたものだというのが、ミレルとジーニの正直な気持ちなのである。
「今のところそんな素振りはないけど、いつあいつがメリッサに変なことしようとするかもしれないしね……」
悪い奴ではなさそうだが、リウイもしょせん男だ。ずいぶん派手に女性と遊んでいるという噂も耳に入っている。
だいたい男という生き物は、女性と関係を持つことしか考えていないものである。そうでなければ、盗賊ギルドが娼館などを経営していられるわけがない。
男は信用できない──
ミレルたち三人は、一致してそう考えていた。だから、冒険者になったときも、女性しか仲間に入れないと決めていたのだ。
残酷な運命というやつで、リウイを仲間に迎えることになってしまったが、それ以来、騒動が絶えたことがない。運にも見放されたような気もしている。
「あいつのことは、メリッサの問題だからな。わたしたちは見守るしかない」
ジーニの言葉に、ミレルはうなずくしかなかった。
気分が少し重くなる。
これから、そのリウイと会う予定なのだ。なんでも、彼の同僚の女性魔術師から、提案があるらしい。
リウイから概略で聞いたところでは、この前、彼がエルフの集落から持ち帰った小枝は、実は古代樹の枝だったのだそうだ。
その小枝は魔法人形の材料に最適なだけではなく、創造魔術の奥義を使えば、人造生物を創りだすことも可能だという。
難しいことはミレルには分からないが、ようするに値打ちものだということだ。
彼女はその報酬を支払いたいと申し出ているらしい。そして、冒険で見つけた魔法の宝物に関しては、自分が一手に引き取りたいという意志もあるのだそうだ。
悪い取引ではないが、その女性魔術師とは先日、酒場でやりあったこともあって、感情的にはひっかかりを覚えている。
もう少し彼女と話しあってから決めようと、ミレルたちは結論に達したのだ。
嫌いな奴の仕事は受けないというのが、彼女たちの方針なのである。
本当なら酒場で会いたいところだが、なじみの店は出入り禁止をくらっているし、メリッサには神殿での務めがあって、しばらくのあいだ外出できないという事情もあった。だから、彼女の休憩時間に、マイリー神殿で話し合うことに決めたのだ。
もうすぐ、約束の時刻である。
ミレルたちは神殿内に建てられた宿舎を訪ねて、メリッサを呼びだした。
「あいつは?」
ミレルが遠慮がちに訊くと、メリッサはゆっくりと首を横に振った。遠慮がちに言ったのは、リウイの話題をふると、メリッサは魂が抜けたようになるからだ。
「裏庭へ行きましょう……」
熱に浮かされたような表情になりながら、メリッサは理性を総動員してそう提案した。
彼女の部屋は狭いし、他の司祭や神官たちに聞かれたい話でもないからだ。
戦の神の教団は聖職者が冒険者として活動することを、修行のひとつとして認めてはいる。しかし、それによって、神殿での務めが疎かになることに、いい顔をしているわけではない。そして、冒険者稼業を営んでいるかぎり、生活はどうしてもそちらが中心となる。
神殿での務めに身が入っていないと、メリッサは最近、司祭たちから睨まれているのだ。
(今日みたいな説教をしていたら……)
また、何を言われることか、とメリッサは心のなかで溜息をついた。
裏庭に出てからは、三人は他愛もない話をしながら、リウイがやってくるのを待った。
そして、しばらくして、彼はやってきた。二人の客を連れて。そのうちの一人は予想された人物であった。しかし、もう一人のほうは……
「コンラッド!」
リウイが連れてきた客のうち、騎士のほうの顔を見て、メリッサは絶句した。
どうしてこんなところにという驚きと、なぜやってきたのかという疑問が、彼女の言葉を奪いとったのだ。
「おお、メリッサ!」
騎士のほうも彼女に気づいて、やはり絶句する。こちらは感動のあまり、声さえ失ったという様子である。
「知り合いなんだって?」
リウイがメリッサに向かって言った。
「酒場で偶然、会ったんで、案内してきたんだ」
感謝しろよ、とでも言いたげな口調であった。
だが、メリッサのほうは、なんてことをしてくれたのかと、叫びだしたいほどだった。
「誰なんだ、あいつ?」
ジーニが顔を近づけ、不審そうに訊ねる。
女性のような顔をしているし、ひ弱そうな体格である。これで騎士が勤まるのだろうか、と他人事ながら心配になった。
「あの人は、わたしの婚約者なんです」
メリッサは消え入るような声で答えた。
「婚約者!?」
思いもかけぬ言葉に、ミレルが目を丸くした。そしてメリッサと彼女がコンラッドと呼んだ騎士ふうの男を交互に見比べる。
「そのとおり」
コンラッドは感動に震える声で言った。
「わたしとメリッサとは、結婚の約束をしているのです!」
「そうなの?」
ミレルが問い、メリッサは顔を赤くしながら、うなずいた。
「そうか、婚約者だったのか」
リウイが感心したように言って、それからにやにやと笑いはじめた。
「立派な騎士様だと思ったが、なるほどな」
茶化すようなリウイの言葉に、メリッサの顔はますます赤くなる。
「さあ、わたしと一緒に帰りましょう。森と泉の王国ラムリアースへ!」
メリッサのほうへと歩み寄りながら、コンラッドが歌いかけるように言った。
(それは困るな)
彼女を連れて帰られると、リウイは冒険者を続けることができなくなる。しかし、このまま連れて帰ってもらったほうがいいのでは、という気もしないではない。
そのほうが幸せだぞ、と犬頭鬼の囁く声が聞こえてきそうだった。
「以前、お断りしたはずです」
厳しい表情でコンラッドを見つめながら、メリッサは言った。
「わたしは家を捨てたのです。父の決めた縁談に従う義務などありません」
「決められた縁談だからではありません。わたしは、あなたを愛しているのです」
コンラッドがあわてて言い返した。
「まるで芝居を見てるみたいだわ……」
ミレルは地面にしゃがみこみ、頬杖をつきながら、成り行きを見守ることに決めた。
ジーニはと言えば、居心地の悪そうな顔をして、頬に描かれた呪払いの紋様を指でなぞっている。
リウイの同僚の女性魔術師は、けっこう楽しんでいる様子だった。
「わたしはあなたのことを愛してなどおりません!」
メリッサはきっぱりと言った。
「いいえ、あなたはきっとわたしを愛するようになる。わたしはもう以前とは違うのだから。あなたが望むとおりの騎士になりました。魔術も捨てましたし、あなたが仕えるにたる勇者の資格を得たとの自信もあります」
「とても、そのようには見えませんわ」
かつての婚約者の頭から足までを観察したあとで、メリッサはわざとらしく溜息をついた。どこが昔と違うのか、彼女にはまったく見当もつかなかった。剣や鎧が変わったぐらいではないか。
「それに……」
メリッサは言いかけて、ちらりとリウイに視線を向けた。
「それに、なんでしょう?」
「わたしはすでに仕えるべき勇者を見つけております」
不本意ながら、とメリッサは心のなかで付け加えるのを忘れない。
「そのお方を助け、導かねばなりません。身も心も捧げなければなりません」
(よく言うぜ!)
リウイには、助けられた記憶も、導かれた記憶もない。身も心も捧げてもらったことがないし、されても困る。
「なんですって!」
まるで悲劇役者にでもなったかのように、コンラッドは顔を押さえ、数歩、後ろによろめいた。
「それで、その勇者というのは、いったい誰なのです?」
「この人ですわ」
メリッサは怒ったような顔をしながら、リウイにつかつかと歩み寄った。そして、一瞬、躊躇したあと、彼の右腕を強引に抱えこんだ。
(な、なんだ?)
思いもかけぬ行動に出られて、リウイは狼狽した。
それまで、彼の隣でにこにこしていたアイラが、たちまち表情を一変させる。
「あなたが、勇者……」
コンラッドが、呆然とした顔でリウイを見つめる。
「どうも、そうらしいんだな」
痴話喧嘩に人を巻き込むんじゃない、と内心では文句を言いながら、それでも彼女の言葉は事実には違いないので、リウイはしぶしぶうなずいた。
「ま、魔術師ではありませんか? あなたは、わたしが魔術を使うのを、あれほど嫌っていたのに……」
「そうでしたわね」
嫌なことを思い出さされて、メリッサの表情がくもった。
ラムリアースにいた頃、彼女は魔術師が大嫌いだったのだ。〝魔法王国〟の別名で呼ばれるだけに、ラムリアースには騎士のなかにも魔術を使える者が大勢いる。
だが、そういった騎士は、魔術に頼ることが多く、武術を軽視している傾向がある。それは戦いに対する冒涜のように、彼女には思えた。
「ですが、偉大なるマイリー神は、わたしに啓示を与えたもうたのです。この人こそが、仕えるべき勇者であると……」
「し、信じられません」
コンラッドは呻くように言った。
(オレだって信じたくないさ)
騎士に向かって、リウイは心のなかで同情の言葉を贈った。
そして、それはメリッサ自身も同じだろう。しかし、今はその事実さえ利用して、婚約者を送り帰そうとしているわけだ。
ひとことで言えば、哀れなこのラムリアースの騎士は、とことん彼女に嫌われているのである。魔術を使うとかどうとかというのは些細な理由で、おそらく生理的に受けつけないのだろう。
(嫌われているのは、おまえだけじゃない)
コンラッドにそう慰めの声をかけてやりたい気がしたが、話をややこしくするだけなので、リウイは口には出さなかった。
「……お分かりいただけたのなら、帰ってください」
メリッサの声は、雪の女王の吐息のように冷たい。
まるで巨大な鉄槌で打ちのめされたように、コンラッドはその場で呆然と立ち尽くしていた。両の拳は握りしめられ、身体が小さく震えている。
なんとも大仰な反応だが、それだけ衝撃を受けたということだろう。理由は分からないが、彼がメリッサを愛しているのは、間違いない。
そのとき、コンラッドが、何事かつぶやいたのが聞こえた。
「何か言いましたか?」
メリッサがコンラッドに見せつけるように、リウイに身を預ける。
(そこまで、やるか?)
リウイは呆れてしまった。
メリッサに抱えられた右腕に、彼女の胸の膨らみが感じられた。柔らかな感触、見た目の印象より、彼女の胸は豊かなようだ。ミレルとは、比べものにもならない。
その感触は嫌いではないが、彼女の意図は見え見えなので喜ぶ気にもなれない。
「決闘だ! 決闘を申し込むぞ!!」