第Ⅴ章 それは愛ゆえに
1
白馬にまたがった一人の騎士が、ファンの街の大路を闊歩していた。白銀色の甲冑の胸にはラムリアース王国の一角獣の紋章が、初夏の日差しを浴びて燦然と輝いている。
髪は白金、瞳は蒼氷色、肌は新雪のごとく。唇は紅をひいているかのように赤い。
大路を行き交うファンの街の人々は、申し合わせたように騎士を振り返ってゆく。そして、絵画のなかから出てきたような騎士の美しさに息をのみ、騎士の性別がいずれかと首を傾げる。
しかし、騎士のほうはといえば、街の人々には目もくれない。馬の手綱を握りしめ、まっすぐに前を見つめている。
やがて、騎士は一軒の酒場の前で馬を止めた。慎重な動作で地面に降り立つと、愛馬を馬小屋に繋ぎ、そこに用意されていた飼い葉と水とを与える。そして、自身は店のなかに入っていった。
昼時ということもあり、店は混雑していた。食事をしている者がほとんどだが、酒を飲んで盛り上がっている一団もある。
しばらくのあいだ店内を見渡して、ようやく騎士は隅のほうに空席を見つけた。客の隙間をぬいながら、そのテーブルへと移動する。
「よろしいでしょうか?」
テーブルに並んで座っていた二人の先客に、騎士は礼儀正しく声をかけた。
一組の男女だった。二人とも長衣を着て、テーブルの脇には杖を立てかけている。そのうちの一本はまだ真新しく、木の香りが漂ってきそうな感じがした。
二人は魔術師なのだ。剣の国と謳われるオーファンではあるが、立派な魔術師ギルドがあることを、騎士は知識として知っていた。
「もちろんですわ、ラムリアースの騎士様」
魔法の宝物らしき眼鏡をかけた女性が、微笑みながら答えた。
隣にいる大柄の魔術師は無愛想にうなずく。
リウイとアイラの二人だった。
彼らは魔術師ギルドの次席導師であるフォルテスから、魔術師ギルド所有の古代書の解読を命じられ、一晩がかりでその要約を書きあげたところだった。
そして、導師の悪口を言いながら、遅い朝食を取っていたのだ。
「失礼ながら、今のわたしは自由騎士の身分なのです」
アイラの言葉に、騎士が決意に満ちた表情を浮かべて言った。
「誓いを果たすまで、国には帰らぬつもりでおります」
そうなのですか、と相槌を打ちながら、
(誰もそんなこと聞いてないわよ)
と、アイラは心のなかでそうつぶやいた。
(自意識過剰か、それとも精神的な露出狂ね)
その時点で、アイラは騎士本人には関心を失った。しかし、彼が身に着けている武具には、ひどく興味をそそられた。
「……よい剣に、鎧をお持ちですね」
〝四つの眼〟という銘を与えられた魔法の眼鏡に手をかけながら、アイラは言った。
金属枠にはめられたふたつの水晶硝子がきらりと輝く。
「お分かりですか?」
たちまち、騎士の顔に得意そうな表情が広がった。
「鎧のほうは大地の妖精の手になる真銀製。留め具の形状から、ヤスガルン山脈はサウザー集落の品とお見受けいたします。そして、剣は古代王国の末期、魔力の塔の建造以降に鍛えられた宝剣ですね。柄にはめこまれた黒水晶がその証。おそらく、強い魔力が付与されていましょう。魔力の付与者は〝動かざる者〟エル・アラメイン……」
アイラは剣と鎧を交互に見ながら、すらすらと言葉をならべた。
「……仰るとおりです」
騎士は驚きを通り越し、呆けたような表情になった。
女性と見紛うような端正な顔だちをしているだけに、その表情はひどく間が抜けていた。二人のやりとりを見るとはなしに見ていたリウイは、笑いを抑えるのに苦労しなければならなかった。
誇り高い騎士のことだ。少しでも笑おうものなら、それこそ決闘を挑んでくるかもしれない。
(理由もないのに、戦うことはない)
いくら徹夜明けで気が立っているとはいえ、リウイにもそのぐらいの分別はある。
もっとも、その物腰や体格を見るかぎりでは、この自由騎士はそれほど強そうには見えない。剣を振り回そうとしたら、かえって身体のほうが回るのではなかろうか。
いくら剣や鎧が立派であっても、それを満足に扱えるかどうかは別問題なのだ。
(それにしても……)
と、リウイは思う。
アイラの鑑定眼は知っているつもりだったが、実際に見せつけられると、改めて感心させられる。
(もっとも、常識はずれではあるけどな)
アイラの場合、宝物に関する知識や鑑定能力は、学問の範囲を超えている。それに命をかけていると言って、過言ではないのだ。
そのとき店員がやってきて、騎士に注文を取りにきた。
「軽い食事に、葡萄酒を一杯、お願いしたい」
騎士は言って、店員が運んできた冷たい水で渇いた喉を潤した。
アイラは自分の鑑定が正しかったことで満足したらしく、リウイに向き直ると、フォルテス導師の悪口を再開しはじめた。
神経質なこの次席導師は、若い魔術師たちのあいだでは何かと評判が悪い。ちょっとしたことですぐに怒りだし、陰険な罰を与えるからだ。
リウイたちが徹夜で古代書を読まねばならなかったのも、廊下で談笑しているのを見咎められたからだ。
会話の内容が魔術には関係のない話であったため不謹慎だと叱責され、魔術師ギルドの倉庫に腐るほど貯まっている未解読の古代書の要約を作れと命じられたのである。
そうしておけば、必要なときに必要な書物を容易に見つけだすことができるのは確かだ。しかし、古代書のすべてが役に立つものとはかぎらない。
「……どういう死体が屍人に適しているとか、冥王犬の餌には何がいいかなんて書物を読んで、いったいどんな意味があるのかしら?」
「オレが読んだ貴族の日記なんか、食べ物のことしか書いてなかったぜ。それも下手物ばかり。書いた奴は、美食家のつもりでいるみたいだけどな……」
リウイたちはそんな会話を交わし、くだらぬ古代書を押しつけたフォルテスに対し、容赦のない攻撃を続けた。
そのあいだに、自由騎士は運ばれてきた料理を黙々と食べ、リウイたちより先に食事を終えた。そして店員を呼び、銀貨で勘定を支払う。
それから、ゆっくりと立ち上がると、リウイとアイラにかるく一礼した。
「邪魔をいたしました」
「こちらこそ、目の保養をさせていただきましたわ」
そう挨拶を返し、アイラは魔法の剣とドワーフ製の鎧に向かって、心のなかで別れの挨拶を送った。
「邪魔をしたついでにお訊ねしたいのですが、マイリー神殿がどこにあるか、ご存じありませんか?」
「マイリー神殿……ですか?」
アイラは驚きの声をあげ、リウイと顔を見合わせた。
「驚くようなことではないでしょう」
アイラの反応に、騎士は心外そうに言った。
「……申し訳ありません」
機嫌を損ねぬよう騎士に謝ったが、彼女が驚いたのにはもちろんわけがあった。
二人はまさにこれからマイリー神殿に行くつもりだったのである。
リウイたちは騎士に、神殿まで案内しようと申し出た。騎士はその好意を素直に受け、二人に謝意を表した。
「感謝されるようなことじゃ……」
社交辞令で、リウイは騎士に答えた。
だが、まさに感謝されることではなかったと、リウイはすぐ後に、身をもって知ることになる。
2
「……人生とは戦いなのです」
神殿の礼拝所に集まっている信者たちに向かって、戦神マイリーに仕える神官戦士メリッサはゆっくりと語りかけた。
優雅な動作と、知性あふれる語り口で、彼女は信者の人気が高い。
集まっているのは比較的、若い年代の男がほとんどだ。彼女自身は気づいていないが、彼らの大半は、メリッサが説教に立つときを狙って、神殿に礼拝に来ているのだ。
戦の神の教義を説き、武術の訓練を施し、怪我や病気を患っている者には治癒呪文をかける。そして、神殿を運営してゆくために必要な寄進を受けるのだ。
ファンの街のマイリー大神殿において、侍祭の地位にあるメリッサは一月に一回ほど、この職務に就いている。いや、就かねばならない。
「……戦いといっても、戦場でのそれを意味しているのではありません。生きてゆくためには様々な試練があり、それに立ち向かうこともまた戦いに他ならないわけです。そして、偉大なるマイリー神は、非力な我らに勇気をお授けくださいます……」
メリッサは戦の神の教義を説きつづける。
だが、今日の彼女はどこかしら気の抜けたような表情であり、声だった。
〝争いの森〟ターシャスから帰ってからというもの、メリッサは毎日、こんな様子であった。
(まだ肩が痛い……)
十日ほど前、リウイに掴まれたところは、ちょっとした青痣になっていた。だいぶ薄れてきたが、その痣がときどき痛んだような気がするのだ。
そして、痛みとともに視界いっぱいに広がる魔術師の顔が思いだされる。興奮したような歓喜の表情を、そのとき、彼は浮かべていた。
それまで、生理的ともいえる嫌悪感を覚えていたはずの顔だ。しかし、あのときは何故か、そんな気分にはならなかった。むしろ、彼と一緒に喜びを分かちあいたいという衝動さえ覚えた。
(どうして、そんな気持ちになったのでしょう?)
それが分からなくて、メリッサはファンの街に帰ってからも、まったく気分が落ち着かなかった。
困惑している自分に驚き、また腹立たしくもあった。
先ほど、行った武術指南のときにも、彼女は集中力を欠いていて、稽古相手に戦鎚を当ててしまいそうになった。
(人生は戦い……)
信者に向かって、マイリー神の教えを語り聞かせながら、彼女は思った。
今の自分がまさにそうであった。
試練に直面し、それと戦わねばならない。しかも、その試練は、神から与えられたものなのである。
(ですが、神よ。あの魔術師が、勇者だとはどうしても思えないのです)
魔術師のくせに大柄で、筋肉の塊のような体格をしている。下品で野蛮で、行動には洗練さのかけらもない。
外見の美しさだけで判断して、森の妖精に騙された。そして、危機を脱出するためには、おぞましい妖魔さえ平気で利用し、そのことを反省している様子さえない。
(そんな男が、どうして勇者たりえましょうか?)
メリッサはその問いを何度、神に投げかけたか分からない。
だが、答は返ってこない。
それを見つけだすことが汝の使命だと言わんばかりであった。
勇者からもっとも遠いところにいると思われる男に、英雄性を見いだす。
マイリー神の教義を思えば、これほど宗教的な命題はないと言えるかもしれない。だが、非力な従僕にしかすぎない自分に、その命題を解き明かすことができるだろうか?
メリッサには、まったく自信がなかった。
唯一、可能性があるとすれば、リウイ自身が心を入れ替え、別人のごとく変わることだけだと思っていた。
メリッサはそれを望んでいた。あの魔術師が変わらなければ、自分が果たすべき役割は何もないと。
だから、彼と目を合わそうとしなかったし、身体に触れられるなどもってのほかだった。彼が変わろうとしないのが悪いのだから、それでも許されると思っていた。
しかし、エルフ族に囚われたとき、額が触れるかと思ったほどの距離で、リウイと見つめあった。そして痣が残るほどに強く、肩を掴まれた。
それなのに嫌悪するどころか、一緒に喜んでもいいと思いかけたのだ。
その理由が分からない。だから、メリッサは混乱しているのだ。
「真の勇者とは……」
彼女の説教は、マイリー教団が列した聖なる勇者の話にきていた。
聖勇者の話をするとき、メリッサはいつも陶酔したような気分になる。
それら真の勇者に憧れて、その傍らにいる忠実なる従者になりたくて、彼女はマイリー教団に入信したのだ。
しかし、なぜか今日は気分が乗ってこない。彼女がいちばん好きな聖勇者の話をしようと決めていたのに、だ。
「真の勇者とは……」
メリッサは同じ言葉をふたたび繰り返す。
礼拝所に集まった信者たちは、期待に満ちた顔で、続く言葉を待っている。
聖勇者について語るときの彼女がもっとも魅力的だというのが、彼らの一致した意見なのである。
いつもは高貴で清楚な雰囲気をしているのだが、そのときばかりは声に熱が入り、瞳も潤んだようになる。その表情がたまらないと、彼らは神殿からの帰り際によく話しあっている。
「真の勇者とは……」
メリッサは三度、言った。
だが、どうしてもその先が続けられない。顔も伏せがちになって、声からも力が失われた。額には、汗さえにじみはじめる。