第Ⅳ章 争いの森
1
「信じられませんわ」
豪奢な金髪をした女性神官が、その髪を激しく揺らすように顔を横に振る。
「信じられねぇよ!」
小柄な盗賊の少女がそれに相槌をうつ。
「信じられないな」
長身の女戦士もそれに応じて、狭い部屋のなかにただ一人いる男を睨みつける。
(オレだって、信じたくないさ)
その男、オーファン魔術師ギルドの正魔術師リウイは、三人の女性たちの言葉に心のなかで答えた。
もう何度、その言葉を聞いたか分からない。
だが、彼女たちが、そう言いたくなるのは当然かもしれない。
リウイたち四人は、今、囚われの身であった。〝争いの森〟の名で呼ばれるここターシャスの森で、よりにもよって森の妖精エルフ族の集落に軟禁されているのだ。
争いの森が危険であることは、リウイも承知していた。だが、その危険は妖魔や魔獣と遭遇する可能性があるからだと思っていた。
しかし、リウイたちはそれら魔物どもとはまったく出会うことなく、森の奥深くまで無事にやってくることができた。
樹齢五百年を超える樫の古木を探すのが、目的である。そして、その枝を魔術師ギルドに持ち帰って、魔力の発動体たる魔術師の杖を作ってもらわなければならない。
そうしないとリウイは、魔法を使えない魔術師のままである。加えて、魔術師の杖は、魔術師にとって証のようなものなのだ。魔術師の長衣を着て、魔術師の杖を持っていてこそ、世間の人々はその人物を魔術師と認識してくれる。杖のない魔術師など、剣を持たない騎士のようなものなのだ。
杖の材料となる樫の古木を探しだして、枝のひとつを切り落としたまでは、すべて順調だった。
そして、その木が生えていた場所が、エルフたちの聖地でなければ、問題は何もなかったに違いない。
だが、そうであったから、問題が起こったわけである。ジーニたちが言うように、まさに信じられないことではあるのだが……
リウイがひとつめの枝を切り落とした瞬間、悲鳴にも似た声があがった。
エルフ語だったので、何を言ってるのか、リウイにはさっぱり分からなかった。
エルフ語は、魔術師にとって学ぶべき言葉のひとつだ。だが、優先順位はそれほど高いわけではない。
何と言っても必須なのは、上位と下位ふたつの古代語。これが理解できないようでは、魔力を操る優れた〝資質〟があっても、魔術は使えない。
リウイは幼い頃から、養父であり魔術師ギルドの最高導師でもあるカーウェスから教わっていたこともあり、古代語の読み書きは行える。
そして、今は、アレクラスト大陸の東方で使われている言葉の読み書きを習っているところだ。それを習得すれば、その次あたりに、エルフ語か大地の妖精ドワーフ族の言葉を勉強しようとリウイは思っていた。
だが、今はまったく話ができない。
エルフ語と分かっただけでも、褒められていいぐらいだった。
「とても残念なことに、わたしはエルフ語を話すことができません」
樫の古木の枝の上にまたがったままの姿勢で、リウイは唯一知っているエルフ語で答えた。
だが、声の主は姿を現さなかった。続く言葉も聞こえない。
木の下では、ジーニたち三人が警戒しながら、周囲をうかがっている。彼女たちにも声の主を見つけられないようだ。
雰囲気から、彼女らのなかにもエルフ語に通じている者はいないことが分かる。
「今のは、エルフ語だ。どこかに森の妖精が隠れているんじゃないか?」
リウイは樹上から三人に向かって、声をかけた。
「エルフ語ですか? まさかダークエルフではないでしょうね」
一瞬だけ、リウイに視線を向けて、戦神マイリーに仕える女性神官メリッサが不安そうな表情を見せた。
「可能性はあるな……」
女戦士のジーニが背中にくくりつけてある巨大な大剣をはずしながら答える。
「ダークエルフだって!」
リウイはつい大きな声を出してしまった。
邪悪なエルフ族であるダークエルフは妖魔のなかでも、もっとも手強い相手だ。精霊魔法に熟練しているし、戦いの技能にも長けている。そして、暗黒神の加護のゆえか、魔法に対して強い耐性を持っているのだ。
もしも、リウイが古代語魔法の呪文を唱えたとしても、とてもではないが、その耐性をうち破ることはできないだろう。もっとも、今は魔法を使えないから、情けない話ではあるが、それは心配しなくていい。
「ダークエルフかぁ、妖魔が巣くう森だものね」
盗賊少女のミレルが唇をなめながら、胸の脇に隠し持っている短剣を、手品のように取り出した。
彼女の頭上にいたこともあり、瞬間的ではあるが、リウイには彼女の胸の膨らみがまともに見えてしまった。上から見ても、やはり彼女の胸は豊かとはいえない。
「そこから、飛び降りられるか?」
顔を上げて、ジーニが声をかけてくる。
「無茶を言うな!」
リウイは彼女に怒鳴りかえした。
杖にするのに手頃な枝を取るため、身長の何倍もの高さを登っていたのである。ここから飛び降りたら、怪我をするのは目に見えている。打ち所が悪ければ、死んでも文句は言えない高さなのだ。
「普通の魔術師なら、落下制御の呪文が使えるのだがな」
ジーニが嘲るように笑う。
(それが使えるなら、こんな森になど入っているものか)
リウイは憮然としたが、言い返すのはやめておいた。
理由はともかく、彼女たちには「ついてきてもらっている」のである。もしも、凶悪な魔獣にでも出会っていたら、魔法の使えない今の彼には勝てるはずがないのだ。
これまでは危険な生き物に遭遇しなかったわけだが、それはただ運がよかっただけなのかもしれない。
もしも声の主が本当にダークエルフだとしたら、その幸運もこれまでと言えるだろう。それどころか、もっとも出会いたくない相手に出会ったことになる。
(だとしたら、冗談じゃないぜ)
リウイは心のなかで悲鳴をあげた。
攻撃魔法で狙われるか、弓矢が飛んでくるか、姿の隠しようのない今のリウイは、格好の標的である。まっさきに狙われるのは目に見えている。
木の下では、ジーニたちが姿勢を低くしながら、声の主を探し求めている。だが、あいかわらず見つけられないようだ。
「あいつに弓でも撃ってくれないかな? そしたらどこに潜んでいるか分かるのに……」
そう話しかけるミレルの声が、やけにはっきりとリウイの耳に聞こえてきた。
「魔法なら炎の矢とかね」
「それこそ、勇者にふさわしい行為ですわね……」
ミレルの言葉に、メリッサが無責任な発言をした。
「勇者ってのは囮なのか?」
リウイはうめいた。
そんなことで勇者と讃えられても、彼にとってはまったく不本意だった。
しかし、飛び降りることもできないし、隠れようもないリウイには、攻撃されたらまったく対処のしようもない。
しかたなく覚悟を決めて、リウイは精神を集中させた。魔法に対抗するためでもあるし、飛んでくる矢に対する用心のためでもある。
簡単にはくたばらないぞ、と自分を叱咤する。リウイがよく行く裏通りの歓楽街では、殺しても死なない男と、褒められているのか貶されているのか分からない評判をもらっているのだ。
だが、最初に一声あげただけで、声の主はまったく姿を現そうとしない。その気配すら殺している様子だった。
「襲うつもりなら、はやくしやがれ!」
我慢できず、リウイは大声で呼びかけた。
「……分かったわよ」
リウイの呼びかけに応えたように、流暢な西方語が返ってきた。
そして、左手の方にあった一本の木から、人影がひとつふわりと地面に舞い降りた。
羽根がはえているかと見紛うような軽やかな跳躍だった。
その人影が飛び降りた高さは、リウイがいる高さと同じか、それ以上はあった。
(そんなことをされると、オレの立場がないんだが……)
リウイは内心、恨めしく思った。
ジーニたちがどう思ったかは、容易に想像できた。
メリッサなど、そんな高さも飛び降りられないなんて、それでも勇者なのですか、と、心のなかで叫んでいるだろう。
「人のことを勝手にダークエルフ呼ばわりしないでほしいわ」
地面に降り立った人影は、そう抗議しながら、リウイたちのほうにゆっくりと歩いてくる。
「なんだ、普通のエルフじゃない」
ミレルが胸に手を当てながら、ほっと安堵の息を洩らした。
彼女の言うとおり、姿を現したのは、森の妖精エルフであった。
笹の葉のような形をした細くて長い耳、ほとんど銀色にしか見えない金髪は腰のあたりまで伸び、小柄で華奢な身体を濃緑色の衣服で包んでいる。腰には小剣をつるし、弓と矢筒を肩にかけている。早春の泉の水の色をした瞳が、値踏みするようにリウイたちに向けられている。
見たところ、若い女性であった。もっとも、エルフ族の長寿はよく知られているところだから、実際の年齢は想像もできない。
いずれにしても、噂で聞くとおりの美しい姿だった。
肉体を持ちながら、よくできた絵画や彫刻を見ているような気持ちにさせられる。木洩れ日に照らされていることもあり、エルフの娘には幻想的な雰囲気さえ漂っていた。
いろいろな意味で女性には慣れているリウイであったが、さすがに息を飲んで、その姿にしばし見とれた。それから、緊張を解いて、ゆっくりと木から降りはじめる。
どうやら最悪の事態は避けられたようだ。
エルフの娘は、リウイたちから十歩ぐらいのところまでやってくると、そこでぴたりと立ち止まった。
「警戒しているようですね」
メリッサがひとりごとのようにつぶやく。
「なにしろ初対面だからな」
リウイは最後の高さを飛んで、地上に降り立つと、求められてもいない答を返した。
「分かりやすい説明ですこと」
冷ややかな視線とともに、メリッサが皮肉っぽく返した。
(もっとも、答が返ってくるだけましかもな)
神の啓示とやらで、メリッサにとってリウイは仕えるべき勇者である、はずだ。
だが、彼女はよほどのことがないかぎり、リウイに話しかけない。それどころか、視線さえあわそうとしないのである。
こういう態度の従者を仕えさせていた勇者が過去にいたとしたら、お目にかかりたいものだ、とリウイは思う。
もっとも、自分自身が勇者だとは考えてもいない。魔術師は賢者と呼ばれることこそあれ、勇者には絶対なれないのだ。
たとえば、オーファン王リジャールが邪竜を倒したとき、養父であり魔術師ギルドの最高導師であるカーウェスとマイリー教団の最高司祭ジェニの二人が一緒に戦った。だが、竜殺しの勇者と謳われているのは、リジャール一人であり、あとの二人はそれを助けたということに世間ではなっている。
だが、竜を倒すには、どう考えても魔法の力が必要だ。カーウェスとジェニという偉大な魔法使いがいればこそ、リジャールの武勲は成し遂げられたはずである。
だが、民衆は戦士にのみ称讃を送る。
魔法は忌むべき邪術であり、正義の剣のために尽くしてこそ、正当とされる。
それが、剣の時代になってからの民衆の意識なのだ。魔法が世界を支配していた時代に、魔術師たちの奴隷にされていたことの反動である。
たいして適性があるとは思えないが、リウイとて世間の目から見れば魔術師であることに変わりない。どのような偉業を成し遂げようと、勇者とは呼ばれないはずだ。
もっとも、リウイが勇者であるとの啓示をメリッサにもたらしたのは、人ならぬ神である。神が何を基準に勇者に選んだのかは想像もできない。
だが、正直に言って、自分にそんな資質があるように思えない。メリッサが夢でも見たのではないかと思うことがあるぐらいだ。
だが、そのおかげでリウイは念願の冒険者になることができた。ジーニたちから、できるかぎりのことを学んで、一人前の冒険者となりたい。
特に、戦士として、ジーニには負けぬようになりたいと思う。そのとき、リウイは魔法戦士の名で呼ばれることになるはずだ。
「……困るのよ」
エルフの娘は、リウイたちから十歩ほどのところで立ち止まったまま、どう話を切り出そうかと、かなりの時間、迷っていた。そして切りだしてきたのが、その言葉だった。
「困るんだってさ」
ミレルが他人事のように言って、リウイの背中を押して、いちばん前に進ませた。
「何が困るのかぐらい聞いてくれよ」
盗賊だけに、ミレルは交渉事には慣れているはずだ。リウイは頼んでみたが、彼女は相手にもしてくれない。
「あんたが聞くのが筋というものよ」
ミレルは冷たく言った。