そう答えるやいなや、アイラはさっさと歩きだして、ジーニたちのいるテーブルの空いている席に腰を下ろす。
「今晩は」
礼儀正しく挨拶を送るアイラを、ジーニたちは値踏みするように見つめた。
(地獄だ……)
リウイは闇のなかに閉じこめられたような気がした。
こんな面子で、酒と食事を取るはめになるとは……
(味なんかしないだろうな)
リウイはふらふらと歩いて、アイラとミレルのあいだの席に座った。
それぞれが簡単に自己紹介を済ませて、飲み物と食事の追加を頼んだ後は、白々とした空気がテーブルに流れた。
リウイは余所を向いたまま憮然とした顔だったし、アイラはジーニたち三人を代わる代わる見つめるだけで、別に話しかけようとはしない。
ジーニは不機嫌そうな顔をしながら、黙々と酒と食事を続け、メリッサは何かに耐えるようにうつむいたまま。
一人、ミレルだけが、何度か話しを切り出そうとしたが、その場の雰囲気に負けたようで、結局、果たせなかった。
「静かな女性たちね」
十分に観察をして満足したのか、アイラがリウイの方を向いて声をかけてきた。
リウイは返事をしなかったが、彼の耳にはジーニたちの無言の罵倒の言葉が絶えず聞こえていたので、とても静かだとは思えなかった。
アイラは普段どおりの態度で、冒険の話を聞いてきた。
ジーニたちの目の前では、話しにくい内容なので、リウイはできるかぎり曖昧に答えるしかなかった。
それでも、赤肌鬼との戦いに話が及んだときには、リウイは全身の血がたぎってくるのを感じた。自分でも気づかなかったが、声が一段、大きくなる。
リウイに向かって次々と繰りだされてくる妖魔たちの剣。それを避けながら、彼は杖で殴りかえしてゆく。
必死だったはずだが、身体は期待以上に反応してくれた。杖を持つ手に伝わってくる鈍い感覚。力を失い、床に倒れてゆくゴブリンたち。そして……
「力が余って、遺跡の壁を叩いてしまったってわけさ」
そう言って、リウイは自嘲の笑いを浮かべた。
「それで、杖を折った──」
「のね」とか「のさ」とか、語尾こそ違ったが、四人の女性の声が一致した。
「そうだよ!」
リウイは吐き捨てた。
「それで、今度、杖の材料を取りにゆくことになったんです」
アイラが三人の女性たちに向かって、楽しそうに説明した。
「妖魔が蠢き、魔獣が吠える〝争いの森〟ターシャスに……」
「ターシャスの森に!」
やはり語尾は違っていたが、今度はジーニたち三人の声が一致する。
「それも一人で行くんです。古木が生えているのは、森の奥のほうだと思うんですけどね」
「そりゃあ、帰ってこられないな」
ジーニがさらりと言った。
「命を捨てにゆくようなものね」
ミレルもうんうんと相槌を打つ。
「そ、それは困ります。何があっても、帰ってもらわねば……」
メリッサがあわてた。
リウイは、頭を抱えたくなった。
他人事とは言え、三人とも好き放題だった。だから、場所を変えたかったんだ、と心のなかで叫びを上げる。
「そこでよ……」
アイラが嬉々とした表情を浮かべ、持参していた革の鞄を、ごそごそと探りはじめた。
そしていくつかの品物を取り出し、テーブルの上に並べ始める。
「笛と、棒と、布だな?」
リウイは言った。
アイラのことだから、おそらくすべての品物が魔法の宝物のはずだ。彼女の専門は付与魔術である。そして魔法の宝物の研究に、彼女は命をかけている。
「この布は〝森妖精の外套〟。名前くらいは聞いたことがあるでしょ。魔法の合言葉を唱えると、着用者の姿は他人には見えなくなるわ。もっとも、臭いや音は消せないから、動物相手だとどうかしらね」
魔法の宝物と聞いて興味を覚えたらしく、ミレルが椅子から身を乗り出して、外套を手に取った。
二人のあいだにいたわけだから、ちょうど彼女の胸が、リウイの目の前にくる。近くで見ても、やはり彼女の胸は豊かとはいえない。それこそ、森の妖精の血でも入っているのではと思えるような体型なのだ。
「それから、この棒は二本で一組の宝物よ。地面に刺しておいて、森のなかで迷ったと思ったら、もう一本を投げるの。そうすれば、この棒は相方がいるほうを指し示すわ」
ミレルは二本の棒を手に取って、しげしげと眺めた。
「でも、棒には目印がついてないじゃない。これだと、反対側に行ってしまいかねないわ」
「なかなか鋭いわね」
ミレルの指摘に、アイラが感心したような顔をした。
「そこが問題なのよ。完全に迷ったときには、右も左も分からないものだものね。まあ、二分の一の確率になるんだから上等だとは思うけど……」
「使えないな」
ジーニが一言で切り捨てた。
「棒の先のどちらかに、印を描いたらいいんじゃない?」
「それが駄目なのよ。試してみたんだけど、棒の先端のどちらがもう一本の棒の方向を指すかは分からないのね。たぶん、地面に刺したほうの棒から微弱な魔力が放射されていて、もう一本はその力線に平行になるような魔力が付与されているんだと……」
「そこまでだ!」
アイラが魔法の品物の説明を始めると、とてつもなく長くなることをリウイは知っているので、あわてて止めにはいった。
彼女の話を最後まで黙って聞いているほどの忍耐力が、ジーニたちにあるはずがない。
アイラが文句を言いたそうな視線をリウイに向けてくる。
だが、リウイは知らん顔をした。彼にしてみれば、揉め事が起こるのを未然に防いだつもりなのだ。
「この笛は?」
最後に残された魔法の宝物──小石から造られたらしい小さな笛を手に取って、ミレルが訊ねた。
「その笛の名は〝妖魔の呼び子〟。名前のとおりの魔力があるわ」
「それって、つまり……」
「妖魔を呼び集めてくるのよ」
ミレルの問いを途中で受け取って、アイラがにっこりと微笑んだ。
「争いの森で使えば、霊験あらたかよね」
「呼び集めて、支配できるんですか?」
眉をひそめながら、メリッサが訊ねた。
「まさか、そんな強力な宝物なら、禁断の宝物庫に封じられているわ。ただ、呼び集めるだけよ」
「そんなものを、いつ使うんだ?」
「工夫しだいだと思うんだけど……」
小首をかしげながら、アイラは言った。
「どう工夫しろ、というんだ!」
うんざりとした気分になりながら、リウイは言った。
「わたしは冒険者じゃないんだもの。どう応用するかは専門外よ」
アイラはそう言って、髪を汚さないように気をつかいながら、手つかずのままおいていた麦酒の酒杯に、はじめて口をつけた。
「ま、持っていってちょうだい。何かの役に立つでしょ」
「立つものか」
そっぽを向きながら、吐き捨てるようにジーニが言った。
それを聞きとがめて、
「そうかしら。その場にはいない人間より、確実に役に立つと思うけど」
と、リウイの方を向いたまま言った。
ジーニの顔を見ないところに、かえって挑発の意図が見える。
案の定、ジーニの目が険悪になる。
(勘弁してくれ)
リウイは心のなかで叫んだ。
「そうだわ。わたしが一緒に行ってあげようか。魔法なら、あなたよりも得意だしね、それに例の眼鏡の最後の魔力もあるしね」
今は外しているが、彼女が愛用している魔法の眼鏡には、邪眼の魔力が付与されている。伏目河馬のように視線で人を殺すことができるのだ。
「なあ、アイラ。場所を変えて飲み直さないか?」
彼女の挑発で、ジーニたちの怒りが限界まで達していることに、リウイは気付いていた。
このままでは、修羅場になるのは必至だ。
「なあに? わたしと二人きりになりたいの? それならそうと早く言ってよ。いいわよ、あなたとなら何処へでも行くわ」
だから挑発はやめてくれ、とリウイは言いたかったが、ここで何かを言えば、ジーニたちの怒りが自分に向いてくるのは火を見るより明らかだった。
だから、リウイは愛想笑いを浮かべて、強引に彼女を立ち上がらせた。
彼女は素直に従って、リウイに腕を絡ませる。
リウイは素知らぬふりをしながら、ジーニたちに別れの挨拶を送る。
(頼むから、誰か代わってくれ!)
心からの叫びをその場に残して、リウイはアイラを連れて酒場を後にした。
4
「おもしろく、ない」
リウイたちが帰って、しばらくたってからミレルが言った。
「おもしろく、ないな」
ジーニがうなずく。
「おもしろく、ありませんわね」
と、メリッサ。
ミレルが言葉を発するまで、三人は一言も言わず、微動だにさえしなかった。
それほどに、彼女らの怒りは大きかったのである。
「何よ、あの女! 澄ました顔をしやがって、言いたいこと言ってくれるじゃないの! ファンの街にだって夜は来るんだ。道であったら、こうだかんな!」
ミレルは一気にまくしたてると、指で首をかき切る真似をした。
「魔術師の杖を折ったのは、あの人の責任ではありませんか? その材料を取りに行くのに、どうして、わたしたちがついてゆかねばなりませんの? 責められる理由など、ひとつもありませんわ」
「鈍そうな女のくせに、自分が行ったって足手まといになるだけなのも分からないのか。ま、どんな仲かは知らないが、二人一緒にくたばるのがおちさ」
それから、ジーニたち三人は思いつくかぎりの罵詈雑言を並べたてた。
最初のうち、アイラに向けられていた怒りの矛先は、いつの間にかリウイのほうに変わってゆく。
ひとしきりリウイのことを罵った後、三人は顔を見合わせて、深く溜息をついた。
それから、からからになった喉を潤すため、麦酒の酒杯に口をつける。
「……だけど、あの二人、本気でターシャスの森に行く気なのかしら」
飲み終えてから、ミレルが誰に向かうとはなしにつぶやいた。
「まさか! 森の端ならともかく、奥のほうへは地元の猟師たちさえ踏み入らないといいますよ。森の奥に古代王国の遺跡があるとの噂もありますが、行こうとする冒険者さえいませんもの」
「しかし、あの男だぞ」
そう答えたジーニの言葉で、三人はそれぞれ頭のなかにリウイの姿を思い浮かべた。
「あいつ、いったい何者なんだろ?」
ミレルがぽつりとつぶやく。
情報屋のサムスが示した関心は普通ではなかった。
「あんな男が勇者であるはずが……」
メリッサの心のなかでは、神からの啓示と最高司祭の言葉とが交錯していた。
「玩具みたいな魔法の品物のほうが、そこにはいない人間よりも役に立つ、か……」
言ってくれやがる、とジーニは吐き捨てた。
黒曜石の塔にひきこもっている世間知らずには言われたくない台詞だ。
そして、三人は顔を見合わせ、ふたたび深く溜息をついた。
「おもしろくない」
やはり語尾は違っていたが、三人は声を合わせて言った。
そのときだった。
「よう、姉ちゃんたち。何、暗くなってんだ。何なら、オレたちと一緒に飲もうぜ」
酒に酔っぱらって、真っ赤な顔をした二人組の男たちが馴れ馴れしく声をかけてきた。
その瞬間、ジーニたちのなかに溜まっていた感情が、堰を切ったように溢れだした。
「ざけんじゃねぇ!」
ミレルの怒鳴り声が合図だった。
テーブルがひっくり返り、皿と酒杯が宙に舞う。
たちまち、酒場は修羅場となった。
その翌日──
リウイはアイラと一緒に、ファンの街から南へと向かう街道を歩いていた。
ついてこなくていいと繰り返し言ったのだが、今日に限ってアイラは強引だった。
彼女と議論しても勝てるとは思わなかったので、リウイは結局、彼女の同行を許した。
もちろん、魔法の宝物も持参している。
そして──
王都を離れて、しばらく行ったところで、リウイはジーニたち三人の姿を目撃することになる。
「やあ」
ミレルが気軽に声をかけてくる。
「どうして、あんたたちが?」
リウイは犬頭鬼の姿を目撃したような気分になった。
「あの後、酒場で喧嘩しちまったんだ」
ミレルはけろりとした顔で言った。
「またか?」
リウイは呆れる思いがした。
彼女たちと知り合うきっかけになったのも、酒場での喧嘩だった。
「そのうち、出入りできる酒場がなくなるぞ」
もっとも、その前に衛兵に捕まるか、ファンの街にいられなくなるかもしれない。
「あんたに、そんなこと心配されたくねぇよ」
品の悪い裏街言葉を使って、ミレルが言った。
愛らしい顔をしているだけに、そういう言葉遣いをすると、かえって凄みを感じる。
もっとも、リウイはもう慣れた。
「それで、どうするんだ?」
「だから、ほとぼりをさましたいのよ」
そう答えて、ミレルは片目を瞑ってみせる。
「ついてくるってことか?」
リウイは思わず絶句しそうになった。
「ついていってあげるのよ。あんたたちだけじゃあ、絶対、生きて帰れないもの」
頬をわずかに膨らませて、ミレルはリウイの言葉を訂正した。
「あなたにもしものことがあれば、わたしは信仰を捨てないといけませんから」
遠くの丘を見つめたまま、メリッサが言う。
「新しい魔法使いを探すのも面倒だしな」
と、ジーニ。
(恩着せがましい言い方だな)
三人三様の言い分に、リウイはそう思ったが、もちろん口に出せるはずがない。
だが、彼女たちの申し入れは正直に言って、ありがたかった。
〝争いの森〟ターシャスの噂は、あれからいろいろと耳に入ってくるが、どれも物騒なものばかりだ。話半分にしても、危険は覚悟しなければならない。
彼女たちがいてくれれば、心強いのは間違いない。
ただ、ひとつ問題なのは……
リウイは隣にいる魔法の眼鏡をかけた女性を振り返った。
「よかったじゃない」
アイラはそう言うと、にっこりと微笑んだ。
「彼女たちが一緒に行ってくれるなら、わたしがお供するまでもないわ。魔術師ギルドで待っているから、がんばって杖の素材を取ってきてね」
リウイが拍子抜けするぐらいあっさりとした答が返ってきた。
(出発するときの強引さは、いったい何だったんだ)
肩に下げていた革の鞄をリウイに押しつけると、アイラは小さく手を振って後ろに下がりはじめる。
「杖の素材の大枝だけじゃなく、ついでに小枝も持って帰ってきてね。魔法人形を創るにも樫の古木は最適の材料だから」
そうして、アイラはリウイたちに背中を向けた。
遠ざかってゆくアイラの後ろ姿を、リウイはしばらくのあいだ呆然と見送っていた。
「早くしろ!」
と、背後から、ジーニの乱暴な声が飛んだ。
「そうそう、あたしたちの気が変わらないうちにね」
ミレルが笑う。
メリッサは無言のまま、物言いたげな視線をリウイに向けている。
「分かったよ……」
リウイは答え、ジーニたち三人と一緒に、街道を歩きはじめた。
穏やかな春の日差しが、草原の緑を鮮やかに輝かせていた。