「ありがたきお言葉です」
うっすらと涙を浮かべながら、メリッサは力強くうなずいた。
「一度、神殿に連れておいでなさい。戦の神に祈りを捧げれば、勇者の資質が目覚めるかもしれません」
半分は忠告のつもりで、後の半分は興味にかられて、ジェニはそう言った。
そして、その魔術師の名前を訊ねる。
「……リウイと申します。カーウェス様の御養子だそうです」
しばしの沈黙の後、消え入るような声でメリッサは言った。
「リウイですって?」
侍祭が告げた名前に、剣の姫は何十年かぶりに動揺を覚えた。
「御存じ、なのですか?」
「もちろん、知ってますよ。わたしとカーウェスとは三十年来の親友なのですから……」
メリッサの問いに、ジェニはそう答えた。
しかしそれは、動揺を覚えた理由のすべてではない。
(これが、運命というものなの?)
ジェニは心のなかで思った。
(だとすれば、できすぎね……)
だが、そうでなければ人生は面白くない。このぐらいの波乱がなければ、生きている実感が得られるはずがない。
残念なのは、自分がその運命に関わる役者ではなく、観客に過ぎないということだ。三十年前とは、そこが決定的に異なっている。
幾分、羨望の眼差で、ジェニはメリッサを見つめた。
「最高司祭様のおかげで、少し元気になりました」
メリッサにはジェニの内心は、もちろん分からなかった。ぎこちない微笑みを浮かべながら、ゆっくりと立ち上がる。
「迷うのはかまいません。しかし、決して逃げてはなりませんよ」
ジェニは激励するように言った。
そして、そんな贅沢は、わたしが許しませんからと、心のなかで続けた。
礼拝所から去りゆく司祭の姿を見つめながら、新たなる激動の時代の到来を、ジェニは予感していた。
4
「銀貨で五千、これ以上は安くできないな」
にやついた顔で、情報屋のサムスが言った。
「未発掘の遺跡なんだぜ。どれだけのお宝が眠っているか想像してみろよ」
「もちろん、想像したわよ。全然、眠っていない可能性だってあるのよね」
ミレルは鼻で笑う仕草をした。
ここは盗賊ギルドが直営する地下酒場。その奥にある個室のひとつだ。
ミレルは裏の手を使い、入札前に情報屋との単独交渉に持ち込むことに成功していた。
盗賊にも仁義があるから、この交渉に成功すれば、入札のとき白票を出しても、情報を落札できる。
「見つかった宝物の一割で手を打たない?」
ミレルは逆に提案をしてみた。
それなら危険は少なくて済む。
「知っているだろ。オレは、賭事が嫌いなんだ」
サムスはそっぽを向きながら、言った。
(賭事みたいな人生、送ってるくせに!)
ミレルは心のなかで毒づく。
「代金はあくまで定額で支払ってもらう。オレの予想じゃ、落札額は銀貨で七千。お得な取引だと思うがね」
サムスはそう言ってから、思い直したようにミレルに笑いかけた。
「金がないなら、オレと一晩、付き合うだけでもいいぜ……」
一瞬、期待しただけに、その言葉を聞いた瞬間、ミレルは懐から手品のように短剣を取り出し、サムスの喉に押し当てていた。
「明日の朝、目覚めたくないなら、いいけどね」
顔は笑っていたが、ミレルの目には本物の殺意が浮かんでいた。
彼女は盗賊ギルドで戦闘や格闘の訓練も受けている。そんな経験がなければ、冒険者などやれるはずがないのだ。そして視力の良さと動きの素早さでは、ミレルに勝てる者はいない。経験が足りないので、まだ幹部たちには勝てないが、それ以外の盗賊が相手なら、赤子の手を捻るようなものだ。
「洒落の分かんねぇ奴だなぁ……」
サムスはそう言って、ひきつった笑いを浮かべた。
「あんたが洒落になんないこと言うからでしょ」
ミレルは普段の顔に戻ると、短剣を懐に戻す。胸の脇に鞘がつってあり、普段はそこに収めているのだ。衣服の胸元を弛めることになるので、小さめの胸が半分ほど露わになる。
「そういや、そうだな。おまえは〝兎〟になれなかったんで〝猫〟になったんだったな」
からかうように、情報屋は言った。
「なってなくてよかったわよ!」
ミレルは、怒鳴りかえした。
「そして今や〝穴熊〟ってわけだ」
情報屋のサムスは、溜息まじりに言った。
兎や猫というのは、盗賊ギルドのなかで使われている符丁である。猫はスリ、穴熊は冒険者の仲間に加わっている盗賊を意味している。
符丁は他にもあって、王国に雇われている密偵は犬、詐欺師は狐、情報屋は鼠といった具合だ。そして、兎とは娼館や地下酒場で客を取る女のことだ。
「しかし、もったいない話だな。おまえほどの腕前の猫はそうそういるもんじゃねぇぞ」
ミレルは赤子のときに生みの親に捨てられ、路上で暮らす老夫婦に拾われた。そして、五歳まで育てられ、盗賊ギルドに身売りされたのだ。
だから、彼女が最初にしなければならなかったのは、借金を返して、自由を買い戻すことだった。最初は兎になるはずだったのだが、売り物にならないと判断されたので、盗賊の訓練を受けたのだ。彼女は手先が器用で、猫として抜群の才能を発揮した。高額の借金を一年たらずで返済している。
盗賊ギルドの仲間からは、猫になるために生まれてきたとまで言われたものだ。
「稼ぎの問題じゃないもの……」
ミレルは顔を伏せ、ぽつりとつぶやいた。
自分にいちばん必要なのが、金ではないことに気付いたのは、一年前のことだ。そして、冒険者になってからは、稼ぎこそ減ったが満たされた毎日を送っている。
「ま、人にはそれぞれ事情はあるからな。銀貨で四千と五百。これで手を打とうじゃないか。それと、おまえの笑顔でどうだ?」
「サムス……」
顔を上げたミレルは、円らな瞳を一杯に開いて情報屋を見つめた。
「悪いものでも食べたの?」
「ほっとけ!」
サムスは怒鳴ると、乱暴に右手を差し出した。
ミレルは首から紐で下げた巾着を取り出し、通貨がわりの宝石をいくつか選んだ。
「半端があるけど、お釣りはいいわ」
まけてもらったことなど忘れたように、ミレルは恩着せがましく言った。
サムスは宝石を一個一個、調べてから、自分の巾着にしまってゆく。
「情報は、入札が終わったあとでな」
「分かってる」
ミレルは答えると、情報屋に背を向けた。
そのまま出口まで歩き、部屋の扉に手をかける。そこで思い出したように、情報屋を振り返った。
「どうした?」
「忘れてたわ」
ミレルは言うと、情報屋に向かって笑顔を浮かべて、片目を瞑ってみせた。
「感謝するわ」
「ミレル……」
サムスは一瞬、訳が分からず呆然とした。
しかし、すぐにニヤリとし、右手の親指を立てて挨拶を返す。
「銀貨五百はまけすぎだったな。もっと女、磨きなよ」
「そんなの磨きたくねぇよ!」
ミレルは裏街言葉で怒鳴りかえし、扉を蹴り開けた。
「交渉は、うまくいったようだな?」
翌日の朝、三人の女冒険者たちの隠れ家に、リウイはやってきた。そして、彼女らが旅の準備をしているのを見て、そんな言葉をかけた。
「分かりきったことを聞くな」
ジーニが冷たく言う。
赤毛の女戦士の右目には、見事な青痣ができていて、だいぶ腫れあがっていた。昨日、リウイの拳を受けた痕だ。
もっとも、リウイのほうも一日経って、彼女との稽古で受けた全身の傷が、かえってひどくなっている。一歩、歩くごとに身体のそこかしこに火箸を押しつけられているような激痛が走る。
それでも、気分は高揚している。
「冒険に出られるのか……」
様々な感情が、リウイの心に去来していた。
その感情のままに、叫びだしたいところだが、ジーニたちに馬鹿にされるのは目に見えているので、なんとか我慢する。
「足を引っ張るんじゃねぇぞ」
盗賊の少女がじとりとした視線を送ってくる。
「勇者の資質、見せていただきたいものですわね」
皮肉っぽく言ったのは、メリッサだ。
(まあ、見てなって)
リウイは心のなかでつぶやくと、左の腰に視線を落とした。
そこには今朝、買ったばかりの長剣がある。
長い時間をかけて選んだだけに、手に持つとしっくりくる。柄が長く、片手でも両手でも使うことができる両刃の直刀だ。
この剣こそが、リウイの相棒だった。今はまだうまくは扱えないが、すぐに使いこなせるようになるだろう。
待つこと、しばし。ジーニたちの準備はすべて整った。
「出発だ!」
赤毛の女戦士が、声を張り上げた。
いよいよ冒険が始まるのだ。
5
〝剣の王国〟オーファンは、広大な草原に興された王国である。
国土の北と西はヤスガルン山脈の高峰によって、南はターシャスの森の鬱蒼たる樹海によって閉ざされている。そして北東と南東にはふたつの王国、〝魔法の王国〟ラムリアースと〝混沌の王国〟ファンドリアと隣接している。
ラムリアース王国とは相互不可侵の同盟関係にあり、ファンドリア王国とは国境も定まらず、互いの国土の領有権を主張しあうという緊張した関係にある。オーファンとファンドリアは、ともにファン王国を前身として持つだけに、統一を求める動きがなかなか絶えないのだ。
建国から二十年が過ぎて、新興国であるオーファンの統治も国土の隅々にまで完全に浸透している。王国に乱れはなく、領民たちも新しい王国の施政に、ほぼ満足している。
だが、その平和は人間が暮らしている領域においてだけだ。
街や村、街道から離れた場所には、危険な野獣や魔物が徘徊している。精霊力の乱れた土地や古代の魔法の影響の残る遺跡、邪神に呪われた廃墟といった魔境も、オーファンの領土内にはまだまだ残されているのだ。
「……そういう危険な場所に行くのは、あたしたち冒険者ぐらいというわけよ」
そう言ったのは、盗賊少女のミレルだった。
オーファンの王都ファンの街から生まれて初めて外へ出るというリウイのため、必要なことをいろいろ説明しているのだ。
最初はいかにもうざったそうだったが、もともと話し好きな性格らしく、説明を続けるあいだに口調も軽くなってきた。
甲高い声でしかも早口にしゃべるので、小鳥がさえずっているような印象がある。
リウイは背を折り曲げるようにして、小柄な少女の言葉に耳を傾けた。そして必要な情報を頭のなかに刻みこんでゆく。
「戦闘か探索か、冒険者は普通、どちらかを得意としているわけ」
ミレルの説明は続く。
戦闘が得意な冒険者たちは、怪物退治を依頼されたり、隊商や要人の護衛、警備などを仕事に選ぶことが多い。
探索を得意とする者は当然、古代王国の遺跡が狙いだが、失踪人の捜査や盗品などの追跡調査を依頼されることもある。
「あんたたちは、どっちが得意なんだ?」
ミレルの説明を聞いて、リウイが訊ねた。
「あたしたちは万能よ。全員、武器が扱えるし、野外の探索ならジーニ、街中ならあたしが得意としているもの」
なんだってできるわ、と盗賊の少女は誇らしげに胸を張った。
小振りだが形のよい胸が、革鎧を押しあげる。
「どんな依頼でも引き受けられるわけだ?」
「お金に困ればね。だけど、仕事は選んでいるわ。肥満した金持ちの護衛なんか、死んでも御免だもの」
ミレルはそう言うと、露骨に顔をしかめた。
「あたしたちは、自分を試してみたいのよ。知恵や力、技がどこまで通じるかをね……」
「いいかげんにしな!」
尚も話を続けようとするミレルを、ジーニの声が遮った。
傭兵上がりだけに、彼女の声には殺気を帯びたような凄みがある。
ミレルは反射的に目を瞑って、肩をびくりとさせた。だが、次の瞬間には赤毛の女戦士に、挑戦的な視線をたたきつける。
「ジーニたちがやってくれないから、あたしが話してやってるんじゃない。予備知識もないまま荒野に連れていったら、こんな世間知らず、すぐにくたばっちまうわよ!」
「素人がいなくなるなら、好都合じゃないか。最初の予定通り、女の魔術師か、精霊使いを探せばいい」
「それは困ります。わたしにとっては、不本意ではあっても、勇者なのですから。神が与え給うた試練を果たせなかったとあれば、聖職者として失格ですもの」
ジーニの言葉に、メリッサが溜息をまじえながらも反論した。
(勝手に言ってろ)
リウイは心のなかで吐き捨てる。
言い争っているようにも聞こえるが、結局のところ三人とも、リウイのことを酷評している。世間知らずだったり、素人だったり、不本意ながらの勇者だったり。彼女らが冒険者でさえなければ、一瞬で縁を切るところだ。
(だが、我慢しろ)
リウイは自分にそう言い聞かせる。
目的地は刻々と近づいている。
古代王国の遺跡には、危険な罠や怪物が待ち受けている。そういった危険を実力で排除してゆく。盗賊の少女がいみじくも言ったように、自分を試すにはもってこいなのだ。
全身の血が熱くなるような感覚を、リウイは覚えていた。
だが、そのとき、何かが彼の足を払った。
リウイは見事に仰向けに倒れ、尻と背中を地面に強かに打った。
「一人でにやけてんじゃないわよ。考えてみれば、なんで、あたしがあんたなんかを庇ってやらなきゃならないんだ」
盗賊の少女が、裏街言葉でまくしたてた。
リウイはわきあがる怒りを抑えながら、ゆっくりと立ち上がった。
荷物は腰の横にくくりつけてあったので、なんとか無事のようだ。そのなかには、貴重な魔法の宝物や薬などが入っている。
必要ないと断わったのだが、同期の女性魔術師アイラが、冒険に役立つからと、出発間際にいくつか押しつけてきたのだ。
その代わり、例の約束は守るようにと、念を押されている。
付与魔術を研究している彼女にとって、魔法の宝物は貴重な研究材料なのだ。そして宝物に対する彼女の執着は、普通ではない。
服に着いた土埃を手で払ってから、リウイはむっつりと歩きはじめた。
リウイにかまわず、三人の女たちは先に行っている。言い争いはもう終わったらしく、今は楽しそうな笑い声を響かせている。
(そのほうが、こちらもありがたい)
リウイは三人の女たちと離れて歩くことに決めた。
初めて見る景色は興味深く、話をしなくても退屈はしない。そして古代王国の遺跡に到着すれば、退屈などしていられないはずなのだ。
(遺跡はもうすぐだ)
リウイはふたたび自分に言い聞かせ、前を行く三人の背中をできるだけ見ないように、歩きはじめた。
6
目的の古代遺跡に着いたのは、王都を出てから五日後のことだった。
ヤスガルン山脈の峰々が、すぐ近くまで迫っている。だが、街道からそれほど離れているわけでもない。半日ほどの所に、ちょっとした規模の村さえあった。
古代王国の遺跡は草に埋もれていたが、素人であるリウイにも人が残した形跡がいくつか見つかった。