第Ⅱ章 閉ざされた扉の向こう
1
地響きが起こり、土煙が舞い上がる。
隆々たる体格の男が、地面に叩きつけられたのだ。
無様に倒れたのは、リウイである。〝剣の王国〟オーファンの魔術師ギルドに属する正魔術師。
「まだまだ素人だな」
罵声が容赦なく浴びせられる。
赤毛の女戦士のジーニであった。リウイに劣らぬほどの長身で体格も立派だ。浅黒い肌には、汗が輝いている。
春も、今が盛りだ。
「好き放題にやりやがって!」
口に入った土埃を唾とともに吐きだすと、リウイはくるりと身体を一回転させて、器用に立ち上がった。
「おまえが好き放題にやらせてくれるからな」
ジーニは嘲るように笑い、かかってこいよと挑発する。
「剣の稽古をつけてくれと言ったのは、おまえだってこと、忘れるなよ」
リウイは確かに、そう言った。
ジーニ、メリッサ、ミレルという三人組の女冒険者の仲間に、なかば強制的に引き入れられて、すでに十日が経っている。
そのあいだ、リウイは魔術師ギルドの務めを果たしながら、ジーニたちから冒険の誘いがくるのを楽しみに待っていた。
知らせがあったのは、昨日である。未発掘の古代遺跡の情報が手に入ったらしい。
約束の時刻に、リウイは待ち合わせの場所である街の郊外にある粗末な物置小屋にやってきた。彼女ら三人の隠れ家であるらしい。冒険に必要な備品などが保管されている。
待っていたのは、ジーニとメリッサの二人だけだった。盗賊少女のミレルは、同業者でもある情報屋と交渉中だという。
仕方なく待つことにしたが、二人の女性はまったく口を開こうとしない。
ジーニは大剣を振るい、メリッサは地面にひざまずいて瞑想している。
不愉快きわまりない態度だが、あいにくリウイは退屈には耐えられない性格だった。それに巨大な剣を自在に操るジーニの力と技に惹かれるものを感じた。
(冒険者として生活するなら、身を守るぐらいはできなければ)
リウイは自分にそう言い聞かせて、剣の扱い方を教えてくれとジーニに頼んだ。
確かに、リウイのほうからそう頼んだのだ。そのとき、ジーニは「後悔するなよ」とも言っている。
だが、始まった瞬間からリウイは、自分が「犬頭鬼の巣穴を覗いた」のだと知った。
ジーニの目的は剣の扱いを教えることではなく、リウイを痛めつけることだったのだ。
「目と身体で覚えろ!」
ジーニはそう叫ぶと、情け容赦なく大剣で打ちかかってきた。
リウイは彼女が予備に使っている長剣を貸し与えられていたが、剣を握ったことさえない彼に防げるはずもない。
稽古だから寸前で止めるのだが、勢い余って刃が身体に当たったことも二、三度あった。皮膚が裂けて、血が流れる。
「その程度の傷など、軽い軽い」
しかし、ジーニは高らかに笑いながら、尚も剣を振るいつづける。
あげくのはてに足をひっかけられ、無様に地面に転がされたのだ。
(もう我慢ならねぇ)
リウイは立ち上がると、手に唾をかけた。
精神を統一し、剣を握る右手に力を込める。それとともに、左の拳も硬く固めた。
そして、剣を思いきり振るう。軌道さえ定まらないような力任せの攻撃だった。それでも、早さと重さは十分にある。
しかし、ジーニは易々とその攻撃を受け止めた。
「剣は棍棒じゃないんだ!」
ジーニは嘲笑し、反撃に移ろうとした。
しかし、そのときリウイの左の拳が飛んでいた。
剣を大振りして体勢が崩れたように見えたのだが、その反動を利用して左の拳を振りかぶっていたのだ。
ジーニは反射的に身をのけぞらしたが、リウイの拳は更に伸び、右目を直撃した。
目の前に火花が飛び散る幻視が見えた。頭のなかでは、無数の星がまたたく。
(まただ)
後方に吹き飛ばされながら、ジーニは思った。
(なぜ、この男の拳がかわせない)
地響きが起こり、土埃が舞った。
「足を使っていいなら、手を使ってもいいんだよな」
リウイは会心の笑みを浮かべながら、罵声を浴びせかけた。
その様子を脇から見ていたメリッサは、両手で顔を覆うと深い溜息を洩らした。
(まるで拳闘士ね)
メリッサは暗然たる気分だった。
(剣を振るう姿には優雅さのかけらもないし、手に唾をかけるなど、まるで野盗のよう。剣の稽古で拳を使うなど、卑怯きわまりない。このような男が、どうして勇者なのでしょうか?)
メリッサは、心のなかで戦の神マイリーに問いかけた。
この魔術師こそが仕えるべき勇者であるとの啓示を、彼女はマイリー神から受けている。
天と地とが逆転したのではないかとの衝撃を受けたが、神の啓示に逆らうことなど、聖職者である彼女にできようはずがない。
メリッサは「犬頭鬼の巣穴に踏みいる」ぐらいの覚悟で、リウイに仕えることを申し出たのだ。ジーニもミレルも猛反対だったが、信仰の問題ゆえこればかりは彼女たちの忠告に従うわけにゆかない。
しかし、持つべきは友人であり、美しきは友情である。ジーニとミレルはそれならと、リウイを冒険者の仲間に引き入れてしまったのだ。
仕えると決めたからには、勇者らしいところを見せてもらいたいところだが、今の稽古を見たかぎり、剣を振るう魔術師の姿には勇者の資質など微塵も感じられなかった。
(ジーニこそが、わたしが仕えるべき勇者だと思ってましたのに)
メリッサは天を仰いで、穏やかな春の空を見つめた。
「我らに生きる勇気を与えたもう戦の神よ……」
メリッサは詠嘆するように祈りの言葉をあげたあと、声を落としてこう続ける。
「わたしはとても不本意です」
2
盗賊少女のミレルが戻ってきたのは、昼を過ぎた頃だった。
「あの鼠野郎! 二股も三股もかけてやがったのさ!」
ミレルが裏街言葉で、口汚く罵った。
彼女の話によれば、未発掘の遺跡の場所を見つけた情報屋は、ミレルの他にも何人かに声をかけていたらしい。
普通なら、この手の情報は「冒険者の店」に行くものだ。
しかし、遺跡を見つけたのは臨時雇いで冒険者に加わっていた盗賊で、雇い主たちはそのことに気づかなかった。
その盗賊は、当然のように同業者である情報屋に遺跡の情報を売り、情報屋は冒険者を専業にしている盗賊仲間に話を持ちかけたというわけだ。それも、片っ端から。
いちばん高い値をつけた者に売ると、情報屋は言っている。
当然と言えば、当然のやり方だ。
入札は今夕、行われる。ミレルはいくらまでなら条件を飲むかを相談するために戻ってきたのだ。常客になっている冒険者の店にも立ち寄って、関連情報を探ってみたが、特に役に立つものは手に入らなかった。
冒険に出発するのは、どう考えても明日以降になる。リウイは入札の額などは三人に任せることにして、魔術師ギルドに帰ってきた。
「あの女、無茶苦茶やりやがって……」
宿舎に戻ったリウイは汚れた服を脱ぎ、全裸になって傷の具合を調べた。
切り傷もあれば、擦り傷もある。青痣になっている箇所は、無数にあった。常人なら、死んでいるんじゃないかと思った。
しかし、リウイは並の男ではない。このぐらいでくたばっているようでは、裏通りの歓楽街で大きな顔などしていられないのだ。
リウイは慣れた手つきで傷の治療をしていった。もっとも、神官戦士のメリッサが神聖魔法の癒しの呪文を使っていれば、こんな手当など必要なかったのである。
メリッサが魔法を使うことを拒否したわけではない。
何と言っても、リウイは彼女にとって勇者なのだから。
使いはしたのだが、成功しなかっただけだ。
心に迷いがあっては、神聖魔法をかけても成功しないという。彼女は三度、試みたが、すべて失敗し、あげくのはてに気分が悪くなってしまったのだ。
リウイは呆れてしまい、自分で治療することにした。
喧嘩慣れしているから、傷の手当など心得たものだ。刃物で腹を刺された翌日に、魔術師ギルドの講義に出席したことさえある。
「帰っているんでしょ?」
怪我の治療がほとんど終わったとき、扉の外から突然、そんな声をかけられ、同時に扉が開いた。
姿を見せたのは、リウイとは同期の女性魔術師アイラだった。
「どうして裸で?」
アイラはそう言いながらも、それを気にした様子もなく部屋のなかに入ってきた。
そしてリウイの近くまできて、ようやく怪我に気がつく。
書物の読みすぎのせいか、最近、彼女は視力が悪くなっているのである。そのため、いつも潤んだような目をしている。
「痛くはないの?」
アイラは手を伸ばして、リウイの傷口に無遠慮に触れた。
「触ったら、痛いに決まってるだろ!」
「まあ、そうよねぇ」
アイラはそう言って、楽しそうに笑った。
「それより、服を着たら。淑女の前ではしたないわよ」
「普通の淑女は、裸の男の部屋に平気で入ったりはしないんだがな」
「普通ではなくて、最高の淑女だもの」
リウイの文句を軽く受け流して、アイラは手にしていた袋のなかから、奇妙な品物を取り出した。
「ちょうどよかったのだか、悪かったのだか……」
そんなことを、ぶつぶつと言う。
「何だ、それは?」
硝子か透明水晶を円盤状に磨いた物が二つ、細い金属棒によって繋がれている。金属棒は更に尻尾のように二本伸びていて、その端が半円を描くように曲げられている。
「魔法の宝物に決まっているでしょ」
アイラは答えた。
彼女が専門に研究している系統魔術は〝付与魔術〟。対象物に様々な魔法的効果を付与するための魔術である。
「〝四つの眼〟と名づけられているわ。分類は眼鏡。魔力付与者は〝五感を超越せし〟シェラル・ル・フェイン。ル・フェイン家と言えば、カストゥール王国の付与魔術師一門のなかでも何人もの門主を輩出した名門中の名門よ。新王国歴前一二〇年代の女性付与魔術師で、子供の頃に陰謀に巻き込まれて呪いを受け、視覚も聴覚も、ありとあらゆる感覚を失ったの。しかし、彼女はそんな不利を克服して、失われた感覚を取り戻すための研究を完成させたの。いろいろな宝物があるけれど、この眼鏡はそのなかでも初期の発明ね」
アイラは長々と由来を説明した。
彼女にとっては研究対象であるから当然なのだが、彼女の魔法の宝物に対する執着は普通ではない。独特の美学を持っていて、気に入った宝物を見つければ、不眠不休で研究に打ち込む。
ル・フェインの名は何度も聞かされているから、彼女のお気に入りの銘柄であるのは間違いない。
「〝四つの眼〟という割には、ふたつしかないじゃないか?」
聞かないほうがいいのは分かっているが、リウイは疑問をそのままにしておけるような性格ではなかった。
「この眼鏡には、四つの魔力が秘められているからよ」
待っていましたとばかり、アイラは嬉々とした表情になった。
「常時、備わっているのは視力拡大の効果。知ってのとおり、わたしは目が悪いから、とてもありがたいわね」
そう言うと、彼女は上位古代語を一言、唱えた。
すると、ふたつの硝子の円盤が真っ黒に変色した。
「この色になれば、透視の効果を発揮するわ。あなたの裸でも見てやろうと思ってやってきたら、期待はずれなんだか、期待どおりなんだか……」
「言っておくが、オレは男娼でも舞踏家でもないんだからな」
裸は見せ物じゃないと、リウイは抗議しておく。
「それは残念ね。売っているのなら、いくら出しても買っていたのに」
アイラの実家はアウザール商会と言って、オーファンでも最大の商家だから、金なら確かにいくらでも払えるだろう。
しかし、リウイとて養父は王国の宮廷魔術師であり、魔術師ギルドの最高導師である。金に不自由しているわけではない。
そもそも魔術師ギルドには、入門するのに莫大な費用が必要だから、裕福な家庭に生まれた者しか在籍していないのである。
アイラはひとしきり笑ったあと、また別の呪文を唱えた。
硝子円盤の色が、黒から今度は赤に変わる。
「これで暗視の効果。夜でも昼間と同じように見えるわ……」
「それで、四つめの魔力は?」
リウイは訊ねたが、アイラはうなずいただけで、今度は呪文を唱えなかった。
どうしたんだ、とリウイが問うと、アイラはゆっくりと眼鏡を外した。
「最後の魔力をあなたに使うわけにはゆかないわ。あなたが死にたいと思ってるのなら、話は別だけど」
「邪眼の魔力か!」
リウイは血の気が退いてゆく音が、聞こえたような気がした。
「そんな物騒な代物、〝禁断の宝物庫〟行きだろう!」
リウイは大声で言った。
魔術と魔術師は、一般の人々からはひどく恐れられている。古代魔法王国を復活させ、ふたたび世界を支配するのではないかと疑われているのだ。
そのため、魔術師ギルドでは死霊魔術のような邪悪と考えられている呪文の使用を禁じているし、危険な魔法の宝物は禁断の宝物庫に保管し、悪用されないよう厳重に封印を施してある。
アイラが持ってきた魔法の眼鏡は、間違いなく危険である。邪眼の魔力が備わっていることが導師に知られたら、彼女は魔術師ギルドから追放されるだろう。
「声が大きいわよ」
アイラは妖艶な微笑を浮かべながら、人差し指を唇に当てた。
「だから、言ったじゃないの。この宝物は、わたしには必要な物だって。これで、あなたの顔がいつもはっきり見られるわ」
アイラは魔法の眼鏡を掛けなおし、また別の上位古代語を唱えた。
リウイは反射的に身を硬くして、同時に精神を集中させた。聞いたことのない呪文だったので、邪眼の能力を使ったのではないかと思ったのだ。
しかし、魔法の眼鏡は透明に戻っただけだった。
リウイの反応に、アイラは憮然とした顔になる。
「あなたにだけは邪眼の魔力を使ったりしないわよ。よほど、わたしを怒らせないかぎりはね……」
眼鏡の向こう側で、アイラの視線が本物の邪眼のように一瞬、輝いた。
「勘弁してくれ……」
リウイは胸に手を当てて、深く溜息をついた。
全身に、じっとりと汗をかいている。
「それより、話を聞いたわよ。あなた、冒険者になったのですって?」
アイラが突然、話題を変え、大きく身を乗り出した。
視力が悪かったので身に付いた癖だったが、今は魔法の眼鏡があったから、あわててもう一度、身を退いた。
「うん、このぐらいね」
リウイとの距離を慎重に計ってから、アイラは満足そうに微笑んだ。
こんなときの彼女の表情には、少女の面影が感じられる。彼女はリウイより二歳年上なだけだから、ちょうど二十歳になったところだ。
魔術師ギルドの情報網も盗賊ギルドなみだと思いながら、リウイはそうだと、答えた。
「仲間が見つかってよかったわ。わたしにとっても好都合というものよ」
アイラは一人でうなずきながら、掌を上にして右手を差し出した。
「なんだ?」
「決まってるでしょ。冒険者と言えば、遺跡荒らし、遺跡と言えば古代の財宝、当然、魔法の宝物を期待しているわけよ」
「見つけた宝物は、全部がオレの物じゃない。どう処分するかは、仲間たちに相談しないとな。新入りのオレは立場が低いから、アイラの期待に応えられるとは思えない」
もっと正確に言えば、リウイの立場は低いどころかないに等しい。あの三人は、彼のことを仲間というより下僕のように思っている。
「そこを何とかしてよ。冒険者の店の仕入れ値より高く買い取るわ。それもどんな物でもね。ここの魔術師ギルドには、もう二級品しか残っていないのよ。強力なのは禁断の宝物庫に封印されているし……」
アイラの夢は、彼女が師事しているファイエット導師の跡を継いで、禁断の宝物庫の管理者となることだ。強力な魔法の宝物に囲まれるのは、彼女にとって至福なのだろう。
「まあ、できるだけのことはしてみるけどな」
自信はないものの、リウイはそう約束した。
あの三人にとっても悪い条件ではないから、案外、応じてくれるかもしれない。もっとも、今すぐというわけにはゆかないだろう。もう少し、彼女たちの信頼を勝ち取ってからでないと、話を持ち出しても、相手にされないどころか逆効果になるかもしれない。
「それよりも、あまり派手にやると導師たちにばれるぞ。禁忌を犯した魔術師は、破門されるだけじゃなく、〈制約〉の呪文をかけられて二度と魔法を使えなくされるそうだぞ」
「宝物研究には、魔法を使う必要はあまりないんだけどね。ま、気をつけるわ。それに、禁忌に触れるような魔法の宝物なんて、簡単に見つかるもんじゃないでしょ」
「見つけてやるさ」
挑戦的に言われて、リウイは反射的に答えていた。
アイラの術中にはまった気もするが、そのぐらいの成功を収めなければ、一流の冒険者とは認められないだろう。やるからには、中途半端ではいたくないのだ。
「お願いね」
アイラは満たされたような笑みを浮かべて、悠然とリウイの部屋から去っていった。
「かなわないな……」
リウイは苦笑を浮かべて、アイラが出ていった扉を見つめた。
彼女には、入門したての頃からいろいろと世話になっている。リウイのことを弟のように思っているのか、今でも気軽に部屋にやってくる。
しかし、あの三人の女たちに比べれば、よほど女らしいと思う。
ジーニも、メリッサも、ミレルも、理由は分からないが、男という生き物を嫌悪しているような気がする。
「ま、オレには関係ないけどな」
リウイはつぶやくと、机に向かって座った。
そこには養父カーウェスから与えられた古代の魔術書が開かれたまま、置かれている。
「あいつらは、オレの魔法に期待してるのだろうがな……」
魔術書を閉じながら、リウイはつぶやいた。
「あいにく、オレはこっちで勝負させてもらうぜ」
両の拳を握りしめながら、彼は一人ほくそ笑んだ。
3
「元気がないようですね?」
突然、背後から声をかけられて、マイリー神殿の礼拝堂で祈りを捧げていたメリッサはあわてて立ち上がった。
「ジェニ最高司祭様……」
メリッサは身体を折り曲げるようにお辞儀をして、アレクラスト大陸西方におけるマイリー教団のなかで、もっとも徳の高い女性の顔をまぶしそうに見つめた。
「あなたの笑顔がないと、神殿が寂しくなります。差し支えがないのなら、わたしに話を聞かせてくれませんか?」
ジェニ最高司祭は、もはや老女と呼んでいい年齢だ。
だが、〝剣の姫〟と謳われた頃の面影を残し、その容姿には上品な美しさを留め、身のこなしには鍛え抜かれた戦士の名残が感じられる。
メリッサは素直にうなずくと、懺悔するかのように床の上に両膝を着いた。
そして、ある男と出会った事件の顛末や、勇者として仕えよとの神の啓示を受けたことなどを語っていった。
「しかし、その男には勇者の資質がまるで感じられないのです。食人鬼のような体格で、それでいながら魔術師なのです。剣をまともに扱うこともできず、しかし、喧嘩慣れはしていて拳闘士のように拳を使います。そして、女性の顔でも平気で殴るのです」
最高司祭ジェニはいちいち、うなずきながら聞いていたが、内心ではひどい言いようだと呆れてもいた。
少なくとも、その魔術師は仕えるべき勇者であるとの啓示が、メリッサに下されているのだ。その人物をそこまで酷評しては、神を冒涜しているようなものだ。
だいたい、オーガーのような体格の魔術師で、しかも拳闘士のように戦うとは、想像しがたい人物像である。
(本当にいるのなら、一度、会ってみたいものね)
ジェニは、そんな感想を抱いた。
メリッサは、魔術師が受けた傷を癒そうと試みて、神聖魔法を三度、唱えたが、すべて失敗したことを告白した。
それは間違いなく、懺悔に値した。
仕えるべき勇者の傷を癒せなくて、どうして戦の神の司祭が務まろう。人々に知られれば、教団の評判に関わる大問題である。
「あの魔術師の顔や身体を見ていると、精神の集中が乱れてしまって……」
よくもそこまで嫌われたものだと、ジェニは話題の魔術師が哀れに思えてきた。
「勇者から遠いような男であればこそ、あなたが神より与えられた使命は重いと言えましょう。その魔術師に、抱かれてみるぐらいの覚悟がなければ、真に相手を理解することはできませんよ」
メリッサ侍祭は、男という生き物を嫌悪していると同時に、奇妙な幻想を抱いているような印象がある。そのことが彼女の人間としての、そして聖職者としての成長を阻んでいるように、ジェニには思えてならない。
優れた素質を感じるだけに、それが惜しくてならないのだ。
男を知れば、よくも悪くも女は変わる。
少なくとも仕えるべき勇者に触れただけで、拒絶反応を起こしているようでは、従者として失格と言うしかない。荒療治かもしれないが、相手の男にすべてを許してしまえば、そんな無様な真似は二度としないで済むはずだ。
「抱かれてみよと、仰せですか……」
ジェニの言葉に、メリッサの表情が見る見る歪んだ。
「例えばの話です」
ジェニは心のなかで苦笑しつつ、そう言い直した。
本当は本気で言ったのだが、メリッサの反応を見たかぎり、無理強いすれば自害しそうな雰囲気だった。
いろいろな意味で、死なせるには惜しい才能なのだ。
神の代理人たる神聖魔法の使い手としても、戦士としても優秀である。彼女の年齢を考えれば、修行を積めば更に伸びてゆくだろう。
それに、彼女がこの神殿に来てからというもの、若い男性の信者が増えてきているという事実がある。教団を運営してゆくには、信者からの寄進は欠かせないから、彼女のような存在は貴重なのである。
「わたくしにも、従者としての使命感はあります。勇者を助け、導きたいとの思いも抱いています。しかし、あの魔術師が勇者であるとは、とても信じられないのです……」
「神の啓示があったというのは、間違いないのでしょう?」
ジェニがそう訊ねると、メリッサは情けなさそうな顔でうなずいた。
思い違いであれば、どれほどいいかと思う。
「魔術師に会ったその夜、マイリー神に祈りを捧げてみましたところ、神の声がはっきりと聞こえました。あの現実感は、わたしが初めて神の声を聞いたとき以来です」
聖職者は神の声を聞き、神聖魔法が使えるようになれば人々から司祭と呼ばれる。
しかし、教団内では、司祭という地位は、神殿の長であることを意味している。それゆえ神聖魔法が使えても、教団内での地位は神官でしかない者もいるし、メリッサのように司祭の補佐役とも言うべき侍祭もいる。
反対に、希にではあるが、神聖魔法が使えなくても、司祭位に就いている例もある。
オーファンのマイリー神殿は中原地方の本神殿であるから、メリッサの他にも神聖魔法が使える侍祭、神官は何人もいる。
教団内での地位が低い神聖魔法の使い手は、修行の旅に出たり、冒険者に加わることが多い。いかに聖職者とはいえ人間が作った組織である以上、年齢や教団に入信してからの年数、更には神学の成績などが、地位を左右する。
そして神聖魔法が使えるかどうかは、聖職者としての徳の高さ、人間としての成長度とはかならずしも一致していないのだ。
メリッサは、その端的な例である。
かなり高位の神聖魔法を唱えられるが、聖職者としても人間としても、未完成な部分が多い。いつかは高徳の聖職者となろうが、それにはまだまだ時間がかかりそうだ。
「啓示が確かなら、迷うことはないでしょう」
ジェニにはそう言うしかなかった。
神の啓示を疑うなど、聖職者としてあるまじき行為だ。信仰の本質を知っているジェニならばこそ黙っているが、破門を宣告されてもおかしくないほどの破戒なのである。
「甘えたことを申しているとは承知しております。ですが、わたくしは、最高司祭様のように正真正銘の勇者に仕えたかったものと……」
メリッサの言葉に、今度はジェニのほうが露骨に顔をゆがめた。
最高司祭が仕えた勇者とは、オーファンの建国王リジャールに他ならない。
一介の冒険者から身を興して一国の王にまでなった稀代の英雄であり、邪竜クリシュを倒し、竜殺しの称号を得たアレクラスト最高の戦士でもある。
(それは事実だけれど……)
ジェニは遠い目をした。
見つめているのは、遥かな昔だ。
リジャールやカーウェスと、冒険と戦いに明け暮れた日々。三人とも若く、自分自身に絶対的な自信を持っていた。
「わたしはあなたとは違い、神から啓示など受けていませんよ」
ジェニは現実に返ると、静かにメリッサを見つめた。
「そんな、まさか……」
侍祭の端正な顔に、驚きの表情が浮かぶ。
(驚くことではないでしょうに)
ジェニは心のなかで思う。
リジャールの従者であったつもりもない。
当時のリジャールは、オーファンの前身とも言うべき大国ファンの内乱に引き寄せられてきた流れの傭兵だった。
今でこそ、国王の威厳を備えているが、若い頃の彼は、伝説で謳われているような人物像とは似ても似つかなかった。
反乱者や野盗、怪物などの噂を聞いては、勝手に行って倒してしまう。
そして、ファンの宮廷に討ち取った首を持ち込んで、強引に褒美を出させるのだ。その金で、傭兵たちを集めては酒と女の狂宴を開き、吟遊詩人に自分の武勇を謳わせて、仲間を増やし、勇者としての名声を広めていった。
その名声をひっさげて、リジャールはマイリー神殿に乗り込んできたのである。
勇者に仕えるのは、マイリー神に仕える者の使命と叫び、当時、高司祭にして神官戦士の長であったジェニを従者に指名してきた。
ジェニは〝剣の姫〟の呼び名どおり、勇者を助けるより、自ら勇者となることを目指していた。だが、勇者と評判の男の指名を断るわけにはゆかない。教団の評判を慮って、ジェニは渋々ながら、従者になるのを承知した。
リジャールは同じようなやり方で、当時、聡明な賢者と評判の高かったカーウェス導師を仲間に引き入れている。
オレは王になる、が彼の口癖だった。
それを実現してみせたのだから、賞賛していいだろう。だが、そのために、ジェニもカーウェスも何度、死にかけたか分からない。
傲慢ではあるが、繊細なところもあり、野心的ではあっても、悪い人間ではない。酒好きと女好きに関しては、まさに勇者そのもの。武勇談は、数限りなくある。
ジェニも当然のように、リジャールとは男と女の関係である。
激しい戦いで身も心も疲れはてたある夜、どちらからともなく求めあったのだ。
結局、ジェニは正式な結婚は一度もしていないし、一人の子供も産んでいない。リジャールほど個性的な男を知った後では、どのような男も平凡に見えてしまう。
あの男に一生を狂わされたと言えなくもないが、ジェニ自身は自分の人生に少しも悔いを感じていない。
オーファンを建国し、王妃メレーテと一緒になってからも、リジャールの女癖の悪さは治ることはなく、何人もの侍女や旅芸人に手をつけている。
メレーテ妃は聡明な女性で、何年もかけてリジャールの悪癖を押さえこんでいった。
あのまま放っておけば、今頃オーファンに妾腹の王子、王女が溢れていただろう。それは王国にとって継承権争いの火種になるので、必ずしも歓迎できることではない。
ジェニが知っているかぎりでは、リジャールの妾腹の王子は一人だけだ。
「最高司祭様……」
メリッサの心配そうな声で、ジェニは我に返った
「なんでもありません。神の声が聞こえるかと心を澄ましていただけです」
メリッサに真相を話すわけにもゆかず、ジェニは微笑みながら言った。
「神は何か仰せられていましたでしょうか?」
恐る恐ると言った感じで、メリッサはジェニに訊ねる。
「いいえ、何も」
ジェニはゆっくりと首を横に振り、メリッサの両手をしっかりと握った。
「神の啓示を受けることは、神に仕える者にとって何よりの喜びです。それが試練であれば、尚更と言えます。試練を果たしたあかつきには、あなたはおそらく聖女の列に加えられるような聖職者になっているでしょう。頑張りなさいな、メリッサ侍祭。わたしも陰ながら応援いたします」