Part 01: ……認めよう。「彼」と知り合ったことで、確かに私は変わったと思う。 それまでの私は、少女漫画でよく扱われる『恋愛』とは嘘くさいものと思っていた。いくらなんでも盛りすぎで非現実的だ、と。 だから、自称リアリストの私は間違いなくこんなふうにはならないだろう。現実と幻想を混同するほど、愚かではない。 ……なんてことを偉そうに豪語していた昔の自分を、勢いつけて後ろから蹴り飛ばしてやりたい気分だった。 詩音(私服): ほんと恋愛って、めんどくさい上に厄介な代物ですねぇ。自分じゃどうしようもできないんだから。 ……もしかしたら世間一般の女性の中には、うまく折り合いをつけられるような凄腕がいるのかもしれない。 ある程度の自制心があり、どんな状況にも対応できるほど経験と世渡りが豊富な……って、それはそれでなんか嫌だ。 いずれにしても性格的にブレーキも利かないし、そもそも人を好きになる経験が乏しい私にはどだい無理な話だろう。 だから、たとえ仄かでも恋愛にとりつかれた女子が非常に面倒くさくなることはわかっている。嫌というほど、わかっているつもりなのだが……。 魅音(私服): ねぇ、詩音……あんたは、どうしたらいいと思う? 血を分けた「姉」である魅音から受けたこの相談に対しては、正直言って「ウザイ……」という感想しか抱くことができなかった。 詩音(私服): (七夕祭りで、圭ちゃんと一緒に遊ぶにはどうしたらいい?……知らないっての、ったく) わざわざ休みの日に呼び出して、「大事な相談がある」と言うので仕方なく来てみたらこんなどうでもいいバカな内容とは……。 この程度の話なら電話で十分じゃないか、とあくびをそっとかみ殺しながら内心でぼやく。 ここへ駆けつけるために葛西の車を使ったが、交通費を請求してやりたいと心底思った。……私にはそんな義理も権利もないのだけど。 詩音(私服): どうしたらいいって……そんなの、決まっているじゃないですか。 詩音(私服): 圭ちゃんにありのまま素直に直接、2人きりでお祭り会場を回りたい……って伝えるのが一番手っ取り早いでしょうね。 魅音(私服): それができれば苦労しないってさっきから言っているじゃんか、もー!! なんて、私がこの上なく正直かつ誠実にアドバイスをしてやっても、こんな返答の連続だ。 しかも、今度は逆ギレ?……どうしよう、もう私もキレちゃおうかな。知るかバカ、といって突き放すべきだろうか。 詩音(私服): (でもまぁ、それをやるとお姉って怒るよりも泣くか、落ち込んじゃうんですよねぇ。……おまけに根に持つこと確実だし) それと、「彼」のことを持ち出して「私の時はこういう話、許されなかったのに……」と恨み言をぶつけたくもなったが、それは禁じ手。 なぜなら、それを口するや……お姉は絶句して相談を引っ込めるだけでなく、当分の間私のことをまるで腫れ物のように扱ってくるからだ。 最初のうちは、後ろめたさから多少の無理難題も聞いてくれたりもするので利用したこともあった。……でも、すぐに止めた。 魅音とは血だけでなく、2人だけの秘密を共有する関係。だからこそ、お互いに引け目や劣等感を持ちたくない……それが、私にとっての矜持だ。 ましてお姉は、私の提案した七夕祭りを実現するため相当の骨を折ってくれた。……それを恩や貸しにするとは彼女の性格上ないと思うが、一応感謝の思いはある。 だからこそ私は対価として、他の誰にも言えない魅音の悩みや愚痴について多少聞いてやらなければいけない……とは、思っているのだけど……。 魅音(私服): ねぇ、どうしたらいいかなぁ……? こうも堂々巡りをエンドレスで並べられると、さすがに我慢の限界というか……堪忍袋の緒がいくらあっても足りなくなる。 というわけで私は、そろそろ魅音も疲れがピークに達していることを見計らい……一番無難で効果の低い提案を切り出していった。 詩音(私服): だったら、いつものように部活として圭ちゃんに声を掛けたらどうですか? 詩音(私服): 皆さんと一緒に屋台巡りをしよう、って話ならあっさりついてくると思いますよ。 魅音(私服): そ……それだー!さすが詩音、悪知恵に関しては天下一品だねっ! 詩音(私服): 悪知恵って、褒めていませんよね……?ワザと言っていますか、それとも天然っ? ついカチンとなっていきり立ちそうになったが……そうとも気づかない魅音は得たり、とばかりに膝を叩くと大きく目を見開いて私を指さしながら褒め称える。 ……そもそも、感心されるほどのことではない。その程度の発想なら、普段の冷静な彼女であれば私が提案するまでもなく思いついていただろうに。 恋は盲目というが、思考まで鈍くなるのか……反面教師として、しっかり覚えておくことにしよう。 魅音(私服): そうと決まったら、早速連絡だねっ。詩音、あんたも暇だったら付き合いなよ!リンゴ飴くらいはおごってあげるからさ♪ 詩音(私服): はいはい……わかりましたよ。 とりあえず同意して、やっと解放されたと安堵した私は大きくのびをする。 そしてふと、壁に掲げられたカレンダーを見つめ……はしゃぐ魅音を横目にそっと、ため息をついた。 詩音(私服): ……7月、か……。 今年もまた、7月がやってきた。「彼」が私の前から姿を消してから、これで1年と少しの時が流れて……。 魅音(私服): ? どうしたのさ、詩音。カレンダーに何かメモでも書いてあった? 詩音(私服): いえ、ただの見間違いです。それじゃ私、そろそろバイトの時間なので……これで失礼させてもらいますね。 Part 02: 詩音(エンジェルモート): さて、と……。私は祭りの日、どうしようかなぁ。 バイト先のエンジェルモートで「適度に」接客をこなしながら……私は数日後に控えた七夕祭りに思いを馳せる。 祭りの会場運営などは、お姉たちの尽力でなんとか体裁が整った。といっても、大半は#p綿流#sわたなが#rしの会場で使ったものの流用だが。 さらに、七夕には欠かせない笹や短冊、灯籠……それらも問題なしのレベルにまでこぎ着けている。この短期間でよく、と感心すら覚えるほどだ。 おまけに、これはありがたい誤算だが……近隣の集落でも七夕の時期に何か大きな祭りがあれば、と住民たちから提案や要望が上がっていたらしい。 そんなわけで、初回からかなりの集客が望めそうだと町会の連中が喜んでいた……というのが、魅音からの報告だ。 反対だの慎重論だので渋っていたやつらがよくもまぁ手のひら返しを……と思わなくもないが、私もこの結果は予想外だったのだから、仕方ない。 詩音(エンジェルモート): (ツキがあった、と考えるべきなんでしょうね。あるいは、この結果も例の「カード」の力で……?) なんて、妙な可能性に思いを馳せかけたが……私は慌てて首を振り、それを否定する。 本当に叶えたい願いを実現するのは、神でも不可思議な力でも無い……人の意思だ。少なくとも私は、そう思っている。 それに、これらの僥倖を「たかが」神などのおかげと考えるなんて……魅音たちの頑張りに対する冒涜だ。 ……運命は、この手で掴んでみせる。その揺るがぬ決心と覚悟を持ち続けていれば、きっと私は、悟史くんと……。 詩音(エンジェルモート): ……うん? と、そこへ入り口ドアのチャイムが鳴り……新たなお客が入ってくるのが見えた。ちょうど私が手空きだったので、足早に駆けつける。 詩音(エンジェルモート): いらっしゃいませ。エンジェルモートへようこそ……って、沙都子じゃないですか。 マニュアル通りの接客スマイルを解いて、私は入口の受付前に立っている沙都子を見る。 店長がいる時は、さすがにお小言を喰らいそうなざっくばらんぶりだと自覚していたが……あいにく彼は今日、支店間会議のために出張中だ。 そんなわけで私は、客が少ないこともあって多少緊張感のない態度で彼女に接していった。 詩音(エンジェルモート): 1人でこの店に来客なんて、珍しいですね。今日は梨花ちゃまと一緒じゃないんですか? 沙都子(私服): え、えぇ……そうなんですのよ。それで、えっと……。 詩音(エンジェルモート): ……? どうしました、沙都子。 沙都子(私服): 実は私、……詩音さんにお話があってこちらへお伺いしましたの。よろしければバイトの後、少しよろしくて? 詩音(エンジェルモート): 話? まぁ、それは構いませんけど……ここで言えるような内容じゃないってことですか? 沙都子(私服): えぇ……私のわがままで申し訳ないのですが、お願いしてもよろしいかしら……? 詩音(エンジェルモート): …………。 おずおずとした振舞いに、歯切れの悪い口調……違和感しかない様子だったが、変に問いただすと厄介な空気が店内に持ち込まれる恐れがある。 そう考えた私はあえて突っ込むことなく、沙都子からの要望を受け入れることにした。 詩音(エンジェルモート): わかりました。場所はどこにしますか?ゆっくり腰を据えたほうがいいようなら、私のマンションでも構いませんけど。 沙都子(私服): ……もし可能でしたら、お言葉に甘えさせてもらってもよろしくて?遅い時間にならないよう、気をつけますわ。 詩音(エンジェルモート): くっくっくっ……何を遠慮しているんですか。そんなふうに気遣いなんてされると、かえって気味が悪く感じちゃいますよ。 沙都子(私服): 親しき仲にも礼儀あり……。それに詩音さんも、バイトの後だとお疲れだと思いましたのよ。 詩音(エンジェルモート): くす……沙都子。あんたもずいぶんと大人になりましたねぇ。 詩音(エンジェルモート): 少し前だと、自分の思い通りにならない時はすぐに泣きべそをかいていたってのに……。 沙都子(私服): ……いつまでも甘えているようではいけませんもの。大切なものを喪って……泣くこともできない思いを味わうのは、もうたくさんですわ。 詩音(エンジェルモート): …………。 大切なもの……それはおそらく、私を慮ってあえて明言しない「彼」のことだろう。 ただ、もはや今の私にとって悟史くんの名前を出すことは禁句でも逆鱗でもない。だからその気遣いは、苦笑さえ覚えるものだった。 詩音(エンジェルモート): あの……沙都子。もういい加減、悟史くんのことで気に病む必要はないんですよ。 詩音(エンジェルモート): 少なくとも私の前では、普通に話してもらって大丈夫ですから……ね? 沙都子(私服): 詩音さん……。 詩音(エンジェルモート): とりあえず、時間になったら葛西を迎えによこします。それまでは梨花ちゃまの家で待っていてください。 沙都子(私服): わかりましたわ。……では。 そう言って沙都子は頭を下げ、店を出て行く。 詩音(エンジェルモート): お話があって、か……。 何かと考えてみたが、心当たりはまるでない。……とりあえず聞けばすむ話だと思い直して、私はもとの接客に戻ることにした。 Part 03: 夜になって自宅に戻ると、中にはすでに沙都子と葛西が待っていた。 葛西: ……私は、これで。何かあったら呼んでください。 そう言って葛西は一礼し、部屋を出て行く。後には私と、俯いて正座する沙都子だけが残された。 彼女の前には、すでに冷めてしまったであろう紅茶のカップ。……お茶請けのお菓子皿にも、手をつけた形跡がない。 沙都子(私服): …………。 ずいぶんと緊張した表情だ。おそらく楽にしろ、と言ったところで言葉通りにとらえはしないと思う。 だから私は、沙都子の対面に腰を下ろし……早速本題に入ることにした。 詩音(私服): それで……沙都子。話しておきたいことって、なんですか? 沙都子(私服): ……。先日の「カード」での騒動、詩音さんは覚えておりまして? 詩音(私服): まぁ、それはもちろん。あれからさほど日も経っていませんし……かなりのインパクトがありましたからねー。 お姉の思いつきで、「カード」に宿る力を七夕の笹に捧げて効果があるか試してみる……発想は面白かったと思う、たぶん。 ただ、そのせいで妙な幻想を見せられた挙げ句……ニセ悟史くんによって危うく意識を乗っ取られそうになってしまった。 もっともそのおかげで、ほとんど諦めかけていた七夕の村おこしイベントが実現することになったのは怪我の功名というべきなんだろうけど……。 詩音(私服): (書きかけで消した願い事まで、中途半端に叶ってしまったのが失敗でしたねー。悟史くんに会いたい、だなんて世迷い言を……) 沙都子(私服): あのことで、私……詩音さんに謝らなくてはいけないと思いましたのよ。 詩音(私服): へっ……私に? なんで? いきなりの謝罪宣言に、私は目を丸くして首を傾げる。 沙都子があの時、何かイタズラでも仕込んだのかと一瞬訝ったが……さりとて該当しそうなものはまるでない。 だけど彼女は、いつものような茶目っ気などは微塵もなく……それどころか目には涙を浮かべ、今にも泣きそうな表情をしていた。 沙都子(私服): 詩音さんだけ、意識を取り戻すのにずいぶんと時間がかかっていましたので……私、もしやと思いましたのよ。 沙都子(私服): ひょっとして詩音さん……あの「カード」の力でにーにーと会った夢を見ていたのではありませんの? 詩音(私服): ……っ……? その指摘が図星だったので、私は息をのんで沙都子を見返す。 あの力で見せられたのは、それぞれ別のもの……共有などは一切無かったはずだ。 にもかかわらず、私が体験してきた内容を知っているということは……まさか沙都子も、あの幻想の中にいたというのか……?! 沙都子(私服): ……やはりそうでしたのね。だとしたら、詩音さんにそんな思いをさせたのは……私が願い事を書いてしまったせいに他ありませんわ。 詩音(私服): は……願い事って……? 沙都子(私服): 実は私、短冊代わりに使った「カード」に書いてしまいましたのよ。「いつか詩音さんが、にーにーともう一度会えますように」って。 詩音(私服): えっ……?! その事実の吐露に、私は絶句する。 てっきり私は、ニセ悟史くんとの邂逅が起きたのは中途半端な願い事を書き込んだせいだと思っていた。だからあんな悪夢を見ることになったのだ、と……。 だけど、その原因がまさか沙都子にあったなんて思ってもみなかった。 詩音(私服): ……聞かせてください、沙都子。どうして自分が会うのではなく、私と悟史くんが再会することを願ったんですか? 沙都子(私服): それは、……。 沙都子は一瞬答えようとしたが、何かを躊躇うように口をつぐみ……乗り出しかけた身を引っ込める。 が、しばらく迷った末に決心がついたのか……うつむいていた顔を上げると、私を見ていった。 沙都子(私服): 私……色々と考えましたのよ。叶えたい願いは大なり小なりありますけど……。 沙都子(私服): 神様や不思議な力に頼ってまで実現したいものは、特にない……と。 詩音(私服): ……っ……。 沙都子(私服): だって私、今がとても幸せですもの。梨花と羽入さんと暮らして、レナさんや魅音さん、一穂さんたちや圭一さんがいつも一緒で……。 沙都子(私服): それに何より、詩音さんが私のねーねーとしていつも優しく私のことを見守ってくれている……。本当に私は、幸せ者ですわ。 沙都子(私服): だからもし、奇跡のようなことが実現できるのだとしたら……詩音さんのためにそれを使いたいと思いましたのよ。 詩音(私服): 沙都子……。 そんな沙都子の思いを聞いて、知って……私は胸が熱くなる。 あぁ、この子はなんていじらしい……そして切ない考え方をする子になったんだろう。 一時とはいえ、彼女を邪魔者に思ったことがあった。苛立って憎らしくて、敵意……殺意にも等しい感情を抱いたことも、確かにあった。 だけど……今はもう、そこまでの黒い感情は私の中に存在しない。 この子がいてくれるから、私は頑張れた。そしてこれからも、頑張ることができる……。 悟史くんへの思いとともに、沙都子に対する感情は……間違いなく、真実。そして何よりも大切な、宝物だった。 詩音(私服): ……ありがとう、沙都子。あなたの思い、すごく……嬉しいです。 詩音(私服): ですが、本当に叶えたい願いは自分の力でものにしないと意味がない……。少なくとも私は、そう思っています。 沙都子(私服): 詩音さん……。 詩音(私服): とはいえ、それを聞いたおかげで今回の一件は……私にとって、決して悪いものではなくなりました。 詩音(私服): だから、ありがとう……沙都子。私にそのことを、教えてくれて……。 そう言って私は、沙都子の小さな身体をそっと抱きしめる。 歯を食いしばってきたのは、自分だけだと思っていた。でも本当は、この子だってきっと……同じだったんだ。 詩音(私服): ……だとしたら、お礼をしなければいけませんね。何か欲しいものはありますか、沙都子? 沙都子(私服): えっ……? いえ私は、別に……。詩音さんが許してくれた、それだけで私は……。 詩音(私服): くっくっくっ、それでは私の気がすみませんよ。あ、じゃあ……こんなのはどうですか? 詩音(私服): ほらっ、沙都子。こっちの柄なんて、涼しげで可愛くて素敵だと思いますよ~♪ 沙都子(私服): そ、そうですの……?私にはちょっと、大人っぽい感じで似合わないのではなくて……? 詩音(私服): くすくす……そんなことはありませんよ。沙都子も昔と違って成長してきたんだから、これくらいがちょうど良いと思います。 詩音(私服): せっかく菜央さんが、浴衣作りを手伝うって言ってくれたんですから……少しでもいいものを選ばないと、ねっ。 沙都子(私服): は、はぁ……それでは、えっと……。 …………。 だから、私は想い続けよう。待ち続けよう。 私と同じ悲しみを抱えて耐え続けているこの子が、いつか満面の笑顔を浮かべてくれるその日まで――。