Part 01: ……身内に対する贔屓目ではなく、美雪は幼い頃から警察官になるべくして生まれてきたようなやつだった。 どんな困難にでも果敢に立ち向かう勇気に、相手を慮って慈しみを忘れない優しさ……得ようと思って得られる資質では、決してない。 そんな美雪のことを、私は心から尊敬していた。「父親」のいない家庭環境でもなお前向きに明るく強く生きようとする姿勢が、とても眩しかったのだ。 …………。 だからこそ、私は……今の美雪を目にするたび、やるせなさと同時に痛ましい思いを抱かずにはいられない。 彼女は変わってしまった……悪い方向に。いや、責任の転嫁だと誹られるかもしれないが「変えられて」しまったというべきだろう。 とはいえ当初は、少し時間を置けば傷も癒やされて元通りになるだろうと皆が思っていたのだが……。 それが甘い考えであったことを理解した頃には引き戻そうにも術はなく、説き伏せるべき言葉が思いつかないほど末期に至っていた――。 千雨(制服): ……今日は、わりと暑かったな。 ハンカチでは事足らず、部活で使ったタオルを鞄から取り出して顔と首筋の汗を拭いながら……私は夕暮れで赤く染まった公園に目を向ける。 少し離れたところにある遊具のあたりには、何人かの子どもたちの姿。そろそろ日没だがまだ楽しそうに笑って、遊んでいる様子だ。 千雨(制服): 昔はあいつとも、ここで時間がたつのも忘れて遅くまで遊んでたものだが……。 そんな懐かしさといいようのない寂しさが胸にこみ上げてきて、思わずため息が出る。……と、その時。 千雨(制服): ……あっ……。 ふと気配を感じた私は背後へと振り返り、視線を向けた先に立っていた人を見て……息をのむ。 おそらく買い物帰りなのだろう、両手に荷物を持つその人は……赤坂雪絵さん。私の幼なじみである美雪のお母さんだった。 雪絵: あら……こんにちは、千雨ちゃん。こんなところで会うなんて、奇遇ね。 千雨(制服): ……どうも。ご無沙汰してます。 同じ団地住まいなのにこの台詞はどうかと思ったが、この人に挨拶をしたのは始業式以来だということを今さらになって……思い出す。 別に、意図して避けていたわけではない。……ただ、美雪という接点がなくなれば顔を合わせる機会が減るのは当然のことだ。 私の母親は、時々赤坂家を訪れたりして会話の場を設けているとのことだったが……。 そこでどんな話をしているのかは特に聞こうと思わなかったし、母もあえて私に伝えようとはしなかった。 雪絵: 部活からの帰り?朝練に加えてこんな遅くまで、大変ね。 千雨(制服): えぇ……まぁ。これから家に戻って着替えて、塾に行くところです。 雪絵: ……そう。あなたも、受験生だもんね。 千雨(制服): あ、いえ……。 切ない含蓄があるように私が感じられるのは、後ろめたさのせいだろうか……そう邪推しながら曖昧に返事をして、気まずく視線をそらす。 この優しい人がどれだけ苦悩を抱えているのかは、母から話を聞くまでもなく理解している……と、思う。 中学の最終学年になり、私は1年ぶりに美雪と同じクラスになった。……にもかかわらず彼女の姿は始業式以来、一度も学内で見ていない。 いや……それどころか今年に入ってからというもの制服を着た美雪を、私は片手で数えられるほどしか目にしていなかった。 千雨(制服): (……あの雑誌のせいだ。もう記憶が風化しかけてた今さらになって、過去のことをほじくり出しやがって……!) 思い出すだけで、殺意にも等しい怒りの感情が蘇ってくる。……ただ、それは記者や出版社に対してのものだけではない。 美雪: 『……大丈夫だよ。こういうのって私、もう慣れっこだからさ』 そう言って、強がってみせた美雪が実際にはどれだけ傷ついていたのか……私がもっと、気を回すべきだったのだ。 ……あの日以来、彼女は学校に来なくなってしまった。いわゆる「登校拒否」というやつだ。 クラスの大半は美雪に対して概ね同情的で、美雪が懸念するような悪意などは存在しないことを私は担任も巻き込んで、懇々と説いたのだが……。 悪罵の響きはほんのわずかであっても、常に辛辣で印象として残り続ける。……そして一度芽生えた猜疑心は、容易に消えない。 不用意な発言をした当人たちには、独自の判断で相応の「制裁」をこの手で下してやったが……。 あくまでそれは私自身が溜飲を下げるのみであり、美雪の救済には何ら寄与するものではなかった。 雪絵: ……そういえば、聞いたわ。今年のインターハイでは千雨ちゃん、連覇がかかっているんですってね。 雪絵: 受験勉強と重なって大変でしょうけど、くれぐれも健康に気をつけて頑張ってね。おばさん、応援しているから。 千雨(制服): ……ありがとうございます。 その言葉は本心からだろうし、とりあえず誇らしさも感じなくはないのだけど……どうにも居心地が悪くて息苦しくて、この場を逃げ出したくなる。 この人は私を見つめながら、自分の娘に対しての無力感に苛まれている。……どんなに笑顔を浮かべて取り繕おうとも、それが伝わってくるからだ。 千雨(制服): あの……おばさん。その、えっと……。 雪絵: ……。あの子は今頃、どこにいるのかしらね。 雪絵: せめて電話だけで、一言元気だって伝えてくれるだけでもいいんだけど……。 そう言って、悲しい疲れをにじませた苦笑とともにため息をつき……おばさんは悲しげな表情を浮かべる。 ……春休みに入る直前、美雪は家出をした。新学期が始まってかなり過ぎた今もなお、行方どころか消息すらもわかっていない。 千雨(制服): (ガールスカウトの経験もあるあいつのことだ、なんとか無事にやってる……と思いたいが……) あの母親思いの美雪が、行き先も告げずに家を出るなんて……そんなに思い詰めていたのか、と私は今さらながらも慄然とさせられる思いだった。 Part 02: ――通称、『#p雛見沢#sひなみざわ#r大災害』。 昭和58年6月に地方の寒村で起きた自然災害は、火山性ガスによって大量の犠牲者を出すという#p未曾有#sみぞう#rの大惨事となった。 その悲劇的な話題は、注目を求めてやまない飢えたマスコミの格好の餌食として連日に渡り、面白おかしく取り上げられていたが……。 とある情報提供者によって、犠牲者の中に警視庁の刑事がいた事実がもたらされたことで……その縁者である赤坂母子の運命が狂い始めたのだ。 『警視庁の刑事が、なぜ地方の小さな村を訪れていたのか?』 『自然災害として現在は封鎖された雛見沢村で、実際に何が起こっていたのか?』 話題が起きた当初は、私も美雪も幼かったのであくまでも伝聞としての知識でしかないが……実に滑稽な陰謀論だったそうだ。 おまけに信憑性も乏しいため誰の印象にも残らず、たちまちに立ち消えていったらしい。 だから……私たちも特段、意識はしなかった。父の殉職は美雪たちの生活に影響をもたらしたが、周囲が2人を支えて、乗り切って……。 いつしか過去の不幸な事故として、彼女たちの悲しく辛い心の傷も癒やされて……記憶の中で風化しつつあったのだ。 ……状況が変わったのは、昨年の冬。 『雛見沢大災害から、来年で10周年』……というまるで祝いのつもりなのかと不愉快な題名がついたその記事は、とんでもない事実を取り上げていた。 『東京から派遣されたA刑事は、村の守り神的存在として崇められた少女を殺害した後籠城した建物に火を放って、焼死した』――。 およそ信じがたい……というより都市伝説にしても出来が悪い暴露の内容を、最初は誰も信じなかった。 しかし……雛見沢の縁者と名乗る数名の証言や、当時村で連続して起きていた怪死事件の紹介がワイドショーなどで取り上げられていくうち……。 マスコミはこぞって、その情報に食いついた。そして憶測を巧妙に交えながら切り取り、真実の暴露と「創出」に躍起になっていった――。 警察官僚: 『昨今世間を賑わせている噂は、根も葉もない……明らかに事実と異なるものです。むしろ警察組織に対する、侮辱でしかない……!』 『雛見沢心中』事件に関して過熱する一方のマスコミによる「騒動」に業を煮やしたのか、警察組織は異例とも思える声明を発表した。 しかし、それは火に油を注ぐ行為だった。なにしろ彼らにとって国家権力を貶めることほど痛快で自尊心をくすぐる愉悦はないのだ。 『民間宗教によって洗脳された、警察官の凶行』『激務によるストレスから精神に疾患を生じ、その派生としての暴走……』 「心中」の言葉を使う姿勢には異常事件として取り扱いたいマスコミのド汚さが透けて見え、目や耳にするたび私たちは反発を覚えていたが……。 当事者として世間の好奇の目にさらされ続けた赤坂母子は、それと比べものにならないほどの苦痛と困惑に苛まれることになったのだ……。 千雨(制服): 可能なら、一刻も早くあいつを見つけて連れ戻したいと思ってます。でも……。 せめて、どこに行ったのかだけでもわかれば対処のしようもあるのだが……手がかりが全くない状況では、お手上げとしか言えない。 だから私にとって部活や受験は、そんな無力感を慰めるだけの代償行為でしかなく……今では手応え自体、まともに感じなくなっていた。 雪絵: ……。ひょっとしたらあの子、今頃は「あの場所」に移動しているかもね。 千雨(制服): あの場所……って、雛見沢ですか?でもそこだったら、何度も一緒に探しに行ったと思いますが……。 雪絵: えぇ。でも、6月に入った今なら……。 千雨(制服): …………。 確かに、6月でちょうど「あの事故」から10年になる。その節目を迎えたことに思いを馳せて……足を向ける可能性がないとも限らないだろう。 ただ……おそらく雪絵おばさんは、部活と受験で忙しい身である私が同行することに難色を示すに違いない。それは私の両親も同様だ。 千雨(制服): (……今度は、ひとりで行ってみるか) そんな決意を胸に秘めながら……私は頭を下げて、雪絵おばさんと別れる。 次は、私が家出する番か……そう内心で呟くと、ふいに可笑しさがこみ上げてきた。 Part 03: 美雪(制服発症): だからね……千雨っ!キミには本当に、心から感謝してるんだよ!こうして私と一緒に、#p雛見沢#sひなみざわ#rに来てくれて……! 美雪(制服発症): そして私がずっと願って願い続けていた、夢を叶えるための機会を与えてくれたんだからッ!! そう言って美雪は顔を上げて、狂気的に嬉々とした表情をこちらへと見せてくる。 両手は自らのものか、あるいは他人のそれなのかわからない血で真っ赤に染まっていて……さすがの私も戦慄を覚えて生唾を飲み込んだ。 千雨(制服): 美雪っ……!お前が雛見沢に来た目的は、真実の究明じゃなかったのか……?! 私は恐怖と嫌悪感に耐えながら蛮勇を絞り出し、やっとの思いでその問いかけを彼女にぶつける。 ……ここに至った経緯は、実に奇妙の連続だった。神を名乗る少女と出会い、不可思議な虚空の狭間に足を踏み入れて――。 気がつくと私は、10年前の「世界」に来ていた。……他人が聞いたらきっと頭がおかしくなったと思うに違いない。 とはいえ、幸か不幸か私はそこで美雪と再会し……過去の雛見沢で起きたことを一緒に調べることにしたのだ。 千雨(制服): (なのに……これは、どういうことだっ?どうして美雪が、せっかく血眼になって見つけた親父さんをッ……?!) ……理解できない。いや、したくなかった。感動の再会が繰り広げられると思った次の瞬間、それとは真逆の血祭りになるなんて……ッ! 千雨(制服): 美雪、お前っ……親父さんに会いたいってずっと言ってたじゃないか? なのに……?! 美雪(制服発症): 会いたい……?あっはっはっはっ、もちろん会いたかったよ!この世界で見つけて、会って、そして――。 美雪(制服発症): お母さんを苦しませて、私の夢と希望を奪ったこのクソ親父に復讐する……ずっとずっとそう願って、決めてたんだよッッ!! そう宣言して美雪は、目の前の地面で転がっている父「だったもの」をひたすら殴り、蹴り続けて……飛び散る血しぶきを全身に浴び続けている。 その攻撃には一切の躊躇いも、容赦もなく……彼が動かなくなった今もなお、狂ったように追い打ちの手を止めなかった。 美雪(制服発症): あっはっはっはっ……あーははははははッッッ!!! いや、「ように」ではない。美雪はもう……狂っていた。完全に理性を手放した、血に飢えた猛獣だった。 千雨(制服): ……もうやめろ、美雪ッ! 私はいったん間合いをとり、助走をつけてさらに一撃を見舞おうとする美雪をいなし……もはや瀕死状態の赤坂さんをかばう。 千雨(制服): なっ……?! 轟音とともに、美雪のこぶしを叩きつけられた建物の壁が崩れ、破壊されるのを目の当たりにして……ぞっとした恐怖が全身を駆け巡った。 美雪(制服発症): ……もう、邪魔しないでよ!あと少しで全て、終わるんだからさァァッッ!! 千雨(制服): いい加減にしろ、美雪っ!これ以上やるつもりなら、私が相手になるぞ?! 美雪(制服発症): んー? 私、そんなに悪いことをしてるかなぁ?こうして自分にとっての恨みと憎しみの存在に、素直な思いの丈をぶつけてるだけなのにさ……ッ! 千雨(制服): 目を覚ませ、美雪……お前は、そんなやつじゃない! 千雨(制服): お前は、私とは違うんだ!だからもう、正気に戻ってくれッッ!! 美雪(制服発症): ……。いいよ、そこまで言うならやりあおう。千雨とは一度、本気で殴り合ってみたかったからねッ……! 千雨(制服): 美雪ッ……!! 美雪(制服発症): っらああぁぁぁぁああぁっっ!!! 美雪(制服発症): 千雨……?おーい、千雨ってば。 千雨: っ……なんだ、美雪か。どうしてお前がここにいるんだ? 美雪(私服): いや……その言葉、のしをつけて返すよ。朝起きて呼びに行ったら、キミの部屋がもぬけの殻になってたんだからさ。 美雪(私服): 靴も見当たらないし、外に出たってことはすぐにわかったけど……せめて書き置きくらいはしてくれないと、心配しちゃうじゃんか。 千雨: あぁ……悪いな。早い時間に目が覚めたから、ちょっと身体を動かしたくなったんだ。 美雪(私服): ここは雛見沢なんだよ……?毎年事件の被害者と行方不明者を出してる危険な場所なんだから。 千雨: 確かにな……すまん。すぐに戻るつもりだったんだが、なんとなく心地が良くて長居してしまった。 そう言って私は、眼下に映る村の全景を見はるかす。 朝の澄み切った空気のせいか、素晴らしく美しい景色だ。カメラが手元にあれば無意識のうちにシャッターを切っていただろう。 美雪(私服): ……いよいよ、今夜だね。 千雨: あぁ。今夜が……勝負ってやつだな。 美雪(私服): #p綿流#sわたなが#rしの夜に、何かが起きる……それを知ることで、真実に近づけるかもしれない。 美雪(私服): お父さんの消息がつかめなかったのは残念だけど、千載一遇のチャンス、無駄にはしないよ。 千雨: ……。なぁ、美雪。 美雪(私服): んー、なに? 千雨: お前の親父さんと、私の親父がこの雛見沢にまつわる事件に関わって殉職したって話だったが……。 千雨: もし、この村で偶然顔を合わせる機会があったら……どうするつもりだ? 美雪(私服): っ……どうしたのさ、藪から棒に。ひょっとしてキミ、私のお父さんらしき人とこの村のどこかで会ったりしたの? 千雨: いや、そうじゃない。その……お前は親父さんのことを恨んだりしてはいないのか、聞いたことがなかったと思ってな。 美雪(私服): えっ……恨むって私が、お父さんを?なんで? 千雨: 親父さんがこの村に関わって死んだせいで、お前と雪絵おばさんの人生が……変わってしまった。言葉に出さなくても、大変だったと思う。 千雨: この村のことよりお前たち家族の生活や未来を大事に思ってくれていれば、そんな苦労もなく幸せに過ごすこともできたんじゃないか……ってな。 美雪(私服): …………。 美雪(私服): 確かに、キミの言う通りだね。お父さんがいてくれたら良かったのに、って思ったことは今までに何度もあったよ。 美雪(私服): でも……解決すべき事件が目の前にあるのに放棄するなんてことは、お父さんには絶対にやってほしくない。 美雪(私服): たとえそれが、私たちの幸せと引き換えであったとしてもね。 千雨: お前は、それでいいのか……?私が同じ立場だったら、とても納得なんてできる話じゃないと思うんだが。 美雪(私服): 納得はできないけど……理解はできるよ。それはきっと、お母さんだって同じだと思う。 美雪(私服): だってそれが、私たちが思い描く理想の警察官なんだから。そんなお父さんのことが大好きだし……誰よりも尊敬してるんだ。 千雨: 美雪……。 千雨: ……安心したよ。美雪がそう思ってくれてるんだったら、何も言うことはない。 千雨: できればいつまでも、そのままでいてくれ。私はそんなお前だったら、どんなことがあっても味方であり続けるつもりだからな。 美雪(私服): あ、うん。もちろんそのつもりだけど……今朝の千雨、ちょっと変だよ。何かあったの? 千雨: いや……何もない。あえて言うなら、決戦の舞台を前にしてがらにもなく緊張してるのかもしれん。 美雪(私服): あっはっはっはっ、千雨でも緊張することがあったりするんだねー?全国大会でも平気な顔で臨んでたのにさ。 千雨: 当然だ。スポーツで命の危機にさらされることは極めてまれな事例だが、今回はそうもいかない。……くれぐれも、油断だけはしてくれるなよ。 美雪(私服): もちろんだよ。……だから千雨、いつも無理ばっかり言って申し訳ないけど私たちに力を貸してねっ! 千雨: あぁ、任せておけ。 …………。 千雨: (さっきのあれは……ただの妄想だ。不安が生み出した、ありえない美雪の姿……) 千雨: (そして、たとえどこかの「世界」で真実であったとしても……私は絶対に、止めてやる) 千雨: (悪に染まるのは……私だけで十分だ。美雪はずっと、正義であり続けてもらいたいから……)