Part 01: ……牛乳瓶の口を閉じた丸い紙蓋を親指で押し込み、熱冷ましに中身を一気にあおり飲む。 梨花(冬服): んぐっ、んく……ぷはぁっ……。 牛乳はにんにくの臭い消しに最適だ、とどこかのコミックに描かれてあったが、実際の効果のほどはちょっと怪しいものだ。 ……もっとも、温泉宿で飲む牛乳は風呂上がりでなくとも普段より確かにおいしく感じる。あとでもう1本いただくことにしよう。 そんな、私の背後では……。 羽入(冬服): あ……あぅあぅ……はひぃ……。 さっきまで畳の上を転げ、のたうち回っていた羽入が殺虫剤を食らった害虫のようにピクピクと痙攣して、呻き声を上げながら突っ伏していた。 羽入(冬服): ぼ……僕はもう、死んでしまったのですよ……がくっ。 梨花(冬服): ……大げさなリアクションね。実際に食べたわけじゃないんだから、まだましのはずでしょ? 羽入(冬服): 自分で直接食べたほうが、心の準備ができるだけずっといいのですよー!口の中が火事になって、今も燃え続けて……っ! そう言って、羽入はひっくり返ると涙目で口をいっぱいに開けたまま天を仰ぎ、舌を出して両手で風を送っている。 そういえば犬は、人間のように汗を出して体温調節をすることが難しいので、舌で涼をとる行為が夏場だと死活問題につながるとのことだが……。 ある意味で今の彼女は、それに近いと言えなくもない。……ついカッとなってやりすぎた、一応反省している。 羽入(冬服): 酷いのですよ、梨花! 温泉宿の客間に呼び出すなり、窓際に隠していたキムチを一気食いするなんて……! 羽入(冬服): いきなりすぎる仕打ちだったので、激辛の直撃をまともに食らってしまったのですよー……あぅあぅ。 梨花(冬服): あら、悪いわね。出された料理に辛味が足りなかったから、口が寂しくて持参していた保存食を食べたくなっただけよ。 梨花(冬服): ……あと、ほんの少しだけムカついたからその八つ当たりも兼ねてかしら。 羽入(冬服): あぅあぅ、どう考えても八つ当たりが理由の大半を占めているようにしか思えないのですよー! そう言って羽入は、ようやく考えて動けるくらいに回復したのか、壁際に置いた荷物のもとへ這っていく。 そして、ナップザックの中に入れてあった水筒を手に取り、付属のコップを使わず直接注ぎ口からごくごくと中のお茶を飲んでいった。 羽入(冬服): はふぅ……やっと生き返ったのです。梨花のことが一瞬、本物の悪魔に見えて本気で恐ろしかったのですよ~。 梨花(冬服): ……そんな悪魔から、あなたにプレゼント。同じ量のキムチパックが、もう1つここに――。 羽入(冬服): ひぃぃいいぃっ? ど、どうかご容赦とお慈悲を!これ以上あの激辛を味わったら、冗談抜きで昇天してしまってもおかしくないのですよ~?! 恐怖で顔を蒼白にして、羽入はその場に土下座する。……見事に手のひらを返した豹変を目の当たりにして、ようやく私も「少しだけ」溜飲を下げた。 梨花(冬服): 安心なさい。いくらなんでも、そんなにたくさんキムチを持ってくるわけがないじゃない。……冗談よ。 羽入(冬服): あぅあぅ……そもそも温泉を探すにあたって、どうしてキムチを持ってくる必要があったのか僕としては疑問を感じるところなのですが。 梨花(冬服): ……聞こえているわよ。まだ余計なことを言うようなら、帰った後で報復が待っているから覚悟しておきなさい。 梨花(冬服): まぁ、それはさておき……羽入。あんたに確かめておきたいことがあるの。 羽入(冬服): ? 確かめておきたいこと、とは……? 梨花(冬服): あそこにあった、不思議な力を宿した温泉って……羽入が昔つくったか、発掘したものなの? 羽入(冬服): ……その質問に対しては、申し訳ありませんが今の僕には是とも否とも答えづらいものです。 羽入(冬服): これまでに長い年月を経てきたことの影響なのか、過去に関する記憶がかなりの量で失われていて……正確な情報をお伝えすることができないのですよ。 梨花(冬服): だとしても……あの超常的な効能を持つ泉は自然発生によって生まれたものとは考えられない。 梨花(冬服): つまり羽入か、もしくは類似の存在の手によってつくり出されたと見るのが可能性として近いでしょうね。 羽入(冬服): 類似の存在……ですか。心当たりはないこともないのですが……。 羽入(冬服): 少なくとも「あんにゃろう」に、この地の人々の役に立つようなものを作ってあげるような殊勝さがあるとは思えないのですよ。 羽入(冬服): まして不用意に伝承を残したり、欠陥状態のままで放置したりするほど愚かだとはさすがに……あぅあぅ。 梨花(冬服): ……名前を聞かなくても、誰のことかわかったわ。でもあんたって、例の「神様」のことを嫌っているのか認めているのか、よくわからないところがあるわね。 羽入(冬服): 力は認めているのです。……ただ、ねじ曲がって腹黒な性根と態度が、どうにも好きになれないのですよ。 羽入(冬服): あと、いつまでも昔のことをねちねちねちねちと引きずっているしつこさも……! 梨花(冬服): はいはい、わかったわ。あんたってあの神様の話を始めると止まらないから、このあたりにしておきましょう。 梨花(冬服): とりあえず、あの温泉の出自やらを聞いてもし修理ができればと思っていたんだけど……覚えていないんじゃ、仕方ないわね。 羽入(冬服): あぅあぅ……面目ないのですよ。 羽入(冬服): それはそうと、梨花……どうして今回は、あんなに超常の力を持つ泉の探索に固執したのですか?僕もその理由を、聞いてみたかったのです。 梨花(冬服): ……絶対に笑わないって、約束できる?自分でもくだらなさ過ぎて、失笑したくなるんだけど。 羽入(冬服): 内容にもよりますが……なるべくそうしないよう努力するのですよ。 梨花(冬服): わかったわ。実は……。 Part 02: 羽入(冬服): なるほど……そんな夢を見たせいで、今のうちに未来を変えることができればと考えてあんなに必死になったのですね。納得なのです。 梨花(冬服): ……笑わないの? 羽入(冬服): 約束したので笑いませんし、呆れないのです。……まぁ、その程度の変化で勝敗が左右できるなんて何をたわけたことを、とは感じましたですが。 梨花(冬服): ぶっ飛ばすわよ、あんた……。 羽入(冬服): 冗談なのです、あぅあぅ。……それはさておき、少し不思議な感じがするのも確かなのですよ。 梨花(冬服): 不思議って……何が? 羽入(冬服): これまであなたは、昭和58年6月を境にして幾千幾万の時間を繰り返してきました。……本当に辛く、苦しい日々の連続だったと思います。 梨花(冬服): いいわよ、もうすっかり慣れたんだから。でも、それがどうかしたの? 羽入(冬服): これまであなたが見たと教えてくれた夢は、そんな過去の回想に基づいたものがほとんどでした。 羽入(冬服): それなのに、今話してくれた夢は梨花が高校生になった時のものです。それもずいぶんと現実味のある、具体的な内容で……。 羽入(冬服): それがなんとなく違和感があるというか……どこでそんな記憶を得てきたのか、ちょっと気になってしまったのですよ。 梨花(冬服): 断言はできないけど……たぶん、詩音から聖ルチーア学園についての話を聞いたことで得た知識が現実と混同して、妄想をつくり出したんじゃないかしら。 梨花(冬服): あの学園に進学を考えているって相談した時、脅しの意味合いも含めて色々と聞かされてきたもの。……おかげで変なイメージがついちゃったわ。 羽入(冬服): もちろん、その可能性も否定できないのです。……ですが梨花、その夢の中には同級生として沙都子も登場してくるのですよね? 羽入(冬服): そして、あなたと順位を争うほど学業で実績を上げ、学生や教師からも人望を集めている……。これについて、あなたはどう感じましたか? 梨花(冬服): ……実現できたら、さぞかし嬉しいでしょうね。あの子が周りの人たちに好意的に受け入れられるなんて、考えただけでも夢のようだわ。 梨花(冬服): まぁ……今の沙都子の学力だと、授業の速度についていけるかは怪しいところだけどね。というより、学園に入ることも厳しいかしら……。 羽入(冬服): ……そこです、梨花。 梨花(冬服): ? 今の話の中で、何か気になることでも? 羽入(冬服): 1つお伺いしますが、梨花。どうして沙都子と一緒に聖ルチーア学園へ通っている未来を思い描いているのですか? 梨花(冬服): えっ……? 羽入(冬服): なぜ#p雛見沢#sひなみざわ#rの外の学校へ進学したいのかにつきましては、以前その理由をあなたの口から聞いたことがありました。 羽入(冬服): ですが……どうして沙都子も一緒なのです?どうしても梨花についていくと、彼女は言ったのですか? 梨花(冬服): えっと……これも確か、あんたに話したことがあったと思うんだけど……沙都子に進学の相談をした時、あの子も私と一緒がいいって言ってくれたのよ。 梨花(冬服): それに私も、あの子と同じ学校に行きたいから……一緒にルチーアへ通うことができたら、最高だと思っているわ。 羽入(冬服): はい……確かに、沙都子と一緒にルチーアへ通うことができたら、梨花はきっと幸せでしょう。 羽入(冬服): ですが……沙都子は?彼女がルチーアに通うことは、本人にとって本当に幸せなことなのでしょうか……? 梨花(冬服): っ……どういう意味?つまりあんたは、沙都子は本心だと私と一緒の学校に通いたいと思っていない……そう言いたいのっ? 羽入(冬服): 違います、梨花。そうやってすぐにいきり立たず落ち着いて、自分の発言を思い出してください。 梨花(冬服): ……っ……。 羽入(冬服): ……梨花、あなたは言いましたね。今の沙都子の学力だとルチーアの授業の速さについていくどころか、入学すら厳しいと。 羽入(冬服): つまり沙都子は、あなたと一緒の学校に入るためには相当の努力を強いられるということになります。 羽入(冬服): そしてそれは、入学してからも変わらない……いえ、さらに大変な生活が待っていることでしょう。 羽入(冬服): そんな過酷な環境の中、クラスメイトや教師陣に認められるほど努力を重ねて実績を積み上げる……。 羽入(冬服): 理想としては、素晴らしいものです。……ですが、それを現実のものにするために沙都子はどれだけの苦労をしなければならないのですか? 梨花(冬服): っ……それは……。 淡々と告げてきた羽入からの指摘に、私は言葉を失って息をのむ。 わかっている。……彼女は決して、意地悪く言いがかりをつけているのではないと。 むしろ、そんな初歩的かつ根本的なことを深く考えてこなかった自分自身に驚いて……それ以上に呆れる思いだった。 羽入(冬服): 梨花……沙都子は、いい子です。あなたのことを信頼して、大切に想ってくれている素晴らしい親友だと思います。 羽入(冬服): ですが……いえ、だからこそ考えてあげてください。おそらく沙都子はあなたと一緒にいられるという幸せのためなら、無限大の努力をしてくれるでしょう。 羽入(冬服): そしてきっと、どんなに苦しくても悲しくても梨花には打ち明けない……打ち明けられない。なぜならあなたが悲しむと、わかっているから。 羽入(冬服): その結果、どこにもぶつけられず吐き出せない鬱屈と不満が内部でぐるぐると渦巻いて……やがて……。 梨花(冬服): っ……そうなるって、決まったわけじゃない……! 私はそう、言葉を絞り出す。……だけどそれが、苦し紛れの発言であることは自分でも痛いほどよくわかっていた。 そして……容易に想像ができる。私とともにルチーアへ行った沙都子に待ち構えている未来の可能性は……むしろ……。 羽入(冬服): ……梨花。 そんな私に向けて、羽入は穏やかな優しい言葉で呼びかけてくれる。 ……まるで母のように自愛に満ちた、あたたかい声。普段では耳にしたことがなかったその口調の響きに、私は思わず顔を上げて彼女を見つめ返した。 羽入(冬服): あなたが未来を夢として見るようになったこと……僕は本当に、嬉しいと思っています。そして、それが実現すればと心から願っています。 羽入(冬服): だからこそ……ほんの少し、振り返ってみてください。あなたがこれまで歩いてきた道には、あなた以外にもたくさんの人がいて……支えてくれていたはずです。 羽入(冬服): もちろん、その人たちのために成長したいからこそ……梨花は、未来を見ようとしているのだと思います。 羽入(冬服): ですが……そのためにはこれまで当然だったものを置いていくか、変えなければならないという決断も迫られることになるのです。 梨花(冬服): 羽入……。 Part 03: しばらく一人で休みたい、という羽入を部屋に残して……私はみんなのいる宴会場に戻るべく、廊下を歩いていた。 梨花(冬服): …………。 さっき、羽入から言われたことが……胸の中でぐるぐると渦巻いている。 ……確かに、矛盾だ。#p雛見沢#sひなみざわ#rの産業、農業に役立てるような知識や技術を手に入れるために、村の外の学校に行く――。 その思いに揺るぎはないし、絶対に成し遂げてみせるという決意と覚悟はある。だけど……。 梨花(冬服): (……どうして私は、沙都子と一緒にいることを当然のものとして考えていたのかしら……?) 常識で考えると、沙都子にとっては厳しい話だ。ただでさえ勉強が嫌いなあの子を、勉強専念の学校へ誘って一緒に通おうだなんて……嫌がらせでしかない。 にもかかわらず私は、沙都子をそんな「地獄」へと誘う未来を頭の中で思い描いている。 たとえ内心では我慢していたとしても、彼女がおそらく私に同意してくれることをわかった上で……甘えて……。 梨花(冬服): ……っ……。 私はいったい、沙都子をどうしたいのだろうか。彼女を守りたいのか、それとも――。 沙都子(冬服): ……あら、梨花。 梨花(冬服): っ……沙都子……。 廊下の角を曲がったその時、ちょうど向こうからやってきた沙都子とばったり出くわした。 沙都子(冬服): ずいぶん戻ってくるのが、遅くなりましたわね。……羽入さんはご一緒ではありませんの? 梨花(冬服): みー……羽入は疲れたので、先に休むそうなのです。ボクは少しお腹が空いたので、残ったご馳走をいただこうと思ったのですよ。 沙都子(冬服): なら、ちょうどよかったですわ。もうすぐメインの料理が振る舞われるそうなので、それをお知らせにまいりましたのよ。 そう言って沙都子は、屈託のない明るさで私に笑いかけてくれる。 梨花(冬服): (この笑顔を、自分のわがままだけで曇らせていいわけがない……だけど……) 梨花(冬服): ……みー、沙都子。 沙都子(冬服): なんですの、梨花……? 梨花(冬服): もし……もしもですが、ボクがひとりでルチーアに行くことを決めたとしたら、沙都子はどう感じますですか? 沙都子(冬服): ……梨花は、お一人で行くつもりですの? 梨花(冬服): 例えばの話なのです。別に沙都子と離れたいとか、そういった意味では全くないのですよ。 沙都子(冬服): をーっほっほっほっ、わかっておりますわ。そこまで梨花が私のことを邪険にするなんて、夢にも思ったことはありませんもの。 梨花(冬服): …………。 沙都子(冬服): ……何か、悩み事があるようですわね。よろしければお食事の後、少しだけ私にお付き合いいただいてもよろしくて? 沙都子(冬服): 詩音さんから教えていただいたんですけど、最近この温泉宿に新しいお風呂を入れたそうですのよ。 梨花(冬服): 新しいお風呂……? 沙都子(冬服): さぁ、参りましょう梨花。ちょうど人もいないようなので、貸切状態ですわ~。 梨花(温泉): みー……沙都子、着替えなくてもいいのですか? 沙都子(冬服): 全然問題ありませんわ。……あ、靴下だけは脱いでおいてくださいまし。 梨花(温泉): わ、わかりましたのです……。 沙都子(冬服): ほらっ、ご覧なさいませ……!あれが新しいお風呂で、『足湯』だそうですわ。 梨花(温泉): 足、湯……? 沙都子(冬服): えぇ。どうやらアイディアは、菜央さんがお出しになったそうなんですけど……温泉に足だけをつけて、あったまるそうですの。 沙都子(冬服): 普通の温泉と違って着替える必要はありませんし、長い時間入っていてものぼせる心配がない……お喋りをするにはもってこいの温泉でしてよ~♪ 梨花(温泉): みー、そうなのですか……?それは面白そうなのです。 沙都子(冬服): では、早速私から……。 沙都子(冬服): はぁ……気持ちが良いですわ。梨花も遠慮しないで、隣に入ってくださいまし。 梨花(温泉): はいなのです。よいしょ、っと……。 梨花(温泉): ふぁ……気持ちが良いのです。足だけを温泉につけているだけなのに、とてもあたたかくてにぱにぱー、なのですよ。 沙都子(冬服): えぇ……そうですわねぇ。こうしていると寒いだけの夜風が、とても心地よく感じられますわ。 梨花(温泉): …………。 沙都子(冬服): というわけですので……梨花、どうぞ話してくださいませ。ここでなら、何時間でもお話ができましてよ。 梨花(温泉): ……はいなのです。せっかくなので沙都子の考えと正直な気持ちを、ボクに聞かせてほしいのですよ。