Part 01: 警察という組織が国家に属する以上、正義の基準やそこにまつわる行動理念などは内外の世情の安定を第一とする必要がある。 つまり、警察の「正義」は国家を統べて運営する「政治」の強い影響を受け、個々の事情は場合によって無視か、軽んぜられる……。 そのことを警察大学校では、嫌というほど教え込まされてきた。あくまでも警察官とは公僕であり、ヒーローなどではない、と。 そう……警察官を含めた「法の番人」とは、必ずしも正義の味方ではないのだ。 確かに法は正義を目指したものに違いないが、全ての立場からの正義というものでは決してない。 だから警察は、厳密な点において困っている民衆……弱者の味方ではないとしっかりと念頭に置くべきである――。 ……そのことを授業において教えられた時は、さすがに衝撃を受けたものだ。 赤坂: 警察は、誰にとっても正しいことをするとは限らない……か。 警察官になり、公安に配属されてからは……そんな厳しい現実と直面することが圧倒的に増えた。 警察組織において、功績や手柄が公のものにならないのにもかかわらず……腕利きのエリートやエキスパートがあてがわれる部署……それが公安だ。 公安の活動内容は、家族などの身内はもちろん組織内においても情報の共有者はほとんどいない。 そんな、スパイ映画に出てくるような難易度の高い部署にどうして私のような若造が、と最初は不思議に思ったものだが……。 今では天職ではないか、と当時の人事担当者に感謝したくなるくらいに感じていた。 …………。 とはいえ、だからといって全ての仕事にやり甲斐や手応えを感じ、日々の職務に満たされた思いを抱くばかりではない。 むしろやるせなさ、虚しさを覚えることが圧倒的に多く……心の強さを求められる毎日だった。 そう、実際につい最近でも……。 赤坂: ……捜査活動を中止、ですか。 理事官: そうだ。これが辞令書になる。目を通してもらった上で意向を聞くことになるが、決定は変わらないものと思ってくれたまえ。 赤坂: …………。 理事官を務める先輩から淡々とした口調でそう告げられた私は、落胆を嚙み殺しつつもやはり、と得心した思いでそれを受け止める。 先週の半ばあたりから、兆候があった。普段であれば、報告に対する上役の反応は数日も空けずに即戻ってきたのだが……。 直近の連絡に対しては、1週間を過ぎても全くなしのつぶて。……そして「おそらく」を抱きかけたところに、急な本部への呼び出しだ。 それで気づかないのは、新米の頃までだろう。もっとも、電話一本で済むような用件を直接伝えようというのは、一応配慮した上だと思いたい。 理事官: 次の命令があるまで、ゆっくり休んでくれ。聞くところによるとここ数日、君は自宅に帰っていなかったそうじゃないか。 理事官: 疲れもたまっていると思うし、どうだ?たまには家族水入らずで、温泉にでも行ってくるといい。 赤坂: ……そうですね。家内とも話してみます。 理事官: 君たちの尽力で、捜査は大きく進展した。権力をかさに着て調子づいていた連中に対して、冷や水を浴びせるだけの効果はあったと思う。 理事官: おそらく連中も、当分の間は我が身可愛さに鳴りをひそめることだろう。君たちの活動は、決して無駄じゃなかった……誇りに思っていい。 赤坂: ……恐縮です。 なんとか私たちを労おうとする先輩の苦心が伝わってくるが……素直に応じられないのは、私がまだ若輩のゆえんなのだろう。 とはいえ、悪人を捕まえずして何のための警察なのだ……という思いは容易に拭い去ることができない。 社会的な影響が大きいと、正当な裁きすら下すことができないというのか。……ならば権力者は、やりたい放題ではないか。 赤坂: …………。 とはいえ、支配階級である上が腐っていると知れば、それを規範とする下……民衆は当然それに対して不満を持つか、模倣して法を犯す。 そして捕まった時、必ず言うのだろう。「上はもっと悪いことをしているのに、なぜ自分たちを捕まえるのか」と。 そんな意識と思想が蔓延してしまっては、法の秩序などあったものではない。……行きつく先は混沌とした悪夢だ。 赤坂: (だからこそ、上の醜聞は明るみにする前にもみ消さなければならない……か) そう自分に言い聞かせて……私は大きくため息をつく。 と、そんな私の逡巡をなんとなく察したのか先輩は苦笑まじりに続けていった。 理事官: そうやって簡単に割り切れない君だからこそ、私は誰よりも信頼しているんだ。……今の気持ち、これからも忘れないでくれ。 理事官: 私たちが戦うべき相手は、こんな小者じゃない。国家どころか、世界全てを巻き込むような連中がそれこそ有象無象に存在する。 理事官: 君の首は、そいつらと一戦交えるその日までとっておいてくれ。……頼んだぞ。 赤坂: ……わかりました。 Part 02: ……だから、かつての思い出の地である#p雛見沢#sひなみざわ#rに立ち寄ったのは、その空いた暇を持て余してのものだ。 当初は先輩の勧め通り、妻と娘を連れて温泉旅行に行くつもりだったのだが……私の顔を見た雪絵が、気を遣ってくれたのだ。 雪絵: 『温泉なら、いつでも行けますよ。それよりあなた……少しお休みになってはいかがですか?』 赤坂: 『……そんなに疲れているように見えるかい?だったら少しの間、この家の中でゆっくりさせてもらうことにするよ』 雪絵: 『いえ……むしろ一人旅なんてどうです?たまには自分以外の全てを忘れて、気ままな時間を過ごすのもいいと思いますよ』 赤坂: 『雪絵……』 赤坂: はは……まいったな。 仕事については愚痴ですら一切もらさず、うまくごまかしていたつもりだったのに……どうやら雪絵には全てお見通しだったようだ。 赤坂: ……本当に、私には過ぎた女房だ。 なにげなく呟いてみて、ずいぶんなのろけだと思い直し……誰も周りにいないのに、なんだか気恥ずかしくなってしまう。 まぁ……そんなわけで私は、ひとりで雛見沢を訪れることになった。 ちなみにここに来た理由のひとつは、ご恩を受けた大石刑事への陣中見舞い。そして、もうひとつが……。 大石: んぉぉぉぉおおっ、赤坂さん!こんな遠くて辺鄙な場所に、よく来てくださいましたねぇ~! 赤坂: お久しぶりです、大石さん。5年ぶりになりますが、お変わりがないようで何よりです。 大石: んっふっふっふっ、変わっていないとはちょっと寂しいですねぇ~。これでも私、5年前からダイエットを始めたんですよ? 大石: 年こそ取りましたが、あなたのように身軽に動けるように肉体を改善しようと思いましてね。ほれ、この通りです。 赤坂: そうだったんですか?申し訳ありません、あの時と変わらずお元気とのつもりだったのですが……失言をお詫びします。 大石: ん? なっはっはっはっ、冗談ですよぉ!こんなご老体が5年やそこら鍛えたところで、あなたのようにはなれませんって! そう言って大石さんは豪快に、恰幅のいい腹を揺らせながら笑ってみせる。 ……その快活な笑顔に、淀んでいた心が癒されるようで心地いい。 大石: ところで赤坂さん、このあとって何か予定でも入っていますか? 赤坂: あ、いえ……ご挨拶をした後は久しぶりなので、あちこちを見て回るのも悪くないと思っていた程度でして。 大石: そりゃあ都合がいい!でしたらこんな堅苦しいところはさっさとおさらばして、一献やりに行きましょう! 赤坂: お、大石さん……まだお昼を過ぎたばかりですし、さすがに勤務時間内は申し訳ないですよ。 大石: だったら、これから私は外回りの直帰です!あるいは……そう! これから東京から来た刑事さんと意見交換会の出席ってことで! 大石: つまりこれは、れっきとした仕事なんです!まさか赤坂さん、お仕事の頼みを断るなんて野暮はありませんよねぇ~? 赤坂: あ、相変わらずですね……大石さん。 昔と変わらぬ力技全開の大石さんの言いように苦笑しながらも、そこからにじみ出てくる優しさを感じて……胸が熱くなる。 私が雛見沢を訪れて挨拶に行きたい、と電話で伝えた時……大石さんは「覚えていてくれて嬉しい、ぜひ来てくれ」と純粋に喜んでくれた。 おそらく老獪な彼のことだ、私が職務で何かあったことをすぐに察したのだと思う。……が、彼はそのことに一切触れてこない。 それがこの人なりの気遣いであり、思いやりなのだとなんとなくわかるようになったのは……私の成長なんだろうか。 赤坂: ところで、大石さん。あの……。 善は急げとばかりに「意見交換会」へと向かうための準備を整えていく大石さんに、私はなにげなくを装って質問を投げかける。 そう、雛見沢を訪れた理由のもうひとつ。それは――。 赤坂: 雛見沢に以前、古手梨花ちゃん、という女の子がいたと思うのですが……今どうしているか、ご存知ですか? 大石: ん……? あぁ、古手家の頭首ですね。もちろん今も、雛見沢におりますよ。 大石: 最近は年上の友達とつるんで、村中を駆け回ったりしていますね~。 赤坂: そうですか……って、頭首? 元気に過ごしていることについては、心から安堵を覚えたものの……彼の言葉に気になるところがあって、思わず聞き返す。 確か私の記憶通りだと、古手梨花は古手家頭首の「娘」……だった。 あの時はまだ幼子だったから、今は小学生か中学生くらいの年頃の子がどうして頭首に……? 赤坂: すみません、大石さん。確か梨花ちゃんは、古手家頭首の娘だと思っていたんですが……。 大石: ふむ……さすがに赤坂さんのところまで、ニュースが届いていなかったんですね。実は、少々厄介事が起きていまして。 大石: 今から2年前に、梨花嬢の両親が亡くなっているんですよ。……それで彼女が、跡を継いだってわけです。 赤坂: 死んっ……ご両親がですか?! 大石: えぇ。実は雛見沢では、おかしな事件が毎年起きているんですよ。それも決まって、同じ日に……。 赤坂: ……。#p綿流#sわたなが#rしが行われる夜に、ですか……? 大石: ありゃ。なんだ、ご存じだったんですか。でも……そのことをいったい、どちらでお聞きになったんです? 赤坂: ……っ……。 かつての記憶が、私の脳裏に蘇ってくる。 梨花: 『……私は、もうすぐ殺されます』 もし、あの言葉が冗談や妄言ではなく……実際に起きることを予言したものだったとしたら……?! 赤坂: 大石さん……実は折り入って、あなたにお聞きしたいことがあるんですが。 Part 03: …………。 大石さんが教えてくれた過去の事件の詳細から、私は梨花ちゃんの言っていたことが真実だったと知って……驚愕した。 そして同時に、理解したのだ。彼女は私に、助けを求めていて……そしておそらく、私にしかできないのだと。 だから、私は動いた。古手梨花を助けられる方法、そして彼女の命をつけ狙うものの正体を突き止めるため……。 そして……そして……! 赤坂: はーっははははっ!燃えろ! 全て燃えてしまぇぇええっっ!! そう叫びながら、私は燃え盛る炎に向けてさらに燃料をぶちまけ、降り注いでいく。 すでに業火は天井にまで広がり、出口は完全に塞がれてしまって先は……もう見えない。 このままだと、自分も炎に包まれておそらく……いや確実に死ぬ。わずかに残った理性が、私にそう告げている。 だけど……私は、逃げない。いや、逃げるわけにはいかなかった。なぜなら……ここには……。 赤坂: っ、梨花ちゃん……! 足元に転がっている、こと切れた骸……虚ろな瞳を開いた古手梨花その人がいたからだ。 赤坂: 大丈夫だ、梨花ちゃん……!君を助けるって約束、必ず果たしてみせるっ!! 喉を枯らし、胸の奥から血の臭いを感じるほどに#p咆哮#sほうこう#rしながら……私は物言わぬ彼女に向かって叫び続ける。 大石さんとの会合後、私は必死の思いで捜査を行った。かつて家族の命を救ってくれた「彼女」に恩を返し、期待に応えるために。 その結果、古手梨花の命を奪おうとする連中の存在をついに、暴き出したのだ。 …………。 しかし、その犯人の背後には……黒幕がいた。それも運命のいたずらか……私が捜査中止を命じられた、例の「あいつ」だった。 赤坂: あの組織を摘発しなければ、今後も不幸の連鎖は止まりません!お願いです、捜査本部の設置を! 理事官: 赤坂くん……無茶を言わないでくれ。例のホシに関わる連中に手出しはできないと、この前にも君に言ったはずだろう? 赤坂: わかっています……ですがッ!! 必死に食い下がった。自分で考えられる限りの知恵とツテを駆使して、わずかな可能性に賭け続けた。 そうでもしなければ、私は彼女を救えない。いやそれどころか、むざむざ見捨てることになってしまう……! わかっているのに救えないのは、知らずに救えなかった時とは大違いだ。だからこそ、私は……私はッ! …………。 しかし、警察組織の下した判断はあまりにも無情だった。 『即時帰還せよ』……興宮署宛に送られてきた手紙にあったのは、ただそれだけの一文。 しかも、命令に応じない場合は精神に異常ありと見なして現地の捜査員の手で拘束するように……。 そんな連絡があったことを、秘かに大石さんが教えてくれた。 大石: 赤坂さん。……私は、あなたを信じています。だからここは、大人しく戻ってください。 大石: ここで私たちが捕まえたとなると、県警本部預かりになって弁明の機会を失います。だったら直接乗り込んだ方が、まだましですよ。 赤坂: し、しかし私はっ……! 大石: いい加減目を覚ましなさいって言っているんだ!縁もゆかりもないガキ1人より、あんたにはもっと守るべきものがあるでしょうがッ!! 赤坂: ……っ……! ……だから、私は決断した。全てを投げ打つ覚悟で、この#p雛見沢#sひなみざわ#rに起きていることを皆に知らしめて……。 そして、古手梨花の命を弄ぶことによって世界の破壊すら企む連中に、せめてもの一矢を報いてやるため……ッ! 赤坂: 大丈夫だ……君は私が、必ず助ける!助ける、たすける、たすケル、ケル……。 赤坂: たすケ、ケケ、ケケケケケケケケケッッッ!! …………。 私は、本心から古手梨花を守るつもりだった。 そして、警察としての矜持……自分の家族のことを同じくらいに大切に思い、守り抜きたいと思っていた。 そう思って、思って、思い続けて……。 その結果、全てのものを喪った。 生徒: なぁ美雪、お前って「あの」赤坂刑事の娘なんだって? 美雪: その質問、二度とするな。……ブチ殺すぞ。