Part 01: 額からにじみ出てくる汗をハンカチで拭い、私は空を見上げる。 美雪(私服): ……っ……。 わずかに雲の姿が見えるものの、実にいい天気。眩しいほどの太陽が頭上で輝いて、今がまだ6月だということを忘れてしまいそうだ。 美雪(私服): っ……ふぅ……。 ……平成の初夏は、昭和の頃より少し暑い。最近の私は、そのことを実感し始めている。 もちろん、自分の今いる場所はアスファルトとコンクリートに覆われた都会なので、自然豊かなあの#p雛見沢#sひなみざわ#rとは単純に比較できないけど……。 同じ晴れでも、ここまで不快な暑さではなかった気がする。……ひょっとすると、この10年間で何かが変わったのかもしれない。 美雪(私服): (いや……変わったのは、むしろ私かな) 昭和58年、私は5歳だった。当時のことを懐かしく思うほど明瞭な記憶はなく、全てが断片的でよく覚えていない。 だけど私は、不思議な奇縁と力によって15歳の心と身体……そして記憶を持ったまま、昭和58年の世界を訪れることになった。 そこでたくさんの人と出会い、今まで知らなかったことを山ほど知らされた。心が潰れそうなほどの悔しさと、絶望も……。 美雪(私服): (だからこそ、わかる……そして、感じるんだ) 景色も人も同じだけど、ここは私が生まれ育った「世界」――『平成A』じゃないんだ、と。 美雪(私服): (そう……おかげでやっと、私のやるべきことがわかったよ) 過去と未来のそれぞれを知るからこそ、この間違った「世界」が創り出されたきっかけと元に戻す方法を探さなければいけない。 そのためにはまず、この「世界」の何が自分の記憶と違っているのかを探し出して、確かめる必要があるのだろう。 つまり、私に課せられた使命……それは何がどう違うのかを比較して検証する、「間違い探し」だった。 美雪(私服): (正直、なんで私が、って恨み言をぼやきたい気持ちはあるけどね……でも) 残念ながら、この「間違い探し」の答え合わせができる人間は……私以外だと、一穂と菜央だけだ。千雨にすら任せることはできない。 もちろん、大人や偉い人に任せることも無理。……だとしたら、私がやるしかない。 美雪(私服): (正解か不正解かなんて、迷ってる時間はない。動かないと、あの夢が現実になるんだから……) 美雪(私服): (私が、動くしかないんだ……) その決心を胸に抱き、私は千雨と一緒に約束の場所を訪れていた――。 千雨: 美雪……来たぞ。 千雨はそう言って、私に目配せを送ってくる。そして私が目を向けると、受付のレジ付近に見知った「彼女」の姿がはっきりと目に映った。 美雪(私服): ……っ……。 その人は周囲をきょろきょろと見渡してから、こちらに気づいたのか向かって歩いてくる。 私の手のひらには、じっとりとした汗。緊張が一気に頂点に達して、心臓の鼓動が耳の奥にまで響いてきた。 美雪(私服): (……落ち着け、落ち着け。いざとなったら、私には千雨がいるんだから) そう自分に言い聞かせながら、私は手を挙げて彼女に挨拶し……ひそかに呼吸を整える。 私のそんな#p思惑#sおもわく#rはさて置いて、その人――藤堂夏美さんは穏やかな笑みをたたえながら、そっと対面の席に座った。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 連絡をもらった時は、驚きました。あの事故からさほど日も経っていませんし……しばらく時間を置いたほうがいいかと思って。 美雪(私服): 大丈夫です。すごく驚きましたが……怪我をしたわけではありませんしね。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: それだけが不幸中の幸いですね。……あ、すみません。コーヒーを1つお願いします。 ウエイトレス: かしこまりました。 やってきた店員さんに注文をしてから、外の暑さにやられて喉が渇いていたのか……夏美さんは出されたお冷を半分ほど飲む。 そして、軽く吐息をついてから私と千雨を交互に見つめると……おもむろに口を開いていった。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: あの後……どうでしたか?警察の事情聴取があったと思いますが。 千雨: 色々と聞かれましたが、すぐに終わりましたよ。警察の人たちも、まさか南井さんと一緒にいた私たちが何かしたとは思わないでしょうしね。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 確かに。……その南井さんご本人は、あんなことになってしまいましたが。 美雪(私服): ……っ……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ですが、あなたたちが無事でよかったです。工場でも、命を落とされた人はいないとのことでしたし……。 美雪(私服): ……。藤堂さんこそ、大丈夫でしたか? #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: はい。私は怖くて、社員の方々と一緒に事務所のロビーで避難していましたから。 千雨: ……なるほど。確かにあの場所なら、爆発の被害を受けることはなかったでしょうからね。 ……やや露骨すぎる皮肉だと、千雨に対して私は目配せを送る。が、彼女はテーブルの下で軽く手を上げながら、言葉を繋いでいった。 千雨: 南井さんのご容態、何かお聞きになってますか? #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: いえ、……すみません。南井さんの部下の方には、何か変化があればすぐ知らせてください、とお願いしましたが。 千雨: では……あの事故の直後から、南井さんとはお会いになってないんですね? #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: はい。……なんだか尋問を受けているみたいですね。 千雨: すみません。私たちもあれから、南井さんがどんな状態なのか教えてもらってないので……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: いえ、お気持ちはわかります。私だって、仕事さえなければ今すぐにでも駆けつけたいくらいですし……。 美雪(私服): …………。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: だから、あなたたちが私に会いたがっているって比護さんから連絡をいただいた時は、てっきりその件について聞かれるものかと。……違いましたか? 千雨: あ、いや……比護さん? 美雪(私服): 秋武さんと一緒にいた、眼帯の人だよ。千雨、覚えてなかった? 千雨: すまん、人の名前を覚えるのは苦手なんだ。サメの名前だったら、絶対忘れないんだが。 美雪(私服): そっちの方が覚えづらいじゃんか……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: くす……ちょっと強面だけど、いい人ですよ。あの眼帯は外したほうがいい、って以前から何度も言われてるそうなんですが。 美雪(私服): ……そうですか。 肩をすくめる夏美さんに笑い返し、私は以前会った比護さんの容貌を思い浮かべる。 夏美さんに連絡を取って欲しい、と仲介を頼んだのは秋武さんのはずだけど……何か事情があって、彼に頼んだのだろうか。 ただ、両方とも南井さんの部下であるのは間違いないので、たいして気にも留めず私は意を決し本題を切り出すことにした。 美雪(私服): 藤堂さん……単刀直入にお伺いします。高野製薬が『眠り病』の治療薬の認可を却下されて、一番得をするのはどこの製薬会社ですか? #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: …………。 私の質問に、夏美さん一瞬目を見開いて息をのみ……でも、すぐに余裕を取り戻したのか口元に苦笑を浮かべた。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……本当に単刀直入な質問ですね。まさか、そんな質問をされるとは思ってもみませんでした。 美雪(私服): やっぱり……答えられませんか? #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 職務上、あなたたちにはお答えできません……と言いたいところですが。 そこでいったん言葉を切ってから、夏美さんは鞄の取っ手に巻き付けた細身の腕時計をちらりと見る。 そして時間を確かめ……軽く頷き、続けていった。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: この時間であれば、問題はないでしょう。おそらく、外資系の製薬会社……ユプミルナがそれに該当すると思います。 千雨: ユプミルナ……? その名前を小声で繰り返しながら、千雨は訝しげに首をひねる。私も、その会社の名前は聞いたことがない。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: あなたたちが知らないのも、無理はないと思います。製薬会社ですが、一般薬品は作っていません。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 医療用の医薬品……病院内での使用薬や、処方箋が必要な特殊な薬を開発しているメーカーです。 美雪(私服): 結構、大きな会社だったりするんですか? #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: えぇ。海外支社を世界各国に置いて、途上国の一部では製薬業を独占的に行っていたりもします。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: そして、ユプミルナは『眠り病』が外国にて発症した頃から、莫大な研究開発費を投じて治療薬とワクチンの開発を行っていました。 千雨: ……高野製薬と、同じ系統の薬とワクチンを開発してたってことですね。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: その通りです。そして、今から2か月前に欧米での認可を得て……現在は『眠り病』患者の治療と感染撲滅に向けて動き出しています。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: もちろん、日本もいち早く導入の打診を行ったのですが……野党やマスコミの慎重論が影響して、なかなか認可が下りなかったんです。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 厚生省と薬事審議会も、過去の前例のせいで相当腰が重かったので……。 美雪(私服): …………。 これと同じ話を、聞いた覚えがある。確か、あれは……。 喜多嶋: 過去、この国では品質の保証できない薬剤が、多くの人命を奪っただけでなく……訴訟や補償で日本の医薬学の進歩を数十年以上後退させた。 -motion喜多嶋normal喜多嶋「だからこそ、厳格な品質保証とあらゆる状況を想定した実証――完璧を求められるのです。どうか、ご理解ください。 美雪(私服): (……あの人か) 記憶とともに蘇ってきた若干の嫌悪感に、私は苦虫をかみ潰したような気分を抱く。……できればもう、会いたくない人物だ。 それと、薬害訴訟……TVなどで見たことがある。特に最近だと、汚染された血液製剤によって難病を患った人が大量発生したあの事件が有名だ。 私も、その被害を受けた人たちに対しては本当に可哀想だという思いしかなく……製薬会社は酷すぎると、憤りを覚える。 ただ、その事件を契機にして……日本国内での医薬品に対する審査がひどく厳しくなったのも、皮肉なことにまた事実だった。 美雪(私服): 例の薬害訴訟……今でも、まだ続いてますね。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: はい。その影響もあって厚生省と審議会では、ほとんどの例外を許さず全ての新薬に対して厳しい審査を行うことになっています。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: どんなに画期的な効能を示す薬であっても、想定外の副作用によってもたらされた被害とそれに対する謝罪、賠償の可能性……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: そして、ずっと積み上げてきたキャリアが無になるどころかマイナスになるリスクを望んで背負いたがる人は、いないと思いますし。 美雪(私服): …………。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ただ、そんな中でもユプミルナは臨床結果を何度も提出し、特例もあってやっとのことで国内での認可にこぎつけられたんですが……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 後発で参入してきた高野製薬が、さらにその効能を上回る画期的な臨床結果を上げてきたのです。 美雪(私服): ……高野製薬の新薬のせいで、ユプミルナが被害を被ったってことですか? #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ユプミルナは緊急時の特別措置を受けるため、膨大な量の資料提出を求められました。それだけでも相当の出費だったとうかがえます。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ですが、高野製薬の新薬の話が政治家を通じて厚生省へと伝えられて……締結していた契約はいったん凍結され、先送りになったのです。 美雪(私服): 先送りって……別にそれはそれ、これはこれで進めたらいいだけでしょう? #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 国内初、という肩書が欲しかったんだと。実際、高野製薬は新薬開発の発表以降……株価がとんでもない額に跳ね上がりました。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ただ、今だから申し上げるとあの審査の簡略化は、私から見ても拙速だったと思います。いくら画期的とはいえ、副作用もあったのに……。 美雪(私服): ……そうなんですか? #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: っ……口が滑りました。今の発言は、聞かなかったことにしてください。 美雪(私服): …………。 今のはかなり踏み込んだ発言だったのだろう、夏美さんは気まずそうに口をつぐんで視線を逸らす。 とはいえ、深く突っ込むと彼女は漏洩防止で話自体を打ち切ってしまうかもしれない。だから、それ以上は何も聞かないことにした。 美雪(私服): つまり、高野製薬の工場があんなことになって一番得をするのは……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……はい。政府は、ユプミルナの治療薬の繰上導入を決定しました。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 朝令暮改の要請だったので、薬の買値はずいぶん足元を見られたとのことですが……文字通り、いい薬になったと思います。 美雪(私服): あの……いいんですか?そんな機密事項、私たちに話しても……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 構いませんよ。だってもうすぐ、記者会見の時間ですから。 そう言いながら夏美さんは、ファミレスの隅に取り付けられた大型テレビに目を向ける。 音を消してワイドショーを流していたそのテレビは、番組内容が一時中断するというテロップの後……記者会見と思しき現場の映像へと切り替わった。 簡素なテーブルが並べられた記者会見会場の背後、掲げられた幕に書かれた文字は……。 美雪(私服): ……ユプミルナ。 おそらく、日本ではあまり有名でなかったその製薬会社の名前は、これを契機にして知らない人がいなくなるだろう……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 週明けの株式市場は、大騒ぎでしょうね。……もっとも、それを見込んでこの時間に発表したんだと思いますが。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: これで、次の衆議院選挙で連立予定の野党にあやうく政権を奪われる寸前だった与党はめでたく起死回生、支持率を取り戻す。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 与党はユプミルナを推し、それに対抗して野党第一党とマスコミが国内の高野製薬をやや過剰気味に応援していたのは有名な話です。 千雨: だとしたら、まさか……政権の安定化を図ろうとしたお偉方によって、あの事故が引き起こされた……?! #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……それについては、私の立場からは是とも非とも。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: いずれにせよ、高野製薬の生産能力には元々限界がありましたので……一般への流通は限られていたでしょう。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 対してユプミルナは、世界規模の大企業。年内には保険適用内の医薬品として最速で、全国に行き渡らせられることも可能です。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ですから……私個人の意見で申し上げると、これでよかったんだと思います。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 高野製薬が先に出ていれば、治療対象者に格差が出た上……臨床試験が不足していたので、副作用が生じた際の対処が確立されていなかった。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 万が一、新薬で血液製剤のような薬害訴訟が起きれば……今度こそこの国はおしまいです。政府に対する信頼は消え、混乱は頂点に達し……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: すでに現状ぎりぎりで保っている秩序は崩壊して、最悪の場合無政府状態に陥ります。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……私たち公務員は、何としてもそんな事態を防がなければいけないんです。 美雪(私服): …………。 そう言って夏美さんは、凛とした態度と表情で私たちを見据えながら話を終える。 彼女の話を聞く限り……今後ユプミルナの薬が市場へと出回り、社会は『眠り病』の撲滅へと加速度的に動き出すのだろう。 でも……だけど、それじゃ……! 美雪(私服): (よくない……全然、よくない!) 7月末、千雨や私が血を吐いて死ぬ……#p田村媛#sたむらひめ#rが言っていた、「予知夢」。 おそらく、あれはユプミルナの薬が広まった場合の未来の姿だろう。 なぜあんなことになったのか原因はわからない。ユプミルナの薬か、それとも別の何かか……? ただ、ひとつだけ確実なことがあるとすれば――。 美雪(私服): (このままだと、あの予知夢が現実になる……!) 今のままではよくないことを理解しているのは、おそらくこの「世界」では私だけだ。 確かに、千雨にも知らせたけど……彼女が信じているのは赤坂美雪の「予知夢」じゃなくて、「赤坂美雪」そのものだ。 幼馴染みの荒唐無稽な話を、お前が言うならと信じて協力してくれているが……裏を返せば千雨は私ほどの危機感を持っていないだろう。 美雪(私服): (その分、冷静に状況を見てくれるのでありがたいという利点はあるんだけど……) そして……国を動かして現状を変えるにはこの夏美さんたちの協力が窓口役として、絶対不可欠と考えても過言ではないだろう。 だけど、ユプミルナへの信頼に傾いている彼女を翻意させるには、そのための証拠が何としても必要ということも確かだった……。 美雪(私服): (この人は……味方になってくれるんだろうか?というか、信用できるのか……?) 私の問いかけに答えてくれた夏美さんの口ぶりは、あまりにも組織側の立場に寄り過ぎていて……。 その視線は私たちを通り越し、どこか別のここにない「何か」を見ているようだった。 特に、今の話を聞いているうちに違和感がどんどん膨らんできて……。 あれだけ暑かった外の空気が幻だったかのように、うっすらと寒気が肌の上を虫のように這い回り、背筋に冷たい汗が流れ落ちる……。 美雪(私服): ……っ……。 どうなんだ……? 間違っているのは、私たち?それとも、おかしいのは……彼女? わからない。わからない。わからない……!それでも、何かを言わないと……! 美雪(私服): た……高野製薬の薬が信用できないからって、ユプミルナが大丈夫って保証もないでしょう? 美雪(私服): もし、ユプミルナの薬にこそ副作用があったらどうするんですか? いくら実績があっても、鵜呑みにしていいわけじゃないのに……! #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……まぁ、そういう見方もあって当然です。ユプミルナで万が一のことがあれば、厚生省の人間の首が大量に飛ぶでしょう。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ですが……これはあくまで、比較論の話です。高野製薬は某政治家が非正規のルートで話を持ち込み、強引に進めようとした。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 対してユプミルナは、正規の手続きを踏んで審議会が求めるデータを提出し、合法的に認可を得た……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 官僚がどちらを優先するかは、自明の理です。実際、今回の事故が起きる以前に薬事審議会は全員辞職覚悟で却下を決定しましたからね。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: そして、先日の事故は決定打となった……。あれが起きた以上、某政治家が何を言っても厚生省は首を縦に振らないでしょう。 美雪(私服): ……っ……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: それに裏を返せば、マスコミが吹聴するほど『眠り病』に危険性はなかった……もしくは低かったという証拠です。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: そもそも、現時点で『眠り病』と診断された上で直接の原因で亡くなった人はほぼいませんしね。 美雪(私服): ……は? 千雨: いや、亡くなった人はいるでしょう?実際マスコミが、今日は何人死んだって発表してるくらいですし……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: えぇ。でもそれは既往歴……元々病気の人や極端に体力のない人が発症、昏睡して何日も経ったケースも含まれて……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 衰弱した状況で発見が遅くなった、とか『眠り病』にかかって亡くなった人は……ほぼそういう人なんです。 美雪(私服): つまり『眠り病』自体の致死率は低く、あくまで亡くなった直接的な原因は衰弱で……。 美雪(私服): 『眠り病』はそんなに強い病気ではないので、治療薬やワクチンの副作用も強くない可能性が高い……と? #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 乱暴に言ってしまうと、そういうことです。そうでなければ、厚生省もそんな簡単には承認したりしません。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……公務員とは、割の合わないものです。問題がない時は称賛されず、起きた時は真っ先に叩かれて、まるで極悪人のように扱われる。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: だから……私たちは保守的になりがちです。リスクのある話には、できるだけ近づかない。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: あなたたちも、経験あるんじゃないんですか?警察官の不祥事が起きた時、無関係な人からまるで罪を犯したように罵倒されたことが……。 美雪(私服): ……ッ……!! 頭の中で、一瞬……笑い声が蘇る。 ガールスカウトで新しく入ってきた女の子たちに受けた仕打ちの記憶は……まだ新しい。 千雨には色々と助けられたけど、警察官の不祥事について聞かれるのは正直……辛かった。 答えに窮して、苦笑いで受け流すことしかできなかったのも……辛かった。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ですから……高野製薬に対して厚生省の人間が抱いている感情は、基本ネガティブです。この場合外資、国内は関係ありませんよ。 千雨: ……そうですかね。そうやって自分の行動や判断を、もっともらしく正当化してるだけじゃないんですか? 美雪(私服): ちょ、ぉ、……っ……?! #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ふふっ……そうとも言えるかもしれませんね。 公務員にかける言葉ではないと慌てる私と、対照的に喧嘩腰で睨む千雨を見比べながら夏美さんはくすっ、と笑う。 その笑い方は一瞬、私が知る彼女のそれとかなり近い気がしたけど……すぐに表情は、先程までの読めないそれへと戻った。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: あなた方が聞きたいことは、以上ですね?……終わりでしたら、これで失礼します。 コーヒーもまだ運ばれていないというのに、夏美さんはサイフから千円札を取り出して……テーブルに置きながら腰を浮かせる。 美雪(私服): あ、あの……! #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ごめんなさい。私も忙しいので、これで――。 美雪(私服): 公務員のあなたではなく、藤堂さん……いえ、「夏美さん」個人にもうひとつ、教えてもらいたいことがあるんです。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……? 立ち上がりかけた夏美さんの動きが、ぴたりと止まる。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: なんですか?『眠り病』の薬の詳細でしたら……。 美雪(私服): 私の父……赤坂衛が殉職した、愛知での無差別殺人事件のことです。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ――っ……?! 途端、夏美さんの表情が一変する。 以前とも今日とも違う、初めて見る顔だ。まるで、何かに怯えているような……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: その話は……誰から? 再びソファに腰を落とす夏美さんを前に、私は努めて平静に息をつき背筋を正した。 美雪(私服): 私の母です。父は、亡くなる少し前に南井さんとお知り合いになったと言ってました。 美雪(私服): 母は、父の葬儀に南井さんが来て下さって……その隣に、高校生くらいの若い女性もいた、と。 美雪(私服): 特徴を聞いて、もしかして……夏美さんじゃないか、と思ったんです。 昭和58年の雛見沢大災害で、お父さんが行方不明になった私にとって……葬儀とは雛見沢大災害の合同葬だけだ。 もしもお母さんからこの話を聞き出せなければ、夏美さんに会いに行こうとは思わなかっただろう。 美雪(私服): (でも、これが全く筋違いの別人だとしたら……) 一か八かの賭けの結果を黙して待つ私に、夏美さんは……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……。やっぱり、過去が追いかけてきましたね。 苦いものを飲んだような表情で……笑う。そしてそれは、私の読みが当たっていたことを意味していた……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 赤坂さん……いえ、美雪さん。私は、あなたと接点を持った時から……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: いえ、あなたと出会う前から……ずっと、いつか聞かれるのではと思っていました。 千雨: じゃあ……美雪の親父さんの葬儀に来ていたのは、あなただったんですね。 美雪(私服): その理由、答えていただけませんか? #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……答えられるかどうかは、私の時間次第ですね。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 大人は、自分の時間の使い方を自分で決められないので。 そう言って夏美さんはバッグにつけた時計を確かめる。そして、 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……まだ、少しくらい遅れても大丈夫ね。 そう独りごちた彼女は、再び座り直した。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 大丈夫です、逃げたりしませんから。そんなに怖い顔をしないでください。 千雨: …………。 怖い顔、と口にした彼女の目線の先には私ではなく……千雨がいる。 おそらく彼女は、夏美さんが逃げようとしても本気で逃がさないつもりだろう。 ……そんな頼もしい友達が側にいてくれるのだ。どんな事実が出てきても、きっと大丈夫だろう。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: それで、なにを聞きたいんですか? 美雪(私服): あなたが認識している、愛知の事件をそのまま聞かせてもらいたいんです。 美雪(私服): 事実と異なっていても、構いません。あなたがあの事件をどう思っているか……それを知りたいんです。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: つまり、私の主観であの事件を説明する……そういうことですか? 美雪(私服): そうです。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……わかりました。 すっ、と夏美さんは姿勢を正す。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: あなたのお父さん、赤坂衛さんを殺したのは、ある介護施設に入院していた老人です。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: あの人は……そこで働いていたアルバイトの子を守って、命を落としました。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: それが……私です。 美雪(私服): ……っ……!! Part 02: 千雨: ……じゃあ、美雪の親父さんが夏美さんを守って……?! その声にとっさに横を見ると、困惑した千雨と目が合う。……どうやら彼女も、知らなかったことらしい。 千雨: 職員を守って亡くなった……とは、聞いていた。ただ、それがこの人だってことは知らなかった。親父は知ってたかもしれないが……。 美雪(私服): だとしたら、お母さんも知らない……? #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……。南井さんは、私を自分の連れだと言って詳しい紹介はせずに済ませてくれましたが……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 薄々は勘づいていたかもしれません。でも、あなたのお母さんは聞かないでくれました。……優しい人だったと、今でも覚えています。 千雨: ……もう10年も前のことなのに、よく覚えてますね。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: どうやっても、忘れられそうにないので……あの事件のことは、いつまでも。 夏美さんが口を閉じた瞬間……ふっ、とその場に沈黙が支配する。 そこへ、まるでタイミングを合わせたようにウェイトレスさんがコーヒーを運んできたが、それに手をつけず……。 ウェイトレスさんが去っていってから、彼女は口を開いていった。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……昭和58年、7月のことでした。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 赤坂衛さんは、大石という年配の刑事さん、南井さんと3人で#p雛見沢#sひなみざわ#r出身の人たちの現状について捜査を行っていたそうです。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: あとから南井さんから直接聞いた話によると、一部の人たちが『オヤシロさまの#p祟#sたた#rり』を恐れるあまり、各地で異常行動……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: いえ、凶行を引き起こしていたそうです。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: そして赤坂さんたちは、調査の一環で雛見沢関係者のもとを訪れていたと聞きました。 美雪(私服): ……っ……! 警察は、事件が起こった後からでしか動けない。つまり……あの人たちが調べて回っていたということは……? 美雪(私服): (ひょっとして……何かしらの事件が起こった後だってこと……?!) 美雪(私服): で、でも夏美さん……言ってませんでしたか?雛見沢大災害と呼ぶような惨劇は、一切起こってなかったって……! #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……えぇ、言いました。 千雨: 言いましたって、違うじゃないですか……! 千雨: 現に惨劇は起きて、美雪の親父さんが死んでる!この矛盾は、どう説明するつもりなんですっ? #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……ひとつひとつは、よくある事件なんです。惨劇なんて呼ぶほど、珍しくもなくて……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 交通事故、傷害事件、殺人事件、無差別だったり家庭内でのものだったり、会社や学校でのものだったり……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: でも、よくある事件もある時期を境にして加害者が同じ地域……雛見沢や#p興宮#sおきのみや#rの出身、血縁者であることが発覚して……。 美雪(私服): 大規模な差別に、繋がった……? #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……っ……。 苦渋の表情で、夏美さんは唇をかみしめる。返事はなかったけれど、疑問に対する答えはその反応が何よりも雄弁だった……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……前に、お話ししましたよね。雛見沢がダムに沈んだ後で、何が起きたか……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 根も葉もない噂で差別されたり、精神的に不安定になったりする人がいたことは……事実なんです。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 学校でイジメを受けたり、会社を辞めさせられたり、結婚を反対されたり……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……私も、色々ありました。 そう言って夏美さんは、そっと右手で左薬指にはめた結婚指輪を撫でる。 結婚の証明……彼女が「藤堂」である、証拠。 美雪(私服): ご結婚された際、反対とかは……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: もちろん、ありましたよ。……でも私の夫は、私に藤堂を名乗らせることで迫害から守ろうとしてくれたんです。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 公由の名字は、雛見沢御三家のひとつとして知れ渡りすぎていましたから……。 美雪(私服): …………。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……本当に、優しい人です。私なんかには、もったいないくらいに……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: あの人のためだったら、私は何でもできる……この命だって捧げてもいい、大切な人です。 愛する人のことを思い出しているのだろうか……とても柔らかくてあたたかい、幸せそうな瞳だ。 でも……その目が、私に好きな男の子のことを相談をしてきた、ガールスカウトのあの子ともよく似ていたので……妙な居心地の悪さを覚える。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: とはいえ……結婚した後も、旧姓を名乗らなくてはいけない場面がありました。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: その時にも、色々あって……私が公由と知って顔色を変えなかった人は、本当に数えるくらいしかいません。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……だから、私もあまり話したくなかった。特に、赤坂美雪さん……あなたには……。 美雪(私服): …………。 沈痛な表情を浮かべる夏美さんを前にしては、私も千雨も、それ以上責めることもできず……黙って顔を見合わせるしかなかった。 美雪(私服): 夏美さん……話せる範囲で結構です。事件のこと、もう少し詳しく教えてくれませんか? #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: …………。 私が頼み込むと、夏美さんは口を閉ざし、しばらく唇を引き結んでいた。 ……黙っていた罪悪感につけ込んで、無理矢理話を引き出すようで申し訳ないと思う。 でも、今の私にはどうしても彼女が持つ過去の情報が必要なのだ。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……っ……。 やがて覚悟を決めたのか、顔を上げた夏美さんと視線がぶつかり合う。 そして、……彼女はゆっくりと、言葉をかみしめるように紡ぎ出していった。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……いつものように、老人ホームでアルバイトをしていた日のことです。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: その日の私は、相部屋の入居者の方たちのベッドシーツを取り換える作業をしていました。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: そうしたら、半分くらいが終わったところで隣の部屋が騒がしくなって……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: どうしたのかと様子を見に行ったら、畠山さんという入居者のお爺さんがどこから持ち出したのか、手に、包丁を握ってて……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 同じ部屋の入居者さんに馬乗りになって、その身体を、何度何度何度何度も刺して……! 美雪(私服): ……っ……!! #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……辺り一面、血の海でした。情けない話ですが、当時の私は腰を抜かしてしまって……! 千雨: ……でしょうね。私だって、その場にいたら動転してたぶん何もできないと思います。 千雨の相槌を聞きながら……私はその光景を、想像する。 老人ホームということは、ひとりでは動けないご老人も多かったのだろう。 そんな人を捕まえ、包丁で人を何度も刺して、刺してを繰り返す相手を、老人とはいえどもとっさに止められるだろうか……? 美雪(私服): (いや、かなり……難しい) 難しい顔で黙り込んでいる千雨は、強い……と同時に、逃げることを戦略のひとつとして自分の中にきちんと組み込める人間だ。 腕っ節の強い千雨でも凶行を止めることが不可能なら、夏美さんには当然のように無理に決まっている……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: どれだけ、その場で動けずにいたのかはわかりません……。でも、畠山さんが急に入口近くで座り込んだ、私の方を向いて……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 返り血で、真っ赤になった姿で入り口で立ちすくむ私の方へ包丁を構えて、まっすぐに……! #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……その時でした。部屋に飛び込んできた赤坂さんが、立ち尽くす私を突き飛ばしたんです。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 次に私が見たのは、包丁が腹部に深く刺さった赤坂さんと、倒れた畠山さん……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: そして、廊下の向こうから駆けつけてくる南井さんと大石さんでした。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 赤坂さんはすぐに救急病院に運ばれて、治療を受けたんですが……出血がひどく……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 手当の甲斐なく……そのまま……っ……! 美雪(私服): …………。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: あとから聞きましたが、赤坂さんは5月の末頃……捜査中に酷い怪我を負って、入院していたそうで。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 本来ならまだ安静にしていなければいけないけど、本人の強い希望で捜査に加わっていたようです。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 怪我さえなければ、きっと無傷で相手を押さえ込めていただろうと……っ……。 美雪(私服): 怪我……。 私が覚えている限り、お父さんが5月に怪我をした記憶はない。 でもそれは『平成A』の話。私がいる、この「世界」は違う……。 美雪(私服): (……そうか。そうだったんだ……) 怪我をしたせいでお父さんは、おそらく雛見沢に行くことができなかった……だから、生き延びることができたんだ。 だけどそれは、雛見沢で起きた惨劇に対して何もできなかったことを意味する。……お父さんは、きっと後悔したに違いない。 美雪(私服): (だからお父さんは、その後も雛見沢について調べようとして……それでっ……!) #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……っ……。 ……ふと目を向けると、涙をこぼす夏美さんの顔が視界に入る。 泣いているその顔は、大人の女性ではなく……私とそう変わらない、少女のようにも映った。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: その後……色んな人たちの配慮で、赤坂さんが私を庇ったことは伏せられました。 美雪(私服): ……あなたが、雛見沢出身者だったからですね。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: はい。南井さんとは、事件の前から縁があって知り合いだったのですが……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: あの人に付き添ってもらって、葬儀に出席させていただきましたが……名乗り出るのはやめたほうがいい、と。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ご家族が許してくださったとしても、周囲がどんなふうに解釈するかわからないから……と。 美雪(私服): それは……南井さんが、正しいと思います。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: でも、ずっと……私の身勝手な都合で、お礼すら言えないことが、申し訳、なくて……。 美雪(私服): …………。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: だから……誓ったんです。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: あなたと出会ったのは、赤坂さんに助けてもらった恩を少しでも返すための……神様がくれた機会なんだと。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: だから美雪さん、それに黒沢さん。私にできることなら、何でも言ってください。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 公僕として道を外れるわけにはいきませんが、その範囲内のことであればできる限り、協力を惜しまないつもりですから……! 千雨: 夏美さん……。 目に涙を浮かべる姿は弱々しいが、私を見つめる瞳には力強さが込められていた。 美雪(私服): ……ありがとうございます。 そんな彼女に、頼もしさを覚えると……同時に。 なぜか……なぜか、ほんの少しだけ。指先を針が掠めるような、ちくりとした違和感があって……。 私はそれを、気のせいだと流すことが……できなかった。 Part 03: お店で夏美さんと別れた直後、私たちがまず最初にしたことは公衆電話から電話をかけることだった。 かけた先は、警察博物館……もとい、警察広報センター。 そこに勤める南井さんの部下……秋武さんに電話をかけて、会う約束を取りつけたのだ。 ……地下鉄に乗って、銀座から地上に出る。 下手に電車を乗り継ぐより、ここから歩いた方が早い。汗ばむ暑さも、今はもう特に気にならなくなっていた。 千雨: ……そういえば。 千雨: 秋武さんって、私たちがどうして会いたいか理由を聞いてきたか? 美雪(私服): いや、言ってない。……でも、さっき夏美さんに会ったって話はしたよ。 千雨: ……そうか。向こうも、私たちが夏美さんから何を聞いたのか気になってるのかもな。 美雪(私服): かもね。 とはいえ元々、私たちは秋武さんに会いに行く予定だった。 その目的は、南井さんが集めた『#p雛見沢#sひなみざわ#r症候群』についての資料……。 最初に私たちがセンターに行った時、彼女が目を通していたものの中に何かヒントがあるかもと思ったからだ。 ただ……夏美さんに会って、はからずも目的が増えた。手間が増えることになったが、仕方がない。 美雪(私服): ……とりあえず、また調べなきゃいけないことが増えたね。愛知県で起きた、無差別殺人事件か……。 千雨: まぁ……南井さんが関わってた事件だから、秋武さんに協力を頼んで話を聞くのが一番の早道だろうな。 千雨: だけど……なぁ、美雪。 美雪(私服): なに? 千雨: さっきの夏美さんの話……どう思った? 美雪(私服): どうって? 千雨: お前の親父さんが、夏美さんを庇って死んだって話だ。……やっぱり、思うところがあるのか? 美雪(私服): んー……10年前の話だし、夏美さんはあくまで被害者だからね。 美雪(私服): あの人に対してわだかまりとか、恨みなんて感情は一切ないよ。 千雨: ……そうか。 頷く千雨を見ながら、私はひそかに胸の内で沸き上がってきた言葉を飲み込む。 美雪(私服): (……夏美さんの話が、全て本当なら……って前提ありでだけどね) 彼女から聞いた話が真実なら、何の問題もない。 悲しいことは悲しい……でも、ある意味では社宅のお父さんたちから聞いた通りに真面目で職務に忠実な……赤坂衛らしい死に方とも思える。 ……抱えた違和感を千雨に言えないのは、このもやつきをちゃんと言葉にできないからだ。 ただ……どうしてモヤモヤするのか、自分でも理由がわからない。 あえて言うならば、夏美さんが事件の話をあっさりと話してくれたその態度に対する訝しさだろうか……。 美雪(私服): (過去の話には違いないんだけど……あまり、躊躇った感じがしなかったんだよね) 1年前の、夜の公園……ガールスカウトで何が起こったか、私が千雨に告白したあの時のことを思い出す。 私は事実すら、どう伝えればいいかわからず言葉はつっかえて……全てを説明し終わるまで相当の時間をかけてしまった。 ……でも、夏美さんは流れるように事件のこと、当時の自分の気持ちを言葉にして伝えてくれた。 凄惨な現場に居合わせたのに、あんなにすらすらと言葉が出てくるものだろうか……? 美雪(私服): (まぁ……警察に、何度も同じことを尋ねられたからとも考えられるけど……) それとも、お父さんが死んだ事件は夏美さんの中では遺族への申し訳なさはあるものの、もう整理と清算が済んでいる過去なんだろうか……? 美雪(私服): (……私も、ずいぶん疑り深くなってるな) この違和感も、いろんな出来事が重なって疑り深くなっている私の想い過ごしだと結論づければ、一発で解決する。 でも、どうしてもそれができなくて……。 言葉に出来ない感情を抱えながら、異様なまでに人の少ない銀座の街を抜け、私たちは東京駅方面へと足を進ませた。 千雨: なぁ、美雪……『平成A』の親父さんは、6月に起きた『雛見沢大災害』とやらで死んだ……って言ってたよな? 美雪(私服): ……うん。村が閉鎖されてたせいで、遺体すら見つからなかった。 美雪(私服): でもこの「世界」でお父さんが死んだのは、7月の愛知。……だから、きっとお墓には遺骨が入ってるんだろうね。 千雨: 『平成A』の墓は、空っぽなのか? 美雪(私服): 遺体が見つからなかったからね。名前は刻んだけど……それだけ。 美雪(私服): だから、この「世界」はちゃんと弔ってもらえてよかったって……ちょっと思ったりもするんだよね。 美雪(私服): 『平成A』だとガールスカウトの子たちから、お父さんは私やお母さんを捨ててどこかで生きてるんじゃないかー……。 美雪(私服): とかなんとか言われちゃってさ……あれは、困ったなぁ。 どう返しても角が立ちそうで……苦笑いすることしかできない。 すると、そんな私の顔をじっと見つめながら……千雨はそっと、告げていった。 千雨: あのな、美雪……私の記憶の中にある、お前じゃない「お前」はさ。 千雨: 親父さんが庇ったのが、夏美さんってことは知らなかったが……若い女性職員だったとは、知ってたみたいだった。 美雪(私服): ……そうなの? 千雨: あぁ。……ガールスカウトで新しく入ってきた例のやつらから、聞いたんだとさ。 美雪(私服): ……なるほど。親がマスコミ関係の子もいたから、そいつが言ったのかな。 美雪(私服): でも、夏美さんって個人にまではたどり着かなかったんだろうね。もしくは、情報制限が行われてたのか……。 美雪(私服): ……だとしても、南井さんたちが夏美さんに私のお母さんにすら名乗らせなかったのは、きっと正解だと思うよ。 美雪(私服): お父さんがかばったのが雛見沢関係者だと知られて、マスコミの連中にどんなふうに書かれるか……想像もしたくないよ。 美雪(私服): 『平成A』でもお父さんが大災害に巻き込まれたのは、雛見沢にいる愛人に会いに行ったからだとか……まぁ、その……いろいろ、言われたからさ。 千雨: ……そうか。 千雨はそれ以降口を噤み、黙って足を進める。あと数分歩けば、目的地だ。 美雪(私服): ……ねぇ、千雨。 だから……その前に、確認しておきたかった。 美雪(私服): 私のこと、赤坂美雪って呼んでいいの? 千雨: ……は?いきなりどうした、どういう意味だ? 美雪(私服): 『平成A』で、お父さんは雛見沢で行方不明。……でも、この「世界」でのお父さんは愛知で刺し殺されてる。 美雪(私服): これを小さな違いって呼ぶには、ちょっと無理があると思う。 美雪(私服): 外見は同じでも、思い出が違うとするなら私が見て、聞いてきたものもかなりの部分で違っている……かもしれない。 美雪(私服): それでも、私を赤坂美雪って呼んでいいの? 千雨: …………。 千雨は私の言葉を聞いて、苦いものでも口にしたように口をへの字に折り曲げる。……そして、 千雨: ……大阪への、日帰り水族館旅行。覚えてるか? 美雪(私服): 小6の時に、2人で行ったやつだね。もちろん。 千雨: うちのクソ親父が、小学生最後の大会で優勝したら大阪の水族館にジンベエザメを見に連れていく……そう約束して、破りやがったアレだ。 ジンベエザメ……全ての魚類の中でも、最大と言われているサメだ。 昔は沖縄にしかいなかったらしいが、私たちが小学生の時に新しくオープンした大阪の水族館でも飼育が始まった。 千雨は、サメ全般がお気に入りだ。当然のようにジンベエザメも大好きで、小さい頃から生で見たいと口にしていた。 でもそれを親に訴えても、さすがに沖縄は遠すぎると却下され続けて……。 美雪(私服): 千雨、優勝したことよりもジンベエザメに会いにいけることを喜んでたから……旅行中止になったあの後、すっごい荒れたよね。 千雨: 元々、母さんは仕事の予定だったからな。親父が約束を破ったらその時点で大阪行きはナシだってわかってたハズなのに……あのクソ親父。 千雨はそう言って舌打ちする。……が、あれはおじさんがずっと追ってた事件が、旅行の直前に急に進展したため……捜査開始になったせいだ。 おじさんも約束は破りたくなかったはずだが、ずっと楽しみにしていた千雨の心の傷は深かった。 ……そういえば、千雨がおじさんのことをあからさまに「クソ親父」と呼び始めたのは、あの時からだったような気がする……。 美雪(私服): (いや、確かそのちょっと前……お婆ちゃんの家に行った後から、ぎくしゃくしてたっけ) お婆ちゃんの家で飼っていた犬が殺されて、犯人に大したおとがめがなかったことが原因で……千雨はおじさんとかなり喧嘩したらしい。 悲しい話だが、犬は法律上だとモノと同じだ。弁償以外の罪はあまり重くない……できない。 だとしても、簡単に納得するのは無理だ。……例えば私が腕に巻いている、千雨が作ってくれた革のブレスレット。 これを故意に壊されてしまったら、賠償金としてお金だけぽんと渡されてもきっと納得なんて出来ないだろう。 手作りとはいえモノですらそうなのだから、取り返しの付かない命を奪われたらもっと許せなくて当然だったと思う……。 千雨のお父さんは、無骨だけど優しい人だった。そんな人が、犬を殺されて怒りも悲しみも覚えなかったとはとても思えない。 ただ、現役の警察官として犬殺しの犯人に対していつも通り法に則って対処することしかできなかったのだろう。 父と子の、立場の違い。それが、事件へ同じ感情を持つことを許さなかった。 あと……おそらく。おじさんは大阪旅行をご褒美と言いつつ、親子関係の修復をするつもりだったのだと思う。 美雪(私服): (千雨の優勝は、ほとんど確実視されてたしね) それが、長年追っていた事件の進展という思わぬ事態により……娘との亀裂が大きくなってしまったのは、皮肉すぎる話だった。 千雨: ……で、親父と大喧嘩してぶすくれてた私に美雪が言ったんだよな。 千雨: 一緒に、ジンベエザメに会いに行こうって。 千雨: 最初は美雪のところのおばさんが連れて行ってくれるのかと思ったから……子どもだけで行くとは思わなかったな。 美雪(私服): あの時は、その……とっさに。 美雪(私服): それに、実際旅行スケジュール作りとか新幹線のチケットの手配とかなんとか、ほとんどうちのお母さんがやってくれたから。 美雪(私服): 千雨のお母さんも、忙しいのに東京駅まで車で送り迎えしてくれたしね。千雨のおじさんも、その……。 千雨: 金づるにしたな。旅費を全額出させた。 美雪(私服): そうだね……私の交通費とかご飯代はともかく、お小遣いまでもぎ取るとは思わなかったよ。 美雪(私服): というか、私のお小遣いは千雨のお目つけ役代だった気がする。 千雨: お目つけ役が必要なほど迷惑かけたか? 美雪(私服): 新幹線の時間ギリギリまで大水槽にへばりついて、全然離れなかったじゃん。あの時は焦ったなぁ。 千雨: 新幹線に乗り遅れるかもって? 美雪(私服): いや、このままここに住むって言い出したらどうしようって。 千雨: あぁ、そういや……あの時も、そんなことを言ってた気がする。 美雪(私服): だって、そう言い出しかねなかったし。 今なら断言できる。 大水槽で優雅に泳ぐジンベエザメをうっとりと見つめて大水槽を囲む通路を上下に移動する千雨の瞳は、完全に恋する瞳だった。 千雨: そうだったな……お前が言った通り、先にお土産買っといて正解だった。 美雪(私服): お土産っていうか、お小遣いのほとんどでジンベエザメのでかいぬいぐるみ買っちゃって、他のものは買えなかったよね……? 千雨: 自分へのお土産だ。大会優勝のご褒美ともいう。 美雪(私服): ……あの時も、そういうことを言ってたね。 私もお小遣いをもらっておいてよかった。……それがなければ、他のお土産はおろか食事代も危うかった気がする。 千雨: でも、お前が新幹線に乗り慣れてて助かったよ。危うく大阪駅に置き去りにされるところだったし。 美雪(私服): 毎年雛見沢に行ってたから、新幹線には乗り慣れてたからね。 美雪(私服): ……あぁ、でも、この「世界」の私はどうだったのかな。お父さんが大災害で死んでないなら……。 千雨: 毎年、おばさんと一緒に雛見沢ダムの跡地に行ってたぞ。おじさん、生前すごく行きたがってたから。 千雨: ……なんで行きたがってたのか、おばさんが知ってたかどうかはわからないがな。 美雪(私服): ……そっか。 お母さんなら、そうするだろう。そうしてくれて、助かった。 その経験があったから、私はとっさとは言え子どもだけで大坂に行こうと提案できたのだ。 美雪(私服): 今思えば、お母さんたちもよくOK出したよね。 千雨: お前は、うちの母さんに信頼されてるからな。美雪ちゃんが一緒なら、大丈夫だろうって。 美雪(私服): ありがたいけど、千雨のお母さんは私のことをすごい過大評価してる気がするね……。 千雨: ……過大、じゃないさ。だから今まで、ずっと付き合ってんだ。 ぼそ、と言った千雨はちょっとだけ照れくさそうにぷい、と顔を背ける。 ……素直じゃない彼女の、たまにしか聞けない本音。ただ、その破壊力は抜群で……思わずにやけそうになる頬を抑えるのに、必死だった。 千雨: それに、私は子どもだけで大阪まで行くって全然考えてなかった。とても許可はもらえなかっただろうしな。 美雪(私服): そうかな? 千雨: そうだ……いつも、いつだってそうだ。 千雨: 海洋大学の子ども向けの夏期講習も、小遣い稼ぐためにフリマに出店したのも……クソ親父が、死んだ原因を調べ始めたのも。 千雨: ……全部、お前が一歩目を踏み出したからだ。 美雪(私服): ……。こう、って決めた後の行動は千雨の方が早いよ。 千雨: かもな。……でも、こうしようあぁしようって言い出すのは、いつもお前の方からだ。 千雨: 一穂ちゃんに会いたいって決めて、一歩目を踏み出して夏美さんに会うと決めたのも……お前だ。 千雨: だから私は、お前を美雪と呼ぶ。記憶が多少違ってたとしても……まぁ、誤差みたいなもんだろ。 美雪(私服): ……千雨、前にも言ったね。私が警察官を目指すって言い続ける間は、多少の記憶の差異は誤差だって。 千雨: つまりお前は、一度解決した問題を掘り返してウジウジ悩んでるのか? 美雪(私服): いや、もう一度確認したかっただけ。千雨の方は、それでいいのかって。 千雨: しつこいな。誤差だって言っただろ。 美雪(私服): ……そうだね、ごめん。 千雨: お前の方こそ、大丈夫なのか? 千雨: 私にそう聞くってことは、お前の方も迷ってるんじゃないか?自分が、赤坂美雪と名乗っていいのか。 美雪(私服): ……そうだね。 左手で、自分の右肩を撫でる。その先には、当然のように右腕がある。 川田: 腕を失った遺体が、あったとしますね。ただ、失ったと思ってたのが、左腕ではなく右腕。……だとするとその人は、偽物になりますか? 美雪(私服): は……? 川田: あ……すみません、わかりにくかったですか?えっと、左腕の代わりに右腕が、こう……まぁ、ブチッてちぎれちゃうとします。 川田: で、右腕を失ったその人は偽物ですか?左腕でなければ、本物とは言えませんか? 川田さんの物騒極まりないあの例え話を最初に聞いた時、正直困惑した。 でも、今なら……なんとなく、わかる。 この世界で生きていた私の記憶を、今の私は持っていない。 それは記憶の齟齬というよりも、欠落と呼ぶ方が近い気がする。 美雪(私服): (今の私は、片腕を失ったように……思い出を失った状態なのかもしれない) 失ったことは理解していても、本当の意味をまだ理解できていないだけかもしれない。 美雪(私服): (……それでも) 美雪(私服): お父さんの死の原因が違うなら、お母さんと私の間に記憶の違いはあるはずで……あの人が、それに気がついてないとは思えない。 美雪(私服): でも、お母さんは私を美雪って、娘だって呼んでくれた……千雨も。 美雪(私服): だから私は、私を否定できない。 美雪(私服): 私が赤坂美雪であることを否定したら、千雨の親友も、お母さんの娘も、どこにもいなくなってしまうから。 千雨: …………。 美雪(私服): ……ま、たまに不安になったり迷ったりしないとは言えないけど。 美雪(私服): 自分のことについてこれ以上悩むのは、一穂と再会してからにしておくことに決めたんだ。 千雨: ……そうか。 千雨は軽く目を細め、眩しそうに私を見つめて。 千雨: お前がいいなら、それでいい。 そう呟いた声は、どこか嬉しそうだった。 千雨: ……さて、着いたぞ。 私たちは顔を上げ、真正面の扉を見据える。 美雪(私服): うん。 頷き、覚悟とともにドアの前に立ち……。 美雪(私服): ……? 何も、起こらなかった。 千雨: おい、閉まってるじゃないか。 美雪(私服): あれっ? いるって言ってたのに……。 裏口に回るべきだろうか?でも裏口ってどこに……。 戸佐: すまんなぁ。『眠り病』の関係で、うちしばらく閉館することになったんよ。 美雪(私服): えっ? 背後からの声に慌てて振り返ると、そこには雛見沢で出会った大石さんと同じ年くらいのおじさんが立っていた。 この暑い中、しっかりとスーツを着込みながらも汗一つ浮かべず柔和な笑みを浮かべている。 美雪(私服): (あれ……もしかしなくても、来館者と勘違いされている?) 美雪(私服): あ、あの! 私たち、秋武さんとお約束があるんですが……! 初老の男性職員: 秋武ちゃん? あの子なら中にいるはずなんやけど……。 若い男の声: あーっ! 戸佐さんいたーっ! その時、大きな声がしてそちらに目をやると、こっちに向かって一直線に駆けてくる20代と思しき若い男性が見えた。 その手にはコンビニの白いビニール袋。戸佐さんと呼ばれた男性の手にも、同じマークのものがぶら下がっている。 ……そういえば、そろそろお昼の時間だ。お昼ご飯の買い出し帰りだろうか? 戸佐: どうしたん、毬野くん。 毬野: どうしたん? じゃないですよ。急にふらふらいなくなるから、びっくりしたじゃないですか! 毬野: 喜舟さーん! 河上さーん!戸佐さんいましたよー……って、あれ? 美雪(私服): ど、どうも……。 河上: ちょっと戸佐さん……どこに行ったかと思ったら、中学生を口説いてたとは……。警察官の矜持、教えてあげましょうか? 戸佐: 河上くん、違う違う。南井ちゃんのお客さんたちやけど、今日は秋武ちゃんに用があるんやと。 河上: 秋武さんに……? ってことは、この2人が例の「あの子たち」ってわけですか……。 喜舟: …………。 河上と呼ばれた細身の男性が、私たちをしげしげと見てから感心したように頷く。 その背後では、「喜舟」と名札をつけた男の人が腕に下げたビニール袋をごそごそと漁る様子が目に映った。 美雪(私服): (河上さんは40代で、喜舟さんは……30代中盤くらい?) 緊張しながらも、私は油断なく職員さんたちを観察する。……と、そこへジュースのビンが私と千雨に向けてぐいっ、と突きつけられた。 喜舟: やる。 千雨: えっ? 喜舟: 今日は暑い。飲め、熱中症になるぞ。 美雪(私服): ……あ、ありがとうございます。 千雨: どうも……。 反射的にジュースのビンを受け取ったものの、飲んでいいものなのかと千雨と顔を見合わせる。すると河上さんは、にかっと笑顔を向けていった。 河上: 毒なんて入ってないから、飲んだ方がいい。今日は火がつきそうなくらい、暑いからな。 喜舟: ……だな。こういう時は澄んだ晴れの空がどうにも恨めしくなる。 毬野: えー、雨の方が嫌じゃないですか?暑い上にじめじめした感じになって……あ、そうだ。制汗剤買っとかないと。 喜舟: お前……最近も買ってたと思うんだが、もう使い果たしたのか? 毬野: いくつあっても足りないんですよ!俺、汗っかきなんだから……! 千雨: あ、あの……。 戸佐: ……お、秋武ちゃんが来よったな。 騒がしい集団の中で困惑していると、広報センターの閉められた扉の内側から、こちらへ走ってくる秋武さんの姿が見えた。 彼女は手慣れた様子で、扉の上下にある自動ドアの鍵を外すと、手動でドアを開く。 室内からあふれたクーラーの冷たい空気が頬を撫でていき、少し救われた気分になった。 秋武: ごめんなさい、開けるの遅くなっちゃって!ちょっと色々あって……。 戸佐: 色々? 秋武: それが……。 秋武さんが周囲の男性陣を視線で招いた。 毬野: えー、なんですなんです? 内緒話? 戸佐: どうしたん? 河上: 南井さんになにかあったのか? 私たちは、集まる彼らから無言で距離を取る……それくらいの空気は、私にだって読める。 ジュースのビンを傾けつつ、小声で何事か話し込む秋武さんたちを遠目に眺めた。 美雪(私服): (やっぱり秋武さん、背が高いなぁ……) 自販機と同じ身長だと笑っていた、社宅の人と同じくらいだろうか……?目測だけど、180は越えている気がする。 さっきまでそう思わなかったのに、彼女と並ぶと他の職員さんが小柄に見えてくるから不思議だ。 千雨: ……全員、ここの職員みたいだな。 美雪(私服): 年齢も性別もバラバラだけど、仲よさそうだね。 千雨: そうだな。 そういえば社宅のお父さんたちは、基本的には同年代や警察学校の同期でつるむことが多く、年齢差が少ない。 それを思うと、年齢も性別も違う彼らの仲の良さは驚きながらも好ましいものに思えた。 美雪(私服): あっちのおじさん、どこの出身かな。関西弁……ではないよね? 千雨: …………。 美雪(私服): 千雨? 千雨: あ、いや……。 千雨は眉根に皺を寄せるとジュースを一気に飲み干し、唇をビンから離すと同時に口を開いた。 千雨: 九州の親戚と言い回しがちょっと似てるけど、あんな感じだったかな……? 美雪(私服): 千雨の親戚とは、ちょっと離れた地方の人かも。地域によって、言い回しとか違ってたりするみたいだしね。 千雨: かもな。 千雨は片手で空きビンを玩びながら何事かを話し込む彼らに目を向ける。 千雨: あと……このジュースくれた喜舟っておじさん、ちょっと足引きずってたな。左足。 美雪(私服): えっ、そうだった? 全然気がつかなかった。 格闘技をやっているせいだろうか。千雨の目の付けどころは、私とはちょっと違う。 千雨: ただ、あの人どっかで見た記憶があるんだよな。どこで見たんだ……? 美雪(私服): 昔、千雨のおじさんが家に連れてきた飲み仲間……だったら、千雨に声かけるよね? 千雨: 違うな。たぶん、もっと別のところで……。 思い出そうとしているのか、千雨が目を閉じる。 喜舟: ………ハァッ?! だがそれも、すっとんきょんな声によって反射的に開かれた。 河上: おいおい、どういうことだ……? 喜舟: いや……俺に聞かれても。 毬野: 戸佐さん、どう思います? 戸佐: うん、そうやね……まぁ秋武ちゃんが同席なら、おかしなことはせんやろ。言う通りにしちゃり。 秋武: ……わかりました。 どうやら話は終わったらしいが、何かしらの問題が発生したらしい。 私は残ったジュースを飲み干し、距離を開けたまま彼らに声をかけた。 美雪(私服): あ、あのー……すみません、お邪魔でしたか? 千雨: 出直しましょうか? 秋武: そうじゃなくて、えっとね……。 秋武さんは言葉を選ぶようにゆっくりと、慎重な様子で話し始める。そして、 秋武: ……あなたたちにね、会いたいって人が来てるの。 秋武: 本人はすぐにわかるって言ってて……よかったら、会ってもらえないかな? 千雨: ……どうする? 美雪(私服): 私はかまいませんけど。 千雨: 美雪がいいなら、私も。 秋武: ……ありがとう。 ほっとした様子の秋武さんの後を追って、広報センターに入ろうとして……。 戸佐: ビン、捨てとくきこっち寄越し? 千雨: あ、どうも。 美雪(私服): すみません、お願いします。 にこにこ笑顔のおじさんに空きビンを渡し、秋武さんの高い背中を追う。 クーラーの利いた廊下を歩いていると、隣を歩く千雨が耳元に唇を寄せてきた。 千雨: 誰だ? 南井さん関係だと、夏美さん以外に思いつかないんだが。 美雪(私服): 大石さん……は、亡くなってるんだよね? 千雨: あぁ……そういや、死因は聞いてないな。 美雪(私服): それも気になるけど……。 だけど今はそれ以上に……。 美雪(私服): 私たちに会いたい人って、いったい誰だろう。 前を歩く秋武さんは、考え事をしているのかずっと黙り込んだままで尋ねられる雰囲気じゃない。 私は疑問とともにエレベーターに乗って3階で降り、館長室を目指す。 2回目の館長室までの道のりは以前より短く感じられた。が……。 美雪(私服): え……。 秋武さんが扉を開いて中の人物が見えた瞬間。 世界がスローモーションになったかのような感覚と……足元が揺れるような錯覚に襲われた。 千雨: な……! 美雪&千雨: なんで、ここに……?! 千雨と声を合わせて叫んだ瞬間。ソファで優雅にカップを傾けていたその人が微笑んだ。 川田: どうも、お久しぶりです。 美雪(私服): かっ……川田さん?! Part 04: 川田: はいどうも、川田です。 そう言って、川田さんは優雅にティーカップをソーサーに戻すと……私たちに向けて微笑みかけてきた。 美雪(私服): か、川田さんが……どうしてここに?! 川田: どうしてって……決まってるじゃないですか。私がここの関係者だからですよ。 川田: あ、あくまで関係してる、ってだけですよ?所属とかしてないので、警察官とかじゃないです。 美雪(私服): ……っ……! あまりにも……あまりにもあっけらかんと聞かされた言葉に……頭が、真っ白になる。 美雪(私服): (……関係者って、どういうこと?!) 千雨: …………。 私ほどでなくとも千雨も困惑しているのか、唇を薄く開けた驚愕の表情で私と川田さんを交互に見ている。 窓辺に佇む秋武さんは、言葉を失う私たちを見て苦い薬を飲んだかのように渋い表情を浮かべた。 秋武: あー……タイムトラベルの話を聞いた南井さん、そんなに驚かずに信じてくれたでしょう?それは……ぁ……。 ちら、と秋武さんが川田さんを見る。そして、長いため息をついてから続けていった。 秋武: ……ここにいる川田さんから、事前に話を聞いていたからなんです。もっとも、すぐには信じられなかったようですが。 川田: 当然ですよ。あんなファンタジーなお話をまるっと飲み込んじゃう人に、公務員とかやらせちゃダメです。 川田: 根も葉もない話なんて、星占いと同じくらいの信憑性しかないのに。平安時代じゃないですよーって感じですし? 川田: ……ただ。 ふっ、と川田さんが苦笑いを浮かべる。 川田: 美雪さんって第二の事例が出たことで、南井さんも信じざるを得なくなった……と。その意味では助かりましたよ。 美雪(私服): で、でも、なんで今、ここに……? 千雨: あ……あんた、もしかして私たちをつけてたのか?! 川田: はい、そうです。 美雪(私服): はいそうです?! 美雪(私服): (あっさり認めた?!) 川田: あ、正確にはずーっとストーキングをしてたわけじゃないですよ? 川田: ただ、あなたたちの行動から考えてここに来ることはすぐ読めたので……先回りをさせてもらいました。 川田: 私としては、真昼の街中で美雪さんの肩をポンポンって叩いて声かけてもよかったんですけど。 川田: ……そっちのお嬢さんが、絶対許さないでしょう? 千雨: 当たり前だろ。見つけてたら全力でブン投げてやったところだ。 千雨: で、高野製薬の事件……あんた、あれにどこまで関わってるんだ? 川田: んー、それについてはノーコメントで……まずは、座ったらどうですか? まるで部屋の主よろしく堂々とした川田さんにどーぞどーぞと促され、私と千雨は対面のソファに腰を下ろす。 川田さんは窓辺に佇む秋武さんにも視線を送った……が。 秋武: 私はここでいいから。 と、断った秋武さんは、高い位置にある背中を窓に押しつけるようにして腕を組んだ。 川田: そうですか……さて、美雪さん。 美雪(私服): え? ……あ、はいっ! 川田: 私はあなたたちの先輩だって、前に言いましたよね? 川田: つまり、そういうことです。もっとも私の「力」はあなたたちが知ってる自称神様からのものではなく、別の……。 川田: あれ、人でいいのかな? 存在?まぁ、そういうのと協力してるって意味です。 美雪(私服): は、はぁ……。 川田: ……で、私が関係者ってことですけどね?とあるツテをたどって南井さんにたどり着いた私は、彼女に協力をお願いしたんです。 川田: 警察の協力者がいるに越したことはありませんから……まぁ、フラれちゃいましたけどねー。 川田: で、さぁどうしようかと思って過去とか未来とかふーらふらしながらいろいろやってみたんですが……。 川田: 結局、うまくいかない連続で……。そんな時に、過去の#p雛見沢#sひなみざわ#rであなた方と出会ったんですよ。 川田: 私と似たような存在が現れるかも?とは、聞かされてはいましたけど……正直びっくりしちゃいました。 美雪(私服): …………。 川田さんの話はあやふやではあるものの、ある程度理解できることだった。 美雪(私服): ……。つまり、最初から私たちの正体を知っていたと? 川田: はい。最初の段階で、半分くらい? は、確信を持ってました。 つまり川田さんは、あのゴミ山で一穂と出会った時には……すでに私たちが未来から来たことを知っていたことになる。 美雪(私服): (その上で、図書館で私たちを助けて……一穂を診療所に運んでくれた) 敵なら、そんなことをする必要はないだろう。 美雪(私服): 川田さんは味方……って考えても、大丈夫なんですか? 川田: はい。この「世界」限定という意味では、その見立てで差し支えありません。 美雪(私服): つまり……「世界」が変わると、敵に回る可能性があると? 川田: んーそうですね、状況によってはそうなるかもしれません。 川田: あ、もしかしたら……。 川田さんは両手を組むとテーブルに肘をつき、そこに顎を乗せて微笑んだ。 川田: 私のことを殺して殺して、殺しても飽き足らないくらい……憎くなったりするかも、しれませんけどねー? 美雪(私服): っ、どういうこと……?! 川田: ただの例え話ですよ。時と場合によっては、ということです。 困惑とともに尋ねるも、川田さんのうさんくさい笑顔で受け流される。……やっぱり、この人はどうにも好きになれない。 川田: あと……これ、先に言っておきます。私こと、川田碧の身柄は今のところちょっと特殊な状況下にあります。 千雨: 特殊な……状況? 川田: 警察でも容易に拘束できない、とだけ言っておきます。 美雪(私服): つまり、オカルトライターって肩書きは……。 川田: 当然のように嘘です。便利だから利用しただけなので。 にこっ、と川田さんは笑顔を浮かべる。 美雪(私服): …………。 なんだ、それ。……思いっきり脱力して、肩を落としてしまう。 (マスコミ関係者って聞いて素直に信じて、初対面の時に警戒心を持った私が、これではただのバカみたいだ……) 川田: あと……私の個人情報には鍵がかかっており、第三者へ情報提供することも禁じられています。 千雨: ほぉ……じゃあ、仮にあんたをここで殺したらどうなる? 川田: 身元不明の女性の遺体発見、で終わりです。 千雨の脅迫のような言葉を、川田さんは涼しい笑顔で受け流す。 川田: ですから、ウララさんや広報センターの他の人に私のことを尋ね回っちゃダメですよ。 美雪(私服): ……「ウララさん」? 川田: え……? 不意打ちで出た妙にかわいい名前に、状況を忘れて思わず繰り返す。 しばらく館長室を静かな時間が支配し……やがて。 秋武: ……ごめんね、私の下の名前。 窓辺の秋武さんが、申し訳なさそうに手を上げた。 美雪(私服): へっ? 秋武: あ、大丈夫だよ。よく名前が可愛すぎるとか、実物が負けてるって言われるから……。 美雪(私服): い、いえ! そういうつもりでは……! 千雨: ウララって、漢字はどう書くんですか?それともひらがな? 美雪(私服): それを、今聞くかキミは?! 千雨: いや、なんか気になって……。 川田: #p麗#sうら#rらかな春の日、の#p麗#sうらら#rさんです……話、続けますね? こほん、とわざとらしい咳払いにはっと我に返る。 川田: ……そういうことで、私について調べるのは相手を困らせるだけならマシな方。 川田: 最悪、かーなーりマズいことになるのでやめておいた方がいいですよー、ってお話です。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: …………。 秋武さんは困ったように眉根に皺を寄せている。どうやら、川田さんの言ったことは本当のようだ。 美雪(私服): (こういう意味深に煙に巻くところ、ほんと嫌な感じなんだよね……) なんて内心の呟きを押し込み、改めて彼女と相対する。……とりあえず今はまだ、この人をあえて敵に回すべきじゃないだろう。 美雪(私服): つまり自分のことは詮索するなってことですか。 川田: はい、そういうことです。 川田: ですが、私はこの広報センター内で乱暴だったり強引だったりなことは一切できません。 千雨: なんで? 川田: なんでと聞かれても、そういう約束なんです。 川田: なので、私が麗さんに立ち会いをお願いしてこうしてあなたたちと話をしているのは、私にとって最大限の誠意ある行動なんですよー? 千雨: ……どうだかな。誠意があるかどうかなんて、わからない。口だけなら、どうとでも言えるだろ? 川田: んー、それもそうですねぇ。 美雪(私服): …………。 信じられない、と千雨が不信感をあらわにしても川田さんは特に不快感を持った様子でもなく、ころころと笑っている。 川田: それで、あなた方はどうしてここに? 美雪(私服): 私たちは、秋武さんに会いに来たんですどうしても、お願いしたいことがあって。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: ……南井さんのこと? 美雪(私服): 関係はしてますが、別の話です。 想定外の川田さんの登場に狼狽してしまったが、ここからが本来の目的だ。 覚悟を決め、両膝を手で掴みながら声を張る。 美雪(私服): ……無理を承知でお願いしたいんですけど、愛知県で起きた無差別殺人事件についての資料を見せてもらえませんか? 川田: ……愛知の、無差別殺人事件? その言葉に、何故か真っ先に川田さんが反応した。 美雪(私服): (……なんで川田さんが?) #p秋武麗#sあきたけうらら#r: 具体的には、どの事件のことかな? 美雪(私服): 昭和58年の7月……愛知県の老人ホームで入居者が暴れて、他の入居者たちを殺害した事件です。 川田: ……っ……。 それを聞いた川田さんは、小さな物音を聞きつけた猫のようにぴくり、と小さく肩を振るわせた。 川田: ……それって、周辺の市町村へ移転した元・雛見沢の住人が引き起こした事件のうちのひとつですよね? 川田: どうして、それを調べようと思ったんです? ……素直に答えるべきどうか、少し迷う。ただ、秋武さんからも同じことを聞かれる気がしたので、私は口を開いていった。 美雪(私服): 私のお父さん……赤坂刑事がその事件に巻き込まれて殉職してるんです。だから、詳細を確かめたくて。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: その事件は私も、ある程度は南井さんから聞かされて知ってるけど……どうしてそれを? 美雪(私服): 先程、藤堂さんに会って話を聞いてきたんです。彼女がその事件の現場に居合わせたことも、さっき教えてもらいました。 美雪(私服): ただ私の記憶してる「過去」と、事件の内容が少し違ってて……。 川田: …………。 川田さんが、秋武さんを見る。隣の千雨も、私も、同じように。 3人から視線を向けられ、秋武さんは視線を彷徨わせた後……一度組んでいた腕をほどき、深く組み直した。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: ……わかっているとは思うけど、部外者に警察の事件資料は見せられない。 美雪(私服): それは、わかってます。ですが……! #p秋武麗#sあきたけうらら#r: ただ……あなたたちの知っている事実を私が聞いて、異なる部分があれば指摘はできる。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: それがギリギリ……かな? 本当にギリギリの提案のようで、秋武さんの表情は酷く険しい。……これ以上は望むだけ無駄だろう。 美雪(私服): わかりました、それで結構です。お願いしてもいいですか? どうやら完全な拒否は避けられたらしい。小さいが、確かな希望が残ったことにほっと胸をなで下ろす。 川田: ……あのぅ。 川田: もしよろしければ、私も一緒にその話聞かせてもらっていいですか? 千雨: あ? 千雨が睨み付けるも、川田さんはそれまでの態度を翻し、真剣な表情で背筋を伸ばしていた。 川田: ……邪魔はしません。お口もチャックしておきますので、置物か何かと思ってもらえれば。 千雨: どうする、美雪。力尽くで追い出すか? その表情に若干気圧された私を見ながら、千雨は臨戦態勢を整える。 千雨の言う通り、追い出した方がいいのかもしれない。でも……。 美雪(私服): ……いいですよ。 川田: おや? 不思議そうに川田さんが片眉をあげる。 川田: 意外に素直に頷いてくれましたね。嫌って言われたらどうしようかと思いました。 美雪(私服): 嫌って言おうか、ちょっと迷いましたけど。 それも正直な気持ちだが、彼女の真剣な表情に嘘は感じられなかった。 それに……。 美雪(私服): あなたには、何度も助けてもらいました。図書館と、橋で2回と……製薬所で。 川田: ……よく覚えてますね。 千雨: お前が頼んだわけじゃなくてこい……この人が勝手にやったことだろ? 川田: えぇ、勝手にやったことです。 美雪(私服): でも、その勝手に助けられたので。 特に、図書館の時は助かった。 川田さんがいなければ、気絶した一穂を抱えてまだ私への警戒心が残っていた菜央と図書館で途方に暮れていたかもしれない。 美雪(私服): (まぁ、一穂が気絶した原因といえば川田さんが持っていた新聞記事だったけど……) 言いたいことの半分を押し殺して川田さんを見つめると、彼女はふぅ、とわざとらしいため息をついた。 川田: ……美雪さんは義理堅いですねぇ。そんなんじゃ、長生きできませんよ? 美雪(私服): 不義理なら、長生きできるとも限りませんよ。 南井さんが怪我をした責任に押しつぶされ、母を言い訳に部屋に閉じこもり時間を浪費する予知夢の中の私は、不義理そのものだった。 ……今でも目を閉じれば、まぶたの裏側に血を吐いて倒れる人々と千雨の亡骸が見える。 あの後、私も死んだ。義理も果たさず、何もしなかったせいで……。 美雪(私服): 1ヶ月も経たないうちに、血ヘドを吐いて死んでるかもしれませんしね……。  : 自嘲気味に吐き捨てる私は、目の前にいる川田さんの顔を見ていなかった。 Part 05: 美雪(私服): ……とまぁ、夏美さんから聞いた話はこんな感じです。 時折千雨に確認を取りながら、私は夏美さんから聞いた愛知の事件の説明を終えた。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: ……ふむ。 秋武さんは黙って私たちの話を聞き届けると、静かに口を開いていった。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: 私も南井さんからその事件についてはある程度話を聞いているし、事件の資料も見たことがあるけど……。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: 少なくとも私が見た事件の資料と大きな相違は感じなかった、かな? 秋武さんの言葉が正しければ……夏美さんは、真実を言っているということだ。 美雪(私服): (だとしたら、夏美さんへの違和感は私の勘違いなんだろうか……?) そう自分を納得させるのが正しいとわかっている。 でも、魚の小骨が喉にひっかかったような、まぶたの内側にまつげが入ってしまったような……ごろごろした不快感が、どうしても拭えない。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: ……付け加えるとするなら。 そんな私の態度を見て、秋武さんは特別に、とでも言いたげにひとつの情報を開示してくれた。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: 事件の犯人は、逮捕後すぐに亡くなってしまったってこと……くらいね。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: 死亡診断書に死因は心不全、って書いてあるけど……本当の原因はよくわからなかったらしいわ。 川田: ……なるほど。そうですか。 それまで宣言通り、黙って置物と化していた川田さんが……この段階になってようやく口を開いた。 川田: つまり……この「世界」では、10年前の「あの」事件がこんな内容になってるってわけですかー。 川田: 興味深いと同時に、実にややこしいですねー。 そう言って呆れを交えた苦笑を浮かべ、川田さんは再びわざとらしいため息をつく。 美雪(私服): あなたも、この事件を知ってたんですね。 川田: もちろん。#p雛見沢#sひなみざわ#r関係者の事件は、一通り調べたので。他にもいろいろと知ってますが……。 川田: 残念ながら、あなた方にお伝えすることはできないんですよ。すみませんねー。 千雨: ……。なら、あんたの記憶だとこの事件はどうなってたんだ? 川田: イカれた老人に殺されたのは、同室の入居者の他は職員のみ……もちろん刑事ではありません。 川田: それに、被害者になった職員は夏美さんと言う若い人ではなかった……そう、記憶しています。 川田さんを横目で睨みながら、千雨が私の方へ顔を寄せる。 千雨: どうだ、美雪? 美雪(私服): ……川田さんが今言った方が、私が知ってる事件と近い気がする。 私が雛見沢へ赴く前に調べている最中、川田さんが口にしたものと似たような事件の記録を見たことがあった。 お父さんや夏美さんが関わったことで印象が変わって気付かなかったが……川田さんが言った通りの事件なら覚えがある。 美雪(私服): (じゃあ……川田さんは) 私と同じ、『平成A』……もしくは、それに限りなく近い世界から来た存在、ということになるのだが……。 川田: では、これは知っています? 動揺する私と警戒する千雨の視線を受けながら、いつもの軽い笑みとともに川田さんはぴっ、と指を一本立ててみせた。 川田: 南井さんが、雛見沢絡みの事件に関わったせいで……現場を外されたって話。 美雪(私服): えっ? 川田: 南井さん、無差別殺人事件の捜査を担当しておきながら、犯人たちの凶行を止められなかったということで……。 川田: なんと、所轄での次長の座からころころんっ、て転げ落ちちゃったんですよ。 川田: もったいないですよねー。準キャリア組で出世街道がほぼ確定だったのに。 川田: おっさん2人に手を貸したせいで、上と揉めたとかで閑職に飛ばされちゃったんです。 川田: ……で、警察学校の教師やらなんやらかんやらに流れに流され、最終的にこんな博物館の館長なんて面倒なこと押しつけられちゃったんですよ。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: ちょっ、ぁ……川田っ!その話は絶対外に出すなって南井さんが……! 川田: だって事実ですし。 慌てる秋武さんに対し、川田さんはつん、と気位の高い動物のような白々しい表情を見せた。 川田: ……それに、肝心の南井さんが病院のベッドから起き上がってこれない状況じゃないですか。別に遠慮する必要なんてありませんよ。 川田: そういう意味では、あの人も『オヤシロさまの#p祟#sたた#rり』の被害者ですね。 そこまで言った後、川田さんはティーカップを持ちあげながら秋武さんへ視線を送る。 川田: ……。南井さんの容態は? #p秋武麗#sあきたけうらら#r: 私も詳しくはわからないけど、あまりよくないみたい。 川田: ……そう。じゃあ、あんまり長くないかもですね。 美雪(私服): ……っ……! ず、っとお茶をすする音が、私の心にヤスリをかけた。 遠慮も配慮もない物言いに嫌悪感を覚えながらも、何も言い返せずに押し黙ることしかできない。 南井さんは女性、しかも10年前の段階で所轄で次長の座……つまり、単なるエリートではなく実力を持ったやり手の警察官だったことを意味する。 つまり、高天村で感じた現場慣れしているというあの人への印象は、間違っていなかったのだ。 ……だから、どうして博物館の館長なんて現場から最も遠い地位にいるのか、正直不思議だったけど。 美雪(私服): (私のお父さんに関わったから、だったなんて……) 警察は、他の地域からの介入にとても厳しい。 ……縄張り意識といえば聞こえは悪いが、自分たちの管轄は自分たちが守るのだ、という強い覚悟の裏返しでもある。 その覚悟を曲げ、管轄を越えて事件に介入した警視庁のお父さんに、南井さんは協力してくれた。 ……南井さんとお父さんたちに、どんなやりとりがあったかはわからない。 もしかしたら、彼女にも他に#p思惑#sおもわく#rがあってお父さんたちに協力してくれたのかもしれない。 ただ、それを差し引いたとしても。 お父さんに協力したことで彼女の将来を潰してしまったことに……少なからず罪悪感を覚えずにはいられなかった。 だから……。 千雨: 愛知の老人ホームでの事件に、南井さんが遭遇していなかったら……どうだったんだ? 川田: そうですねぇ……あの頃、雛見沢関係者の事件は山のように発生していました。 川田: 老人ホームではない、別の雛見沢関係者の事件を追って、どこぞで失敗したり責任被らされたりして……。 川田: どっちにせよ、現場を追われてたでしょうね。そういうところ、考えナシな人なんですよ。 美雪(私服): ……仮にも一度頼った人に、そういう言い方はないんじゃないですか? 川田さんの冷たい態度に、憤りを覚えずにはいられなかった。 だけど、川田さんはつまらなさそうに目を細める。私の怒りなんて、価値がないとでも言いたげに。 川田: 元々そんなに期待してませんでしたから。……話、戻してイイですか? 川田: 例の老人ホームの事件ですけど、ちょっとセンセーショナル過ぎたんでしょうね。 川田: あの事件が切っ掛けで、雛見沢出身者に対する偏見の目が目に見えて酷くなったんですよねー。ほんと、迷惑な話ですよ。 そう言って川田さんは、迷惑そうに口を尖らせる。……ただ、飄々とした素振り口振りを見せる一方で目の奥にはなぜか、炎のような――。 …………。 いや、これは私の偏見による錯覚だろう。いくら彼女が怪しいからといって、深読みをし過ぎるのはさすがに失礼だ。 千雨: ……『オヤシロさまの祟り』。 川田: …………。 ふと、千雨が口にした言葉に川田さんが反応する。それを見て彼女は顔を向け、さらに言い募っていった。 千雨: これまで何度も聞かされてきましたが……実際、そこまで『オヤシロさまの祟り』って恐れられてるものだったりするんですか? 千雨: 私は宗教についての理解がないので、どうにもぴんと来なくて。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: ……そのあたりについては、警察の立場から何とも答えようがないかな。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: ただ、ごく一部のゴシップ誌には今蔓延している『眠り病』も雛見沢の祟り神がもたらしたものだ……。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: なんて、面白おかしく書きたてているものが存在しているのは、一応確認してる。 美雪(私服): えっ? #p秋武麗#sあきたけうらら#r: 根拠も証拠もないから、現状は数多く存在してる『眠り病』についての陰謀論の一部に過ぎないけど。 美雪(私服): …………。 根拠も証拠もない、と秋武さんは断言したが、私にはどうしてもそうは思えなかった。 美雪(私服): ……愛知の事件についてですけど。当時の事件について詳しく知っている人を、紹介してもらうことはできませんか? #p秋武麗#sあきたけうらら#r: 夏美さんじゃダメなの? 美雪(私服): ……彼女以外の人からも話を聞きたいんです。いろんな人の話を聞いて、照らし合わせて考えたいと言いますか……。 夏美さんの言葉を素直に信じられない、とは言えずに言葉を濁していると……。 軽い調子で扉がノックされ、直後さっきのおじさんが顔を出した。 戸佐: 秋武ちゃん、ちぃとええ?……電話来ちょる。比護くんから。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: 緊急ですか? 戸佐: うん。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: ……わかりました。 川田: 行ってらっしゃーい。 入室以降、初めて窓から背を離した秋武さんが扉に近づいていこうとする姿を横目に、川田さんがひらひらと手を振る。 秋武さんは一度立ち止まると、ソファに座る川田さんを見下ろして。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: 私が戻るまで、ここにいてね。今日、あーちゃん戻ってくるから。 川田: ――はっ……? 目に見えて、川田さんが固まった。 美雪(私服): (あーちゃん?) 共通の知り合いですか、と尋ねるよりも早く川田さんの頬から血の毛が失われていく。 川田: な、なんで……?夏まで、戻って来ないって……。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: 色々あって、帰国することになったんだって。もう羽田に着いてる頃じゃないかな? 川田: …………。 呆然。……今の彼女を言い表すには、その単語が一番相応しい気がした。 それまで、いつもどこか余力を残していた川田さんが……初めて、その全てを失って。 それまで余裕綽々だったのに、今はもう迷子になった子どもが居所なさげに座り込んでいるようにしか見えなくて……。 戸佐: 秋武ちゃん。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: ……すぐ行きます。 促され、秋武さんは部屋を出て行く。 川田さんを直視できなかった私は、反射的に秋武さんの背中を眼で追いかけた。 彼女が部屋を出ていくまで扉を見ていたけど、ずっとそのままでいるわけにもいかず、身体に合わせて顔を前へ戻し――。 眼前に迫る川田さんの瞳と、目が合った。 美雪(私服): ――ッ……?!  : 吐息すら感じる距離に迫る瞳を前に、声も出せずに固まってしまう。  : ……私の胸に押しつけられた川田さんの胸から、妙に早い鼓動が伝わってくる。  : 震えるように揺れる、眼球の動きすらわかるほどに近い。  : ……そして。彼女の瞳の奥に、何かが。  : 私ではない、違う、何が、何?でも、何かが、見えた、気が……――? 千雨: おいっ! 怒声とともに肩を掴まれ、身体を引き倒される。……我に返った私の身体は、千雨の膝上。 どうやら千雨が私の肩を掴み、強引に川田さんと距離を取らせたようだ。 千雨: なにすんだ、あんた! いったい何の真似だ?! 顔を上げると、驚き混じりに怒鳴る幼馴染みが見え……。 途端、全身の毛穴が役目を思い出したように大量の汗を吹き出し始めて、止まっていた呼吸が思い出したように仕事を始めた。 美雪(私服): (び、びっくりした……!すっごいびっくりした……!) 心臓が、サボっていた分を取り戻すかのようにバクバクと鼓動しているのがわかる。 痛みすら覚えるほどに早鐘を打つ胸を押さえながら、改めて川田さんを見上げると……。 川田: ……。どうして……っ……? 感情の抜け落ちた声が、耳に届いた。 美雪(私服): えっ……? それはどういう意味か、と尋ねるよりも早く身を引いた川田さんは、ソファの足元から紙袋を取り出した。 そして中から、一冊のファイルを引き出し……テーブルの上に置く。 川田: ……これ、あげます。置き土産です。 美雪(私服): えっ? 千雨: は? 川田: 麗さんをこれ以上頼るのはダメですよ。あの人は真っ当な大人なので、子どもを危ない目に合わせたりしません。 川田: でも、私は真っ当な大人じゃないので……あ、これ手土産なので渡しておいてください。 続けて彼女は紙袋から菓子折の箱を取り出し、ファイルの隣に並べるように置く。 千雨: あんた、なにを……。 川田: 本当は、南井さんも真っ当な人なんですよ?子どもを巻き込むなんて、絶対ノー! 川田: ……なんですけど。あの人もバカなことしましたねぇ。 川田さんは紙袋を片手に立ち上がり、秋武さんが背にしていた窓辺へ近づく。 川田: ……余計なことせずに大人しくしていれば、痛い思いなんてしなくてよかったのに。 片手で鍵を開け、乾いた音とともに窓を開け放つやむわっ……と、湿り気を帯びた暑い空気が流れ込んできた。 そして彼女は窓に足をかけると、ブランコのように窓枠に飛び乗った。 ぶらぶらと揺れる足の動きが、私の中に嫌な予感を生み出して……! 美雪(私服): ちょ、ちょっと! 千雨: おいっ! あんた、何を……! 川田: ……では、また会いましょう。もう会わない方がいいとは思いますけどねー。 そのまま、川田さんは後ろへ、窓の外へ倒れ込んで――。 姿を、消した。 美雪(私服): ちょっ、ここっ、3階……! 慌てて立ち上がり、窓辺へ飛びつく。……だけど、窓下の地面にもどこにも彼女の姿は……見当たらなかった。 美雪(私服): か、川田さん?! なんでいないの?! 千雨: 見ろ、雨どいが揺れてる。あれを使って別のビルに移ったのか?……くそっ、器用だなオイ! 同じように窓辺に駆け寄った千雨が、鋭い舌打ちを放つ。 千雨: どうする? 追いかけるか?今ならまだ追いつけるかもしれないぞ。 美雪(私服): いや……やめよう。追いつけたところで、あの人をどうこうできるとも思えない。 千雨も私と同じことを思ったのか、特に異議も口にせず、再び大きく舌を打つに留めた。 千雨: ……あの人、いったいなんなんだ?本当に敵じゃないのか? 美雪(私服): わからない……でも、川田さんが雛見沢や高野製薬で助けてくれたのも事実だし、完全な敵……ではないと思うけど……。 窓の外、広がる青空を見ながら思う。 初めて会った時は夕方のゴミ山。そして、2度目は図書館の中だった。 美雪(私服): (そもそもあの人は、どうして『昭和A』で一穂の一家が無理心中で死んだことを調べたんだろう……?) 美雪(私服): (雛見沢にまつわる事件を全部洗ってた、とか?その過程で一穂のことも……) 美雪(私服): (……けど、どうしてそんなことを?) わからない。彼女は何を考え、何を為そうとしているのか。 敵なのか、味方なのか、それとも……。 千雨: …………。 一足先にテーブルに戻った千雨が、川田さんの置き土産の一つであるファイルを手に取り、どっかとソファへ腰を下ろす。 そして、さほど興味もなさげに表紙を開いて胡散臭そうに視線を落としていったが……。 次の瞬間、食い入るように中を覗き込んだ。 美雪(私服): ……? どうしたの、千雨。何か面白そうな資料とかでも載ってた? 千雨: これ……元雛見沢関係者の住所録じゃないか?! 美雪(私服): えっ……? その言葉を聞いた私は、千雨を押しのける勢いで身を乗り出し、開かれたファイルの中に目を通す。 彼女の言う通り、ずらりと並んだ人名の横にはほぼ全てに「雛見沢」と明記された住所があり……。 しかもその隣には「死亡」「不明」の他、ご丁寧に他府県の住所も書かれてあった……! 千雨: なんなんだ、あの人は……?どうして川田さんがこんなものを……?! 美雪(私服): ……わからない。けど、もしかしたらあの人も雛見沢の関係者……って可能性はありそうだね。 美雪(私服): あと、頻繁に雛見沢に行ってる。……高野製薬の事件前にも、広報センターに来てたのかもしれない。 千雨: ……なんで、そんなことがわかるんだ? 美雪(私服): これだよ。 私は手土産である菓子折の箱を手に、包み紙を破り捨てて箱を開ける。 ……そこには、かつてこの場所で菜央とともに口にした焼き菓子がお行儀よく並んでいた。 美雪(私服): 見て。この焼き菓子の製造場所……#p興宮#sおきのみや#rだ。賞味期限も先だから、最近買ったものだと思う。 千雨: この菓子、前にここに来た時にも出されたやつ……だよな。 美雪(私服): 雛見沢ダムで私たちと会った後、彼女はこのお菓子を持ってこの広報センターに来て……。 千雨: 高野製薬の爆発事故の後に雛見沢へ行って、興宮で焼き菓子を買って……また東京に戻って来たってことか? 美雪(私服): ……たぶんね。 千雨: なんのために? 美雪(私服): ……わからない。ただ……あの人の裏には、何かいる。#p田村媛#sたむらひめ#rとは別の神様以外にも、何かが……。 千雨: ………これからどうする?秋武さんに協力してもらえると思うか? 美雪(私服): そうしてもらえれば一番だけど、川田さんの口ぶりだと無理っぽかったね。 千雨: ダメだったらどこを頼る?警察以外なら、マスコミか? 美雪(私服): マスコミはダメ。 短く断言すると、ファイルを眺めていた千雨が顔を上げた。 美雪(私服): ただでさえ『眠り病』と雛見沢の繋がりを疑われてるくらいなのに……こんなのをマスコミに話したら火に油を注ぐだけだ。 千雨: 『眠り病』と雛見沢、関係あるとは限らないだろ。 美雪(私服): それは、まだ断言できないけど……でも、もしも、もしもだよ? 美雪(私服): 『眠り病』の原因が、雛見沢にあったとしたら……雛見沢への差別感情は、大変なことになるよ。 私が知ってる範囲でも、就職や結婚とか人生の大切な局面で雛見沢出身ってだけで差別された人は多かった。 夏美さんや川田さんのあの口ぶりからすると、雛見沢関係者は私の想像以上に迫害されたんだと思う。 美雪(私服): それに……平成の一穂は自殺してる。ルチーアって全寮制の中で。 美雪(私服): その状況で昭和の「世界」から一穂を連れ戻したら、何も知らない人はどう思う? 千雨: 昭和から連れ戻した一穂ちゃんは、公由一穂の偽物か、もしくは……。 美雪(私服): 死人が生き返ったように、見える……。 千雨: …………。 私は焼き菓子の箱をテーブルに戻し、破り捨てた包み紙を拾い集めながら考えを口にし続ける。 美雪(私服): 雛見沢大災害が起きた平成の「世界」で、雛見沢はこうも呼ばれてたんだ。 美雪(私服): ……死者が歩く村。大災害で自分が死んだことに気づかない被災者が、今もまだ彷徨っているって。 千雨: それは……また、随分と面白そうな話だな。 美雪(私服): だよね。 手にした菓子折の包み紙を、ぐしゃりと握りつぶす。 千雨: で……美雪。お前は、一穂ちゃんを連れ戻したとして……どうするつもりだ? 美雪(私服): 身元不明の女の子として、保護してもらう。 美雪(私服): ……必要なら、一穂には自分の名前以外は何もわからない、覚えてないって主張してもらうことも考えてる。 正直、そうするしかないと思っている。 美雪(私服): 『眠り病』をエサにマスコミの協力者を得ても、一穂を平成に連れ戻した後がややこしくなる。 千雨: まぁ、記事にしないと飯の種にならないからな。 美雪(私服): そうだよ。だから、頼れない。……せっかく一穂を平成に連れ戻しても、苦労させるだけの「世界」には、したくない。 千雨: つまり、ちゃんと先を見据えた末でマスコミに頼らないって判断したんだな。 美雪(私服): そうだよ。 千雨: そうか……そうか。 私は丸めた包装紙を捨てる場所を探しかけて、南井さんのデスクのそばにゴミ箱があったことを思い出す。 千雨に背を向けて窓辺を向き、ゴミ箱へ向けて包装紙を投げ入れようと肩を大きく動かして……。 ――窓に映った千雨の顔が、見えた。 千雨: ……それなら、いい。 美雪(私服): ――――。 乾いた音とともに、投げた包装紙ボールが……ゴミ箱の中へ、収まった。 振り返ると、憮然とした表情でファイルを眺める千雨がいる。 千雨: ……いや、悪かった。他にアテが思いつかなかっただけだ。本気じゃないから、気にするな。 美雪(私服): う、うん……。 頷きながら、ちらりと目を向けた先にある千雨の表情は、まだ先ほどの川田さんに対して怒っている……ようにも見えた。 でも、窓に映った彼女は、さっき確実に……。 美雪(私服): (……笑ってた……) 私が窓ガラス越しにその顔を見ていたことを知らないから、笑うことが、できた……? 美雪(私服): (……なんで?) 今の話の、どこに笑う要素があったのだろうか。理由がわからず、困惑が胸の内でくすぶっていく。 美雪(私服): (サメが関わらなければ、千雨の感情は親以外なら私が一番理解できると思ってたけど……) 千雨: とはいえ、いきなり私たちが押しかけてもどこも門前払いが関の山だろうな。 美雪(私服): えっ。あ、うん。それは、そう……だと思う。 戸惑いながら同意すると、千雨はファイルに綴られた紙をペラペラとめくりながら、言葉を続けていった。 千雨: となると、警察……やっぱり秋武さんにどうにか協力してもらう方向で説得するのが、一番最善……ん? 千雨: ……ん、んんっ?! 美雪(私服): どうしたの? 変な声出して。 千雨: 美雪!お前、雛見沢で仲良くなった子たちの名前を今でも覚えてるか?! 美雪(私服): えっ? え、っと、古手梨花、古手羽入、園崎魅音、園崎詩音、竜宮レ……礼奈、北条沙都子――。 わけもわからずみんなの名前を羅列していると、千雨が青ざめた顔をファイルから持ちあげた。 千雨: ――いる。 美雪(私服): は。 千雨: ……ここに、ある。 千雨: 竜宮礼奈だけ、ここに書いてある……! 美雪(私服): 貸してっ! 千雨からファイルを奪い、紙の上を覗き込む。 小さな文字が並ぶ一覧の中、その名前はすぐに見つかった。 美雪(私服): あった……本当にあった! 美雪(私服): ……竜宮、礼奈! 23歳と書かれているけど……生年月日から計算すると、今年で24歳だ! 美雪(私服): 間違いない! 年齢も一致する……! 千雨: 礼奈って、菜央ちゃんのお姉さんだよな?! 美雪(私服): 現状の所在地は……!! 名前に指を押し当て、他の情報が記載された右側へとスライドさせる。 そして、指の先が触れた先に記されていた場所は――。 美雪(私服): 精神病治療の、更生施設――?