1「初体験」
宇宙──それは人類に残された最後の開拓地。
だがそれは地球よりはるかに科学が進み、宇宙が当たり前の生活の場となった、銀河アカデミーにおいても変わりは無かった。宇宙というのはそれほどまでに広大無辺であり、銀河連盟圏内であっても、調査されていない居住可能惑星は多い。ましてや銀河の外へ出るなど学術調査艦か、物好きな冒険家以外には居なかった。
ただ一つの銀河ですら、人の持つ旺盛な物欲も知識欲も簡単に吸収出来るほどのキャパシティーがあるのだ。
(凄い……)
宇宙を疾走する『守蛇怪』の艦長席で、西南はその解放感に酔っていた。
宇宙でのスピードを実感する事は難しい。さながら、どこまでもまっすぐ続く平坦な道を、地平線だけを見て走っているような気分だ。だが見晴らしの良い艦長席、そして初めて自転車をバイクを自動車を手に入れた時、爆発的に広がった行動範囲、電車やバスのような定期的な路線を移動するのでは無く、自ら好きな場所へ移動出来るという、解放感に似たものを西南は感じているのである。もっとも宇宙へ上がった事など数えるほどしか経験してない西南にとって、惑星上から宇宙へ上がる──いや、大気圏突入ですら、ワクワクするイベントなのだ。
この守蛇怪は、生活とメンテナンスに必要なプラントユニットを接続すれば、銀河間航行すら可能な性能を有していた。もちろんGP所属の身で、そのような身勝手な事は出来ないが、今の西南の任務は簡単に言えば、そこら辺を適当にうろついて、片っ端から海賊を引き寄せる事である。つまり建前上、銀河連盟の支配宙域であれば、どこへでも行けるのだ。
「えっと……」
西南は目の前に、銀河の勢力図を映したモニターを起動した。
(銀河の約三分の一が、銀河連盟の支配宙域って教わったけど……結構、スカスカな印象があったよな……ああ、やっぱり)
銀河連盟の支配宙域は、血管や木の根に似た形状の定期航路を中心に広がり、穴だらけのスポンジのようだった。海賊達はその穴宙域をテリトリーとして移動しているのだ。
「まだまだ未開拓の場所は多いって事か……」
モニターを見ながら西南はここで一つの疑問を感じた。その時……、
「艦長、テスト航行のプログラム2、終了しました。全て異常なしです」
霧恋の声が、西南の思考を遮った。
「プログラム3へ移行して下さい」
西南はモニターを消すと反射的にそう答えた。
「了解。プログラム3、始動!」
霧恋の声と共に、守蛇怪は次のテスト宙域へと短距離の超空間ジャンプを始めた。
「ここまで全くトラブルがないなんて、なんか拍子抜けだなぁ」
守蛇怪が超空間に突入し、航行が安定したのを見計らい、雨音は大きな伸びをしながら言った。
「守蛇怪就航まで、艦長のデータと照らし合わせながら、どれだけのテストをしたと思ってるの? そうそうトラブルなんて起こられたら、たまったものじゃないわよ」
守蛇怪のテストチェックにかり出された事のある霧恋は、ムスッとした顔で言った。
「一つのトラブルの検証に、どれだけ時間がかかるか知ってるの?」
「いろいろお手数をおかけして、すみません」
「あっ、いえ、別に艦長がお気になさる事では……」
気まずそうに答える西南に、霧恋は慌ててそう言った。
「それにしても、この艦はいいなぁ……さすがアイリ様が造っただけあって、伝わって来る感触が最高」
雨音は間髪入れず、霧恋に助け船を出すように話し出した。
「そうなんですか?」
雨音のうっとりするような甘い声に、興味を惹かれた西南は、雨音の方を見た。
「実際、私が乗艦して来たGP艦や民間の豪華客船、湯水のように資金を注ぎ込んだ知人の個人所有の艦に比べても、はるかに出来が良いわ。もちろんそれらの艦は人を不快にさせる振動や音は、ほぼ完全に遮断されて居住性能は優れているけど。船を操る人間からすれば、手袋をはめて物を触っているような感覚は、逆にストレスになるわね」
「……へえ」
「それに応答性は抜群だし、船体バランスもいいから、かなりの精密射撃が可能だと思うわ」
戦艦──特に大型艦は戦闘時の急加速減速、回避等の操艦時に艦体が僅かだが歪み、艦に搭載されている武器もその歪みに影響されるのだ。艦の各所には、ズレを検知するジャイロを搭載しているものの、修正時のタイムラグによるごく僅かの角度のズレが、宇宙規模の対艦攻撃では命中精度に大きく影響するのである。
「残念ね。射撃テストは一度帰投して、船体チェックが終わってからよ。そろそろ超空間から出るわよ。次のテスト準備を始めて」
弛緩したその場を引き締めるように霧恋が言った数分後、超空間からジャンプアウトした守蛇怪は中型の海賊艦と遭遇していた。
「あれまっ……どうやら射撃テストが繰り上がったみたいね」
緊張感の無い表情で雨音は笑った。
「クッ!」
雨音を睨みつつも、霧恋は想定された状況に素早く対処して行った。そしてそれは、霧恋が待ち望んだ状況でもあったのだった。
『何だぁ? 俺様と出会って、手土産の空コンテナも無しかよ』
その海賊の言葉は、自らの圧倒的優位を確信した横柄なものだった。もっとも外見的にたいした武装も認められず、自艦の半分にも満たない小型艦の守蛇怪を、相手が侮るのも無理からぬ話ではあった。
「──無駄な抵抗は止め、艦を停止させなさい」
珀蓮の事務的な口調での、お定まりの警告文言から始まる降伏勧告に焦れた海賊は、自らの優位を疑わないまま威嚇発砲を行った。そして守蛇怪はそれを攻撃と認識し交戦に入った。
交戦が始まり、十分と経たない内に、高圧的だった海賊の表情は一変した。
『まっ、待て! 偽装艦なんて卑怯だぞ!』
海賊にとっては小型艦の部類に入る守蛇怪が、途轍もない戦闘力を持っているなど想像も付かなかったのであろう。だがGP宅配部門のカラーリングを行っているとはいえ、もう少し思慮深さが有れば、守蛇怪の違和感には気付いたはずだ。
『やっ、止めろ! 止めてくれ!!』
海賊の言葉が悲鳴に近いものになるのに、もう十分間───。だがそれでも守蛇怪の攻撃が止む事は無かった。
「…………」
無言のまま、攻撃担当の雨音はチラッと西南を見た。
それが守蛇怪の針路決定権を与えるためだけの、お飾り艦長とはいえ、攻撃を続けるかどうかは西南の裁量に任されているからだ。しかし西南は無言のまま、海賊艦を睨み付けていた。
(……何故なんだ?)
守蛇怪が攻撃を開始した時、その海賊に対する不快感を起因とした攻撃衝動とがピッタリと重なり、西南は心地良さすら覚えていた。そして怒りと疑問が西南の意識を占め、海賊の懇願に近い悲鳴も耳には入っていなかったのだ。
普段とは異質とも言える西南の様子に気付きつつも、霧恋達クルーは相手に致命傷を与えないように配慮しつつ、辛抱強く西南の命令を待ち続けた。
──オギャア!
海賊達の懇願する声の向こう側から聞こえたのは、明らかに赤ん坊の声だった。
「!! 攻撃中止!」
その声に、西南はハッと我に返り、そう叫んだ。
「攻撃中止!」
霧恋は西南の命令を復唱し、珀蓮は再び降伏勧告に入った。もちろん海賊がそれを拒否する事は無かった。
「艦長。実験プランの修正についてご相談が。珀蓮、あとはお願い」
霧恋は静かに、事務的にそう言うと、シートごと下部ブロックへと移動して行った。うな垂れた西南はそれを追うように、艦長室へとシート移動させた。
「やれやれ、あんな初歩的な手に引っ掛かるなんて。やはり子供に艦長は無理なんじゃないかな」
西南達が見えなくなり、その場に弛緩した空気が流れるのを見計らい、アランは自慢げな口調で、珀蓮達に聞こえるように言った。
「僕だったら、もっとうまくやれるけどね」
「お、おいアラン……」
さすがに言い過ぎだと感じたのか、バリーとコーンは顔をしかめながらアランの方を見た。
「彼が艦長に任命されたのは、航路決定権を与えるためですから」
だが珀蓮は作業をしつつも、にこやかな口調で言った。
「ハハハ、確かに。僕達が選ばれたのは未熟な彼を補佐する為ですしね。ところで皆さんはどういった方々なのですか? その……貴女方のような美人なら、ファンクラブくらいあって然るべきだと思うのですがねえ?」
「私達はアイリ様の個人秘書ですから。それより実験は中止ですので、あなた方は待機していて下さい」
「その、少しお話を……」
「急な着任ですから、私物の整理も終わっていないでしょう?」
アランの話をやんわりと拒否すると、意識を仕事へ戻した。
「了解しました」
これ以上は自分の印象を悪くすると判断したアランは、シートを下降させ始めた。
ブリッジ要員のシートは、全ての階層へ直接移動出来るようになっていた。アラン達のシートは五フロア分下の一般乗組員用の居住ブロックで止まった。
「アイリ様の個人秘書か……結構、難物だな」
シートに座ったまま、バリーは肩を落としたように呟いた。
「そうだな」
肩を落とすバリーとコーンに、アランはシートから立ち上がると、
「なぁに、やり方はいくらでもあるさ」
軽くウインクをし、そう言った。
「ど、どうやって? アイリ様の個人秘書だぞ! 収入だって凄いだろうし……あのリョーコ様のファンクラブ運営資金から判断するとしても、彼女達が貰っている給料以上には払えないんじゃないのか?」
「何より最高レベルの機密を扱うわけだから、個人情報のガードも高いだろうし、常時監視だって付いているはずだぞ。それは俺達にだって言えるんだ。映像の流出で煽ったりなんか出来ないだろうし、ましてやファンクラブの結成なんて、非公式でも出来るかどうか……」
「おいおい、あれだけの素材なら、ファンクラブなんてチンケなモンじゃなくて、もっとでかい商売に出来るぞ。玉蓮を見ただろう? トップモデルや芸能界にだって通用……いや、そこですら見た事もないような極上の女だ。他の女達だって、並じゃない」
「確かに、事務所を設立してマネージメントが出来れば……でも、ヘッドハントをするにも、機密の壁がでかすぎるんじゃないか?」
「本人達がその気になれば関係ないさ。まあ機密時効が有るだろうから、辞めてちょっとの間は、規制や監視が付くかもしれないけどな」
「……その気になるかな?」
「スターに、芸能界に憧れない女なんかいないぞ! 絶対に食い付いて来る!」
そう断言すると、アランは腕を組みふんぞり返った。すぐ調子に乗るのはアランの悪い癖だった。そのポジティブさは長所でもあるが、自分の想像を現実と混同してしまい、状況に対する客観視が出来ないのだ。
「なるほど!」
いつも通りバリーとコーンも、自分の中でアランの意見の実現性を検証する事無く、あっと言う間に同調した。
「おお、ここが俺の部屋……んん?」
小さなエントランスにある配置図に、自分の名前を見つけたアランは、すぐに不満げな表情を見せた。そこにはアランだけではなく、他の二人の名前も書かれていたからだ。
「おい、こんなに部屋がいっぱいあるのに、なぜ三人相部屋なんだ?」
守蛇怪は小型艦とはいえ、交代要員を合わせれば最大五十人ほどが乗艦するように出来ていた。配置図には、ざっと見ただけでも三十ほどの部屋があった。
「俺達が一番下っ端だからじゃないか?」
「一番下っ端とはいえ、ブリッジオペレーターは下士官クラスだ! それなりの扱いを受けて当然だ!」
「……そうだよな」
バリーは少し考え込むと、すぐさま顔を上げた。
「よし! 西南へ直談判だ!」
「おい、ふたりとも……相手は艦長なんだぞ」
さすがに躊躇したコーンは、二人を引き止めるように言った。
「お飾りのな。今まで俺達がいろいろと面倒を見たんだから、むげにはしないさ」
ニヤッと笑みを浮かべたアランがそう言った時、空き室のドアが開き、玉蓮と火煉が出て来た。
「あら何のお話?」
玉蓮はそう言うと、ニッコリとアランに微笑みかけた。
「!」
至近で玉蓮の美貌を見たアラン達は、金縛りにあったように動けなくなった。
「時間を無駄にしないで、部屋の整理をしたら休息をしなさい。貴方達も艦長の特性を知っているでしょう?」
火煉は玉蓮を隠すように前に出た。と、アラン達は金縛りが解けたかのように、安堵の表情を浮かべた。
(やれやれ)
火煉にとってアラン達の反応は、本来あまり気分のいいものではない。だが比較対象が玉蓮では仕方がないし、こういう反応はいつもの事だ。
「じ、実は、自分達の部屋を探してて……その」
玉蓮によって、先程までの勢いにブレーキをかけられたアランは、オドオドした様子で配置図のプレートを指さした。
「ああ、なるほどね」
アランの意図を察した火煉は、ふり返って先程出て来た部屋を見た。
「他の部屋には、今回の実験のための計測機器が設置されているの」
「自分達の部屋以外、全部ですか?」
「正確には、最低限の生活空間以外全部よ。だから私達も二人ずつ、相部屋を使っているわ」
本来、火煉達上級士官は個室が与えられる。
「守蛇怪は特に量産用の新型だから、生産ラインに乗せる前に、出来るだけ問題点を解消しておく必要があるのよ。艦長にこの艦が与えられたのは、そのためでもあるの」
玉蓮は火煉の肩越しに顔を覗かせながら言った。それはまるで皆既日食で、完全に月の影に隠れた太陽が、顔を出した瞬間に似ていた。
「なっ、なるほど……西南、いや艦長が乗艦して問題なく航行出来れば、初期不良は無いも同然でしょうからね」
そう言いながらアランは、眩しさに怯える夜行動物のように自室の方へ後退った。
「そういう事ね」
「では、僕らは自室で待機をしています」
「そうそう。私達の機密解除時効は無期限よ。念のため」
バリーとコーンを押し込むように自室へと入ろうとしたアランに、火煉は微笑みながら言った。
「ええっ!!」
倒れ込むように部屋に入ったアラン達の姿を隠すように、ドアが閉まり、錠ロックの表示プレートが光った。
「あら、可哀想に。もうしばらく良い夢を見せてあげてもよかったんじゃない?」
ニッコリと微笑む玉蓮を、火煉は鬼のような形相で睨んだ。
「断っておくけど、今回に関しては貴女の悪趣味を見逃すつもりも、付き合うつもりもないわよ」
「あらあら怖い……。でも私だって、今の状況が何を意味するかは、分かっているつもりよ」
シレッと言う玉蓮を、火煉は少し強引にエレベーターへと引っ張り込んだ。この会話をアラン達に聞かせないためだ。事実、自分達の会話を火煉達に聞かれたと知ったアラン達は、どういう処遇をされるかと戦々恐々と、室内からインターフォンを使って火煉達の会話に聞き耳をたてていたのだ。