Part 01: レナ(部族): ふぅ……。 天馬から下りて、はぁ……と息をつく。 ……ここはめったに誰も訪れない、空の部族の集落から離れた草原だ。そして、私のお気に入りの場所でもある。 今日も、座り込んだ花畑の中で日々の責務から解放された気分のまま色とりどりの花を愛でていると……。 周囲に小さな鳥たちが舞い寄ってきて、私の肩に止まり……鳴き、離れていく。 レナ(部族): あはは……みんな、元気? ちゅんちゅんとか、ピーピーとか……それぞれの鳴き声をあげながら、一羽ずつ交代で挨拶をしてくれた。 やがて全ての小鳥たちが挨拶を済ませると、それでは失礼と言わんばかりにお辞儀をして……どこかへと飛び去っていく。 きっと私が、今はひとりになりたいことをなんとなく察して……気を遣ってくれたのだろう。 レナ(部族): はぅ……ごめんね。 そんなに疲れた顔をしていたのか、と思わず苦笑を覚える。……でも同時に、今はひとりになりたいことも事実だった。 レナ(部族): 協力はちゃんと取りつけられた。あとは、上手くいくかどうか……。 そればかりは、誰にもわからない。だから、やれることをやるしかないのだ。 ここは、私が王女を務める……空の部族。 ただ、権力を握っているとしても何もかもが私の思い通りになるわけではない。 天気なんかはどうしようもないし、こちらを支配しようとする存在も……いる。 攻撃者に対抗することは、簡単ではない。だから他の部族の手を借りることも多い。 もちろん私自身は先頭を切って、最前線で戦う。……でも、それだけでは足りないのだ。 レナ(部族): (私だけの力で、全てのことができればいいんだけど……) 他者の手を借りなければならない状況に直面するたび……そう願わずにはいられない。 そして、それができない自分の力不足を私は嫌というほど毎日、痛感させられていた……。 レナ(部族): はぁ……。 どうしようもなくなって息をつくと、頭を柔らかいものでふにっ……とつつかれる。 顔をあげると、愛馬のケーイチがじっと私の様子を見下ろしていた。 レナ(部族): あははは……ごめんね。あなたにまで、心配をかけちゃって。 よしよし、と愛馬の頭を撫でる。 レナ(部族): ケーイチはいい子だね。 学者の話によると、天馬の目と私たちの目に映る世界は違う……らしい。 具体的には、私たちの目と比べると天馬の目で見える色はずっと少ないそうだ。 つまり天馬たちには、この色とりどりの花畑や先程の小鳥たちが別の色に見えているのだという。 レナ(部族): はぅ……あなたの見える光景はどんなものなのかよくわかんないけど、レナの悩み事はちゃんと見えているんだね。 他人に手を貸してほしいと言われた時、私は何も考えず頷く。そこに迷いや躊躇はない。 なのに……自分が他人から手を借りるとなると、どういうわけか引け目を感じてしまう。 ……それを他人に言ったことはない。借りなければこの国を守れないからだ。 この花畑も、小鳥たちも、天馬も……自分自身ですらも。 それでも他者の手を借りる時、自分の無力さを改めて目の前に突きつけられるやるせなさはどうやっても消えてはくれない。 仕方のないことだと自分に言い聞かせ、ざわめく心が落ち着くのを待つしかない……。 レナ(部族): ……あれ? ぼんやりと見上げた空の一部に浮かぶ、見覚えのある影。天馬とは違う、あれは……。 レナ(部族): 風の部族の……沙都子ちゃん? Part 02: 沙都子(部族): レナさん、聞いてくださいまして……? そんなふうに切り出された沙都子ちゃんの話は、途切れ途切れな上に話があちこちに飛んで……どうにも内容が理解しづらかった。 なんとか話の全容を掴めた、と確信するまでにかなりの時間を必要としたほどだ。 レナ(部族): えーっと……つまり、酷い夢を見たんだね。自分が別の「世界」の子として生きる夢を。 沙都子(部族): えぇ、そうですわ!しかも最後には拷問されて殺されるんですのっ! 沙都子(部族): 夢の中の私は気丈に耐えておりましたが、今の私にはそんなことできそうにありませんわ! 沙都子(部族): だいたいなんなんですの?!その「世界」の私はそんなに悪いことをしまして?! 沙都子(部族): わぁああああああああああああああああああん!!! レナ(部族): はぅ……よしよし。 その夢の中で、怖い目にあったのだろう。話の脈絡がおかしくなったのはその影響で、今も動揺しているせいらしい。 沙都子ちゃんのレッドテッペーはさっきからずっとおろおろしている様子で……ケーイチも不安そうに身体を揺すっている。 レナ(部族): (はぅ、不安が伝わっているんだ……) きっと、本人もそれを理解しているから……周りに悟らせたくなくて自分の集落を飛び出して、離れたここまでやってきたのだろう。 そこまではなんとか耐えていたけれど、知っている顔……つまり、私を見たせいで抑えていた気持ちが溢れたというわけか……。 レナ(部族): (声、かけない方がよかったかな……かな?) なんて思ってしまったけれど、もう遅い。 なぜなら、今でこそ落ち着いているが……レッドテッペーは元々凶悪なドラゴンだ。 ここまで動揺している状況から考えると、不安な気持ちを整理してもらったほうがいいだろう。 それに万が一、飛んでいる最中に気がそれて事故でも起こったら……それこそ後悔する。 沙都子(部族): ぐすっ、ぐすっ……はぁ、失礼しましたわ。 レナ(部族): 少し落ち着いた? 沙都子(部族): えぇ……。 落ち着いたと言いながらも、まだ身体は少し……震えている。 いつもは気丈な彼女が、これほどまでに打ちのめされるなんて……はたして、どんな悪夢だったのだろう。 レナ(部族): 大丈夫、あなたは風の部族の沙都子ちゃん。とっても強いレッドテッペーを従えている。 レナ(部族): 拷問されることなんて、絶対に起きない。だから……大丈夫だよ。 沙都子(部族): ……違うんですの。 優しくあやすように声をかけるも、沙都子ちゃんは緩く首を左右に振る。 沙都子(部族): わかっているんですのよ。あれは夢で、こっちが現実だと。 沙都子(部族): でも……思ってしまったんですの。 沙都子(部族): もし、拷問に遭って殺された私の方が現実だったら……どうしようって……。 レナ(部族): …………。 レナ(部族): 沙都子ちゃんは、夢の中の自分が本当で今ここにいる自分は偽物だって……思うの? 沙都子(部族): どちらかが夢で、どちらかが真実なのは間違いありませんもの。 どうやら本当に酷い夢だったようだ。完全に心を痛めつけられてしまったらしい。 レナ(部族): (……きっと、また夢を見るのが怖いんだ) そして、夢の中の自分が真実だと思って……いや、そう疑ってしまったのだろう。 だから今、彼女は目を覚ましても恐怖の夢の中にとらわれ続けている……。 レナ(部族): はぅ……じゃあ。 レナ(部族): 今の自分は偽物だってわかったら、どうするのかな……かな? 沙都子(部族): え……? レナ(部族): もし自分の方が、偽物だってわかったら? 沙都子(部族): それは…………その、えっと。 ぐるぐると沙都子ちゃんの目が助けを求めるように周囲を泳ぐ。 沙都子(部族): ……わかりませんわ……。 レナ(部族): あはは、そうだね。 レナ(部族): いきなりあなたは偽物だって言われても困っちゃうし、どうしたらいいかなんてわからないよね。 レナ(部族): レナだって、そんなこと言われたらすっごく困っちゃうもん……はぅ。 沙都子(部族): …………。 レナ(部族): ね、たまに言われることは……ない?風の部族と空の部族は、いっそ1つでいいんじゃないかって。 沙都子(部族): あ、ありますわ!他の部族の方に言われたことが……! 私が尋ねると、思った以上に勢いよく返ってきた。 沙都子(部族): 確かにレナさんや空の部族の方々はいい人ですわ!嫌いなんてことはありえませんわ! 沙都子(部族): でも私、あれを言われるとカチンときますのよ!全然違いますわ! 生活からなにもかもが……! 沙都子(部族): 何をどうしたら同じに見えるか、教えてもらいたいですわ! けど、そういう連中はいつも具体的に答えられないんですの! 沙都子(部族): ホンット! 味噌汁で顔洗って出直してきなさいと怒鳴りつけてやりたいですわー! レナ(部族): え……? ミソシル……って、なに? 沙都子(部族): え? え、えーっと……。 それまでの勢いがぴたりと止まり、沙都子ちゃんはえーっと虚空に視線を泳がせ……。 沙都子(部族): ……さぁ……なんのことでしょう……? レナ(部族): あははは。ミソシルはともかく……レナたちは少しずつ違って、少しずつ同じところがある。 レナ(部族): 風の部族と空の部族が同じであっても、困らない人はいる。……けど、それはできない。 レナ(部族): レナたちは、沙都子ちゃんたちと同じように空を飛ぶ。ただ、乗って駆る種族が違う。乗り方も。 レナ(部族): だから風の部族と空の部族はどちらが本物で偽物だって言われたら……両方とも本物だって、胸を張って言い返すよ。 沙都子(部族): それは……私もですわ。 レナ(部族): うん。だったら……それじゃだめかな。 沙都子(部族): ……? それ、とは? レナ(部族): 沙都子ちゃんの夢の中のこと。 レナ(部族): もしかしたらその夢は、いつかどこかで起きた本当のことなのかもしれない。 レナ(部族): でも、だからと言って今ここにいる風の国の沙都子ちゃんが偽物だって証明にはならない。 沙都子(部族): それは……。 沙都子(部族): 確かに、今の私が偽物だと証明するには色々と判断材料が不十分すぎますわね。 レナ(部族): ね? だから大丈夫だよ。 沙都子(部族): …………。 沙都子ちゃんは黙って地面を見つめる。 勢いよく怒ったり怯えたりしていた反動か、うなだれた彼女は酷く疲れているようだった。 沙都子(部族): ……そうかもしれませんわ。 レナ(部族): うん、そうだよ。だからもう怖い夢を見ても大丈夫。 沙都子(部族): ……それはどうかしら?私、次にまた同じ夢を見たら冷静でいられる気がしませんわ。 レナ(部族): じゃあ、その時はまたレナのところにおいでよ。気持ちが晴れるまで、空を飛んで競争しよう。 沙都子(部族): …………。 レナ(部族): ね、ダメかな? 沙都子(部族): ……仮にそうなったとしても。 沙都子(部族): レースに手加減はナシ、ですわよ? レナ(部族): もちろん!望むところだよ、あはははっ♪ そう返しながら大きく頷くと、沙都子ちゃんはずっと落とし気味だった視線をようやく上げてくれる。 その表情はまだ、こわばっているようにも見えるけど……少なくとも、笑顔に近づけるよう努力している様子がはっきりと伝わってきた。 レナ(部族): はぅ、よかったら一緒にご飯を食べない?レナがご馳走するよ。 沙都子(部族): あら、レナさんのご飯は久しぶりですわね。私、体力のつくお肉を食べたい気分ですのよ! ケーイチ: ひひーん?! 沙都子(部族): ふわぁぁあっっ?べ、別にあなたのことを食べる気なんてありませんのよっ?! レナ(部族): あははははっ! ……そんなことを、昼間に話したせいだろうか。 その日の私の夢は、初めて見るものだった。 Part 03: その「世界」で私は、普通の女の子だった。たぶん……ごく普通の。 普通というのは、どこにでもいるような女の子のことだ。 もちろん、ペガサスには乗っていない。だってその「世界」のペガサスは、存在しない幻想の産物だから。 戦うこともない。だってその「世界」では、争い事の原因になる魔物なんていないから。 彼女には、無気力なお父さんがいた。 妻に浮気されて、捨てられ……家に閉じこもるか、外で遊ぶしかやることがほとんどない……「父」。 彼女はそれを、仕方がないと思っていた。 お父さんは傷ついていたのだから。いつかまた、昔のように元気を取り戻して元通りになってくれればいいと。 そうしてひとり、家事をこなす。 夢の中の彼女は、ゴミ山が好きだった。 私たちの「世界」にはない不要な物が積まれたゴミの山は、なんだか恐ろしく見えた。 だけど、夢の中の彼女はゴミ山を見ると同時に心が弾み……足が軽やかになる。 うち捨てられた汚れた場所は、私が好きな花畑とは大違いで……。 それでも彼女はそれを宝の山と呼び、かぁいいものを探すために飛び回る。 ……そんな感じに、彼女の日々は過ぎていく。 戦う相手はいない。でも同時に……。 頼れる人も……いなかった。 ケーイチ: …………? 昨日訪れた花畑に、連続で来ることになると思わなかったのだろう。 正直私も、そんなつもりはなかった。けど……ここにいたら、会えるかもしれない。 レナ(部族): (昨日のあの夢は、なんだったんだろう) 悪夢……かどうかは、正直違う気がする。 でも夢の中の自分はとても楽しそうでいて、大きな問題を抱えていて……。 それを誰にも相談できずにいた。 レナ(部族): (今の私は、戦う相手がいて……そのために手を借りなければいけない) 他者の手を借りることに申し訳なさを感じながら、そうする必要性を私は理解している。 でも夢の中の彼女は……私はどうだろう。 沙都子ちゃんのように、別に拷問される夢を見たわけじゃない。 ただ風に乗って流れる雲のように緩やかに過ぎていく自分によく似た少女の一日を、その背中を亡霊のように追いかけて過ごしただけ。 でも……わかるのだ。私と彼女がとても近しい存在だから。 私は人の手を借りなければならない困難に、頻繁なほど直面しているけれど……。 彼女はまだそんな状況に直面して「い」ない。 そんな彼女が、いざという時に大きな困難を目の当たりにした時……。 レナ(部族): (人の手を、ちゃんと借りられるのかな……かな……?) 他者の手を借りるには、その他者の存在と同じくらい自分の方も大切なのだ。 でも夢の中の彼女は、それができるのだろうか? レナ(部族): (沙都子ちゃんは、自分が拷問される夢を見たと言っていた……) 自分が拷問にかけられて、むごたらしく殺されてしまう……そんな夢だと。 それに比べれば、私の夢なんて静かなものだ。平穏と言ってしまってもいいほどに。 でも、その平穏の中に肌を焼くような危険が潜んでいる可能性に……彼女は気づいているのだろうか? ……そうであってほしい。そしていざという時に、遠慮なく他者の手を借りてほしい。 そうしなければ解決しない事象がいくつもあることを、手遅れになる前に気づいてほしいと。 願っても意味はないと知りながらも……願わずにはいられなかった。 レナ(部族): ……ぁ……。 雲間に動く、見慣れた影。 レナ(部族): 沙都子ちゃん……。 名前を呟く間にも、彼女の姿はどんどん近づいてくる。 何かあったのだろうか。それとも何も無かったと報告に来てくれたのだろうか。 晴れやかな顔を見る限り、後者のように思えた。 レナ(部族): (……話をして、みようかな) 自分が見た夢の話を。何もないそれを恐ろしいと思ってしまったことを。 自分が年上なせいだろうか。……相談するのは、少し恥ずかしい。 それにもしかしたら、ただの夢だと笑われるかもしれない……。 レナ(部族): ……ううん。沙都子ちゃんはそんなことをしない。 ひとりで心の平穏を保てない恥ずかしさはあるけれど……それでも相談してみよう。 そして願わくば、夢の中の彼女がこの背後から私の姿を見ているならば……。 レナ(部族): (苦しい時に……誰かを、頼って) この願いが、どうか……伝わりますように。