Part 01: 10年前の「世界」の#p雛見沢#sひなみざわ#rを訪れて、お姉ちゃんと会えた時……あたしは嬉しかった。 本当に、嬉しかったんだ。もう絶対に会えないと思って諦めていたはずの人が目の前に現れて、触れてきて、話しかけられて……。 これが夢なら、少しでも長く覚めないでほしい。そして現実だったら、もうどんな夢も見たくない。 そう願って、祈って、訴えかけて……結末はどれも最悪だったけど、あたしは3つの「世界」でお姉ちゃんと会えた……それ自体は、本当に幸せだった。 …………。 でも、ものすごいわがままだとよく理解した上であたしはふと……思うことがあった。 もし、お姉ちゃんが昭和58年の雛見沢で起きたあの惨劇を生き延びて……成長して……。 あたしが本来存在している平成5年の「世界」で、たとえどんな形でも会うことができたとしたら……。 もう、その時点で死んでもいいと思えるくらいにとっても幸せなんじゃないかな……って。 だから、この病院に来ればお姉ちゃん……レナちゃんと会えるかもしれない。そう聞かされた時、あたしの胸は高鳴った。 期待しすぎると、それが外れた時に酷く失望と落胆を感じるかもしれない。ひょっとしたら、美雪や千雨に八つ当たりで詰ってしまうかもと思うと……すごく、怖い。 …………。 だけど、賭けたかった。たとえ可能性が低くても、お姉ちゃんと会える機会を逃したくなかったんだ。だから……ッ。 菜央(私服(二部)): っ……ぁ……。 そんな一縷の望みを託していたからこそ、病室にレナちゃんではなく「あの人」がいたことに……失望や驚きを通り越してただ、呆然とするしかなかった。 美雪(私服): な……なんで、夏美さんがこの施設にっ? 美雪がその名前を口にするのを聞いて、真っ白になって固まっていた思考が動き出す。 菜央(私服(二部)): (藤堂夏美……旧姓、公由夏美さん。雛見沢御三家のひとつ、公由家の……人……) もちろん、覚えていた。忘れたわけじゃない。 千雨から聞いた、あたしの知らないところで美雪たちを殺そうとしたという話もちゃんと頭の中に入っている。 ただ……すぐに反応ができなかった。レナちゃんと会えなかった、という失望がじわじわと実感を伴ってわいてきたこともそうだけど……。 夏美さんの姿が、あたしの記憶とあまりにも違って……違いすぎていたからだ。 菜央(私服(二部)): (どういう、こと……?) 初対面の時に感じた、整った雰囲気はまるでない。乱れた髪で上体を起こした顔からは生気が抜け落ちて、まさに病人だとしか言いようのない姿だ。 少なくとも、美雪と千雨を襲うような人には全く見えない。敵意や殺意を覚えるどころか反応自体が弱々しくて、むしろ……。 千雨: ……おい。なんであんたが、こんなところにいるんだ? #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: っ……それ、は……。 月明かりだけが光源の病室の中、夏美さんはかすれた息とともに声を出そうとする。……が、 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: っ、げほっ、がっ……ぐふっ……ぐ……っ! 途端、喉がつっかえたのか激しくむせ込み、苦しそうに身体をくの字に曲げてうずくまった。 千雨: っ……だ、大丈夫か? #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: っ、ごめ……なさっ……!もうずっと、喋っ、て……なかった、からの、どがっ……ごほっ……! 美雪(私服): お、おぅ……?とにかく、落ち着いて……! そう言って美雪が夏美さんのもとへと駆け寄り、彼女の背中を優しく撫でさする。 そして、そばのスツールに置かれていた水差しに手を伸ばしたけど……中に何も入っていないのを確かめたのか、舌打ちする音が聞こえてきた。 美雪(私服): ……酷いね、水もないなんて。それに、この部屋の汚さ……手を抜きすぎじゃない? 千雨: かなりの間、部屋に誰も入ってない感じだな。……見ろ、床に埃が積もってやがる。 しゃがみ込んだ千雨は床に手を触れ、嫌悪感をにじませた表情で顔をしかめる。 彼女の言う通り、月明かりに浮かび上がった床にはあたしたちの足跡がくっきりと浮かんで見えた。……1日、2日の掃除をさぼった程度とは到底思えない。 菜央(私服(二部)): ねぇ、いったい何があったの……? 菜央(私服(二部)): それに、お姉ちゃんは……レナちゃんはどこっ?この部屋にいるんじゃな――もがっ?! 千雨: ……落ち着け菜央ちゃん、声が大きい。警備員に気づかれる。 思わず叫んでしまった口を手で塞がれながら千雨にそうたしなめられて、あたしは仕方なく思わずあふれ出した言葉を引っ込める。 そして彼女の視線の先に目を向けると、ようやく咳が鎮まった夏美さんの身体をベッドのヘッドボードに預けかける美雪の姿が見えた。 美雪(私服): ……千雨、水筒持ってきてたよね?悪いけど、ちょっと貸して。 千雨: あぁ、ちょっと待て。 あたしから手を離し、ナップザックの中から大きめの水筒を取り出した千雨はベッド脇に歩み寄って、それを手渡す。 そのふたを開けて美雪は中に入ったお茶をなみなみとコップに注ぎ、夏美さんの背中を支えながらそっと口元へと近づけた。 美雪(私服): 舌を濡らす感じで、口の中へ入れてください。一気に飲むと、またむせてしまいますので。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……っ、……ぅ……。 美雪の指示に従い、夏美さんはお茶を少しずつ……飲むというよりも舐めるように、口に含んでいく。 そして、数分ほどかけて1杯を飲み干すと人心地がついたのか……はぁ、と大きくため息をつく様子が見えた。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ごめん、なさぃ……さっきより少しだけ、ましになりました……。 千雨: そうか。……とりあえず、無理しなくていいからゆっくりでも話をしてくれ。 千雨: 確かあんたは、厚生省のお役人だよな。……なのに、なんでこんなところにいるんだ? #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……っ……。 千雨: いや、その前に……あんたは美雪を見て、名前を呼んだな。つまり、こいつを「知ってる」のか? 菜央(私服(二部)): えっ……? 千雨の質問の意味を理解したあたしが息をのんで美雪に顔を向けると、彼女も驚いた表情でこちらを見返してくる。 あたしたちの記憶に間違いがなければ……この時点だと夏美さんとは「まだ」面識がないはずなのだ。 なのに彼女は、美雪の名前を呼んだ……これはいったい、どういうことなんだろう? 千雨: 大事なことだ、先に明らかにさせてくれ。……あんたは、私たちを「知ってる」んだな? #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……、ぁ……は、い……。 夏美さんは小さく……だけどはっきりと答えて、あたしたちに頷いてみせた。 千雨: ……もうひとつ、確認させてくれ。あんたが私たちのことを知ってるのは、どうしてだ?誰かから聞いてたか、調べたのか? 千雨: それとも……この「世界」じゃないところで「会った」ことがあるから、なのか? 美雪(私服): ……っ……! あたしと美雪は固唾をのみ……夏美さんの反応を見逃すまいと視線を注ぐ。 千雨はこちらに背中を向けているので、その表情はよくわからないけど……少なくとも緊張している空気は伝わってきた。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: …………。 そして、彼女は……あたしたちがもしや、と思っていた答えをゆっくりと答えていった。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 私は……あなたたちと、別の「世界」で会ったことが……あります。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 最初に会ったのは、……病院……。『眠り病』の疑いをかけられたあなたたちを、助けるために……訪れて……。 菜央(私服(二部)): っ……じゃあ……?! 千雨: あぁ。……確定だな。 あたしに顔を向け、千雨は頷き返す。そしてさらに、質問を重ねていった。 千雨: じゃあ、最初の質問に戻るぞ。あんたはどうして、この病院に収容されてたんだ?しかも職員とかじゃなく、患者として……? #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: っ……それは……。 すると、問いかけられた夏美さんはうつむきながらシーツをぎゅっと掴み、困惑した表情で口をつぐむ。 そして、しばらく考え込むように黙ってから顔を上げ……私たちに目を向けていった。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 信じてもらえるか、わからないけど……私にも、どうしてこうなったのかの経緯がまるでわからないんです。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 意識を失った後に気づいたら、この病室の中に閉じ込められて……自分が病人になっていることに気づきました。 美雪(私服): じゃあ自分でも知らないうちに、この病室に移動してたってこと……? #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: はい。こうなる直前に、誰かと会ったことだけは覚えているんですが……それが何者だったのかは思い出せなくて……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 誰に何を聞いても、全然答えてくれなくて……ついには職員の人も、近づかなくなって……っ。 菜央(私服(二部)): (気がついたら、自分の状況が変わってた……?) 似たような話を、聞いたことがある……いや、違う。 あたしは慎重に、はやる気持ちを抑えながら自分の既視感を確かめようと言葉を選んでいった。 菜央(私服(二部)): 夏美さん……あたしたちと出会ってから、どこまでの記憶がありますか? #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: どこまでの……記憶……? 菜央(私服(二部)): えぇ。思い出せる範囲で構わないので、教えてください。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: …………。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 『眠り病』の疑いをかけられた子たちがいる、と職員から渡されたリストの中に、赤坂美雪さんのお名前があることに気づいて……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: このままだと、治療試薬のための被検体として軟禁状態に置かれてしまうかもしれない……と考えた私は、収容された病院に駆けつけました。 美雪(私服): 被検体……って、そんな目に遭わされるところだったの、私たちっ? #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: はい……『眠り病』の末期症状に陥った患者と接触しても、感染発症しなかったあなたたちは極めて希少なケースと見なされていたんです……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ただ、一次接触の鳳谷菜央さん……二次接触の赤坂美雪さん、黒沢千雨さんからは『眠り病』の因子は発見されなかったので……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: たまたま接触期間が短かったことによる偶発的なものだという診断書を作成して、解放の許可を取りつけました……。 千雨: ……思ってた以上に、あんたには苦労をかけてたんだな。悪い、続けてくれ。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: その後……退院したあなたたちから、雛見沢の現状について調べたいと依頼されたので……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 警察庁広報センター長の南井さんを紹介し、それから高野製薬の調査を行うとの話を聞いて一緒に工場へ行くことにしました。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: そこで私は、……と……ぅぐっ? 突然、夏美さんは何かを言いかけた途中で頭を押さえ……苦しげにうめき声をもらしながらその場にうずくまってしまう。 その様子を見た美雪が水筒を差し出そうとしたが、彼女は顔をしかめながらも「……大丈夫です」と首を横に振り、絞り出すように言葉を返した。 美雪(私服): ……ちょっと深呼吸しましょうか?一度に話す必要はありませんので。 そう言って美雪は、夏美さんの背中を優しく撫でさする。 そして少し落ち着くのを待ってから、あたしたちに顔を向けていった。 美雪(私服): どうやらここにいる夏美さんは、1つ前の「世界」で私たちが会ってた人と同じみたいだね……。 千雨: あぁ、そうだな。そして雛見沢で、美雪を殺そうとした……。 菜央(私服(二部)): ……いえ、違う。そうじゃないかも……かも。 まさか否定されるとは思っていなかったのだろう、美雪と千雨は「えっ?」と訝しげな表情を浮かべる。 まぁ、そんな顔をして当然だろう。だからあたしは、2人に自分の立てた仮説を語っていった。 菜央(私服(二部)): 美雪……覚えてる?1回目の雛見沢で平成の「世界」に戻る直前、あたしたちは梨花の偽者と戦ったわよね。 美雪(私服): あ、うん……それがどうしたの? 菜央(私服(二部)): その後、あたしは一穂を連れ戻すためにもう一度昭和の「世界」にひとりで飛んだわけだけど……。 菜央(私服(二部)): 2回目に訪れた雛見沢で、入江診療所の地下室に閉じ込められていた梨花を見つけたのよ。 美雪(私服): えっ? でも、電話でこっちに連絡してきた時には梨花ちゃんは何年も前に死んだって言ってなかった? 菜央(私服(二部)): 違ったわ……ううん、正確には嘘だったのよ。あたしもそれを知ったのは、#p綿流#sわたなが#rしの夜……あの「世界」から脱出する直前だったんだけどね。 菜央(私服(二部)): あの子が言うには1回目の「世界」で、綿流しの日の直前に襲われて……気がついたら地下室に閉じ込められてたらしいわ。 千雨: ふむ……夏美さんと近い現象だな。つまりこの人も、どこかのタイミングで偽者と入れ替わってた可能性がある……ってわけか。 千雨: いや、待てよ。そうなると雛見沢で私や美雪を殺そうとしてきたのは、この人じゃない……? #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: わ、私があなたたちを……?ありえない、そんなことをするはずが……! #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: っ、げほっ、げほ……ぐッ……!! 弱々しい声で否定した夏美さんは激しく咳き込みながら口元を覆って身体を苦しげに折り曲げる。 そんな彼女の背中を撫でながら、美雪はしばらく黙り込み……そして、ぽつりと言葉を切り出していった。 美雪(私服): ……今になって思うと、神社で対峙した夏美さんは確かにおかしかった。 千雨: まぁ、言動はかなりイカれてたな……急に人格が変わったようになったりもして。 美雪(私服): いや、そうじゃない。あの夏美さんを倒した後……何も残らなかったでしょ?あれがそもそも、変なんだよ。 羽入: 『……あなたたちが今倒したのは、≪魂≫を奪われて≪器≫のみとなった、梨花の身体』 羽入: 『つまり、梨花の姿でありながらも梨花本人ではなくなった後に≪あしきもの≫が憑依した、虚像。……彼女自身ではありません』 菜央(私服(二部)): あの時、羽入……って本人なのかはわかんないけど、確かに言ってたわよね。戦った梨花が、複製物だって……。 美雪(私服): うん、覚えてるよ。……なるほど、そういうことか。 美雪(私服): 私たちが戦ったのは、確かに夏美さん……だけどそれは、この人の意思をコピーした別の何かだったんだ。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: げほっ、がっ……ぐ、げほ……!は、ぁ……はぁ、はぁ……。 美雪(私服): ……夏美さん。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: っ、……は、はい……? 美雪(私服): とりあえず……一緒に、ここから逃げませんか? #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: えっ……? 千雨: おい、ちょっと待て。ここに忍び込んだのは、そのためじゃなかっただろ? 美雪(私服): だからって、この人を見捨てたまま立ち去ることなんてできないよ。 美雪(私服): それに、私たちにはまだ聞きたいことが……っ? ふいに、美雪の言葉が途切れる。 それは、千雨の方を振り返った彼女の上着を夏美さんが力一杯握りしめて引っ張ったからだった。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: お願い……連れて行って。 美雪(私服): 夏美さん……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 私には今、何がどうなってるかもわからない。あなたたちの役に立てるかどうかも……でも……。 夏美さんは震えながら、顔をあげる。……痩せこけた頬に、一筋の涙が月明かりを映しながらつぅっ、とつたい落ちていった。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 指輪が、ないの……どこにも。 美雪(私服): 指輪……?それって、結婚指輪のこと……ですか? #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: にゅ……入院のために没収されただけで、まだどこかに……あるかもしれない……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: でも、もしかしたら……この「世界」の暁くんが私に指輪をくれなかった可能性だって、ある……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……この「世界」の暁くんが、今も愛してくれているかも……私には、わからない……。 菜央(私服(二部)): ……っ……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: それでも……彼に、会いたい。声が、聞きたい……気持ちを、知りたい……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: なにもわからないまま、このままは嫌……! ……涙の粒が、シーツに落ちていく。 それを見て美雪は目を細め、かがみ込むと夏美さんの身体に手を回しながらいった。 美雪(私服): ……詳しい話はあとです。一緒に出ましょう……ただ。 決意の眼差しで、言った。 美雪(私服): 誰かに否定された程度でめげる感情は、その程度の底の浅いものだとか、なんとか……。 美雪(私服): そういうことを口にした瞬間、捨てて行きますので! その点はよろしく! #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……? は、はい……? 戸惑いながら頷く夏美さんを見て、美雪は満足げに笑い返す。 そして、どこにそんな力が……と思うほどに頼もしくその身体を抱き上げると、よいしょ、とかけ声とともに背負っていった。 千雨: おい、美雪っ……! 美雪(私服): 言うな! 自分でもしつこいってわかってる! 美雪(私服): でも、私はこれで区切って……先に行くんだ! 痩せ細った身体を背負い、美雪が顔をあげる。その強い眼差しに、千雨が気圧されたように息を飲む音が聞こえてきた。 美雪(私服): ……ごめん、千雨……頼んだ。 千雨: あぁ、くそっ……! 振り上げた拳を自分に振り下ろすような真似しやがって……行くぞ! そう吐き捨てながら千雨が扉を開けると同時に、異様な気配が室内に舞い込んでくるのを感じる。 菜央(私服(二部)): な、なに……ひっ?! そして先頭の千雨、夏美さんを担いだ美雪の後を追って廊下に出たあたしは、彼方で何かの影がうごめいているのを見てとった。 月明かりの中に浮かぶシルエットは、昼間の警備員や職員たちのもので……! 千雨: くそっ、見つかっちまったか……!って、おい。何か様子がおかしいぞ? 警備員たち: ……ッッ……!! 窓から入り込む月明かりが、ぼんやりと照らした警備員や職員たちの表情はまるで夢を見ているようにうつろで……。 なのに何かに引き寄せられるようにこちらへ向かって歩を進めていた。 美雪(私服): こいつら……正気を失ってる?! 千雨の言う通り、おかしい。美雪の言う通り、正気を失っている。 だけど……村人たちがおかしくなった姿とは少し様子が違うことにあたしは気づいていた。 うつろなまま、殺意だけをにじませているあの姿には……既視感がある。 菜央(私服(二部)): (同じだわ……) 菜央(私服(二部)): あいつら、梨花が閉じ込められてた診療所の地下で襲ってきた奴らと同じ状態よ! 美雪(私服): 話は通じた?! 菜央(私服(二部)): 全然! 美雪(私服): じゃあ、急いで逃げるよ! 逃げるという、当然の判断の言葉。……だけど、それを聞いたあたしは我に返り駆け出しかけた2人を呼び止めて叫んだ。 菜央(私服(二部)): 逃げるって……レナちゃんは?もしかしたら、ここにいるかもしれないのよ?! 美雪(私服): っ、それは……! 千雨: すまん……菜央ちゃん!今は、自分たちの安全確保を優先してくれ! 千雨: このまま病院内をあてのないままうろついても、危険度が上がるだけだ……そうだろう?! 菜央(私服(二部)): ……っ……! 美雪(私服): 菜央っ……! 菜央(私服(二部)): わかってる! 今は逃げるわよ! 美雪の焦れながらも気遣うような呼びかけに、あたしは床を踏みしめて自分に言い聞かせる。 レナちゃんのことは何よりも大事だけど、美雪と千雨だってかけがえのない友達……!だとしたら選択肢は、1つしかなかった。 菜央(私服(二部)): 夏美さんが入院してたのは、角部屋。後ろは窓、ここは3階。突破口は……。 千雨: まず、逃げ道を作るぞ! 菜央ちゃんの見たものと同じ相手だったら、この『ロールカード』で……。 ショートパンツのポケットから千雨が「カード」を取り出し――。 千雨: 叩きのめした方……がっ?! その直後……甲高い音を立てて、彼女が手に持つ「カード」が粉々に砕け散った。 千雨: なんっ……だ、これ?! 美雪(私服): まさか……! 夏美さんを背負いながら美雪もポケットに手を入れ、「カード」を取り出すと……。 美雪(私服): うわっ?! その手の中で「カード」はガラスのように砕け、壊れた破片は輝きながら消えていった。 ……既視感。これも、見覚えのある光景だ。 菜央(私服(二部)): (昭和から帰ってきた時も、同じように「カード」が砕けた……!!) 美雪(私服): 菜央、そっちの「カード」は……?! 菜央(私服(二部)): あ、あたしのはあの「世界」で美雪たちと戦った時に、壊れちゃったから……! 千雨: ってことは、菜央ちゃんもなしか……。まぁ、この状況なら持ってたところで同じ末路を辿りそうだがな。 素手で戦うつもりなのか、千雨が腰を低く落とす。 だけど、この大人数だ。さすがに切り抜けるのは無理だと本人が一番わかっているはず。 美雪(私服): くそっ……どうしたら……?! 夏美さんを背負いながら、美雪が歯噛みする。 夏美さんはまだ、何かを知っているはず。貴重な証人……何より自分たちの恩人を置いて逃げるなんて、愚の骨頂だ。 だけど、彼女を抱えながらだと逃げられる確率が極端に下がってしまう……。 菜央(私服(二部)): (このままじゃ、全員がやられるのも時間の問題……!) ……どうしよう、どうすればいい?! どうすればいい? なに言ってるの……?答えなんて、ひとつだけなのに。 菜央(私服(二部)): (……。千雨と美雪だけなら、夏美さんを抱えたままでも逃げられるかも……かも) 千雨はこの中で、一番強い。外せない。美雪は夏美さんを抱えるのに最適。外せない。 菜央(私服(二部)): (戦えない、夏美さんを抱えられない……オトリになるなら、あたししかいない) さっきレナちゃんの名を出した時、美雪は酷く焦った声を出した。 菜央(私服(二部)): (きっと、あたしだけでもレナちゃんを探しに行くって……思ったんでしょうね) 事実、以前のあたしならそうしていた。今だって、できることならそうしたい。でも……! 菜央(私服(二部)): (決めたじゃない……たとえレナちゃんのためでも、もう自分の命を軽く捨てたりしないって……!) あたしがここにいるのは美雪や千雨、詩音さん……他にもたくさんの人たちが助けてくれたからだ。 それがわかっているから、もしもこの施設にレナちゃんがいるなら、必ず助けにここへ戻ってくると決めたのだ。 だけど、今ここで自分を犠牲にしない以外の策が……ちっとも、思い浮かばない。 菜央(私服(二部)): (美雪と千雨に……こんな決断はできない) 追い詰められて動けなくなる前に、あたしが決めるしかない! 菜央(私服(二部)): (お姉ちゃん……一穂……絢花さん……みんな) 菜央(私服(二部)): (あたし、あたし……!) 涙で視界が歪む。あたしはそれを前に何も選べず……。 ――と、その時だった。 魅音:25歳: おらおらっ、どきなッ!邪魔するやつぁぶっ飛ばすよぉぉっ!! まっ暗な病院にそぐわない、ひどく勇ましい声とともに警備員たちの壁が文字通り……崩れ落ちた。 菜央(私服(二部)): えっ……? ドミノ倒しのように警備員たちを軽快に、そして豪快にばたばたとなぎ倒していったその場所に立っていたのは――。 魅音:25歳: 久しぶり、菜央ちゃん。美雪……と、そっちの子は初めましてだね? 魅音(25歳): 私、園崎魅音! よろしくっ! 美雪(私服): 魅音っ?! 美雪の声に応えるように、暗がりの中で高く結われたポニーテールが月明かりの中で軽やかに踊る。 ……印象は、少し変わった。少し背も伸びたみたいだ。 でも……それでも変わらない笑顔がそこにある。 夜の闇の中で立っていたのは、10年前の「世界」で出会ったあの園崎魅音さん本人だった――! Part 02: #p雛見沢#sひなみざわ#rへの道が全て閉ざされていたり、川田さんから深入りは止めろと警告されたり……ここ数日、予想外の事態が立て続けに起きている。 レナが生きていると知った時も、無論そうだ。そして、忍び込んだ先で夏美さんと再会した時には驚くと同時に、これ以上はもうないだろう……。 そんなふうに「お腹いっぱい」なうんざり感さえ抱いていたが……甘かった。まだまだあったのだ。 おかげで私は、明らかに喜ぶべき事態だと頭ではわかっていたのに……それを素直に受け止めきれず、もはやパニック状態に陥っていた。 美雪(私服): いや、そんな……って、えぇっ?! 夏美さんを助け出して、一緒に脱出する――菜央にはさすがに申し訳ない思いがあったがそうと心に決めた時は腹が据わって、覚悟もした。 とはいえ、逃げる際にここまでの窮地に陥るとは思ってなかったので、驚愕とともに若干の後悔を覚えずにはいられなかったが……。 雛見沢で出会った友達……園崎魅音の登場は、そんなものをまとめて吹き飛ばしてしまうほどの衝撃を私たちにもたらしていた……! 美雪(私服): み、魅音……どうして、キミがここにっ? ポニーテールを揺らしながら現れた魅音は、記憶の中の彼女よりもかなり大人びて見える。 まぁ、あれから成長していれば今年で25歳のはずだ。だから当然、私たちよりも年上のお姉さんであって不思議なことじゃない……じゃ、なくて! 美雪(私服): っていうか魅音、生きてたのっ?化けて出てきたとか、そんなんじゃないよね?! 魅音(25歳): もちろんっ!幽霊じゃない証拠に、ちゃんと足があるよ!ほれほれっ! そう言って魅音(?)は、タイトなパンツに包まれた右の脚を高くあげてこれみよがしにぶらぶらと揺らしてみせる。 いや、脚があるかで幽霊の判断をするなんていつの時代の話だよ……なんてツッコミを言ってもいいのかわからず、私は口をつぐんだ。 菜央(私服(二部)): ……こういう状況でも冗談が出てくるあたり、本物の魅音さんね。詩音さんならやらないわ。 千雨: あぁ、こいつがあの詩音が言ってた双子の姉か……かなり感じが違うな。空気が読めないタイプか? そんな混乱状態の私とは裏腹に、菜央と千雨は背後で冷静に私見を述べている。……肝が太いんだね、キミたちって。 美雪(私服): な、なんでキミ、こんなところに来たの……? 魅音(25歳): こんなところにって……はぁっ!ずいぶんご挨拶だねぇ。せっかくわざわざ、助けに来てやったってのに……っと! 警備員たち: うぉがっ?! こちらに迫ってきた警備員2人を次々に投げ飛ばしながら、にかっ、と笑って魅音は流れるような動作でポケットに手を入れる。 魅音(25歳): ほらっ! そして、素早く振り抜かれた彼女の手からばらまかれて宙を舞う……紙片のようなもの。 夜の闇の中でもすぐに何かとわかった「それ」は、まさしく私たちにとって起死回生の……ッ! 美雪(私服): これ……『ロールカード』……?! 虚空でなんとか掴んだ「それ」は手の中に収まるや、淡く輝きはじめる。 そして振り返ると、菜央と千雨も私と同様に「カード」を掴んだのか……光に包まれた掌を唖然と見つめていた。 千雨: お、おい。これって……! 魅音(25歳): ……あんたたちの「カード」は今、もうお役御免になっているんだよね?だったら、それを使って! 美雪(私服): い、いやその前に……なんでキミが新しい「カード」を持ってるのさ……? 魅音(25歳): 詳しい説明はあと!今はとにかく、ここを全員で脱出するよ! そう言って魅音はさらに1枚、ポケットから「カード」を取り出して勢いよく頭上にかざす。 次の瞬間、「カード」は姿を変えて……一振りの日本刀が彼女の手の中に出現した。 魅音(25歳): よっ、と! どこか見覚えのある、鈍色に輝く業物。それを大きく一振りすると、周囲の人々が当たりもしないのにばたばたと倒れていく……?! 美雪(私服): っ……! ちゃんと説明してよね!千雨、行くよ!! 千雨: 待て! こっちは私と菜央ちゃんに任せて、美雪は夏美さんを運んで守るのに専念しろ!無理に戦おうとするな! 美雪(私服): っ……う、うん! 千雨に一喝されて、私はずり落ちかけた夏美さんの身体を抱え直す。……動転しすぎて、彼女のことを忘れていた。 千雨: 行くぞ、菜央ちゃん! 遅れるなよ! 菜央(私服(二部)): 任せて! 千雨は右、あたしは左で!たぁぁぁあぁぁっっ!! 魅音(25歳): 後詰めは私だ、とにかく走れ!さぁ、次にぶっ飛ばされたいやつは誰だい?おりゃぁぁああぁぁっっ!! 武器を手にした菜央と千雨……そして魅音によって、直線の活路が切り開かれる。 その中を、私は夏美さんを背負ったまま一気に駆け抜けた――。 先頭を走っていた千雨は正面扉の内鍵を開け、病院の入り口から勢いよく飛び出す。 ……冷房とは違う生ぬるい風が頬を撫で、途端に暑さと息苦しさがこみ上げてきた。 千雨: よし、外に出た……! 警備員: おぉおおぉおおおおおお!!! 千雨: って、なんだぁぁっ?! 植え込みから突然、行く手を遮るように影が飛び出してくる。予想外で一瞬反応が遅れたのか、千雨が珍しく叫び声をあげてそれを蹴り飛ばした。 しかも、その背後からはさらにわらわらと似たようなのが現れて……! 千雨: ちっ……こいつら、どこからわいてきやがったんだっ? 魅音(25歳): あっはっはっはっ!ここまでくると、ゾンビ映画みたいで笑えるねぇ! 菜央(私服(二部)): 笑ってる場合じゃないでしょ!頭のネジでも外れちゃったの?! 美雪(私服): いや、もう笑うしかないよ、この状況はさぁ! そう叫んだ直後、私の耳元でささやくような小さな声を感じる。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: み、美雪さん……っ! 美雪(私服): えっ……うおっ?! その悲鳴まじりの呟きを聞いた瞬間とっさに後ろへ飛ぶと、顔があったすれすれの空間を丸太のような隆々の腕が通り過ぎていった。 美雪(私服): っ……このぉ! 片手で「カード」を武器に変え、突きの動作で相手を吹き飛ばす。 警備員: ごあああああっ!! ……間一髪だった。夏美さんの声がなければ、攻撃をまともに食らっていただろう。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: っ、お願い……私のことはもういいから、あなたたちだけでも……逃げて……っ! 美雪(私服): バカ言わないでもらえます?!つーか、それができるんだったらとっくにやってるってぇのッ!! #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: み……美雪さん……っ。 菜央(私服(二部)): でも……どうするの? 近くにある町まで逃げるにしても、徒歩だとあっという間に追いつかれちゃうわ……! 千雨: ……こうなったら、停まってる車でも奪うか。ゴルフカートと操作が同じAT車なら、なんとかなるだろ。親父にキャディさせられた経験が生きそうでなによりだ。 美雪(私服): 車にキーをつけたままで停めてるお間抜けさんがどれだけいるんだろうね、この世の中にはさっ! 美雪(私服): っていうか、その前にここ公道! 無免許運転!キミってほんとに遵法意識ゼロだね?! 千雨: 法律を守ってたらこの状況が打開されるのかよ!つくづくおめでたいやつだな、お前はっ! 美雪(私服): 法律を破って状況が打開できる確証だってないでしょーがっ! カートと車は大違い!事故って全員で心中でもする気っ?! 菜央(私服(二部)): 仲良く喧嘩してる場合じゃないでしょ、凸凹フレンズっ! いい加減空気を読まないとまとめてブッコロがすわよ?! 魅音(25歳): あー……大丈夫。もうすぐだからさ。 そう言って、いつの間に追いついたのか魅音は懐から取り出したレトロな懐中時計をパチン、と閉じてみせる。 すると、それに応じるかのようにどこからか獣の#p咆哮#sほうこう#rめいたエンジン音が静かな山間に響いてきた。 美雪(私服): え、ちょ……うぉぉいっ?! いったい何の音かと尋ねるよりも早く、1台の車が猛獣のごとく猛々しい音を立てながら勢いよくロータリーに進入して……。 呆然と立ち尽くす私たちの目の前に、そいつはドリフトで滑り込んできた。 半ドア状態だったのか、停車の衝撃で鳥が羽を広げるように助手席側のドアが開かれる。 ……夏美さんとの再会に続き、魅音の登場。そしてドアの向こう、運転席でハンドルを握っていたその人は――。 巴: 時間通りね……みんな、早く乗って! 前の「世界」で力を貸してくれたものの、途中で重傷を負って面会謝絶状態が続いていた……警察広報センターの館長、南井巴さんだった。 美雪(私服): あ、あなた……南井さんっ?! 今後こそ完全に想定外の再会で固まる私たちに、暗がりの中で笑いかける南井さんの顔が見える。 巴: 初めまして、みんな。 美雪(私服): あっ……。 その言葉にふと、雛見沢へ迎えに来たお母さんが菜央に向けてかけた最初の一言を思い出す。 雪絵: 『……鳳谷菜央ちゃんね。初めまして』 美雪(私服): (お母さんは、菜央のことを知らなかった……いや、「覚えて」なかった) 以前の「世界」で出会った時の記憶が残っていないのだから、それも当然だろう。となると、彼女もやっぱり……。 巴: ……ふふっ。 と、南井さんはうつむく私の顔を下からのぞき込むようにして……いたずらっぽい笑みを浮かべながら、続けていった。 巴: ごめんなさい、冗談を言ってる場合じゃなかったわね。今の「初めまして」は、この「世界」ではって意味よ。 美雪(私服): えっ? じゃ、じゃあ……?! 巴: というわけで、久しぶりね……3人とも!元気してたかしら? 美雪(私服): あ……あぁっ……?! 巴: まぁ、細かい説明は後ほどってことで。とにかくここから脱出、みんな乗って! 美雪(私服): は……はいっ! 菜央(私服(二部)): 美雪、早く夏美さんと一緒に後ろへ! 千雨: 菜央ちゃんもそっちだ、早く乗れっ! 夏美さんを抱えながら後部座席に転がり込むと、続いて菜央と千雨が勢いよく乗ってくる。 魅音(25歳): んじゃ、またね~! そして場違いな捨て台詞を残し、助手席に座った魅音がドアを閉めると同時に南井さんが即座にアクセルを踏み込んだ。 美雪(私服): ぅあ……っと……っ? 狭い車内で体勢を変える隙間もない中、私はなんとか顔をあげる。 車の窓越しに見えた月は、汗だくの私たちとは対照的に冷え冷えと輝いていて……。 しばらくは汗が引きそうにないなと、上に乗った夏美さんと菜央の重みを感じながらぼんやりとそれを見つめていた……。 Part 03: ……誤解されがちだが、警察病院は一般の患者も受け入れている。つまり普通の病院とそこまで大差はない。 昨夜は玄関で引き返したロビーに踏み入れると、『眠り病』を警戒して緊張しているのではとの予想を裏切り……比較的穏やかな空気が流れていた。 美雪(私服): (ワクチンが開発されたせいかな……?) 安堵しつつ私たちは周囲を見渡して、待合室の片隅で缶コーヒーを飲んでいる2人組を見つけて駆け寄る。 千雨: ……おはようございます。 菜央(私服(二部)): おはようございま……ほぁ……。 魅音(25歳): おっはよー。昨夜家に帰したのは結構遅かったのに、早いね。 美雪(私服): 夏美さんの容態が気になってね……南井さんと魅音は、徹夜で付き添い? 巴: 交互に仮眠を取ったから、大丈夫よ。やっぱ交代要員がいるって大事ね~。 巴: あ、そうだ。さっき主治医の先生に会って許可を取ってきたから、あなたたちも一緒に夏美さんの病室へ行かない? 美雪(私服): 夏美さんと……会えるんですか? 巴: えぇ、医者が少しなら大丈夫だって。それじゃ、ついてきて。 長く伸びた病院の廊下を歩く中、あぁそうだ……と寝ぼけた頭で思い出す。 美雪(私服): ……あの、南井さん。 巴: なぁに? 美雪(私服): 昨夜、病院前で解散した後……家に連絡を入れてくれて、ありがとうございます。母がタクシーのお礼を伝えてほしいとのことでした。 巴: どういたしまして。といっても、あの時間に徒歩で返すわけにはいかないでしょ……っと、ここの病室よ。 そう答えながら南井さんは病室の前で足を止め、軽くドアを叩く。 巴: 夏美さん、私よ。入るわねー。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: …………。 それなりに広さのある病室の中。ぽつりと置かれたベッドの上で、上半身を起こした夏美さんが座っていた。 巴: おはよう、夏美さん。朝ご飯は食べた? 巴: 私はそこのファミレスで食べてきたんだけど、以前より入らなくってねー。やっぱ年かしら。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: …………。 うつろな瞳で真っ白なシーツを眺める彼女に南井さんは笑顔で語りかけながら、適当な丸椅子を手近に引き寄せて腰を下ろす。 私たちもそれに倣うべきか、と思ったがこの人数だとさすがに椅子が足りないのでみんな自然と壁の花に徹することにした。 美雪(私服): (まぁ、この場の進行は南井さんに任せた方がよさそうだしね) 再び静けさを取り戻した病室で、南井さんは呼吸を整えるように息をひとつ吐く。 ……そして穏やかな口調で、夏美さんに語りかけていった。 巴: ……診断結果を聞いてきたわ。主治医の先生の話だと、過労で当分の間は入院が必要だけど……身体のどこにも異常はないみたい。 巴: いくつか検査を受けてもらった後は、特に問題がなければすぐ退院できるそうよ。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: …………。 そう語る南井さんは、夏美さんの無事が心底嬉しいとばかりの笑顔を浮かべている。 美雪(私服): (南井さんと夏美さんは年の離れた友達みたいだって灯さんが言ってたけど……やっぱり、そんな感じだな) だけど、夏美さんの方は硬い表情で視線を合わせることなく、ぎゅっとシーツを両手で掴んで……口をつぐんだままだ。 そして、しばらくの沈黙が流れた後……ぽつりと彼女は、呟くように言った。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……どうして。 巴: ん……? #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: どうして……巴さんは、私なんかを助けてくれたんですか。 それは、どこか非難めいた……困惑を含んだ声だった。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 覚えているんですよね……?私は……あなたたちに協力するふりをして、動向を探って……裏切っていたんですよ……? #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 高野製薬に同行したのだって、巴さんが余計なものを知りすぎないように立ち回るのが、目的だった……のにっ……! 巴: ……そっか。あの時の記憶、残っていたのね。 巴: 正直、どこからがあなたとなりすました偽者の境目だったのかがわからなかったけど……高野製薬に来た時は、「あなた」だったんだ。 巴: よかった……それがわかって、ほっとしたわ。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: っ……覚えているのなら、どうして……?!地獄から私を救い出してくれたあなたの信頼を、私はずっと裏切り続けていたんですよ……っ? #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: どんなに謝っても、罰を受けても私は許されない罪を犯してしまったのに……どうして……なんでっ……?! 巴: ……。あなたのご主人の、藤堂暁さんだけど。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: …………! その名前が出た途端……夏美さんが息を飲む。 彼女がずっと知りたがっていた大事な情報……それを前にして、沈黙を保っていられるとはとても思えなかった。 巴: 暁さん……アメリカで個展を開いている最中に『眠り病』を発症して、危篤状態だったのね。 巴: 国をまたいでいたせいで、確認するのに時間がかかってしまったわ。……でも、なんでそれを早く言ってくれなかったの? #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……。危篤、じゃなかったからです。 そう言って夏美さんは、爪の先が真っ白になるほどさらに強くシーツを握りしめ……続けていった。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 彼は、一度……命を落としました。アメリカの病院で、高野製薬で開発された新薬を投与した数日後に、高熱を出して……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 向こうのお医者さんの話では……末期症状で、薬が効かなかった……手遅れだったって……! 美雪(私服): っ? それって、まさか……?! 黙って見守るつもりでいたけど、それを聞いた私はつい口を挟んでしまう。 すると、それを受けて夏美さんは……自虐的な笑みを口元に浮かべながら、私に顔を向けていった。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 美雪さんたちと、同じです……。私も、時間を繰り返してきたんです。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: それこそ何十回、何百回……正確な数はもう、覚えてないくらいに……。 虚ろに光を失った瞳で、夏美さんはそう呟く。それを見た南井さんが身を寄せ、彼女の手にそっと自分の手を重ねるのが見えた。 巴: ……その繰り返しとやらの詳細、教えてくれる? #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: …………。 巴: 辛いかもしれないけど、大事なことなの。たとえどんなことがあったとしても、絶対に疑ったりしないから……ね……? #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……。わかり、ました……。 南井さんに促されて、夏美さんは記憶を辿るようにゆっくりと話し始めた。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……初めて「世界」を越えたのは、精神病院に収容されていた頃です。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 当時の私は、美雪さんたちはもちろん……巴さんとも「まだ」知り合っていませんでした。 巴: ……「まだ」ね。いいわ、続けて。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: その「世界」では、ガス災害……『#p雛見沢#sひなみざわ#r大災害』の直後から『オヤシロさま』を恐れる出身者の異常行動……差別が各地で起きていました。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 私は、大災害前に遠方に引っ越していましたが『オヤシロさま』を恐れた祖母の奇行のせいでうちが雛見沢出身だって周囲にバレてしまって……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ノイローゼになった私は……自分の生活を守りたいという勝手な理由で、両親と祖母を……殺しました。 菜央(私服(二部)): ……っ……? 夏美さんの告白に、菜央は驚きに固まって……目を丸くしている。 美雪(私服): (まぁ、私も初めて聞いたら……驚いただろうな) だが、つい先日似たような話を聞いたばかりだ。幼い年齢にもかかわらず狂気の行動で家族を殺した、「畠山あおい」という少女のことを……。 だから私にとっては驚きよりも、あなたもそうだったのかという感情が上回っていた。 ……私と同様に、千雨と魅音がさほど驚いていないように見えるのは2人も類似の話を聞いたことがあるせいだろうか。 家族を殺したくなるほど追い詰められた犯人が、路傍の石のようにいくつも存在していた事実に胸をチリチリと焼くような苦しさを覚える。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: そして……家族を殺した私は、思いあまって暁くんまで殺しそうになりました……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: でも、なんとか思いとどまって……その後で色々と力になってくれたのが、赤坂さん。美雪さんの……お父さんです。 美雪(私服): えっと……私の、お父さんが? こくんと頷いた夏美さんに、私は動揺しながらもそれ以上は聞かないことにする。 それが、話の先を促す意図だと伝わったのか……彼女は再び、口を開いていった。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: その後のことは……正直、あまり覚えていません。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 覚えているのは、精神鑑定で不起訴になって親族の間でたらい回しに引き取られていった結果……あの精神病院に収容されたことです。 巴: あの……って、私たちが忍び込んだ病院? #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: そうです。そこで私は、「あの子」と……出会いました。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: いえ、出会ったというより……「彼女」は、突然病室に現れたんです。 美雪(私服): ……ひょっとしてそれ、西園寺雅って名前の女の子のこと? #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: っ……そうです、確かそんな名前でした。でも、どうして美雪さんがそのことを……? 千雨: この人のところにまで来てやがったってことか。西園寺雅ってのは、つくづく疫病神だな……。 巴: でも……夏美さんは、そんな怪しい女の子の言うことを信じてしまったのね。どうして? #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……最初は、死神が現れたのかと思いました。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: でも、彼女はやり直すことができる……その交換条件として、私に「世界」を変えるための手伝いをしてほしいと言ってきました。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: そして私は、彼女の甘い囁きに耳を傾けてしまった……っ……。 ひぐっ、と夏美さんの背中が震える。そして両目から涙を流しながら、懺悔するように言葉を紡いでいった。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 暁くんと、離れたくなかった……ずっと、ずっと一緒にいたかった……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: だから、いつもお見舞いに来る彼と話ができるのが嬉しかった……退院した後は、一緒に暮らすとまで言ってくれて……本当に、幸せで……ッ……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: でも、その結果……家族を殺した私の面倒を見るために親と喧嘩したり、交友関係を狭めたり、たくさんのチャンスを棒に振ったりして……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 暁くんの人生を、滅茶苦茶にしてしまった……彼は画家としての将来を嘱望されるくらいに、すごい才能があったのにっ! #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 世界中の人に評価されて、名誉も、財産も……やりたいことを自由にできるだけの力があって、そのために努力してきたのにッ!! #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 私が……彼の夢を、奪ってしまった……!そのことがどうしても認められなくて、自分のことが許せなくて……ッ……!! 巴: 夏美さん……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: でも……その暁くんの人生を、やり直せる。彼の夢だった画家としての幸せを実現して、そして……彼の隣に、私がいる。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: もしかしたら、そんな未来が手に入る……。私にとっては……全てを引き換えにしてもいいと思えるくらいに、とても魅力的な提案でした。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: だから、私は……「世界」を繰り返すことにしたんです。 菜央(私服(二部)): ……っ……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……何度繰り返したか、もう覚えていません。いえ、どんな内容だったのかも今となっては記憶自体があやふやで……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 両親や祖母を殺したり、殺さなかったり……時には母や父、他の誰かから殺されることもあったりしました。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: あまつさえ、暁くんのことも殺しかけて……いえ、もしかしたら彼を殺してしまった「世界」も覚えていないだけで……あったかも、しれません。 美雪(私服): …………。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: そして私は……数え切れないほどの繰り返しの後巴さんたちと知り合えた幸運もあって、ようやく最悪の運命を回避することができました。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 楽な道では、ありませんでした……でも、彼の側にいる権利を手に入れたんです。 巴: ……。なるほど、そういうことだったのね。 話を聞くうちに何かを得心したのか……南井さんは何度も頷き、夏美さんに顔を向けていった。 巴: ……思えば最初に出会った時、あなたはどういうわけか辛そうな表情をしていた。歳不相応な悩みを抱えている感じで、ね。 巴: それが私にとって、すごく印象的で……だからつい、気をかけるようになったのかもね。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……その頃から私は、巴さんのことを裏切っていたんだと思います。自分の願いを叶えるためにあなたの立場や力、優しさを利用したんですから。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: わかっています……よく、わかっているんです!私は今すぐ地獄に落ちて、一生たくさんの人たちに謝っても許されない大罪を犯してしまったんだと! #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: で、でも……私はっ……!暁くんを……私のために幸せを捨ててくれたあの人に少しでも恩返しがしたくて、それで……ッ! 巴: ……あははは。それはずいぶんと買いかぶった発言ね。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: えっ……? 巴: 見くびらないで、夏美さん。あなたを気に入ってなにかと構ったりしたのは、私自身の気持ちよ。誰かに操られてのものじゃない。 巴: それは、あなたのお友達だってそう。佐伯千紗登さんに、牧村珠子さん……それに赤坂刑事と、藤堂暁さん。 巴: みんな、どんなに苦しくて悲しくても必死に頑張り続けるあなたという人間のことを見て、関係を作りたいと考えたはずよ。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 巴さん……。 巴: それに誰かを利用する、されたってのは社会を生きる上で必須なことよ。何も恥ずかしくなんてない。 巴: まして、自分じゃなく……自分の大切な誰かの幸せを願って努力するなんて、何であれすごいことよ。十分に誇ってしかるべきじゃないかしら。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……。本当に、あなたは優しい人ですね。私にとっての誇りは、巴さん……あなたという方と出会えたことだと思います。 巴: ……ごめんね、話の腰を折ってしまったわ。続けてくれるかしら。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: はい。その後私は大学に入って、薬剤師の資格を取得するために薬学の道へ進みました。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: でも、学んでいるうちに自分と同じようにストレスやノイローゼに苦しむ人を助けてあげたいと思うようになって……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 当時のゼミの先輩からの誘いもあり、厚生省の職員になることを決めたんです。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: でも……でも、そんな時に……っ! 厚生省に入庁した流れに納得していると、目の前で夏美さんの背中が大きく跳ねる。 そして、息が乱れて苦しげになるのも構わず……思いを吐き出すように、言葉を繋いでいった。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 平成5年になってから、『眠り病』なんて知らない伝染病が突然現れて……世界規模で爆発的に蔓延して……! #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 結婚した暁くんはアメリカで発症して、意識不明からの重体に陥ったと連絡がありました……! #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: だから私は、厚生省のツテを利用して数少ない治療薬を入手し、手ずから持ち込んで彼に投与してもらったんです……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: でも……手遅れだったのか投与した直後、彼は血を吐いてそのまま、息を……っ!! 震えながらシーツを握りしめる夏美さんの痩せ細った指に、筋が浮きはじめる。 どこからか聞こえた、ビッ……と糸がちぎれる音が、彼女の心が壊れる音のようだった。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……彼の亡骸にすがりながら、私は絶望しました。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: あれだけ何度も「世界」を繰り返して、辛い記憶を抱えながら歯を食いしばって……血を吐くような思いで頑張ったのに。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……結局は、運命に負けてしまった。私にはもう、どうしようもできなかった……。 千雨: …………。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: そんな私の前に……再び「あの子」が現れました。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 以前の「あの子」は、私に自分の人生をやり直すことだけを求めてきました。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: でも……次に現れた彼女は、全ての原因が『雛見沢症候群』を撲滅したことにあると説き、私に手を貸すように求めてきたんです……。 美雪(私服): (撲滅したことが……原因?) 予想外の言葉に、私は思わず身を乗り出す。『雛見沢症候群』の蔓延が原因だというならともかく、それがなくなったせいだとは……どういうことだ? 美雪(私服): 手を貸せって……具体的にはなんですか?西園寺雅は、夏美さんに何をさせようとしたんです? #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: それは、……っ……うっ! #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: げほっ、げほげほっ、げほっ……かはっ、はっ、ごっ、がふっ、おっ、ごっ……! 私の問いかけに答えようとした夏美さんだったが、突然咳き込みながら……身体を丸める。 そして苦しげな表情でうずくまり、荒い息をさらに乱れさせてぜいぜい、と喘ぎだした。 美雪(私服): な、夏美さん……?! 巴: ……ちょっと失礼するわね。 それを見た南井さんは、彼女の体勢を素早く整え仰向けに寝かせると……額に手を当てる。 巴: ……熱が出てきたみたいね。喋りすぎて疲れたのかも。続きは体力が回復してからね。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: で、でも……げほっ……。 巴: 意識がもうろうとしながらの証言は、逆に信憑性に欠けるわ。……無理しないで。 巴: 大丈夫、死に際じゃないんだもの。元気になってからで十分よ。 優しく語りかけながら、ぽんぽんと腹の上を叩く南井さんの仕草は私が病気をした時のお母さんみたいで。 菜央(私服(二部)): ……いったん、出直しましょうか。 千雨: だな。無理をさせたら悪化させそうだ。 魅音(25歳): とりあえず、外に出よっか。 私たちは頷き合って、そろそろと病室を出て行きかける。 それに気づかないほどに、疲れ切っていたのか……南井さんに懇願するように話しかける夏美さんの声が私の耳にも届いてきた。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: っ……お願いです、巴さん……!私はもう、どうなってもいい……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: だけど、暁くんだけは……あの人だけは……どうか……っ! 巴: 残念だけど……そのお願いは聞けないわ。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……っ……! 巴: だって、あなたも一緒に助からないと意味がないじゃない。 巴: 私は、暁さんのことを詳しく知らない……。だけど……それでもどれだけあなたのことを、大切に思っているかについては知っているつもり。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: えっ……? 巴: 少なくとも、自分は助かったけど……夏美さんは助かりませんでした、って状況を絶対喜ばないことぐらいはね。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ど、どうしてですか……?巴さんと暁くんは、結婚の前に挨拶をした時くらいしか直接の接点がなかったはずなのに……。 巴: 旦那さんの絵が展示されるっていう美術展のチケットをくれたこと……覚えていない?あなたを描いた肖像画を、見に行ったの。 巴: 絵の善し悪しなんてわからない私でも、あれを見るだけであなたのことを本当に心から大事に思っているってこと……伝わってきたわ。 巴: 大丈夫!あなたたち夫婦をまとめて助けるつもりだから。今はとにかく、休みなさい……ね? #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: っ……は、いっ……! 巴: ほら、寝なさい。私も出るから……、っ? 椅子から腰をあげかけた、南井さんの動きが止まる……その手を夏美さんに握られたからだ。 シーツを引き裂かんばかりの力はとうに消え失せ、すがるような弱々しさで手を掴まれた南井さんに、夏美さんは震える顔を向けていた。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: もう少し……もう少しだけ、ここにいてくれませんか?今眠ったら、また悪い夢を見そうで……。 巴: ……わかったわ。寝るまでいるから、とりあえず目を閉じなさい。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: はい……。 疲れた顔にようやく笑顔を浮かべる夏美さんを横目に、そっと扉から外に出ながら……思う。 美雪(私服): (……夏美さんは、ずっと自分に言い聞かせてたんだろうな) 夫を救う……このままでは戻れない。 そして願いを叶えなければ、今まで積み重ねてきたこと……裏切った事実が意味のなかったことになってしまう――。 そうやって自分を奮い立たせながら、彼女は戦い続けていたに違いない。そして必死に進み、何度も立ち上がって……でも。 美雪(私服): (……ずっと、苦しかったんだな) 部屋を出る直前。わずかに見えた夏美さんが眠りに落ちる姿は……まるで泣き疲れた子どもの寝顔のようだった。 Part 04: 千雨: ……にしても夏美さんが、美雪の親父さんに二度も助けられたなんてな。 美雪(私服): あぁ、うん。それは私も、ちょっと驚いた。だから夏美さんは、あれだけ親身になって私たちの力になろうとしてくれてたんだね。 #p雛見沢#sひなみざわ#rを訪れた際に襲われたせいもあり、夏美さんが優しくしてくれたことには何らかの裏があるのでは、と疑いを持ちかけたけど……。 それは、純粋に彼女の真心によるものだったのだとわかったので……私は安堵と同時に、誰に対しても疑り深くなっていた自分の至らなさを恥ずかしく感じた。 美雪(私服): (いつか、機会を見つけてちゃんと謝らないとね……) そんな反省を内心に秘めながら、病室から出た私は菜央たちとともに廊下にある椅子に並んで腰掛ける。 そして、一息ついたところで……菜央がちらりと魅音の方をうかがい見てから、棚上げにしていた疑問をぶつけていった。 菜央(私服(二部)): ……あの、魅音さん。あなたは、どうやって雛見沢を生き残ったの? 美雪(私服): おぅ、それそれ。私も、キミに聞きたいって思ってたんだ。 魅音(25歳): あー……それを説明する前に、ひとつだけ確認させてもらってもいい? 美雪(私服): 確認って……何を? 魅音(25歳): 美雪たちは、10年前の#p綿流#sわたなが#rしの夜……私の格好をした詩音と会ったよね? 美雪(私服): うん。会ったというか……色々と力を借りたりしてたよ。 美雪(私服): 千雨と一緒に、聖ルチーア学園の外で再会して……それからずっと#p興宮#sおきのみや#rの宿に匿ってもらってた。 魅音(25歳): ……。私と入れ替わってた理由は、聞いた? 千雨: あー……魅音本人が何かをやらかした、とか、詩音のままだと本来ここにいてはいけないやつがいることになるから……。 千雨: とかなんとか言って、あんたの了解を得た上で替わってもらってるって話だったと思うぞ。 魅音(25歳): そっか……なるほど。一応あの子も、ちゃんとあんたたちのために動いていたんだね。 千雨: で……あんたは綿流しの夜、どこにいたんだ?無事だったってことは、おそらく雛見沢の外にいたと考えるべきだろうけどな。 魅音(25歳): いや……私は、雛見沢だよ。園崎家の地下室に閉じ込められていたんだ。 美雪(私服): へっ……地下室って、どういうこと? 魅音(25歳): 綿流しが行われる何日か前だったかな……突然現れた詩音に理由も説明もなくずどん、ってスタンガンで気絶させられてさ。 魅音(25歳): それからずっと……地下室に監禁。だから入れ替わったのが何日からなのか、正確には覚えちゃいないんだ。 美雪(私服): なっ……?! 呆気にとられて声も出ない私の横で、それを聞いた千雨が鋭く舌打ちする。 そして苛立たしげに髪をかきむしりながら、吐き捨てるように言葉を繋いでいった。 千雨: ……やっぱりな。なんか嘘をついてやがると思ってたが、そこまで仕組んでたってわけか。 菜央(私服(二部)): ……入れ替わったのは、どのタイミング?あたしと前原さん、梨花と一緒に話したのはどっちなの? 魅音(25歳): 菜央ちゃんたちと話したのは、私だよ。富竹さんに話をするって決まった直後に入れ替わったから……。 魅音(25歳): それから後は、全部詩音ってことになるね。 菜央(私服(二部)): ……梨花と前原さんは、魅音さんたちの入れ替わりに気づいてたのかしら? 美雪(私服): おそらくだけど……気づいていないと思うよ。詩音本人も、そう言っていたしね。 菜央(私服(二部)): そうね……梨花はともかく、前原さんが気づいてたなら絶対顔に出てたでしょうね。あの人、嘘つくのが苦手そうだもの。 菜央の言葉にそうか、なるほどと頷きかけて……私は違和感に首をかしげる。 魅音が閉じ込められていたというのが事実として……その後彼女は、どうやってそこから脱出したのだろうか? 美雪(私服): えっと、魅音……もし、詩音が本気でキミを閉じ込めてたら、絶対ひとりでは逃げられるようにしないはずだよね。 美雪(私服): だとしたらキミは、誰かの力を借りて脱出したの?それとも……。 魅音(25歳): …………。 私の問いに、魅音は手元に視線を落とす。そしてぽつりと、呟くように答えていった。 魅音(25歳): ……詩音だよ。 美雪(私服): えっ……? 魅音(25歳): 詩音の助けで、外に出ることができた。……というより、決まった時間になったら牢から出られるようにしてあったんだ。 魅音(白装束): …………。 ……時間の感覚が薄れてきた。昼も夜も、もうわからない。 この屋敷の地下室に閉じ込められてからも、一宇王詩音は定期的に食事を差し入れしてくる。 そのタイミングで辛うじて、私は時間の経過だけ知覚することができていた。 魅音(白装束): っ……はぁ……。 格子に手をかけて揺らしてみても、びくともしない。頑丈な造りをしているものだと腹立たしくなる。 とりあえず、体力を温存しておこうと可能な限り眠るようにしていたが……音が聞こえたら、すぐに目は覚める。 なぜならこの地下室で、自分以外でなければそれはイコール詩音が立てた音だからだ。 だから……。 まさか、けたたましく鳴り響く電子音に目を覚ますことになるなんて、私は全く予想していなかった。 魅音(白装束): っ、なに……何なの?! 詩音の来訪がふっつりと途絶えて、昼と夜の感覚が失われ始めた頃……大音量で放たれた人工音に、私は跳ね起きた。 そして、何事かと格子にしがみついて音が鳴り響く方角に目を向ける。 薄暗い空間では、どこが音源かも定かではない。……ただ、この音は聞き覚えがある。台所に置いていたキッチンタイマーの音だ。 魅音(白装束): なんでキッチンタイマーが、こんなところに……? とはいえ、騒音の元凶がどこにあるのかわからず……いや、わかったとしても閉じ込められた現状では止めることもできず、耳障りな響きに顔をしかめる。 あのタイマーは安物だけあって、ストップを押すか電池が切れるまで音が止むことはない。 魅音(白装束): (……新手の嫌がらせ?そういえば、音を使った拷問があるとか何かで見たことがあったっけ……) とにかく、密閉された地下で延々と反響するアラーム音は心を削られるような錯覚に陥る。 仕方なく、物理的に耳を塞いでしまおうかと敷いてあった布団に手を伸ばそうとして――。 魅音(白装束): えっ……? 鳴り続けるアラームの中、何かが落ちるような別の音を近くに感じた私は視線を落として目を懲らす。 ……地面の上には、南京錠が転がっていた。 魅音(白装束): っ、これって……? さっきまでは、こんなものはなかった。つまり、どこからか落ちてきたのだ。 魅音(白装束): (まさか、扉の部分から?でも牢の鍵って、もっと大きいやつだったはず……) ではなぜ、こんなところに南京錠が落ちているのか。 おそるおそる私は、出入口の扉を押す。……すると、軋んだ音を立てながら固く閉ざされていた扉がゆっくりと動き始めた。 魅音(白装束): ――……。 鳴り響くアラームにつられて、胸の内で響く心臓の音が……大きくなる。 ひとまず、罠かもしれないと枕を掴んで前へ突き出し……そして警戒心を全開にしながら、扉の隙間から外へと一歩踏み出した。 魅音(白装束): (……出られた?) あまりにもあっさりと外へ出たことに困惑する中、鼻先をかすめる焦げ臭さ。 辿った臭いの元は……アラームの音源に近い場所……いや、同じところにあった。 魅音(白装束): ……これは……? 落ちていたのは、キッチンタイマーとワイヤー……いや、これはワイヤーではなく……溶接用のハンダか。 魅音(白装束): (……錠をはめきらずにハンダで固定して、キッチンタイマーで電気が流れるとハンダが電気で溶けて……鍵が空く仕掛け?) キッチンタイマーの音を止め、私は落ちているものから起きた状況を推測する。 ぱっと見ただけでは、仕掛けの詳細は理解できない。……だが、南京錠に変えられた理由は見えた。通常の錠だと、ハンダで固定するには重すぎたのだ。 魅音(白装束): これを仕込んだのは、詩音……?あいつ、いったい何を考えて……?! 妙に手の込んだタイマー式のドア解錠セットから顔をあげ、私は冷たい地面を裸足で蹴り上げて進む。 自分の家の地下だ。明かりがなくともなんとなくどこをどう通ればいいかはある程度手探りでもわかった。 魅音(白装束): ……あった、梯子! 梯子に飛びつき、駆けあがるようにして登った私は外へと繋がる扉を開け放ち……。 魅音(白装束): ……うぁっ……?! 眼球を刺すような鋭い光に、くらりと頭が揺らぐ。 太陽の位置から考えて早朝のようだが、数日の間暗闇に捕らわれていた目にはあまりにも眩しすぎた。 ズキズキと痛む頭を抑え、痙攣するまぶたをなんとか持ち上げて――。 魅音(白装束): は……? ――庭のあちこちに、血だらけの死体が無数に転がっていることに気づいた。 その倒れた顔にはどれもが見覚えがある。出入りしている組の人間。お手伝いさん。そして……。 魅音(白装束): か、母さん……? 母さん?! 血に塗れた母親の身体を揺さぶるも、濁って光を失った目は……もはや取り返しがつかないことを意味していた。 魅音(白装束): な、なんでみんな、死んで……ねぇ、何があったの?!ねぇ?! なんでこんなことになっているのさ?! 混乱のままに叫んだ声に応えるように、雨戸が飽きっぱなしになった屋敷の方からかすかに物音が聞こえた気がして……勢いよく振り返る。 魅音(白装束): ……誰か、誰かいるの?! 返事を待つよりも早く、土にまみれた足で縁側から屋敷の中へ飛び込んだ。 魅音(白装束): 誰か、誰か……!! ただの物音かもしれない。誰も生きていないかもしれない。 恐怖と絶望に震えながらも、わずかな希望を捨てられず……私は泣きたい思いで屋敷を駆けずり回る。 魅音(白装束): し……詩音っ?! そして、奥座敷で見つけた人影に……私は息をのみ、慌てて駆け寄った。 詩音(魅音変装私服2流血): ……。時間通り、ですか。 身につけた私の服を真っ赤な血に染め、壁際に背を預けていた詩音は名前を呼ぶと……閉じていた目をかすかに開いて、……笑った。 詩音(魅音変装私服2流血): お姉はすぐ出てくると思いましたよ……。くすくす……言われた通り、戻って来てよかったです。 魅音(白装束): な、何が……? い、いや!とにかく、今すぐ診療所に連れて行くから!少しだけ我慢し……?! とっさに身体を担ぎ上げようと伸ばした手は軽く払いのけられ……血に濡れた反対の手が突き出される。 魅音(白装束): え……? そこに握られていたのは、鞘に収められたままの……一振りの日本刀。 大きく胸を上下させて荒い息を吐き出す詩音は、ためらう私の胸にぐっと刀を突き出してきた。 詩音(魅音変装私服2流血): 園崎家の秘宝、『玉弾き』……あんたなら、名前くらい知っていますよね? 詩音(魅音変装私服2流血): こいつを持って……この村から逃げて、ください……。 魅音(白装束): に、逃げるって……どうしてっ?ここでいったい、何が起きたんだよ?! 魅音(白装束): まさかあんた、私を地下牢に閉じ込めたのはこうなることを知っていて……?! 詩音(魅音変装私服2流血): …………。 詩音は刀を突き出したまま、悲しげに口元をほころばせる。 そして、私の顔を見つめながら……言葉を絞り出すように、必死に紡いでいった。 詩音(魅音変装私服2流血): 色々と……酷い目に遭わせてしまって、すみません……。どんなに謝っても、許されることじゃありませんね……。 詩音(魅音変装私服2流血): だけど……あんたを生かすため……私なりに、必死に考えた結果なんです……。 詩音(魅音変装私服2流血): でも……圭ちゃんに、言われて……。 詩音(魅音変装私服2流血): お姉は、自由になったら……逃げるよりも、私たちを……探しに飛び出してくる……から。 詩音(魅音変装私服2流血): 直接、逃げろって……伝えてやらないと、ダメだって……。 詩音(魅音変装私服2流血): やっぱり……圭ちゃんの、言う通りでした。戻って来て、……よかった……。 魅音(白装束): 圭ちゃん……?ねぇ、圭ちゃんたちはどうしたの?! 詩音(魅音変装私服2流血): たぶん……ダメだと思います。怪我した上に、梨花ちゃまを抱えていて……それにあっちの方が、追っ手が多かった。 詩音(魅音変装私服2流血): くす……でも、私を逃がしてくれた圭ちゃん、格好よかったですよ……。 詩音(魅音変装私服2流血): 本当にちょっとだけ、ですけど……きゅんって、しちゃいました……。 詩音(魅音変装私服2流血): お姉があそこにいたら、惚れちゃってましたね……げほっ! がほっ、げほごげほっ!! がふっ!! 魅音(白装束): 詩音……?! 咳とともに血を吐き出し、崩れ落ちかけた詩音の身体を支える。 全身血塗れで、わからなかったけど……腹部からの出血が、特に酷い。おそらく内臓が傷ついているのだろう。 魅音(白装束): い……いったい、どういうことっ?怪我って、誰にやられたの?追っ手ってどういうやつらが?! 魅音(白装束): そもそも、なんであんたも庭の他のみんなも……こんなボロボロの血だらけになっているのさ?! 詩音(魅音変装私服2流血): ……『オヤシロさまの#p祟#sたた#rり』……。 魅音(白装束): ……っ……?! 詩音(魅音変装私服2流血): この村の人間を全員狂気に駆り立てて、殺し合いをさせた結果ってやつです……。それを起こした人間が、いる……。 魅音(白装束): 『オヤシロさまの祟り』……?いったい誰が、こんな惨いことを?! 詩音(魅音変装私服2流血): ようやく……ようやくです。やっと私、……本名を突き止めて、忘れずにいられましたよ……。 詩音(魅音変装私服2流血): 西園寺雅……そいつが、公由家の連中をたきつけて……この「世界」を、自分の思うように変えようと……げほっ、がほっうえっおっ……!! 魅音(白装束): なっ……し、詩音っ? 詩音の吐き出した血で、私は真っ赤に染まっていく。でも反対に血を失った詩音の肌は真っ白に染まって……?! 魅音(白装束): しっかりして、詩音!話はこの傷を治した後で、ゆっくり聞くからっ! 詩音(魅音変装私服2流血): ……もう助かりませんよ、私は。自分の身体のことは、自分が理解しています……。 詩音(魅音変装私服2流血): でもね……むしろ、これでいいんです。 詩音(魅音変装私服2流血): 悟史くんと、もう一度会いたくて……彼と一緒に、未来を歩みたくて……。 詩音(魅音変装私服2流血): そんな奇跡を手に入れるために、私は……とんでもない過ちを犯してしまった。 詩音(魅音変装私服2流血): だから、それに見合うだけの罰を受けた……そういうことですよ……。 魅音(白装束): 違う……違うよ、詩音!なんで今、悟史の名前が出て来たのかも正直よくわかんないけど……。 魅音(白装束): あんたは、悟史のことが好きだっただけでしょ?! 魅音(白装束): ただ好きな人に会いたいなんて、そんなの普通じゃん!全然! ちっとも! おかしくなんてないッッ!! 魅音(白装束): それが、間違いだなんて……望んだら罰を受けるなんて、あってたまるかッ!! 魅音(白装束): あんたは間違っていない!もし間違っているなんて言うやつは、私がぶっ殺してやる!! そう叫びながら私は、詩音の肩を掴んで揺さぶる。 この子が再びまぶたを閉じたら、もう二度と開かないのでは……と恐怖に駆られ、うるさいほどに怒鳴りつけて……。 ……だけどそんな私に、詩音は笑っていった。 詩音(魅音変装私服2流血): ……ほんとに甘ちゃんですね、魅音は。その程度のために、私が何をしたのか知らないくせに……。 魅音(白装束): じゃあ、教えてよ! 全部聞くから!酷いことをしたってんなら、謝りに行こうよ! 魅音(白装束): 私も一緒に、頭を下げるから!謝っても許してくれないかもしれない……けどっ!でも、それでも……!! 魅音(白装束): だからっ、目を閉じないで……!寝ないで、ダメだって詩音っ!お願いだから、諦めないで……お願いだからぁぁ!! 詩音(魅音変装私服2流血): …………。 詩音(魅音変装私服2流血): ねぇ、魅音……あんたに、詩音の名前……あげる。 魅音(白装束): え……? 詩音(魅音変装私服2流血): 使えるなら、好きに使って……そして、10年後の6月まで……生きて……。 詩音(魅音変装私服2流血): 何もかも忘れて、楽しく生きてもいい……惨めで、みっともなくて、死にたくなっても…… 詩音(魅音変装私服2流血): 10年後の6月まで……なんとか、生き延びて……。 そう言って詩音は、刀を握っているのと反対の手を伸ばし……ひたり、と私の頬を撫でた。 ……冷たい指先が、燃えるように熱い肌の上を滑る。 詩音(魅音変装私服2流血): いい? わかった……? 魅音(白装束): わ、わかんない……わかんないよ!なにそれ……名前なんて、受け取れないよ! 魅音(白装束): だってそんなことをしたら、あんたの名前はどうなるんだよ?! 魅音(白装束): 名前を私に両方あげちゃったら、あんたは名前がなくなっちゃうでしょ?!そうなったらあんたは、もう二度と……!! 詩音(魅音変装私服2流血): ……それで、いい。いいんですよ……。 魅音(白装束): よくない……そんなの、よくないよ! 魅音(白装束): だから目を開けてよ! ちゃんと立ってよ! 魅音(白装束): ふたりで逃げようよ! 魅音と詩音で生きようよ! 詩音(魅音変装私服2流血): ――……。 それを聞いた詩音は、苦しそうに顔を歪めて。嬉しそうに笑って……涙をこぼして……。 晴れやかな表情で、最後の力を振り絞るように……言った。 詩音(魅音変装私服2流血): やっぱり、私……生まれ変わっても、双子がいいです……。 詩音(魅音変装私服2流血): お姉と、一緒……に……また……生まれてくる、か……ら。 詩音(魅音変装私服2流血): その時、名前……返して、もらう……の、で……。少しだけ……あず、かって……。 詩音の指先が、私の頬を撫でて……唇をかすめ……。 あごをつたった次の瞬間……ぱたん、と畳の上に落ちる。 ……まぶたは、落ちなかった。私が懇願したから、目を閉じなかった。 でも……開いたままの瞳は、開いただけの空虚で……何も、映らなくて……。 魅音(白装束): ……詩音? ねぇ、嘘でしょ……? 最後まで開かれた詩音の瞳の中に、それまで辛うじてこらえていた涙が……落ちる。 でも、私の涙がどれほど落ちても詩音の瞳は揺れることすらなくて……。 魅音(白装束): 起きなよ、詩音……起きてよ、起きてよぉ……。 魅音(白装束): 詩音、詩音……!ねぇ、死なないで……っ、うっ……。 魅音(白装束): ううっ、うううぅぅああああああっっ!!! 泣きじゃくりながら、詩音の身体にすがりつく。 まだ温かくて……でも、少しずつ温度が抜け落ちていって。 どれだけ強く抱きしめても……血が溢れるだけで。私の熱を分け与えたくても、すぐに抜け落ちていく。 魅音(白装束): わああああぁぁあああぁあああああぁあああぁあ!!! 詩音が起きることは……もう無い。 その事実を拒絶するように、私は他に誰もいない屋敷の中で叫び続けた……。 Part 05: 魅音(25歳): ……私が地下室から出た直後の顛末は、こんな感じだよ。 すんっ、と魅音が鼻を鳴らしながら首元に結んだりボンの先を弄る。 詩音の今際の姿はいまだ鮮明に思い出せるのか、語りながら目尻には薄く……涙が浮かんでいた。 魅音(25歳): で……私は自衛隊だのが駆けつけてくる前に#p雛見沢#sひなみざわ#rを脱出して、関東圏の親戚のところに駆け込んだんだ。 美雪(私服): そっか……で、今に至る……と。 魅音の話を聞く限り、色々とわかったことがある。 美雪(私服): (詩音は、自分が知らない「私」がやらかしたことだって言ってたけど……それは嘘だったんだ) 美雪(私服): (やっぱり、覚えてたんだね……自分の犯してしまった、「罪」のことを……) おそらく「知らない」と言い張ったのは、私たちに協力を得るための嘘だったのだろう。 でも、詩音は嘘を用いて自らの罪を償うために命を落とした……そして、魅音を守った。 その事実がある以上、さすがに糾弾する気にはなれない。ただ、安らかに眠っていてほしいと願うばかりだ。 美雪(私服): あ、けど……魅音の実家って暴力団の本家だったはずだよね。それなのに、よく現役警察官の南井さんと手を組めたね? 私の問いに、隣から「えっ」と驚いた声があがる。顔を向けると、菜央が意外そうに目を丸くしていた。 菜央(私服(二部)): ……美雪、あんた知ってたの?警官の娘なのに普通に魅音さんと仲良くしてたから、あたしはてっきり知らないとばかり……。 美雪(私服): んー……少しだけど雛見沢のことを下調べして行ったから、それくらいはね。 美雪(私服): でも……子どもに親の仕事をどうこうなんてできないでしょ? 美雪(私服): それに魅音は、私が殉職警官の娘って言っても全然態度が変わらなかったからさ。じゃあ私の方も、気にしなくていいかなって。 魅音(25歳): あー、なんかそんな話をしたような……? 美雪(私服): 最初に会った「世界」の話だから、結構前だよね。あの時は菜央もまだ来てなかったし。 菜央(私服(二部)): そう……だったんだ……。 千雨: …………。 頷きながら少しずつ垂れ下がる菜央の頭。その向こうから、千雨が無言で目配せを送ってくる。 涼やかな視線に「大丈夫だったのか?」と無言で問いかけられた私は、視線を泳がせながら肩をすくめて応えた。 美雪(私服): (いや、まぁ一応は……) もっと反応があるかと思っていたのだけど、あっさり流されたので拍子抜けしたくらいだ。 いや、流されたどころか「父親が死んだことを無理に明かさなくてもいい」と、全員からやんわりと諭されたことを覚えている。 美雪(私服): (まぁ、お父さんが死んだのを明かしたのは赤坂姓の警察官が死んだって言ったら、梨花ちゃんがどう反応するのか見たかったってのもあるけど……) 梨花ちゃんは、特に反応を見せなかったが……もしかしたら知らない振りをしていたのだろうか?それとも……。 なんて考えを深めようとした直後、目の前の病室の扉が開かれて南井さんが現れた。 巴: ……あれっ、真剣に話し中?私、外していた方がいいかしら? 魅音(25歳): いや、むしろ南井さんに証言してほしいこともあるので……一緒に聞いてください。 千雨: 証言……? 訝しむ千雨に、魅音はいやぁと頭をかく。そしてばつが悪いと言いたげに、苦笑していった。 魅音(25歳): 実はさ……園崎組って今は、ほぼ解散状態なんだよね。 美雪(私服): へっ……そうなの? 魅音(25歳): 東京の親戚に駆け込んだ、って行ったでしょ?その間に外の病院で検査入院していた婆っちゃが雛見沢の惨状を聞いて、ぽっくり逝っちゃってさ。 魅音(25歳): 最初は私も、推定で死亡扱いになっていたから……全員が死んだと思っちゃったみたいで、心労で。 美雪(私服): え、え……? そ、そうだ手帳! 慌てて自分の赤い手帳を取り出して犠牲者リストを開くと、横から覗き込んできた菜央が声をあげた。 菜央(私服(二部)): ……魅音さんの名前、ここにあるわよ? 魅音(25歳): たぶん、そのリストって最初の頃のやつじゃないかな。私、公的にはしばらく行方不明扱いだったから……調べた限り、訂正が入ったのは私だけのようだけど。 千雨: 行方不明で、推定死亡状態だったってことか……生きてること、すぐに言い出さなかったのはなぜだ? 魅音(25歳): ……ちょっと事情があったんだよ。 魅音は困ったように視線を泳がせる。 魅音(25歳): うちの分家筋に、三船って男がいてね。雛見沢壊滅と婆っちゃが死んだ直後……村の外にいたうちの父親が事故死したんだ。 魅音(25歳): それに乗じて組を乗っ取ろうとしたけど……まずいのが後ろについたんだ。 菜央(私服(二部)): まずいの……って、何が? 魅音(25歳): 関西を根城にしていた、外資系組織だよ。新興だけど本国との繋がりと資金力だけはなかなからしくてね。 魅音(25歳): ……園崎組って規模はともかくとして、地盤だけは強固だったから。 千雨: 地盤欲しさと、力欲しさが手を組んだってわけか。 魅音(25歳): そういうこと。後からわかったけど、かなり前から水面下で手を組んで機をうかがっていたみたいだね。……親父の事故も、仕掛けられたものだと思う。 美雪(私服): (父親の事故死に違和感を覚えた誰かが、魅音の生存をしばらく隠した……ってこと?) だとしたら、しばらく言い出せなかった理由もわかる気がする。……そんな納得感を持つ私に、魅音は淡々と続けていった。 魅音(25歳): それで、園崎の次期頭首の私が実は生きていたって話が親戚連中に知られた段階で……殺しに来た。 だろうな、と千雨が嘆息を吐き出す。 千雨: そりゃ、正統後継者が実は生きてました、となったら取り込むか……殺すしかないだろうよ。 魅音(25歳): まぁ、向こうは最初から殺す一択だったからね。支持してくれていた葛西や親戚も次々やられて……私自身は庇われて逃げ回るのが精一杯だった。 美雪(私服): そっか……。 苦労したんだね、とねぎらいの言葉をかけようとして。 美雪(私服): (あれ……?) 美雪(私服): ……いや、待って。じゃあ聖ルチーア学園で詩音を襲ってたやつらって園崎組の連中だって言ってたけど、実際は……。 魅音(25歳): おそらく、園崎は園崎でも……三船の部下だと思う。当時の詩音は、私が命令したと思ってたみたいだけど。 菜央(私服(二部)): で……その三船ってやつは、なんで詩音さんを狙ったの? 魅音(25歳): あくまで想像だけど……取り込んだ詩音を園崎の頭首に据え置いて、傀儡にでもするつもりだったんじゃないかな……私を排除してね。 魅音(25歳): ルチーアは外部からの攻撃には強いらしいから、そう簡単には手を出せなかったみたいだけどさ。 美雪(私服): ……っ……。 淡々とした魅音の説明を聞きながら……背筋に冷たい汗が流れ落ちる。 美雪(私服): (あの時、もし詩音が連れて行かれていたら……) 魅音の話を聞いて、少し思っていたことがある。 私と千雨があの夜、詩音を助けたことが……結果的に彼女を死なせてしまったかもしれないと。 でも……今の魅音の話を聞く限り仮に捕まった詩音が今この日まで生き残ったとしても幸福な人生を過ごしている……とは、思えなかった。 魅音(25歳): ただ……3……いや、4年前かな?外資系の方に大規模なガサ入れがあって、あっという間に崩壊しちゃってね。 魅音(25歳): やつらの支援で園崎組内に台頭しかけていた三船は、芋づる式であれこれ検挙されて……しょっ引かれた。 巴: ……というわけで、解散届は出していないけど実質的に暴力団としては壊滅状態、というのが警察の見解よ。 魅音(25歳): で……継ぐ組も無くなった私はようやく自由になって雛見沢のことを調べて……その際に南井さんと知り合ったってわけ。 魅音(25歳): あと……『玉弾き』は大っぴらに持ち歩くことができないから、別所で保管しているんだけどさ。 魅音(25歳): なんかこの「カード」を使うと『玉弾き』によく似た武器になるんだよ!いやぁ、最初はびっくりしたね~! そう笑いながら魅音は、取り出した『ロールカード』をひらひらとかざしてみせた。 美雪(私服): と……とりあえず魅音が生き残った経緯はわかったよ。 想像以上に壮絶な10年の話にやや面食ったが、なんとか心を水平に保つ。そしてひとつひとつ不明点を片付けるべく、質問を整理していった。 美雪(私服): で、そもそもの質問になるけど……魅音。キミはその「カード」を、どうやって手に入れたの? 美雪(私服): いつの間にか所持してた……って前の雛見沢では言ってたけど、それも同じように気がついたらってこと? 魅音(25歳): いや……こいつはそこにいる、南井さんからもらったんだよ。 そう言って魅音は、手のひらで弄んでいたカードの先を南井さんに向けた。 魅音(25歳): 警察で管理している、謎だらけの「カード」を無断で持ち出したらしくてさ。……なかなか大胆だよね、この人って。 菜央(私服(二部)): 南井さんが……なんでそんな危ない橋を? 警察で保管されてたものを無断で持ち出す。……明らかに職務権限を越えた行為であり、懲罰はおろか犯罪とされても不思議ではない。 にもかかわらず、あからさまに危ない橋を渡る理由が……全く想像できなかった。 巴: あなたたちが今持っている「カード」は、雛見沢出身者が起こした怪死事件の現場検証を行った際に発見されたものよ。 巴: ……といっても私を含めたみんなは最初、何かのおもちゃだと思っていたわ。 巴: でも、なぜか同じような事件の現場で必ず数枚が落ちていることに気づいた捜査員がいた……。 巴: そして、その正体や出本を調べようとして……殺された。 美雪(私服): ……。その捜査員って、誰ですか? 当然の問いに南井さんは軽く目を伏せ、再びまぶたを持ちあげて……言った。 巴: ……黒沢進。そこにいる黒沢千雨さんのお父さんよ。 千雨: なっ……?! 想定外の事実に言葉を失う私たちに、南井さんはどこか申し訳なさそうに続ける。 巴: ただ……「以前」の私は「カード」に不可思議な力が秘められているって知らなかった。もちろん、他の警察の関係者もね。 巴: ……でも、私はその知識を得た上でこの「世界」に戻ってきた。 巴: 夏美さんやあなたたちが言っていた、「繰り返し」ってやつね。 美雪(私服): えっ……?じゃあ、南井さんも以前の記憶を持ってるんですか?! 巴: えぇ。といっても夏美さんや魅音さんと違って、あなたたちと会ったひとつ前の「世界」に関する記憶だけだけどね。 はぁ、と南井さんが疲れたような息を吐く。 巴: 以前は、美雪さんたちのことを信じて認めづらいけど認めざるを得ない……って言い方をしていたと思うけど。 巴: まさか、自分自身で実際に体験することになるなんてね……信じるしかないでしょ、もう。 南井さんは自分の髪をぐしゃりとかき回し、軽く眉根に皺を寄せた。 巴: とはいえ、魅音さんが体験した繰り返しとやらと比べると、私の場合はなんて言えばいいのか……ぼんやりしていて。 巴: 明確に覚えている部分もあるけど、覚えていない部分も結構あるのよ。 千雨: あ、でも……この「カード」をわざわざ持ち出したってことは、高天村で箱に大量に入ってた黒い「カード」……。 千雨: あれらを、私たちと一緒に見つけたことは覚えてる……ってことですよね。 巴: えぇ、それは間違いなく覚えてるわ。おかしな神様……? とも出会ったことだしね。 美雪(私服): ……っ……。 まただ。何かが引っかかるというか……大事なことを忘れているという違和感が胸の内にせり上がってくる。 ……あの時私は、何を見た?そして何をした? 確か、#p田村媛#sたむらひめ#r命と会話をした時に、私は……。 千雨: ……? どうした、美雪。 美雪(私服): あ、いや……何でもないよ。 美雪(私服): じゃあ、南井さん。もうひとつ……高野製薬の工場で大怪我をした時のことはどうです? 巴: ……。うーん……。 巴: そこに行った時、工場の内部で夏美さんに殺されかけたことは覚えてるんだけど……その後はぼんやりとしか思い出せないのよ。 突然飛び出した夏美さんに殺されたと言う単語に虚を突かれた思いがしたが……慌てて思い出す。 美雪(私服): (そういえば……病室で夏美さんが南井さんを殺そうとしたとか、言ってたけど……) あの発言は、おそらくここに結びついていたのだろう。 巴: そこで何か見たような気はするんだけど……どうしても思い出せなくて。 南井さんはうぅんと唸りながら頭を軽く左右に振るが、どうしても思い出せないらしくまぁいいわと話を区切り、話を続けた。 巴: ……でも繰り返しの結果、私は広報センターにスパイがいることを突き止めたの。 千雨: は? たかが広報センターにスパイ……? 美雪(私服): ただの広報センターじゃなかった……ってことですか? 巴: えぇ、その通り。と言っても、昔からそうだったわけじゃないわ。私が就任して試験的に導入することになったの。 巴: 個人的には、公安に匹敵するくらいの諜報部を組織したつもりだったんだけど……いつの間にかネズミが紛れ込んでいたのね。 まるで苦労して焼き上げたケーキの中に虫を見つけたような渋面で南井さんは続ける。 巴: だからそれに気づいた私はいったん組織を解体して……主だった人員を丸ごと、とある機関に預けた。 巴: で、私は単身になって……魅音さんたちの協力を得た上で、独自捜査を行っていたのよ。 菜央(私服(二部)): ……だから広報センターに行っても、あたしたちの知ってる人が誰もいなかったんですね。 千雨: 私たちを知らないと言うより、知らない振りをしてたってワケか。 独り言のような言葉に南井さんが軽く頷く。 巴: で……千雨さんのお父さんの件だけど。 巴: 彼が殺害後にバラバラにされて、腕が一本見つかっていないってこと……あなたたちならもう知っているわよね? 巴: あれについては、どう思う? 美雪(私服): どう、って……。なんでそんなことをしたかってことですよね。過去の事件になぞらえて……とか? 千雨: あとは、警察組織に対する見せしめとかですか? 巴: ……。そっか、その見解を聞く限りはまだたどり着いていないってことね。 意味深に呟く南井さんに違和感を覚え、その意図を尋ねようとして……ふいと目を反らされる。 巴: いずれにしても、雛見沢で起きたことを利用しようと企む何者かが存在していることは確かよ。 巴: その正体を、まずは掴まないとね。 千雨: ……それがわからないから、今まさに苦労してるんですけどね。 魅音(25歳): 雛見沢での起きたこと……やっぱダム戦争? うーんと頭を抱える魅音を横目に、千雨が私の耳にしか届かない程度の小声で呟いた。 千雨: 公由一穂の両親が娘を操って何かやらかしたとしても、あの現場にいた人間は詩音を始めとして死んでるから確かめようがないからな……。 美雪(私服): ……っ……。 久しぶりに聞いた一穂の名前に、ちりっと胸が火傷後のように痛む。 美雪(私服): (そもそも、どうしてあの時の#p綿流#sわたなが#rしの会場に一穂が現れたんだろう……?) 千雨の言う通り、両親に操られていたのだろうか?幼い頃に死んだ両親に再会し、嬉しくて嬉しくて彼らに言われるがまま何かをしようとしたとか……。 美雪(私服): (いや、でも今思うとあの一穂は明らかに態度や雰囲気が変だったし……夏美さんみたいに偽者だった可能性も……?) 千雨: ……南井さん、警察の情報網は使えますか。独自捜査に回った以上はさすがに無理かもしれませんが。 巴: 独自の情報ルートは確保しているわ。それのおかげで、あなたたちが例の閉鎖病院に向かったこともわかったからね。 魅音(25歳): いやー、到着早々病院が騒がしかったからもしやと思ってさ……南井さんを待たずに突入して、正解だったよ! 千雨: ……あぁ、そういうことだったのか。無鉄砲だの計画無しだのといった誹りはともかく、結果としては大成功だったな。 美雪(私服): うんうん。おかげで助かったよ、ありがとね魅音。 巴: ただ、『眠り病』の影響で行政の動きが鈍くてね。公的な調査となるとかなり時間がかりそうなの。 美雪(私服): そうですか……公的調査が難しいなら、今は自力で調べられるものを調べる方がいいですかね? 話の流れが自然と今後の行動の指針へと移ろうとする中。 菜央(私服(二部)): あ……。 しばらく黙っていた菜央が、ふと思い出したように声をあげた。 美雪(私服): どしたの、菜央。 菜央(私服(二部)): ねぇ美雪、千雨……この「世界」って確か、あの雛見沢から連続してるはずだって前に言ってたわよね。 美雪(私服): あぁ、うん。可能性は高いと思うよ。 魅音の記憶を決定的な証拠と呼ぶには、一度死んだという絢花さんの証言がある以上無理がある。 だが、続いている確信が持てないだけで現状否定する証拠も思い浮かばないのが現状だ。 美雪(私服): ……それがどうかした? 菜央(私服(二部)): だったらおかしいじゃない!『眠り病』の新薬を作った高野製薬って、あの鷹野さんの会社なんでしょう?! 美雪&千雨: あっ……?! 叫びながら菜央は立ち上がり、千雨と私の口から間の抜けた声が出た。 千雨: そうだ……そうだった! 千雨: 鷹野三四……いや、この「世界」だと高野美代子か。アイツは、昭和58年の雛見沢で死んだはずだよな? 千雨: なのに、なんで……高野製薬って名前がついてんだ?! 巴: ……高野美代子が、昭和58年に死んでいた? 魅音(25歳): 実は生きていたとか、そういう可能性は……? 菜央(私服(二部)): ない! それは絶対ないわ! 菜央は小さな頭を左右に振り乱し、全力で魅音の可能性を否定する。 菜央(私服(二部)): だってあたしたち、あの人の遺骸を見たんだもの!鷹野さんは梨花をかばって、殺されたって……! 美雪(私服): ……お父さんと大石さんも、死んだって言ってた。富竹さんが泣き崩れて……見るのが辛かったって。 千雨: 表向き、死んでることにしたかった可能性は……?敵を欺くには……で、私たちにも嘘をついたとか。 魅音(25歳): うーん。そんな大芝居を打った後で表に出て来られる程度の問題だったのかねぇ? 魅音の疑問には10年不自由をした経験からか、不思議な重みがある。 巴: ……確かめる必要がありそうね。あの製薬会社にいるのは本人なのか、それとも……。 千雨: どうやって確かめるつもりですか? 巴: そうね……魅音さんと菜央ちゃんは昭和58年の高野氏……鷹野三四氏と面識があるのよね? 菜央(私服(二部)): ? はい……。 魅音(25歳): 村唯一の入江診療所の看護師さんでしたから。 巴: じゃあ、手っ取り早い方法を取っちゃいましょう。 美雪(私服): それって……。 私の予測を裏打ちするように、南井さんがにっと笑う。 巴: メンツ増やして、もう一度面通しをやりましょう。あなたたちの目で確かめてもらうの。 南井さんはそこで一端言葉を句切る。 巴: …………。 ほんの少し、ためらうような間が空いて。 巴: ……危ない橋になるけど、一緒に渡ってくれる? 美雪(私服): はいっ! 返答なんて、聞かれるまでもなかった。 Part 06: 巴: 『とりあえず、会社訪問が可能かどうか先方に連絡を取ってみるわね』――。 南井さんが私たちにそう言ってから、高野製薬に再び足を踏み入れたのはなんとその日の午後だった。 千雨: ……。改めて思うことじゃないかもしれんが、南井さんって……結構、すごい人だったんだな。 美雪(私服): うん……。 引き受けてくれた時の返事が軽い感じだったので、早くて数日……普通に考えたら1週間以上かかると思っていたので、その処理の速さに驚かされる。 ただ、そこまでの迅速を尊ぶのはいかに今回の訪問に対して彼女が本気であるか、ということの証明でもあった。 美雪(私服): (私たちも気合いを入れて、かからないとね……) 今回は、夏美さんがいない……その代わりといってはなんだけど、私たちには菜央と魅音がいる。 特に魅音は、鷹野さんと面識が深い。なにしろ診療所ができた時から、彼女は地元民として触れ合う機会を持ち続けていたのだ。 その大きな要素が、どういった効果と変化をもたらすのかは……まだわからない。 ただ、前の「世界」と合わせて2度目の訪問だ。今度こそ、そこで何かを掴まなければいけない。そして……。 美雪(私服): (……もう誰も、怪我なんかさせたりするものか) 少し前を歩く南井さんの後ろ姿を見つめながら、私はそう決意を新たにしていた……。 前回とは違う理由で緊張する心を奮い立たせて、私は開けられた扉から部屋の中へと足を踏み入れる。 見覚えのある、書斎を合わせたような応接室。その本棚近くにある高級そうな椅子に、明らかにその人とわかる女性が腰掛けていた。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: ……どうも、初めまして。私が高野美代子です。 聞き覚えのある、穏やかで少し艶っぽい口調。そして大人の余裕を含ませた微笑みとともに私たちは迎え入れられる。 巴: どうも、警察庁広報の南井と申します。お忙しい中、私的なお願いをして申し訳ありません。 巴: それにしても、これほど早く受けてくださるとは思いませんでした。しかも高野さん直々にお迎えをしていただけるなんて……ありがとうございます。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: いえいえ。ちょうど今日の午後が空いていましたし、お世話になった大学の先生からのご紹介ですからね。 そう言いながら、ちらりと高野さんが南井さんの背後に並ぶ私たちに向けてにこやかな視線を送ってくる。 南井さんから受けた説明によると、私たちは進路相談の一環として会社訪問を希望する受験前の学生……ということになっていた。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: それで……この子たちが、進路に悩むお嬢さん方ですか? 巴: えぇ。私の知人の、娘さんたちなんです。全員医療系の大学や専門学校を志望しています。 巴: 特にこちらの彼女は、大学受験で薬学部を目指しているとのことで……ぜひとも、と頼まれて今回のお願いをさせてもらった次第です。 魅音(25歳): ……はじめまして、三船と申します。お会いできて、光栄です。 事前に示し合わせた偽りの紹介を受けて、魅音が偽りの名字を述べながら頭を下げる。 ……訪問を前に、私たちはひとつの方針を結んだ。それは「#p雛見沢#sひなみざわ#r」という言葉の安易な使用の禁止だ。 前回、私たちは高野さんとどんな会話内容を交わしたのかを聞いた魅音が、少し考えた後でこんな提案をしてきたからだ。 魅音(25歳): 『ふーむ……なるほど。つまり美雪たちは、雛見沢の話が聞きたいと言って鷹野さんの会社を訪問したってわけだね』 魅音(25歳): 『だとしたらさ……今回は思い切って雛見沢の話題を抜いて話をしてみるってのはどう?』 美雪(私服): 『えっと……それは、どうして?』 魅音(25歳): 『雛見沢のことを聞けば、どうしても思い出話が中心になって薬に関することが聞きづらいからね。時間も限られているし、質問は絞ったほうがいい』 魅音(25歳): 『あと、私の素性は隠しておこう。確かに見知った相手だとわかれば、腹を割って色々と話をしてくれる可能性もあるけど……』 魅音(25歳): 『それはあくまでも、今回会う相手が鷹野さん「本人」であった場合だ。……私の言う意味、わかるよね?』 美雪(私服): 『……っ……』 魅音の言う通り、同じ話を二度も聞く意味はない。そして今回は、私たちが会う相手が本物かどうかを確かめるという大きな目的がある。 この選択が吉と出るか凶と出るかは未知数だけど……まずは伏せてみようということで意見は一致した。 美雪(私服): …………。 今のところ、魅音を見て高野さんが反応した様子は……ない。 何度も顔を合わせたとはいえ、あれから10年だ。成長した姿である以上、すぐに気づけるものではないのかもしれない……けど……。 美雪(私服): (……魅音) 魅音(25歳): (わかっている。……任せて) 私と魅音は目配せを交わし、無言で頷き合う。そして気取られないように彼女は愛想のいい笑顔で、高野さんに話しかけていった。 魅音(25歳): あの……すみません。私は新薬の研究開発に、すごく興味がありまして。 魅音(25歳): 最近話題になっている『眠り病』の治療薬の話を、ぜひお伺いしたいと思っていたんです。 魅音(25歳): 高野製薬はあの治療薬を、どういった経緯で開発されたんですか? 難病に対する薬の研究はものすごく大変だって聞いていたので……。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: あら、なかなか踏み込んだ質問ね。一応企業秘密なんだけど……まぁ、来週からキー局で報道特集が組まれる予定ですし、いいでしょう。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: 中部地方の寒村に、雛見沢ってところがあってね。そこで私たちは、ある風土病の研究を行っていたのよ。 魅音(25歳): 風土病の……研究? #p高野美代子#sたかのみよこ#r: えぇ。とりあえず一定の成果を得たので、私たちはサンプルとデータを持ってその村を離れ……大学の研究室に戻った。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: そして、その論文を高く評価してくれた篤志家から諸々の支援を受けて、製薬会社を立ち上げることになったの。……それがこの、高野製薬よ。 魅音(25歳): 会社を立ち上げるって……すごいですね。超有名な大手企業がひしめいている中で、大変じゃなかったんですか? #p高野美代子#sたかのみよこ#r: もちろん、簡単な道のりではなかったわ。あちこちから技術者を引き抜いてきたとはいえ、主力になる商品は開発中だったからね。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: それでも、大手流通と業務提携を結んで売り出したプライベートブランド商品が流行して話題になったり、特殊な分野で新薬が高い評価を受けたりして……。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: たくさんの幸運に恵まれたおかげで、現在の地位を確立することが叶ったのよ。 魅音(25歳): なるほど。……確かに高野製薬のCMは、TVでよく見かけます。最近だと、大きな駅の近くとかで人気アイドルが映った看板とかもありますよね。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: くす……場所やアイドルの選定は広告代理店にお任せだから、私にはよくわからないんだけどね。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: そして……あなたたちもご存じのように、今年に入ってから『眠り病』という未知の難病が世間で蔓延し、大変なことになってしまった。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: それを受けて私たちも、病気で苦しむ方々のため何かできないかと思って、治療薬のようなものを開発すべく研究を重ねてきたんだけど……。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: 雛見沢で培養生成したウィルスを試してみた結果、その『眠り病』の治療に効くとわかったの。 美雪(私服): ……偶然というか、ものすごい幸運ですね。新薬の開発は、新しい星を見つけるのと同じくらいに困難だ、と前に雑誌で読んだことがありましたが。 美雪(私服): 高野さんは……その星を見つけたんですね。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: あら……懐かしいわ。かなり前に受けたインタビュー記事なのに、よく知っているのね。 美雪(私服): はい。とても印象的な内容でしたので。 もちろん、それはここに来る車中で得た付け焼き刃の知識だ。だけど高野さんの驚きの中には、明らかに喜色がにじんでいる。 ……情報を引き出すには、そういった迎合も必要。好きではないけど、この際手段は選んでいられない。 美雪(私服): あと……その幸運のおかげで、ここにいる私の友達のお母さんの命が救われました。だから、お礼を言わせてください。 そう言って私は、隣の菜央の背をそっと押す。すると、意図を汲んだ彼女は即座に一歩進み出てとても可愛らしい仕草で頭を下げた。 菜央(私服(二部)): ありがとうございました、高野さん。あたしのお母さんを助けてくれて。 深々と頭を下げる菜央に続き、私も頭を下げる。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: ということは、あなたのお母さん……『眠り病』に感染していたの? 菜央(私服(二部)): はい……。でもこちらの薬のおかげで、助かるそうです。 菜央(私服(二部)): そのお礼を言いたくて、あたしも無理に同行させてもらったんです。 はにかむような幼い子の笑顔を前に、高野さんは相好を崩す。……菜央には、女優の才能があるのかもしれない。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: そう、よかったわね……。病に苦しむ人を助けるのは医療に携わる者として当然のことだけど、素直に嬉しいわ。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: 製薬会社の人間が患者さんから直接感謝をされることなんて、ほとんどないから……くすくす。 高野さんは、そう言って……本当に心の底から嬉しそうな笑顔を浮かべる。 ……私には、嘘と本当の表情を見破る能力は無い。ただ千雨は、それに関して鋭いところがある。 あとで、この状況について意見を聞いてみよう……そんなことを思いながら、今度は彼女に目を向け、合図を送った。 千雨: あの……。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: 何かしら? 千雨: ……あれって、薬の工場ですよね。もしかして、あそこで『眠り病』の薬が作られてるんですか? 窓のそばにいた千雨が、そう言って眼下の工場を見下ろす。やや脈略の無い流れではあるが、打ち合わせ通りの発言だ。 「大好きなサメが工場の屋根にいると思え」……という私の無茶な要望を飲んだ千雨の目はキラキラと好奇心に輝いている。 あの屋根の上にはジンベエザメやらホホジロサメやら舌を噛みそうな長い名前のサメがピラミッドのごとく山盛りになっている想像をしているのだろう。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: えぇ、そうよ。ここは本社と工場が隣接しているから。 千雨: へぇ……外からだと、薬の工場だってわからないですね。 キラキラとした目を向ける千雨に、高野さんはくすっと笑みを浮かべる。そして、 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: 興味があるのなら、見学用ルートでよければご覧になります? 千雨: えっ! いいんですか?! #p高野美代子#sたかのみよこ#r: えぇ。一般見学者用じゃないから、あまり面白くないかもしれないけど……ちょっと待っていてね。 そう断ってから高野さんは、机の上の電話に近づいてこちらに背中を向け、受話器を手に取る。 美雪(私服): (……第一関門、クリア) 捜査の基本、現場検証。 そのために必要なチケットを手に入れた私たちは、高野さんの注意が外れた一瞬のスキに頷き合った。 整えられた美しい工場の内部では、白い服を着てマスクとゴーグルと帽子を着用した職員たちがせわしなく動いている。 美雪(私服): (爆発前とは、別の光景だね……) 初めて見る真っ当に稼働する工場内部をガラス越しの見学ルートから眺めつつ、私たちは高野さんを先頭にぞろぞろと進む。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: ここでは#p秤量#sひょうりょう#rをしているの。ほら、あの人は薬の原料になる原料……薬品の量を熟練の担当者が正確に測量してね。 菜央(私服(二部)): 薬っていろんな薬品を混ぜて作るんですね……測量を間違えたらどうなるんですか? #p高野美代子#sたかのみよこ#r: そうね。薬の構造がそもそも変わってしまうからまったく違うものになってしまうわ。 魅音(25歳): おはぎを作る時に、塩と砂糖の量を間違えたら大変なことになる……みたいなとかですかね? #p高野美代子#sたかのみよこ#r: くすくす……えぇ。そんな感じね。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: おはぎにお塩を入れると甘みが引き立つけれど、砂糖と同じくらいの量を入れてしまったら……食べられるものではなくなってしまうでしょう? 魅音(25歳): あっはっはっはっ、確かに。塩分の取り過ぎで、ぶっ倒れますね。 記憶の「鷹野さん」と照らし合わせるためか、魅音は積極的に高野さんに話しかけていた。 私はそんな彼女を見守りながら、少し後ろを歩く。……と、 巴: いっ……?! 突然、最後尾を歩いていた南井さんが小さく声をあげて……顔をしかめた。 美雪(私服): ……南井さん? 千雨: どうしました? 巴: ちょっと頭痛が……。 そう返しながら、南井さんはガラスの中に視線を向ける。 そして、頭の中に残る記憶の断片をかき集めたのか……うめくように、言葉を絞り出していった。 巴: ……私、ここに来たことがあるわ。 美雪(私服): えっ? それって、まさか……。 巴: えぇ……あの「世界」にいた時、ここに何かの目的があって……ひとりで忍び込んだのよ。 異変を悟らせないために平静を装う彼女に合わせ、私も職員たちの説明に耳を傾けるフリをしながら耳をすませる。 巴: 爆発が起きた後、飛び出していったあなたたちとは別行動をして、ここに入って……。 巴: そして何か、すごく重要なものを見つけた……気がするわ……。 巴: でも、直後に夏美さんに銃を向けられて……っ。 美雪(私服): 向けられて……それから? 巴: ……ごめんなさい。そこから先が、完全にすっぽ抜けている……! そう呟きながら、南井さんは記憶をたどるように工場内部へと視線を走らせる。 美雪(私服): 特に、変なものはないように見えるけど……。 菜央(私服(二部)): ……ほわぁ、大きな機械!ちょっと前、いいかしら。 と、その時。とたたっ、と菜央が駆け寄って私とガラスの間に滑り込んでくる。そして、振り返ることもせずそっと尋ねてきた。 菜央(私服(二部)): ……ねぇ美雪、あんたと千雨はこの工場には以前に来たのよね。 美雪(私服): あ、うん。そうだけど……。 菜央(私服(二部)): なら、あんたが見たものも教えてくれる?一応千雨から話は聞いたけど、念のために。 美雪(私服): そっか、移動中に高野さんから聞いた話を話してるだけで時間オーバーになったから……ここの説明がまだだったね。 美雪(私服): 爆発が起きた後『ツクヤミ』が暴れてるのを見た後で工場に入ったら、襲われて……。 美雪(私服): いや違う、先に川田さんと会って……。 巴: ……ぇ……? #p高野美代子#sたかのみよこ#r: 次は#p造粒#sぞうりゅう#rの工程ね。結合液を原材料に加えて粒状にして成分を均一にするの。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: そうしないと同じロットでも薬の錠剤ごとに成分にバラつきが出てしまうから……あら? 話半分に聞いていた、高野さんの声が止まる。 何かと思って前を見ると、白衣の職員が高野さんの前に立ち塞がっていた。 職員: 失礼します。そろそろお時間です……。 時間、と言いながらも職員に急いだ様子はなく、私たちに値踏みするような視線を向けている。 美雪(私服): (つまり……この先を見せられないか、見せたくないのどちらか……かな?) #p高野美代子#sたかのみよこ#r: あら、そう……。 すると高野さんは残念そうに振り返り、申し訳なさそうに言った。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: ごめんなさい、ここまでみたい。 巴: いえ、急に押しかけたのにここまで見せてくださってありがとうございます。 白衣の職員にやんわりと退出を促されて、私たちは工場の外へと出る。 ……工場を囲む山の向こうは、ほのかなオレンジに染まっていた。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: お話ができて、楽しかったわ。今度はどこか外でお会いして食事でもどうかしら。 魅音(25歳): いいですね、ぜひ。……ところで、高野さん。 にこやかに、魅音は笑いながら……最後に一番尋ねておきたかった質問を投げかけていった。 魅音(25歳): 入江京介って方を……ご存じですか? #p高野美代子#sたかのみよこ#r: あら……もしかしてあなた、入江先生のお知り合いなの? 魅音の問いかけに、高野さんはわずかに驚きを見せる。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: 懐かしいお名前ですね……ここ数年は海外で医療活動に勤しんでいるそうだけど、お元気かしら。 魅音(25歳): えぇ、つい先日絵はがきをもらいました。今はアフリカの方にいるそうですよ。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: そうなのね……ところで、彼とはどこで知り合ったの? #p高野美代子#sたかのみよこ#r: 雛見沢……ではないようだから、前職の神奈川の病院かしら? 魅音(25歳): はい。神奈川の病院で昔お世話になったんです。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: そう……あの人も当時は何かと大変だったから、覚えている人がいてくれて嬉しいはずよ。 魅音(25歳): そのお話、今度お会いした時に詳しく……次を楽しみにしています。 魅音が頭を下げると、それをきっかけに高野さんと職員は揃って施設の中へと戻っていった。 その背中が完全に見えなくなってから、千雨はくっ……と喉奥で笑う。 千雨: 絵はがきなんていつもらったんだ?……って聞くのはヤボだな。 魅音(25歳): そりゃね。10年間、世間から逃げ続けた私にハガキなんて届くはずがないからねぇ。 魅音(25歳): 居場所がバレるかもしれないから、郵便を出すのなんてほぼ不可能だったしさ。 魅音(25歳): ……美雪たちの話を聞いてから、ずっと気になっていたんだよね。確認してよかったよ。 千雨: ただ、でまかせを否定しなかったってことは本当に入江先生とずっと連絡を取ってなかったか、でまかせだってわかってて合わせたか……。 魅音(25歳): あと気になるのが、監督が雛見沢に来る前に勤務していた病院って確か、都内だったはずなんだよね。都会いいなー、って話した記憶があるんだけど……。 千雨: ……監督って、入江先生のことか? 魅音(25歳): ん? あぁ、千雨は知らなかったんだね。入江先生って、少年野球の監督をやっていたんだよ。だから、あだ名が「監督」ってわけ。 菜央(私服(二部)): あぁ、一穂がそんな話をしてたわね……。ともかく、高野さんが何かを隠してるのは確かよ。 魅音(25歳): っていうか、私を見て何も反応なしってどういうこと? 10年前より成長したけど、結構面影が残っていると思うんだけどなー。 菜央(私服(二部)): ……確かにそうね。あたしと美雪はもちろん、千雨だってすぐに気づいたくらいだもの。 千雨: 私は一瞬、詩音と間違えたがな……けど、何かの反応があってよさそうなもんだ。 菜央(私服(二部)): じゃあ、やっぱりあの高野さんは鷹野さんと別人、ってこと……? 魅音(25歳): 可能性はあるけど、決定的な証拠が欲しいね。現状だと突きつけたところで、忘れていましたってすっとぼけられたらおしまいだろうしさ。 ……なんて会話を繰り広げる菜央たちを横目に、私は軽く息を乱した南井さんの背中をさすっていた。 美雪(私服): ……南井さん、大丈夫ですか? 巴: えぇ……あの工場から出たら、頭痛も落ち着いてきたわ。 千雨: 高野美代子のあの態度、南井さんの頭痛。そして魅音に全く反応しない……。 千雨: やっぱりここの会社とあの高野ってやつ、何かがあるな。……けど、どうやって調べる? 菜央(私服(二部)): 南井さんがいるんだから、捜査令状ってのをもらえばいいんじゃない? 巴: あぁ……ドラマだと過程を書いても面白くないからあっさり取ってるように見えるけど、あれって申請してからが結構大変なのよ。 千雨: この規模の会社にガサ入れするなら、ほとんど確証が取れた状態じゃないと下りないだろうな。 美雪(私服): だね。『眠り病』の薬の製造が遅れるって世間の声を押し切るくらいの証拠がないと、難しいと思う。 魅音(25歳): 証拠がなければ調べられないけど、それを調べるための証拠が要る……面倒だねぇ。 魅音の言う通り、状況は非常に厄介だ。病院と違って忍び込むのもまず不可能だろう。 千雨: さて、どうす……ん? その時千雨が妙な声をあげると同時、目の前を何かが通り過ぎた。 灯: みっないさーんっ! 美雪(私服): (って、灯さん……?!) 巴: うわっ?! どこからか突然現れた女性……灯さんに飛びつかれて、南井さんはその身体を反射的に受け止めた。 菜央(私服(二部)): ぇ……なにあれ。若い燕? 魅音(25歳): 南井さんは独身だって言っていたから、愛人じゃなくて普通に彼氏……じゃない? 魅音(25歳): 若い彼氏かぁ……やるねぇ、南井さん。 妙にもってまわった言い方をする菜央とひゅぅ、と楽しげに口笛を吹く魅音。 ……反応はそれぞれ違うが、どうやら同一の勘違いをしているようだ。 美雪(私服): いや、あれって女の人……。 菜央(私服(二部)): そうなの? じゃあ、妹か何か?言われてみれば雰囲気が似てるかも……かも。 千雨: 違う。あれが以前話した、灯さんだ。妹は妹でも、警察広報センターの職員……南井さんの部下の妹だ。 菜央(私服(二部)): あぁ、例の……。 そこまで説明したことでようやく菜央は私たちの話を思い出したのか、南井さんにじゃれつく灯さんをまじまじと見つめる。そして、 菜央(私服(二部)): 姉妹で、ずいぶんイメージが違うわね……なんだか犬みたい。 美雪(私服): お、おぅ。さすがにそれは……! 灯: 会えたー! ゆぷぃー!入れ違いにならずにすんだー! 灯: ……あれ、なんかいつもより身体が冷たい?ちょっと痩せました? 巴: あんた、ちょっ……なんでこんなところに?!アメリカに行ったはずじゃ……! 灯: 将を射んと欲すればまず馬を射よとはよく言いますが、そもそも馬を射ずとも将を乗せた馬が自ら駆け寄って来るのが最良とは思いませんか? 灯: つまりは手懐けるためのニンジンが南井さんの居場所でおいしくニンジンをカリポリした私は、いざと言う時に姉さんという名の将を乗せてはせ参じるわけです。 巴: ちょっ……あーもう、長い長い!あんたの話は長いっていつも言っているでしょ?!説明するなら、もう少し簡単にまとめなさい! 灯: さっきアメリカから帰ってきました!南井さんの居場所はひーさんに教えてもらいました! 巴: ……あんたまた、姉をダシにして比護に取引を仕掛けたの?! 灯: ダメだと判断したら、将を乗せたままエスケープしますので無問題ですひひーん。 巴: あぁもうっ! あんたって子は本当も~うっ!いや、私が言えた義理でもないけどぉおおお~!! 灯: あぁ~。わしゃわしゃされるぅ~……! 南井さんに頭をなで回されて、灯さんは楽しそうな悲鳴をあげる。 南井さんは灯さんのことを、親戚の子みたいに可愛がっていた……と、偽者の夏美さんは言っていた。 美雪(私服): (んー……確かに、可愛がってるけど……) 困惑する隣で、千雨がぼそりと呟く。 千雨: なんか……テンション高けぇ犬に懐かれてる近所のおばちゃんみたいだな。 美雪(私服): しっ……! 美雪(私服): (一瞬、私もそう思ったけど!) 灯: そうだ、同行者がいると聞きました! ひとしきりなで回された灯さんは満足したのか、笑顔のまま南井さんの肩越しにこちらを見て……。 灯: こんにちは! 初めまし……。 灯: ――ぇ……。 突然、固まった。 一瞬、彼女にも記憶があるのかと思った。でも、灯さんの視線が突き刺しているのは私でも千雨でもなく……。 魅音(25歳): ……っ……? 美雪(私服): (……魅音?) 当の魅音は突然の乱入者に穴が空くほど凝視され、落ち着かない様子で目をしばたたかせている。 灯: …………。 反対に灯さんの方は、こぼれ落ちそうなほど大きく目を見開いたままだ。まるで、まばたきを忘れたように……。 灯: 園崎……先輩? やがて、そんな小さな呟きとともに……右目からつぅっ、と涙がこぼれ落ちた。 そして灯さんは南井さんから離れると、さっきまでの勢いなど消え失せて遠慮がちに一歩……また一歩と歩みを進める。 その度に、落涙の数は増えていき……。 灯: 生きていたんですね、園崎先輩……!あの大災害で殺されたって聞いて、わた、私……!ぅう、よかった、よかったぁ……! 困惑しきった彼女にすがりつく頃には、その大きな目からはボロボロと涙がこぼれていた。 魅音(25歳): えっと……ごめん、誰?悪いけど私、あんたとは初対面なんだけど。 灯: 私です、秋武! 秋武灯!聖ルチーア学園の後輩の……忘れましたか?! 魅音(25歳): 秋武、灯……ぁ……。 そこでようやく、魅音の目が見開かれる。……しかし反対に灯さんは、怪訝そうに眉をひそめて小首を傾げた。 灯: ……園崎先輩、じゃない? 魅音(25歳): ごめん……園崎だけど、そうじゃない。あんたの知っているのはたぶん詩音の方で、私はあの子の双子の姉……。 魅音(25歳): って、それよりあんたはなんで詩音のことを知っているのさ?! すがりつかれていた魅音が灯さんの肩を掴むと、彼女は目をパチパチとしばたかせる。そして、 灯: なんでも、なにも……10年前に園崎先輩のルチーア大脱走劇の青写真を描いたのは、この私ですからね。 巴: えっ……? あんた、詩音さんが学園から脱走するのを手伝ったの? 灯: うん。 南井さんの問いに灯さんは、涙を拭わぬまま幼い仕草で首肯していった。 灯: 色々ありましたけど、園崎……詩音先輩は、故郷で恐ろしい計画が実行されようとしているからと……。 美雪(私服): っ……その計画って、どんな内容か覚えてますか?! 私と千雨に反応しないということは、彼女に記憶はない。私たちと温泉地を遊び歩いた思い出もないのだ。 それでも……迫った。迫らずにはいられなかった。 美雪(私服): お願いします、教えてください! 完全に初対面の人間であることを忘れて詰め寄る私に、困惑の色を見せながらも灯さんはまっすぐに見返す。 そして、私の真剣な思いが伝わったのか……彼女はおちゃらけるようなこともなく、おもむろに語っていった。 灯: 世界中の人間の思考を乗っ取り、自在に操る計画……詩音先輩はそう言っていましたね。 灯: なんですそれ、SFですかって笑っちゃいましたが。 美雪(私服): ……っ……?!