第八章 真・英雄伝説


 人海とはよく言ったものだ──眼前に広がる光景を見てザビエストは思った。数十メートル先でうごめく魔王軍数千体は、まるで波打つ海の如く壮観だった。

(ま、アイツら『人』じゃねえけどな)

 含み笑った後、この大軍を全てほふり、自分一人で帝都を奪還する未来を想像する。歓声と栄光、そして最後にタルタニンの悔しがる顔を思い描き、ザビエストは哄笑した。

(全滅させてやるよ、魔物共。一体残さずにな)

「カッカカカカ! 百年──いや千年、語り継がれる本当の英雄伝説の始まりだ!」

 叫ぶと、ザビエストの足下からアイナの苦しげな呻き声が聞こえる。

「あれ。生きてたの、お前」

 冷たい目でアイナを見下ろす。叩き潰したと思っていた虫がまだ生きていたのと同じ感情しか芽生えない。ああ鬱陶しいと一気に体重を掛けて、アイナの頭部を踏み潰そうとした時。

「キャ!!

 遠くで陣取っている魔物達から声が上がった。

(……何だ?)

 ザビエストはアイナを踏む力を緩め、声のあった方に目を細める。連続して響く魔物達の声は、合唱のように重なっていく。それは悲鳴ではなく、何処か喜びの入り交じった歓声だった。

「ウオオアアアアアアアアッ!」

「ヤンッ!」

 男の魔物は祭りのような野太い雄叫びを。女の魔物は嬌声を張り上げている。

 更にザビエストは異変に気付く。最後尾が霞む魔物の大群。それがじわじわと引き裂かれていく。

(あ……? 魔物の群れが真っ二つに割れて……)

 目前で起きている光景に、ザビエストは一瞬、何もかも忘れて見とれてしまった。数千もの魔物の大群が裂かれ、分かれていく。よく見れば、魔物達は叫びながらふらつき、その場に倒れていた。

 連続して魔物が倒れていく。敷き詰め並べた木の板をパタパタと倒す遊戯のように。

「何だ、こりゃあ……」

 呟きながら、ふとザビエストの脳裏を過ったのは懐かしい記憶。似たような絵物語を昔、ザビエストは読んだことがある。


の神剣エクスカリバラスは大海をも二つに切り裂く』


 この世界に居る者なら皆知っている。三百年の昔、竜王を倒して世界を救った英雄ハルトラインの伝説。事実かどうかも疑わしい昔話の類いだ。しかし、目の前で繰り広げられる異様な光景は、ザビエストが読んだ本の挿絵に酷似していた。

 何者かが魔物の海を真っ二つに裂きながら、ザビエストに向かって歩いてくる。

 目を細めていたザビエストは、それを視認した瞬間、大きく目を見張った。

 ザビエストの視界に映るのは、風にはためくスカートのフリル。鮮やかな全身のピンクが、帝国軍大軍師リールー=ディメンションの棚引く髪のように美しく揺れている。

「てめえ……」

 スズキの姿を認め、ザビエストのこめかみはピクピクと痙攣する。男にしては長めの髪と相まって、スズキの姿は女子おなごのように見えた。魔物達が叫ぶ。

「か、可愛すぎるうううううううう!!

「アタシ、もうダメ!!

 聖女装の腹部に刺繍された一角兎は、まるでゴルゴン。見た瞬間、石化のスキルが発動するように周囲の魔物が恍惚とした表情でパタリパタリと倒れていく。その状況に目もくれず、スズキはザビエストの数メートル前で立ち止まると、キッと目を鋭く尖らせる。

 口に溜まった唾をごくりと飲み込んだ後、ザビエストは笑う。

「カッ……カカカ。マジかよオメー。何だ、その格好。ふざけんじゃねえよ」

「ふざけてるのはお前だろ。俺の仲間踏んでる、その汚い足をどけろ」

「邪魔したらブッ殺すって言ったよなあ? 変態女装野郎。キメェんだよ」

「何とでも言え。で、その足をどけろってんだよ」

(こんな野郎が勇者? バカも休み休み言えってんだ!)

 ザビエストは背後の天使に人差し指を動かして合図する。

「殺せ。干からびるまで吸い取っちまえ」

 だが、天使達は動かない。天使はスズキの姿をまじまじと眺めていた。

『へ、へぇー。なかなか可愛いじゃない』

『いいなあ、あのピンク! 私も着たいなあ!』

「……おい。何言ってんだ、テメーらは?」

 天使達はモジモジしたり、キャッキャッと色めき立っていた。ザビエストの眉間に皺が寄る。

「とち狂ってんじゃねえよ」

 ザビエストはアイナから足をどけて、拳をなぎ払うように振った。途端、スズキを見て沸き立っていた天使達数体が忽然と消失する。

(魔物や天使に、このアホくせー妙な衣装が作用してんのか)

 それにしても自分の生み出した天使が懐柔されるなど初めてである。前線にいる凶悪そうな女悪魔もスズキを見て、生まれたての子馬のようになっている。

「す、スズキ……! だ、ダメだ……可愛すぎて動けぬ……!」

「ネフィラ様、ヤバいっす! 今日のスズキ、マジハンパねえっす!」

(幹部みてーな悪魔連中ですら、立ってるのがやっとの状態か)

 スズキがザビエストを睨んでいる。ザビエストもまたスズキを睨み返した。

 確かに考えようによっては面倒くさい能力だ。だが、この戦況下に於いてはどうか。周囲数メートル以内にいる魔族と天使を魅了するだけの力に何の意味がある?

「テメーなんぞが出てきたところで、何も変わんねえんだよ」

 ザビエストは踵を返すと、自らの後ろに控えている天使達に向き直る。先程、ザビエストが数体消失させたことで、天使達も気を引き締めたようである。

「構やしねえ。天使共。このまま全軍突撃だ」

 ザビエストの意志が七千体全ての天使達に伝わる。地平線を埋め尽くす数の天使が、ふわりと宙に浮いた。



「アイナさん! 大丈夫ですか!」

 くずおれたアイナの元に、エクセラの声が聞こえた。

「え、ええ……どうにかね」

 立ち上がろうとしたが、ザビエストに受けたダメージで足元がふらつく。エクセラはアイナに肩を貸してきた。アイナは無言でエクセラに体を預ける。

 エクセラに誘導されて魔物側に退避する途中、アイナは首だけ動かして背後を振り返る。天使の群れに対して、仁王立ちしているスズキの背中が見えた。

(スズキ……)

 魔王軍の誰よりも前線に立つスズキに加勢できない自分の不甲斐なさが腹立たしかった。だが、こんな状態ではスズキの足手まといだ。退避するより他はない。

 エクセラはらいそうしっそうが陣取る位置まで、アイナを連れてきた。らいそうしっそうの長・ネフィラは雷を帯びた槍をつえのようにしてどうにか体勢を保っている。

「か、体は動くか、キル?」

「女みてえなスズキの可愛さに意識飛びかけたっすけど……何とか大丈夫っす!」

「よし! あまり直視しないようにしてスズキを守りつつ、敵陣営に攻め込むぞ!」

 そして大きく深呼吸して呼吸を整えた後、

「行くぞ!!

 ネフィラの声がミレミア平原に響き渡った。少し遅れて、怒号のような魔物達の雄叫びが続く。

 大地を揺るがせるらいそうしっそうの声を聞いて、アイナは背筋に冷たいものを感じた。

(何て覇気と威圧感! これが魔王軍直属特別攻撃隊・らいそうしっそう!)

 ネフィラを先頭に先頭の魔物達が歩き出し、浮遊する天使の大軍との距離を詰めていく。

 かたや、ザビエストもこのまま帝都に雪崩れ込むつもりのようだ。天と地、二つに分かれて天使の群れが進軍してくる。

 魔物と人間合わせて、犠牲者は一体どれほど出るだろう。帝都にまで戦火が広がるなら、十数万の命が散らされるやも知れない。

 一触即発の双方を俯瞰した時、アイナの脳裏にリールーと共に見た三体のモンスターがよみがえった。

 魔族も天使も、そして人間も、今日で全て消えて無くなるのではないか。そんな不安を感じて、アイナは目をつぶる。だが、その時。

「待て」

 スズキの声が聞こえて、アイナは顔を上げた。スズキは魔物側に向かって、行軍を止めるように片手を上げていた。

(無理よ、もう……)

 この状況で、両軍の衝突を避ける術はない。諦めて消沈しているアイナと逆に、スズキは声を張り上げる。

「聞こえるか、セルフィアノ!」

『あ、はい! 聞こえます! その衣装、とってもキュートですよー!』

「それは良いから! 俺の姿もその水晶に映し出せるか?」

 すると巨大水晶の中のセルフィアノは困った顔をした。

『も、もちろん、私の魔力を使えば可能です。でも……そうしたら私が魔物達に指示できなくなってしまいます……』

「頼む、セルフィアノ! 俺を全ての巨大水晶にフォーカスさせてくれ! お願いだ!」

『ああ……可愛い……! こんな時でも可愛いでーす……!』

「セルフィアノ! 早くしてくれ!」

『こ、怖いっ! でも可愛いですー! 【こわかわ】!』

 やがて巨大水晶に映ったセルフィアノが消え、代わりにスズキの全身が映し出される。セルフィアノが全魔物に指令を出す為に等間隔に配置された巨大水晶を、全ての天使と魔物が見上げていた。

(スズキ……一体、何を……?)

 聖女装を身にまとったまま、スズキは深く息を吸った後、胸を少しはだけた。そして胸の前で伸ばした両腕を交差させる。アイナがごくりと生唾を吞んだ。あ、あの動作はまさか!

 スズキがゆっくり口を開く。

「四十八のプリティス・第二十七の仕草『ちちよせ』!」

 咄嗟にアイナは周囲を窺い──そして戦慄する。

 浮遊していた天使達が一斉に動きを止めていた。更に、らいそうしっそうを含めた魔王軍も、足下をぐらつかせている。

 スズキのプリティスに、戦場は一瞬の空白状態。だが、

「止まってんじゃねえ! 突っ込めや、天使共! 消されてえか!」

 ザビエストの叫びで、天使達は思い出したように帝都に向けて行軍を再開する。空と陸から、雲霞の如く押し寄せる天使の群れ。

(だ、ダメ! やっぱり止まらない!)

 アイナは絶望と共にスズキを見る。スズキは目に光を宿したまま、腰を落としていた。ま、まだ終わっていない! あれはちちよせからの連続プリティス! つまり……!

(私の必殺フロー!)

 今まで何度も繰り返し練習したアイナの特技。それが眼前のスズキにより、一層洗練された動作となってアイナの瞳に映る。ちちよせの体勢を保ちつつ、腰を充分に落とし艶めかしく、くねらせる。続けて、胸の前で心臓の形を指でなめらかに象った。

 あまりの完璧な仕草にアイナの目は大きく見開かれる。

(そう、そうよ! それが四十八のプリティス・第四十七の仕草……!)

「──あいげき

 スズキが呟いた。同時に等間隔に置かれた巨大水晶から、桃色の衝撃波が津波のように発生する……アイナはそのような幻覚を見た。

 ドスッと重い音がして、アイナはネフィラが愛用武器ブリッツベルグを地に落としたことを知る。続けて、らいそうしっそうの魔物達が恍惚とした表情でバタバタと倒れる。

 更にその後ろを見て、アイナは絶句する。数千の魔王軍全てがヘナヘナと腰砕けになっていた。

(て、天使達は!?

 次にアイナはザビエストの方を振り返る。だが天使達はそのまま上空を浮遊している。

「ダメ……か!」

 苦渋の声を振り絞るアイナ。だが、隣にいるエクセラが叫ぶ。

「いいえ! 天使達も苦しんでいます!」

 よく見ると、浮かんだまま天使達は頭を抱えていた。陸にいる天使もまた同じように、苦悩の表情を浮かべている。

「「「アア……アアアアアアアアアア!!」」」

 天使達の大絶叫がミレミア平原に木霊する。同時に耳をつんざく爆発音。天使達の体が炎に包まれ、ごうおんと共に爆ぜる。空にいた天使も、陸にいた天使も全て、連鎖反応を起こすように次々と爆死していく。

 この光景を見て、アイナ以上に驚いていたのはエクセラだった。

「いや、何で爆発するんです!?

「自分より可愛くて悔しかったんでしょう」

「天使って、悔しかったら爆発するんですか!?

「ザビエストに作られた肉体を持たない人造の天使が、スズキのプリティスによる超高濃度のキューティを浴びた。存在が保てなくなって爆裂するのは当然の帰結よ」

「と、当然の帰結なんですか、コレ……! 常人の私には全く理解が及びませんけれども……!」

 確かに常人にこの現象を理解させるのは難しいとアイナは思う。ザビエストもまた、ありえない光景に顔を引きつらせていた。

「七千体の天使共が全滅……? 何だ、このでたらめな力は……!」

 呆気に取られたように、そう呟く。ザビエストの背後にいた天使の大軍はことごとく消失。後はただ草原の草が風に揺れるのみである。

 アイナはふと、ヂュマの船でスズキに偉そうに語っていた自分を思い出す。

『私のあいげきは最大で三十体の魔物に作用するわ』

(ふふっ。恥ずかしくなるわ。自分の無能さに)

 アイナは自嘲した後、独りごちるように呟く。

「リールー様の仰った通りね。天賦の才能にして、唯一無二のプリティス使い。私なんかスズキの足下にも及ばない」

(圧倒的すぎて悔しさも消えるわ。逆にすがすがしいくらい。畏敬の念ってこういうのかしらね)

 アイナは痛む体に力を入れて、ザビエストに向けて大声で叫ぶ。

「見たか、ザビエスト!! 数千体を同時にく防御不能、不可視の立射!! これが真のあいげき!! 本当の救世主の力よ!!

「クソ女が……!」

 ザビエストが鬼気迫る顔でアイナを睨んだ。その時、スズキの可愛さにやられながらも、どうにかブリッツベルグを杖にして立つネフィラが叫んだ。

「す、スズキ! まだだ! 天使がもう一体残っているぞ!」

 アイナもまた、ザビエストから少し離れた位置で顔半分がケロイド状になった天使に気付く。

(ザビエストの守護天使! どうにかあいげきに耐えたんだわ!)

 ザビエストが勝ち誇ったように笑いながら、見るも不気味な天使に指示を出す。

「カカカ! スズキをブッ殺せ! 智天使ケルビム!」

「ひひ! ひひひひひひ!」

 四枚あった翼の半分はもがれ、満身そうの状態。それでも天使に似つかわしくない凶気の笑い声を轟かせ、強力な天使がスズキの生命力を根こそぎ吸い取ろうとしょうする。だが至近距離に到達した刹那、聖女装をまとったスズキが、天使の手にタッチした。

「四十八のプリティス・第四の仕草『にぎり』」

「……ヤンッ」

 スズキに軽く手を握られた瞬間、智天使はその恐ろしい顔から想像のつかない嬌声を発する。

 すれ違いざまに、スズキに触れられただけで智天使は体から閃光を放って爆死した。



 がいしゅういっしょくとは、この事だろうか──エクセラもまたアイナと同様に、たった一撃で智天使を葬った勇者に畏敬の念を抱いていた。

(これで全ての天使が全滅! 凄いですわ、勇者様!)

 もはや勝負はあった。さぞや落胆しているだろうと、エクセラはザビエストを一瞥する。しかし、

「カッ……カッカカカカカ!」

(な……?)

 エクセラの予想に反して、ザビエストは楽しそうに笑っていた。

「やるじゃねーか、小僧。やっぱあの時、殺しときゃー良かったなー」

(虚勢を張っているだけですわ! だってもう打つ手はない筈です!)

 七千体の天使を失ったザビエストは、このままだと魔王軍になぶり殺されるだけである。エクセラはザビエストに向けて、凜とした王族の声を発する。

「投降してください! もはやアナタに勝ちの目はありません!」

「いーや。そうでもないなあ」

 にやりと笑いつつ、ザビエストは司祭服をはためかす。

「カッカカ。まだ一瓶あるんだぜ」

(そ、それは!)

 取り出された酒瓶は、コブの町とリーヴェンの村を滅ぼし、生命エネルギーを注入したものと酷似していた。今まで冷静だった勇者の顔に焦りが生じる。勇者がザビエストに問う。

「お、おい!! もう代償はない筈だろ!?

「忘れたのか? 俺の拠点のことを」

「幸福の丘の人達を……? そんな……!」

「全員、処女や子供だったからな。力の比率も高けえ」

(幸福の丘にいた子供や女性を全員……! な、何て酷い……!)

 絶えずニコニコと微笑んでいた女子供を回想し、エクセラはやり切れない思いを抱く。今考えれば、あれは天力による集団催眠状態だったのだ。彼女達はザビエストの天使製造の為に、訳も分からないまま殺された……。

 一気に酒瓶を飲み干したザビエストは満足げに手で口を拭う。

「補充完了。今日一番、漲ってんぜ」

「ザビエスト……!」

 勇者は歯を食い縛り、ザビエストを睨め付ける。エクセラは勇者の周りの空気がビリビリと張り詰めるのを感じた。もちろんエクセラも怒っていたが、それ以上に勇者は憤慨している。だが、ザビエストは余裕の表情で鼻を鳴らした。

「テメーがこの世界に来て以後、授けられた『天力』。必然、テメーのより進化した力なんだよ」

「リールー師匠が言ってた。人間は進歩向上するものだって。俺だって、あの時の俺じゃない」

「なら、試してみようじゃねーか。どっちが強ぇえのかをよー」

 ザビエストの周囲に牡丹が咲き乱れる。牡丹はザビエストの前方に集まると固まり、一輪の巨大な花を形成した。

「今度は力を分散させねえ。一体のみに天力を集中する」

 南国に生えるという巨大な花をエクセラは耳にしたことがある。しかし眼前の花はそれ以上に思われた。溜め池ほどの大きさの花弁から、ぬうっと姿を現したのは金色の天使の頭部だった。

「福音『さくらん牡丹ぼたん』より【こんじきだいてん】!」

 頭、そして胸部と、徐々にせり上がって出現する天使にエクセラは総毛立つ。な、何て大きさ! もはや天使と言うより女神像です!

 エクセラは首が痛くなる程に見上げながら、自分の足が震えていることに気付く。全貌を現した金色の女神像は五十メートルはあろうか。それがまるで生物のようにゆっくりと動き、巨大な掌の上にザビエストを乗せる。ザビエストが女神像の肩の上で哄笑する。

「魔法攻撃無効化に物理攻撃無効化! テメーの精神に作用する攻撃も例外じゃねー!」

(た、確かにあらゆる攻撃が通じなさそうです! というか、この者に感情なんてあるの!?

 金色の女神像の顔は彫刻のように動きがなかった。女神像は固定された表情のまま、帝都に向けて歩き出す。ズシンズシンと巨大な足を踏みしめる度に大地が揺れた。

「カカカカカ! 全てブッ潰せ!」

 そして逡巡する魔王軍を前に、巨大な腕を振り下ろす。轟音と振動。女神像の拳で、魔物達の四肢が飛び散り、大地が崩壊する。あまりの衝撃にエクセラは尻餅をついてしまう。

(こ、こんなの、どうやって倒したら良いんですか!?

 狼狽したエクセラの視界に巨大水晶が入る。既に水晶は勇者ではなくセルフィアノを映しており、彼女の顔には焦燥が浮かんでいた。セルフィアノは、七千体の天使が全滅したことでザビエストに攻勢を仕掛けようと中央の軍を前方に進めていたのだ。

 セルフィアノが進軍させた魔物を女神像は叩き付け、踏み潰す。

『た、退却! 退くのです!』

 一斉に前線を離脱する魔王軍。一見して鈍重そうな女神像から逃げるのは容易たやすいと誰もが思った。しかし女神像の口がゆっくり開かれ、口腔内にまばゆい光の玉が具現する。

 女神像の口から発射された光線は、退却中の魔王軍を直撃。光線を浴びた数百体の魔物は、一瞬のうちにドロドロと溶解した。

『おのれ……! これ程までに強力な切り札を隠していたとは……!』

 歯嚙みするセルフィアノが巨大水晶に映し出されていた。この様子を見て、ネフィラを含めたらいそうしっそうの魔物達も後退する。

 今、女神像の周りには魔物は誰もいなかった。ただ一つの人影を除いて──。

(ゆ、勇者様!?

 勇者はきつぜんと女神像を見上げていた。いや……女神像の肩に乗るザビエストを。

 勇者が退避していないことに気付いたネフィラもまた、後方から「逃げろ!」と声を張り上げていた。それでも勇者は首を横に振る。

「アイツは絶対に許さない」

 女神像が勇者に迫る。ネフィラと同じく逃げるよう忠告しようとしたエクセラだったが、聖女装をまとった勇者が、ただならぬ気迫に満ちていることに気付く。

(止めるつもりですわ! たった一人で! 救世十字軍侵攻の際、魔神召喚で現れたイフリートを何もさせずに帰したように!)

「四十八のプリティス・第一の仕草『うわ』!」

 遥か上空から足下のスズキに、女神像は感情のない目を向けていた。だがその歩みが止まることはない。

(ま、全く意に介していません! こ、これは……!)

 エクセラの淡い期待は打ち砕かれる。人形であるヂュマにも通用し、七千体の天使を葬った勇者のプリティスが、女神像に対しては毛の先程も作用している気がしない。

「逃げてください、勇者様! もう無理です!」

「そうだ! 踏み潰されてしまうぞ!」

 ネフィラもまた勇者に向けて叫ぶ。だが勇者は聞こえていないかのように、帝都に向かう女神像に追いすがる。

(そんなに近付いては危ないですわ!)

 エクセラのイヤな予感通り、勇者は足をもつれさせて、ステーンと尻餅をついた。

「ああっ、しっかり! 勇者様!」

 それでも立ち上がり、また走り出すがその刹那、またもステーンと転ぶ。

「またスズキが転んだぞ!」

 ネフィラと一緒に心配している間に、勇者は本日三度目の尻餅をついた。

「いや、どんだけ転ぶんです!? ドジっ子ですか!!

 しかしエクセラの隣、アイナが首を横に振る。アイナはほうほうていながらも強い言葉を発する。

「違う! わざと転んで同情を誘う! あれは四十八のプリティス・第七の仕草『もちしり』よ!」

「ええ!? あれもプリティスなんですか!? ドジっ子じゃなかったんですね!!

「ドジっ子どころか完璧なもちしりよ。私が十年、死に物狂いで修行したところで、あの美しいもちしりに辿り着けるかどうか……」

 アイナは少し潤んだ目で勇者を眺めていた。

(あ、あら? アイナさん?)

 常に辛辣だったアイナは、この戦いで勇者を認めたようだ。しかし、そうこうしている間にも勇者はスッ転び続ける。

「意味あるんですか、アレ!?

「確かに女神像の歩みは止まっていないわ。でも、ご覧なさい。足下でウロチョロしているスズキを、女神像は叩き潰そうとしたり、光線で焼き払おうとはしていない」

「あ! 確かに! 少しは可愛いと思ってるってことですか!」

「分からない。でもスズキのあいげきは、ザビエストが具現化した天使達を爆裂させた。女神像にだって効果はある筈」

 アイナは意志の宿った目で、転び続ける勇者を見る。

「スズキを信じるのよ! リールー様が考えた四十八のプリティスは無敵なんだから!」

「はい!!

 勇者は女神像に、ことごとく無視されているがそれでも諦めない。もちしりを続けつつ、別のプリティスを発動する。

「『こうしょう!』」

「『がんこん!』」

「『なきむすび!』」

 転んだり、笑ったり、泣いたり、おにぎり食べたり、また転んだり。『いやこの局面で流石にそれは違うんじゃ?』とエクセラが目を疑うようなプリティスすら勇者は繰り出していた。それでも女神像には何の変化もない。ただ帝都への歩を進めていく。

「クソぉっ!! スズキはあんなにも可愛いのにぃぃぃぃッ!!

 ネフィラが叫ぶ。見ると、ネフィラは大量出血で倒れそうな程に鼻血を吹き出していた。

(この威力! 勇者様は全力でザビエストと戦っているのですわ!)

 一見、滑稽に思える転がりながらのプリティス連発だが、エクセラは勇者が、なり振り構わず必死で戦っているのだと悟った。

(そうです! アイナさんが言ったように、私も信じなければ! 勇者様を!)

 だが、エクセラは隣のアイナの顔に絶望の色が浮かんでいることに気付く。

「……アイナさん?」

「も、もうスズキは……四十八のプリティス全てを試したわ……!」

「そんな!? プリティスは無敵じゃなかったんですか!?

 全部試したのに女神像は止まらない。こうなったらもう撤退するしか道はないではないか。

 ザビエストの嘲笑あざわらう声が高所より聞こえる。

「オラオラ! このまま帝都に雪崩れ込むぜー!」

 女神像は前線の陣営にまで至近していた。勇者はまるで魔物達をかばうようにその前に立つ。

 アイナが堪らず勇者に叫ぶ。

「もう充分よ! アナタはよくやったわ!」

「そうだ、スズキ! いったん退却するのだ!」

 ネフィラもまた叫んだ。だが、勇者はハッキリと言う。

「まだだ! まだ全力じゃない!」

「でも! もう打つ手がないではないですか!」

 エクセラも勇者を止めようと叫び……そして気付く。スカートの下、勇者の両足がすりむけて出血している。

もちしりで転びすぎて血が!)

 だが、次の瞬間。エクセラは自分の目を疑う。いや、エクセラだけではない。アイナ、ネフィラ、キル、その場にいた全ての魔物が勇者の行動に驚愕する。

 勇者は足の血を手で拭うと、それを自らの唇に塗った。

「な、何だあれは……! 唇の色がより鮮やかになったぞ!」

 ネフィラが驚きの声を上げる。エクセラも同様に吃驚した。この世界にも化粧の文化はある。だが、男が! 唇に紅を塗る!──そんなことは到底、考えられなかった。

(何と言うことでしょう! 勇者様がより一層、女子おなごのように!)

 姫として英才教育を受けて育ったエクセラには偏見があった。男は男らしく、女は女らしくと育てられたからだ。ああ、見たくない! こんな勇者様は見たくありません! 世界を救う勇者様には格好よくいて貰いたいのです! あ、あれ、でもよく見ると……。

(見方によっては……カッコいい……のかも?)

 エクセラの気持ちが揺れた時、アイナが口を開く。

「と言うか……な、何なのよ、アレは……! あんな技はプリティスには無いわ!」

「ええ!? それは一体、どういうことですか!?

 エクセラの疑問の声が届いたかのように、勇者が言う。

「四十八のプリティス・第四十九の仕草『べにくちびる』!」

(四十九!? な、何てこと! 増やしたんだわ! 四十八しかないプリティスを! 勝手に!)

 エクセラは勇者の自由奔放さに驚愕していた。師匠に教えられたことを守らないなんて! 自分勝手! ザビエストも異常なら、勇者様もまた規格外です!

 突如、ドォン、と耳をつんざく爆裂音。見れば、傷すら入りそうになかった女神像の右足の膝から下が粉砕されている。

「お、おいおい!」

 片膝を突いた女神像に、ザビエストが焦りの声を出す。肩に乗っていたザビエストはバランスを崩したが、巨大な腕の辺りでどうにか体勢を整える。

「き、効いた!! 効きました!!

 何故、唇が赤いと女神像の右足が破壊されるのか──エクセラには理解できない。だが、勇者は追撃とばかりに、その唇に指を当てた。

「四十八のプリティス・第五十の仕草『なげくちびる』!」

 そしてチュッと女神像に向けて、投げキッスを放つ。ネフィラが叫ぶ。

「ああああああ!! 何というせんじょうてきな仕草だ!! た、たまらん!! 私もして欲しい!!

 そしてエクセラは違う意味で叫ぶ。

「どんどん勝手にプリティス、増やしていきますけど!? そもそも全部で四十八しかないのに、第五十の仕草っておかしくないですか!?

「……全然おかしくなんてないわ」

 アイナは真剣な顔で呟く。

「私は毎日、リールー様の教えてくれた技を磨くことのみに執心した。でもスズキはプリティスを独自に改良し、その先を行ったのよ」

「ま、まぁ確かにそういう風に言われると、凄い気も致しますが……!」

「ザビエストが言ったように、天力は神が与えた進化した力かも知れない! でもね! スズキだって進歩しているのよ!」

 アイナの視線を追うようにして、エクセラは遥か上方を見上げる。『なげくちびる』を浴びた女神像の金色の顔面にヒビが入っている。そのヒビは女神像の顔から徐々に首を伝わり上半身、そして全身へと波及していく。

 やがて金色の女神像は、ミレミア平原を揺るがす轟音を発して爆裂した。


(や、やった! やりました! 勇者様が勝ちましたっ!)

 ザビエストのオーラで作られた女神像は爆裂後、その姿の片鱗も残さずにミレミア平原から消失した。

「て、テメー……!

 怨念の籠もったザビエストの声が聞こえ、エクセラはぞくりと体を震わせる。

 エクセラから離れたところで、ザビエストが手足を妙な方向に曲げて倒れていた。女神像が爆裂する前、崩壊する肩から腕を伝い、ザビエストは地上に転がり落ちたのだ。

 血走った目で勇者を睨むザビエストだったが、次の瞬間、ゴフッと血を吐いて失神した。数十メートル上方からの落下。全身打撲に複雑骨折だ。

『捕縛! ザビエストを捕縛するのです!』

 セルフィアノの指示で魔物軍の屈強な魔物が、気を失ったザビエストを取り囲み、縛り上げる。

(お、終わったのですか……? これで全てが……)

 エクセラは改めて勇者を見る。ミレミア平原に悠然と立つ、凜々しき──いや可愛き姿を。

 フリフリのスカートにピンクの衣装。なのに勇者はどんな兵士よりも逞しく、また威厳があるようにエクセラには思えた。

「勇者様……!」

 エクセラは勇者に近付こうとしたが、堰を切ったように魔物達が騒ぎ出した。

「スズキが勝ったぞ!」

らいそうしっそうのスズキが反逆者を倒したんだ!」

 そう叫ぶ魔王軍の兵士を、自慢げな顔をしたキルが肘でチョイチョイと突く。

スズキ様だろ! ウチの隊長補佐なんだからな!」

 そしてキルは目頭を手で押さえているネフィラをニヤニヤと見る。

「あれれ? もしかしてネフィラ様、泣いてます?」

「な、泣いてないッ!」

 魔物達がそんな風に沸き立つのを目の当たりにして、エクセラは感動に打ち震えていた。感動と共に脳裏に浮かぶのは、自分の小さな心に対しての憤慨だった。

 エクセラは拳を握りしめ、唇を嚙む。

(私はバカです! 英雄ハルトラインと勇者様はタイプが全然違う! なのにずっと、同じものを求めようと……! いいえ! 代償を求めない勇者様のお力の方が、ハルトラインよりも上! そんなことにも気付かなかったなんて!)

 エクセラの近くでは、体を再生したヂュマが「きけけけ」と笑っている。

「ああ……か、可愛い……そ、そして強い……! だ、だから私はスズキが好きなんだ……! や、やっぱり私専用の人形にしたい……!」

 ヂュマの言葉に同意するように、エクセラは一人こくりと頷く。

(私が間違っておりました! 勇者とは姿形にあらず! 世界の為に、なり振り構わず自分のプライドを捨てられる──その尊い精神性を持つ者こそが勇者なのですわ!)

 急にエクセラは、持ち物袋に入れていた本が煩わしく、また汚らわしい物に思えてきた。ハルトライン伝説を取り出すと、エクセラはバシーンと地面に叩き付ける。

 近くにいたネフィラが眉間に皺を寄せた。

「む? エクセラ。貴様何をやっている? その本は何だ?」

「クソみたいな本ですよ! こんなもの、こんなものっ!」

 自分への苛立ちと勇者への謝罪を込めて、エクセラは服と髪の毛を乱しながら、ドスドスと絵本を踏みにじった。

「お、おい……エクセラ?」

「オラッ、オラ!! オッラァ!!

「え……! ちょ、ちょっと何なの、この子? 怖っ……!

 ヒートアップして、英雄ハルトライン伝説をストンピングするエクセラに、ネフィラですら怯えていた。

 そんな二人の元に勇者が歩み寄ってくる。勇者は普段の穏やかな笑顔でネフィラを見た。

「ネフィラ。無事?」

「ふ、フン。当然だ。それより……よくやった。お手柄だ」

 素っ気なく告げるネフィラの隣で、キルが満面の笑みを見せる。

「ホントすげえな、スズキは! これじゃあ、もう下の世話はいらねーな!」

「だから、それは最初からいらないって!」

 慌てて勇者が叫ぶ。エクセラはおかしくなって、くすりと笑った。周りにいるらいそうしっそうの魔物達もまた釣られるようにして笑う。

 そんな中、アイナがよたよたとエクセラの傍まで歩いてくる。満身創痍だが、その顔は清々しい。アイナはネフィラ達に囲まれて笑顔のスズキに視線を向ける。

「たった一人で戦争を止めた……これがリールー様が世界を託した力なのね……」

「はい! 勇者様なら必ずこの世界を真の平和に導いてくれる──私はそう信じています!」

「そうね。私も今なら、そう思えるわ」

 不意に、勇者がこちらを振り向いた。

「エクセラ! 帰ろう、レイルーンに!」

「はいっ!」

 エクセラも勇者に満面の笑みを返した、その時──。

「カカッ! カカカカカカカカ!!

 和やかな雰囲気を壊す凶気の笑い声が、突如、ミレミア平原に木霊する。

 数体の魔物に取り押さえられていたザビエストが、意識を取り戻したようだ。ザビエストを拘束しているサイクロプスが怪訝な表情で言う。

「何だコイツ? 意識が戻った途端、笑い出したぜ」

「さっさと殺しちまえよ」

 身動きが取れぬよう、がんじがらめに捕縛されているザビエストは、笑いを止めると、打って変わった鬼気迫る表情で勇者を睨んだ。

「英雄気取りで、めでたしめでたしってか? ハッピーエンドで終わった気になってんじゃねえぞ。クソガキが……」