第七章 レオス先生の教え


(スズキ、無事でいて! 私も頑張るからね!)

 ネフィラは帝国城でコウモリの折り紙を続けていた。時に『こんなの無駄なのでは』とか『私なにやってんのかしら』などの疑念が沸き上がるのを振り払いつつ。気付けば折り紙コウモリの山が、そこかしこにきつりつしていた。

 スケルトン兵が折り紙に没頭するネフィラのもとに歩み寄り、敬礼する。

「ネフィラ様! キル様と三百体のらいそうしっそうの精鋭が魔都に到着してございます!」

「あっそう! うるさい!」

「えっ、あっ? し、失礼しました!!

 悲しげに肩を落として、下がるスケルトン兵。肉体疲労と心労でゲッソリしながら、ネフィラは更に黒い羊皮紙を手に取り、無心で折り続ける。そして……。

「や、やった!! できた!! できたぞ!!

 遂にネフィラはやり遂げた。折りに折ったり、六六六コウモリ。調度タイミングよく、キルがネフィラの前に現れる。

「お待たせしましたー! ……って、何やってんすか、ネフィラ様?」

「六六六コウモリだ!! 今しがた、完成したのだ!!

「今回の戦勝祈願っすか? でもそれ、ガセネタっすよ!」

 キルはヘラヘラと笑いながら言う。

(全く! セルフィアノもキルも不信心ね!)

 だが完成に満足なネフィラは余裕の表情を崩さない。

「信じぬ奴は信じぬとも良い。だが、これは古くから伝わるまじないだ。必ず効果はある」

「いや、だから完全にガセなんですって。六六六コウモリの話、広めたのアタシとメルっすもん」

「……へ?」

「二十年くらい前、暇だったんでメルと一緒に考えたんすよ! 折り紙でコウモリ六六六個折ったら願いが叶うってホラ話! そしたらホントに皆、コウモリ折り始めて! メルと一緒に大笑いしてたんす!」

「お、おま、おまっ……」

 ネフィラの体から雷のオーラがバリバリと溢れ出る。

「お前が考えたんか!!

 発散された雷がコウモリの山を燃やす。ネフィラはキルの胸元に摑みかかった。

「す、すいませんっ! ネフィラ様まで信じるとは思わなかったんす!」

「うるさい! コウモリ折った時間返せ!」

「やあ!? 服引っ張るのやめてくださいっす!!

 ネフィラはキルの衣装をぐいぐいと引っ張る。キルは零れそうな胸元を隠しながら謝っていたが、ネフィラの怒りは収まらない。

「時間返せ! スズキも返せっ!」

「す、スズキ!? スズキがどうかしたんすか!?

「ヂュマにさらわれて、帰って来ないのよおおおおおおおおおお!!

「ええ!? でもスズキなら、そこにいるじゃないっすか!!

「え……」

 キルの指の先を見て、ネフィラは目を丸くする。扉の前で、スズキが申し訳なさそうな顔でセルフィアノと一緒に佇んでいた。隣にはエクセラもいる。

「うおおおおおおおお!? スズキぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!?

「ネフィラ。ただいま」

 これは夢か幻か。六六六コウモリを完成させた途端、スズキが帰ってきたのだ。

 ネフィラは興奮して、キルの肩をバンバンバンと叩く。

「ホラホラ! 意味はあったろう! なっ、なっ!」

「い、いやー。たまたま偶然な気がするんすけど」

(何がたまたま偶然よ! 私の愛が通じたんだわ! きっとそうよ!)

 そしてせきを切ったように、ネフィラはダッシュしてスズキを抱きしめた。

「怪我してない!? ご飯食べてた!? ちゃんとうんこしてた!?

「……してたよ」

 スズキは寂しげな笑顔を見せながら、そう言った。

(あ、あれ? 普段だったら抱きついたりしたら、恥ずかしがるのに?)

 愛が通じた……訳ではなさそうだ。単純にスズキは元気がない。よく見れば、右手に包帯を巻いている。

「お、おい。その指は?」

「何でもない」

 そしてスズキは俯いてしまう。セルフィアノが困ったような顔を見せた。

「色々あったのでしょう。今はゆっくり休ませてあげましょう」

「そ、そうですな」

「しかし、スズキ。一つだけ教えてください。ヂュマはその後、どうなったのです?」

 セルフィアノに尋ねられ、スズキは訥々とヂュマが海に落ちた経緯を話す。ネフィラは苦虫を嚙み潰したような顔をしてそれを聞いていた。

「フン! ヂュマの奴め! 自業自得だ!」

「え、えっと。じゃあ不死船団はもう無くなっちゃったってことでいいんすかね?」

 怒るネフィラに代わって、キルがセルフィアノに尋ねた。

「いいえ。たとえ体を数百に切り刻まれようとも時間さえあれば、ヂュマは各部を引き寄せて復活するでしょう」

「そんなになっても復活できるんすか! やっべー! 流石、不死身!」

(ってことは、またスズキにちょっかい出してくるかも知れないわよね)

 ネフィラはスズキを安心させようと、言葉を掛ける。

「スズキ。今後はお前の守りを強化しよう。必要なら護衛の魔物を数体付ける」

「大丈夫。心配いらないよ」

 やはり、スズキは暗い面持ちでぼそりと言った。

「いや、だがな……」

 言いかけてネフィラは止める。そ、そうよね。大変なことがあったんだもの。疲れてるわよね。セルフィアノの言う通り、今はそっとしてあげましょう。

「わかった。とにかく、お前とエクセラは先にレイルーンに戻っていろ。我々は今から人間共の反乱を鎮圧せねばならんのでな」

「レイルーンにはメルが待機してるからさ! ま、しばらく待っててくれ!」

 ネフィラの後で、キルがスズキに笑顔を見せた。



(いつも一緒に居たがるネフィラが戻ってろって、言うなんてな)

 戦闘の準備で慌ただしい帝国城をエクセラと歩きながら、たかしは先程のネフィラとの会話を思い返していた。

 たかしは知らない振りをしていたが、反乱というのはザビエストのことに間違いないだろう。ザビエストは既に魔王軍に宣戦布告していたのだ。

 ネフィラもキルも、事もなげに言っていたが、相手はあのザビエスト。二人とも本当に大丈夫なのだろうか──そう思いかけてたかしは頭を横に振る。いや、自分なんかが心配してもしょうがない。それに魔物が倒されて、世界が平和になればそれに越したことはないじゃないか。

 たかしとエクセラは帝国城より離れたところにある砦に向かっていた。セルフィアノいわく、そこでレイルーンに向かう竜車に乗れるとのことだった。

 歩くたかしとエクセラと入れ違うように、凶悪そうな魔物の群れが帝国城に向かっていく。聞くところによれば、各地にいる魔王軍の半数が帝都に集結しているという。

「何て大軍だ……」

 たかしが呟くと、エクセラも頷いた。

「既に初発の部隊は、ミレミア平原に向かったらしいです」

「じゃあ総勢はもっと、ってことか」

「はい。反乱の鎮圧と言っていましたが……これではまるで第二次人魔大戦です」

 エクセラが息を吞むのも頷ける。今、帝都全てが魔物で埋め尽くされていた。

 不意にエクセラが言う。

「本当に私達……レイルーンに戻って良いのでしょうか?」

「俺なんかが行っても、たいした役に立たないよ」

「で、でも! 勇者様のプリティスがあれば!」

「ははっ。アイナがいるだろ」

 乾いた笑いをしつつ言う。するとエクセラは黙り込んだ。

 辿り着いた竜車場では、悪魔が申し訳なさそうにたかしに頭を下げてきた。ミレミア平原での戦闘用に割いている為、竜車が不足しているらしく、用意するのにしばらく掛かると言う。

 待ち合いの椅子にエクセラと隣合わせに座って待つが、なかなか竜車は来ない。

「準備ができるまで、ちょっと散歩してくるよ」

「は、はい。お気を付けて……」

 気まずさを感じたたかしは一人、帝都を歩き出した。


 時が過ぎ、帝都に集結していた魔物の殆どはミレミア平原に向けて出立したようだ。魔物の数もまばらとなった帝都を歩きながら、たかしはふと先程のエクセラの言葉を思い出す。

(アイナ……ザビエストなんかと一緒に行動して大丈夫かな? ……い、いや! アイナは俺より強いプリティス使いだ! 任せておけば良いんだ!)

 大きく溜め息を吐く。ってか、俺より優れたプリティス使いがいるってことは、俺の存在意義ってもう完全にないよな。

 少し前まで、どうにかこの世界を救おうと考えていた。だが今、その気持ちは完全に薄れてしまった。

 ズキッ、とザビエストに折られた指が痛み、たかしは包帯の巻かれた手を見る。

(ほのぼの異世界生活したかっただけなのに。何で俺こんな目に遭うんだよ)

 ザビエストに対して怒りは湧いてこなかった。いやむしろ、指を折られたのは自分が間違っていたからかも知れない。そうだ。よくよく考えればザビエストの言ってることは一理ある。世界を救う為には人間の犠牲が不可欠なんだろう。ザビエストが言うように、戦争に勝った方も何人も死んでいる。負けた方はもっと死ぬ。それが現実だ。誰も血を流さない、そんな都合の良い力なんてある訳が──。


われがお主の前に正体を現したのも、ひとえに勇者の凄まじき力を見たからぞ。この者なら、無血に近い革命を起こし、この世を救えると思うたからぞ』


 リールーと初めて会った時に言われた言葉を思い出し、たかしは歯を食い縛る。

「……無理だって、そんなの」

 吐き捨てるように独りごちた、まさにその時。

「やっべー! 出遅れちまった! 急げ!」

「兄者。肩の防具なんかいらなかったんじゃ?」

「いるわ! 団長は肩、斬られて死んだんだぞ!」

 何処かで聞いたことのある野太い声がした。ドタバタと駆ける獅子の獣人はたかしの顔を見るや、

「す、スズキ!?

 顎が外れそうなくらい驚いた表情をした。

「レオス先生……」

 たかしは呟く。悪魔研修の講師レオスの驚きの表情は、だが、すぐに怒りへと変化して、たかしのもとにズカズカと歩み寄る。

「バカ、お前! あれから全然、授業に来ねえじゃねーか! 不良か!」

「心配掛けてすいません」

「べ、別に心配してた訳じゃ……!

 レオスはごほんと咳払いした。気まずそうな顔を見せた後、連れている虎の獣人を置いて、

「ちょっと来い!」

 たかしの腕を無理矢理引いて、路地裏に連れ込む。

「な、何ですか、レオス先生?」

 二人っきりになると、レオスは腕組みをしながら、たかしに言う。

「何ですか、じゃないだろ! 宿題の答え、聞きたくねえのか?」

「は? 宿題……って何でしたっけ?」

「忘れてんじゃねえよ!! マジで不良だな、お前は!!

(ええっと……そうだ。確か『魔物と人間は共存できるか』って問題だったっけ)

 たかしは思い出して苦笑いする。あの時、自分は共存できると言い張った。そしてレオス先生はその場で答えを言うのを保留し、たかしにもっとよく考えろと言った。

(うん。流石、悪魔研修の先生だな。よく考えたらホントの答えが分かったよ)

「それでスズキ。正解だがな、」

 少し照れたような顔のレオスにたかしはきっぱりと言う。

「その前に俺、答えを変えます。やっぱり違う種同士、仲良くなんかできないと思います」

「正解は『頑張れば共存でき……』あぁっ!? え!? ちょ、お前、今なんて!?

 レオスは吃驚していたが、たかしは続ける。

「俺、子供でした。共存なんて夢物語ですよね。人間は魔物より弱いんだし、分をわきまえてつつましく暮らすのが良いんじゃないかって今は思います。だから俺、レイルーンに戻って静かに一生を終えます」

「ま、待て! じゃあスズキ、もう俺の授業に来ないの?」

「はい。行きません」

「えっ、えっ! マジで?」

「すいません。先生とはこれで最後です」

 パクパクと口を開いたり閉じたりするレオスに、たかしはぺこりと頭を下げる。

「レオス先生。短い間でしたが、お世話になりました」

 そしてたかしは歩き始めた。だが、しばらくすると、

「……ふざけんじゃねえ」

 ドスの利いた声がして、レオスは猛然とたかしに駆け寄ってきた。たかしの胸ぐらをグイと摑む。

「お前、人間と魔物は共存できるって言っただろうが!! 簡単に諦めんな、この野郎ォォォ!!

 獣人の力でのうしんとうが起こりそうなくらい、グイグイと揺さぶられてたかしは焦る。

「だ、だ、だって! 俺なんかがいくら努力しても無駄なんですよ!」

「無駄だぁ……?

 揺さぶるのを止めて、レオスは凶悪な獣の顔をたかしに近付けた。

「ちっと見ねえ間に、お前の身に何があったか俺は知らねえ! だがな、スズキ! お前──本当に全力でやったのか?」

「えっ」

「獣王鬼団は一角兎を倒す時にも全力を出す! 全力、全力! 常に全力だ! 何故か分かるか!」

「い、いえ! 分かりません!」

「死んだ時、後悔しないようにだ!!

「後悔、しないように……?」

「そうだ! 命は今、この瞬間しかねえ! だからそとづらなんか気にしねえ! 他人の目なんか、もっと気にしねえ! なり振り構わず必死で戦い抜く! それが獣王鬼団のおきてだ!」

 たかしの両肩をレオスはしっかと持って、顔を近付ける。

「やるだけやったのか!? 本気でやったのか!? 今、死んでも後悔しねえくれえに、お前は命がけでやりきったのかよ!?

 どくん、とたかしの心臓が大きく鼓動した。

(俺は全力を出したか……? 出してない! いや、違う! 出さなかったんだ!)

 レオスの熱意がでんしたように、たかしの体が熱くなる。

(他人の目を気にして! エクセラに格好良いところを見せようとして! 恥ずかしがって!)

 たかしの精神に重くのし掛かっていたザビエストの幻影が瞬間、罅割れて砕け散る。

 何、悪党に言いくるめられてんだよ、俺! どんな理由があっても、人が人を殺して良い訳がない! ザビエストが怖くて無理矢理、気持ちを押し込めてただけだ!

(それに『怖い』? どうせ俺、一回死んでんじゃん! 怖いものなんてもうないだろ! なのにまた、やりたいこともできずに死ぬのかよ! こんなんで死んだら絶対また後悔するぞ! ……てか……って言うか……)

「爪、痛ってえええええええええええええええええ!!

 レオスの爪がたかしの肩にギリギリと思いっきり食い込んでいた。

「あ、すまん……」

 レオスが両手を離す。だが、今のたかしには肩の痛みすら心地よく感じた。よし! 叫んだら何だか元気が出てきたぞ!

 たかしは満面の笑みをレオスに見せる。

「レオス先生、ありがとうございます! 俺、もう一回やってみます! 今度こそ、なり振り構わず全力で!」

「お、おう! そうか!」

 走り出そうとして、たかしはレオスを振り返る。

「先生。また、相談に乗ってもらっても良いですか?」

「フン。いつでも来い」

 たかしはレオスに手を振る。レオスもまたたかしに片手を上げた。別れ際にボソッと「やっぱり教師は最高ニャ……!」とレオスが小さく呟いた気がしたが、おそらく気のせいだろうと思い、たかしは振り返らずに走った。


 待ち合いの椅子に置きっぱにしていた聖女装の小包に、たかしは急いで駆け寄る。

(よかった! 無くなってなかった!)

 そして、聖女装を広げる。フリルの付いた桃色の衣装が、たかしの眼前にふわりと広がる。同時にリールー師匠の懐かしい匂いが漂った。

(下品で安っぽい? 目も心も曇ってた……)

「これ、師匠の髪の色じゃないか。バカだな、俺」

 優しい手触りを感じながら、たかしは聖女装を抱きしめた。その時、背後からエクセラの声がする。

「勇者様、戻られていたのですね! 竜車の準備ができたそうですよ!」

 エクセラの隣で、悪魔が申し訳なさそうに笑う。

「すまねえ。ずいぶん待たせちまった。行き先はレイルーンだったな?」

 たかしは首を横に振る。

「いや。行き先はミレミア平原だ」

「ゆ、勇者様!?

「エクセラ、ごめん。それに、もうちょっと待ってくれ。これに着替えなきゃなんないんだ」

 たかしが聖女装を抱きしめているのを見て、エクセラはあんぐりと口を開けた。

「ソレ着て、出掛けるの!? 噓でし!?

 驚きすぎたせいか、エクセラは言葉を乱していた。叫んだ後に気付いたようで頰を赤らめる。

「み、ミレミア平原に行くのは構いません! でも、そんなのは着る必要ないです! 勇者様が女子おなごの格好をして、辱めを受ける必要なんかありません!」

「いや、着る。これは俺の意志なんだ」

「ま、マジですか……! 自分から進んで女装を……! えええええ……!」

「ザビエストは間違ってる。どんな手段を使っても、この戦争は止めなきゃならない」

「分かり……ました……」

 エクセラは思い詰めた表情で、かばんからカミソリを取り出した。そして無言でたかしに手渡してくる。

「えっ……ちょ……死ねってこと?」

「違います。着替える時、これで、おすねの毛を」

「あ、ああ、なるほど! よかった! エクセラ、ありがとう!」



 帝都西部。広大なミレミア平原を太陽がギラギラと照りつけている。太陽は、ゆっくりと真上に近付いていた。

 ネフィラは後方を見渡す。キルを中心にらいそうしっそうの精鋭が顔を連ねている。更にその後ろに、魔王軍の部隊が続々と集結していた。彼らの背後は帝都である。皮肉にも魔王軍がかつての人間の首都を守る形で陣取っていた。

 魔物数千体で形成された鎮圧軍の中に、通常の戦闘ではネフィラにとって見慣れない物が散見される。

 移動式の矢倉を思わせる数メートルある物体の上部には、巨大水晶が飾られている。運んでいる魔物もこれが一体、何の為の物か計りかねているようだった。

 突然、矢倉の巨大水晶に、三つ目の魔王軍参謀セルフィアノの顔が映し出される。

『えー、テステス。皆さん、聞こえますかー?』

 間隔を空けて何基も設置された巨大水晶。それが一斉にモニターのように、セルフィアノの胸から上を映し出している。

「せ、セルフィアノ様!?

「こ、これは一体……!」

 ざわつく部隊に、ざわめく魔物達。そんな中、ネフィラは冷静だった。

 ネフィラは帝都でのセルフィアノとの会話を回想していた。


「私はあまり気が乗りませんな。やはり陽動では? 我らが魔都を留守にしている間に、救世十字軍とやらが攻め込むという……」

 ネフィラが進言すると、セルフィアノは鼻で笑った。

「無論、それは想定してあります。故に、全軍ではなく半数を集結させたのですよ」

「どちらにせよ、セルフィアノ殿が魔都を離れるのは、いささか危険ではないですか?」

 セルフィアノ自身がミレミア平原で指揮を執ると聞いていた。ネフィラはこのことを、片乳ボロンの私怨ではないかと危惧していたのだ。

 しかし、セルフィアノは丸い水晶玉をネフィラに見せる。

「私がスズキとイチャコラする為だけに、この水晶玉通信を開発したと思いますか?」

「ち、違うのですか?」

「当日は、巨大な水晶を数基用意します。そしてミレミア平原にいる魔王軍に私の指示を遠隔であますところなく伝えるのです。これなら私は魔都にいながら、軍を統率することができます」

「なるほど。しかし、あの……吐血は?」

「ふふふ。使用する魔力工程の微細化に成功しました。一時間程度の通信ならば吐血しません」

 ネフィラはこくりと頷く。確かにそれなら、同時刻に全部隊に対して的確な指令が可能。更に、司令官の姿を常に見せることで兵士の士気も高まる。


(流石はセルフィアノといったところかしらね)

 巨大水晶に映る美貌を眺めながらネフィラはそう思う。まぁ実のところ、片乳ボロンした時は絶対確実にアホだと思った。だが、やはり単なるアホではなかったのだ。

 ネフィラがセルフィアノを見直していると、近くでキルが叫ぶ。

「ネフィラ様、ネフィラ様! 来たっすよ!」

 キルの指先を見て、ネフィラは目を細めた。

(あれがザビエスト……なの?)

 司祭服を来た温和そうな神父が、子供を数人従えてミレミア平原をかっしている。

「何だ、ありゃあ。ガキなんか連れてんぞ」

「アイツは何がしてーんだ?」

 ざわつく魔王軍。ネフィラもまた呆気に取られてしまう。わざわざ宣戦布告してきたのだ。救世十字軍のレイルーン襲来のように、大部隊を引き連れてやってくるものだと思っていた。なのに、子供を連れているとはいえ、

(……たった一人?)

『全軍戦闘態勢を保ちつつ、そのまま待機です』

 セルフィアノが落ち着いた声で言う。数基ある矢倉上部の巨大水晶から、セルフィアノの声は拡声されてミレミア平原に響き渡った。

(そうね。罠かも知れないわ)

 だがザビエストの背後には、広々とした大地が広がるのみ。伏兵の可能性は低い。

 ザビエストは立ち止まり、不敵に笑った後で司祭服を片手でめくる。革のホルダーに酒瓶が二つ入っていた。二本のボトルを同時に手に持つと、ザビエストは一気に飲み干す。

「今度は酒を食らい始めたぜ?」

「飲んでなきゃ、やってられねえってか!」

 笑う魔王軍。だが、ネフィラはその瞬間、ザビエストの体から大きく拡散されたオーラを見逃さなかった。

「違う! あれは酒ではない! 強大なエネルギーを補充したのだ!」

「……福音『さくらん牡丹ぼたん』より【ろくじょうすうせいたい】」

 途端、ザビエストの周辺に赤い花弁の花が咲き誇った。四方八方に咲き乱れる牡丹が集結して人型を象る。そして各々が見目麗しい天使へと変化していく。

「こ、これは……!」

 ネフィラは絶句する。ザビエストの周囲は花畑と化し、そこから凄まじい速度で次々に天使が生み出されていく。

「何て数だ……」

「ね、ネフィラ様、ヤバくないっすか!」

 数の有利さの為、緊張感に乏しかった魔王軍の顔色が一気に変わる。地平線を埋め尽くすように牡丹が舞った後、気付けば帝都側に陣取る魔王軍以上の天使の軍勢が出現している。

 天使の姿は一様に同じだったが、一体のみ四枚の翼を背負い、銀色の光のオーラをまとう天使がいた。ザビエストの守護霊のように背後に浮遊する。

「カカカ。余裕の顔が青ざめたなー。ざっと、七千体だ」

 そしてザビエストは天を仰ぎ、自らの力に酔いしれるように叫ぶ。

「跪きやがれ、魔王軍! これが『天力』! 世界の頂点にして、神に選ばれし救世主の力だ!」

(こ、これほどまでの大軍だとはね)

 今にして思えば、セルフィアノが魔王軍の半数を帝都に集結させたことは英断だった。いや、それでも眼前の天使達との戦闘には足りないくらいである。

 ネフィラも、そしてほぼ全ての魔王軍が狼狽を隠せない。だがそんな中、巨大水晶のセルフィアノは冷静な声を響かせる。

『惑わされることはありません。規模は途轍もなく大きい。ですが、これは術。術者を殺せば具現した天使共は全て消えます。敵は奴たった一人! ザビエストを殺せばそれで全てが終わります!』

 最後に口調を強める。そして魔王軍は「そうだ!」とばかりにほうこうした。

(冷静ね、セルフィアノ。そしてその通り。ザビエストとかいう奴一人を殺せば私達の勝ち)

 だがそれは向こうも重々、分かっている筈。ザビエストに辿り着くまで、一体どれほどの犠牲が出るか想像に難くない。

 その時。ネフィラの思考を遮る大音声が戦地に木霊する。

「セルフィアノ様の言う通りだ! 天使族は遥か昔に滅んだと聞く! つまりあれは人間によって生み出された見かけ倒しに過ぎん!」

 その声の大きさに見合った数メートルの体格を持つサイクロプスが叫んでいる。背後の巨人族が呼応するようにたけびを上げる。魔王軍巨人兵団──ギガンボスを団長とし、きょの魔物で形成された武闘派である。

『ギガンボス。不用意に近付いてはなりません。まずは岩を投擲して、様子を見ましょう』

 セルフィアノの指示と同時に、多数の岩石が積まれた荷車が到着する。人の頭部以上あるその岩を片手で難なく摑むと、ギガンボス達は天使の群れに向けて放り投げた。

 だが、天使達は穏やかな笑みのまま、ひらりひらりと岩石をかわす。

「野郎、ちょこまかと!」

 げきこうしたギガンボスがセルフィアノの制止を聞かずに単身、突っ込んでいく。部下の巨人兵団もまたその後に続いた。

「奥に隠れずに出てこい、人間が!!

 天使の群れに向けて叫ぶ。だが次の瞬間、ギガンボスは片膝を突いていた。ギガンボスの頭上で天使が「ほほほほほほほほ」と笑っている。

「あ……あが……!」

 巨軀で凄まじい剛力を誇るギガンボスが為すすべもなく、地に伏せた。口から泡を吐き、そのまま動かない。他の巨人達の頭の上にも天使が飛来。屈強な巨人族が、心臓発作を起こしたように次々と倒れる。

 ネフィラの隣でキルが叫んだ。

「た、倒れちまいましたよ!? 何もできずに!!

「天使のドレインだ」

(しかも、ほぼ即死。これは厄介だわ)

 ネフィラは巨大水晶に映るセルフィアノの様子を窺う。命令を無視して突っ込んだ巨人兵団に対し、首を軽く振る仕草を見せた後、気持ちを切り替えるように指示を出す。

『黒死魔術師団。遠隔による魔法攻撃を行ってください』

 セルフィアノの命令を受けて、悪魔神官のソーサラー達が天使達に対して様々な魔法を放つ。蛇のようにうねる火炎に、氷の矢が天使達に降り注ぐ。だが……。

『む……』

 セルフィアノが唸る。天使達は魔法がヒットしても笑顔のまま。まるでダメージがなさそうだ。

(魔族が放つ闇の力に耐性があるのか)

 ネフィラは眉間に皺を寄せる。火、氷、土──どの属性でも魔族が扱う魔法は闇属性を帯びてしまう。そしてそれはネフィラの雷撃も同じ。厳密に言えば、ネフィラの雷は『闇・雷属性』なのだ。

(これでは私の雷撃もおそらく作用しない。したとしても、効力は半分以下になりそうね)

「相性は最悪だな」

 ネフィラは呟く。ギガンボスは『見かけ倒し』と言っていたが、とんでもない。考えようによっては、かつて存在した天使族より強大な力を持っているのかも知れない。

『皆さん、傾注。奴の天使一体一体は主天使ドミニオンクラスの力を有していると分析します』

 セルフィアノが厳かに告げる。キルがネフィラに不思議そうな顔を見せた。

「主天使って何すか?」

「簡単に言えば、お前とメルと同程度の戦闘力を持つ天使ということだ」

「ああ、なるほど──って、そ、それが七千体っすか!?

(魔王軍このだん三個を相手にするのと同じこと。おそらく魔都は崩壊するわ)

 ネフィラはザビエストの背後に立つ四翼の天使を見据える。

(更に一体、オーラが違う。あれは司令塔。智天使ケルビムクラスってところかしら)

「天力……我ら魔族を殺すに特化した力か」

 内心の動揺をらいそうしっそうの兵士に悟られぬよう、ネフィラはぼそりと呟いた。



(加勢する必要なんか、なかったかしらね)

 アイナは草陰から戦況を見守っていた。ザビエストが放った天使の大群は、サイクロプス達を仕留め、悪魔神官の魔法を物ともしない。

 遠くにはセルフィアノの顔が映し出されている巨大水晶が等間隔で並んでいる。妙な魔導具を開発したものだと思いながら、アイナはセルフィアノの顔を見て、違和感を覚えた。

 巨人兵団を滅ぼされ、魔法も無効。なのに何かを期待するように口角を僅かに上げている。

 アイナは嫌な予感と共にザビエストの様子を窺う。ザビエストは先程サイクロプスが投擲した岩石の近くにいた。刹那、岩石が意志を持っているかの如く、ピクリと動く。その岩には、目と口のある凶悪な顔が表れている。濁った声で岩が笑った。

「ギギギ! 魔王軍に栄光あれ!」

 刹那、閃光を放ち、爆裂する岩。咄嗟に、ザビエストの背後にいた四翼の守護天使が主を守るように翼を広げ、更にお付きの少年がザビエストの前に飛び出す。

(鉱物の魔物! セルフィアノめ、こうかつな!)

 アイナは軽く唇を嚙みながら、ザビエストの元へと走った。黒煙が晴れると、ザビエストと少年が倒れている。

「ザビエスト様!」

「いってー。小細工しやがって」

 天使の守護だけでは防ぎきれなかったらしい。ザビエストは足を押さえている。それでも、命に別状はなさそうだ。問題は盾になった子供である。全身火傷を負い、呼吸が荒い。致命傷だ。

 事は一刻を争うというのに、ザビエストはアイナを見て和やかに微笑んだ。

「ああ、これはアイナさん。もしや、加勢に来てくれたのですか?」

 頷きながら、アイナは叫ぶように言う。

「ザビエスト様! 治癒の天力で、少年の手当を!」

 アイナは以前、ザビエストがマーグリットの無くなった腕を再生したところを見ている。大丈夫! あの治癒能力があれば、この子はきっと助けられる!

 ザビエストが、ひょこひょこと足を引きずりながら少年へと歩む。そして少年に右手をかざした。

(え……)

 アイナの目は驚愕の為、大きく見開かれる。ザビエストは笑いながら、自らの傷ついた足に左手を当てていた。右手をかざした子供が痙攣し、代わりにザビエストの傷口が塞がっていく。

「よし。完治」

 笑顔の子供が息絶えた瞬間を目の当たりにして、アイナが叫ぶ。

「い、今、一体何を!?

「ああ。生命力を分けて頂いたのですよ」

 子供は眠ったようにして死んでいた。まるで、ドレインで命を吸い取られたリーヴェンの村人達のように。

(まさか……!)

 アイナは気付き、天使達を振り返る。この天使達も同じようにして生み出されたのだとしたら! この規模の生命エネルギーを得るには町単位の人間の生命エネルギーが必要! だとすれば!

「コブの町もリーヴェンの村も、アンタが……!」

「天力は流用の神力です。魔王軍を一掃するのに、代償として複数の人間の生命力が必要だったのです。これは仕方のないことなのですよ」

「流用? それはね──悪用っていうのよ、このバカ!」

 アイナは怒りを滲ませた瞳でザビエストを睨み付ける。

「人類の敵はアンタの方じゃない!!

「アイナさん。アナタにはガッカリです。てっきり気付いた上で、加勢に来てくれたのかと……」

「そんな訳ないでしょ! 知ってたら、誰がアンタなんか!」

 敵意剝き出しのアイナの前に、天使が十数体、舞い降りる。

「はぁ。アナタも青っチョロいあのガキと同じですねえ。なら、加勢は結構です。代わりに天力の肥やしになってください」

「舐めないでよ!」

(天使は私と同じ女性タイプ! 同性相手じゃ効きが弱い! 必殺フローで一気に仕掛ける!)

「四十八のプリティス・第二十七の仕草『ちちよせ』!」

 アイナは胸元をはだけ、胸の谷間を作る。そして腰を落とすや、

「四十八のプリティス・第四十七の仕草『あいげき』!」

 谷間の前、両手でハートを象る。不死船団のアンデッド達を骨抜きにした、アイナ必殺のフロー。複数の敵相手に効果的な連続プリティスだ。

 だが天使達は、嘲笑と冷笑が入り交じった笑い声を発した。

『何よ、それ。全然可愛くないわ』

『どっちかって言えばお色気よね』

『下品な女』

(くっ! やっぱり天使には効きが弱い! でもザビエストは……?)

 突如、遠慮の欠片かけらもない男の拳がアイナの腹部にめり込む。「がはっ!」と胃液を吐き出し、アイナはくずおれる。

「悪りぃな。ガキンチョにゃ全然興味ねーんだよ」

 そしてザビエストはアイナの髪の毛を摑む。

「勇者といい、お前といい、何だよそのくだらねー技は?」

「プリティスは……攻撃力、魔力を超える唯一無二の絶技……」

「ハァ? 天力こそ最強、唯一無二の力。テメーの力は偽物だ、このマヌケ」

 そしてザビエストはアイナの顔面を地面に叩き付ける。アイナの顔から涙と鼻血が溢れた。

「うぐっ……」

「つーかお前、さっき俺のことバカって言ったよね? 謝れよ」

 そのまま顔を何度も地面に叩き付けられる。もうろうとする意識の中、静観している魔物達の声がアイナに耳に聞こえてくる。

「何だ? 仲間割れか?」

「セルフィアノ様。如何致しますか?」

『芝居でもなさそうな雰囲気ですね。全軍そのまま待機。天力を分析する絶好の機会です。それに少しでもザビエストの体力を削ってくれれば、なお良しといったところですが……まぁそれは無理でしょうかね』

 グシャッと足で頭部を踏み付けられる。アイナの口元には、大きな血だまりができていた。

「カカカ。誰もテメーを助けに来ねえ。哀れだねー」

「わ、私は……」

「あん? やっと謝る気になったか。よし、そのまま土下座しろ」

「わ、私はね……確かにアンタの言う通り、偽物かも知れない……」

 顔面を血で染めたアイナの脳裏に、リールーとの修行が思い返される。

 プリティスをマスターしたアイナをリールーは褒め称えた。

『やはりお主にはプリティスの素質があるのぞ』

(嬉しかった。でも……)

『スズキに少しでも近付けるように努力するのぞ。スズキこそ天賦の才能。唯一無二のプリティス使いなのぞ』

 誇らしく語ったリールーの顔はまるで母親のような……いや、むしろ……。

(恋人をいとおしむような……)


『だ、誰ですか? 攻撃はまだ待てと言った筈です!』

 セルフィアノの叫ぶ声で、アイナの思考は現実に戻る。ふと見上げると、ザビエストも眉間に皺を寄せ、前方を眺めている。

「あん? 何だ、あの魔物は?」

 セルフィアノの命令も聞かず、こちらに歩み寄る一体の魔物。その魔物を視認した時、アイナの目は大きく見開かれた。

「ヂュマ様! あれはヂュマ様だ!」

 何体かの魔物が叫んだ。ほぼ同時に、

「あの裏切り者め!!

 らいそうしっそうの長、ネフィラの怒声もアイナの耳に聞こえてくる。

(ヂュマ! 最悪……!)

 剣でバラバラにして船から放り投げた。その恨みを晴らすべく復活して、追ってきたのだろう。

 だがヂュマはアイナの手前で止まり、ザビエストに怒りの形相を向けていた。

「こ、この……お、男は……!」

 ビキビキとヂュマの顔が悪鬼の形相になる。

(な、何? ヂュマは、ザビエストを知ってるの?)

「んー? どっかで会ったっけ。でも忘れたわ。人も魔物もいっぱい殺したから」

 ゆうしゃくしゃくのザビエスト。対して、ヂュマは見るからにボロボロ。罅割れた体で「ひゅうひゅう」と掠れた呼吸を繰り返している。手足はどうにか癒着しているが、歩くのがやっとの状態のようだ。

 ザビエストを見据えるヂュマに、アイナは僅かな希望を見た気がした。ヂュマとザビエストが争えば、この場から逃げる隙が生まれるかも知れない。

 だが、そう思った途端、ギロッとヂュマがアイナを睨む。そして、アイナに歩み寄ると、そのまま倒れるように覆い被さる。

(くっ! やっぱり私を殺すのが先か!)

 このままヂュマに首筋を嚙み切られる──そんな想像をした。だが、しばらく経っても、死も痛みも訪れなかった。

 ヂュマはアイナに覆い被さったまま微動だにしない。魔物達もこの状況に困惑していた。

「お、おい。ヂュマ様は何をやってるんだ?」

「まるであの女を守るみてえに……」

(守る? バカね。そんな訳ないでしょ)

 ならば、どうしてヂュマは自分に攻撃してこないのか。それはアイナにも分からなかった。

 やがて業を煮やしたように、ザビエストがヂュマを足蹴にする。

「おい。どけよ、ガラクタ」

 そのまま蹴られ続けるヂュマ。激しい振動がアイナにも伝わる。それでもヂュマはアイナから離れない。まるで、本当に自分を守ってくれているかのように。

(い、意味が分からない!! ヂュマが、どうして私を守るのよ!?

「何で? ど、どうして……?」

 アイナは振り絞るような声で、ザビエストに蹴られているヂュマに囁く。ヂュマは感情に乏しい人形の声で訥々と喋る。

「こ、この男に……何かが壊されるのを……も、もう見たくない……」

(ま、魔物が人間をかばう……? 噓! こんなの噓よ!)

 魔王軍は黙って、この状況を傍観していた。不死船団団長が人間にやられている──通常なら、助けに向かうのは当然である。だが、セルフィアノからの指示はない。以前、ヂュマが軍規に背き、スズキをさらったからだろう。

 ヂュマの体の軋む音がアイナにじかに伝わる。アイナは船上で、自分がスズキに言った言葉を思い返していた。

『魔物が改心するなんてありえない。【籠絡した後、隙を突いて殺す】──これが正しいプリティスの使い方よ』

 アイナは歯をきつく食い縛る。

(分かってなかったのは私! スズキのプリティスの使い方、それこそが本当の!)

 ザビエストに蹴られ続け、ヂュマはもう動かなくなっていた。全ての機能が停止したかのように、口をぱかりと開けたまま喋ることもない。

「何だ、このガラクタの魔物は。弱ぇえなあ。天使を使うまでもねー」

 笑いながら、トドメを刺そうと大きく足を振りかぶったザビエスト。だが、アイナが入れ替わるようにヂュマに覆い被さった。

「弱った魔物いたぶって……威張ってんじゃないわよ……!」

「ハァー? 今度はお前が代わりに蹴られるの? さっきから何やってんだ、テメーらは?」

「分かんないでしょ? 私もアンタもね、全然分かっちゃいなかったのよ。でもね。こんな私にも一つだけハッキリ分かったことがある……」

 アイナはザビエストに鋭い眼光を向けた。

「アンタなんか救世主じゃない! 勇者でも英雄でもない! この世界にはね! 誰も傷付けない力がある! 代償なんか求めず、血を流さずに済む力が! アンタなんかのじゃない本当の力! それこそが世界を救う勇者の──」

「うっせーな。さっさと死ねや、ブス」

 頭を足で強く踏まれたせいで土が口に入り、アイナはそれ以上喋れなくなった。



 ネフィラは腕組みしながら、ヂュマとアイナがザビエストに暴行される様子を遠目に眺めていた。

 ヂュマのことは、スズキの件もあって腹立たしく思っていたが、弱者に唾を吐くザビエストもまたかんにさわった。

 舌打ちして目を逸らし、巨大水晶を見る。セルフィアノが少し焦った様子で、隣に居る魔物と喋っている様子が映っていた。

『……え? スズキがレイルーンに戻っていない? 魔都から竜車でミレミア平原に向かった?』

「な!? スズキが!?

 思わず声が出てしまう。

(うう……あの子、どうしていっつも言うこと聞かないの……!)

 ネフィラは母親のような気持ちで唇を嚙み締める。もう、スズキったら! でもひょっとして、私の身を案じて? 可愛いんだからっ!

 数基、配置された巨大水晶のセルフィアノが一斉に喋る。

『ミレミア平原にいる全ての魔物に通達! スズキが戦場に現れるかも知れません! 見つけたら、絶対に前線に向かわせないようにしてください!』

 セルフィアノの顔は真剣だった。自分が魔都に招いたせいで、ヂュマにさらわれたことをセルフィアノなりに反省しているのだろう。ネフィラもまた、集結しているらいそうしっそうの者達に命令する。

「お前達! 何があってもスズキを通すなよ!」

 皆、こくりと頷く。キルがドンと薄い胸を叩いた。

「周りにバリケード張りますよ! スズキには長生きして貰わなきゃなんねえし!」

「うむ」

 ネフィラはらいそうしっそうの背後を見渡す。うんの如く、魔物達が集まっている。セルフィアノの命令に従い、これらの魔物全てがスズキを通さない。

ありの這い出る隙もないっす! これならスズキは安心っす!」

 キルの言葉にネフィラは頷き、安堵する。スズキは絶対にこの場に辿り着けないだろう。問題は……。

 ネフィラは前方に視線を移す。背後の魔物を超える数の天使達がザビエストの周りに集まり、地平線を埋め尽くしている。

『皆様、お待たせしました』

 不意に、凜としたセルフィアノの声がネフィラの耳に届く。

『敵の分析が完了しました』

(遂にセルフィアノが動く、か。ようやく戦闘準備が整ったようね)

 巨大水晶のセルフィアノは、まるでネフィラの目の前で語りかけるように声を発する。

『勅令! 魔王軍直属特別攻撃隊・らいそうしっそう! 先陣を切り、その命を魔王様に捧げよ!』

「……御意」

 セルフィアノに返答するというよりは、魔王に忠誠を示すようにネフィラは言う。

 セルフィアノは、敵の分析が完了したと言った。天使達に対し、勝率は充分にあると考えたのだ。だが、それと同時に耳慣れない命令──『命を捧げよ』。

 セルフィアノの第三の目は、先の大戦と同じ、或いはそれ以上の犠牲が出ると見越しているのだろう。無論、ネフィラ自身もザビエストが凄まじい力を持っていることを実感している。

「……ネフィラ様」

 ぼそりとキルが呟いた。普段見せない真剣な表情をしている。

「コレ、うちの隊、半分以上死にますよね?」

「ああ。久し振りの生き死にの戦いだ。怖いか?」

「冗談! メチャクチャ燃えてますよ!」

 そう言ってキルは愛用の鎌を振り回す。緊張と興奮が入り乱れたような顔だ。ネフィラもまた、自らの体が汗ばんでいるのを感じる。

(ふふ。私も熱くなっちゃってる。悪魔のサガかしらね)

 死んでスズキに会えなくなるのは凄く寂しい。だが、悪魔として生まれ持った本能が抑えきれない。強敵との戦闘……。戦いへの渇望……。生と死の衝動……。興奮で体が熱い。

(こんなのスズキが知ったら、嫌われちゃうよね)

 それでもネフィラの口角は自然と上がる。ニタリと悪魔の笑みを一瞬見せた後、ネフィラはらいそうしっそうの兵士達にげきを飛ばす。

「行くぞ! 我らのしかばねの上に魔王軍の勝利を築く!」

 仲間達の怒号のような声が平原に響き渡った。