第六章 幸福の丘


 魔都に絶賛改装中の帝都では、帝国城を魔王城とすべく改築と修繕が進められていた。

 かつての帝王の間で、セルフィアノは玉座から魔物達に指示を送る。文句も言わず、作業に精を出す魔物を眺めながらセルフィアノは思う。

(うんうん。皆、頑張っていますね)

 そんな中、隅の方でせっせせっせと黒い羊皮紙を折りながら叫んでいるネフィラに、セルフィアノはジト目を向けた。

「スズキが無事でありますように!! スズキが無事でありますようにいいいいい!!

「ネフィラ。アナタは一体、何をやっているのですか?」

 ネフィラはクマのある疲れた目でセルフィアノをギロリと睨む。

「知らないのですか!? 『六六六コウモリ』ですよ!! こうやってスズキの無事を魔神様に祈っておるのです!!

「まじないの類ですか。そんな妙な折り紙をしても意味がない気がしますが」

「そんなことはありません!! 六百六十六体、折れば願いが叶ってスズキが帰ってきます!! だから、妙な折り紙とか言わないでくれる!? ねえ!?

「はいはい」

 スズキがさらわれた件でかなりイラついている。放置した方が得策のようだ。

(それにまぁ、気を紛らわせる効果はあるかも知れませんし)

 折り紙の山を見ながら、セルフィアノもまたスズキのことを案ずる。無論、スズキの件に関して、セルフィアノは責任を感じている。だからこそ、その焦燥を隠すように魔都の改装に力を入れ、忙しなく魔物達に指示を出しているのだ。

(ふう。問題が山積みです)

 更にスズキ以外にも気がかりがあった。コブの町に続き、リーヴェンの村にいた人間も全滅したとのしらせがあったのだ。彼らは奴隷用、食料用にと保存していた人間である。そして例の如く、リーヴェンに駐屯していた魔王軍は姿をくらませていた。

(やはり我々の中に反乱分子が……?)

 考え事をしていたせいで、セルフィアノは辺りのざわめきにしばらく気付かなかった。

「何だ貴様は!」

「止まれ、止まれ!」

 スケルトン兵の怒声でようやくセルフィアノは、三つの目を観音開きの扉に向ける。蜘蛛の姿をした魔物が、護衛のスケルトン兵に囲まれていた。

 槍を突きつけられても、ちんにゅうしゃは歩みを止めない。顔中央に集まった複眼から、紫の血の涙を流しつつ、セルフィアノの元に近付いてくる。

 危険を察知して、セルフィアノの前にグラントが立ち塞がった。魔王軍参謀であるセルフィアノの護衛を任されている一騎当千のオーガである。

「えぇい! 止まれというのに!」

 やがて、強引にスケルトン兵に羽交い締めされた蜘蛛は「た、助けてくれ」と、哀れな声を漏らした。

「セルフィアノ殿。これは……?」

 いつしかコウモリを折るのを止めて、隣に佇んでいるネフィラにセルフィアノは言う。

「明らかに何者かに操られていますね。誰か、縛る物を……」

 その刹那、

「カッカカカカ!!

 蜘蛛の声が急に別人のものに変わった。

「福音! 『さくらん牡丹ぼたん』より【ごんでんこう】!」

 高らかに叫んだ蜘蛛を皆、息を吞んで注意深く見る。蜘蛛は天井を見上げながら、再び哄笑した。

「俺の名は天力の御使いザビエスト! 三日後! ミレミア平原にて太陽が真上に昇る時! て、テメーら全員……ぶ、ぶ、ぶ……」

 蜘蛛が突然、痙攣を始めた。「離れろ! 危険だ!」とネフィラが叫ぶのと、蜘蛛が「ブッ殺す!!」と声を張り上げたのは、ほぼ同時だった。

「ぐわあああああああ!?

 突如、蜘蛛の体から目もくらせんこうが放たれ、スケルトン兵達が絶叫した。だが、彼らの叫びは途中で途絶える。スケルトン兵達の骨の体は瞬く間に灰と化した。

 光が収まった後、蜘蛛とスケルトン兵五体は跡形もなく消え失せていた。

「な、何と凄まじい聖なる力……!」

 セルフィアノは思わず呟く。怪しげな闖入者に対し、セルフィアノは帝王の間に、既に闇の結界を張り巡らしていた。なのに、この威力……!

「大丈夫ですか? ネフィラ」

「私は雷のオーラで防御しましたから」

 事もなげに言う。流石は魔王軍特別攻撃隊・らいそうしっそうの長である。次にセルフィアノは、自らの前に立つグラントの肩に手を当てた。

「グラント。ご苦労様でした」

「ウガ」と言ったグラントの皮膚が少し焦げていることにセルフィアノは気付く。

(グラントの皮膚まで焼くとは。『天力』──我ら魔族を滅する為に神が与えたという、天剣と対をす二つの力……)

 セルフィアノは顎に手を当てて熟考する。

(今しがた起こった事象だけを見れば精神操作系の能力……ですが、違いますね。蜘蛛を操っていたのは、おそらくその力の一端。本質は『聖なる光の力を基礎ベースとし、それを様々な形に応用できる』──?)

 そうだとすれば厄介だ、とセルフィアノは密かに唇を嚙んだ。そして魔王軍随一の知能は、更に思考を巡らせる。

(しかし、グラントに傷を負わせる程の強大な聖なる力をどうやって得たのでしょう?)

 世界には魔法理論というものが存在する。スケルトン兵五体を跡形もなく消滅させ、鉄壁の防御力を誇るグラントの体を焦がす聖なる力が、セルフィアノにはたった一人の人間から発せられたものとは思えなかった。

 セルフィアノは双眸を閉じ、代わりに第三の目をゆっくり開く。そして、めいそうするように静かに呼吸をしながら状況をかんする。

 もし仮に、コブの町、リーヴェンの村の件が魔王軍の謀反でなかったとしたら……。生気を吸い取られて死んだ人間達……。駐屯していた魔王軍の消失……。

 やがてセルフィアノは三つの目、全てを開く。

「なるほど。全て、その者の仕業だったということですね」

(命ある者から生気を吸い取り、それを聖なる光の力に転換して我ら魔を滅ぼす──それが『天力』の正体ですか)

 敵の能力を看破した後、セルフィアノはりんとした声でネフィラに告げる。

「ミレミア平原での戦に備え、各地に駐屯している魔王軍の半数を帝都に集結させましょう」

「しかし……十中八九、敵のわなでは?」

「だから何だと言うのです。魔王軍の保管庫たる町村を壊滅させておいて、不敵な宣戦布告。許せる訳がありません」

 救世十字軍のような夜討ちではなく、わざわざ魔物を伝令に使った。よほど己の能力に自信があるのだろう。

(だとしても、敵の能力の大方は見切りました。ならば、敵が指定した戦場で、あえてそれをねじ伏せてみせましょう)

「ふふふ! 人間如きが! 目にもの見せてくれる!」

 普段、表に出さない悪魔としての一面を見せつけ、セルフィアノは叫ぶ。

 セルフィアノの声を聞いて、辺りに沈黙が漂った。やがて、ネフィラがおずおずと言葉を発する。

「で、ですが……」

らいそうしっそうも参加してください。キルを含めた三百体程を帝都に向かわせましょう」

「い、いや、あの……セルフィアノ殿」

「ああ、心配はいりません。水晶玉通信で私が伝達します」

 チラチラとネフィラはセルフィアノを見ては目を逸らしていた。珍しく不安げな様子のネフィラにセルフィアノは微笑む。

「言いたいことは分かりますよ。無論、陽動の可能性もあります。ミレミア平原に注意を向けさせ、帝都を奪還しようとしているのかも知れません。仮にそうでも心配は無用です。安心してください」

「い、いえ。そうではありません。セルフィアノ殿……」

 言いあぐねているネフィラ。セルフィアノはハタと気付く。

(なーんだ、そういうことですか! 久し振りに怖いところ見せちゃいましたからね!)

 笑うセルフィアノ。だが、ネフィラはセルフィアノの胸の辺りを指さし、気まずそうに言う。

「セルフィアノ殿……! 片乳がハミ出ています……!」

「……は?」

 セルフィアノは下を向き、自分の胸元を見る。白いドレスの右半分が破れて、言われた通り、片方のオッパイがハミ出していた。

「ひゃあああああああ!? 何でえええええええええええ!?

 てっきりグラントが完璧に守ってくれたものと思っていた。だが、天力はグラントの守りをすり抜け、セルフィアノのドレスを焼き切っていたのだ。ちょ、ちょ、ちょっと待ってください! じゃあ、私はあの時からずっと……?

 セルフィアノは顔を真っ赤にしてネフィラに叫ぶ。

「早く言ってくださいよォォォォォ!!

「言おうとしたんですよ! でも『心配いりません』とか『言いたいことは分かります』とか言って聞いてくれなかったし! 別に良いのかなあって」

「全然良かないですよ!! おっぱいボローン出しながら『目にもの見せてくれる!』とか言って笑ってた私、バカみたいじゃないですか!? そうでしょ、ねえ!?

 セルフィアノは大声でネフィラに迫る。するとネフィラは、

「は、はい! バカみたいでした!」

 とキッパリ言った。「ウガ!」と、隣のグラントも同意するように頷く。更に周囲の護衛の兵士達も一斉に「バカみたいでした!」と声を揃えて叫んだ。

 セルフィアノは破れた乳を隠しながら、拳と逆恨みを大理石の床に叩き付けた。

(お、おのれえええええ!! 天力の御使いザビエスト!! 絶対に叩き潰してやりますからねえええええええええ!!



 たかし達がリーヴェンの村を出て、数時間。ひとのないあぜ道を進むのに疲れて、たかしは先頭を歩くアイナの背中を睨む。既に日は落ちて、辺りは薄暗くなっている。

(暗くなる前に辿り着きたかったのに)

 まだなのかよ、と愚痴りたい気持ちを抑え、たかしは雑談っぽく話しかける。

「アイナはそのザビエストって人と知り合いなんだよな?」

「前にちょっとね。向こうは私の顔は知らないでしょうけど」

「え? それってどういう……」

 たかしとアイナの会話を遮り、エクセラが驚いた声を上げる。

「ま、待ってください! それではザビエスト様の拠点の正確な位置をご存じないのでは?」

「ええ。言づてに聞いただけよ。この辺りだと思うんだけどね」

 たかしは自分の鼻がピクピクと動くのを感じた。だ、ダメだ! もう我慢の限界! キレそう!

 最終的にアイナは崖が高くそびえる行き止まりで歩みを止めた。普段、短気ではないたかしも遂に堪忍袋の緒が切れる。

「迷ってんじゃん!! どうすんだよ、もう夜だぞ!!

「何言ってるの。時間通り、ついたじゃないの」

「崖が拠点!? んな訳ないだろ!! ふざけんな!!

 しかしエクセラはおずおずと崖の岩壁に手を伸ばした。

「これは、もしや……」

「行きましょ」とアイナは崖に向けて颯爽と歩き出す。ぶつかる、とたかしが思った瞬間、アイナの姿は崖に吸い込まれるように消えた。あ! もしかして、これって!

「幻術か!」

「そのようですね!」

 たかしとエクセラも思い切って岩壁に進む。すると、視界が急に変わった。

 目前に広がるのは小高い丘。木造の家々が間隔をおいて建てられている。家の前にともされた松明たいまつのお陰で暗くなっているとは言え、丘の全景がしっかりと見て取れる。中央に一際、大きな洋風の家屋があった。

「救世十字軍も同じような幻術を使ってたな」

 たかしがぽつりと呟くと、またもアイナは小馬鹿にしたような顔をする。

「知らないの? この幻術はリールー様が編み出したものなのよ。自らの変化の術を応用してね。タルタニン達が、魔物に察知されずに軍備を整えられるのもリールー様の幻術あってこそよ」

「何と! そうだったのですね! 流石は大軍師リールー様!」

「ふふ! 当然よ! リールー様は天才なんだから!」

 リールーを称えられて、アイナはまるで自分のことのように無邪気に喜んだ。その笑顔がとても愛らしかったので、たかしは苛立ちを忘れて見とれてしまう。しかし、たかしの視線に気付いたアイナは、すぐに仏頂面に変わった。

「ホラ、ボサッとしてないで行くわよ。きっと、あの大きな屋敷がザビエスト様のすみよ」

「分かってるよ!」

 たかしが丘に登ると、頭に花冠を付けた女や子供がいた。もう薄暗いのに笑顔で花を摘んでいる。

「あ、えっと」

 たかしが近付くと、女の子は走って行ってしまった。脅かしちゃったかな、と反省していると、女の子はやはり笑顔で司祭服を着た男性を連れて戻ってきた。

「この場所に客人とは珍しいですなあ」

 温和そうな禿頭の男がそう言った。この人がザビエストさん、か?

 すぐにアイナが頭を下げた。

「ザビエスト様。突然の来訪をお許しください」

「えぇと、アナタは……」

「アイナと申します。以前、談合の時、リールー様に同行していました」

「ああー! 影武者の!」

(か、影武者……? 色々やってんだな、アイナって)

「こちらはレイルーンのエクセラ姫。そしてコレが勇者です、一応」

「コレとか、一応って!」

 たかしがふて腐れて叫ぶ。ザビエストは「ほうほう」と優しげな眼をエクセラとたかしに向けた。

 アイナはザビエストに此処に着た経緯を話し始める。

「……ほう。なるほど、なるほど。不死船団の船が難破──それは大変でしたね」

「それで、もしよろしければ一泊の宿を……」

「勿論です! これも神のお導き! 一泊と言わず、好きなだけ居てください!」

「ありがとうございます!」

 アイナ同様に、たかしもエクセラもザビエストに頭を下げた。

(一泊だけでもありがたいのに。ホントに良い人だな!)

 その後、ザビエストは夕食を一緒にと誘ってきた。難破して以来、ろくな食べ物を口にしていなかったたかし達はザビエストの好意に甘えることにした。

 屋敷の食堂では、白装束の女性達が長卓に、パンやサラダ、とりにくなどが載った皿を笑顔で運んでくる。ふと気になってたかしはザビエストに尋ねる。

「此処にいる女性や子供達は?」

「皆、魔王軍に家族を殺された者達です。不肖、私めがかくまっております」

「ご立派ですわ!」

 エクセラが感極まったように言う。たかしもまた、心から頷いた。

「私は此処を『幸福の丘』と名付けました。世界中全ての人が、こうやって幸せに暮らせる世になって欲しいと願っています」

 たかしはしきりにコクコクと頷く。自分の理想とザビエストの理想が同じだと感じたからだ。同じ考えを持って頑張っている人間がいることをたかしは嬉しく思った。

 食事をとりながら、ちらりと隣の部屋を見る。小さな男の子や女の子が、心から楽しそうにニコニコと微笑みながら花を編んでいる。ほのぼのとした雰囲気は、たかしの理想としている光景に近い。

(スズキーランドも負けてられないな! もっと、やれることがあるだろうし!)

 前向きな決意をしつつ、たかしはパンを平らげる。食事の後、相変わらずザビエストはニコニコしながら、だが、思いがけない提案をしてきた。

「勇者様。腹ごなしに一つ、お手合わせなど如何でしょう?」

「お手合わせって……ええ!? い、いや俺は!! 人間相手には無力だし!!

「これは失礼! 言葉を間違えましたな! 単純にお互いの力を見せ合うだけですよ!」

「は、はぁ。まぁ、それくらいなら……」

(魔物がいないと俺の力は発動しないんだけどなあ)

 宿も食事も提供して貰ったのに、断ることなどできない。たかしは首を縦に振るしかなかった。


「私は準備をしてきます。勇者様も用意ができましたら、教会の前に」

 ザビエストはそう言って退出する。広場にあるという教会にそのまま向かおうとした時、アイナがたかしの服の袖を引っ張った。

「待ちなさい。力を見せ合うだけ、なんて言ってたけど、ザビエスト様はきっと本気よ」

「でも、ザビエストさんってヒーラーなんだろ?」

「あの自信……もしかしたら治癒以外の能力があるのかも知れないわ」

 真剣な表情で少し考えた後、アイナは自分の荷物から小包を取り出し、それをたかしに見せる。

「預かっていた物よ。リールー様からアナタにって」

「し、師匠が俺に!?

 このタイミングで渡してくるということは、戦闘用の装備かも知れない。たかしの胸は高鳴った。

(やっぱり離れてても師匠は俺のこと、考えてくれてるんだ!)

 そんな嬉しい気持ちは小包を受け取った刹那、疑問に変わる。武器や防具にしては、包みは思いのほか軽かった。

 たかしは不思議に思いながら丁寧に包みを開く。すると、中にはピンク色の衣装が折り畳まれていた。

「な、何だコレ……?」

 意味が分からず、たかしはそれを持ち上げて自分の前で広げてみる。衣装の全貌が明らかになった。

 ピンクのトップスと、フリルが付いたミニスカートの一体型。よく見ると、お腹の部分に角の生えた一角兎の刺繍が付けられてある。

「い、いやいやいやいや!! コレ、俺にじゃないって、絶対!!

「そ、そうですわね! だってこれでは、まるで小さな女の子が着るような……」

 たかしはエクセラと顔を見合わせて笑う。だがアイナはそんなたかしに、睨むような目を向けた。

「いいえ。間違いなく、アナタ専用の装備よ」

「俺の……装備……コレが……?」

 まじまじと眺める。すると、兎の刺繍もまたたかしを見詰め返しているようだった。

「装備って言うか……これじゃあ……」

 呟いた後、たかしは床にピンクい衣装を叩き付ける。

「女装じゃねえかよ!!

 途端、アイナが血相を変えた。

「な、何してるの、アンタ!? これはリールー様が作られた『聖女装』なのよ!!

「女装って言ってんじゃん!!

「いいから早く着替えてきなさい!」

「着れるか、こんな低学年女の子雑誌の付録みたいな安っぽい服!! 師匠、俺のことバカにしてんじゃねえの!?

「や、安っぽいですって……?」

「だって見てくれよ、この下品なピンク! それに最悪なのがお腹の刺繍! 何だよ、この主張の強い不細工な兎は! ミニスカートだし、もう罰ゲームじゃん、コレ!」

 リールー師匠にからかわれたのだと思い、たかしは大声で怒りをブチまけた。その瞬間、『パン』と乾いた音がして、たかしの頰に鋭い痛みが走る。

「……は?」

 呆気に取られながら、たかしは痛むホッペを押さえる。目の前にはたかしより、もっとずっと怒りの表情を見せるアイナがいた。

「謝りなさい!!



(コイツ! マジでイラつく!)

 スズキは何故、叩かれたのか分からない様子で頰を押さえている。そんなスズキの顔を見ていると、アイナはもう一発殴ってやりたい衝動に駆られる。本当に腹が立つ! いや、会った時からずっと腹が立っている!

(せっかくリールー様が作ってくださった服を!)


 物心も付かない頃、両親を魔物に殺されたアイナは、十四才の若さで帝国軍兵士に志願した。

 女性の身ではあったが、世界を魔王軍から救おうと粉骨砕身して訓練に励むアイナをする者はいなかった。事実、アイナは魔法の才こそなかったものの、武術、剣術は男以上にこなした。

 だが、人類の命運を賭けた、魔王軍との数年間に及ぶ人魔戦争で帝国軍は壊滅した。人類は魔物に屈したのだ。

 アイナの所属していた隊は、命からがら敗走した。風の噂では南方のサイネス城も魔王軍の手に落ちたと言う。続々と人類の敗戦が知らされる中、親のように接してくれた上官、きょうだいのようだった仲間達も追っ手の魔物に殺されていく。

 気付けばアイナは一人、深い渓谷にいた。涙もれ果て、もはやどうでも良くなって身投げをしようとしたその時、アイナの肩を誰かが摑んだ。

 振り返れば、美しき桃色の髪。帝国軍軍師リールー=ディメンションが沈痛な表情で佇んでいた。

「だ、大軍師様!? アナタは死んだ筈では!?

 リールーは無言で首を横に振る。そして……。

「すまんのぞ」

 アイナを抱きしめながら謝った。

「リールー様……?」

「全ては我が策が至らなかったが故。こんな思いをさせて言葉もないのぞ」

 リールーの目から涙が零れる。今まで遠くで指揮を執る姿しか見たことがない大軍師が、見知らぬ一兵卒である自分の為に泣いていた。

「リールー様のせいではありません!」

 数年間、魔王軍の猛攻をしのいだのはリールー=ディメンションの知略があったからだ。なのに、軍師は涙を流し、振り絞るような声で言う。

「こんな世界にしておいて『死ぬな』とお主に言えたものではない。それでも死ぬのは待って欲しいのぞ。遂に我は見つけたのぞ。魔王軍にじゅうりんされるこの世界に、一条の希望の光を」

「それは……?」

 リールーは遠い目をした後、ふと気付いたようにアイナの顎に細い指を当てる。そして覗き込むように顔を近付けた。

 アイナの顔が紅潮する。吐息を感じる距離でリールーは囁くように言う。

「うむ。お主にもその才能のへんりんが見えるのぞ」

「わ、私に世界を救う才が?」

 ……その日以後、アイナはリールーの従者となり、プリティスの修行を開始した。

 リールーは時に厳しく、時に優しく、親のようにアイナに接した。いつしか、両親のふくしゅうしか頭になかったアイナの心に新たな目標が生まれた。

(リールー様の為に、私はこの命を捧げよう!)


 リールーの護衛を務められるまでプリティスに熟達したある夜。アイナはリールーが夜更けに編み棒を手に、格闘していることに気付いた。

「リールー様も編み物をされるんですね」

「始めたばかりなのぞ。なかなかに奥が深い……あ痛っ!」

「だ、大丈夫ですか!?

 編み棒の先で手を刺してしまったらしい。ふふっ、リールー様ったら! 大軍師なのに可愛らしいところがあるわ!

(でも、こんな女の子が着るような桃色の衣装、一体……?)

「この聖女装があれば、より一層、可愛くなれるのぞ」

 言われてアイナは気付く。り、リールー様はわざわざ私の為にコレを!

「スカートの部分にフリルなんかも付けてみようと思うのだが、どうかの?」

「最高です、リールー様!」

「お腹のところに一角兎の刺繍を入れようと思うのだが、」

「完璧です、リールー様!」

(私の為に徹夜までして! ああっ、リールー様!)

 アイナはより一層、プリティスの修練に励んだ。リールーが編んでいる聖女装に見合う実力を付ける為に。

 しかし。タルタニンとザビエストを招いた例の談合の後、リールーは聖女装の入った小包をアイナに手渡しながら言った。

「これをスズキに届けて欲しいのぞ」

(私にじゃ……なかったんだ……!)

 アイナは深い絶望を感じた。だが、そのことをリールーに悟られぬよう、どうにか平静を装う。バカ! 私が勝手に勘違いしたんじゃない! そうよ! 勇者がこれを着て、世界を救ってくれるのなら本望よ!

 アイナは無理矢理そう思い、自らの気持ちを押し込んだ。

 なのに、なのに……。


(なのに、それをコイツっ!)

 目の前にいるスズキが心の底から憎らしかった。スズキはアイナに頰をぶたれて放心状態だったが、やがて怒りが込み上げてきたらしく大声で叫ぶ。

「痛ってえな、何すんだよ!」

 エクセラが止めようとして間に割って入る。しかしスズキ同様、アイナの苛立ちも治まらない。

「リールー様が作ってくださった聖女装をに扱うからよ!」

「はぁっ!? こんなの欲しいなんて頼んだ覚えねえし!!

「この装備を作る為にリールー様がどれだけ苦心したと思ってるの!」

「知らないって! だったら、師匠が着ればいいじゃんか! 女なんだし!」

 スズキにそう言われて、アイナは少しだけ冷静になった。

「リールー様は、自分にはプリティスを使えない致命的な欠陥があると仰っていたわ」

 一瞬、場が静まり返る。スズキもまた真剣な表情で尋ねる。

「そ、それは?」

「……一重まぶただからだそうよ」

「そんな理由かい!!

「分かるでしょう! リールー様は可愛いというより、お綺麗なのよ!」

「ってか、変化の術でどうとでもなるだろ、一重くらい!!

「作られた可愛さじゃダメだとも仰っていたわ。プリティスには、内から醸し出す精神的な可愛さもないとダメなのよ」

「都合の良い言い訳にしか聞こえないんだけど!! 絶対、恥ずかしいから着ないんだって!! だから師匠、こんな汚れ仕事を俺にやらすんだ!!

「よ、汚れ仕事……?」

 アイナは自らの能力に誇りを持っていた。リールーに褒められたこともさることながら、この残虐な世界に与えられた希望──それがプリティスだと信じて疑わない。アイナの拳がわなわなと震える。

「ホント、女々しい男ね!!

「コレ着る方が女々しいだろ!!

「わ、私もそう思います……」

 今まで沈黙を保っていたエクセラが言葉を発する。

「男が女子おなごの服を着るなどありえません! 男は男らしく! 女は女らしくあるべきです!」

 前時代的な考えだと、アイナは舌打ちする。だが、流石に仕方ないと思うところはある。この世界では幼い頃に『男は男らしく、女は女らしく』と教えられる。レイルーンの姫としてしっかり教育されたエクセラなら、なお一層その思いも強いのだろう。だが……。

「今は、男とか女とか、そういう問題じゃないのよ!」

「でしたら、コレは私が着ます!」

「アンタが着ても意味ないのよ!! バカ!!

「ば、バカ!? バカって言わないでください!! バカ!!

「とにかく、俺も着ないからな!!

「アンタは着なさいって言ってるでしょ! このバカ!!

「な!? バカって言うな!! バカ!!

 三人で「バカバカ、バーカ!」と言い合いを始める。やがてコンコンとノックの音がして扉が開かれる。

「あ、あのー。待ってても全然来ないので……どうしましたー?」

 ザビエストが、ぎこちない顔で笑っていた。



(ふう。先程は取り乱してしまいました。反省……)

 エクセラは王族の身でありながら『バカ、バーカ』と罵り合ったことを恥じていた。

 しかし、あの衣装。あんな辱めを勇者に受けさせるのは、自分は猛烈に反対だ。『男は男らしく、女は女らしく』!

(それに、世界を救う勇者様には格好良くあって欲しいです!)

 そう思いながらエクセラは、教会の前で対峙する勇者とザビエストを見る。周囲には松明を持った女子供がいて、彼女らはまるで祭りでも楽しむような穏やかな笑顔でこの様子を眺めていた。

 エクセラの隣にはアイナが佇んでいる。謝ろうかと思ったが、今はそういう雰囲気でもない。アイナは相変わらずしかめ面で勇者を見据えていた。結局、聖女装を着なかった勇者を。

「それでは始めましょうかね」

 ザビエストは食事時とは打って変わった鋭い眼光を放つ。まるで戦で敵を狩る兵士のようだ。

(お手合わせだと言っていたけれど……)

 エクセラは不安を感じる。緊張の面持ちの勇者を前に、ザビエストが両手を広げた。途端、ザビエストの腕の周りに花弁が舞う。

「こ、これは?」

「オーラの具現化よ」

 隣のアイナが、ぽつりと言った。

「あの花のオーラが対象に触れることで、治癒の能力を発揮するの」

「で、でも……!」

 花はザビエストの前方で渦を巻いていた。やがて多量の花が集まって、人間の形となっていく。

「……福音『さくらん牡丹ぼたん』より【じゅうせいたい】」

 ザビエストが呟き、次々と花が人の形へと変化した。勇者の前方に出現したのは、十二体の人型を象った何者か。この状況にエクセラ同様、アイナも驚いていた。

「ま、前に見た時と違う……! やっぱり、天力は治癒魔法だけじゃない! その聖なる力を攻撃にも転化できるんだわ! 治癒に特化する時は『花』! そして攻撃に特化する時には……」

「天……使……!」

 エクセラの口から、自然とその言葉が発せられた。

(何て美しい……!)

 れてしまう。エクセラの目に映るのは、絵本で見た天使そのものだった。もっともザビエストが自身のオーラを使って具現化させたのだから、この世界の人間が認識している天使の姿なのは当然かも知れないが。

 エクセラは軽く目をしばたかせて、戦いに集中する。

(勇者様のお力は、この世界の種族に愛される能力! 人間ではなく、天使族なら効果はある筈!)

 天使の聖なる力は魔物に作用する力であり、人間には無害だとも伝承には書いてある。な、ならば、ザビエスト様は一体、どのような攻撃を!?

 天使十二体が純白の翼を広げる。それぞれがふわりと浮遊すると、勇者の周りをぐるりと囲む。

「ぐ!! 俺の能力が通じない!?

 勇者が焦りの声を出す。確かに天使達は、勇者の可愛さに動じる様子もなく、周囲をぐるぐると回っている。そして驚くことに、天使達は人語を喋った。

『この子、たいして可愛くはないわ』

『まぁ可愛いといえば可愛いけれど、言うほどそんなに可愛くはない』

『そうね。可愛いか可愛くないかでいえば、可愛い部類だけど、さして取り上げることもない』

 予想外の攻撃にエクセラの眉はヒクヒク動いた。

「勇者様が小馬鹿にされています!! 『囲んで、回って、ディスる』──これが天使の攻撃なんですか!?

「分からないわ。でも、勇者の能力の効きが弱いのは確かね」

(た、確かに!)

 アイナが冷静に言葉を続ける。

「かつて天使族はこの世界に実在したと聞いたことがある。純粋な天使族ならスズキの能力は作用したでしょう。けれど、あれは人間であるザビエスト様のオーラによって生まれた人造の天使。この様子だと、おそらく普段の三割程度の可愛さしか伝わっていないようね」

「半分以下ですか……!」

「ええ。それでも可愛さのスキルが全く効いてない訳じゃない。手はあるわ」

 真剣な顔でアイナが勇者に叫ぶ。

「ホラ、何してんのよ! こういう時の為のプリティスでしょうが!」

(そうですわ! 勇者様の可愛さを何十倍にも高める、リールー様直伝のプリティスなら!)

「スズキ! 天使は複数! 『ちちよせからのあいげき』が効果的よ!」

 ヂュマの船でアンデッドを一掃したアイナの得意プリティス。それを出せと、アイナは勇者にアドバイスをしている。だが、

「よ、四十八の……プリティス……モニョモニョ……」

「ゆ、勇者様!?

 勇者の様子がおかしいことにエクセラは気付く。勇者のおどおどした態度と恥ずかしそうな顔を見て、エクセラは確信した。

(照れているんだわ! 何を言ってるのか分かりません!)

「何をモニョモニョ言ってんのよ、アイツ……!」

 アイナがイラついたように拳を握りしめていた。胸の前でハートか何か良く分からない変な形を作るスズキを『ほほほほほ』と天使達は回りながら笑う。

『プッ。何よ、この仕草?』

『何て女々しい。恥ずかしくないのかしらね』

『ああ、やだやだ。気持ち悪い。男の子はたくましくないと』

 天使は勇者の周りを回りながら、侮蔑の言葉を吐き続けた。やがて、エクセラは勇者の目尻に涙が浮かんでいることに気付く。

「あ、あれは『悲哀のフロー』でしょうか……?」

「違うわ! アレはプリティスじゃない! あのバカ、普通に泣いてるのよ!」

「えええええええ!?

『ほほほほほほほほほほほ』

 天使の嘲笑と言葉の暴力は続く。堪忍袋の緒が切れたアイナが大声を出す。

「いつまでボーッと突っ立ってんのよ! 反撃しなさい!」

 アイナの声が聞こえたのだろう。勇者は蚊の鳴くような声で言う。

「ち、違う……ち、力が出ないんだ……」

「力が出ない、ですって?」

 すると、ザビエストが微笑みながら言う。

「『聖なる光のエネルギーで対象にダメージを与える』──これが攻撃に転じた天力です」

 ザビエストの言葉に、アイナが唇を嚙む。だが、肩で息をする勇者を眺めながら、エクセラは違和感を覚えていた。

 光属性の魔法が魔物に大きなダメージを与えるのは知っている。更に、強烈な光の魔法ならば熱を持ち、魔物以外にも多少のダメージを与えることはできるだろう。だが、天使達から発せられる光はとても穏やかで、人間に危害を与えられる程のものとは思えなかった。

(でも実際、勇者様は苦しんでいる……?)

 勇者は両膝に手を当てて、立っているのもやっとの様相だった。不意にザビエストが、ぱちんと指を鳴らした。勇者を囲っていた天使が忽然と消える。

「勇者様のお力は大体分かりました。このくらいにしておきましょう」

 ザビエストの言葉の途中で、勇者はふらりとその場に倒れてしまった。



「……クソっ!」

 質素なベッドに仰向けになりながら、たかしは自分への苛立ちを天井に吐き出した。古びた木造の小屋は、ザビエストが用意してくれた空き家である。エクセラ達は女性ということもあり、彼女らから離れたところにたかし専用の小屋が与えられていた。

 たかしは、ベッドの傍らに置いた聖女装の入った包みに目を向ける。

(コレを着てれば勝てたのか……? いや、そんな訳ねーじゃん! こんなの着て、負けたら今よりもっと惨めだったって!)

 着なくて正解だったのだ、とたかしは自分に言い聞かせた。その時、突然、ノックもなく、ドアが音を立てて開かれる。驚きながら視線を向けると、ザビエストが立っていた。

「お休み中のところすみません。勇者様お一人ですか?」

「は、はい」

「戦いに集中してしまい、攻撃を止めるのが遅れました。本当に申し訳ない」

 扉を閉めると、ザビエストは照れくさそうに毛のない頭に手を当てた。たかしは愛想笑いを返す。

「いえ。俺が弱いのが悪いんです」

 ザビエストは無言で部屋隅にある木の椅子を運んでくると、たかしの寝ているベッド近くに腰掛けた。

「ちょっと暑いので失礼しますね」

 そして、重苦しそうな司祭服を脱ぐ。ザビエストは鎖帷子くさりかたびらのような軽装備を身につけていた。たかしが想像していたより、ザビエストはずっと筋肉質だった。だが、それよりたかしの目を引いたのは……。

「い、入れ墨?」

 露わになったザビエストの両腕には、牡丹の入れ墨が彫られていた。ザビエストは快活に笑う。

「カッカッカ。入れ墨とは違います。神から天元のオーラを授かった時、自然と浮かび上がってきたものです。私は神紋なんて呼んでいますがね」

「ああ……なるほど」

(ダメだな、俺。こういうの見るとビビっちまう。前の世界と違うのに)

 ザビエストの腕を見て、たかしが狼狽したのには理由があった。ザビエストの神紋は、転生する前に出会ったヤクザの男、が彫っていた入れ墨に良く似ていたからだ。

「アイナさん達にも言ったのですが、一応、勇者様にもお伝えしておこうと思いまして……」

 そう前置きした後、ザビエストはたかしの隣で語り出した。

「二日後、帝都は戦乱に巻き込まれます。なので、勇者様達にはなるべく帝都周辺から離れていて貰いたいのですよ」

「それって……?」

「端的に言います。我が天力の威を持って、魔王軍から帝都を奪還するのです」

「帝都奪還!? だ、だったら俺も!!

 たかしはベッドから起き上がろうとするが、まだ力が入らない。上半身を起こすだけで精一杯だった。

「勇者様のお力を借りるには及びません。帝都のことは私に任せ、レイルーンで心穏やかにお過ごしください」

「で、でも! 俺だって勇者です! 少しは力に、」

 言葉の最中、ザビエストが椅子から身を乗り出すようにして、たかしに顔を近付けた。相変わらず、人の良さそうな笑顔を見せながら、ザビエストは言う。

「役に立たねえよ。あんなクソみてーな力」

「え……」

「勇者の生命力って、さぞやすげぇんだろなと思ってたら、普通の人間と変わりゃしねー。むしろ平均より弱ぇえくらいだ。使い道ねえよ、お前」

「ざ、ザビエストさん……?」

「お前ガキンチョだから、しっかり釘さしとかねえと、しゃしゃり出てくるもんな」

 たかしが絶句している間も、ザビエストは淡々と語り続ける。

「いいか。タルタニンもお前も……いや、一人の兵もいらねえ。俺だけで帝都を取り戻す」

「た、たった一人で!? そんなの無茶だって!!

「無茶じゃねーんだよ。俺にとっちゃあな。それに、もう準備は出来てる」

 ザビエストは、ホルスターのような物でわきの下に吊ってある二つの酒瓶をたかしに見せる。

「コブとリーヴェンの酒瓶だ。これがありゃあ、帝都周辺の魔王軍を一掃できる」

「何を言って……?」

 コブとリーヴェン。確かそれは、魔王軍によって滅ぼされたという町村の名ではなかったか。そう、ドレインを使う魔物によって──。

(ドレイン!?

 瞬間、たかしは気付く。自分が今まさに陥っている、この状況。まるで全身の力を吸い取られたようなこの感覚は……。

「て、天力はドレインなのか!?

「ちっと違うな。ドレインは吸うだけだろ?『吸収した人間の生命力を何十倍にも高めて攻撃に転用する』──これが天力……いや俺が編み出した天力の応用技術だ」

「じゃあ、その為に人を殺して!? コブの町も、リーヴェンの町もアンタが!?

「カッカカ。必要悪ってやつだ。けど心配はいらねえ。天力の精神操作で、草でもやってんみたいに笑いながら死ねる。神の慈悲だよ」

 悪びれもなく言うザビエストに、たかしの体は怒りでわなわなと震える。な、何が神父だ! 何が聖なる光のエネルギーだ! コイツ、とんでもない悪人じゃないか!

 たかしは幸福の丘にいる笑顔の女子供を思い出す。彼女達はザビエストの天力で操られていたのだ。

「二日後。天力と、このザビエストの名は世界中に轟くだろうよ」

 楽しそうに笑うザビエストをたかしは睨み付ける。

「……ふざけんな」

「怖い顔すんじゃねえよ。物を買うには金がいる。魔王軍倒すにゃ、命がいる。当然の代償だろ?」

「そんなの間違ってる!」

「間違ってねえさ。誰も死なない戦争なんてあると思うか? 戦争に犠牲は付きもんだ。勝利だって、味方の犠牲の上にある。コブの町、リーヴェンの奴らの命はその前借りみたいなもんだ。世界救済の為には仕方ねえ」

「戦って死ぬのと、戦う前に殺されるのとじゃ意味が違うだろ!」

「あーっ、もう! うっせえなあ!」

 うんざりしたようにザビエストは言うと、たかしの左腕を両手で握った。

「な!? ちょ、ちょっと待っ、」

 有無を言わさず、たかしの人差し指を思い切り反らす。ぼきりと鈍い音がした。同時に激痛。たかしの絶叫は、だが、ザビエストの左手を口に当てられたことで、低い唸り声に変わる。

「邪魔なんだよ、テメーみてーなガキは。レイルーンに戻ってマスでも搔いてろ」

 ザビエストがようやくたかしの口から手を離す。「はぁっ、はぁっ」と呼吸を荒くするたかし

「この指のこと、誰にもチクんじゃねえぞ。言ったらブッ殺すから。分かった?」

 間近にザビエストの目を見て、たかしは一瞬、痛みを忘れてゾッとした。

 マーグリットと同じ。いや、ザビエストの目はもっと暗く冷たくて、威圧感があった。

 今、自分を殺すと脅している。なのにザビエストは雑談でもするような笑顔だった。口調もドスを利かす訳でなく、日常会話のよう。その手慣れた様子にたかしはより一層、恐怖を感じた。

(こ、コイツは本当に俺を殺す! 何のためらいもなく殺せるんだ!)

「おい。分かったのかよ?」

「は、はい……」

 痛みと恐怖に心を支配され、たかしは従順に頷く。

「良い子だ。どれ……折った指、見せてみな」

 言われるままにたかしは手を差し出す。ザビエストは震えるたかしの手をもう一度握った。治癒の天力で治してくれるかも、という淡い期待は即座に打ち砕かれる。ザビエストは、たかしの中指を同じように逆方向に反らせた。またも鈍い音が響いて、たかしは泣き叫ぶ。

「俺ぁ本気だぜ。チクったり、俺の邪魔しやがったらマジで殺すからな?」

 たかしは涙をボタボタこぼしながら、折られた二本の指を押さえていた。

「しゃ、喋りません! レイルーンに戻ります! だから、だから、もう勘弁してください!」

 謝りながら、カチカチと歯の根が鳴った。ザビエストは「男と男の約束だぜ」と笑って立ち上がり、司祭服を羽織った。

「あ、そーだ。タンスの戸棚に包帯が入ってる。使いなよ」

 吞気な声で言うと、ザビエストは小屋を出て行く。

 ザビエストが去った後もたかしは、痛みと恐怖に怯えながらベッドの上でガタガタと震えていた。



 ザビエストが用意してくれた荷台のある馬車を前にして、エクセラはぺこりとお辞儀する。

「泊めて頂いたばかりか馬車の用意まで! 感謝いたします、ザビエスト様!」

「いえいえー。当然のことをしたまでです」

(こんな素晴らしい人がいるなんて!)

 柔和に微笑むザビエストにエクセラは感動する。アイナもまた素直に頭を下げていた。

 しかし、エクセラ達がザビエストに礼を言った後で、勇者は蚊の鳴くような小さな声で言う。

「早く帰ろう……」

「勇者様?」

 何だか暗い。すごく暗い。まるで勇者の周りだけ黒雲に覆われているようである。

(やはりザビエスト様に負けたのがショックなのでしょうか)

 翌日、ザビエストが帝都を取り戻す為にミレミア平原に侵攻する旨を聞いている。エクセラはそのことについて、もう少しザビエストと話したかったが、勇者の意をみ、こくりと頷いた。

「そうですね。それでは、とりあえず帝都に戻りましょう」

 アイナが御者台に座るのを見て、エクセラは勇者と一緒に荷台に向かう。荷台の窓を開けると、ザビエストが笑顔を見せる。

「世界の平和と勇者様のご無事を祈っております」

「ザビエスト様。本当にありがとうございました。そして、どうかご無事で……」

「カッカカ。お任せください」

 ニコニコと微笑むザビエストに一礼して、エクセラ達は幸福の丘を出たのだった。


 アイナの操縦する馬車に揺られながら、エクセラは気まずい雰囲気を感じていた。隣の席の勇者がずっと俯いたまま一言も喋らないからだ。

 持ってきたハルトライン伝説を読みながら、ちらりと勇者の手元を見る。包帯の巻かれた右手が気に掛かった。

「勇者様。その手は?」

「あ、ああ。昨日倒れた時に捻ったんだ」

「よろしければ、塗り薬を……」

 エクセラが触れようとした時、勇者が怒声を発した。

「いいってば!」

「す、すいません!」

 エクセラは慌てて謝罪する。しばらく馬のひづめの音だけが響き、やがて、

「……ごめん」

 勇者はぽつりと謝った。

 ザビエストに貰った乾パンと水を飲みながら、馬車は数時間走った。御者台で手綱を握るアイナはその間ずっと無言だったが、夕日が差し始めた頃、馬車は不意に歩みを緩めて停止する。

(休憩でしょうか? い、いえ……もしかして魔物!?

 少し緊張しつつ、馬車から降りたエクセラは「あ……」と声を出す。

 アイナと自分が佇んでいる場所から地平線が見える。更に、遥か東方にかすむ帝国。馬車は広大なミレミア平原にて停止していた。

(此処が明日、戦場に……!)

 エクセラは心臓が鼓動するのを感じた。アイナが、肩を落としている勇者に近付いていく。

「……あの時、どうして着なかったのよ?」

 勇者は答えず、無言を貫いた。

「聖女装をまとっていたら、きっと結果は変わっていたわ」

「あ、アイナさん! 勇者様は今、体調が悪くて!」

 エクセラは勇者をかばおうとするが、アイナは眼中にないように勇者に向けて叫ぶ。

「本気を出しなさいよ! リールー様が言っていた! プリティスはアンタの為に考えられたものだって! アンタは希望の光なんでしょ!」

 ようやく勇者が重い口を開く。

「着たってどうせ変わらなかったって。もっと、気持ち悪いとか言われたかも知んないし」

 どんよりした口調で呟く。そのことがより、アイナをイラつかせたようだ。

「あのねえっ! 何度も言ってるでしょ! 聖女装はリールー様がわざわざ、」

「うっさいな!! もう放っておいてくれよ!!

 遂に爆発したように勇者もまた叫んだ。

「ゆ、勇者様……」

 アイナはもう怒らなかった。全てを諦めたような冷めた目を勇者に向けた後、馬車を置いて一人、この場から歩き去ろうとする。

「あ、アイナさん!」

 エクセラはアイナを追いかける。三度呼びかけて、やっとアイナは歩みを止めた。エクセラに素っ気ない声で言う。

「アナタ、馬車くらい扱えるんでしょ?」

「乗馬はしたことがございますが……」

「なら問題ないじゃない。私とは此処でお別れよ」

「で、でも、アイナさんはどうするんですか?」

「ザビエスト様と一緒に、このミレミア平原で魔王軍と戦うわ」

「ええ!? アナタはリールー様から、勇者様を守るように言われているのでは!?

「そうね。だから、自分の目で確かめたかった。本当にスズキが命を賭けて守るに値する勇者なのかを。そして、答えは出た……」

 アイナは遠くで俯いている勇者に氷の眼差しを向ける。

「スズキとザビエスト様。どちらが守るに値する人物なのか、言うまでもないわ」

 今まで行動を共にしてきた勇者が、なじられるのを聞いて、エクセラも流石に黙っていられなくなる。

「勇者様は、世界を救う英雄です! 私はレイルーンで何度も奇跡を見てきました!」

「奇跡?」

「はい! 私は勇者様が、いにしえの英雄ハルトライン様の生まれ変わりだと信じています!」

 馬車から持ってきた本を抱きしめてエクセラは言った。アイナはエクセラの本を見て、鼻で笑う。

「『英雄ハルトライン伝説』か。アナタ、幾つなのよ? 未だにお姫様のつもり?」

「わ、私はただ!」

「数年に及んだ人魔大戦。魔王軍が帝国に侵攻した未曾有の危機にもハルトラインは現れなかった。そして人類は魔王軍に滅ぼされた。現実を見るべきよ」

「うっ……」

 正論を言われて、エクセラが言葉に詰まる。

「そもそもそんな人間、本当に存在したかどうか」

「ハルトライン様は実在しました! 絶対に!」

「そうかしら。海を剣で真っ二つとか、ありえないでしょ。子供のおとぎ話よ」

「そ、それは! 例えば比喩的なことかも知れません!」

「剣じゃなくて魔法を使ったっての? 無理無理。どんな高位の魔法使いにだって不可能よ」

 馬鹿にするように笑ってから、アイナは顔を引き締めた。

「私は奇跡なんか信じない。道は自分で切り開くものよ」

 アイナの迫力にエクセラは言葉を失う。やがてアイナは少し表情を少し緩めた。

「ま、実際のところ好都合だわ。レイルーンに戻ってヌクヌク暮らしてくれれば、私もリールー様の言いつけ通り、アイツを守ったことになるもの」

「アイナさん……」

「それじゃ、お幸せに」

 皮肉を含んだ別れの言葉を言うと、アイナはエクセラ達の前から歩き去った。