第五章 もう一人の弟子


 たかしは目前の光景に言葉を失っていた。アイナが剣で、ヂュマの体を真っ二つに切り裂いたのだ。無論それもさることながら……。

「お、お前、喋れるのか、アイナ!?

 ようやく振り絞ったたかしの言葉に、アイナは「ふん」と鼻を鳴らしただけだった。

 たかしは態度のひょうへんしたアイナを凝視する。フードの付いたボロを脱ぎさったアイナは、体にぴったり張り付くような赤い服をまとっていた。チャイナドレスを思わせる風貌で、大きなスリットが細い脚を際立たせる。黒髪を二つに分けて団子状に巻いているのと相まって、たかしにゲームの女武闘家をほう彿ふつとさせた。

「あ、アイナさんって、こんなれんな少女だったのですね……!」

 エクセラの呟きにたかしも無言でこくりと頷く。

(確かに可愛い……普通に……!)

 整った小顔。ふっくらとした唇。小柄だがスタイルの良い容姿──人間の目から見て、アイナはアイドル級に可愛かわいかった。たかしが神から後天的に与えられた意味不明で妙な可愛さとは異なる、先天的で正統な可愛さである。

 見とれかけたたかしは軽く頭を振った後で、体を両断されたヂュマを指さす。

「ってか、何でここまでするんだよ! 勝負は付いてたろ!」

 するとアイナは白い目をたかしに向け、冷たい言葉を発する。

「相手は魔王軍の幹部。きっちり仕留めるのは当然でしょうが。大体、この魔物が今まで何人殺したと思ってるの? 許せる訳ないでしょ」

「そ、それは……」

 たかしは言い返せず、ヂュマに視線を落とす。上半身だけのヂュマは苦しげに唸っていた。たかしとの戦いで消耗したせいで再生速度が落ちているらしい。別離した下半身と融合する気配はない。

 ヂュマがダメージを負わされたことで甲板にいるアンデッド達がざわつき始めた。しかし、ヂュマはどうにか片手を上げ、彼らを制止する。

(やっぱり、ヂュマはもう改心してる! なのに!)

 アイナはヂュマに氷の視線を向けたままで尋ねる。

「一つ質問があるわ。アンタ最近、コブの町に行った?」

「い、い、行っていない……」

「本当かしら」

 アイナは無表情のまま、ヂュマの頭部に剣を突き刺した。ヂュマの口から「ぎぎゃ」と声が漏れる。

「お、おい!! 何やって!?

「襲ってこないようによ。念の為」

 そしてヂュマに注意を払いつつ、たかしとエクセラに説明するような口調で言う。

「三ヶ月前、帝都の西にあるコブという町が魔王軍に襲われた。人口ざっと五百人。全滅だったわ。小さな子供も含めてね」

「ひ、酷い……」

 エクセラが口に手を当てて沈痛な表情を見せる。剣を頭部に突き刺されたヂュマは、訥々と言葉を紡いだ。

「ふ、不死船団が、お、多くの人間を、こ、殺したことは、た、大戦以来、ない……」

「ふーん。まぁアンデッドが襲来すれば、腐乱死体やら何やら痕跡が残るものよね。不死船団じゃなかったか」

 一応、アイナはヂュマの話を信じたようだ。たかしはそんなアイナに語りかける。

「その町を襲った魔物を探してるのか? だから、不死船団にワザと捕まって……?」

「それもあるわ。でもね。本命はアナタ」

「え!」

 本命と言われて軽くドキッとしたたかしだったが、恋愛的な意味でないことはこの場の雰囲気から明らかだ。アイナは鋭く、それでいて軽蔑するような眼差しをたかしに向けていた。

「確認したかったのよ。アンタがホントに勇者に相応ふさわしい人間かどうかをね。そしたら案の定、思った通りの無様な戦術に甘っちょろい態度。ガッカリだわ」

「な!?

 非難されて怒ったのは、たかしではなくエクセラだった。

「それは聞き捨てなりません! 勇者様はヂュマの攻撃を受けることなく無傷で勝ったのですよ!」

(エクセラ! ありがとう!)

 まるで彼女自身がけなされたかのように怒ってくれるエクセラにたかしは感動したが、

「勇者様の戦闘は泣いたり、おにぎり食べたり、意味が全く持って分からない気持ちの悪い戦いっぷりでした! それでも勝ったのは事実です!」

(いや、フォローになってねえ!)

 結果、余計に落ち込むたかし。アイナはエクセラを意に介さず、強気な態度のままたかしに言う。

「覚えてる? 私が体当たりしなきゃアンタ、ヂュマに殺されてたのよ?」

 たかしは言葉を詰まらせる。戦闘開始直後、ヂュマの突進をアイナが身をていしてかばってくれなければ、死なないまでも重傷を負っていたことに疑いはない。そして次のアイナの一言は、たかしとエクセラを震撼させる。

「それに、私ならもっと早くヂュマを仕留められたわ」

「は、はぁっ!? いくら何でもそれはありえません!! 勇者様以外に不死身のヂュマを仕留められる者などいる筈が!!

「此処にいるのよ。いい? レイルーンのお姫様。人間は常に進歩しているの」

 不敵に笑うと、アイナは再びヂュマの頭部に剣を突き刺す。今度は頰から口腔を貫かれ、ヂュマは喋れなくなった。不意に、周囲に怖気の立つ唸り声が木霊する。

「も、もう我慢できなああああああああああい!」

「よくもヂュマ様おおおおおおおお! この人間、許せなぁいいいいいいいいいいい!」

 度重なるアイナの暴挙にしびれを切らしたように、アンデッド達が暴れ出した。動きは緩慢だが、のそりのそりとたかし達を囲うように迫ってくる。

(十……二十……いやもっと! 凄い数だ!)

 甲板にいたアンデッドだけではない。船内にいたアンデッドや人形全てが主の危機に、はせ参じたかのようだった。「ひっ!」とエクセラが小さく悲鳴を上げた。

 怯えるエクセラの前にたかしが立ちはだかる。

「俺がやる!」

「で、でも、勇者様! この数では!」

 大丈夫、と言いかけてたかしは口をつぐむ。

(た、確かにこの数はマズいかも……!)

 エクセラに内心の怯えを見透かされないように、たかしは平静を装った。ヂュマに統率されたアンデッドの大群を相手にするのは容易ではない。

(それに俺が無事でも、エクセラとアイナが!)

 逃したアンデッドが二人に向かう可能性は充分にある。ヂュマ戦よりもたかしは緊張していたが、

「……ふぅ」

 アイナの溜め息が聞こえた。そして颯爽とたかしの前に躍り出る。

「アンタは下がってなさい」

(噓だろ、何で余裕!? アイナって、それほど強いのか!?

 武闘家のような出で立ちから、アイナの攻撃力をたかしは想像する。だが、予想外の出来事が目前で繰り広げられる。

 アンデッド達がアイナの前で、ぴたりと動きを止めていた。

「許せないいい……けどおおおおおおおおお!」

「でも、でも、この女ああああああああああ!」

「「「か、可愛いなあああああああああああ!」」」

(ええええええええ!?

 揃って叫ぶアンデッド達。たかしの体に衝撃が走る。か、可愛い!? 可愛いだって!?

 確かにアイナは傍目から見ても可愛い。外見はアイドルみたいで芸能人レベル。だがそれは人間の感想である。

(魔物が俺以外の人間を見て、可愛いって言うなんて!)

 たかしがこの世界に来て以来、あり得ないことだった。そして、更なる衝撃はその後、起こった。

 アイナは、しかめ面で鼻を摘まみながら、アンデッド達を睨むように見回す。

「ああ、臭い。アナタ達って本当に臭いわ。吐き気がしちゃう」

 アイナの言葉に「可愛い」と言っていたアンデッド達も怒りを見せる。

「この野郎おおおおおおおおおおおお!」

「やっぱり許せないいいいいいいいいいい!」

 飛び掛かろうとするアンデッド。だがアイナは突然、顔色を変えた。アイナの頰は恥じらうようにピンクに染まっている。

「でも……その匂い。嫌いじゃないわ」

 またしてもアンデッド達の動きが止まる。覆い被せるようにアイナが言葉を続ける。

「うぅん。むしろ、好きかも!」

 恥ずかしそうにモジモジする。アイナの仕草にアンデッド達は一斉にデレ始めた。

「ぐひひひ! そうか、そうかああああああああ!」

「照れるぜええええええええええ!」

「ふふ。ねえ……ちょっと皆、こっちに来て……?」

「ええええええええ?」

「なんだろなんだろおおおおおお?」

 アイナは手招きして、アンデッド達を甲板の端に整列させていく。無論、背後は海である。

(ま、まさか……!)

 たかしの不安は的中した。ほんわかして従順にアイナの言うことを聞いて並んでいたアンデッド達を、

「せいやあ!!

 アイナは気合いの入った掛け声と共に両手で押して、海に突き落としていった。

「いやアナタ、何ですかソレ!? 突き落としのスキルですか!?

 エクセラは驚いて叫んでいた。たかしも無論、驚いていたが、その驚愕は突き落とす前にアイナがアンデッド達に見せた仕草であった。

「え、エクセラ……! こ、この子……!」

 アイナはアンデッドを突き落としたせいで汚れた手を、しゅうの入ったナプキンで拭いていた。その後、呟くようにぽつりと言う。

「四十八のプリティス・第十七の仕草『つむでれ』」

(やっぱり!! この子、プリティスを!!

 第十七の仕草『つむでれ』は、冷たい態度と温かな態度を交互に見せ、敵を籠絡するプリティスであった。

「そ、そんな!! 勇者様以外にプリティスを使う者がいるなんて!?

 エクセラもまた吃驚し、声を張り上げる。しかしたかしの驚きはその上を行っていた。

「つーか、プリティスって唯一無二じゃなかったの!?

 たかしはプリティスが自分の為だけにリールーが作ったものだと思っていた。なのに、ちょっと待って!! どうして他人が使えんの!? おかしくね!?

 アイナは動揺する二人を前にしても、冷静な態度を崩さない。

「アナタの言う通りプリティスは攻撃力、魔力を超える唯一無二の絶技。ただ扱えるのはアナタだけじゃあない。私も授かったのよ。リールー様からね」

「り、リールー師匠が俺以外にプリティスを……?」

 話の最中だったが、甲板に残っていたアンデッド達が正気を取り戻して叫ぶ。

「よくも仲間をおおおおおおおおおおお!!

「嚙み殺してやるうううううううううう!!

 十五体を超えるアンデッド達が再び迫る。先程よりも多い魔物の群れ。だがアイナに焦燥は見られない。むしろ余裕で片方の口角を上げる。

「ご覧なさい! これが私の力よ!」

 そしてアイナはアンデッドよりもたかしに見せつけるように、両腕を胸の前で交差させる。アイナのDカップはあろう胸の谷間が強調されるのを見て、たかしは再び震撼する。

(これは! まさか!)

「四十八のプリティス・第二十七の仕草『ちちよせ』!」

 アイナが叫び、たかしはごくりと唾を飲む。つ、つむでればかりかちちよせまで! 本当にこの子、師匠にプリティスを教わったんだ!

 隣でエクセラが少し頰を染めながら、ぼそりと呟く。

「な、何だかコレはもう可愛いというより、わいな感じが致しますけども……!」

「ああ……!」

 エクセラの言う通りだとたかしは思う。実際、ちちよせに関してはたかしも「いやコレ可愛いと関係なくね? ってか、男がやっても意味なくね?」と思い、実戦で使ったことのないプリティスである。

 それでも実際、その効果は絶大。アンデッド達は揃って興奮の声を上げていた。

「うっひょおおおおおおお!!

「何だか、すげえええええええええ!!

「いいもの見た気がするううううう!!

 アイナは、まえかがみになって動きを止めるアンデッド達から目を逸らすと、たかしを小馬鹿にしたような顔で見詰める。

「さっき偉そうにプリティスのフローについて語っていたけど、それってリールー様の受け売りでしょ? アナタ、ちゃんとプリティスの練習をしているの?」

「も、もちろんだ!」

 先輩にたしなめられるように言われて、たかしは焦りつつ言い返す。

(まぁ……ホントは最近、練習サボってるけど……!)

 救世十字軍の襲来や何やら、色々起きたせいでプリティスの練習はおざなりになっていた。たかしの気持ちを見透かしたようにアイナはフンと鼻を鳴らす。

「複数の敵に効果的なプリティスがあったでしょう? 忘れたの?」

「それは……ええっと……」

 確かにリールー師匠は、そんな技を教えてくれた気がする。だがたかしには思い出せなかった。

 溜め息を吐くと、アイナはアンデッド達に向き直る。デレデレとした様子のアンデッドを前に、アイナは半身になって、なまめかしく腰をくねらせた。

「おおおおおおおおお!」と沸き立つアンデッド達。アイナは、はだけた胸の前、両手でハートの形を作る。

(あ、あれは確か!)

「四十八のプリティス・第四十七の仕草『あいげき』!」

 アイナの手からピンクのオーラが弓矢のように拡散する──かのようにたかしは錯覚した。アンデッド達はこうこつとした表情のまま、矢で撃たれたかのように胸を押さえて、うずくまった。

 十五体のアンデッドが瞬時に行動不能。この状況にエクセラが驚いて口を開く。

「い、今のは一体!?

「複数の敵を一掃する、防御不能、不可視のりっしゃ──これがあいげきよ」

「す、すごいですわ……!」

 エクセラが感嘆の声を漏らした。たかしもまたアイナの力に戦慄する。

「ふふ。私のあいげきは最大で三十体の魔物に作用するのよ」

 自信満々にアイナは言う。

「私は朝昼晩、プリティスの練習に励んでいるわ! そして自分のフローを編み出した! ちちよせからのあいげき──これが私の必殺フローよ!」

 アイナは含み笑いをしつつ、たかしに視線を移す。たかしは怯えるように視線をアイナから逸らして、俯いた。

「スズキ。このフロー、アナタにできて?」

ちちよせからのあいげき……! で、できない……!」

「勇者様!?

「ふふ。やっぱり『キューティ』は私の方が上みたいね」

 聞き慣れない言葉に、エクセラが反応する。

「『キューティ』!? 何ですか、それは!?

「リールー様は人間を含めた各種族が持つ能力に、新たに『可愛さ』という概念を付け加えたの。攻撃力、防御力、魔力、びんしょうせいに加わった新たなる能力値。それが『キューティ』よ」

「攻撃力、防御力、魔力、敏捷性、そしてキューティ……いや、何か一個だけ浮いてません!?

「ご、語呂なんか関係ないでしょ!」

 アイナは叫び、咳払いした後で話を続ける。

「ちなみに私は中級の魔物はもちろん人間の男にも、それなりにプリティスを作用させられるの」

「た、確かにアイナさんの容姿にかれる男性も多いでしょうけど……」

「そう。つまり、勇者より私の方が総合的なキューティは高いと推測できる。私のが上だと言ったのはそういう意味よ」

「勇者様以上のプリティスの使い手……!」

 エクセラは呟きながら、たかしに心配げな視線を送る。たかしは黙ったままで拳を握りしめていた。

 ち、ちちよせからのあいげき!? できない!! できる訳ない、あんなこと!! だって、だって!!

(恥ずかしいじゃん!!

 ……たかしはリールーとの修行を回想する。小屋の中で、リールーはたかしの前で胸元を大きく開いた。

『どうした? これから【ちちよせ】を教えるのぞ。もっと、よく見るのぞ』

『で、でも、その、あの、』

 たかしは恥ずかしくて顔を背ける。二つの膨らみを更にギュッと押し寄せようとしていたリールーは、だが、途中で乱れた胸元を直した。

『まあ……良いのぞ。確かにちちよせは男がやると、メチャクチャ気持ち悪いかも知れんのぞ』

『だよね!? 分かってるなら、そんなんやらせないでくれる!?

 リールーとの修行を思い出しつつ、たかしは頭を横に振った。アイナはそんなたかしを見て、肩をすくめる。

「リールー様はアナタを大層、気に入っていたけど、たいしたことないのね。それとも私のプリティスが、いつの間にかアナタを超えちゃったのかしら?」

「ゆ、勇者様にはあんなお下品な技、必要ありませんっ!」

 エクセラが怒って叫ぶと、アイナは顔をこわばらせた。

「お、お下品!? ちょっとアンタ、何言ってんの!? これだから田舎のお姫様は!!

「誰が田舎の可愛らしいお姫様ですか!!

「可愛らしいなんて言ってないでし!! ずうずうしい!!

「アナタこそフードを被ってた時の方が、しおらしくて良かったですわ!」

 両者、睨み合う。たかしは流石に見過ごせなくて「ま、まぁまぁ」と間に入った。

 アイナは舌打ちした後で、踵を返す。そしてあいげきを受け、魂の抜け殻のようになったアンデッド達に近付いていく。

「はい、はーい。皆、こっちねー」

 アイナはまるでバスガイドのように誘導して、先程と同じようにアンデッド達を船の端に一列に並ばせた。そして、

「どっせーい!!

 アイナはアンデッド達を、右から順番にドボンドボンと軽快に落としていく。

「「えええええええええ……!!」」

 たかしとエクセラがドン引きしていると、

「や、や、やめ……ろ……」

 剣を刺されて、身動きの取れないヂュマが唸っていることに気付く。

(ヂュマ……お前?)

 以前はアンデッドや人形を何とも思っていなかったヂュマが『やめろ』と言っている。ヂュマの変化にたかしは心を打たれるが、既にアイナはアンデッド達を船から一掃していた。

「それじゃあ最後の仕上げね」

 アイナはそう言ってヂュマの上半身に近付きつつ、腰の剣を抜く。そして野菜を包丁で切るくらい躊躇なく、ヂュマの首を叩き切った。

「うお!? アイナ、お前何してんだよ!?

 たかしに答えず、アイナはヂュマの頭部の髪を手で摑むと、

「よっせーい!」

 変な掛け声と共に海にとうてきする。放物線を描いた後、ヂュマの頭部は遠くの海にボチャンと落ちる。絶句するたかしとエクセラを無視し、アイナは手際よくヂュマの体を切断する。そして手足などの各パーツを別々の方向に投げていく。

「せいせい、せーい!」

 ヂュマの体全てを海に投げ捨てた後、アイナは満足げに微笑んだ。

「これだけやれば不死身でも復活できないでしょ」

 あまりの光景にあっられていたたかしは遂に口を開く。

「ここまでやることないだろ!! ヂュマは、もう改心してたんだ!!

「はぁ? 魔物が改心するなんてありえない。『籠絡した後、隙を突いて殺す』──これが正しいプリティスの使い方よ」

「師匠がそんなこと、言ったのかよ!?

「いいえ。私の考えよ。けど、知ってるでしょ。この世界は残虐なの。やるかやられるかよ」

「だ、だからって……!」

 ヂュマが投げ捨てられた海を、たかしは唇を嚙みながら悔しげに眺めた。

 アンデッドもヂュマもいなくなって、がらんとした甲板。突如、ガタンと船が揺れ、たかしの隣で立ち尽くしていたエクセラがマストに摑まる。

「な、何でしょうか?」

 たかしは周囲を窺う。今まで止まっていた景色が動いている。ずっと海上で停泊していたヂュマの船がゆっくりと動き出したのだ。

(船が勝手に!?

 チッと舌打ちして、アイナはツカツカと船尾に向かう。たかしとエクセラもその後を追った。

 辿り着いたそう室では、ただ木製の古びたかじがふらふらと左右に揺れている。

「誰もいない……なのに、何で?」

 不安げにたかしが呟く。アイナが顎に手を当て、考える素振りを見せた。

「ふむ。どうやらこの船は今までヂュマの魔力で動いていたようね。そして私がヂュマを船から追い出した。だから船が舵を失って漂流し始めたのよ」

「なるほど……って、じゃあ、アイナのせいじゃんか!! 何だ、その態度!!

「そうですよ!! 誰彼構わず、ポイポイ放り出すからです!!

「う、うっさいわね! 船の操縦くらいできるわよ!」

 アイナはそう言って、舵を手に取る。とりあえず帝都に戻るわ、と言いながらおもかじ一杯切った刹那──ボキッと音を立て、舵の取っ手が外れた。「あ」とアイナが間の抜けた声を発する。

「……腐ってたみたい」

「ど、ど、どうすんだよコレ!? アイナ!!

「勇者でしょ! 落ち着きなさい、これしきのことで全く!」

(これしきのことって、ホントかよ……!)

「ほ、本当に大丈夫でしょうか?」

 エクセラが不安そうにたかしの服の裾を摑む。船は徐々に航海速度を上げていた。目的地も分からずグラグラと揺れながら進む船。不意に、たかしの船酔いが再発し始める。

「ううっぷ!」

「勇者様!」

 うずくまるたかしの背をエクセラが擦る。アイナはつまらないものでも見るような目を、そんなたかしに向けていた。



 リールーが計画したタルタニンとの談合の後、ザビエストは魔王軍に征服されているというリーヴェンの村に向かった。

 お供の子供三人を従え、ザビエストは懐から取り出した酒を飲む。あの時、六人いた子供達は現在半分に減っているが、さして興味はない。

 河川が流れる肥沃な大地をろんな目で眺めながら、田園を歩く。やがて集落らしきものが視界に入ってきた。そして、村の用心棒のような牛頭の魔物達が、のそのそとザビエストに近付いてくる。

 ザビエストは酒瓶を仕舞い、作り笑顔を見せた。魔物がドスの利いた声を出す。

「おい、お前。主の魔物はどうした?」

「主なんていませんよ。でも……そうですねえ。言うならば、神でしょうか」

 ザビエストはひょうひょうとしつつ、歩みを止めない。

「コイツ。野良の人間か?」

「珍しいな、今時」

 堂々とした態度に魔物達は気を削がれたように、ただザビエストの後を追う。

 やがて村の広場らしき開けた場所に辿り着く。ザビエストは、汚れた衣服をまとった奴隷の村人達が遠巻きにこの様子を眺めているのを確認した。

(此処で、やるか)

 牛頭の魔物達が、歩みを止めたザビエストを横目に吞気に話し合っている。

「誰かこの奴隷、欲しい奴いる?」

「間に合ってるよ。つーか、オッサンの奴隷なんかいらねえ。ガキだけ貰っとこうぜ」

 ザビエストを無視して、牛頭の魔物が連れている子供に向かった。

「安心しろ。殺しゃあしねえよ。お前らは奴隷扱いだ」

 だが子供達はニコニコと微笑んでいる。刹那、一人の少年の背後から花弁が舞った。風に舞う牡丹は瞬く間に人型を形作り、子供の数倍の背を持つ異様がゆらりと立ち上がった。

「……あ?」

 魔物達が呆然とする。彫像のような美しい女性の顔。頭上に光輪。背には白き翼。伝承にある天使の姿に酷似したソレは、少年の背後からフワリと飛び立つと牛頭の魔物の頭上を舞った。後光のような聖なる輝きが、天使から魔物へと降り注ぐ。

「が……あぐが……っ!

 魔物の全身から煙が溢れ出す。やがて、燃えると言うより蒸発でもするように──魔物はその姿を完全にこの世から消した。仕留めた後、天使はもう一体の魔物の頭上に飛来する。

「……福音『さくらん牡丹ぼたん』より【てんせいさつ】」

 ザビエストが呟き、天使が優しげに笑う声が町に響く。

『ほほほ。ほほほほほほほほ』

 数体の天使が、魔物の支配下にあるリーヴェンの村の中空を舞っていた。逃げる魔物を発見するや頭上に飛来。聖なる光によって即座に消滅させる。

 消えていく魔物の群れ。遠巻きに見ていた村人達がぞろぞろと集まりだした。

「て、天使様……!」

「救世主! 救世主だ!」

 リーヴェンに駐屯していた魔王軍を全て殺害した後、村人達に周りを囲まれて、ザビエストは恭しく頭を下げる。

「私は神託を受けた救世主。天力の御使いザビエストと申します」

「おおおっ!」と歓声が上がる。男も女も涙ながらにザビエストをたたえる。

「ありがとうございます! ありがとうございます!」

「ああ、ザビエスト様! どうか世界をお救いください!」

「ええ、ええ。任してください」

 しらひげの村長がよろよろとザビエストに近付き、目尻に涙を溜めて言う。

「神は我々を見捨てなかったのじゃ!」

(カカカ。神、ねえ)

 ザビエストは苦笑いしつつ、天力を授かった時のことを思い返していた。


 強盗団から足を洗ったザビエストが、辺地の町の教会で神父になって一年。霊を清めるなどと称し、老人を騙して得た金で酒をあおっていた時──ザビエストは神の啓示を受けた。

『この乱世にあって、神に仕える純粋なる心を持つ者よ……』

 荘厳な女性の声を、ザビエストはめいてい状態のまま、夢うつつで聞いていた。

(あー? 俺が純粋? んな訳ねーだろ)

『もしアナタが強大な力を得たら何の為に使いますか?』

 もう一口、酒を飲んだ後、赤ら顔でザビエストは言う。

「もちろん、魔物だらけの世界を救いますよー。わたしゃ、神職ですからねー」

 れつの回らない口で言いながら、ザビエストは笑う。また天から声がした。

『素晴らしき心がけ。やはり救世主の器に相応しい。それではアナタに世界を救う力の一端を与えましょう。天元のオーラを受け取りなさい』

「あい、あーい。ありがたき幸せー」

『魔物以外の生物から、生命力を少しだけ分けて貰い、攻撃、或いは防御に転じる慈愛の力──これが【天力】です』

「了解っすー」

 女性の声がその後も説明を続ける。ザビエストは内心「うっせーな」と思いながら、話半分で聞いていた。

 ……酔ったせいで妙な夢を見たと、重い頭に手を当てながら──ザビエストは自らの腕を見て驚く。入れ墨のような花の模様が両腕に現れていた。

 まさか、と思いつつ、ザビエストは教会を出る。月夜に照らされた路地を野良猫が歩いていた。

 ザビエストは猫に手を向けた。ザビエストの腕から出た花のオーラは天使に変化した後、猫に向かう。やがて猫は歩くのにくたびれたように、その場に寝そべってしまった。代わって、ザビエストの体に力がみなぎる。二日酔いがあっという間に飛んでしまった。

(生命力を分けて貰う、か)

 女の話は面倒くさくて、最後の方は適当に聞き流していたのだが、どうやら説明通りだったようだ。自分は本当に、何者かから強大な力を授かったらしい。

(慈愛の力『天力』ねえ)

 ふと思い立って、ザビエストは疲れたように欠伸あくびをしている猫にもう一度手を伸ばす。

「……今度は全部吸い取っちまえ」

 天使が不気味に微笑む。猫がけたたましい鳴き声を上げた。

「おおおっ!」

 全身に漲る凄まじい力にザビエストは歓喜する。先程とは比べものにならない。

「おいおい。猫一匹の命でこれなら、人間一人ならどーなんだよ……」

 絶命した猫を見下ろしながら、ザビエストは口角を歪めて「カカカ」と笑った。


 涙を流すリーヴェンの村長の手を、ザビエストは笑顔のまま、しっかと握る。

「世界を救って欲しいんですよね? それでは、世界の為に犠牲になってください」

「……え?」

 呆気に取られた顔の村長。ザビエストの背後から、ぬっと現れた天使が村長に覆い被さった。天使の抱擁に安堵の笑みを見せた村長だったが、次の瞬間、天使はガパァッとその口を耳まで裂いた。

『ほほほほほほ』

 呼応するように村長の口から出たエクトプラズム状の気体が、天使の口腔に吸い込まれていく。途端、糸が切れたように崩れ落ちる村長。そのままピクリとも動かない。

 ザビエストは懐から酒瓶を取り出す。天使はザビエストの元に戻ると、口から唾液のような光る液体を一滴垂らした。ザビエストの顔が曇る。

「やっぱダメだな。ジジィは生命力がねえ」

「ざ、ザビエスト様!? 一体、何を!?

「何をって? 飯を食うには金がいる。悪魔を倒すにゃ命がいる。世の中は交換で成り立ってんだ」

 怯える村人を前に、ザビエストはにたりと両の口角を上げる。

「この村の命、全部寄越せ」

「ひ、ひいぃぃぃぃっ!?

 逃げ惑う村人達。ザビエストは笑顔のままで呟く。

「福音『さくらん牡丹ぼたん』より【てんきゅうせい】!」

 ザビエストの背後、牡丹が一斉に咲き乱れる。そこから数十体の天使が生まれて上空を舞った。そして村人を見つけては飛来し、命を吸い取る。

『ほほほほほほほほ』

 天使が微笑みながら、きょうかんで逃げ惑う村人達の命を吸収する。ザビエストは酒を飲みながら、この様子を眺めていた。

(天使が人間を襲う──カカカ。なかなか滑稽だよなあ)

 人々の叫び声と天使の笑い声、それに酒気が混ざり合い、ザビエストは良い気分になって村を千鳥足で歩いた。

 しかしザビエストの足は、村中央にあった汚れた石像の前で止まる。剣と盾を持った英雄の石像を見て……。

(クソが……!)

 ザビエストは打って変わって不機嫌になった。

 竜王を倒して世界を救った英雄ハルトラインの伝説。その神剣エクスカリバラスは海をも真っ二つに切り裂いたと言う。誰でも知っている絵本の英雄だ。そして、幾つかの町や村では、英雄ハルトラインを神格化して守り神としてあがめていた。

(ふざけんじゃねえ。そんな野郎がいるなら、どうしてお袋は魔物に犯されて殺された? どうして人魔大戦で人間は魔王軍に敗北した? どうして俺は堕ちるところまで堕ちた?)

 ザビエストは怒りに任せて石像を蹴り倒す。魔王軍の侵攻で傷んでいたせいもあって、石像は簡単に崩れ落ちた。ハルトラインの首が地面を転がる。ザビエストは石像の頭部を足で踏み付けた。

(この世界を支配するのは暴力だ。力の強ぇえ奴が一番なんだ)

 そして今、自分は『天力』を得た。昔話やさんくさい伝承などではない、本当の力を。

(俺が、なってやる! 救世主──いや、混じりけのない本当の英雄にな!)

 ふと、背後から悲痛な女性の声がした。振り向くと、天使にまとわり付かれながら、母親が子供を抱いている。

「お願いします! この子は! この子だけは!」

「オーケー、オーケー」

 ザビエストは子供を見定める。五、六歳くらいだろうか。自分で歩くことはできそうだ。

(少なくなってきたしな。道中の護身用に使おう)

 リーヴェンの村に来るまでの間に襲ってきた魔物を、ザビエストはお付きの子供の命を代償に得た天力により退けてきた。

 生物の中では人間が一番、生命力が強い。特に年端もいかない子供や処女からは、最高の力を引き出せた。無論、魔物でも試したが、流石に魔物を殺した力を代償に魔物を殺す──そんな都合の良い話はなかった。魔物を殺すには、人間や動物の持つ生命力を、聖なる力に変換する他はない。

(代償。この世はいつも代償が必要だ)

 いつしかザビエストの周りに、放った天使数十体が集まっていた。村中の命を吸い取ったようだ。

 ザビエストが今し方飲み干した酒瓶を向けると、天使達は順番にそこに光の液体を注いだ。

 酒瓶が重たくなるのを感じて、ザビエストは笑う。

「リーヴェンの酒の完成、っと」

 懐に仕舞う。その隣にはコブの町から吸収した酒瓶がある。

「んー。そろそろ頃合いかな」

 ザビエストは呟いて、二本の酒瓶を愉快そうにチンと鳴らせた。



(座礁──いや難破って言うんだっけ、コレ)

 そんなことを考えながら、たかしは砂浜からヂュマの大船を振り返る。エクセラもまた同じように、先程まで命を預けていた船を眺めながら言う。

「一時はどうなることかと」

「全くだよ」

 ヂュマの船は一晩かけて、何処かの海岸に流れ着いた。船酔いと不安で仮眠する暇もなく、疲れ切ったたかしの隣でアイナが言う。

「ずいぶんと西に流されたみたいね」

他人ひとごとみたいに!)

 吞気なアイナに、たかしは眉間に皺を寄せる。こんな何処かも分からぬ場所に漂着したのは、彼女のせいだというのにこの態度。

(そもそもヂュマを追い出さなきゃ、船で帝都に帰れてたのに!)

 苛立つが、勝ち気なアイナにそんなことを言えばケンカになることは間違いない。体も疲れているし、言い争いはしたくない。たかしはぐっとこらえて、口をつぐんだ。

 アイナの後を追うように砂浜を歩き、海岸を抜けて、あぜ道を行く。馬車のわだちがあったので、近くに人が住んでいるかも知れないとたかしは思った。

 しばらくすると、大きな川沿いに田園風景が広がっているのが見えてくる。

(田んぼだ!)

 稲作でもしているのだろうか。日本を思い出して、たかしは少し懐かしく思う。

「どうやら此処はリーヴェンの村ね。穀物の栽培が盛んで、餅が名産品だと聞いてるわ」

「へぇ! 餅かあ!」

 ますます日本っぽい。久し振りに食べてみたいなあ、などと考えていると、エクセラが血相を変えて立ち尽くしている。

「ん? どうしたの、エクセラ?」

「あ、あれは……!」

 エクセラの震える指の先を見て、たかしも目を見張る。村の人々があちらこちらに倒れていた。

「こ、これって!?

 遠目にも、眠っているのでないことは明白だ。警戒しているたかしを尻目に、アイナはものじしない様子で駆け寄り、倒れている男の首辺りに手を当てた後で首を横に振った。

「……死んでるわ」

 たかしの背筋が一気に寒くなる。視界に入っているだけで何十人と倒れている。も、もしかして、この人達全員、死んで……!

「ひ、酷いです……!」

 エクセラがそう言って言葉を詰まらせる。

「一体この村に何があったんだ?」

「もっとよく調べてみるわ」

 アイナはそう言って、小走りで広場の方に駆けていった。たかしもエクセラと一緒に、扉の開いている民家に注意しながら入ってみる。中にいた人は同様に倒れて、息絶えている。

「怪我などしている様子はありませんね。皆さんまるで眠っているみたい……」

「あ、ああ……」

 確かに眠っているように見える。だが、仰向けに倒れている者の顔は一様に、怪物でも見たかのような恐怖を刻んでいた。

 ギギッ、と扉が開かれ、たかしはビクッと体を震わせる。アイナがたかしの傍まで歩いてきた。

「お、驚かすなよ!」

「皆、死んでから二日程、経過しているわ。外傷はない。生気を抜き取られたみたい」

 突然、アイナがたかしに鋭い目を向けてきた。

「ねえアナタ、どう分析する?」

「えっ! 分析?」

 いきなりそんなこと言われても、とたかしは焦る。アイナはまたも呆れ顔を見せた。

「『全員、餅で喉を詰まらせた』──なんて考えてるんじゃないでしょうね?」

「そんなこと思ってねえよ!! 何で村の名産品で、村の人全員が死ぬんだよ!!

 アイナは、しかめ面でそっぽを向く。何だよ、もう! どうしてそんなケンカ腰なんだよ!

 アイナが正体を現してからというもの、たかしに対してずっとこんな調子である。イライラしているたかしの隣で、エクセラがハタと膝を打った。

「『生気を抜き取る』──ドレイン系の魔物でしょうか?」

「そうね。私もそう思うわ。帝国領に向かっている時にも、同じようにして滅んだ町を見たし」

「それがコブの町、ですか?」

「ええ。おそらくコブの町とリーヴェンの村を襲ったのは、同じドレイン系の魔物。生命力を吸い取って養分にしてるのよ」

「そんな魔物がいるのかよ……!」

 たかしは呟きながら、昔読んだウェブ小説やゲームを思い浮かべる。ドレイン系ってことは、ゴーストかアンデッドか?

 そう考えると、アイナが不死船団を疑ったのは仕方がない気がした。

「とにかく日が暮れる前に、この村を出ましょう」

「そ、そうですね。不気味ですし……」

「当てはあるのか?」

「此処がリーヴェンの村なら、ザビエスト様の拠点が近いと聞いているわ」

「ザビエスト?」

「救世主の一人。天力の担い手よ」

 女神がたかしの代わりに用意した力『天剣』と『天力』。その片方だと思い出して、たかしは身構える。タルタニンやマーグリットのような好戦的で危険な人物かも知れないと危ぶんだからだ。

「ど、どんな奴なんだよ?」

「高度な治癒魔法を使う神父よ」

「神父……か」

 それを聞いて少し安堵する。エクセラも緊張していた顔を緩めた。

「ヒーラーで神職ですか! 優しそうな人ですね!」

「一回、見ただけだけど、物腰穏やかな感じだったわ。タルタニンなんかより全然まともよ。コブの町の身寄りのない子供をお供に連れていたしね」

 たかしはふと孤児院の先生を思い出す。両親のいない幼いたかしに先生達は優しく接してくれた。

(子供好きに悪人はいないよな)

 とにもかくにも、こんな危なげな所で野宿はしたくない。たかしもエクセラもアイナの提案に頷いたのだった。