第四章 呪いの人形


「もうすぐヂュマ様とネフィラ様が来られるようううう。此処でしばらく待ってろよおおおおおお」

 たかし、エクセラ、そしてアイナをヂュマの船まで案内した後、アンデッドは笑いながら何処かに行ってしまった。

 たかしは甲板から後方を眺める。瞬く間に、帝都の港が遠ざかっていく。ヂュマの船団は猛スピードで海上を進んでいた。

(ネフィラが留守と知って狙われた? 魔物の反乱? また救世十字軍が絡んでる……?)

 スズキーランドのことやメルキル姉妹の安否を心配するたかしだったが、しばらくしてエクセラが蒼白の表情を見せる。

「ゆ、勇者様、おかしいです! この船はレイルーンに向かっておりません!」

「何だって!?

 驚いてたかしが叫ぶ。太陽の位置から判断して、船はレイルーンとは全く別方向に進んでいるとエクセラは言った。

「あうう……」

 アイナもまた心配げに唸っていた。三人が不安と嫌な予感にさいなまれていると、徐々に船は速度を緩めて、遂には……。

「と、止まった?」

 いつしか太陽は分厚い雲にその姿を隠されていた。曇天の下、ヂュマの大船はいだ海上で、何処にも向かうことなく停止している。

「とにかくヂュマの所に行こう!」

「え、ええ! そうですね!」

 その時、コツコツと足音が響く。

「そ、その必要は、な、ないよ……」

 そして、魔王軍不死船団団長ヂュマ自ら、甲板に通じる階段を上ってくる。

「ヂュマ! ネフィラは?」

「ま、まだ帝都だよ。こ、此処には、わ、私とお前達以外、誰もいない」

 ヂュマは「きけけけ」と楽しそうに笑う。気付けば、甲板には沢山のアンデッドと人形達がいて、たかし達を取り囲んでいた。たかしはヂュマを睨む。

「レイルーンが危ないって話は噓なのか?」

「ぜ、全部、私の作り話だよ」

(ふう。よかった……じゃないよな。流石にこの状況は)

「す、スズキ。お、お前が欲しい。らいそうしっそうを抜けて、わ、私の不死船団に入ってくれ」

「断る! 人を騙して連れてくるような魔物の下なんかに誰がつくかよ!」

「そ、それは残念だ」

 ヂュマが言い終わると一体のアンデッドが、たかしににじり寄ろうとした。

「スズキもアンデッドになろうよおおおおおおおおお!」

 たかしが攻撃に身構える。だが、ヂュマは音もなくそのアンデッドの背後に忍び寄り、口をカパッと開く。耳まで裂けたこうこうには、剣山を思わせる細く鋭い牙が並んでいる。ばくんと音を立てて、ヂュマがアンデッドの頭部を丸かじりする。

(うお!?

 ゴシャグシャとアンデッドの頭部を嚙み砕きながら、ヂュマが笑う。

「お、お前達は手を出すな。す、スズキは私自身が、や、やる」

 ヂュマがフラフラと人形独特の歩き方で、たかしに近付いてくる。

「や、優しくしてあげる。痛くないように、じ、じっくり私の体液を、そ、注いであげるから……」

「冗談だろ! 俺はチェアセットになりたくなんかないぞ!」

「きけけけ! じゃ、じゃあ力尽くで押さえつけて、無理矢理に体液を、ちゅ、注入するしかないねえええええ!」

 ヂュマの目が大きく見開かれた。四つん這いになって体を屈め、飛び掛かる寸前の猛獣の体勢になる。

「きけけけ……け、『形態変化』……!」

 ヂュマの脇腹の辺りからドレスを突き破って、二本の腕が現れた。腰からも同様に新たな脚が現れる。四本腕に四本脚。のような外見になったヂュマ。その眼球は窪み、空洞に変化していた。暗いがんの中にも針のような牙が生えているのに気付いて、エクセラが唇を震わせた。

「か、怪物……っ!

「きけけけ! けけけきけけけけけ!」

 ヂュマは哄笑しながらスズキに突進する。たかしは咄嗟に、太いマストの陰に身を隠すが、ヂュマはそのまま突っ込んできた。ヂュマの突進を受けたマストがバキバキと音を立てて、へし折れる。

「お、おい!? 殺す気かよ!!

「け、怪我して死んでも大丈夫! あ、後で修理してあげるから! きけけ!」

(魔王軍不死船団ヂュマ! コイツ、マジで厄介だ!)

 ヂュマもまた他の魔物と同様に、たかしを可愛いと思っている。だからこそたかしを不死船団に入れたいし、人形にしたいのだろう。だが問題は、たかしの生死はヂュマにとっては関係ないということなのだ。

「か、観念して、私の人形になりなよおおおおおおおおおおおおお!!

 たかしは身を隠せる遮蔽物を探そうとするが、その暇を与えずヂュマがまた突進してくる。獰猛な怪物の迫力にたかしは焦り、足下がよろけた。

「けけけけきけけ!」

(ちょ……コレ……やばっ!)

「ゆ、勇者様!?

 エクセラが叫ぶ。今まさにヂュマがたかしの命を奪おうとする寸前、たかしの体に衝撃が走った。何者かにはじばされて、たかしは甲板を転がる。

「……え?」

 たかしは自分に乗っかかるようにして倒れているアイナに気付く。アイナが体当たりして、ヂュマの突進から助けてくれたのだ。

「あ、ありがとう、アイナ!」

「あうあう……!」

 フードから覗くアイナの口元が謙遜するように微笑んでいる。ヂュマはくるりと振り返ると、そんなアイナとエクセラを睥睨し、舌打ちした。

「じゃ、邪魔な奴らだ。人間の女なんか興味はない。い、生きたままアンデッドの餌にするか……」

 甲板にしたアンデッド達が、呻くような声で騒ぎ出した。

「うおおおおお! やったああああああああああああああ!」

「飯だ飯だあああああああああああああああ!」

 怯えて後ずさるエクセラとアイナを見て、たかしの心の中に熱いものが広がる。

(餌だって? 二人に手を出させてたまるかよ!)

「いい加減にしろよ! ヂュマ!」

 熱い思いがたかしの心の奥底から溢れるように湧いてくる。確かにヂュマは強い。たかしのスキルも上手うまく作用しない。

(けど!)

「俺の仲間に、絶対に手は出させない!」

 勇者としての意志が、たかしの心の中でヂュマに対する恐怖を超えた。二人を守ろうと、ザッとエクセラ達の前に立つたかし。背後からエクセラの取り乱した声が聞こえる。

「勇者様! ヂュマにプリティスは逆効果です! 可愛く見せれば見せるほど、ヂュマは勇者様を人形にしたくなってしまう!」

 たかしはそんなエクセラをちらりと振り返って微笑む。

「大丈夫。ヂュマが形態変化したように、可愛さにだって色んな形態があるんだ」

「か、可愛さに形態……ですか?」

 窮地に陥っているのに、たかしは自分でも不思議なほど冷静だった。仲間を守ろうとする気持ちが、強い力を生んでいるのかも知れない。

 落ち着き払ってヂュマを見据えるたかしの脳裏に、リールーとの修行風景が思い返されていた。


『スズキ。今後、お主は様々な種類の魔族と戦うことになる。中には可愛すぎるが故に、お主を食べてしまいたい、剝製にして飾りたい、などという特殊な性癖を抱く者がいるかも知れんのぞ』

『そ、そんなのと戦ったら俺、終わりじゃん!』

 慌てるたかしとは対照的に、リールーはにこりと笑う。

『極悪非道の魔物とて、泣いている赤子を襲うことは、そうそうできぬものぞ』

『泣いている赤子……?』

『魔物の胸をときめかせる可愛さを与えるだけがプリティスではない。モンスターの心に感傷的に訴え、哀れみを誘うプリティスもあるのぞ』

『それって【るいどう】のこと?』

るいどうだけではない。似た系統の技は四十八のプリティスに幾つもあるのぞ。覚えておらんのか?』

『えぇっと……』

 まだプリティスに熟達していないたかしには即座に思いつかない。リールーは、そんなたかしの後頭部をピシッと叩いた後、笑いながら言う。

『同系統の効果を持つプリティスで構成された連続攻撃。それを我は【フロー】と名付けたのぞ。特殊な性癖を持つ魔物には【フロー】による連続攻撃で対処するのぞ』


 リールーとの修行を思い出した後。たかしは前方のヂュマに注意を払いながらエクセラに言う。

「ヂュマは『悲哀のフロー』で仕留める!」

「ひ、『悲哀のフロー』ですか? 意味は良く分かりませんが……何だか格好良いです!」

「ああ! 任せてくれ、エクセラ!」

 たかし達の会話が聞こえたのだろう。ヂュマは高らかに声を上げて笑った。

「けけききけ! わ、私を仕留める? だ、誰も、この私を壊せるものか!」

「壊すつもりなんかないさ」

「ああ? そ、それじゃあ、ど、どうやって私に勝つんだよ?」

「魔力、攻撃力を超える唯一無二の絶技。それがプリティスだ。お前の胸の奥深くに眠る良心にだって、きっと作用する」

「きけ! きけけけけけけけけけけけけ!」

 ヂュマは両手を大きく広げ、海上に響き渡る哄笑を轟かせる。

「に、人形に!! 良心なんかあるかよおおおおおおおおおおおおおおおお!!



 ヂュマの最初の意識。それは圧倒的な負のオーラに囲まれた魔界であった。

 一条の光さえ差し込まぬ漆黒の中で──声がした。

『人間が憎いか?』

 周囲の黒と同化したような冷たく重い声が、ヂュマの頭部に響く。

『……に、憎い』

 無意識にヂュマは呟いた。その言葉はごくごく自然に自分の口から発せられた。

『憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い!!

 胸の内に溜まっていたもの全てを吐き出すように、ヂュマは連呼する。

 理由などなかった。憎い。ただただ人間が憎い。それは本能のように、ヂュマに元々備わっていた感覚だった。

『ならばわれがその力を強めてやろう。ヂュマよ。人類を滅ぼす厄災となれ』

 遥か高みから聞こえる暗黒の声。そして辺りに広がるこんとんとした気配は、ヂュマにとってとても気分の良いものだった。

 気付けば自分は広大無辺な悪の気配に対して跪いていた。自分にできる最大の敬意を表しつつ、ヂュマは人形の口をカパリと開く。

『か、かしこまりました。ま、魔王様……』


 これがヂュマの持つ原初の記憶。魔王に生み出された時より、ヂュマは激しい憎悪を身のうちに宿していた。もしも人間の言う『心』に近い何かが自分にあるとすれば、それは『憎悪』だろう。魔物として生を受けた時より宿していた、人類に対する強烈な憎しみだ。

(な、なのに、スズキは……きけけけけ!)

 自分の胸の奥に良心があると言われて、ヂュマは思わず吹き出してしまった。そんなものがある筈がない。人形に良心など存在してたまるものか。今、胸の奥から込み上げる衝動はただ一つ。

(お、お前を人形にしたい! そ、それだけだよおおおおおおおおおお!)

「きけけけけけけけけけけ!!

 猛然とスズキに飛び掛かり、無防備な細い首筋に嚙み付こうとした刹那。ヂュマは、スズキが自らの顔を覆うように右手を当てていることに気付いた。

(ま、魔法か、術を発動しようとしているな! か、構わない! どんな攻撃を受けても、わ、私は死なないんだから!)

 ヂュマは攻撃を続けると決断。耳まで裂ける口を開き、針の牙を剝いた。

(あ、溢れるくらいにたっぷりと! 私の体液を、そ、注いであげるからねええええええええ!)

「……四十八のプリティス・第十三の仕草『るいどう』!」

 首筋に牙が到達するまさにその寸前、スズキが顔から手をのけた。

「え……えええ……?」

 途端、ヂュマは驚いてピタリと動きを止めてしまう。蛇のような大口を開いたまま、ヂュマが見たものは……。

「シクシク……シクシク」

 手で顔を擦りつつ、さめざめと泣くスズキであった。

(な、な、泣いて……る!? 何で!?

 吃驚して、ヂュマはスズキから離れて距離を取った。

 スズキの行動はヂュマに取って予想外すぎた。魔法を放つでも、物理攻撃をするでもなく、ただただ情けない顔でメソメソと泣いていたからである。

「シクシク……シクシクシク……」

 遂にはスズキは両手で顔を覆ってしまった。い、いや、何で? ま、まだ嚙み付いてもいないのに、どうして泣いてるの……!

 何となく、こんな状態のスズキに攻撃をしてはいけない気がした。だが、ヂュマはブンブンと頭を振る。

「な、泣いたって無駄だよ! 人形には、ざ、罪悪感なんてないんだからね!」

 攻撃を止めたのは、奇妙な行動に驚いただけだ。そう自分に言い聞かせつつ、ヂュマは再度、口を開けて無数の針の牙を剝いた。

 体勢を低くし、今度こそ仕留めようと飛び掛かろうとした時。またもスズキが口を開く。

「四十八のプリティス・第十四の仕草『るい』!」

(今度こそ、な、何か仕掛けてくる!)

 スズキの攻撃に身構えるヂュマ。しかし……。

「シクシクシク……シークシクシク……」

 スズキは、先程と同様にベソを搔いていた。

(さ、さっきと同じじゃないの!! い、いや……ちょっと違う……!?

 スズキは今度は顔を覆っていなかった。そして、その瞳からは大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちている。

(ぼ、ボッロボロに、な、泣いている……!!

 戦いを見ていたエクセラとかいう奴隷女が声を張り上げた。

「何という大粒の涙!! まるで絵本で見るような涙ですわ!!

 確かにそれはヂュマが見たことのない大粒の涙であった。人間はこんなにも大粒の涙を流せるのだろうか。ボロボロ溢れるしずくはまるで美しい宝石のようである。い、いや、あの……だけど……それが何だって言うの……!

「可愛さの中に、可哀想かわいそうさも含んでいます! 敵の同情を誘うプリティスの連発! これが『悲哀のフロー』なのですね!」

 エクセラの言葉に、スズキはこくりと頷いた。

 可哀想さ、だと? なるほど。確かに今のスズキは、ただ可愛いだけではない。大抵の魔物が見れば、同情して襲うのを躊躇うかも知れない。

(で、でもね! そ、そんなもの、人形には通用しない! こ、心のない私には……!)


『死なないで。ディーネ。死なないで』


 その時。ヂュマの頭の中で突然、悲しげな男の泣き声が響いた。

(あ……?)

 ピシッと。ヂュマの胸の辺りに亀裂が入ったような衝撃が走る。そして、次の瞬間──。

 船上でスズキと戦っていた筈のヂュマは、薄暗い部屋の中にいた。

(ば、バカな……? ど、何処だ、此処は……?)

 古びたベッドの上で寝そべり、木の天井を仰いでいる。そして、ヂュマはギョッとする。

 傍には若い人間の男がいて、自分の手を握っていた。

(な、何だこの男は……あ、ああ……っ?

 握られた自分の手を見て、ヂュマは更に激しく動揺する。それはいつもの固い人形の手ではなく、人間の女性の細い手だった。

(い、一体、ど、どうなっている?)

 視界は自分なのに、体は自分のものではない。混乱するヂュマの手を握ったまま、男は『ディーネ』と呼びかけ続け、涙を流している。

『悲しまないで。エルマー』

 今度はヂュマの口が勝手に動き、普段と違う玉のような美しい声を発した。

『アナタに出会えて、私は幸せだったよ』

 りゅうちょうに語る女の声は、突然の湿った咳によって遮られる。

『ディーネ!』

 ゴホゴホと肺の奥から聞こえるような深い咳の音。男に背をさすられながら、ヂュマは自分の手を見た。人形ではない柔らかな掌には、赤い血がべっとりと付着していた。

(こ、コイツ、病気なのか……)

 ようやく咳がんだ。女は消えて無くなりそうな、か細い声を出す。

『私が死んでも……心はずっと一緒だよ……』

 血に濡れた女の手を、男が構わず力強く握る。男の手は小刻みに震えていた。

『イヤだ! 僕を置いて死なないでくれ!』

『愛しているわ。エルマー』

 ヂュマの視界が揺らぐ。男は女の体を揺さぶっていたが、女は糸の切れた人形のようで、もう二度と喋ることは無かった。


 ……湿っぽい潮風が頰に当たり、ヂュマの意識は現実へと戻る。

 病床に伏した女の光景は消え失せ、少し離れた所にスズキが佇んでいる。ヂュマは海上で停止した自船の甲板でスズキと対峙していた。

(す、数秒ほど、い、意識を飛ばされた、か)

 見知らぬ人間の女が死ぬ間際の幻覚を見せられた。今の幻覚はスズキの攻撃に間違いはない。だが……。

 見知らぬ人間の幻覚? 本当に……そうだったのか?

 足下が、ぐらりとふらつき、ヂュマは大きく目を見開く。

(ど、動揺している? この私が?)

 だとすれば、妙な幻を見せられたからに他ならない。ヂュマは指先を鋭く尖らせ、こめかみにちゅうちょなく突き刺した。もう二度と妙な術に惑わされないように、自らの頭部に穴を空けて、バキバキと指でいじりながら笑う。

「な、なかなか面白い術を、つ、使うじゃないの……」

「術じゃない。プリティスだ」

 プリティス──さっきもスズキは言っていた。魔力、攻撃力を超えるなどという戯言たわごとを。

(げ、幻覚を見せるだけの、く、くだらない力のくせに!)

 自分に言い聞かせるようにヂュマが強く思った時、甲板にいたアンデッド達が「あああああああああ」と声を上げて騒ぎ出した。船長であるヂュマに加勢しようとしているのだろう。しかしそれは、アンデッド達の意志によるものではなく、ヂュマがあらかじめそう命令しておいたからだ。

「お、お前達はすっこんでいろ!」

 無性にイラついてアンデッド達に叫び──ヂュマはギクリとする。

(こ、こん……な……!)

 咄嗟に、甲板にいるアンデッド全てを見渡して、ヂュマの焦燥はより一層激しくなった。

 全てのアンデッド達の顔は皆、今し方スズキに見せられたあの男に似た顔立ちをしていた。

 一瞬、幻覚がまだ続いているのかと思ったが、よくよく見れば、どいつもこいつもあの男とは微妙に顔が違う。正真正銘、ヂュマ自身が世界中からさらってきてアンデッドにした人間達だ。

(つ、つまり、これは──!)

 私は今までずっと、あの男と似た顔立ちのアンデッドを集めていたということなのか!

(わ、私は、あの男の容姿を、無意識に追い求めていた……?)

 そうだ。先程見た男は幻覚ではない。私は確かにあの男に見覚えがある。いつか何処か、遠い昔……。

 崩れたパズルを修復するように、ヂュマは無意識にあの男に似たアンデッドを集めていた。

(い、一体、何の為……に?)


『愛しているわ。エルマー』


 頭の中で女の声が響き、ヂュマはくらりとする。

(あ、頭が……わ、割れそうだ……!)

 現実と幻覚が交互に入り乱れる感覚にヂュマの胸がざわめく。く、苦しい! な、何だ、これは!

 スズキがプリティスだとか言う妙な技を発動した途端、自らの意識が分裂したかのように乱れてしまった。

(こ、こんな不可解なスキルが世界に存在するのか! み、見くびっていた! た、短期間でらいそうしっそう・隊長補佐にまで上り詰めたスズキの実力を!)

 ヂュマは口をパカリと開ける。細かく鋭い牙が口腔内に全て引っ込んだ。代わりにヂュマのドレスを引き裂き、首より下の体から無数の針が突出する。

 ハリネズミのような容貌になって、ヂュマはスズキを睨む。

(ほ、本気で! た、倒さなければ!)

 体から高威力かつ高速度の牙を数百、射出する不死船団団長ヂュマの必殺技『ぐつしん』──喰らえば周囲全ての敵は無惨な穴だらけの死体に変わる。

「きけけけ! 裂けた皮膚は、あ、後で縫ってあげるからね!」

 俯いたままのスズキに代わって、エクセラが焦った声を上げる。

「もしや、あの無数の針を飛ばそうと!? 勇者様、危険です!?

 ば、バカが! 『危険です』じゃないんだよ! 発動すれば最後、か、甲板にいるアンデッドや人形もろとも串刺し! お、お前だって即死だ!

「けけけ……! く、『ぐつしん』……!」

 無数の針が今まさにヂュマの全身から射出される寸前。スズキの様子を一瞬、窺ったヂュマは戦慄する。

(な……っ!?

「えぐっ、あぐっ、ひっぐうっ!」

 ……スズキはまだ泣いていた。俯いたまま涙を零しては、腕で拭っている。延々と泣きすぎたせいで、泣きシャックリをしているようだった。

(さ、さっきから、ずっと泣いてたの!? どんだけ長いこと、泣いてんだよ!?

 流石に胸の中でツッコんでしまう。変な幻覚を見せられて、私が『あの男は?』とか『今まで集めたアンデッドに顔が似ている!』とか『もしかして何処かで会ったの?』みたいに色々考えている間も、ずっとメソメソ泣き続けてたの!? いやいや、噓でし!? この子、泣きすぎ!!

「あっふう! ひっぐ! うっぐ!」

 そして、泣いているだけで何もしていない。なのにどうしたことか。ヂュマの胸の辺りが苦しくなってくる。

「い、い、いつまで、な、泣いている!?

「ゆ、勇者様!! ヂュマの技が来ます!! そろそろんでください!!

 エクセラも焦っているようで、勇者は背中を擦られていた。それでもスズキは「ぐすっ! はうっ!」とウジウジし続けている。

「しっかり! 勇者様! よしよし! おう、よしよし!」

(こ、これは戦闘……なのか?)

 女に背をさすられながら泣きじゃくる哀れなスズキを見ていると、攻撃の意欲がしおれていく。ヂュマの体から飛び出しかけていた傀儡飛牙針が、それと呼応するようにシュンと体の中に引っ込んでしまった。

「勇者様! もう泣かない! 男の子なんですから! ねっ!」

「う、うん……あふうっ! やっぱ無理……! ぐしゅっ!」

 ヂュマは白い目でスズキを見やる。何コレ。赤ちゃんでもこんな泣かないよ。ホント哀れすぎるわ。アッ……そう言えば……。

(こ、このくらい哀れな奴を昔、み、見た気がする……)

 その時、涙に濡れたスズキの目がヂュマに向けられていることに気付く。涙と相まって、勇者の目が鋭く光る。

「四十八のプリティス・第三十二の仕草『しゃくなき』!」


 スズキが何か言ったと思った刹那。ヂュマはまたも違う空間にいた。

(チッ! ま、またか……!)

 古びたベッド。カビ臭い匂い。先程見せられた幻想の部屋だと、すぐに気付く。だが、置かれている家具などの配置は少し違った。そして──。

(あ、あの男だ……!)

 ヂュマの近くで椅子に座っていたのは、例の男だった。男はくちひげを蓄えており、額には皺が刻まれている。先程見た時より、数年の月日が経過した後のようだ。

(お、女はコイツを『エルマー』と、呼んでいたな)

 エルマーをよくよく見れば、変わったのは外見だけではないことに気付く。エルマーは、椅子に体を縄で縛られ、苦しげな表情をしていた。

 不意に、野太い声が部屋に響く。

「金目のもんなんぞ、全然ねーじゃねーか」

 ヂュマの背後。頰に傷のある屈強そうな男が、木製のタンスを蹴りながら言った。その隣では、り目の男が刃渡りの長いナイフをくるくると回している。

 縛られたエルマーに、悪人特有の目付きをした数人の男──即座にヂュマは状況を把握した。

(ご、強盗か)

 人間だって魔物と変わりはしない。自分より弱い者を虐げて奪う。

 椅子に縛り付けられたエルマーを、ヂュマはスズキを見るような白い目で眺めていた。

(か、考えて見れば、コイツは、す、スズキ以上に哀れな奴だ。好いた女を病気で亡くし、その上、ご、強盗にも入られて! けけ! きけけけけ!)

 愉快な気分になって、胸の中で含み笑っていると、

「……かしら。アレなんてどうです?」

 一人の男が、こちらを指さした。頭と呼ばれた盗賊団の首領らしき禿とくとうの男が、ヂュマに近寄ってくる。

「ああー? 売れるかよ、こんな気味悪りぃ人形!」

(な、何だ? わ、私を見てるのか……? あ……ああ……っ!

 禿頭の男の背後に姿見があった。それを見て、ヂュマは呼吸を荒くする。

 鏡にはヂュマが映っていた。今度は人間の女ではない。紛れもなく、人形の自分だ。だが、つぎはぎの皮膚ではなく、まるで作られたばかりのような白蠟の肌のヂュマが、静かに椅子に腰掛けている。

 エルマーが血相を変えて叫ぶ。

「やめてください! その人形だけは!」

「なぁ。コレ、お前が作ったの?」

「は、はい……!」

(な……!?

 頷き、肯定したエルマーを見て、ヂュマはびくりと震えた。

(こ、この男が、私を作っただと!? う、噓だ!! 私は魔界で生まれた!! 魔王様に作られたんだ!!

「芸術家か? いい身分だねえ。俺もこんな暮らし、してみてーわ。さっさと金めて隠居してえ」

 首領は周りの強盗ほど好戦的な感じではなく、にこやかに微笑んでいた。だが、その笑みはどこか人形であるヂュマと同じように冷たく無機質だった。吊り目の男が首領に尋ねる。

「隠居って何すんですか。頭?」

「んー。教会の神父とか良いんじゃね? 平和でも祈ってりゃ、バカな信者共が貢いでくれんだろ」

「げ!! 頭が神父!?

「ひゃはは!! どんな生臭神父だよ!!

 荒くれ共が笑う。ひとしきり笑った後で、禿頭の首領が仮面の微笑を湛えながら言う。

「ってことで、俺の健やかな隠居生活の為に、さっさと金出してくんねえかな?」

「さっき言ったので全てなんです! ほ、本当です!」

「んー」と首領がまるで信じていない風に首を捻る。頰に傷のある男が堪忍袋の緒が切れたように、エルマーに詰め寄った。

「噓吐いてんじゃねえぞ! こんな人形を作る金があるだろうが!」

 そして男は、ヂュマの髪の毛を摑んで持ち上げた。

「や、やめてください!! この人形は僕の全てなんです!」

 縛り付けられた椅子をガタつかせながらエルマーが叫ぶ。ヂュマも自分の髪を摑む男を睨んだ。

(に、人間如きが! 誰の髪を摑んでいる! こ、こ、殺してやる!)

 だが、ヂュマの体はぴくりとも動かなかった。ブチブチとイヤな音がして、千切れた髪の毛が床にパラパラと落ちた。

「ああ……ディーネ……!」

 男が泣き声で呟いた。同時にヂュマの頭の奥でエルマーの声が響く。


『君の髪の毛はね。ディーネのものなんだよ』


 心臓などない筈のヂュマの胸が、ドクッと大きく鼓動した。

 ディーネ! あ、あの病気の女だ! つ、つまり──!

(コイツは、わ、私を作る時、病気で死んだ恋人の髪を使った……!?


 ……連続して景色が変わった。目の前にいた強盗達はいつの間にか消え失せて、木漏れ日の差し込む穏やかな部屋で、椅子に座らされたヂュマの髪をエルマーがくしで優しく解いている。

(わ、私のこの髪は、ディーネとかいう、に、人間の女の……!)

 だから、病に伏して血を吐く女の生前の記憶があったというのか! し、信じられぬ!

(わ、私は! ま、魔界で! ま、魔王様に!)

 エルマーが姿見を運んできて、ヂュマの前に置いた。

『もしもディーネとの間に子供が出来たら、この名前を付けようと思ってたんだ』

 鏡には微笑むエルマーと自分の顔が映っていた。エルマーは楽しげだったが、ヂュマにとっては、まるで悪夢を見ているようだった。

 絶望に押し潰されそうなヂュマに、エルマーの口から決定的な一言が放たれる。

『君の名前はヂュマだ』

 ヂュマの全身を無数の蛇が這いずり回る、おぞましい感覚が襲う。

(ち、違う、違う、違う!! に、人間が!! こ、こんな男が、私の生みの親の筈がない!!


「ゆ、勇者様!! ヂュマが苦しんでいますわ!!

 エクセラの声で、ヂュマは意識を取り戻した。

「うぐ……ぎが……!」

 同時にヂュマは自分が苦しげに唸っていることに気付く。

(げ、幻覚ではなく……し、真実……だと言うのか……!)

 崩れそうな精神と同様に、体がギシギシと軋んでいる。ほんの一発、軽い打撃を入れられただけで、関節全てが外れてしまいそうだ。

(ま、まずい、まずい、まずい……!)

 今までどんな激しい戦闘でも、ヂュマはこれほどのダメージを負わされたことはなかった。

 ヂュマはスズキを睨む。スズキもまた涙目ながら、意志のこもった瞳でヂュマを睨め付けていた。

(こ、これほどまでに、お、追い詰められるとは!)

 生まれて初めてヂュマは激しくろうばいしていた。も、もう泣こうが喚こうが知ったことか! い、一刻も早くスズキを殺さなければ! でないと、でないと!

(わ、私が、スズキに、こ、こ、壊されてしまう!!

 ヂュマの体はひびれ、分解しかけていた。あらゆる物理攻撃、魔法攻撃を歯牙にもかけない不死身の体は、深層意識に作用するスズキの精神攻撃により崩壊寸前だった。

 最後の力を振り絞り、ヂュマはスズキに突進する。

「に、人形に!! スズキを殺して、人形にいいいいいいいいいいいいい!!

「勇者様ぁっ!!

(げ、現実には、ただ泣いているだけ! お前は、む、無力だ!)

 朽ち果てそうな体から全魔力を引きずりだし、それを物理攻撃力に振って──ヂュマは最凶の一撃をスズキに見舞おうと迫る。何があろうと、首元に嚙み付き、瞬時に嚙み切ってやる!

「……ムシャリ」

 妙な音がして、スズキを垣間見た時。ヂュマの脚はもつれ、その場にズダーンと転倒してしまう。

(そ、そ、そんな!! こ、こんなことが!! せ、戦闘中に、こんなことがあって良いのか!!

 スズキの手には穀物の塊が握られている。そして、スズキはそれを口に運んでいた。

「ムシャ! ムシャリ!」

 スズキは泣きながら──何と、おむすびを食べていた。奴隷女エクセラが叫ぶ。

「いや、どこから出したんですか、それ!?

 スズキは答えず、泣きながらムシャムシャとおむすびをしゃくしている。

「また食べた!? 一体、どういうことですか!?

 エクセラが頭を抱えながら絶叫していた。どこからか出したおむすびを頰張るスズキを、ヂュマは黙って見据える。

(お、おむすび……!?

 北西にある村、リーヴェンに住む人間はパンではなく、米などの穀物を主食にしていると耳にしたことがあった。塩をたっぷり付けた米の固まりは『おむすび』や『おにぎり』と呼ばれ、保存食として有効らしい。だが、問題はそんなことより何故、スズキが戦闘中に泣きながらおむすびを食べているのかということである。

 もう全てがヂュマの理解の外であった。罅割れた体のままぼうぜんとするヂュマをスズキが一瞥する。

「四十八のプリティス・第四十四の仕草『なきむすび』! ムシャリ!」


 ……不意に良い香りが感覚器官のないヂュマのこうを漂う。それは懐かしくて暖かい、穀物のスープの香り。食卓のテーブルに腰掛けたエルマーがパンをかじっている。

 そしてヂュマの目の前にもまた同じように、コーンスープとパンが置かれてあった。

(ば、バカかコイツは。人形は、た、食べられないのに)

 エルマーは食事を平らげるとヂュマに近付いてくる。

「今日もヂュマは可愛いね」

(き、気持ちの悪いことを! に、人形の顔がコロコロと変わる訳ないだろうが!)

 もっとも、劣化して古くなることはあるかも知れない。事実、ヂュマの肌は、この時のような白蠟ではなく、つぎはぎだらけだ。

 そんなことを考えている最中、ヂュマはふとエルマーに頭を撫でられていることに気付く。

(や、やめろ! このバカ!)

 胸がむずがゆい気分に捕らわれ、動揺する。そんなヂュマの気分を知る由もなく、エルマーはにこりと微笑みながら言う。

「ヂュマ。君は僕の最高傑作だ」

(ああ……あ……)

 何故だろう。胸が熱い。体が熱い。エルマーを見ていると、胸の中から何かが込み上げてきそうになる。

「あっ……」

 突如、エルマーが素っ頓狂な声を上げた。コーンスープの入った皿に腕を当てて、落としてしまったのだ。

『ガシャン』

 床に落ちた陶器が割れる破砕音。瞬間、またも景色が変化した。


「やめてください!! この人形は僕の最高傑作なんです!!

 先程、聞いたのと同じ台詞がヂュマの耳に入る。

(あ、あの続きか……)

 穏やかな食事風景から一転。強盗に襲われるシーンをヂュマは再度、垣間見ていた。

 縄で椅子に縛り付けられたエルマーの前で、強盗がヂュマのドレスを引き裂き、人形の体を見て嗤う。

「何が最高傑作だよ。ちゃんと服の下も女らしく作れや。乳がねーじゃねーか」

「ひひひ。コレじゃお前、夜の癒やしになんねえだろ?」

「やめて……やめてください……!」

 エルマーは泣いていた。まるで自分の娘が目の前で暴漢に辱めに遭っているように、哀れに泣きじゃくっていた。さめざめと泣くエルマーは、強盗達のぎゃく心に火を付けたようだった。

「腕と足を付け替えようぜ!」

「バラバラの刑だ!」

「お、お願いです!! この人形だけは壊さないでください!! ヂュマには死んだ恋人の魂が宿っているんです!!

「お前、バッカじゃね? たかが人形に何言ってんだよ」

 吊り目の男がヂュマの右腕の関節をじり上げた。ごきりと鈍い音を立てて、ヂュマの右腕が外される。

(こ、この野郎……!)

 怒り心頭に発するヂュマだが、精神に反して体はぴくりとも動かない。

「次は左脚いくか」

「やめて……! お願いだから……やめてください……!」

 エルマーが泣き叫んでいた。禿頭の頭領は「くだらねえことしてんじゃねーよ」と呆れ顔だが、特に止める気はないようだった。

 縛られたまま、エルマーは体を揺する。暴れ過ぎたせいで椅子ごと倒れ、泣きながら床にキスをするエルマー。それを見て、強盗達はますます笑った。

「だ、誰か……助けて……誰か……」

「ひゃはは!『神様、助けてー』ってか!」

「なぁ、頭。アンタ将来、神父になりてえんだろ? 聞いてやれよ」

「いやだから。お前ら、そんなことより、さっさと金目の物でも探せってば」

 しかし、

「助けて……ハルトライン様……!」

 エルマーの祈りとも呟きともつかぬ一言を聞いた時、首領の眉は吊り上がった。

「……オイ。テメー今、何つった?」

 首領の変化に、今までふざけていた強盗達の空気が一気に張り詰める。

「テメー、ハルトラインって言ったろ? 言ったよなあ、この野郎」

 倒れたエルマーの元に首領がゆっくりと歩み寄る。強盗達が肩をすくめた。

「あーあ。キレちまった」

「頭の前でその名前、出しちゃダメだって」

 先程までおとなしかった首領は人が変わったように、血走った目でエルマーの腹を蹴りつけた。

「英雄ハルトラインだ!? クソバカか、テメーは!! いる訳ねーだろ、そんな野郎がよ!!

 エルマーは何度も何度も蹴られ続けた。足が内臓に達する重い音が、止むことなく続く。

(や、やめろ……! エルマーを……け、蹴るな……!)

 不思議だった。いつしかヂュマは、エルマーが蹴られていることを自分が蹴られているのと同じように感じていた。

(や、やめろ……やめろ……! やめて……やめて……)

 やがてヂュマの頭の中。繰り返す声は甲高く、そして幼くなっていく。

(やめて!! パパに酷いこと、しないで!!

 あの時と同じように、ヂュマは声にならない声で叫んでいた。

 鬼のような顔をした首領が、腰の鞘に手を付ける。

「テメーも人形と同じにしてやるよ」

 首領が鞘から抜いたのは、薙刀なぎなたのような剣だった。

(イヤだ! やめて!)

 ヂュマは念じる。人形の自分は動けないし、喋れない。それでも、ただただエルマーを助けたい一心で強く念じる。

(やめて! パパをいじめないで!)

 それでも男の剣は、無情にもエルマーに降り注ぐ。

(パパ!! イヤだ!! パパ、パパ!!

 ヂュマの視線の先で、エルマーは体を切り刻まれていく。エルマーの首を落とした後も、男は悪魔のように笑いながら手足を切り刻んだ。

 やがて一仕事終えたように、男は血塗れの顔を部下達に見せて満足げに微笑んだ。

「じゃあ、後は頼むわー。証拠残らねーように、家ごと燃やしとけよ」

 強盗達が「へーい」と吞気な返事をして、ぞろぞろと部屋から出て行く。

 ……ヂュマの前には苦痛に満ちたエルマーの首が、ごろりと転がっていた。

(どうして? どうしてこんな酷いことをするの? 私とパパが何をしたの?)

 しばらくして、煙が部屋に入ってきた。男達がしきに火を付けたのだろう。

 燃え盛る炎の中。泣くこともできず、ヂュマはただ全てが火に包まれるのを眺めていた。

 燃える。パパの家が。パパとの思い出が。パパも。私も。全部。全部。燃える。

 ヂュマの肌も焼かれていく。高温で顎の関節が、ぱきりと音を立てた。

(アアア……アアアアアアアアアアアアアアアア……!)


 崩壊した屋敷の外では、燃えた火で煙草たばこをくゆらせながら男達が嗤っていた。

「頭ってば、相変わらずエグいよな」

「んで、面倒な仕事は俺らに押しつけてくんだもんなー」

「それ吸ったら、俺らもとっとと帰ろうぜ。……ん? 何だありゃ?」

 男達の視線が朽ちていく屋敷から、ゆっくり歩いてくるヂュマに向けられた。

(わ、私は……誰?)

「お、おい。人形が歩いてくるぜ?」

「あの人形、バラバラにした筈だろ! 一体どうなってんだ?」

 頭がぼうっとして意識が混濁している。だが、目の前にいる人間達を見た時、強烈な衝動がヂュマを襲った。

(に、人間!! に、憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い!!

 カパリとヂュマの口が耳まで裂ける。怖気の走る声が自分の口から漏れた。

「ぎげ! ぎげがげぎぎぎぎぎぎぎ!」

「ば、バケモンだ!!

 ヂュマの針のような牙を見て、男達が剣を抜く。四つん這いになったヂュマは、本能の赴くままに男達に襲い掛かった。男達の攻撃をものともせず、切り裂き、食いちぎる。泣こうが喚こうが、生きたまま手足をもぎ取り、胴体に食らいつく。

 男達の臓物を周囲に撒き散らせた後、ヂュマは辺りをキョロキョロと窺う。

(た、足りない!! 足りない!! ま、まだ何かが足りない!!

 体の奥底から沸き上がる殺人への渇望。理由はもう忘れてしまった。だが、頭の中で絶えず誰かが叫び続ける。『人間が憎い』──と。


「ハァハァ」とヂュマは呼吸を荒くしていた。人形の自分は疲れなど感じない。呼気が荒いのは、崩れそうになる体を、どうにか魔力で繫ぎ止めようと必死だからだ。

(ど、どうして、今まで忘れていたのか)

 エルマーを殺した強盗達への激しい憎悪。そのせいで自分は魔界にちたのだ。そして魔王様から強い魔力を授かり、不死船団の長を任された。

 人間をいくら殺めても癒えぬ渇望は、未だに父の……エルマーのかたきを討っていないから。そして、自分を作ったエルマーの姿を、何処かで絶えず求め続けた。だからこそエルマーに似たアンデッドや人形を集めた……。

 ちらりとスズキを見る。今の今まで、殺して人形にしようとしていたスズキを。

 ふと、スズキを力ずくで人形にしようとしていた自分が、憎き強盗と重なった。

(わ、私のしていることは、あ、アイツらと同じなの……?)

 スズキを見る。とても可愛い。できればずっと自分の傍にいて欲しい。だが、無理矢理に暴力で欲しいものを得る──それではあの卑劣な強盗と変わらぬではないか。

 もう立っているのもやっとのヂュマに、スズキが近寄ってくる。そして、

「ヂュマにも一個あげる」

 スズキが笑顔で、もう一つのおむすびをヂュマの頭部に載せる。

「アッ!」

 知らずに声が出た。その感触はエルマーに髪を触られた時に酷似していた。

 もう一度スズキを見て──ヂュマは言葉を失う。

 自分の目の前にはスズキではなく、エルマーが立っていた。

「ヂュマ」

 あの時と同じ優しい声と笑顔で語りかけられて、

「パパ!」

 自然と声が出る。訥々とした普段のヂュマの声ではなく、幼い人間の少女の声が。

(こ、これは幻。わ、分かっている。それでも……)

 ヂュマはエルマーの胸の中に飛び込んだ。そして、胸に溜まっていたものを全て吐き出す。

「パパ! 会いたかった! 私、寂しかったの!」

「ヂュマ。今まで一人にしてごめんね」

 優しく暖かく、それでいて懐かしいエルマーの声に、ヂュマの胸の奥が熱くなる。胸の奥から生じた熱はヂュマの瞼の下に溜まっていく。

「パパ、パパ! 私、酷いことをしたの! 今までずっと酷いことをしてきたの!」

 エルマーは穏やかな表情でヂュマに微笑む。

「僕は君を作った。だから君の罪は僕の罪でもある」

「違う! パパは悪くないの! 悪いのは全部、私なの!」

 エルマーは、叫ぶヂュマをそっと抱き寄せた。

「大丈夫。パパはずっとヂュマと一緒だよ」

「パパ……!」

 幼いヂュマの目から涙が溢れた。涙でにじむ視界。エルマーの姿が徐々に薄らいでいく。

 これが最後なのだ、とヂュマは確信した。今日これ以降、二度とエルマーに会うことはないだろう。だから……。

(い、言わなきゃ。さ、最後に……エルマーに……)

 幼いヂュマは、エルマーを見上げながら精一杯の笑顔を見せる。

「パパ! 私を作ってくれてありがとう!」



「アアア!! アアアアアアアアアアアアアアア!!

 断末魔のようなヂュマの叫び声が甲板に木霊していた。胸の亀裂はメキメキと音を立ててヂュマの全身に広がり、やがて、手足、首、胴体全てがバラバラになって崩れ落ちる。

 エクセラはそれを見て、悲鳴を上げた。

「いや、おむすび、頭に乗っけたらヂュマがバラバラになりましたよ!? どうしてですか!?

 それでも勇者は「ムシャ、ムシャリ」と、おむすびを頰張っていた。

「食べてないで説明してくださいよ!! それからあと『壊すつもりなんかないさ』とか言ってたのに、バラバラにしちゃってますけど!?

 エクセラはツッコみながらヂュマの頭部を指さし──そして気付く。磁石に鉄が引き寄せられるように、散らばった手足がゆっくりと頭部に集まろうとしていた。

「ああっ、復活しています!! ネフィラ様が言ったように、ヂュマは不死身なのですわ!!

 エクセラは焦って、勇者の腕を引く。そこでようやく勇者は食べる手を止め、ご飯粒の付いた唇を静かに開いた。

「大丈夫だよ。エクセラ。戦いはもう終わってる」

「えっ……」

 手足がくっつき、復活したヂュマは、先程スズキが頭に載せたおむすびを手に取って埃を払った。

「お、美味しそうだね」

 人形が、食べられない筈のおむすびを美味しそうと言うのは妙な気がした。エクセラが不思議に思っていると、勇者がヂュマに優しく微笑む。

「どうぞ。召し上がれ」

 こくりと頷くと、ヂュマはおむすびを口に運んだ。勇者もまた、食べかけのおむすびを再び口にする。

「な、何ですか、コレ……! 二人して、向かい合っておむすび食べて……!」

 まだ修復が完全ではないのか、ヂュマの腹部には穴が空いていた。食べたお米はそこからポロポロと零れていた。

(私は一体、何を見せられているのでしょう……?)

 それでも、ほぼ二人同時におむすびを食べ終わる。先に勇者が「ごちそうさまでした」と言った。するとヂュマもまた「ご、ごちそうさまでした」と呟く。そして剣術の試合でも終えた後のように、二人は礼儀正しく一礼をかわした。

 エクセラは、そそっと勇者に近寄り、おずおずと聞いてみる。

「あ、あの、えっと……勝ったんですか……コレ?」

「ああ。俺の勝利だ」

「わ、私……こんな戦い、初めて見ましたよ……! 『ごちそうさまでした』て……!」

 勇者は無邪気に微笑んでいるが、エクセラからしてみれば『勇者が散々メソメソ泣きまくった挙げ句、おむすび食べだして、最後にヂュマの頭におむすび載せたら何か知らんけど勝った』。

(……ハ!?

 ぶっちゃけエクセラの頭の上には、大きな疑問符が何個も浮かびまくりであった。

「ってか、何処に持ってたんです? その、おむすび?」

「ネフィラの革袋! おやつとか色々、入れてくれてたからね! 実際、助かったよ!」

(う、うーん……)

 モヤモヤが止まらないエクセラ。だが、ヂュマが優しげに呟く。

「て、帝都に船を戻す……よ。も、もう私は何だか、くたびれた……」

 ものが取れたようなヂュマを見て、エクセラはハッとする。

(そ、そうよ! ネフィラ様すら恐れる魔王軍不死船団団長・不死身のヂュマを、勇者様が討伐されたのですわ!)

 その戦闘内容は正直、凡人である自分には理解しがたいものであった。伝説の英雄ハルトラインのように颯爽と敵を切り捨ててくれれば、分かりやすいしスッキリもするのだが──まぁそれは言うまい。

 そんな風に自分に言い聞かせつつ、エクセラは勇者に笑顔を見せた。

「本当に良かったですわ! 流石は勇者様です!」

「あはは! 照れるよ!」

 頭を搔いた後、少し頰を赤く染めて、勇者はエクセラに尋ねてきた。

「な、なぁ、エクセラ。俺、格好良かったかな?」

「いえ、全然!! 私には意味が全く分かりませんでした!! 特におむすび食べ出した時は、蹴ってやろうかと思いましたよ!! うふふ!!

「いや噓だろ!? エクセラ、俺のこと蹴ろうとしてたの!? 『うふふ』じゃなくね!? 何で笑ってんの!?

「す、すいません!」

「はぁー……やっぱりプリティスって誰にも分かって貰えないんだなぁ……」

 勇者が愚痴るように言って肩を落とした。

「で、でもまぁ結果的に良かったじゃないですか! ねっ、ねっ!」

 エクセラが慰めている最中、フードを被ったアイナが、ゆっくりとヂュマの方に歩み寄っていった。腰の鞘から、ぬらりと抜いた剣の刀身が光る。

「あら」というエクセラの吞気な声は、アイナが振り切った剣の斬撃音に搔き消される。

(……は?)

 エクセラが現状把握できないうちに、ヂュマの体は上半身と下半身に分かたれていた。ヂュマの体の上半分がごろりと甲板を転がる。

 絶句するエクセラと勇者。フードからは鋭いが覗いていた。

 アイナは言葉を失う勇者を睨め付け、はっきりとした声で喋る。

「何やってんのよ。トドメはキッチリ刺しなさい」