第二章 幽霊船の奴隷
アンデッドが操る竜車の御者台近く、
後部席にスズキとネフィラ、そしてエクセラを乗せた大きな竜車は、レイルーン東にある港に向かっていた。
エクセラの前の席では、ネフィラが勇者を肘でチョイチョイと突いている。
「なぁ、スズキ。やはり、もっとお菓子を持ってきた方が良かったのではないか?」
「……いらない」
「そうだ。穀物を握って作った珍しい保存食があるぞ。お前はそういうのが好きだろう?」
「いいってば!」
「食欲がないのか? 竜車酔いだな。気持ち悪くなったらいつでも言え。ゲロ袋も持っている」
「大丈夫だって!」
勇者は
(ふふ。まるで親子ですわね)
エクセラは微笑ましく思う。それと同時に先程、自分がネフィラに言ったことを思い出して反省する。
(魔族であるネフィラ様と勇者様が懇意になった方が、世界平和の為には良い筈。なのに私は……)
自分が同行を申し出た理由は明白かつ単純。勇者をネフィラに取られたくないと思ったからだ。
(レイルーンの姫として、第一に望むべきは世界の平和。私情を挟んではいけない──頭では分かっていた筈ですのに……)
やがて潮の匂いが漂ってきて、エクセラの思考は中断する。
(あっ! クーレの港は久し振りです!)
かつてオルネオと何度も訪れた思い出のある港。だが、窓から外を見たエクセラの目は
クーレの港は深い霧に包まれていた。邪悪な気配の漂う沿岸には、幽霊船の如く朽ち果てた船が何隻も集結している。
(こ、これが、魔王軍不死船団……!)
竜車を下りた後、改めて見渡した不死船団の威容にエクセラだけでなく、勇者も息を
「いつ見ても壮観だな」
「きけけけ。ほ、ほんの一部だよ。こ、今回は、スズキを迎えに来ただけだから」
巨大な母船を含む十三の艦隊からなる不死船団は、先の大戦で三つの国を壊滅させたと聞いている。不死船団は通常の船ではありえない速度で航行し、倒した人間の兵をアンデッドとして仲間に取り入れ、より強くなっていくという。
「さ、さぁ。わ、私の船へ。す、すぐに出航するから……」
見上げる程に大きな黒い船を指さして、ヂュマは不気味に笑った。
(うう……やっぱりイヤな予感が致します……!)
◇
ヂュマが巨大な船の甲板に上がると、船上をウロウロと
「うっ……」
自らの口に手を当てる。腐臭が潮風に混じって鼻を突いたからだ。
既に船は出航して、霧の海を進んでいた。後方のクーレの港が見る見るうちに離れていく。
「こ、この下が船室だよ」
ヂュマに続いて
「不死船団ってだけあるな。スケルトンやアンデッドばかりだ」
「こ、こんなのは、ただの下級兵士だよ。す、スズキには、わ、私のコレクションを見せるね……」
ヂュマが乾いた音で手を叩く。すると扉が開かれ、よたよたとアンデッドが数体入ってきた。
「せ、世界中から、う、美しい男の死体を、あ、集めたんだ」
ヂュマが自慢げに語る。
(ぐっ! 腐臭が!)
強い吐き気がして、
「き、気に入らなかったか? た、確かに不死とは言え、アンデッドはやがて内臓が腐り、て、手足がもげて使えなくなる。そ、そこで次のコレクションだ……」
ヂュマが手を叩くと美男のアンデッド達が退出し、代わりに扉から白い肌の男が三名入ってきた。ほとんど
(今度は臭いはしないけど、マネキンみたいだ……)
パチンとヂュマが指を鳴らす。すると、男達はヂュマの前で
ヂュマが当然のように一人の男の背に腰掛けたので、
「な、何してんだよ!?」
「けけきけけ。い、『椅子人間』だ。生きている人間を、さ、さらって人形化し、背中の皮を剝いで、じゅ、獣毛を植え付けた。スズキ。お、お前も座ってみろ」
「誰が座るかあああああああああああああ!!」
(コイツ、人間を何だと思ってんだ!)
心の中で沸々と怒りが沸き上がってくる。だが、
「おお、スズキ! 柔らかくて、もふもふしているぞ!」
「ネフィラ!? 何で、しれっと座ってるの!?」
「お前は確か以前『もふもふしたい』などと言ってなかったか?」
「俺はこんな不気味な、異世界もふもふがしたかったんじゃない!!」
「こ、これも気に入らないのか? な、なら、コレクションその三だ」
ヂュマが
男は椅子人間に座るヂュマとネフィラの所までコツコツと音を立てて近付く。跪いたような体勢の男の背板に、ヂュマが笑いながら肘を突いた。
「きけけけけ! つ、『机人間』だ!」
「おお、スズキ! お菓子が置けるぞ! ティータイムでもしよう!」
ネフィラは嬉しそうに、持っていた革袋から飴などを取り出したが、
「ティータイムどころじゃねえだろ!!」
怒っている
「あっ……。せ、せっかく持ってきたのに……。スズキ……食べ物を粗末にしてはいかん……」
何だかちょっと悲しそうなネフィラだったが、そんなことも気にならないくらい
「ふざけたチェアセット、作りやがって!!」
「ゆ、勇者様! 落ち着いてください!」
背後から叫ぶエクセラを
「だって! 人の命が弄ばれてるんだぞ! こんな物も言えない体に改造されてさあ!」
「きけけ。そ、そんなことはない。い、生きてる時と同じように、ちゃんと、こ、言葉を喋る」
「え……?」
(だ、だとしたら、まだ意識があるのか?)
ヂュマが座っている椅子人間の頭部を軽く小突いた。その途端、
「おイッス!」
椅子人間は元気にそう喋った。ヂュマがもう一度、小突くとやはり無表情な顔で「おイッス!」と繰り返す。
「ほ、ほらな? しゃ、喋るだろう?」
……
「『おイッス』じゃねえわああああああああ!! 椅子か!? 椅子だからか、この野郎!!」
「少し落ち着け、スズキ。怒りすぎだぞ」
「だからネフィラは何でさっきから、しれっと椅子人間に座ってんの!? 立ってよ!!」
鼻息の荒い
「べ、別に、不満はないよな? お、お前達?」
「「「おイッス!!」」」
「それしか言わねえじゃねえかよ!!」
怒りにまかせて
「ううっ……」
机から苦しげな男性の声が漏れた。
(え……?)
「く、苦しい……苦しいよぉ……」
机人間は苦しげに言葉を発していた。
「お、おい! この男の人、まだ意識が!」
「きけけけ。た、体液が足りなかったみたいだね……」
言うや、ヂュマの口が裂けんばかりに大きくガパァッと開かれる。剣山のような歯を剝き出しにするや、ヂュマは机人間の首元に嚙み付いた。机人間がガタガタと痙攣する。
「お、お前、何してんだよ!?」
「に、人形化にはこうやって、わ、私の体液を、ちゅ、注入するんだ」
「イヤだ……助けて……父さん、母さん……!」
感情のこもった男性の泣き顔は、次の瞬間、消え
「こ、これで自我が完全に、き、消えたよ」
「ふざけんな! 元に戻してやれよ!」
「も、もう、無理だよ。きけ! きけけきけけけけけけけ!」
(こ、コイツ……っ! 許せない!)
「魔王軍決起会で無益な殺生はするなって言ったよな?」
「い、椅子や机にして、つ、使ってやっている。ゆ、有益だろう?」
「お前……!」
主に危険が迫ったのを察知したのか、周りのアンデッドやスケルトン兵達が、ゆっくりと動き出した。
「こ、この人間……かわいいいいいいい……!」
「でも……でもでもでもでも!」
「ヂュマ様にたてつく者は、排除しなきゃなああああああああああ!」
(ふーん。しっかり統制されてるな。元からある俺の可愛さだけじゃ止められない、か)
それでも
(攻撃力、魔力を超える唯一無二の絶技──『プリティス』がな!)
「四十八のプリティス・第二十五の仕草『
「か、可愛い……ッ!」
真っ先にネフィラがそう呟いた。そしてその後を追うようにアンデッド達が
「おおおおおおおおおお……!」
「アアアアアアアアアア……!」
「アンデッド達が苦しそうですわ!」
エクセラの声に
つまりプリティスは不死船団のアンデッドやスケルトンにも通用するということ。自信を得た
(あと一押しだな)
「なぁ、ヂュマ。もう二度とこんなことをするんじゃない。分かったな?」
「ギッガアアアアアアアア!! か、か、可愛イイイイイイイイイイイイイ!!」
牙を剝いて、ヂュマが
(え……ええっ!?)
動揺して後ずさる
ネフィラの拳を受けたヂュマは、船室の壁に激突する。だが、木の壁にめり込むも、すぐにすっくと立ち上がる。ヂュマにダメージは全くなさそうだった。
「か、可愛いスズキを!! わ、私専用の人形に、したい、したい、したいいいいいいいい!!」
いつしかヂュマの眼球は
「プリティスが効いてない!? 何で攻撃が止まらないんだよ!?」
「も、もしや、可愛く見せれば見せるほど、ヂュマは勇者様を人形にしたくなるのでは!?」
エクセラの言葉に
「ききゃけけけ!! わ、私の体液!! 今、注いであげるからねええええええええええ!!」
四つん這いになり、獣のように
「ぎげががるるるるるるる!」
「……いい加減にしろ」
ネフィラは嚙まれたまま、ヂュマの頭部を
(う、うわ!! 殺した!?)
だがヂュマは百八十度以上に折れ曲がった首で、きょとんとした顔をしている。
「あ、あれ? あれれれ?」
「正気を取り戻したか?」
ネフィラに言われて、ヂュマは曲がった首のままネフィラから離れる。そして、ゴキゴキと音を立てながら、首を元に戻すと何事もなかったように「きけけ」と笑った。
ネフィラは溜め息を吐いた後、諭すように言う。
「ヂュマ。さっきのはお前が良くない。スズキは人間だ。同胞が椅子や机にされれば、怒るのは当然だろう」
(えっ。ネフィラ……?)
「ネフィラ。ありがとう」
「フン。お前と一緒にいて、私も少し考え方を変えたのだ」
「そっか。でも……」
「椅子人間に座るのやめてって、さっきから言ってんじゃん!!」
「まぁ、それはさておき……ヂュマ。お前だって仲間が、同じようにいたぶられたらイヤだろう? そういうことだ」
「そ、そうか。な、仲間か。な、なるほど……」
ヂュマは椅子人間に近寄り、頭を擦った。ちょっとは理解してくれたか──
「なっ!?」
凄まじい威力の踵落としで、椅子人間は上半身ごとバラバラに砕ける。折れた腕を踏みつけながら、ヂュマが乾いた笑い声を上げた。
「な、仲間なんていらない! こ、壊れたらまた、つ、作れば良いだけだ! に、人形もアンデッドもいくらでも、か、替えが利く! きけ! きけききけけけけ!」
「こ、コイツっ! マジで!」
治まりかけていた
「もうよせ、スズキ!」
珍しく、ネフィラが叱咤するような強い言葉を
「不死船団は魔王様より、広大な海に於ける戦闘の全てを任せられている。つまりそれだけの権力と実力を誇っている。位も
少し溜めてからネフィラは言う。
「ヂュマは強い」
(うっ! ネフィラが強いって言うなんて……!)
救世十字軍のマーグリットとネフィラの戦闘を、
「物理攻撃や魔法、どんな強力な攻撃手段を
「不死身の……怪物……!」
その言葉の響きに畏怖の念を感じながら、
「わ、私はただ、す、スズキに喜んで貰いたかったんだけどね……」
「ヂュマ。悪趣味なコレクション披露はもう充分だ。個別の寝室はあるか? 休憩したい」
「じゃ、じゃあ案内するよ。つ、付いておいで」
ヂュマはそう言って歩き出した。
巨大な船室を出た後。ヂュマから少し離れて歩きながら、ネフィラが
「危ない奴だ。私のいないところでヂュマには絶対に近寄るなよ?」
「あ、ああ。分かった」
ネフィラの言葉に、
◆
「ふ、不死船団の航行速度なら、あ、明日には帝都に着く。ゆ、ゆっくりと休め」
「うむ」
ネフィラは素っ気なくヂュマに返事をする。意外にもヂュマはそのままおとなしく帰って行った。
廊下に個別の船室が横一列に並んでいる。ネフィラの隣にスズキの船室、そのまた隣がエクセラの部屋だ。スズキが船室に入ったのを確認してから、ネフィラも自分の船室に入った。
簡易ベッドと部屋の隅に机と椅子がある。ネフィラは扉近くで突っ立ったまま、先程のヂュマとスズキの一件を思い出していた。
平静を保つように振る舞っていたが、ネフィラは内心ハラハラしていた。ヂュマに盾突く魔物など、そうそういるものではない。人形としての不気味な容姿に加え、体から立ち上るドス黒いオーラ。心得のある魔物なら、ヂュマの危険さは見た瞬間に感じる筈だ。
(なのにスズキったら。突っ走るところあるからなあ)
でもまぁ、そんなところも初々しくて可愛いよね、なんてネフィラは思った。
(それにしても……さっき、止めに入らなかったら、ヂュマの奴、スズキに嚙み付いてたわよね! 私を差し置いてスズキに嚙み付くなんて許さないんだから!)
ふと、自分がスズキの首元に唇を這わせているシーンを想像し、ネフィラの顔は一気に紅潮した。
(よ、ようし……行きますか……!)
そろりと扉を開けると、スズキの船室に向かう。そしてネフィラは扉の前で深呼吸した。
(
髪を手ぐしで整える。そして、はやる気持ちを抑えてノックした。
「スズキ。いるか?」
「ネフィラ……?」
「入るぞ」
「ヂュマが入ってくると危険だからな」
平然とした様子で、そう言ったが本心は別。
(フフフ! これで密室! 今日は誰にも邪魔されないわっ!)
レイルーンと違い、周囲には
スズキとの蜜月に心を躍らせるネフィラだったが、ふとスズキが辛そうな顔でベッドに座っていることに気付く。
「おい。どうした?」
「ちょっと気分が悪くて。船酔いかも」
「そうか」
ネフィラはスズキの隣に腰掛ける。そして自分の膝をポンポンと叩いて見せた。
「此処に頭を載せろ」
「え! で、でも……」
「膝枕だ。落ち着くぞ」
「……うん。確かに、落ち着くかも」
「フン。良かったな」
素っ気なく言ったネフィラの二つある心臓は、飛び出そうなくらいに激しく鼓動していた。
(ハァハァハァ! 私は全然落ち着かないけどねっ! 可愛い、スズキ可愛い! チューしたいなあ! ハァハァハァハァ!!)
興奮して妄想に浸っていると、あっという間に数分が過ぎた。
「ちょっと楽になったよ。ありがとう。ネフィラ」
(あっ!? 今日は逃がさないからね!! このまま一気に畳みかけてやる!!)
こんな機会は滅多にあるものではない。ネフィラは決意を新たにする。そして笑顔を見せたスズキに対し、少し厳しい顔を見せた。
「ならば、スズキ。本日の忠誠の
「ちゅ、忠誠の証? えっと……て、手の甲に……く、口づけするんだっけ?」
「うむ。それが
「あれって何だかちょっと恥ずかしいんだけど……」
「ははは。愚か者め。一体、何を勘違いしている? 忠誠の証とは主従関係を示すもの。恥ずかしがる必要など全くない」
「そ、そうだよな! 外国のハグみたいなものだと思えばいいんだよな!」
「どういう意味だ?」
「あ、いや、こっちの話。じゃあ、ネフィラ。手を」
「待て。最近少しだけ、ルールを変えてな。手の甲ではなく……」
ネフィラはスズキに顔を近付け、充血した瞳で叫ぶ。
「私の股ぐらに口づけするのだ!! ハァハァハァハァッ!!」
「いやそれ、どんな忠誠の証!?」
仰天して逃げようとするスズキに、ネフィラはグイグイと迫る。
「待て!! 我が股ぐらに顔を押しつけ、
「言ってる意味、全然分かんないんで!!」
だが、ネフィラはスズキの肩をしっかと握りしめて動きを封じる。そしてそのままベッドに押し倒した。ネフィラは、この間から溜まりに溜まっていたリビドーを全開にしていた。
「ハァハァハァハァ!! 忠誠の証を!! ぜぇーっ、ぜぇーっ!!」
「待て待て待って!! 何コレ!? ヂュマよりネフィラの方が危ないじゃんか!!」
「そんなことはない! コレは主従の証だ!」
(うへへへへ! 今日はイクところまでイッちゃうからねえええええ!)
「う、うわああああああああ!?」
スズキの頭部を両手で摑み、そのまま股間に押しつけようとした瞬間。ベッドの端の方が盛り上がり、シーツが宙を舞った。
(……えっ?)
ネフィラがビクリと動きを止める。
「そんな忠誠の証は、聞いたことがございませんっ!!」
ネフィラは仰天しつつ、目を見張る。何とエクセラがベッドの上で仁王立ちしていた。
「なっ!? エクセラ!? ど、どうして此処に貴様がいるのだ!!」
「私は勇者様の奴隷ですので!」
(じゃ、じゃあ私が来る前から、既に部屋にいたってこと!? そしてベッドの中に身を潜めて……!!)
自分の痴態を見られていた恥ずかしさや、色んなことが頭の中でゴッチャになって、ネフィラは大声で叫んだ。
「エクセラ、貴様ァァァァァ!! こっそり男の部屋に忍び込むとは、何というイヤらしい女だ!!」
ネフィラ自身のことは棚上げした台詞だったが、エクセラも恥ずかしかったのだろう。顔を真っ赤に染めた。
「ご、誤解です! 私は勇者様と一緒に本を読もうと!」
そう言ってエクセラは古びた本を取り出す。は? 何よ、それ!
「どうせイヤらしい本だろう!!」
「イヤらしくなんかありません! これは『英雄ハルトライン伝説』です!」
「ああ!? 『デカいイチモツで女をヒィヒィ言わせた』とか、そんな破廉恥な男の伝説か!!」
「どんな伝説ですか、ソレ!! ネフィラ様こそ勇者様をベッドに押し倒すなんて破廉恥です!!」
「わ、私がスズキを襲ったと!? そ、そ、そんなバカなことがあるか!!」
「ネフィラ……エクセラ……もうやめてくれ……」
小さな声でスズキが何か呟いていた。だが、ヒートアップしたネフィラは、エクセラとギャーギャー互いに
やがてスズキが
「船酔いで気分が悪いって言ってるだろ!! 二人共、もう出て行ってくれえええええええ!!」
◆
ヂュマがネフィラ達を個別の船室に案内してから、一時間ほど経過した。
(そ、そろそろ、ね、眠ったか?)
ヂュマはそろりそろりと薄暗い通路を歩く。向かう先はスズキの船室だ。
(ああ、スズキ! は、早く私専用の人形にしたい、したい、したい、したい!)
先程のスズキの可愛さを思い出して、ヂュマは居ても立ってもいられなくなった。歩きながらスズキを人形にする妄想を頭に描く。
か、可愛いスズキ! 死なない人形にして、いつまでもずっと一緒! ね、寝る時はもちろん抱きしめて! お、お風呂にも一緒に入ろうね! 隅々まで、き、
っと、スズキは私のもの! 私だけのもの! きけ! けけきけけけけけけ!
だがスズキの船室に近付くにつれて、ギャーギャーと騒がしい声が聞こえてくる。ネフィラと、スズキと一緒にいた奴隷女の声だ。
「……ちっ」
ヂュマは舌打ちする。女の奴隷は瞬殺できるが、ネフィラとの戦闘は流石にマズい。イライラしながら、ヂュマは自分の指をガジガジと嚙んだ。
(お、落ち着け。も、元々、此処でさらうつもりは、な、なかったじゃないの)
自身にそう言い聞かせる。帝都へスズキを連れて行くことは魔王様の命令。悪魔研修には、できるだけ参加させた方が良いだろう。
そして、研修の帰りにネフィラ達を出し抜き、スズキだけを乗せて出航する。遭難に見せかけ、スズキを拉致した後、ゆっくりと人形にしてしまえば良い。無論、ネフィラは怒り狂うだろうが、不死船団強化の為だったと言えば、魔王様からのお
(きけききけ! た、楽しみは、あ、後に取っておかないとね!)
ネフィラとエクセラの声を背中に聞きつつ、ヂュマはほくそ笑みながら通路を引き返した。
◇
レイルーンを出航した翌日の正午には、ヂュマの船は既に帝都に入港していた。
(エクセラが言ってた通りだ。ホントに早かったな)
甲板から帝都の町並を眺めつつ、
魔力を動力として長距離を航走するヂュマの船は確かに凄いと思うのだが、代償もあった。
(うう……気持ち悪い……!)
今、
「勇者様。体調は?」
「う、うん。だいぶん良くなった、かな」
「昨日は本当にすいませんでした……」
「いや。気にしないで」
エクセラの手前、なるべく元気に振る舞うが、実際のところ立っているのもやっとである。生まれて初めての船旅ということに加え、もう一つの大きな要因として……。
「ヂュマ様ああああ! 言われた通り、また一人ぃぃぃ! 人間をさらってきましたあああああ!」
航行中、腐乱死体が辺りを歩き回っていたのだ。彼らの腐臭が、
(ああ、気持ち悪……って、待て!? 今アイツ、何て言った!?)
帝都の港に停泊中のヂュマの船に、アンデッドがボロを被った小柄な者を連れて歩いてくる。
甲板では、ネフィラやエクセラが下船の準備をしていたが、
「お、おい。その人は?」
「さっき、そこで歩いてたんだあああ。ヂュマ様の人形候補だよおおおおおお」
「『歩いてたんだあああ』じゃないだろ! 散歩中の人を勝手にさらうな、この人さらい!」
(えっ? もしかして……女の子?)
目深に被ったフードから、ちらりと覗く艶のある唇を見て、
「えっと。君、名前は?」
だが無言。しばらくして「うう」と呻くような声が聞こえた。やはり女性の声だ。でも……。
「コイツ、さっきから喋らないんだよおおおお」
アンデッドが隣で言った。生まれつきか、もしくはさらわれたショックで口がきけなくなったのかも知れない。フードを深く被っているせいでハッキリと顔は窺い知れないが、女の子は小刻みに震えている。
「行こう!」
「べ、別にいいよ。元々、に、人形にして、す、スズキにプレゼントするつもりだったから」
「そんなのいらないって言ってるだろ!」
「じゃ、じゃあ、此処で帰りを待ってるからね。けけききけけけ!」
ヂュマと別れて船を下りた後、エクセラがボロを着た女の子にぺこりと頭を下げた。
「私、エクセラです! よろしくお願いします!」
すると、女の子は震える手で自分を指さし、
「あ……アイ……ナ……」
訥々とそう答えた。
「アイナ……? アナタはアイナさんと仰るのですね!」
こくりと頷く女の子。
(そっか。全く話せない訳じゃないんだな)
一時的に喋れなくなっているだけかも知れないと
「俺は
「スズキ。『捨て人間』を無闇に拾うなと前から言っているだろう。ちゃんと世話できるのか?」
「大丈夫だって! 俺の奴隷にして面倒見るから! それからあと、人間を捨て犬みたいに言わないで!」
「しかし、お前はこれから悪魔研修だろう?」
「そ、それは……」
苦虫を嚙み潰したような顔のネフィラに、エクセラが微笑む。
「ネフィラ様! 勇者様がいない時は、私がアイナさんのお世話をいたします!」
「チッ。やれやれだ」
ネフィラが呆れたように黒髪を搔き
歩き出したネフィラの後に続きながら、
ネフィラの先導で
聞く話によると、帝都で暮らしている魔物の数はレイルーンの十数倍らしいので、さもあらんと言ったところである。魔都に改築しているとセルフィアノが言うだけあって、魔物達はそこかしこで大工作業に
大通りに出ると、魔物達が経営する店々が林立し、通路もそれなりに舗装されている。帝都侵攻の悲惨さは今となっては遥か遠い昔のようであり、此処がまるで以前から悪魔の都であったかのような錯覚すら覚える。
ふと表現しがたい臭いが漂ってきて、
「人肉レストランへようこそー! 今日は焼き人間がオススメだよー!」
苛つきを抑えながら、
「さぁさぁ、便利な家具はどうだい? 不死船団団長ヂュマ様手作りの人間椅子もあるよ!」
ネフィラが嬉しそうに
「おお、スズキ! 例の椅子も売っているのだな! むむ! 結構な値段がするようだ! 貰っておけば良かったな!」
「あんなのいらないし!」
どことなくウキウキしているネフィラに
(クソッ! 以前と何にも変わってねえ!)
そして、
辺りを漂う焼き人間の臭いがイライラと混ざり合って、
「うっぷ!」
「ゆ、勇者様!?」
酷い吐き気に腹痛も重なり、
「船酔いと疲労だな。近くに
「ひ、一人で行けるから! 場所だけ教えて……うぷっ!」
(うう……胃から込み上げてくる……! 吐けば楽になると思うけど……)
◇
(勇者様。大丈夫かしら)
エクセラはスズキの体調を心配していた。あれからもずっと吐き気が治まらないらしい。
帝都の中心近くにある悪魔研修所に
エクセラは所在なげに、辺りをキョロキョロと窺った。
(此処は、旧帝国軍の研修所ですわね……)
新たに一から建物を作るより、人間達の設備をそのまま使う方が楽に決まっている。この研修所に限らず、魔王軍は征服した人間の住居をそのまま使っていることが多いようだ。
(でも、それではプライドが許さないのでしょう。だから内装を変えたりして、帝都を魔都に改装しているのでしょうね)
「……こんにちはー」
突然、背後から
ネフィラが会釈すると、セルフィアノは顎に指を当てて不思議そうな顔をした。
「あら。スズキがいませんね。どうしたのです?」
「今、厠に行っております。船酔いが酷くてですね」
「まぁ。そうですか」
心底心配げな表情をした後、セルフィアノはエクセラとアイナに冷たい視線を向けた。
「この人間達は?」
「エクセラにアイナ。スズキの奴隷です」
「よ、よろしくお願いいたします……!」
魔王軍随一の知能と呼ばれるセルフィアノを前にして、エクセラは緊張していた。全てを見透かされるような三つ目が
やがてセルフィアノは視線をネフィラに戻した。
「スズキはしばらく来ないようですし、先に教室を案内しましょうか」
「し、しかし! ちゃんと待っていてあげないと、スズキが迷子にならないでしょうか?」
「なりませんよ。そんな広い場所でもないんですから。もう、ネフィラったらまた過保護ですかー?」
セルフィアノは少し意地の悪い顔でクスクスと笑った。
「過保護などと、そんなことは決して! わ、分かりました、なら行きましょう! 教室とやらに!」
ネフィラは早口で、そう言った。
セルフィアノとネフィラの後をアイナと一緒に歩きながら、エクセラは黙って二人の会話を聞いていた。
「実は最近、食料や奴隷用に備蓄してある人間の町が襲われているのです。魔王軍の上層部は、これを下級兵士達の仕業と見ているようです」
「下級兵士の仕業? 何故、そう考えるのですか?」
「その地に駐屯していた魔王軍の兵隊が
「ふむ。悪魔研修にはそのような経緯もあったのですな」
(なるほど。魔王軍も大変なのですね……)
人間は言うまでもなく、一つの種族である。一方、魔王軍には悪魔や獣人、はたまたアンデッドと多くの種族が入り乱れている。気性の荒い魔物の種族を一つに統率するのは並大抵のことではないのだろう。ほんの少し魔王軍の苦労が理解できたエクセラだった。
そうこうしているうちに、廊下の突き当たりに辿り着く。
「此処がスズキが研修をする教室です」
微笑んだセルフィアノは、すぐに
「それでは次は城にでも行きましょうか。現在、魔王城に改装中ですので、その進捗などを……」
途端、ネフィラが驚いた顔をした。
「ま、待ってください! これからスズキの研修があるのでしょう?」
「はい。ですから私達はその間、何処かで時間を潰そうと思いまして」
「いやいやいや! せっかく来たのですから、スズキの授業参観をしましょうよ!」
「え
っ! ネフィラってば、本当に過保護ですねー!」
「か、過保護でも何でも授業参観します! 私はスズキの保護者みたいなものですから!」
「隊長補佐って隊長に保護されるものじゃないでしょうに。でもまぁ、分かりましたよ。それじゃあネフィラは授業を見てください。で、アナタ達は……」
セルフィアノの視線が自分とアイナに向けられる。エクセラは焦って、口を開いた。
「わ、私達も奴隷なので『奴隷参観』いたします!!」
「ど、奴隷参観だと……?」
ネフィラが呟き、口をあんぐりと開けた。それを見て、エクセラはふと冷静になる。
(あああああっ!? 私ったら、変なことを言ってしまいました!!)
「何ですか、それ……」
セルフィアノも妙な顔付きだった。エクセラの顔が羞恥で火照る。やがてネフィラが「ふん」と鼻を鳴らした後、エクセラを指さした。
「一応コイツはスズキの奴隷ですからな。私は参加させてやっても良いと思います」
「スズキの奴隷ですか。……いいでしょう。アナタ達二人の奴隷参観を許可します。後学の為、しっかりと勉強するのですよ」
笑顔こそ見せなかったが、セルフィアノは二人にそう告げた。エクセラは深々と頭を下げる。
「は、はい! ありがとうございます!」
(勇者様がこの場にいないのに、人間の私の意見が通るなんて! やはり世界は少しずつ変わっていますよ、勇者様!)
「それじゃあ皆で教室に入りましょうか」
そう言ってセルフィアノが引き戸を開けた瞬間、エクセラの背筋は凍った。
(うっ! これは……っ!)
ガヤガヤと野太い声。凶悪な面構えの魔物達が椅子や机の上に、どっかと腰を下ろしていた。
エクセラはまるで魔物の巣窟に迷い込んだ気がして動揺するが、ネフィラは淡々とした口調でセルフィアノに尋ねる。
「セルフィアノ殿。この者達は?」
「魔王軍に入ったばかりの下級兵士達です」
「新参者か。道理で皆、態度が悪い訳ですな」
参謀のセルフィアノと
一体の悪魔がぐるりと首を動かし、セルフィアノを振り返る。
「すんませーん。授業はまだっすかねえ?」
「もう少々お待ちを。すぐに担任の教師が来られますので」
セルフィアノが柔和に答えても、一人の悪魔は机に足を投げ出した。
「ったく。遅っせえな。だいたい教師って、どんな野郎だよ」
「やってらんねえよ。アホくせえ」
不良悪魔達に、エクセラはごくりと生唾を飲む。
(や、やはり一癖も二癖もありますね! 勇者様、こんな方々の中に入って大丈夫でしょうか?)
その時。ガラッと勢いよく扉が開いた。クラスの視線が一斉に注がれる。
二メートル以上ある長身を屈ませて、のそりと扉を潜って教室に入ってきたのは、
「……俺が教師のレオスだ」
低い声で言うが、周囲は依然ざわざわとしていた。笑いながら足を机に投げ出している悪魔のもとに、レオスがのしのしと歩んでいく。
「おい、貴様。俺が今、喋っているだろう?」
「あぁー? 何すか、先生」
「いいか。覚えておけ。俺の前で『私語は……」
悪魔は依然、ヘラヘラと笑っていた。エクセラの心臓はドキドキと音を立てる。
(とっても厳しそうな先生ですわ!! きっと『私語は厳禁』!! 殴られるのでは!?)
すると次の瞬間、レオスはカッと金色の瞳孔を開く。
「『私語は死刑』だ!!」
言うや、鋭い爪のある腕を振るう。レオスの強烈な一撃を
「「「ひぃぃぃぃぃぃぃ!?」」」
教室が魔物達の絶叫で満ちる。だがギロリとレオスが目を光らせると、クラスは先程までとは打って変わって静まり返った。
無論、魔物達だけではない。この無残で異様な光景にエクセラも戦慄していた。
(いや、喋ってただけで殺されましたけど!? 『私語は死刑』!? いくら何でも厳しすぎでしょ!!)
ヂュマに続き、